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ベターハーフ! 第四話




不満そうな澪と憮然とした僕とが、互いに顔をつき合わせている。
普段と違って視線を反らし気味なのは、気まずさの表れなのか。
周囲は静けさからほど遠く、名も知れぬ野鳥や獣の鳴き声に満ちている。
しかし、そんな喧騒を拒絶するように僕達はただただ無言。
耐え切れなくなったのか、噛み付くような感じで彼女は口を開いた。



「だ、大体、どーしてあんたを守んなきゃいけないのよ?!」

「そーゆー訓練だからだ!!!!」



富士の樹海に、魂の叫びが轟いた。
今更何を言ってるのかコイツは。
話を全く聞いてなかった、と告白されたら信じてしまいそうで恐ろしい。
阿呆なのか頓馬なのか間抜けなのか凡暗なのか天然なのかボケなのか。
思考が堂堂巡りを繰り返すが、それで既に起こった事実を取り消す事など出来るはずも無い。

そう、紛れも無い現実なのだった。
訓練開始早々、ザ・ハウンドに一本先取されたのは。
…………いっそ夢ならどんだけいいか。





ベターハーフ! 4





「……だから、悪かったって言ってんでしょ。
 いい加減、機嫌直しなさいよ」




お前が言うな。喉までせり上がった一言を、僕は寸前で食い止めた。
此処は富士の樹海。深い木々の隙間から漏れ来る陽射は、緑の香りを一層際立たせている。
平坦にも見える緑の絨毯に覆われた地面は、実は起伏に富み、ごつごつした大きい岩石も顔をのぞかせていた。
その岩石の一つに背を預けた僕は、ただ今マイナスイオン摂取の真っ最中。
癒しをもたらすだろう香りに包まれて、何故僕の心はこうもささくれ立っているのやら。
こうしてみると自分の弱点が解った気がする。すなわち、不測の事態に弱い。
自分の能力で処理出来ない、コントロールできない、つまり他人の行動によって引き起こされる事態に全く不慣れで気持ちが追いつかないのだろう。
僕がエスパー時代にやりたい放題であったのは、もしかするとそれを覆い隠すためであったのかもしれない。
あるいは逆に、好き勝手してたからこそ、そんな短所が育まれたのかもしれないけれど。
目線を動かしてみると、僕に負けじとばかりに澪がふて腐れた様子で佇んでいた。
むしろこっちが愚痴の一つでもこぼしたいところなんだが
年上として指揮官として男として我慢するべきなのだろうか。
それに、澪が所在を無くすのもわからないではないのだ。
あまりにも意外で唐突な出来事だったので、僕自身も把握するのに一瞬思考が止まってしまったくらいだから。



「犬神君の動きも予想外だったけど
 開始早々、指揮官ほっぽってオフェンスに出ちゃ駄目だろう。
 ルールきちんと聞いてないからだよ」

「……だから、こうして作戦会議に付き合ってるんでしょ?」



訓練開始前に素直に付き合ってくれてれば、もっと嬉しかったんだけどね。
言葉を飲み込んで、僕は迷彩服の襟を整え直す。
こういった森の中で身を隠すのに適した戦闘服は、今の僕にはまるで似合わない。
サファリルックに身を包み、本来の野性的な(もとい、元気な)雰囲気をいや増した澪とは好対照だが、今僕らは一つのチームである。
だが今回、澪がルールの勘違いをしてしまったのも、これが原因と言えば原因なのだ。
バベルはそもそも体裁としては準軍事機関だと言うことを、今更ながらに思い出す。
局長には直属の戦闘部隊すらあるし、設備には戦闘ヘリだってあり、ひとたび事件が起これば緊急出動がかかる。
だからこそ、指示命令系統ははっきりとしているし、命令の不履行があれば大問題にもなるわけだ。
まあ、そのおかげで澪の訓練を行わせることにも成功したのだけど、今日に限って言えば逆効果だった。
澪は、制服の違う僕は参加しないと思いこんでしまったのだ。
もちろん、訓練の詳細は最初にほたるさんから直接テレパスで指示があったのだから
澪が右から左にスルーさせていなければ、なんということは無かった、が。



「僕も参加するんだよ。
 あっちは、エスパー二人が自由に動けるけど」



お互いのチームでは、まず構成が違う。
相手のザ・ハウンドはエスパーが二人。
こちらは元エスパーであるとはいえノーマルの僕と、局内一のエスパーである澪との組み合わせ。
こちらはオフェンスは澪一人だが、あちらは二人のどちらでも良い。
そして宿木君も実質的には指揮官という立場であるには違いないが、訓練の要素として組み込まれているのではない。



「……でもさあ、それだとこっちが不利じゃない?
 あんたはなんの能力も使えないんだし、あっちはエスパー二人。
 ついでにダブルフェイスの中継能力はどっちのチームも使えるんでしょ?」

「まあ、ね。でも有利か不利かは局長が判断して下したことだから。
 この条件で勝つことに意味があるんだよ」



不満が無いかと問われれば、勿論ゼロとは言い難いが
今更そんなことを言っても始まらない。
実践を思えば、僕を含めた訓練が必要なのは確かなんだから。
区域内でお互いのチーム員が身につけた風船を割り合う、それが課せられた課題だ。
要するに、広大な森林を使った缶蹴りみたいなものだ。
罠をしかけ、相手を誘導し、隙を突いて風船を割れれば勝ちという単純なゲーム。
予想は出来ていたとはいえ、僕らにとってこれは予想以上に困難な訓練であると、今更ながらに実感していた。
これ以後どうするかを考え込んで、少し思考に沈んでしまっていたのだろう。
気付けば視界の端、見慣れない一本の棒があった。
目で辿れば、そっぽを向きつつポッキーを差し出す澪の姿が。



「……ほら。
 お詫びってわけじゃないけど、一本あげるから」

「あー……こりゃ、どうも」

「一本だけよ? 一本だけだからね?
 おっと手が滑ったー、とか言って箱の方取ったら酷いわよ?」

「僕を何だと思ってるんだお前は」



初音君じゃあるまいし。と考えるのは彼女に悪いか。
初めて僕にくれたお菓子が、ごまかす為のものってのもなにか情けない気はするが
とはいえ、これは澪の成長の証であるとも言える。
この一本は小さな一本だが、僕たちにとって大きな一本だ。
さすがに現状を顧みれば盛り上がるにはほど遠いのが難点だが。
しかし悲観が過ぎて、これ以上澪のテンションを下げてもまずいだろう。
三本勝負で既に一本先取されてしまったので、僕らとしては苦しくなったことは間違いないのだ。
相も変わらずポッキーが詰まっていつも以上に頬を膨らましているのに
ちっとも普段の満足そうな笑みを澪の口は形作ってはいない。
また喉を詰まらせることが無いように水を差し出して、僕は再び澪へと説明を続けた。
それと同時に、意識の片隅では立て直し策を講じながら。




