「今回の任務は、海上で座礁した船からの救出任務……って、聞いてるのか澪」
「聞いてるわよー。それでー?」
「……………………」
顔ばかりか視線さえ向けようとせずポッキーを齧るクソガキもとい澪。
そうして無言となってしまえば、ヘリの中はローター音だけが空しく響く。
説得力という言葉は、彼女の辞書に記載されてるんだろうか。
もし無いのなら油性マジックで書き込んでやりたい。具体的には顔とかに。
益体も無いことを考えつつ、僕は仏頂面になりながらここ暫くの日々に思いを馳せた。
僕と澪とがお互いに知り合ってから、そろそろ一ヶ月が経つ。
当然ながら、その間に一緒にこなした任務も幾つかある。
その結果、理解出来たのは僕達の相性が素晴らしく最悪だということだった。
最初はまだ、女子中学生相手なんだから優しくしようと考えていた。
――――――甘かった。何を考えていたんだ過去の僕。
中学生がどうこう以前に、相手はひねくれた高超度エスパーだというのが重要だろうに。
そもそも澪は、最初から僕の存在を良しとしていない。正確には僕を含めたあらゆる指揮官の存在を。
命令無視に規則違反。わざとこちらを馬鹿にするかのような行動に、声を荒げたことも一度や二度ではなかった。
そして何より、このやり取りは過去の自分を垣間見ているかのようで恥ずかしくなってくる。
とはいえ、未成年同士とはいえ年齢上は僕の方が大人。
こちらを向きもしないふざけた態度にも慣れた。慣れたよああコン畜生。
しかし、ただすまし顔でポッキーを頬張る様を眺めていると、沸いた感情すらどうでもいいかと思えてくる。
もちろん見惚れているなどという理由ではなく、感じた怒りが呆れと諦めに侵食されているだけだ。
とりあえず心の中だけでつっこませて貰おう。ハムスターかお前。
「あのな。ここは任務に向かうヘリの中で、これから荒れた日本海での救出作業を行うんだ。
任務の詳細を確認しないと不味いんじゃないか? 」
返答は無い。ローターの音に紛れて聞えない訳でもない。
ブリーフィングは相も変わらぬ一方通行で、無力感を倍増させる。
彼女との関係は知り合ってからずっとこうだ。とにかく取り付くシマも無い。
そのくせ能力は高いのだから、最終的に任務はしっかりとこなす辺り余計にタチが悪い。
僕も昔はこんな風だったから強くは言えない、と考えていたのがそもそもの間違いだったか。
当初から噛み合ってはいなかったとはいえ、最近ますます澪の態度が横柄になっている気がしてならない。
上下関係を示すために、一番初めにガツンと強く言っておくべきだったんだろうか。
そこまで考え、そういう行動を取った過去の指揮官が即日病院行きにされたのを思い出した。
犯人は言わずもがな。又聞きの情報でしかないが、普段の行動を見る限りでは信憑性が高過ぎる。
さて、ではどうすれば一番なのか。思考は堂堂巡りを続けて結論が見えない。
子供の頃に、僕を担当していた局長も同じ悩みを抱えていたんだろうか。
そう考え始めると、また昔を思い起こして少しばかり気恥ずかしさを覚えた。
「……とにかくだ。
強い潮の流れと波によって座礁したタンカーからの油流出の阻止。
および乗員合計14名の救出、それが今回の君に科せられた任務だ。
現場ではレスキューが奮闘しているが、状況は芳しくない。頼んだぞ」
「は〜い」
それだけ答え、澪は窓越しに漆黒の闇夜をのぞき込む。
厚い雲に遮られ月明かりすらない上空は、ヘリの窓に叩きつける雨すら視認できなかった。
乱気流だろうか。時折ヘリに強い振動が襲ってくる以外には、ここが空の上だと確認出来るものはない。
ポキ、ポキ、ポキ。
面白くもなさそう調子で、澪は続けざまにポッキーを口にした。
手元の箱を探りカラカラと、しかしもう中身が無かったのか頬杖を外し、組んだ足を元に戻す。
飛び立って初めて澪がこちらを見たかと思えば、差し出した手が取り寄せたのは次のお菓子だった。
「……あんたにはあげないわよ」
僕の視線をどう感じたのか、わざわざ釘をさしてくる。
その時の状態、特に気分・テンションが超能力に影響を与えるとあって
バベルでは各任務に当たるときはそのエスパーが嗜好するモノや環境が整えられるのが通例だ。
澪にとってのそれがお菓子、ちなみに僕の時は携帯ゲーム機だった。
「いらないよ。だいたい、こんな時間に食べると太るぞ」
さっきから彼女が食べてる量は、僕の許容量を超えている。
