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ベターハーフ! 第三話






「あーもう面倒くさい面倒くさいくさいくさい眼鏡親父臭いー!!」

「そんな愚痴ったって仕方ないだろ。さっさとやれば早く終わるさ。
 あとお前、最後にものすっごく失礼な言葉を挟んでなかったか主に僕に向けて」

「うるっさいのよ、このバカノーマル!!」



澪が荒々しく蹴り飛ばした椅子を、すっかり慣れた動作で僕は横へと避けた。
僕の飄々とした様子に、更に苛立ちが増したのか澪は勢いよく両手を差し出し
いつもの調子でサイコキネシスを使い、僕を壁に叩きつけようとした
―――が、わずかに彼女の制服の袖がそよぐばかりで、澪はがっくりとうなだれる。



「ECM効いてるんだがな、この部屋は」

「…あんたに言われなくてもわかってるわよ、そんくらいっ!!」



地団駄を踏む、とは有名な四文字熟語だが、ではどういうものなのかを実際目にした人は少なかろう。
僕は今、まさに地団駄を踏む行為を目の前で確認していた。折角のレアな光景、しっかり目に焼き付けておくべきか。
この小生意気な、いやクソ我侭な、いやいや、おしゃまな高超度エスパーである澪が人目も気にせず歯噛みして悔しがっている。
どれほど頭に来ているのかなど、傍で見ているだけの僕には推し量ることすら出来ない。
彼女の担当官としては、心のケアに務めるのが本文なのだろう。
だが、僕も思春期の高校生、心持つ一人の人間である。
今まで散々理不尽にしてやられた身としては、多少なりとも胸がすく思いだった。
……そこ、粘着質とか言わない。





―ベターハーフ! 3―





「ったく、ただでさえでかい面を更にでかくして…」

「いや僕はどちらかというと普通、寧ろ細面で優男な感じだと」

「どーでもいいのよ、ンなこたぁ! 男のくせにああ言えばこう言う!
 あんた、でかい顔しててもこの部屋出たらわかってんでしょうね。
 人類未踏、車に潰された蛙の気持ちを教えたげるわよ」

「はいはい、好きなようにすればいいさ。
 今は訓練に集中、そうだろ?」



まぁ、本音を言えば良くないが。
物理的ど根性ガエルと心を通わせるほど、僕は人間捨ててない。
心中で呟きながら、胸ポケットから取り出した一枚の用紙を手元ではためかせる。
更に小粋に首をかしげたりもしてみたが、澪のお気には召さなかったようだ。
渋茶でも口一杯に含んだかのように、彼女は苦り切った顔をして押し黙る。
鬼のような形相で睨み付け、しかし諦めたのか先ほど蹴り飛ばした椅子を立て戻す。



「権力に頼る男なんてサイテー」



澪が一人呟くと、また部屋には物音一つしなくなった。
この所、僕たち二人の間で繰り返される光景は以上のようなもので。
永遠とまではいかないが既に三週間程は続いており、後一週間で終了となる予定である。
これまでと、これからと。過去と未来とを同時に思い、纏まらない感情が溜息として零れた。



「早かったのやら、短かったのやら」



この所、僕たちはずっとこの部屋で訓練を続けていた。
特別訓練科群内、超負荷環境訓練室。通称、桐壺道場。
こんな通称を持つとはいえ、別に局長のよーな暑苦しい存在を大量生産しているわけではない。
僕たちが篭りきりで訓練を続けているこの場所は、省庁内部や富士の裾野などに設けられたエスパー向け訓練施設群の一つ。
20m四方の部屋には軍用ECMが装備され、さらには電磁壁も展開し、バベル内では【エスパーの墓場】とさえ言われている。
僕がエスパー時代にさんざ局長を困らせたせいで作られた、肝いりのお仕置き部屋、もとい訓練室である。
もっとも僕は利用を拒んで逃げ回ったわけだが。実際の使用回数など片手で数えられるかもしれない。
国の税金を使ってこんなもの作らせたかと思うと、法学志望な僕としては当時の自分を告発したい気分にもなる。
で、その負の遺産、ではなく立派な施設を活用して、本日はサイコキネシスの正確さを伸ばす為の訓練を行っていた。
例えば、縫い針を不規則に五十本並べその穴に手を使わず糸を通してみたり。



「だいたい女だから手芸なんて、発想が親父臭いのよね。
 だから体も臭いのよ。加齢臭?
 それ以上近付かないで移るから」



…例えば、百本ポールを立ててサッカーボールをじぐざぐに進ませてみたり。制限時間一分。



「流行もんのサッカーだなんて、ハッ!
 お勉強しか出来ない眼鏡君はこれだから」



……例えば、分解したデジカメをねじ一本から組み立て直させてみたり。



「出来たカメラでどうしようってのよ。
 朧さんでも盗撮する気? 局長でも撮ってなさいよ。
 ……ごめん、今のは私が悪かった」



…………なにか要らない記憶が脳内でリフレインしたようだが、それはそれとして放置。
局長と盗撮という言葉の組み合わせによる地獄そのものな連想風景で
ちょっとだけお互いを解り合えた気もするが、そんな連帯感は断固拒否する。
今にしても超度2に押さえた環境でトランプタワーを造らせているのだが
眉間にしわを寄せてトランプを操っている澪が、創造の喜びにひたる余裕はなさそうだ。
よく言うだろうに、何事も本気で楽しむことが大事だって。
訓練にしても、それは同じ。楽しむというのは、意欲の継続に繋がるんだから。
例えば自分。ほら、こうして椅子にゆったり腰掛けるのも本気で楽しめば退屈じゃない。



「…………こっちがこんだけ苦労してるってのに、このバカ眼鏡は」

「ん?」



なにが気にくわないのか、もの凄い勢いの視線を感じないでもないが
こんな時には眼鏡を外して目を休めるのが一番。よーし、これで何も見えない。
ツインテールが逆立って角のようになってる鬼エスパーなんて見えるものかははは。



