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ベターハーフ! 第五話後編





「ストップ?! ストップよメアリー! 同盟国と問題起こすのはよくないネ!」



宿を廃材置き場にしかねない二人の喧嘩をどうにかしようと、大慌てでケンがメアリーを諫めた。
こちらも、急ぎリミッターのボタンを押す。
なだめては見るものの、澪もメアリーも不満なのか挑発的に言葉を続けた。



「ふん。こんなベイビー、私の敵じゃないですネー」



彼女は澪の、より正確に言うと、胸元に視線を固定している。
誇らしげに胸を反らすメアリーに激憤した澪は、余計に暴れて困らせる。



「ちょっと乳が大きいからって調子に乗らないでよっ?!」

「澪もはしたないから止めな」

「だって、この牛オンナがあたしをバカにすんのよっ?!」



余程コケにされたのが気に障ったのか、半泣きの澪は矛を収める様子も無い。
脱衣所で顔を合わせてこの結果になったらしいが、そろそろ事を片付けないと騒ぎが大きくなるばかりだ。



「もう止めるんだ。
 メアリーさんも、いい加減にしてください。
 これ以上挑発するようなら、抗議だけでは済まさないですよ?」

「全く勝ち気なのもいいですが、コーイチの言うとおり。
 みんなトモダチねー」



僕らの注意に、メアリーがふて腐れて呟いた言葉は全く意外なものだった。



「合同任務に就く前に、実力を試すのがそんなに悪い事ですカー?
 こっちは命がかかってマース。ガキと組むのはぞっとしないね」

「「合同……任務?」」



僕も澪も、思わず毒気を抜かれポカンとしてしまった。
互いに京都の事件は解決したじゃないか、そう言いたげな顔をつきあわせる。
見れば、ケンがバツ悪そうに頬を指でかいていた。



「一体何の?」



そこまで考え、はたと気づく。
どうやらそろそろ場所を移した方が良さそうだ……宿の人の視線が痛い。
どうすんだ、このびしょ濡れでぼろぼろの休憩所。
澪と同学年の女の子はほとんどお風呂に入ってて、澪が高超度エスパーだってばれなかったのだけが救いだけども。





☆☆☆





「申し遅れてすみませン。状況確認に時間がかかりましてネ」



一転、軍人らしい真摯さと厳つさで説明をするケンについて宿のフロントに場所を移し、話し合いの場を持った。
ホテルならどこでもある、一階ホールのソファーでだ。
こんなところでと思ったが
見通しよい広い場所でやった方がかえって秘密の保持は出来るらしい。
宿の人の視線は相変わらず痛いけど。
喧嘩の後処理はバベル京都支部に任せたし
これで会議に集中できると良いのだけども、澪の発する雰囲気は変わらず厳しいままだ。



「……コメリカがなんだってのよ。イわしてやったらいいのよ。顎掴んでこう、ガタガタと」

『物騒な事を言わないでくれよ』



こっそり澪が呟く愚痴に、僕はテレパシーで感じ取れるよう念じて返した。
さっきから僕の胃は痛みっぱなしで
あまり過激な事は言わないで欲しい。



「……何よ、さっきは抗議だけじゃすまさないなんて言ってたくせに。腰抜け」

『……ホント、君まで覗かないでくれ。覗くのはほたるさんと奈津子さんだけで十分』



ダブルフェイスの二人は今頃、東京の女子寮でくしゃみでもしているだろう。
奈津子さんはクレヤポンスで僕らを見ているかも知れないけども、その場合はやっぱり大笑いだろうか。
ため息と一緒に見上げた京都の夜は、東京とは違って色が深かった。



「皆本と澪さんには申し訳ないのですが、一度このファイルを見てくださイ」



ケンが差し出したファイルにはトップシークレットの文字が躍る。
何事かと緊張する手で、静かにゆっくり書面を取り出す。
添付されていた写真に写った老人に、僕は驚く。



「……この人は」

「ん、大佐をご存じでしたか?」



写真に映っていたのは、今朝空港で出会った印象深い人物。
改めて写真を見直すが
全身にみなぎる力と
顔に走る傷跡は過去の戦いを
刻まれた皺の深さは決断力を
落ち着いた目線は意志の強さを表すように感じた。