甘い物は嫌いじゃないが、格別好きでもない。見ているだけでも胸が焼けてくる気がした。
それだけを口にして、こちらも窓から外を見つめた。
これ以上食べてる様子を見ていると胸焼けを通り越して胃痛がしそうだったからだ。
決して、鋭さを増して睨み付けてきた澪の視線が怖かったからではない。
窓は黒い帳が落ちているかのようで、何度目をこらしてもやはり外の様子を確認することは出来ない。
そろそろ海上に出ているはずだが、もとより地上に明かりも無いので確かめようもなかった。
「後30分もあれば現着いたします」
感働きをしたのか、操縦席のパイロットが報告してきた。
ありがとうございますと返答しつつ、わかったなと澪に告げる。
わかったわよ、とそっくりそのまま
だが、籠もった声で澪は返す。
女の子のくせに、口に物を入れて喋るからだ。
澪はさっきからお菓子ばっかり食べては、お茶で流し込んでいた。
ぼろぼろお菓子をこぼすから、スカートや腹のあたりが汚れているったらない。
「……行儀が悪いぞ」
「余計なお世話よ」
ふん、と口元を手で拭う澪の仕草に、ここまでに積もり積もった苛立ちが刺激される。
落ち着け僕。相手はこれから任務で気が立っているエスパー。
ここは一つ、にこやかにかつ朗らかに声をかけてやるべきだ。
「お菓子が胸元には引っかからないのな」
…………ハッ!? 口にした後で自分の失言に気づく。
腹のあたりと胸元を交互にきょときょと見つめた澪は、すぐ顔を真っ赤に肩を怒らせる。
さて謝るか、それとも誤魔化すか。僅かな逡巡のうちに、どちらの選択肢も消えうせた。
「それこそ、ほんっとーに余計なお世話よっ!!」
「ちょ、まっ!? 今このあたりは強い風ガッ!!!」
ガズンッ、と。気づいた時には、体が壁面にめり込んでいた。
さすがに超度6。息も止まってマジ肋骨が折れそうだ、ってかお前気にしてたんだ、胸。
痛みと共に遠くなる意識に、朧さんの豊満な胸が浮かぶ。
その横に浮かんできたのは澪の平坦な胸。
いわゆるバキュラ胸。
ああ何て対照的なんだろう、まさに人体の神秘。
僕は先ほどの言葉を心から後悔した。
それがどれだけ残酷な発言だったのかを、頭ではなく心で理解したためだ。
澪の制裁に巻き込まれて、僕達を乗せたヘリが重力に引かれて落下していく。
パイロットの悲鳴が大きくなっていったが、彼女の力はだんだんと弱まり、程なく僕は解放された。
地上すれすれ、どうにか反転上昇したヘリは再び現場へと急ぐ。
「今度言ったら、あんただけヘリに残すからね」
解放され床にへたり込む僕の頭に、澪の声が浴びせられる。
テレキネシスにしろ他の能力にせよ、彼女は基本的に使い方が荒い。
うまく使えば、ヘリに影響を与えることなく僕だけを痛めつけることだった出来た。
そんなんじゃ時間ぎりぎり、地上すれすれで行わざるを得ないテレポートだって怪しいモンだ。
乱れた息を整えながら、頭の片隅にそんな愚痴っぽい声が浮かんでいた。
「ゾッとしないね」
だけど、僕の口から出てきた言葉はただそれだけ。
胸について謝るかどうかは保留しておいた。
☆☆☆
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
一瞬で巨大なゴム製の油防護柵が、タンカーの周りに張り巡らされた。
海岸近くから作業を見守る面々から、跳ねたように歓声が沸き上がる。
嵐の様な天候下において船での敷設は無理だったが、上空から一気に落とし込む事で解決した。
ヘッドカムで次の指示を与えると、澪は上空から舞い降りて船室に入る。
炊いた火の側、救護所に次々テレポートで船員を運び寄越し
横殴りの強い雨にも関わらず全ての作業を終えるまでにかかった時間は1時間程。
レスキュー隊の想像を超えていたのだろう、僕に握手を求めてきた隊長の後ろで、レスキュー隊のささやき声が聞えた。
「……あんな子供が特務エスパーか」
「あれが人の力だってのか?」
「あの娘の方が、嵐よりよっぽど恐ろしいぞ……」
笑顔で隊長に握手を返しつつも、つい手に力がこもるのを押さえられない。
それを察したのか、隊長が申し訳なさそうにもう片方の手を重ねてきた。
「すまない。皆、いつも自分の力が及ばない不甲斐なさが身に染みていてね。
あれは羨望の声だと思ってもらえると嬉しい」
「いえ。初めて見る方は皆さんああおっしゃいますから。慣れていますよ」