「はー、ずっと眼鏡掛けたままだと目が疲れるよな。
 ほらほら、サボってないで。
 後三セット残ってるんだから、早くしないと日が暮れるぞ」

「……ホ・ン・ト・覚えてなさいよ、バカ眼鏡」



集中力を切らさないようにとアドバイスを行う僕。
怨嗟の声が聞えた気もするが空耳ということにしておこう。
まあ、冗談はさておき。澪の気持ちも多少理解出来なくは無い。
僕はあくまで指導・監督の立場、時間管理や訓練の進捗を見て指示するだけなのだから。
これでもその日その日のデータから、訓練メニューやらを改編したり効率よい組み合わせを考えたりはしているが
訓練を受けている方にはえてしてそんな苦労はわからないものだろう。僕だって昔は解らなかった。
ふむ。いっそのこと、今の関係を改善するため、これを機に僕から歩みよるべきだろうか。
局長のような無闇に激しい愛情にアレンジを加えて……





ああ、今日ほど僕がノーマルになってしまって残念だと思ったことはない!
君の力になることが出来たなら。君をもっと上手く励ます事が出来たなら!
この気持ちをどうやって伝えればいいのかわからない、愛しいエスパーの君よ!





うん、やめとこう。
いや単なる想像だというのに、まさかこれほど鳥肌が立つとは人間の神秘。
最近鬱に入りがちな自分を鼓舞しようとして、更に落ち込ませてどうするんだ僕。
自分でも頭の痛いこんな思考が下手に伝われば、また生傷が増えそうな予感がして止まない。
そう。訓練を始めてこっち、軟膏を手放す事が出来なかった。
訓練終了後『放散しきれず溢れた』超能力が『偶然にも近くにいた』僕を巻き込む事件が頻発しているからだ。
決して澪のせい、ではない。という事にしてある。してあるのだ。あくまで事故。
澪が音を上げるか、こっちが最後まで耐え続けるか。終りの見えない根競べ。
情勢は緊迫して沸騰し、ホット・ウォーの様相を呈していた。
今の僕なら、ムツゴロウさんの気持ちがよく解る。彼は勇者だ。



「ま、この申し渡し書にしたって、僕が完遂させなきゃ意味をなさないからな」

『先の命令違反を不問に伏すかわりに、一ヶ月間の特別訓練を課す…最終日に皆本主任の終了許可を得て任務に復帰することとする』



要するに、僕が許可しなきゃ澪はいつまで経っても復帰できないという訳だ。
もちろん正式な辞令だから拒否することも不可能。
仮に破棄しよう物なら、それこそ再度の命令違反で余計にハードな訓練が待っている。
澪がバベルに所属している限りにおいて、現在僕は生殺与奪の全権を握っているのだ。
澪はそれがわからないほどバカではないが、さりとて我慢しつつけられるほど大人でも無いわけで
結局、訓練の終わりに『偶然』僕が怪我する機会が増えていく。
局長からの直接命令でも無い限り、僕が主任職を解任されることもないが
この上も無く重要な意味を持つ一枚の紙切れが、僕たち二人の間を蜘蛛の糸のように繋いでいるのも事実。



「まあそれにしても、もうちょっと穏やかにならないかね。ホント」



悪戦苦闘する様を見て溜飲を下げている事も確かではあるが、何よりこの訓練は澪の為だ。
決していぢめるのが楽しいわけではない。普段の憂さを晴らしていることは否定しないまでも。
言い足りないことはきちんと伝えてぶつかり合ってでも向き合ってみたい、それも偽らざる僕の本音。
僕は、あの時の命令違反は決して許すことは出来ない。
僕だからこそ許すわけにはいかない。



『あーもう、うっさい!』



あの場を逃げ出した澪の気持ちは、痛いほどわかる。
とりもなおさず、それは七年前の僕の言葉なのだから。
命がけで行動したのに。ただ救いたかっただけなのに。今この人達は、こんなに元気なのに。
誰も褒めてはくれない。そればかりか怒られる。皆が自分を叱る。
どうして、どうして、どうして。不満はループして、心の中で愚痴を増やす。
結局僕は、ノーマルという鳩の群れの中では、僕という鷲がただ翼をはためかせるだけでも
周囲に対して驚異を、恐怖を与える事に気づいてはいなかった。最後まで、気付けなかった。
澪もまた、同様だろう。客観的に自分の行動を見られない、要するに子供なのだ。
あるいは解っているのだとしても、感情として認められないのかもしれない。
だからといって、犯した危険を顧みず放置していては、いずれ澪がたどり着くのは草一本生えない不毛の土地。
僕はダメになってしまった。折れた翼の代わりがあるはずもなく、それきり地上を歩くことしか出来ない。



「あいつだって、人のために怒ることが出来る。
 助けてやりたいって、行動する事も出来る」



僕は、そこに賭けてみたかった。
どれだけ細くとも弱くとも、一度お互いの間に橋を渡してみたかった。
ただ、今の状態ではそれも儚い夢、白昼夢に過ぎないだろう。



「……終わったわよ」



疲労を滲ませた澪の声が、思考の深みから僕を引戻す。
椅子に背をもたれさせ、苦しそうに肩で息をして荒い呼吸を隠そうともしない。



「お疲れさん。集中してると、体力使うだろ」

「何もしてない分際で、えらっそーに……
 大体アンタ、これ昔出来てたの?」

「そりゃ。僕は物心つく前からバベルにいたからね。
 素直な内に、訓練は受けてたさ」

「うげー。素直なアンタなんて、見たくないわ。気持ち悪ぅ」

「ありがとう。その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」

「ばぁ〜か」



嘲るように舌を出す澪を見て、僕は心中だけで頷いた。よし、まだまだ逝ける。
頃合いを見計らい、僕は足下に隠しておいたギブスを取りだし、澪にかざす。



「よし、そんじゃラストにこれやって終わりだ」

「……なによ、そのみょうちくりんなのは」



澪はげんなりとした視線を投げかける。
彼女の視線の先は、体の各部へと固定するパーツが付いた道具。背中、肩、腕、ついでに腰。
きちんと着込めばあら不思議、どんな超度のエスパーでも身動き一つ取れなくなる。
隅々まで小型ECMを仕込んだ特別製超能力養成ギブス、名付けて強靭の星。
このギブスと部屋本体のECMを合わせれば、超度6のエスパーであっても簡単には能力を発揮できない。