☆☆☆





「ダブルフェイスは両チームの補佐を担当。
 ザ・ハウンドは実戦経験豊富な澪君たちの胸を借りるつもりで挑んでくれたまえ」

「「はいっ」」



澪に胸は無いけどな、と下手を打てば自殺モノの感想を抱きつつ。
局長の訓示後、森に響いたのは僕と宿木君、二人の声だった。おや?
返事の聞こえない女たちはどうしたのかと見やれば、またくだらないにらみ合いの最中。
こんなとこまでお菓子を持ちこむ澪も澪だが、それに負けない犬神君も凄いと言うかナント言おうか。
お互い1mほどの間合いを保ちつつじりじりと相手の出方を伺っている。
二人とも、その力はこれから始まる訓練で使ってはくれまいか。
思わずついたため息はとなりの宿木君も同じで、ふと視線が交差する。
僕と宿木君はすっかり目と目で通じ合う仲だ。
男同士と言うことを考えれば、さほど嬉しくはないけれど。



「では、詳細な条件などについては
 後でほたる君からテレパスによる指示がある。
 皆、開始地点に移動してくれたまえ」

「よろしく、皆本さん」

「ああ、よろしく宿木君」



局長達が待機所につめた後、改めて彼と握手を交わす。
肩越しに見やる視線の先には、犬神君と対峙する澪がいた。
宿木君が心なし顔を赤らめている様に見えるのは気のせいだろうか。
隣の芝生は青くないぞ、若人。



「でも…あれが噂に名高い澪さんだとは思えないッスね」

「噂に名高い?」

「俺らは入局して間もないけど、澪さんの噂は聞いてるんスよ。
 詳しくは知らないですが、複数の高い能力を持った優秀なエスパーだとか」

「……どんな噂だかは、あえて聞かないでおくよ」



わがままし放題で指揮官をとっかえひっかえしていた澪のこと。
そのままの意味で女王、クイーンなどと呼ばれているのを知らないのは当人だけだろう。
そのせいかどうかは知らないが、コードネームが無いのもまた澪だけだ。
僕ですらザ・チャイルドというコードネームがあったくらいなのに
それすらもつかないというのは、もしかして本人が拒否しているのだろうか。



「ともかくも、よろしくお願いするよ」

「はい! こちらこそよろしくお願いします!」



元気のよい挨拶を経て再度、握手。
うん、真面目かつ熱心。知り合って間もないが、いい子だと思う。
今回は敵同士だけど、こちらとしても頑張ろうという気持ちにさせられた。
そんな気持ちのままで、視線を横に動かしてみると
そこには、お菓子をめぐって醜い争いを続ける子供達が。
正確には、びしりと指を突きつける犬神君と、それを鼻で笑う澪。



「その空腹、満たす為に食べたポッキーは何本だー!」

「お前は今まで食べたポッキーの本数を覚えているのかー!」



ふしゃー、と揃って気炎を上げる、精神が奇妙な冒険を始めた馬鹿二名。
…………よし、ほっとこう。





☆☆☆





「で、チームごとに分かれて数分経ってから試合開始。
 即座に、相手を見つけようとお前が飛び出して
 慌てて後を追いかけようとした僕の背後から犬神君が奇襲を」

「そこ説明要らない」



ぼそりと、苦虫を噛み砕くよーな表情で澪が呟いた。



「じゃ、省略するけど……
 説明したとおり、僕らにしてみれば、相手の能力などわからない、実践そのもの。
 彼らにしてみれば、ある程度の事がわかっているエスパー犯罪者に対する訓練なわけだ。
 こちらがやや不利なのは否めないがね。そこは有名税だと思いなよ」

「……局長はえこひいきだー」

「あの親父はエスパー全体に対して偏愛だけどな」

《皆本くーん。そろそろ、時間終わるわよー》



会話を遮るようにして、ほたるさんからの注意が直接頭に飛び込んできた。
一本とられた後、設けられた休憩時間も終わりが近い。
早く相談を終えて、罠をしかけるならその準備を始めなければ。
残り時間を確認しながらありがとうと返すと、不満そうな顔を隠しもせずに澪が呟いた。



「……ダブルフェイスはお気楽なもんよね。
 こうやってテレパス中継さえしてればいいんだから」

「そうでもないさ。
 チームとチームとの間で会話が漏れないよう、相互干渉しないようにしながら
 複数回線を維持するような通信チャンネルを使いこなすなんて器用な真似
 ほたるさんくらいしか出来ないし、それがどれだけ大変かは澪ならわかるだろ」

「そりゃ……そうだけど」

「奈津子さんだって、クレヤポンスで両チームの状況を逐一記録、監視してる。
 事故や大きな怪我を防ぐ為の作業をしてくれているんだよ」



……事故が起こってからじゃあ、遅いんだからな。
額の古傷を確認するように触れ、いぶかしまれるより先に手を戻す。
実践を模した訓練中、過去に浸るような暇など今は無い。
そして、それを許さない人が僕以外に居たようで。



《へー。皆本君がほたるや私の事を褒めるなんてめっずらしー。
 明日は雨か雷かしら、それとも槍が降るかしら》

《ひょっとして、これは恋の予感?! きゃーっ》

「…………いえ、あの。
 そういう盗み聞きとかばっかりするから、滅多に褒めないんですが」



二人分のキンキンと甲高い思念が、また脳に響くこと響くこと。
改めて思う。本当に、二人とも昔から何も変わってない。
多分、あの性格は一生直らないだろう。三つ子の魂百まで、とはよく言った物だ。
何十年後にか肝っ玉母さんと化した二人の絵が浮かびそうになったが、手で払って全力否定。
チャンネルを自由に繋げられる今、下手なことを考えれば僕の人生に関わるんだから。
この世で最も恐ろしい生き物は、怒った女性だと骨身に染みている。というか染みさせられたし。



《ちぇっ、命拾いしたわね。
 昔なら悪口の一つでも考えてたのに》

《変なこと考えそうだったのは、許してあげるわね。
 でも貸し一つよ》



許してない気がするのは気のせいなのですか、ほたるさん。
でもまあ実際、あの二人が組んだ時のオペレーターとしての能力は、早々並ぶものはないくらいに高い。
昔からオペレーターとしてならした二人は、バベルでもひっぱりだこだったのを覚えている。
瞬時に情報の共有化が出来て、それを常に送受信しながら、自らの体験として取り込める。
一分一秒を争う緊急時には、本当に大きな武器になるだろう。
過去の僕も、二人と組んでいればどれほどのことが出来たやら想像も付かない。
とはいえ、ただでさえ力の暴走を心配された僕には、その機会は結局回ってこなかったけども。
待っているのに飽きたのか、それとも単に呆れているのか
そっぽを向いた澪が、再度お菓子を食べ始めていたために話を戻す。