「慣れて……? ああ、あの娘がだね」
雨具を着込んではいても防げなかった雨のせいで、ずぶ濡れになった制服を着替えようと澪が早めにヘリに戻った事を感謝する。
出動して手際よく事件を片付けたのにその最後に聞える恐れ、そしてつい口に出してしまった僕の経験。
2つの意味で、澪には聞かれたく無かった。
そう、僕がまだ超度7の複合エスパーだった頃、こんなのは聞き飽きるほど聞いた。
恐ろしい
人間じゃない
力の活用よりも封印を
最も、そんな声は毎回局長の頬ずりで髭をじょりじょりされる度に、一時忘れることが出来た。
だけどどれだけ頑張ろうとも、どれだけ結果を出そうとも絶え無かったその声は
僕の胸に棘のように刺さったまま、結局抜けることは無かった。
あんな寂しさを、悔しさを、儚さを、もう一度経験するなんて思ってもみなかった。
彼女にしても、これまでにもう十分知っているのかもしれないけれど
僕自身も知っているが故に、例え気には食わない奴でも無闇に味合わせたくは無い。
もしかして、さっさとヘリに戻ったのは、そのせいもあるのかも知れない。
「とにかく、助かったよ」
隊長は再び乗員救護に戻り、僕は端っこで一人澪を待った。
勢いは弱まっても、しとしと降り止まない雨。
外にくみ上げられた火が強い風に揺られ、時折木材が爆ぜる。
光と一緒に届いた熱が僕の体を暖める。
見上げれば、徐々に雲が動いているようで、ほのかに月の姿が見えていた。
しばし暖を取りつつ、空を見ていた。
「……なにしてんのよ」
気づけば着替えを済ませた澪が、側に立っていた。
さすがに寒かったのかニーソックスを履き、コートを羽織っている。
わずかに体の震えるその様を、僕はつい見つめてしまう。
エスパーだってノーマルだって、寒ければ着込むし、濡れれば風邪だって引くんだ。
そう、変わりはしないさ。
心情を飲み込むと、澪に言ったのは別の言葉。
「お疲れ様。さっき隊長さんも褒めていたよ」
「お褒めの言葉なんていらないから、明日テストがあるんだから早く帰りたいわ。
あたしだけこんな任務にかり出されて成績下がるなんて、冗談じゃないわよ」
「行きがけに勉強すれば良かったじゃないか」
「あんたみたいなのがいたら、集中できる物も出来ないの。
だいたい何でついて来たのよ」
「なんでもなにも、僕は君の主任だよ」
彼女の視線に険がこもる。
こちらも負けじと睨み返す。
「あたしは認めてない」
「それは君が認める事じゃない。局長がどう考えるか、だ」
言葉がとぎれる。
視線を戦わせて少し、澪は不満げながらヘリに向かって歩き出す。
ローターは既に回り始め、飛び立つ準備は整っていた。
「まったく、任務もあんたも、最悪」
乗り込むや否や、澪は備え付けの椅子に横たわる。
注意しようとするも、すぐに寝息を立てていた。
「……ったく」
僕は後部搭乗室のカーテンを引くと、パイロット席の後ろ、副座席に身を移す。
お願いします、会釈をするとヘリは飛び立つ。
急速に離れていく地上には、切れ間からの月明かりが届いている。
わずかに照らされた夜空は、青っぽい濃紺をしていた。
地上を落ちる雨も上がり、湿った空気がぼんやり世界を映し出す。
東京に戻るまでは、僕も寝ていよう。
もう一度だけ、お疲れ様、と椅子の上の眠り姫へと小さく告げて
シートに体を預けると、程なく僕も夢の世界へと旅だった。
☆☆☆
「こら、皆本君。何を寝ぼけてるの? 」
「ぁ……あれ?」
バインダーの角でこん、頭をこづかれて意識を引戻された。
バベルのミーティングルーム、程よく効いた暖房に睡魔が襲いかかり、僕はあっけなく白旗を上げていたのだった。
目を開ければ、すぐ前に朧さんがいた。
相変わらずの美貌、きりりとしたスーツ姿、でも柔らかい雰囲気と良い香りに、心臓は高鳴りっぱなしだ。
「すみません、報告書を纏めるのに、時間取られたもので」
「そんなの後回しでもいいのに。
ザ・チャイルドは勤務態度に関しては褒められたものではない、と聞いていたんだけど」
くすくす笑う朧さんの笑顔は眩しい。
この一月、朧さんともすっかり親しくなって、彼女の口からも敬語は消えた。
本来それが当たり前なんだけど、やっぱり距離が近くなったのが分かって嬉しい。
「あの皆本クンが生真面目ねえ……」
何を思い出しているのか。横では、局長が苦笑いしていた。
余計なことを口にしたら、過去に調べた『局長48の秘密』を盛大にばらしますよ?