「で、強靱の星を装着した状態で」



僕が視線を動かすと澪も同じように一点をのぞき見た。
いつの間にやら控えていたのは、木目が綺麗な丸いちゃぶが台一つ。
上には色とりどりの食事がのって目にも鮮やか。



「あの重量級ちゃぶ台、星一徹を手を使わずにひっくり返して貰おうか!」

「ギブスする意味が皆無ッ!!?」



いや、ECM仕込んでるんで皆無じゃないが。ギブスの形してる意味があるかどうかはさておいて。
ちなみに乗ってるのは浅草なんかでよく見る食品サンプルなので、どれだけひっくり返しても大丈夫だ。
まさに科学の力。東洋の神秘。



「アンタね、訓練やるのはいいけど馬鹿な内容が多すぎんのよ!
 役に立ってるの、ホントに?!」

「バカとは失敬な。どれもこれも、論理的な根拠に基づいた訓練だぜ?」



これらの訓練は、様々な負荷を対象者にかけて超能力の伸張を促す物だ。
僕が受けた訓練から、能力の伸張を実感できたモノを選りすぐってある。
そして負荷というのは、肉体的にも精神的にも存在するわけで。
一見、馬鹿馬鹿しくも見える内容は、ちょっとやそっとでは揺らがない精神を築くための訓練ともなっているのだ。
……ただまあちょっと、昔の経験から多少改良したテレポートの訓練と称して
火であぶられた箱から大脱出させたり、チェーンソーで胴体切断させたり、水中に重し付けて沈めたりもした。
それもこれも、あくまで彼女のためを思えばこその行動であって
ちょっと悪乗りし過ぎたかな、なんてことは思ってはいない。少ししか。
なお水中脱出の時、澪の水着姿を初めて見たが、断じてドキドキなどはするものか。



「さてはあの時の事恨んでるんでしょう、このエロ本男!」

「何の事やら」



何処吹く風を決め込むがその実、僕は無表情に徹した裏で苦虫を噛み潰していた。
思い出されるのは訓練が始まって三日目、サイコメトリー訓練での一幕。





☆☆☆





「で、だ。
 今日はこの精神修養室で、物体から情報を読み取る訓練をする」

「……」



返事がない、ただの澪のようだ。いや、そのまんまだよ。
返事が無いのは、いつもどおりなんだが、さすがに二人っきりの環境でこの状態が続くのは辛い。



「僕が気にくわないのは仕方ないが、訓練にはちゃんと取り組んでくれ。
 能力が伸びて扱い方が効率的になれば、それだけ君の負担も減るんだから」

「……フン!」



言葉にもなっていない返事を示すと、しぶしぶ澪は席を立った。
本日用意したメニューは、目視出来る情報を完全に遮断した上で
電磁壁にサイコメトリーを乱す電流を流し、壁向こうの物体から情報を読み取ることだった。
ECMは作動していないが精神修養室は完全に壁でふさがれ、向側をのぞき見ることは出来ない。
サイコメトリーが積むべき訓練であるが、通常は電流までは流さないから
読み取り精度を高める為に、より一層深度の高い集中が必要になる。
細く細く糸の様に意識を絞り込んで、かつ周りに溶け込んで広がっていくようにイメージしなければ、この訓練の成功は難しい。
この集中法はどんな超能力の下地にもなるが、澪はなまじ超度が高かったため基礎的な訓練は受けていなかった。
いや、我が侭が過ぎて受けるのを拒否していたと言うべきか。



「壁の向こうに、いくつか物が置いてある。
 それから情報を読み取って、回答してくれ」

「うるさいわよ、集中してんのよ」



とっととすませたいのか、早速澪は壁に手を当て、微動だにしない。
それから暫く時間が経過しても、その姿勢は変わらない。
乱数的に波長が変わる電磁壁に苦戦しているのだろう。これは僕の発案だ。
エスパーにとって超能力は無意識に活用出来るものだが、腕を上げたり息をしたりといったレベルで自然に扱える分
意識的に能力を絞り込んだりするには注意がいるし、不規則な変化には案外もろい。
初期の目的として、このエスパーが共通に持つ弱点を克服する事が課題の一つだった。



「向こうにあるのは…机と椅子とベッド…」



それでも、さすがに澪の能力は高かったと言うべきか。
向側にあるのはその三つで正解。
そして実を言えば、全て僕の私物だ。
ノーマルとなってからずっと愛用してきた道具には、僕の想いが詰まっている。
絶望して、寂しさを通り越し、無為に生きて、やがてわずかな喜びを見いだし
いつかの事故は忘却するよう努め、堅実に生きてきた。そんな七年間。
先にこちらの手札を晒すやり方。少々変則的で、はしたない方法だとわかっている。
だけども、お互いにいがみ合ってる状態では相手の気持ちを推し量る事はもちろん
相手の領分に足を踏み入れることなど出来はしないのだから、こちらから譲歩をしてみようと思ったのだ。
訓練に紛れ込ませるその意気地のなさを笑いもしたが、それでも期待しなかったと言えば嘘になる。
この訓練が相互理解の第一歩となる事を、澪との邂逅を。
可能性の低さはともかくとして期待したのだ……が。
さて、当時の僕は其処に至るまでの状況で、何を期待していたのだろうか。
改善されない関係に焦りを覚えていたとはいえ、性急に過ぎたと今では反省している。
しかし、後悔先に立たず。覆水盆に返らず。零れたミルクは戻らないのだ。
厳しい表情をたたえていた澪から緊張がほぐれたかのように力が抜けていき、やがてぽつりと呟いた。