「……ま、でも。不利だとばっかりも、言えないんだよ」

「どんなところが、よ?」



その疑問に、僕は小枝を拾い地面に略図を書いて見せた。
何だかんだで気になったのか、近付いて来た澪もかがみ込んで横から図を覗く。
ふと、前に垂れた髪からシャンプーの柑橘系の香りとミルクの甘い香りが混ざったような香りが漂い
そういえばこいつも女の子だったっけなどと思い返しつつ、平静を装って説明を続けた。



「まず、エリアとしてはこの樹海全体。
 言って見りゃお互いに発見するのはほぼ不可能に近い」

「……さっきはあっさり見つかったけどね」

「さほど離れてない位置から散らばったんだし、僕らが動き始める前だったからだよ。
 お互いを捜索しようとしてそこかしこを動き回っていれば、そうそう見つかるはずもないんだ」

「まあ、そりゃ」



探索、という面では超度6サイコメトリーである澪が絶対有利なはずだ。
ハウンドは噂レベルで知っているとはいえ、互いの正確な能力は知らされていない以上
僕は慎重に特性を探るつもりだったし、宿木君にしてももうちょっと時間をおいて攻めてくるかとも思った。
だが、隙を見逃さず犬神君を送る辺りはさすがに猟犬と言うべきか。
まさしくザ・ハウンドの名に恥じな……………おい。どこに隠してたんだ、それ。
バリバリとポテトを口に含む音と、頬を膨らませたミスハムスターの姿が僕を思考の縁から引き戻した。
匂いがキツイからコンソメでなく、せめて塩くらいにして欲しい。
そんな悟りを開きながら、僕は略図に石を置いた。



「で、相手としてはなるべく楽に事を進めたい。
 となると、どういった方法を取る?」

「……バカ眼鏡を狙う」

「バカは余計だ……まあそれが正解だけどね。
 弱点を狙うのは戦闘の基本。こっちの弱点は僕そのもの。
 で、だ。こちらとしては、そいつを利点に変えることが出来る。
 例えば、この石が僕だとして」



石を取り囲むように円を描き、澪の顔を見た。
すましたツリ目がちの瞳に、僕の姿が映り込む。
黙ってさえいれば、こいつも可愛くはある。あくまでも黙ってれば。
あとは、今みたいにコンソメの匂いさえ撒き散らしていなければな。
何だかとっても畜生な気分で、僕は言葉を続けた。



「石を囲んでいる、この円は君だ。より正しく言うなら君の能力範囲。
 つまりは僕を囮として、君が網にかかる犬神君か宿木君を捉えるのが効率的ではある」

「そりゃ、一度は上手く行ったんだから、相手も同じように狙ってはくるでしょうけど」

「だろ?」

「……でも言うのは簡単だけど、あんなキツネみたいなの上手く捕まえられる?」



そう。
先取された時に、得られた情報もあったのだ。
不明だった犬神君の能力を、はっきりと視認出来た。
おそらくは念力や催眠能力を基本としているのだろう。身を包む体毛状の鎧に、視覚を捉える狼の姿。
獣化とすら言える身体強化を行う複合能力、それが彼女の能力だと考えられる。
となれば、彼女とチームを組む宿木君にしても、同系統のエスパーである可能性は高いはずだ。
クレヤポンス(遠隔透視能力)とテレパス(精神感応能力)のダブルフェイスの様に。
ただ全く別の能力である、という可能性も捨てきれないが。
惜しむらくは、こちらも澪がすっ飛んで行ったせいで、彼女の能力の内、テレキネシスは確実にばれてしまった。
痛いことは痛いが、宿木君は噂には聞いていたようだし、ハンデ戦であることは当初からわかっていた事だ。
それを跳ね返す為の、だからこその超度6。
そのための――――――――僕だ。



「君にはテレキネシスにテレポート、サイコメトリーがあるだろ」

「うん」

「訓練でやっただろ、その気になれば空気の流れを読むことだって出来るんだ。
 限定された範囲なら、森の木々から情報を得ることだって出来る」



風の流れを読んでレスキュー隊を誘導し
また火の粉が舞い始めた地区を木の信号から判断して、素早く移動する。
エスパーだった頃の僕も、森林火災なんかで経験したことだ。
超度が違うとはいえ当時の僕に出来たことを、十五歳の澪に出来ないはずはない。



「で。反撃についてだけども」

「どうすんのよ?」



話し声が聞こえるくらいに相手が近くにいないことはわかっていたけど、つい耳打ちをする。
澪が露骨に嫌な顔をしたのに多少傷ついたが、休憩時間も無くなりだったので話を進めた。
この時の僕は、きっと意地悪い笑みを浮かべていただろう。



《やぁん、皆本くんたらエッチー♪
 相談にかこつけて、顔を近付けるだなんて》

《何のためのほたるなのかしらねー》



楽しげなその声に体を強張らせて、直後空まで飛んで離れる澪。
こちらに向けてくる視線は、石の下に居る虫けらに投げるかの如し。
その間にも忍び笑いのような感情、からかいの気持ちが念波として届く。
……すっかり存在忘れてましたなんて言ったら、さて誰に怒られるんだろうな。





☆☆☆





《あたし、あんたの頭悪い悪いとは思ってたけど……今日で確信したわ》

《失敬な、僕の第一志望は東都大だっての。
 あのチームに対してはこれが一番有効なんだよ》



ほたるさんの能力を介しての念話にて澪との打ち合わせをすませる。
迷彩服が役に立ったと言うべきか、草むらに身を隠した僕の目の前には、大量のポッキーとポテチコンソメ味。
澪をなだめすかして、持ち込んだお菓子を活用させてもらった。
さすがに澪にも、さっきの1本先取は後ろめたかったらしい。



「……まあ、見掛けはアナクロだけどな」



封を開けてお菓子をシートにばらまき、更にその上にはざるが突っかけ棒に支えられながら立っている。
そう、コントでよく見かける鳥を捕まえる仕掛けそのもの。
チョコレートの匂いも、コンソメの匂いも、結構な強さがある。
ただでさえ狼化して身体能力を強化しているだろう犬神君には、さぞかし強烈に感じるだろう。
そしてやや離れた、テレポート一回で移動できるほどの距離に澪が待機している。



《こんな仕掛けにひっかかる奴がいたら見てみたいもんだわ……》

《まあ仕掛けをごろうじろ、ってとこかな》



正直に言えば、これで相手が引っかかるとは思っていない。
たしかに引っかかってくれれば、ありがたいのだけど
僕が狙いたいのは、むしろ犬神君の指揮官である宿木君を引っ掻き回すことだ。
会議室での様子からして、イニシアチブを取っているのは彼に違いない。
さっきにしても、こちらの不備をすばやくついて一本先取したのが犬神君の行動力だけから来ているとは、どうにも思えない。
彼が身体能力に長けた犬神君を活用するなら、こちらはその食欲を利用して、多少なりとも足止めすればいい。
後は、ほど近くにいるだろう宿木君を補足するだけ。
もし犬神君が食べるのに夢中なら、その隙に風船を割ってしまっても良いが、そこまで鈍感でもないだろう。