「……あんたね。
ミーティングの邪魔するんなら、出て行ってくれない?」
いつものごとく顔を背けたまま、澪が言い放つ。
チームを組んで一月あまり、うち解ける様子は全く見えない。
それどころか、日増しに険しくなってくるのがよく分かる。
あんたなんかいらないわよ、と有言無言の圧力を強めてきているのは、早く追い出したいからだろう。
感じるところがないではないが、それでも一旦引き受けた任務を放り出すのも面白くないし
なによりこの小生意気なヤツに負けた気がして我慢できそうもない。
「まあ、ふたりともそんなにつっけんどんにならずにだネ。
ここの所任務は成功続き、バベル内での評価も鰻登りだヨ。
ね、チーム組んでるんだからお互いを尊重して……」
「あたしは頼んでない」
「僕は局長に頼まれた」
これが何度目の同じ台詞だろうか。
なによ、と睨まれ。
なんだよ、と睨み返す。
今日初めて交わされる視線が、にらみ合いってのが情けない。
「ああ、みんな仲間じゃないかネッ?! 」
「ぎすぎすしてますねー」
二人を前にしての喧嘩もいつものこと。
このじゃじゃ馬に付き合うのは疲れはするが、それなりに慣れたなと思っていた。
そうした気の緩みから、油断していたのかどうか。
あくる日の出動で、事件は起きた。
☆☆☆
「トンネルの崩落事故? 」
「うむ。ここ最近の天候のせいか、各地で土砂崩れが起こっているのは知っているネ?」
「はい。主に西日本一帯で、そうなっているのはニュースで見ました」
「そんなこと言ってた様な気もするわ」
「それで、だ。
今回の現場ではトンネル上層部の山肌が地滑りを起して
走行中だった車が数台中に取り残されているらしい」
緊急出動がかかり、僕らは学校からヘリで直接現場へと向かっていた。
現場の状態について局長からブリーフィングを受け、朧さんから細かい指示が飛ぶ。
「現在、救急隊がかけつけてはいますが
山奥での崩落事故のため、重器の移送もうまくいっていません。
救出には迅速を要するため、特務エスパーに出動命令が下りました」
「なるほど、それで澪に依頼が」
確認を取るように、僕はちらと澪を見やる。
思いがけず、きょとんとした可愛らしい顔が返された。
「何よ?」
「なんだ、君は分かってないのか?」
「だから、何がよ」
「トンネルでの崩落、って事は複数の能力が必要になる。
内部に飛び込めるテレポート。
岩石や土砂を取り除くサイコキネシス。
被害者の状態を確認するサイコメトリー。
君はその全部を兼ね備えてるんだよ」
説明を受けて初めて納得した様子の澪。
だから頑張るんだよ、とちょっとばかり気味の悪い笑いを局長が浮かべていた。
はいはいと軽くあしらう澪には、緊張感は見られない。
確かに彼女は優秀だ。そつなく任務をこなし、失敗らしい失敗はこの一ヶ月無かった。
だが、それにしてもだ。
この澪の態度には、覚えがある。
フラッシュバックするのは、小さかった頃の自分。
大丈夫だよ。俺がちゃっちゃと片付けてやっから、そこで座って見物していなよ……。
何も出来ないことは無いと思っていた。事実、出来ないことは無かった。
大人が何人かかろうとも解決できなかった事件を、一人でたやすくこなしていくうちに怖い物は無くなっていった。
命令違反を繰り返しては、それを実績で黙らせる。
だけども、行き着いた先にあったのはなんだったか。
今になって身に染みる。
「……ちょっと、あんた! もう現着するわよ」
「え……? あ」
ヘリが降下ポイントに足をおろそうと、地上で誘導員が手旗信号を送っている。
そして、そのすぐ先には大きく1km四方に渡って崩れた地滑りの後、原型をわずかに残すトンネルの入り口が見えた。
あたりは完全に土砂に埋まり、立ち入る事も出来ないレスキュー隊が立ち往生していた。
「澪君、見たとおりだ。
崩落した土砂に遮られ、内部に取り残された人たちの救助は全く進んでいない。
早急な対処が必要なのだ」
「まっかせなさ〜い」
軽やかにヘリから飛び降り、土砂へと歩み寄る澪はどこか楽しげでさえある。
僕は局長共々レスキュー隊隊長に挨拶を済ませ、澪に注意点を伝達しようとした、が。
「注意点も何も、土砂が塞いでるのは精々10メートルよ。
中に行って被害者を連れ帰って来ればいいだけでしょ?」
何をいまさらと言わんばかりに腕を組んで、横を向いたまま、視線だけで睨み付ける澪。
言葉でも態度でも、お前など必要ないと主張してくる。
「そうじゃない」
一呼吸置いてから、僕は改めて説明した。
自然と声が堅くなるのは、彼女を心配しているからか。
あるいは、先ほど思い返した過去と彼女を重ね合わせているからか。
「崩落の影響で、トンネル自体が崩れている可能性も高い。
内部を走行していた自動車が衝突して炎上している可能性もあるし
酸欠状態、もしくは一酸化炭素が充満している可能性もある」
「……」
憮然とした澪だが、ようやく体の向きを変える。
内部の状況までは予想の範囲外だったのだろう。
厳しい視線のまま、次の言葉を待っている。
「とりあえず、ガスマスクを装着して内部の状況を把握。
無線で連絡してくれ。要救助者がいるのであれば、順次転送だ。いいな」
反論の隙を与えないよう一息に言い切る。
わかったのかどうなのか、背を向けレスキュー隊員からガスマスクを奪い取ると
テレポーテーションして内部へと入っていった。
一通りのやり取りの後、緊張が解けたためか僕はふと息を抜いた。
瞬間、わしと僕の肩をつかむ野太い手。言うまでも無く局長だった。
「皆本くぅぅぅぅぅん、なんだネあの態度は!?