「……エロ本」



憮然とした顔付きで、しかし頬を若干赤く染めた澪が唇を尖らせる。
振り返ってこちらを見た澪の顔が渋柿でも食べたように顰められているのは、きっと気のせいではない。



「ベッドの下に三冊、それから机の中。
 引き出しを隠れ蓑にして、その下に秘蔵の一冊」

「ど、何処からそれをっ?!」



……おかしい。クールだ、KOOLになれ皆本光一。
持ち出す前にあれはきちんと押し入れに隠したはず、いやまて僕。
よく考えろ。思い出せ。この状況、何らかのエスパーの攻撃を受けてる可能性が、犯人目の前に居るよ畜生。
犯人……? そうだ、馬鹿か僕は! 頭を振り絞って考えて少し経ち、一つの事実に思い当たった。
サイコメトリーは物体に付随する『焼き付いた過去の具象』をも視れると何故忘れていたのか。
まさに言葉通りの失敗だった。痛恨の一撃、おお皆本よ死んでしまうとは情けない。
大口開けて待っているライオンに飛び込んでいくインパラ、いや既に飛び込んだ後。それが今の僕。
落ち着こう落ち着けば落ち着くとき。無理だ。そこまで僕は英雄じゃない。



「この変態指揮官」



ほんのり頬を染めたその姿は、万人が見て可愛らしいと思うだろう。
しかし、視線に込められた温度は極寒。視線に物理的圧力が込められているかのよう。
その瞳、何かに似ている気が……ああ、獲物を前にした捕食者か。



「変態わいせつ色欲エロセクハラ男」

「うっさい、余計なもん読みとってんじゃない!
 一冊や二冊持ってて当たり前なんだよ、この年頃はっ?!」



僕は精一杯の虚勢を込めて反論するが、迫力を欠くことおびただしい。
その姿は、エロ本を母親に片付けられて逆ギレする中学生の如し。
想像しておいてなんだが、人生で最も死にたくなった一瞬だな。



「知らないわよ、この性犯罪者!
 精神的露出狂! 近くに寄るなっ!!!」



いきなり体が壁に叩きつけられ目の前が暗転し、重力に引かれて床へと落ちた。
その衝撃で意識を取り戻した瞬間にも、澪は顔を赤くしてこちらを睨み付けてくる。
瞬時に沸騰しかけた感情も、彼女の表情を見て即座に冷めた。
言われてみればなるほど、確かに今回の行動は露出狂紛いの行為だった。
見せたくて見せてるわけでもないが、それは此方の都合。
見せられる側、彼女の気持ちを無視していたと考えるべきだろう。
反省と共に、僕は低く重く囁いた。



「……澪」

「な、何よ?」



警戒するように、僕から距離を取る澪。
距離を縮めようとした結果がこれでは、本末転倒の極みだ。
下手をすれば、エロ本の在り処だけではなく
その先、内容や使用法まで読まれたのかもしれない。
頼むから、それだけはありませんように、と
存在を信じてもいない神様に、心の底から願いながら
僕は叶う限りの真摯な瞳で、彼女に語りかけた。



「変なものを見せてすまなかった。
 でも、安心してくれ。僕の好みはどちらかといえば年上で豊乳。
 お前に特別な感情抱いたりするような不名誉なことだけは絶対無いから!」

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!」



――――――ここに。
第一回皆本光一ボコスカウォーズが開催されたのだった。





☆☆☆





(……安心させるつもりだったんだがなぁ)



今から思えば、馬鹿にも程がある発言だが。自分は思いのほか慌てていたらしい。
おたおたするばかりだった僕に澪は一方的に攻撃を仕掛けてきた。
ECMが作動して超度四程度に抑えられてはいたものの
一般人を痛めつけるには十分すぎる能力だと言うことを、僕は身を持って実証した。
したくてしたのではなく、できれば勘弁して欲しかったのが本音だけれど
セコンドがいるわけでなし、タオルを投げてくれる人もいなかった。
で、それから医務室のベッドで考えを巡らせていた僕は、一つの結論に達した。
力が余ってるなら、くたくたになって立てなくなるまで使わせてやればいい。
それは至極単純で、真っ当で、しかも効率的な考えだった。
以後二、三日。僕はもてる限りの知識と時間を活用して訓練メニューを改善(澪に言わせれば改悪だが)し
澪に対してその計画表を掲げ、改めて宣言した。
これをやり遂げて貰う、と。
僕がもう顔を出さないとばかり思っていたのだろう。
その時の澪の顔はまさに予想外と言った風体で、まるでどこか幽世にいる人間を見るような目で、まじまじこちらを眺めていた。



『まさか、マゾッ気まであるの?』



何処か戦慄さえも含まれたその呟き。
僕と彼女との間には、確かに境界が在ったかもしれない。
それから暫く、澪が素直に訓練に勤しんでくれたのは喜ぶべきか悲しむべきか。
近付いたように見えて、きっと心の距離は潮が引くように遠ざかっていた。
彼女が考える皆本像とは、何時か決着をつける必要があるだろう。



「……ちょっと、聞いてるの、このバカ眼鏡!?」



少し思考に没頭しすぎていたようだ。
無視されていると思ったのだろう、澪はひときわ肩をいからせて怒鳴りつけてくる。
それはすっかり見慣れた光景で、進歩の無さに僕は一抹の寂しさを感じる。
しかし、ギブスはちゃんと付けてる辺り、ちょっとはマシになったんだろうか。
言い訳のようにそう思い直して、僕は反論を試みた。



「バカは余計だ、バカは」

「バカはバカでしょ。
 バカバカバカバカバカバカバカバカぶわ〜かっ!!」



にらみ合い対峙することしばし、意外な所から声が聞えてきた。
くすくす、と小さく潜めた笑い声。聞き覚えのある響き。



「二人とも、仲良いのねぇ」



一体いつ入室したのか、朧さんがクリアファイルを胸に抱いて佇んでいた。
今の今まで気付かなかった事による驚きと軽い羞恥に、体は硬直する。
もしかして、さっきからのやり取り全部見られてた?