「さかのぼって二十九時間時間前から。
 そう認識されたのはつい先ほどですが……我々のリーダーが無許可離隊……つまり、脱走しました。
 しかも悪いことにある女性を誘拐して、です。
 コメリカとしてはどうしても探して連れ戻さねばならないのですが、超能力で抵抗される恐れがありまス」



なぜ脱走、しかもあの人が誘拐?
あの老紳士が、とてもそんな事をする人間だとは思えなかった。
髪が全て白くなるほどに長い間軍を勤め上げた、国を守ってきた人が、何を理由にそんな凶行に走るのか。
僕にはとても、思い浮かばない。



「グリシャム大佐はエスパーキラーと呼ばれ、その軍歴の中で数々の武勲を立てています……」



声を抑えたケンの説明が続く。
いつの間にか、澪が僕の腕を掴んでいた。
ケンやメアリーの緊張した面持ちと、大佐の持つ厳しさに気圧されての事だろう。
局長に確認を取らねばならないにせよ、この人を捕獲するなど僕らに可能なんだろうか。
エスパーキラーと言われる程の能力者、しかも経験豊富な軍人。
クライドとは比較にならないことだけははっきりわかり
いつしか僕らは身を固くし、息を飲み込んでしまっていた。



「でもケン、それなら今朝の段階で脱走は判明していたんですか?」



僕がこの人と鉢合わせた時には脱走といった後ろ暗い印象はなかったし
新幹線の車内で説明を受けたときは、いずれ引き合わすなどと言っていた筈だ。



「いえ。先ほども言いましたが、脱走と認識されたのはつい先ほどデス。
 大佐は上級佐官ですから独自行動を取ることも可能で
 ただ、定時連絡が無くこちらからも連絡が取れず、また単独行動の目的を説明せずに基地を出ていました。
 女性を病院から連れ出す姿も目撃され
 それで脱走と判断されたのデス」

「……」



対ESP戦に長けた相手との戦いなど、澪に勤まるだろうか。
それ以前に、もしも銃器などを組み合わせ向かってこられればこちらに勝ち目は無い。
軍所属のエスパーは、そういう乱戦だってこなせるよう訓練を積んでいる。



「クラウドを逮捕したお手並みを拝見して、助力をお願いしようと決めたのです。
 順を追ってお話しするつもりであったのですが、メアリーの暴走で迷惑をかけてしまいましタ」



以前メアリーは憮然としているが、ケンが申し訳ないと視線を送る。



「我々は日本国内では勝手な作戦行動は取れませン。
 大佐は誘拐という犯罪も犯していますし
 許可はバベルに取るにせよ、厳しい任務になろうかと思います。
 ……協力していただけますか?」



リバティーベルズの二人も任務の危険性を認識しており
澪もまた珍しく、僕の腕を掴んだまま不安を隠そうともしない。
これは純粋にコメリカ軍の内部問題でバベルが首を突っ込む問題でもないかと思えたが
日本女性が誘拐された事実はバベルの出動に十分な理由で
局長の答えは聞くまでもなく予測できた。
僕は僕自身のためか、それとも澪のためか。
居合わせた三人に向けて、告げた。



「この人が何を思って脱走、誘拐という犯罪を犯したのか僕には想像もつきませんが
 この任務に最高のエスパーが必要なら、僕は迷わず澪と組みます」



澪の視線を感じ、でも僕は前を見据えたまま答え
やがて、袖口から澪の手が離れた。



「あたしの助けが必要だってんなら。やったげる」

「そうか」



澪の言葉に安堵し、澪に賭けた判断が間違っていないと
澪の妙な勝負度胸、いざという時の決断力、そして実行力。
性格に難はあるにしても、澪には様々な長所があって
その長所を発揮してくれれば今回も上手くやれるのではないかと思えた。
この所の任務の成功続きが、澪に自信をつけさせてもいるだろうし
だからこそメアリーにも澪の良さを理解して欲しくもあったのだが
彼女から出てきた言葉は致命的なモノだった。