もう少し優しくっ、ソフトにっ、我が子を抱きしめるよーな感じでっ!
エスパーにテンションが大切なことは君が一番良く理解しているだろう」
「局長ならともかく、僕がそーいう態度に出たら殺されます。
僕の二つ前の担当の人は彼女を抱きしめようとして、空高く吹っ飛ばされたと聞き及んでますが。
さておきテンションも大事でしょうが、気軽に災害現場に乗り込んだりするとあいつ自身が危うい目にあいます。
それは局長もよくご存じでしょう」
肩に食い込んだ指から力が抜ける。
局長の言い分も間違いではない。だが、僕の言葉にも正当性はある。
こうして感情任せの行動に出てきたとはいえ、そのことを本当は誰よりもよく理解できているはずだ。
昔、僕の面倒を見ていたのは他でもない局長だったんだから。
だが頭では理解しつつも、感情では納得出来ないんだろう。
渋い顔をしてうめくように局長は漏らす。
「それは……そうだが」
「僕を指名したこと、それには事故を未然に防ぐ意味だってあるんでしょう。局長」
この一月、朧に感じていた事を口に出す。
まるで腫れ物に触るように僕自身の事故について話をさけるバベルの面々に、壁を感じてもいた。
なにかと二の足を踏みがちなお客様扱いにもそろそろ飽きてきた頃だったし、一度はっきりさせて置いた方が良いと思ったのだ。
「あいつが僕を認めていないこと、認めさせられないこと、謝ります。
だけどだからといって、言うべき事を言わないのが良いとも思いません」
「皆本君……」
僕も、局長も、あの時ああなりたくてなった訳じゃない。
だけど慢心とは言わずとも、不測の事態に対処出来る様な備えを怠ったことも事実なのだから
みすみす澪を同じ目に遭わせることも無い。
「あのね……」
朧さんが口を開こうとしたとき、トランシーバーから澪の声が響いた。
『現状確認したわ。車が四台、要救助者が十人。
爆発も炎上も無し、だけど追突してたり土砂に埋まってたり。
みんな怪我が酷いから、重傷な人達から搬出するわよ』
「……そうか。こちらもその様に対処する」
目配せで局長にレスキュー隊への指示をお願いして、再度トランシーバーに口をつけた。
さて。気遣いのために声をかけようにも、何を言えばいいのやら。
下手に優しい言葉を告げても気持ち悪がられるか、逆に激昂されかねない。
一瞬程度の沈黙を経て、結局無難な確認だけを取った。
「時間をかけないようにな」
『うっさいわよ』
☆☆☆
「これで後一人、か……」
重傷者から順に運び終わり、後は気絶した女性のみ。
その時、またトランシーバーが鳴った。
聞こえてくるのは澪には似合わない、何処か切迫した響き。
『ちょっと、不味いかもしれない』
「どうした?」
不安にざわめく心中を押さえ付け、内面の動揺を押し隠した。
内部に入っている澪に不安を与えないよう、努めて平静な声で聞き返す。
『……この女の人、妊娠してる。
お腹の子がテレポーターみたいで、私のテレポーテーションが妨害されちゃう』
「なっ!?」
『外から見て気づかなかったのはうかつだったわ……』
勝ち気な澪に珍しく、声が重い。
それだけ状況は危険だということが推し量られる。
「重器を使って穴を開けるには、急いでも半日はかかる。
それまで待てるか?」
『私はともかく、赤ちゃんが……。
放出してるパワーがすごくって、これじゃ一時間も持たない』
「そんなに強い、か」
『きっと外の異変に気づいて、びっくりしたのよ。
あたしが助けに来たんだから、そんなに身構えなくても大丈夫なのに……』
布がこすれる音が幾度か聞え、それきり声がとぎれた。
開きっぱなしの回線からは、内部の静けさだけが伝わってくる。
数瞬考え、僕は努めて潜めた声で口を開く。
「母体は……」
『なに?』
「母体は、一時間持つか?」
『それなら大丈夫だと思うけど……って、あんたまさか!』
荒げた澪の声を聞き、自分の馬鹿さ加減に舌打ちしそうになる。
赤ちゃんだけではなく、母体の無事を確認しておきたかっただけなのだが
余りに聞き方が悪過ぎた。どうやら思っている以上に、僕も動揺しているらしい。
そして、その失敗に気付いた時には既に遅く。
僕の制止も聞かず澪が叫んだ。
『赤ちゃんが死ぬのを待つ気じゃないでしょうね?!