「良くないですっ!!」

「そりゃそうだが、んなきっぱりと」

「あらあら、まあまあ。
 仲が良いのは結構だけど」

「だから良くないですっ!!」



澪はギブスのせいで良く動けないのか、手振りをしようとしてもぞもぞ動くばかり。
パンマイムみたいで愉快だった。あくまで傍から見ている身としては。



「はいはい、分かりました。
 それは良いとして、訓練はちゃんと進んでる?」

「一応は」

「頼りない答えねぇ。
 男の子はもっと気張らないとダーメ」



朧さんはこつんと、僕の頭をファイルで軽く叩いた。
最近朧さんは僕を注意するとき、いつもこんな風に、僕の目を見てからちょんと額の真ん中を打ち抜く。
澪との殺伐としたやり取りでささくれ立った心を癒してもくれ、それ以上に僕をドキドキさせる。
きっとこの人は分かってないんだろうけれど。



「……鼻の下伸ばして。
 やらしー、これだからエロ本男は」

「朧さんの前でそれ言うか……」

「あーもう!
 二人ともチームなんだから、そんなギスギスしないの」



パンパン手をたたき、朧さんは僕らの喧嘩を止めにかかる。



「……ふんだ」



僕には一切の遠慮がない澪だが、朧さんにはどこか遠慮がちになる。
穏やかな物腰の割にばりばり仕事をこなし、そのくせちょっと惚けた所もあって。
組織の上司と言うよりは、よく出来たお姉さん的な朧さん。
その仲裁を全く無視は出来ないようで、毎回一応は聞く姿勢を取る。



「ほら、澪ちゃんはちゃぶ台返しをこなして頂戴。
 私も見てるから、しっかりね」

「……はあい」



それだけ答えると、憮然とした態で澪は訓練に戻っていった。
やれやれと息をつくと、僕と朧さんは隣がけの椅子に腰を下ろした。



「苦労している様ね」



独り言のように、そっと朧さんが口にする。
澪に向けた言葉だったのか、僕に向けた言葉だったのか。



「もう慣れましたよ」



諦めちゃいないです。
飲み込んだ言葉を意志に込めて、僕は澪を見つめた。
我が侭で、気分屋で、身勝手で、無軌道な澪とこれまでどうにか付き合ってこれた。
それがいつしか僕の中で妙な自信、基礎、基盤となって形を取り始めていた。
どれだけ痛めつけられようと、やり遂げてみせる。
絶対、諦めてなんかやるものか。
やられっぱなしで修まるほど、僕はヤワじゃない……と、思いたい。



「ま、命令書のおかげであいつも訓練自体は続けてますから……」

「命令書?」

「これですよ」



胸ポケットから取り出して、きつい命令が記載されたそれを掲げた。



「ああ。それね」

「それ、って。重要な命令書でしょう?」

「まあ、重要な命令には違いないわね。
 だけど、澪ちゃんが訓練を続ける理由は、それだけじゃないわよ」

「それだけじゃない?」



他に理由があるんだろうか。
僕が戸惑っていると、朧さんは空気を吸いこんで、一息に言った。



「あなたと同じ、よ……ザ・チャイルド」

「その名前は……」



言いかけて、口をつぐむ。
わざわざ朧さんが昔の名前を使った訳、それが分かったからだ。



「……もしかして、あいつも?」



台詞の続きは口にしなかった。
言葉にしてしまえば、澪も、僕も、酷く傷つく。
一般論として語るなら、それは珍しい話でも無い。
エスパーの子を持つノーマルの親。その行動は大別すれば二つに別れる。
溺愛するか、忌避するか。超能力が強ければ強いほど、その偏りは大きくなる。
そして、僕は後者だった。珍しくもない、この広い世界では有り触れた家庭。
誰に頼んだ訳じゃない。何も望んで得たものじゃない。
生まれつき持ち合わせた力のせいで、この世に自分を誕生させてくれた存在から嫌われる、疎まれる、避けられる。
それがどれだけ寂しいかは、十二分に思い知らされている。
力が発現してからすぐバベルに預けられ、結局今でも僕と両親とは別居中。
バベルに預けられただけでも、僕は幸せだったと言えるのだろう。
僕がエスパーだった頃、両親と顔を合わせた記憶はまるで無いとはいえ。
ノーマルになって七年も立つけど、昔出来てしまったくびきを簡単に埋められるほど、僕も両親も器用では無かった。



「澪ちゃんの今のご両親は、義理のご両親なの。私も詳しいことは知らないけれど、実のご両親の行方は分からないそうよ」

「そうですか……」



同情。同族意識。同病相憐れむ。
自分が勘違いしないよう、楔となる言葉を幾つか思い浮かべる。
解った気になった所で錯覚でしかなく、それでもまだまだ頑張ろうという気分には成れた。
あの意固地な暴力女も、そう見れば多少は可愛げがあるのかもしれない。
暗い顔をしてしまって気を遣わせたか、朧さんはわざわざ明るい口調で継ぎ足した。



「それと、後いくつか理由がね」

「いくつかの理由、ですか?」



澪が訓練に出続ける理由。
家庭事情の他に、散々我が侭し放題であってもバベルを離れないのは何故だろう。
愚痴を吐きつつも今こうして訓練を行い、そしてこれまで任務をこなしてきたのは何故だろうか。
本当に嫌なら止めれば良い、バベル所属の特務エスパーはあくまでも契約によって所属しているに過ぎない。
望むのなら、契約を解除することも出来る。
人の役に立ちたいという想い、人に必要とされたいという願望。
その他に求めるものはお金? ステータス? プライド?
一体、何が理由なのか。自分の存在意義を、居場所を探しているんだろうか。
捨て子のように預けられ、がむしゃらに働いた過去の僕と同じように。
考えあぐね、押し黙っていると朧さんが僕を一瞥し、なぜか笑った。



「なんだ、皆本君。解ってなかったんだ」

「解ってない?」



それならそれでいいのよ、と朧さんは和やかに小さく微笑んだ。
僕が問いただそうとしても朧さんは答えてくれず、ただ嬉しそうに澪と僕を眺めるばかり。



「そ。後は自分で考えなさいな」



凛とした姿勢を崩さない朧さんの横顔は、いつにも増して朗らかで好もしく、そして見惚れるほどに綺麗で。
このままずっと見つめていたい、と思うと澪の叫び声が僕を現実に引戻した。