《澪には、相手の気配を読む事に専念してもらう。
 要は空間認識だよ、出来るだろ? 散々訓練したんだし》

《……あんたのおかげで、出来るようになっちゃったわよ》



潜めた声のような念話が僕の脳に届く。
最初目隠しを持参し、訓練に使用すると伝えた時には
変態、スケベ、すかぽんたんあんぽんたん、とかなどとさんざ喚かれたのだけど、それはまた別の話で。
テレポーテーターはもっとも進化したエスパーだとは、誰の言葉だったろうか。
空間を本能的に認識して、捻じ曲げて飛び越えるテレポーテーターの「能力」は図抜けていると言っていい。
これは裏返せば、視覚に頼らなくとも周囲を認識することが出来る、ということなのだけれども。
運転する人がよく言うような、自分の感覚が外に広がって車体と一体になる感覚。
あの「感じ」を伸ばすための訓練には特に力を入れていた。



《えーなになに、目隠しプレイしたのー?!
 きゃー、今のカップルって進んでるー》

《うっわー……昔っからむっつりげな所があるとは思ってたけど》

《いきなり何言ってんですかっ?!
 何処をどう聞いたらそーなるんです!?》



というか、ほたるさんに奈津子さん。やはり聞き耳立てていやがったか。
迂闊だった。話す内容には、もう少し気をつけておくべきだったかもしれない。
そんな後悔を抱く僕とは対照的に、静かな怒りを燃やす少女が一人。



《あのですね、あたしがこいつになにか感じてるとでも?!》



―――――――わかる。
奈津子さんのクレヤポンスが無くとも僕にはわかる。
澪のツインテールは今まさに逆立って、溢れた怒りは炎になって木々を揺らめかせているに違いない。
ざわざわと波打つ、ツインテールという名の角を生やした鬼を木々の向こうに幻視した。



《……だいたい二人とも、なに会話に割り込んできてんすか。
 立場的には中立のオペレーターでしょ》

《えー。だって暇なんだもんー》

《ねえ、あたしはずっと視てるからいいけど。
 ほたるは使ってくれなきゃ仕事ないしねえ》

《皆本君のいけずー》



……季節はもう秋も半ばだというのに、陽射にやられたのか頭痛が痛い。いや、頭が痛い。
そりゃ開始してから今まであんまり中継能力は使わせてもらってはなかったけど。
一人では的になるしかできない僕が居る以上、別行動を取る旨みがゼロなんだよなー。
開始してからまだ一時間も経ってないってのに、よっぽど暇だったんだろう。



(……あれ、という事はもしかして?)



宿木君や犬神君も、あんまりほたるさんを利用してはいない。
つまり僕らと同じでお互い近くにいる、という事か。
そこから考えられるのは、宿木君は戦闘向きの能力ではない可能性。
僕らと同じ様に作戦を練っていたのなら、次は何を仕掛けてくるだろう。
いや、あるいは彼自身がテレパスである場合も……



《へーへー、仲良くてようござんしたねー。みーなもーとくーん》



考え込んでいた僕に、澪の呆れた声が伝わってくる。
あいつ、また僕を放ってどっかにいきゃしないだろうな。
2本目まで先取される訳にはいかないってこと、ちゃんと理解してるのか?
唯一そばに居る味方が不安の種って、どんな四面楚歌なんだろうな。





☆☆☆





《!……来たわよ……》

《了解》



ようやくというか、中継能力を活用しだした僕達に
ほたるさんから喜びの念が送られてくるが、今はとりあえず無視。
その代わり、澪からの念話に応じて僕は再度体に葉っぱや土をすりつけた。
作戦の関係上、罠の周囲に潜んでいなければならないため
お菓子の強いに匂いにまぎれるくらいに体臭を消さなければならなかった。
かがめた背をなお低くして、ほとんど地面にはいつくばる体勢となる。
やがて野鳥達や虫達の鳴き声が少しばかり収まった頃合に、森の影から大きな狼が姿を現した。



《さすがに警戒している、か……》

《そんだけわかりやすい罠を前に、突っ込んでいく馬鹿もいないでしょうよ。
 ……いや、あの子はやりそうだけど》



お前もな。
食い意地張ったもの同士、通じるものがあるんだろうか。
思わず浮かんだ笑いを押し殺しながら、ひたすらに待ち続ける。
罠の周囲をゆっくり動きつつ、徐々にその距離を縮める犬神君は
やがて木陰から出て、日のあたる、つまりは罠の場所へと足を踏み入れた。
スローモーな猫パンチとでも言えばいいだろうか、唐傘を2度3度つついては引っ込め
ようやく安心したのか、お菓子に口をつけ始めた。



《よし、対象は檻に入った。そっちはどうだ?》

《そうね……ちょっと待って、深度をより深くしてみるから》

《そうか》



もし近くにいないとすれば、ある程度は離れたところから犬神君に指示を出しているのだろうか。
そうであれば、彼がテレパスだと仮定した先ほどの考えが現実身を帯びてくる。
どちらにしても犬神君があの調子では、きっと宿木君は困っているだろう。
犬神君を先行させるということは少なくとも身体能力に関しては、彼女が上だということなのだから。
中継しているほたるさんにしても、きっと笑い転げているのではないか、そう思ったときだった。



《きゃーーーーーーーっ?!》

《どうした、澪?!》



頭に澪の叫びが響き渡る。
それと同時に、不明確ながらも恐怖にも似た、不快を感じるイメージが飛び込んできた。
昔良く視た、原初の感情とでも言うべき熱い塊。
あまりの強さに、僕は地面に顔をうずめ、湿り気でほてりを冷やした。
周りの喧騒も意識の外に追い出していって、やがて明確化したそれは。



《大量の、蛇? に、鷹?》

《うわ、やだ近寄るなー!
 えっちー! すけべー!! めがねー!!!》



おいこら。どさくさに紛れて誰のこと言ってる。
すっかり混乱しきった澪の思考が、感度の悪いラジオのように受信される。
DJはやたらわめいてるのだけれど、その内容は聞き取れず、ただ騒がしいだけ。
なんとかして助けてやりたいのは山々だが、犬神君が間近にいる状況で下手に動くことも出来ない。
今は食べることに夢中らしいが、あの目に捉えることもかなわないほどの素早い動きについていけるとは到底思えないし
正直なところ、僕が見つかってしまえば終わりなのだ。一転、こちらが窮地に立たされている。
まだ澪がなんとかして逃げ回っているうちに、対抗策を考えなければいけない。
年下だと思って油断していたが、宿木君の攻勢には舌を巻いていた。