この子が死ねばあたしがテレポート出来ると思ってる?!』
「そんな事は言ってない!
局長達と手を考えるから、そこでおとなしく待ってろ! いいな!」
『待ってろ、ですって…………・』
途端、静かな口調となった澪に危機感が跳ね上がった。
その予感が間違いではないことを示すように
拒否の一声を以って、彼女が爆発する。
『あんたの言うことなんか―――――――――信じられるかっ!!!』
澪の言葉が弾けるのと同じくして、ヘリが浮かび上がった。
力点がどこか不自然なのか、メキメキ音を立て宙を移動する。
「澪君かっ?! この距離でこの力……」
僕の力を見慣れているはずの局長でさえ驚愕の声を上げ、ヘリを見上げる。
朧さんは口を開けたまま呆然と立ちつくしていた。
トランシーバーに向けて叩き付けるように叫ぶ。
「澪、何する気だ! 」
言い終わる前にヘリが土砂に対し正面に静止する。
かと思えば、パイロットからの報告が僕たちを青ざめさせた。
『きょ、局長! ミサイルのロックが解除されましたっ!!』
「おい、まさか!」
『テレポートは妨害されてても、サイコキネシスは使えるからね……!
パイロットさん、撃ったらサイコキネシス解除するから、エンジン始動させて』
「待て! お前それがどんな事か分かってるのかっ!!!」
『岩が硬そうだからミサイルに手伝ってもらうだけよっ!
あたしに出来ないことなんか無いっ!』
その勢いに気圧されてしまったのか、息が詰まった。
出来ないことなんか無い。それは誰の言葉だった?
眼鏡のレンズに透けて見えた、今へと重なる愚かさの証。
胸というより腹の奥、渦巻く感情が出口を求め暴れ
けれど言うべき言葉は、のど元で霧散していく。
「いかん、やめさせろ皆本君! 失敗したら土砂に潰されるぞ!!
万が一にも、あの子を、あの子までも失うわけにはいかんのダッ!」
すぐ傍で放たれた腹の底からの叫びが僕の耳を割く。
緊張か怒りか、未だ消え去らぬ悔悟の念か。
局長の握りしめた拳は震えていた。
「…………リミッターを発動させるとヘリが落ちる。
澪、止めるんだ。これは命令だっ!」
『こーゆーちっちゃい命を守るのが特務エスパーでしょうが!
この子もお母さんも、みんな助けてみせるわよっ。とめんじゃないっ!!』
いつか来た道を、また僕は戻ろうというのだろうか。
どれだけ声を張り上げても、澪に、幼い僕に、通じることは無い。
そうして彼女は、決定的な断絶の言葉を吐いた。
『何も出来ないノーマルはそこで大人しく見とけっ!!!!!』
――――――ノーマル。
これほどこの言葉が深く突き刺さったことは、あれ以来ついぞなかった。
だけど、どれだけ僕の感情が波立とうがささくれようが、この試みだけは止めさせなければならない。
額の傷が、そう叫んでいた。既視感が僕を捉える。幻視痛が体をきしませる。
折れそうなほどに歯を食い縛る。
血が滲むぐらいに拳を握り締めた。
だけれども、折れた翼ははためかない。
『せーの!!』
ミサイルが点火され、一瞬重力に引かれた後、その生来の目的を果たすべく猛々しく突撃する。
「やめろぉぉぉぉぉぉっ!!」
叫びは届くはずもなく
体に叩きつけられる爆音、炎と共に岩が砕け土砂が飛散していく。
1秒にも満たないわずかな時間の隙間、最大限の力を解放した澪の言葉が頭に響いた。
―いっけぇぇぇ!!