「あー、こんなんやってられるかー!!!」



擬音として掛け声を付けるならば、どっせい、と。
特殊ギブスもなんのその、しっかり両手でちゃぶ台返しをしている澪がいた。
とても無意味な光景ではあるが、お前、案外筋肉のパワーもあったのな。





☆☆☆





「訓練は順調の様だね」

「このバカ眼鏡がしつこいから」

「……と、まあこの様に順調です」



僕の苦笑いにつられたか、局長も苦笑いを繰り返す。
ご機嫌取りに山と積まれたお菓子もなんのその、澪も毎度の表情で不機嫌さをまき散らしながら
いつものミーティングルームにて、定例の経過報告会議を行っていた。
幸い大過なく来ているとはいえ、澪はバベルに契約している高超度エスパーの一人であるし
なにか事件が起れば出動させたいのがバベルの本音だろう。
だからこそ、詳細な経過報告をしなければならないのだが
毎度毎度この調子であれば、いかなエスパー偏愛の局長であろうとも困った顔の一つもする訳だ。



「まあ、ともかくだね。
 訓練期間も三分の二を過ぎて、測定結果は良好だ。復帰後が楽しみだヨ」

「はい。澪ちゃんの能力には、五パーセントほどの伸張が見られますし
 正確さや持続力についても向上しているデータが上がってきています。
 さすがは元バベル最強エスパーの指導、と言ったところでしょうか」



朧さんの一言に、澪は抗議の声を上げる代わり、殺意を込めた視線を寄越してきた。
別にテレパスが無くともそのくらい気配でわかる。
言葉にすれば、何であたしの頑張りよりアンタの方が評価されてんのよ、ってところか。
鬱憤を溜めに溜めてるんだろうが、僕はいつもどおり眼鏡を外してやり過ごす。
後が怖いが、それさえも含めて慣れて来た自分が悲しい今日この頃。



「まあ、それでだね。
 復帰後は、別のチームとの共同作戦も視野に入れていこうと思うのだヨ」

「別のチーム?」



全く意外だったのだろう、澪が素っ頓狂な高い声を上げた。
僕にしても、今の澪を他のエスパーと組ませるなんて危なっかしいと思う。
彼女にチームワークを期待するのは、魚類にマラソンさせるようなものだ。



「そうだ。まあ、機密保持の為にバベル内でもエスパー同志、特に実働部隊に横の繋がりはあまりないがね。
 効率を重視する上でも、共同作戦は必要だ」

「その為に、何組かのエスパーチームにこの場に来て貰うよう手配しています。
 到着次第顔を出すように、と言ってあるのですが、遅れているみたいですね」

「他のエスパー、かあ」



特に不満そうでもなく澪が呟いた。実感そのものが沸いてこないのだろう。
エスパー時代、僕も他のエスパーとチームを組んだことは無かった。
とりもなおさず、共同作戦が無かったのは能力が高く他のエスパーを必要としなかったせいもあるし
命令無視で危険が及ぶ、と言った配慮もあったろう。
だけれども考えてみれば、高超度エスパーは能力のおかげで周囲から弾かれた存在が多いこともあり
人数の多い環境、チームでの行動は経験していない人が多いのではなかろうか。
身近に具体例が約一名いるが。つーか、僕自身が例の一つだが。
健全な社会性を育てる意味でも、共同作戦をとるのは有効かもしれない。



「他のエスパーというと、具体的には?」

「到着してから話すのが早いかとは思うが…」



局長が続けようとしたとき、ミーティングルームの扉がバンと大きな音を立て開いた。
続いてはしゃぐような甲高い声が聞えて、澪がより不機嫌そうに顔を歪める。
しかし何故だか、僕はそれを耳障りとは思わなかった。



「うわ、ホントだ!
 ホントに戻ってきたのね、ザ・チャイルド!!」

「見て見て、大人になってるよー。変!」

「変とな!? って、一体誰です……うわっ?!」



入り口から女性が二人駆けてきたかと思えば、いきなり僕を羽交い締めにする。
抱擁と言うには熱すぎるそれに驚かされて、されるがままになっていると
片方の女性、外はねでもう一人と比べて髪の長い彼女の胸に僕の顔が埋まっていた。
それは柔らかくも気持ちよく、いい仕事してますね。
…………待て待て落ち着け僕。朧さんの前、皆の前だ。
む、澪の視線が氷点下さえ越えてもはや絶対零度に!?



「「お帰り、皆本君」」



僕を抱き締めたまま、重なる二人の声は古い記憶を刺激した。
もしかして、もしかして、この二人は―――――――



「奈津子ね……」



姉さん、と危うく口走りそうになり、咄嗟に口を閉じて言い換える。
さすがに、声に現れた動揺までは隠せなかったが。



「な、奈津子さんにほたるさん?
 コードネーム・ダブルフェイスは、むしろダブルタン(二枚舌)じゃねーのかと目下の噂!
 覗き見と盗み読みが趣味の?!」

「ええい、昔の話まで持ち出して人聞きの悪いことを!
 せめてクレヤポンス(遠隔透視能力)とテレパス(精神感応能力)って言いなさい!
 言わなくていいことを口にする癖、変わってないわねー」

「いいえ、それは違うわ奈津子。
 自分から動揺することで、胸の感触から逃れようとしてるのよ。
 一丁前に男になっちゃったのね。お姉さん悲しいわ。
 でもその成長が嬉しくもある複雑な乙女心」