「ふ〜、日本人ロリコン多いの本当ですネ〜?」

「あたしは十五才だってーの!!」

「そんな洗濯板は十五才とは言いませんネ〜」

「うっさい黙れこの牛オンナもうしゃべんなうわーんっ!!」



まだ未来があるさ、と口をついて出かけたがそこはさすがに押し込んで黙った。
締めようとしてもいつまでも締まらないな、今日。





☆☆☆





「半世紀ほど前、世界が戦いに明け暮れる中―――ここには村があった。このダムには、過去が沈んでいるのだ」



眼下には薄もやが広がり、朝日はその鮮やかさでもやの白さを際だたせる。
色づき始めた山間にあるダムの湖畔に、補足したグリシャム大佐は佇んでいた。
警戒しながら澪とメアリーは近づいていき
大佐の側には病院から連れ出された車いすの老婆もいた。
誰に聞かせるでもなく呟いたその言葉に、澪は何を思ったか問い返す。



「ここで昔……なにかあったんですか? それが脱走と誘拐の理由ですか」

「君は……日本のエスパーだね」



軍服ではなく黒いハーフコートとスーツに身を包んだ大佐は、静かに澪を振り返る。
穏やかで、しかし厳然とした態度に妥協の余地は無いようにも見えた。



「……時間が過ぎ去って行くのではない。われわれが過ぎ去っていくのだ。わかるかね、小さなレディ」



グリシャム大佐は隣に立った少女を、澪を見つめた。



「……いいえ」

「そうです、大佐! 私たちには、大佐のなさりたいことがいったい何なのか見えません!」



メアリーの言葉も聞こえなかった様に
大佐は黙り込んでしまい、老婆も一言も発しない。
澪もまた習うようにダム湖を見つめた。
山裾を風が吹き、僕らの間を通り抜けていく。



「我々を放っておいてもらうわけにはいかないか」

「……そういう訳にもまいりません。
 日本国民を誘拐した以上はご一緒していただき
 事情をお伺いした後、コメリカ政府に引き渡します」



澪達の後を追い、僕も大佐と相対する。
大佐が纏う雰囲気は厳しさそのものであるかのように張り詰めていて、だけども気負いは全く無いく
その一挙手一投足には余裕があった。



『そうだ、そのまま当人の説得を試みなさい』

『慎重にお願いします』



東京から駆けつけた局長達からの通信を、ヘッドセットに受ける。
日本国内ではコメリカの部隊は自由に動けない為
バベル実働部隊が出張ってきたが
ケンの透視によると大佐は小型のECCMも所持しているらしく、うかつにこちらのECMも使えない状態にある。
通常戦力で身柄を確保できないとなると、僕らとリバティーベルズの連携に頼るしか無かった。



「従えないと言ったら? その娘が私を連行するのかね」



大佐は僕らを見据え、囁いた。
いや違う、これは――――――――警告だ。



「そのおチビではなく、私が連れ戻しマス、大佐!」

「おチビ言うなっ!! このビッチ女!!」

「ビッ?! あなたが思うより、その言葉重いデスよっ?!」

「平原バストってのも、アンタが考えるよりずっと重いのよっ!!」



……連携が必要なんだけども。
張り詰めた静かな緊張を打ち破る二人の喧嘩にはグリシャム大佐は感知せず、つと目を伏せた。
落ち着いて、だが素早く左手をあげると、大佐が叫んだ。



「知っているかね?! 連携の取れていない高超度エスパーの集団は、私には格好の餌食なのだよ!」

「!! まずいっ!!」



退避を命令しようとした瞬間
感じる間もなく、僕らはダムの壁面に閉じこめられた。
何十メートルか下には、ダム湖が見える。
間違いない、これは物質の転移と空間の変形。
昔の僕も得意としていた、封じ込めの技だ。
いや、待てよ。
この技は、確か
そうだ、確かに、誰かに教わった……技だ。



「私は近くにいるエスパーの能力を自分の物に出来るのだ。
 ……エスパーキラーと呼ばれるゆえんだよ」

「アタシの超能力―――?!」



大佐が澪のサイコキネシスを乗っ取ったのだろう
羽が生えたように空中に浮かぶ。
エスパーが自分の能力で封じられるってのは結構ショックなものだ。
格闘技とか、スポーツなんかでも、それはきっと一緒だろう。