《つかまらないように、無作為に小距離テレポートを継続してくれ。
 状況を把握し次第、すぐに指示を出す》

《りょ、了解っ!》



澪が行動に移ったのを感じ取った後、再び意識を集中する。
宿木君の能力が、垣間見えたのは好材料だ。
蛇が襲ってきたと聞いた時には、催眠能力による操縦かとも思ったが
このタイミングの良さを考えると、蛇か何かの目を使って僕らを監視していたのだろう。
おそらく彼の力は意識を乗り移らせ動物を操ることが出来る、すなわち憑依能力。
テレパシーの変形発動であるその力は、しかしタネが割れてしまえばさほどの驚異ではない。
澪のサイコメトリーにしてもそうだが、超度によるにせよ、こういった能力はその範囲を限定されやすい。
それなのに、大量の蛇を操っていたということは、それほど遠くにはいないに違いない。
澪が感じ取れなかったのは、気が動転していたからか。森の中に情報が多すぎるせいもあるだろう。
どうせ見つかる確立が高いなら、澪を一人にするよりは、口頭で指示出来る距離にいたほうがいい。
犬神君に気づかれるかもしれないが、その時は超度の高い澪を信じるほか無い。



《澪、聞こえてるか!?
 こちらにすぐテレポートして、追跡を逃れろ!》

《うわ、やだ、入ってくんなー?!
 ……え、なに? そっちに行けっての?!》

《そうだ。お互いばらばらよりは、戦力は集中したほうがいい》

《わかったわよ、蛇のシャワーにも飽きたしね
 ……ってうわ!? もーヤダ、来るなっつってんでしょーがぁぁぁぁぁぁ》



テレポート、と悲鳴の様な澪の意識が大波のように押し寄せてすぐに消えた。



《どうした、大丈夫かっ?!》

「「ぎゃべっ?!」」

「ぎゃべ?」



どずん、鈍い大きな音があたりに響く。
鳥たちが驚いたのだろう、一斉に羽ばたいて飛び立っていく。
辺りを警戒しつつも、どうしたことかと草むらから立ち上がって見てみれば
目を回した澪と、先ほどまでは狼だった犬神君が折り重なるようにして倒れている。



「おい、大丈夫か、おい?」



気を失った澪は動く気配もない、そしてそれは犬神君も一緒だった。
余程慌てていたのか、こちらにテレポートしようとして出会い頭に犬神君と激突したのだろう。
二人を抱き、横にしてやってから持っていた水筒で澪を気付けしようとして、僕は気づいた。



「犬神君の風船、割れて……るな」

《はい、皆本君チーム二本目ゲットー》

《……えと》



いいのか、こんなんで。
口元べちゃべちゃにした犬神君、良い具合に目を回して気絶してる澪。
ここに居ない宿木君は、きっと頭抱えてしゃがみ込んでいるんだろう。
何故そんな風に考えるかと言えば、僕が今現在そうしたくてたまらんからだ。





☆☆☆





日も陰り始めた頃、僕らはまだ森の奥深くに居た。
シダやワラビが生い茂る雑然とした茂みに身をひそめている。
勝負の行方を決める3本目は、いつしか持久戦の様相を呈していた。
陽射は枝や葉に阻まれて、地表へと届くことはない。
ぬかるんだ足下は不安定だが、わずかに苔むした頭を表した岩の上に腰を下ろしていた。
覆い重なるような木々の下では光も届きにくいが、逆に入った熱は逃さないせいで、うだるように蒸し暑い。
出来ればさっさと移動したい所だったが、澪の体力もそろそろ限界に近く、無駄にテレポートを使用するわけにも行かない。



「大丈夫か、澪?」

「……もうちょっと待って」



肩で息をする澪に、僕はより休めるよう背中を貸してやる。
普段であればテレキネシスでやり込められるような申し出すら、澪は素直に了解した。
憎まれ口も叩かないとくれば、それだけ疲れているのだろう。



(あまり状況はよろしくない、か……)



あっけなく二本目まで終了して、このまま三本目もすぐに終わるんだろうと思ったが、それは間違いだった。
お互いの手の内がわかってからは降着状態が続き、どちらかが仕掛けては防ぎ、また移動しと。
堂々巡り、千日手、いたちごっことでも言うべき状況に成ってしまっている。
本来であれば、仮にエスパー犯罪などに出動する際には僕らは全く情報が不明。
もしくはほぼわからないと言う状態で動かなければならないのだから、三本目までもつれ込んだこの状況で
果たして局長が望んだ訓練として成り立っているのかというと疑問が残る。
だが訓練終了の告知は全くない。バベルサイドとしては訓練を満了することを望んでいる訳だ。
疲労下、消耗下における訓練の意味合いも兼ねているのかもしれず
広い樹海をフルに使った結果、気づけば動けないというのはなんとも間抜けな話だが、消耗しているのはどちらも同じ。
いや、持続的な能力であるあちらの方が少しばかり不利か。それなら相手はどう動くか。



「澪、もう少し辛抱しろよ。
 そろそろ、相手も焦れて……おそらくは、最後の仕掛けをしてくるはずだ」

「最後の、なんてなんでわかんのよ」



体力の消費を抑えるなら、ダブルフェイスを介した念話を使うべきなのだろうが
今はあえて声に出して会話をする。空元気であろうと気力を取り戻すため。
この前までいがみ合いしかしたことが無い相手に無防備に背中をさらしているというのも、思えばおかしな話だが
直接相手の体に響くよう、出来るだけ太く声を出した。



「簡単なことさ。澪ですらそれだけ消耗してるってことは
 常時鎧を纏っていなきゃいけない犬神君は、更に消耗しているだろう。
 こちらも、散々追い回したからね」

「……自分の能力だし、なれてんじゃないの?」

「とも限らないさ。
 澪がずっとテレキネシスでなにかを支え続ける。
 それも何時間も継続して、となったらどう思う?」

「……思う前に逃げる」

「だろ。僕にしたって百メートルダッシュよりも千メートルマラソンの方がきつい。
 一気に力を解放するより、持続して一定の力を出し続ける方が苦しいんだ。
 だから、犬神君がいかな強力な能力者でも、人間の理からは逃れられないよ」

「人間の、か……
 ね、聞いても良い?」

「なんだい?」



答えは、すぐには返ってこなかった。
訪れた沈黙の中を背中越しに、澪の熱が伝わってくる。
何度か深く息を吸い込む気配の後、彼女はゆっくりと呟いた。




「あんたは、さ……『人間』になれたの?」



感情を殺ぎ落とした、彼女に似合わない声。
それは重く辛い、自分にも覚えのある言葉。
けれど、僕は振り返らなかった。
互いに向いている方向は全くの反対で、でもわずかに触れた背中は確かにつながっていて。
相手の心臓の音すら伝わるような距離で、僕は小さく、でもきっぱりと言った。