「うわ、ちょっと、離してってか、思考読むの止めて?!」



力を込めて、なんとか羽交い締めをくぐり抜ける。
男としては堪能していたかった気もするけれど、これ以上、澪の視線には耐えられない。
何時から彼女は目からビームを撃てるようになったんだろう。猫か。猫に教わったのか。
軽い現実逃避として、噂にのみ聞くバベル所属の超度6サイコキノ・キティキャットを連想しつつ
飛び出しそうな心臓を深呼吸でなんとか落ち着かせ、改めて部屋に入ってきた二人を見る。
彼女らは僕の記憶とは違い、それは華やかな、艶やかな香り立つ様な美人に成長していた。
よく言えば明朗快活、悪く言えば単純明快、常盤奈津子。
大人しそうな外見でいて、その実若干腹黒、野分ほたる。
記憶が正しければ、二人はもう二十代に入った頃だろうか。
僕がもう半ズボンの子供ではないように、二人もまた時間を経て、確かに変わっていた。



「あら、昔は全然かまわねーよって突っ張って、読ませてくれたのに」

「ねえ。任務から帰ってくる度、自慢話してたのにねえ」

「いやあれはエスパー同士で、テレパスが効きにくかったから」

「そうそう、皆本君が七才くらいの時だったっけ。
 泣きべそかいてるのが視えたから、待ちかまえて抱きしめてあげた事もあったなー」

「そんなこともあったわね。懐かしいわ。
 で、口に出せないから心の中で言い訳したり。
 口じゃ強がりながら、心でお礼言ってるのよ」

「…………」



読まれてましたか。
むずがゆい。なんだろう、このかゆさは。
見知らぬ親戚に、昔おしめを替えてやったと言われる以上にかゆくてたまらない。
なにより今は性悪意固地女のすぐ側だ。…………おい、何故聞き耳立ててたかのよーに視線を反らす?
呆れて視線をずらしてみると、そんな澪と同じ動作をする女性が一人。朧さん、貴女もですか。
このまま話をし続けてもロクな事はなさそうなので、僕は話題の転換を試みようとすると、思わぬ所から助け船が出た。



「こらこら、二人とも。皆本君が困ってるだろう。
 つもる話もあるだろうが、今はミーティング中だ。席につくように」

「「はい、局長殿」」



小さく右手で敬礼すると、かしましい二人はようやく席に着いてくれた。
ただ席に着いたとは言っても、ほたるさんが僕の隣、奈津子さんが更にその隣。
そして、ほたるさんはこっそりと僕にテレパスを飛ばしてくる。
いっぺんに話をされても答えられないから後で、心の中で答えても聞いちゃくれない。

その子はなあに、どんな関係、もうキスくらいしたのキャー。ええい何がきゃーだ。
何を聞かれても、そっちが期待する答えは返ってこないってのに。
ほたるさんのみならず、奈津子さんも期待に満ちた目をしてるんだろう。見なくても解る。
内はね外はねの髪が象徴する様に、対照的に見えても根っこが同じなんだよなあ、この二人。
ほたるさんは清楚っぽくて、奈津子さんは活発そうな印象を受けるけど、結局楽しそうな事があれば、どちらも首をつっこみたがるのだ。
それが長じて世話焼きになっているのかもしれないし、実際それでお世話になりもしたのだけれど、今は駄目だ。
子供時代みたいに甘えられないと、こうも気恥ずかしく居心地悪いものだとは、思いもしなかった。
最近までバベルを離れていたことも合わせて、どうにも距離を掴み辛い。



「……あんた一人、楽しそうねえ。
 私は毎日の訓練でへとへとだってのに」



突然、澪が囁いたかと思うと、脇腹にがずんと拳が入る。
とっさのことで息が詰まって声にもならない。
真っ白になった思考に戸惑ったのだろう、ほたる姉と奈津子姉がどうしたのかとのぞき込んできた。



「な・ん・でも……ないです、から、大丈夫」



背中をさすってくれるほたる姉の手が温かい。
フン、と不機嫌の塊となった澪が息を漏らす。
ほたるさん、これの何処がどうしたら甘い関係に見えるんですか。





☆☆☆





痛みに耐えることしばし、ようやく息をつけるくらいには回復してから
澪に目を向ければ、こっちが向くのと合わせるようにそっぽ向いた。
あっち向いてほいをしてるんじゃないんだぞ、まったく。



「後は、もう一組来る予定なんですが」

「ザ・ハウンドは遅れているのかネ」



局長と朧さんが、初めて聞くチーム名を口にした。
ハウンド……猟犬と言う意味だろうか?
と、そこへ探るような声が響く。



「あの、すいません。遅れました」



現れたのは、僕よりも三つか四つほど年下だろう少年少女のペア一組。もしかすると澪と同年代か?
髪を上げた理知的な黒髪の少年と、ロングヘアでやや縮れ毛なツリ目の少女が
半開きにしたドアから、顔だけ出してのぞき込んでいる。



「ねえ、明。おなか空いたー」

「……お前のせいで遅れたんだろが、初音。もうちょっと我慢できんのか」

「すいたすいたすいたー。おなか空いたー」

「だー、うっとおしい!
 会議終わったら作ってやるから、大人しくしとけ」

「きゅ〜ん」



少女が涙目で指をくわえてそれきり黙る。
少年は改めてこちらを振り返ると、居合わせた全員が注目しているのに気づき、顔を赤く染める。
ひとしきり戸惑った後咳払いをし、声変わりをしたばかりらしいやや低いかすれた声で挨拶をした。



「……重ねてすんません。
 ザ・ハウンドの宿木明と犬神初音です。
 よろしくお願いします、皆さん」

「遅かったね、宿木君、犬神君。さ、席につきたまえ」



局長が手振りで指し示し、二人はそそくさダブルフェイスの左隣に座り込む。
こうして局長達を取り囲むようにして、三組のエスパーチームが揃った。



「君らが、ザ・ハウンド?」

「はい、よろしくお願いします。宿木明です」



お互い着座のままで頭を下げ、挨拶を交わす。
宿木君と言ったか、この年で随分としっかりしているようだ。



「で、こっちが犬神初音……ってあれ?」

「ん?」



先ほど着席したと思った、犬神さんがいない。
どこへ行くはずも無いと部屋を見渡せば、彼女はすぐ隣、澪の足下にしゃがんでいた。



「……美味しそう」

「な、なによアンタ。
 そんな見つめたって、お菓子あげないわよ」



犬神さんはくわえた指はそのままに、熱い視線をポッキーに、いや背後の山に送っている。
澪は戸惑いつつも手で覆うようにして、渡さないという抗戦の意志を示していた。
にらみ合う二人。どこかあさっての方向な緊張が走る。