同時に、体に穴を開けられた事に怒ったか
猛然とうなり声を上げ傷を修復する土砂が
砂塵を巻き上げ、爆炎と一緒に高く舞い上がった。
真昼の月が、突然現れ、そして消えていく。
やがて
あたりが静けさを取り戻した後、光を受け澪と母親が浮かんでいた。
澪は汚れも気にせず母親のお腹に手を添え、じっと佇み動かない。
「良かった、無事――――――あ、いや」
澪の姿に一瞬の安堵を覚え
今まで見たこともない慈愛を込めた表情に、深呼吸をしかけ、はたと気づく。
そして次には、体の芯から怒りがこみ上げてきた。
結果的にどれほど上手くいったのだとしても
今こいつがやった事は、決して認めてはいけないことだ。
誰よりも、僕が決して許してはいけないことだ。
「コラァァァァァッ! なぜ命令を無視したぁっ!!!
下りてこい! いますぐにだっ!! 」
僕の怒号に、澪が振り返る。
実につまらなそうな顔をして、僕を見下ろしてきた。
けれど、そこにバツの悪さを感じるのは僕の錯覚なんだろうか。
☆☆☆
「……なんで指示を無視して危険な賭に出た。
もし最悪の事態に陥ったらどうするつもりだったんだ!」
「別に上手くいったんだからいいじゃない」
にらみ合う僕と澪。
局長はただオロオロ周りをふらつくばかりで役にも立たない。
朧さんは息をのんで成り行きを見守っている。
普段なら僕が退いておしまいだが、冗談じゃない。
この状況が、結果が出たからと見過ごせるものな訳が無い。
「いいわけあるかっ!
手遅れになってからじゃ意味が無いだろう!
だいたい、なぜ僕を信頼しない!
ミサイルを使うにしても、もっと慎重に調べて使うべきだ!! 」
「ま、まーまー皆本クン。とにかくみんな助かったんだから……」
「局長は黙っててくださいっ!!!」
取り成そうとする局長を一喝して黙らせる。
今の自分の立場を考えれば、とんでもない暴挙だと言えるが
それこそ知ったことではなかった。
「どれだけ結果を出そうと! 最終的に上手く行こうと!!
僕は絶対に君のやったことを認めない!!!
どんなに能力が高かろうと、今の君はただのガキだっ!!!」
今までにも、叱ったことは一度や二度じゃない。
だが、これだけ怒鳴りつけたのは初めてだった。
今日ばかりは如何に潰されようとも、一歩たりとて譲る気は無い。
やりたければやれ、と不退転の意思を瞳に込める。
不貞腐れた顔の澪は、無言になって俯いた。
しかし、それは決して反省していたのではない事が即座に証明された。
「あーもう、うっさい!!!」
顔を上げて言うなり、テレポートしどこかへ姿を消す澪。
取り残された三人は目を点にし、ただ後には風が通りすぎていく。
あまりの事に、三人のうちの一人である僕は思わず絶句していた。
立ち尽くしたまま、阿呆のように口を開けたまま。
「……………………」
「み、皆本クン?
彼女もその、良かれと思ってやったわけでだネ?
注意については私の方からも」
澪をフォローするようでいて、こちらを気遣うような様子の局長。
愛想笑いを浮かべ、更に腰がちょっと引けているのは何故だろう。
その後ろで、顔を強張らせている朧さんと同じ理由だろうか。
考えても仕方の無い事は棚に上げた上で、僕は全ての答えを溜息として口にした。
「解ってます」
疲れたような声に、局長達の怪訝な表情が返された。
さっきまで怒り狂っていた僕が、いきなり冷静になったように見えるからか。
わざわざ説明するのは自分の恥部を晒すようで気が進まないが
ここは、ちゃんと言っておかなければならないだろう。
けじめでも過去との区切りでもあるし、それに僕はアイツの監督役なんだから。
少しだけ昔を思い出しながら口を開く。
「……たぶん、アイツは褒めて欲しかったんだと思います。
確かに命令無視はしましたが、結果的に人を助けられたのも事実ですから」
「それなら、褒めてあげれば良かったのではないかネ?