「ずっと前から、人間だよ。僕も……君もね」

「……そ」



澪はその後、変なことを聞いたから忘れてと、まるで口ずさむように言い、それきり黙り込んだ。
木々がこすれ合う音も、野鳥や虫たちの鳴き声も夕日が落ちる様に遠くなってきた頃に、澪は立ち上がった。



「さ。じゃあ、こっちも受けて立とうじゃないの。
 あの子達のオフェンスを、さ。先輩の意地ってのを見せてやるわ」



振り返り、見上げた彼女の顔には久しく見たことがない笑顔が浮かんでいた。
僕はそれを確かめると、同じように立ち上がって、膝に付いた泥を払った。



「同い年だろ?」

「入ってからの年期が違うのよ」

「年期、ねえ」



もうこれ以上、こんな蒸し暑いところにいるのはごめんだと、澪はずんずん先を行く。
そんな彼女の後ろを、僕は苦笑いと共に歩いていった。これなら大丈夫か、と安堵の息を漏らしながら。
こちらの仕掛けを再度確認のため集中しようとしたとき、ほたるさんからの緊急通信が鳴り響いた。



《訓練中止! 繰り返します、訓練は中止です!
 皆本・澪チームは、至急南東方面に飛んでください!
 細かい場所は、こちらで誘導します!》

《え、どうしたんです?!》

「どうしたのよ?」

《初音ちゃんが、暴走したの!
 明君が止めようとしたけど失敗して、彼も動けないわ!》

「暴走?! なによ、暴走って」

「了解! 澪、とにかくもテレパスを受けつつ南東に飛ぶぞ!
 詳しいことは飛びながら話す!!」

「わ、わかったわ」



突発的な事態に戸惑いながらも、訓練の成果が出たと言おうか。
澪が指を掲げると一瞬でガラスレンズのように空間がひずみ、飛び込むように僕らはテレポートした。





☆☆☆





《能力の暴走って……なによ、それ?》

《澪は経験したことが無かったのか?》

《だから聞いてるんでしょ。頭悪いわね》

《……全く以ってごもっとも》



風を切って日の沈む方向に飛びながら
僕は澪に逐一説明をしつつも今更に、澪の能力、ポテンシャルの高さに驚いた。
暴走とは、言葉通りに制御できなくなることだ。
超度七だった僕にしても、一度は飲み込まれかけた事がある。
それを全く経験していないというのは、高超度エスパーでは珍しいだろう。
さっきも澪に言ったが、力は解放するよりも制御する方が難しいのだから。



《暴走状態が続くと、体に過負荷がかかって、最悪能力を失うことだってあるんだ。
 パートナーの宿木君が制止に失敗したらしいし、是が非でも止めなくちゃならない》

《……全く迷惑かけて》

《そう言うなよ。
 成功したらお菓子の一箱もあげれば、仲直り出来るんじゃないか?》

《どっちかというと餌付けっぽいけどね。
 そしたら首輪付けてペットにしてあげるわ》



脳裏に浮かびかけたのは、首輪付けられた四つん這いの犬神君とそれに座るボンデージ姿の澪。
即座に否定したのは、決して想像が出来なかったのではなく恐怖のため。高笑いとか似合い過ぎだ。
澪の気質からして冗談とも思えない言葉を笑って流すと、ようやく視界に全速で駆け抜ける犬神君を捉えた。



《皆本君、澪ちゃん、彼女の鎧が少し崩れてるのがわかる?》

《遠目にはよくわかりませんが》

《……みたいね》



澪はさすがにサイコメトリーで感じ取ることが出来るようで、徐々にその顔つきが険しくなってくる。
犬神君は森の木々の間を当て所もなく、ただひたすら全力で駆け抜けていく。
上空からテレポートで追いかける間にも、彼女はどんどん加速していく。



《どうやって止めるのよ、あんなの。
 テレキネシスで強引に止めちゃって良いの?》

《いや。単に止めるだけじゃなくて、能力の暴走を押さえないと意味がない。
 全力でぶん回している間は、負担が大きすぎる》

《じゃ、どうやんのよ》

《それは……》

《……すんません、皆本さん澪さん。ウチのが迷惑かけて》

《宿木君?! 大丈夫なのか?》



ほたるさんのチャンネルから伝わる宿木君の声には
訓練開始前のはつらつとした声音は残っていなかった。
余程に制止の際に負ったダメージが大きいのか。



《なんとか。命に別状ないッスよ。
 あいつ、昔ッからこうなんです。
 空腹になるほど能力が上昇するんスけど
 限度越えると、獣みたいに暴走しちまって……》

《無理に喋らなくて良い。
 犬神君をどうやって制止するのか、それだけ教えてくれ》

《あ、ちょっと待って。
 奈津子、全チャンネル開放するから、あなた同期して》

《了解。今からアタシのクレヤポンスと
 ほたるのサイコメトリーで全員の視覚と感覚、思考の共有を開始します。
 澪ちゃんも、皆本君も、初めての経験でしょうけど。いいわね?》



おちゃらけた普段のふたりとはまるで違った意志の籠もった力強い声に、僕らは考えるまでもなく頷く。
頷いた後で、頷く意味自体は無かった気もしたが、まぁ些細なことだ。



《じゃあ、いくわよ!》



瞬間、視覚ではっきりと犬神君を捉えた。
いや、これは奈津子さんの視覚情報、だが。
あまりのクリアさに驚きを隠せずにいると、宿木君や澪の声も伝わってきた。
そして、犬神君を止める方法すらも。
僕の思考が、すなわち他者の思考。
情報のやり取りではなく、ほたるさんが言うように共有、いや一つの思考体と言っても良いかも知れない。
そこでわかった、暴走を食い止める方法にげんなりともしたのだが。



《宿木君、君、毎回こんな方法で止めていたのか》

《そうなんすよ……》

《……尻に敷かれる、ってのも色んな形があるとは思うけど……》



犬神君の暴走を止める方法、それは獣としての本能を満たす事。
すなわち、宿木君が獣に乗り移って、得物として食べられることそのものだった。
まさに命を投げ出す究極の行為だが、僕らには残念ながら憑依能力は無い。
ではどうするか。最悪、力ずくで止めるのなら一撃で意識を失わせなければならない。
能力に歯止めが効かなくなっている今、下手な静止は逆効果ともなり得るからだ。
暴走を続ける犬神君を見下ろしながら再度、宿木君から聞いた方法を頭の中で咀嚼する。



《食べられる、か………それなら》



考え付く手が、無くは無い。
あまり進んで取りたくない手ではあるが、我侭を言える状況ではないだろう。
時間が無い。思い付いたそれを、出来るだけ簡潔に澪へと伝えた。
彼女の顔に不安の色が浮かび、けれど自分で気が付いたのかすぐに消えた。
そしてわずかにだが、ごちゃごちゃした思考が流れて消えた。