「アホかー!!!」



すぐさま、宿木君の鉄拳が飛んだ。
はたかれた頭を抑えて、犬神さんは抗議の視線。



「いったー、なにすんのよ明?!」

「いつもいつもいつもいつも!
 口酸っぱくして言ってるだろーが、初音?!
 他人様の食べ物に手を出すんじゃない!」

「だって、お腹空いたし、それにあんなにあるんだよ?
 一個くらいいいじゃない、ギブミーチョコレート!」

「黙れ戦後生まれ!!!
 だから、それはその娘のモノだっての!
 大体お前が食い過ぎたから、今月の食費もう危ないんだぞ?!
 特務エスパーになった意味が欠片もねぇ!」

「明のけちんぼ!」

「その胃下垂直してから言えっ!!
 大体だなっ……」



そこまで言いかけて、宿木君は黙り込む。
犬神さんを怒鳴りつけていた姿勢から、固そうな首をなんとかこちらに動かす。
注目の的になっている己に気付いたのだろう。その目ははっきりと焦点を失って泳いでいた。



「……っぷ」

「くすくすくす」

「仲良いのねー」

「君も苦労するね」

「君も、ってのはどーゆー意味かしらバカ眼鏡」



ミーティングルームは、期せず笑いに包まれた。険悪な目つきの某エスパー除いて。
ザ・ハウンドというチーム名には、およそ不釣り合いな二人のやり取りが、余計僕たちを可笑しくさせた。
これのどこが猟犬なんだか。ぽってり太った柴犬の方が似合ってるんじゃないだろうか。
犬という点だけ見れば、納得はいく。解り易いほどの飼い主とペットの関係だった。
皆がひとしきり笑い終えると、澪がぽそっと呟いた。



「……あげないわよ、私のなんだから」



さすがというか、なんと言おうか。
お前もお前で食い意地が張ってるのな、ミスハムスター。





☆☆☆





騒がしさも引いていって、再びミーティングルームが静寂を取り戻したとき
局長が僕らを見渡し、重々しく口を開いた。



「……うむ。
 では、合同訓練の詳細についてなのだがネ」

「はい」



先程までの穏やかさは去り、部屋に緊張が訪れる。
咳払いを一つ、局長は真剣な眼差しでゆっくりと宣言した。



「ここに集まった君たちに「……殺し合いをして貰います」」

「「「は……はぁぁぁぁぁっ!!?」」」



思わず頷きかけて、その内容の厳しさに声を上げた。
当然、驚いたのは僕ばかりではなく耳を澄ませていたエスパー全員が目を見開いていた。
そして局長もその一人。待て、何故局長まで驚いてる?



「い、いや違うヨ!?
 私はサバイバル訓練をだネ!!?」



わたわたと局長は言葉を重ねているが、聞くまでも無い。
突然だったので脳が呆けていたが、さっきの後半部はどう聞いた所で局長のものではなかった。
ついつい口にしてしまったんだろうが、主任として言わせて貰おう。空気読めと。
こめかみを指で抑えて頭痛を堪えながら、隣に座ったバカタレに僕は一応聞いてみた。



「……澪、怒らないから言え。
 昨日、テレビで何見た?」

「…………バトル□ワイヤル」

「「見んな」」



しかも伏字になってねぇ。
僕の声に重なったのは宿木君のもの。
顔を上げると視線が合って、何となく頷きあう。
彼とは年齢を越えた友人になれそうだ。
不貞腐れたように、ポッキーを10本も咥える澪。いや子供かお前は。
そうすると頬っぺたが膨らみ、ますますハムスター化が進んでいる。
何処かしら、白けた空気が漂った中で再度局長が説明を始めた。



「こほん。あー、改めて伝えるが。
 君たちにして貰うのは奪い合いダ。
 互いにつけた風船が標的、正確には割り合いだネ」



先程の緊張感は何処へやら。
ふんふん、と僕らは頷きつつ局長の話を聞く。
緊張が解れたという点で結果オーライなのかもしれないが
ポッキー喉に詰まらせて、水を求めてる澪を褒める気には到底成れない。



「ザ・ハウンドが一チーム、皆本君と澪君が一チーム。
 ダブルフェイスはオペレーターとして、両チームの補助にあたってくれ」



その説明を聞いて、ザ・ハウンドの目付きが変わった。
人好きのする少年の目が、標的を狙う狩人の瞳に。
飼いならされた犬の目が、鋭く研ぎ澄まされた狼の眼に。
彼らの視線が刺すのは僕と、そして澪。
其処に敵意は無く、ただ獲物を観る獣の如く。
それでも丁寧に、宿木君は頭を下げてくる。



「よろしくお願いします」



なるほど。ザ・ハウンドとはよく言ったものだった。
サバイバルと言っていた局長の台詞を思うと、決して甘く見ていい相手ではない。
それでも相手にとって不足はなかった。訓練の成果を見せる機会だ。
じっとこちらに視線を固定した宿木君に向けて、僕は不敵な笑みを浮かべた。
思いのほか気分が昂揚しているのは、僕にとっては久方ぶりの実戦だからだろうか。



「…………み、水」



そして不敵な笑みを貼り付けたまま、澪に水の入ったコップを渡してやった。
宿木君の目が長年の友人を見るよーなものに変わったが、気にしない気にしない。
きゃーきゃーと、さっきから煩いほたるさんの声だって気にしない。気にしてたまるかど畜生。





さてさて月刊でお送りする「ベターハーフ」ですが、今回はいかがでしたでしょうか?
動き始めた二人の関係、そして周囲の人々も少しずつ登場し始めました。
この先どうなっていくのか、ご期待下さいませー。わっふー。

※10年6月改訂実施




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