きっと彼女は喜ぶヨ」
「そんな訳にはいきませんよ。
たとえ結果が出たとしても、間違ったことをしたなら叱らないと。
そうじゃなきゃ、ここに僕が居る意味が無い」
僕の意見を聞いて、難しい顔になる局長。
方針が違うのだろうけど、譲れない一線ではある。
あんな我侭極まる性格のままに成長されては、彼女もその周囲も不幸になりかねない。
その理屈は解っていて、だからこそ僕に面倒をみて欲しいと依頼してきたのだろうし
だけどそれでも、エスパー偏愛の局長は澪を甘やかしたいのだろう。
お預けを喰らった獣のように唸り続ける姿に苦笑して
「ようは飴と鞭ですよ。
飴は局長、鞭は僕。使い分けが大事です。
そんなわけで」
「な、何かナ?」
「ちょっと、お話があるんですが」
不可解な顔の局長と朧さんに向けて、笑みを隠さずに要望を口にした。
今の僕は、きっと悪戯好きのガキのような笑みでも浮かべてるんだろう。
☆☆☆
結局、迅速な処置が結果的に功を相したとして、澪の命令違反は不問にされた。
正直なところ、甘い処置だとは思うが巡り巡っての自業自得とも言えて何ともやりきれない。
別に厳罰をくれてやりたいとまでは考えていないが、少しぐらいの罰は必要ではなかろうか。
局長の髭でじょりじょりされるとか。いや、きつ過ぎるなその罰。
さて、現実逃避終了。
今は昼休みの終わり頃。食事を終えた生徒がちらほら帰って来る時刻。
教室を前にして僕は、すぅ、と一つ息を吸いこんだ。
今向かい合っているのは、僕が普段生活を送っている教室ではない。
彼女の気分もこんな風だったのだろうか。あるいは全く違うのか。
「……よし。男は度胸、だ」
もはや過去の遺産とも言える言葉で自らを鼓舞し、強張り掛けた体を動かす。
意を決して一歩踏み込んだ僕へ集まる視線は、異邦人を見詰めるものに近い。
学校という環境はおかしなものだ。たった三年の違いが、これほどの隔たりを産むんだから。
だが、こうして立ち止まっているわけにもいかない。覚悟を決めて更に一歩踏み込む。
近付いて行く僕に気付いた澪は、そのつり目を丸くした。
愕然とした彼女の表情を面白くも思いつつも、あまり長居はしたくない。
説得力の無いことを言うようだけど、目立つのは好きじゃない。
机の近くで立ち止まる。緩みそうな口元を引き絞って、冷静な表情を形作る。
此方を見上げてくる彼女の視線には、ようやくというか敵意が込められ始めていた。
澪が口を開こうとする。悪意、罵倒、嘲弄。その何れか、あるいは全てか。
何を言おうとしたのかは知らない。そもそもこちらに聞いてやる気がない。
機先を制して、手に持っていた手紙を彼女の机に叩き付けた。
いくら成長したとはいえ、僕の過去はザ・チャイルド。三つ子の魂百までも。
昔の事故で大きく性格が矯正されたとはいえ変わらない部分だって在る。
僕はな―――――――やられたらやり返すって決めてるんだ。
驚きに目を見張った彼女に、僕はにやっと笑みを見せてやりながら言葉を残す。
「確かに、渡したからな」
そして、あとは振り返らずにさっさと教室を辞する。
声を掛けられなかったのは御の字だ。きっと赤面を抑えられない。
廊下に出てから、胸の奥の緊張を押し出すように大きく息を吐いた。
「はぁぁぁぁぁ……ったく。
下手な任務よりも疲れた気がする」
そして即座に歩き出す。余計注目を浴びないように走ったりはしない。
通り過ぎる生徒が僕を見てるようだが、気のせいだと切り捨て一切無視。
自分の教室へと戻りながら、先日の『澪抜き』のブリーフィングを思い返していた。
局長に頼んだのは、任務のみならず訓練への参加。
今までは任務に赴く澪へ指示を出すのが、僕の主な仕事だった。
それを拡張して、もっと彼女との時間を増やそうと考えたのだ。
勿論、それで全てが改善されるとは限らない。余計に仲が悪化する可能性だってある。
だが、それでも僕はこの選択肢を選び取った。
まったく何をやっているのか。自分で自分の行動が解らない。
けれど、それでも。何度やり直しをしたところで。
きっと僕は、同じ行動に出たと思うのだ。
何故僕たちを信頼しない――――――――もっと僕らを信じろ
慎重に調べて使うべきだ―――――――君が怪我をしないように
叫んだ言葉は全て本音。ただし、言いたいことは何時だって裏返し。
まだまだ言い足りないことは在る。あの日の様に、ぶつかり合うのだってたまには悪くない。
それは、ちゃんと僕達が向かい合えているという証明だから。
そして背後から聞えてくる、誰かが暴れてるような騒がしい音。
手紙に書いた内容は訓練にも僕が同行することと、一行の追記。
ほんのちょぴり過密な訓練スケジュールを見たのか。
先日の無理がたたって能力に問題が出てないかを調べる、いわば優しさの発露だと言うのに。
なお当然ながら、そのことを進言したのは僕である。スケジュールの綿密な調整にも口を挟ませて頂いた。
はたまた最後に追記した一文で激昂でもしたのか。
ま、いちいち過ぎたことを声荒げて怒るほどに子供ではないにせよ
何も言わずに、なぁなぁで済ませてやれるほど大人でもないわけで。
彼女が怒り狂ってる様を想像して肩を竦め、僕は振り向きもせずちょっとだけ足早に歩き去った。
『PS. その性格、ぜってー矯正してやる』
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