《出来るか、澪?》

《出来る、とは思うわ》

《なんだ、あの崩落事故の時みたいな啖呵は切らないのか?》

《嫌みなヤツね、ほっといてよ》

《放ってはおかない》



澪の拒否に、僕は断固とした否定を返した。
予想外の返答に対する澪の戸惑いも、みんなの驚きも伝わってくる。
だけど僕は、止めることなく続ける。



《今度こそは、危険な目には合わせない。君も、犬神君もね。
 君らが安心して安全に活動するための、だからこその僕、そして局長やほたるさん達だ。
 ……なあ、澪》

《……な、なによ》

《もっと僕らを信じろ。バベルの皆は―――――――君のために何かしたいんだ》



あの時言えなかったこと、ずっと言いたかったこと。
澪はそっぽを向いているけども、今度こそは確かに伝わったはずだ。



《僕が思考をとりまとめるから、澪は訓練を思い出して動け。いいな》

《……行くわよ!》



澪は僕の声には答えず、でもこれ以上もなくはっきり強い意志を示す。
雲が走り抜けて太陽が空を煙り、ピンク色に染まった中空から僕らは一気に下降していった。
向かう先に待つのは能力を暴走させたエスパー、野性に導かれるままに荒ぶる獣。



《逃がさないっ!!!!》



木々の間を縦横に駆ける犬神君は、視界に止めおくことさえ難しい。
だが加速し続けているとはいえ、速度でテレポーターに勝るエスパーは存在しない。
ましてや、今はほたるさんや奈津子さんのサポート付き。
既に肉眼で確認出来る位置でもある。彼我の距離は、瞬く間に詰まる。
逃走ではなく迎撃を考えたのか、犬神君の動きが微かに鈍った。
それは、人の目には映らないほどに僅かな変化。
だが、複数のエスパーによる目は見逃せない。
現在は感覚を共有している僕を含めて、だ。



《―――――――今だ! 僕を投げろ、澪!!》



その思考に従って、澪によるサイコキネシスが僕を投げ飛ばす。
犬神君の頭上を越えて、飛んで行く先はちょうど視界の開けた空間。
身を捻って着地に耐えようとしたが、思いのほか衝撃は小さかった。
指示を出してはいないが、恐らく澪が気を利かせてくれたのだろう。
至らなさをカバーしてくれた点はありがたかったけれども、礼を述べる暇は無い。
僕と澪とに挟まれた形の犬神君は、早々と進行方向を直角に曲げようとしていた。
組み易しと見て、澪から距離を置いた僕へと飛び込んできたならば、まだ容易かったろう。
今の犬神君の武器は、単純な速さ以上にその敏捷性から来る回避能力。
逆を言えば、位置さえ掴めれば澪のサイコキネシスやテレポートで対処ができる。
とはいえ、ここで終わると思っちゃいない。僕は次の手に移った。
今、懐に入れている手を外に出した時、策の外堀は完成する。



「犬神君、これを見ろ!!!」



喉が張り裂けんばかりに声を張り上げる。
もちろん、その声だけならば犬神君は無視して逃げ去っていただろう。
しかし、彼女が振り返ったのは僕が今、手に持っているものに気付いたから。
感覚機能が上昇しているだろう彼女のこと、香りだけは既に届いていたに違いない。
高々と聖なる剣のように掲げ上げられた、一つの小さな棒状焼き菓子。
チョコレートによって表面をコーティングし、かつ手で持つ部分を残すという心配り。
シンプルな形状でありながら奥が深く、種類は多岐に渡り、その歴史は長い。



そう、これは―――――――――ポッキー



澪が残した最後の一箱。そこから取り出したうちの一本。
先ほど、空を飛んでいた時に受け取ったものだ。
その認識を終えたのだろう、犬神君の目の色が劇的に変化した。
瞬時に掻き消える狼の姿。疾風と化して此方へと吹き寄せてくる感覚。
これで何もしなければ、瞬きも終わらぬうちに、僕はボロ雑巾と化していただろう。
だが、何もしない筈が無い。澪には既に次の指示を与えてある。
ほんの一瞬、拒否の念が伝わってきたが強制的に無視。
続いてやけっぱちの感覚と共に、僕から少し離れた場所に現れる箱。
何も無い空間から生まれ落ちたそれは、あたかも一つの奇跡のよう。



そう、それもまた―――――――――ポッキー



サイコキネシスとテレポートを使った時間差ポッキー攻め。
目の前の僕が掲げたポッキーを狙うか、空中のポッキーの箱に食いつくか。
ここに、犬神君には選択肢が与えられた。
内に生まれた葛藤は、瞬く程度さえもなかったろう。
だが、その間隙こそ僕達が待ち望んでいたもの。
澪のテレキネシスによって周囲の木々が宙を舞い、動きを止めた犬神君を襲った。
縦横に繰り広げられる大木の舞踏。しかし、犬神君はその中を更に踊る。
空を駆けるように、天を突くように、木を蹴り付けながら疾る。
恐らくは距離を測った末での結論。僕に比べて、僅かにそちらの方が近くに在った。
目指すは一路、まだ中空に浮いている箱。



『ガァァァァァァァァッ!!!!』



狼の姿は、もはや形を失い。けれど鳥というには顔立ちが荒く。
犬神君は既に何物でもなく、けれど確かに獣というに相応しい。
走る、飛ぶ、避ける、そして舞う、踊る。目にも止まらず、目にも映らず。
僕は既に目で追うのを諦めている。それでも動きが理解出来るのは、皆の中継によるもの。
ほたるさんを介して、ただただ獲物を狙う初音君の意志が伝わってくる。
もはや手を伸ばせば届く距離。しかし、そこに突然現れる新たな大木。
指示は既に出していた! テレポーテーションによる奇襲!



(―――――――――やったか!?)

『グルァァァッァァァァッ!!!!』



だが、それさえも犬神君の本能は乗り越える。生木さえも引裂く牙と爪。
眼前、地に落ちようとする箱。大地に蹴りを入れ、飛び込む初音君。
もはや彼女とポッキーを隔てる壁は無い、万策は尽きたか?
だが忘れるな。犬神君が食の亡者であるならば、そんな彼女と肩を並べる存在のことを。



『………………ガ?』



大きく顎を開いて箱を一口に飲み込もうとした瞬間
犬神君は、その口が閉じないことに気付いたろう。
次は空を飛んでから、動きが取れなくなっていることに気付いたろう。
続けては、寸前まで後ろにいたはずのツインテールの少女が
目の前で、不敵に微笑んでいるという事実に気付く。
そして次に気付くのは、自分自身の敗北だ。



「どっっっっっせい!!!!」



少女からはほど遠い叫びを上げながら、澪はサイコキノで捕まえた犬神君をバックドロップで投げ飛ばす。
吹っ飛ばされて、頭から地面にぶつかる犬神君。めきめきと倒れる傍の大木。ぱたりと倒れ臥す犬神君。
変身が解けるのを遠めに確認して、いつしか息を詰めていた僕は、ようやく大きく深呼吸をした。
お菓子で釣って、気がそぞろとなった所を気絶させる。
我ながらスマートな策ではないが、とりあえずは及第点だろうか。
なお、落ちるより前に澪がポッキーの箱を回収していたことは、まぁ言うまでも無い事だろう。



「お菓子を粗末にするなー!!!」



そして、怒りに満ちた澪に改めて吹っ飛ばされたのは言いたくも無い事である。





☆☆☆





「訓練は合格? 両方とも、ですか?」



局長の口から、全く意外な答えが飛び出した。
体力の消耗した犬神君に食事を作っていた宿木君が、うっかりフライパンを落としそうになる。
日もすっかり暮れ、寒さが増した待機所の中心には火が炊かれ、闇から浮かび上がる様に照らされている。
森の開けた所に接地してあった司令テント側に、キャンピング用の調理道具を局長達が用意してくれていたのだ。
さすがに暴走は予期できないまでも、所属エスパーの特性は理解していたってことだろう。



「明、ちゃんとお代わりつくってねー」



犬神君は食べることに集中しながらも念押しするあたり
実はこの二人で上位なのは犬神君のほうなのかもしれない。
犬にしても、一声ほえただけで餌をくれる人間は、下と認識するらしいし。
しかし、宿木君が居なければ犬神君は即日飢えるわけで。
この場合、どちらが上でどちらが下なんだろうね?



「うむ。この訓練はね、どちらかといえば即応性を見るためのもので
 勝負そのものの結果を重視しているわけではないのだよ」

「……そんななら、最初から言いなさいよ」



澪も澪で、解放された安心感からか、またお気に入りのポテチをつまんでいる。
宿木君は僕らの分も作ってはくれたのだが、澪はそれにはあまり手をつけてはいない。
蛇で脅かされたのが気にくわないのか、はたまた、味覚障害なのか。
彼の名誉のために付け加えておくと、決して宿木君の料理の腕は低くない。
しかし、澪にとってはジャンクフードの方がお好みなんだろう。将来太るぞ、絶対。



「最初から言っては、意味がないからね。
 澪ちゃんも、ザ・ハウンドも、良くやってくれました」



朧さんからも声がかかる。
にっこりといつものように優しげな微笑みを浮かべて食事を供している。
美人は昼間でも夜でも綺麗だな、と思いつつ見渡せば
局長もダブルフェイスも、皆一仕事終えた心地よい疲れに浸っているみたいだ。



「ふっふーん。どうよ、皆本君。
 あたしたちの事、少しは見直したかなー?」

「奈津子さん。ええ、ホントにあそこまで凄い物だとは思いませんでした」

「初音ちゃんを首尾良く助ける事が出来たのは
 皆本君の機転も大きかったけどね。お疲れ様」

「いえ、そんな。動いたコイツの手柄ですよ」



澪の方に振り返ると、相も変わらずぷいと目をそらす。
軽く肩を落とすが、僕も僕で今日は犬神君を助けることが出来た充実感が勝っていて、それもあまり気にならなかった。



「うむ。澪君もさすが我がバベルのエースと言ったところだね。それに、皆本君もな」

「……僕が何か?」



局長が僕を見ては、にこにこと笑っていた。
どうしたのかと訝しく思っていると、朧さんが話を続けた。



「実を言えば、この訓練は皆本君の適性試験も兼ねていたのよ。
 指揮官としてふさわしいかどうか、ね」

「「見事合格、よ。皆本君」」



ほたるさんと奈津子さんの二人が、これからまたよろしくねと僕をわやくちゃに抱き回す。
え、え? 一体どういう事だろう。
合格、僕が。指揮官として?



「そう。当初は澪君の面倒をなんとか見てもらえれば、と思っていただけだったのだがね」

「それってつまりは……」



局長が、僕を指揮官として認定したという事は、だ。
言うまでもなくバベルは内務省所属の重要機関。
そして忘れがちだが局長達はそこの職員、つまりは官吏だ。
口からでまかせの、冗談でもあるまい。



「ええ。皆本君には、卒業後にもバベルでの職務を継続してもらいたいと考えています。
 もちろん、大学進学など、社会に出る年齢に達するまでの進路を規定する物ではありませんが」



朧さんが、秘書官としての立場で告げる。
ほたるさんも、奈津子さんも、また職員としての厳しさをたたえた顔になっている。
宿木君は凄いと声を上げているが、あまりにもいきなりで僕は正直困惑していた。



「僕が……バベルで……」



すると、黙り込んでいた澪が口を開いた。



「あたし、は……」



澪は、炎の揺らめきにに照らされている。
顔を伏せるように視線を落とし、時折木材が爆ぜ、また火が勢いを増す。



「……あたしは、認めないん、だから」



それだけ言うと、席を立ち待機していたヘリに向かって足早に歩き去ってしまう。
何を言うべきか考えていたわけでもないけれど、咄嗟に僕はその後を追おうとして



「ちょっと」



言いかけて、朧さんが僕の肩を撫でる。
唇にそっと指をあてて、片目を閉じた。
僕はただ、その場に座り込んでしまったまま
取り成すように、局長が空笑いを含んだ言葉を重ねた。



「まあ、答えを急ぐ物でもないよ。
 君の志望は東都大進学ということは知っているしネ。
 大学に通って、しっかり学を身につけて、バベルに来てくれた方が良い面も多いだろう」



それはそうだろう。
バベルは超能力を研究する機関でもある。
現場指揮官としての採用ではあってもある程度の知識は必要だろうし
どうせやるなら活用できる物は多ければ多いほど良い。



「その前に皆本君には、中間テストもありますしね」



そう、バベルのことを考える前に中間テストが。
……ん? まて、中・間・テ・ス・ト?



「そうッスよねー。俺らも今週ですよ」

「あたしテスト嫌いー」



ザ・ハウンドの二人が揃って言う。
あれ、そう言えば今は十月末、だよな。
毎年恒例の、通例の、毎回万全に準備してたテストの期間。
…………僕も来週からテストだったよーな。
うん、間違いないね。はははいやぁびっくりだ。



「って、まるっきり忘れてたぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」



再び、森に魂の叫びが響き渡る。
すっかりと忘却していた自分の馬鹿さ加減に頭を抱えた。
夜の闇に広がって消えいく叫びは、でもやっぱり事実を取り消してくれる訳でなく。
僕は将来のことはとりあえず置いておいて、ひとまず七日間の休みを申請したのだった。





なお、余談かつ蛇足では在るのだけれど
後で奈津子さんから聞いた話によると、この時
僕と同じような格好になって、ヘリの中で頭を抱えた少女が居たそうだ。





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