『こら、あんなの聞いてないヨ?!』

『おう、言い忘れマシタネー』

『うそつけ、情報出し渋ったろ?!』



ヘッドセットから局長とケンの声が響く。
追跡や捕獲には知る限りの情報を知っていることが前提になるのだから
ケンは責められても仕方ないが、どうしてケンは何も言わなかった?
任務の危険性を鑑みても
日本国内にいるという理由を考えても、情報を開示しない理由がない。



「大佐! 国への忠誠と義務、なによりご自身の誇りを捨ててまで一体何を?!」

「……悪く思うな、メアリー」



メアリーの叫びに、僕は思考を中断し引き戻される。
大佐はメアリー達にESP錠をかけつつ、側で一人、呟いた。



「思えば私はずいぶんと遠くに来た。いずれ報われると信じてね。
 だがどうだ。自身の人生を私はどれだけコントロール出来たと言うのだろうか。
 自分の道を迷い他人の道を歩かされ
 過ぎ去り取り残された自分は、最早取り戻すことも出来ない」

「大佐、いったい何を……」

「怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。
 長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。
 ニーチェの格言だ。知っているかね」



どこかまた考え込んでいるようにも見える大佐は、手錠をかけたまま身動きせず
僕らもまた押し黙ったまま時間だけが過ぎる。
この隙になにか出来ることはないか。
なにか、ないか。
手詰まりの状況下、堂々巡りの思考の中
ふと僕は一つの記憶を湖深くから引き上げた。



『例えコンパスが壊れても、迷った道で出会う人もいる。これからのお守りに、持っていたまえ……』



いつもベッドの棚に置いてある、ひびの入ったコンパス。
エスパーだった頃、コメリカのエスパーから貰ったもの。
あのコンパスをくれたのは
同じような傷が顔に会った人で



「なめてんじゃないわよっ!! とっととつかまれ、このジジイっ!!」



僕の思考を遮るように、澪がいきなり大佐の前に飛び出す。
コンクリート壁をテレキネシスで破砕し
一気呵成に決着を付けようと出力を上げるが―――大佐にまたも能力をコピーされた。



「無駄だ。君の能力は私にも使えるのだよ」

「それがどうしたっての!! エスパーッてのはね、気合いでパワーアップ出来る物なのよっ!!」



吸い取られた力すらも強引に取り戻し、澪は憎々しげに大佐を壁に叩きつける。
余程に先ほどからの事が腹立たしいのか、それとも大佐の事が気にくわないのか
澪は必要以上に攻撃的になっていた。



「ふ……。さすが超度6のサイコキノだ。勇ましいな」

「余裕じゃない。でも女の子への褒め言葉じゃないわよ、それにね」

「それに?」

「関係ないおばあちゃん人質に取って何かしようだなんて、年食ってるくせに汚いのよ!!
 あたし、そういうの大っ嫌いなのよ!!」



澪の力が目視出来る錯覚すら覚える。
体から溢れたパワーは大気を振動させ、物理的な圧力とさえなって大佐に迫る。
メアリーを拘束したESP錠が余波で破壊され、彼女もすぐさま壁面から飛び出していく。



「ウオーター・プルーフ!!」



メアリーの号令と共に
巨大な蒼の壁が轟音を伴って出現する。
湖面の水位が大きく下がるほどの巨大な生きた津波は荒れ狂い大佐に向かっていくが、それすらも乗っ取られた。



「ふん、超度6のエスパーが二人。力が大きければ大きいほど、私の望みは果たしやすくなるな」

「はん! 欲しければ欲しいだけ、くれてやるわよ!!」

「ガール待ちなさい! 私がなんとかするから、もう少し……」



メアリーが必死に水流のコントロールを取り戻そうとしても、容易には取り戻せず
苦悶するメアリーを余所に壁を背にした大佐は余裕の笑みを浮かべ、益々澪のテンションは上がっていく。



「うっさい! 私は今、怒ってるのよ、ものすごく!!」



朝靄を切り裂く澪の怒気は日が昇り陽射しが強くなっていくにつれ、益々激しいものになる。
冷静にならねば、この老練な軍人の相手は勤まらないだろうが
大佐は明らかに二人をあおっている。
より大きなパワーが欲しいのか、それとも狙いは別にあるのか。
ケンの事といい訝しい点が多く目的も不明だが
とにかくも目の前の状況を打開しなくてはいけず
澪に届けと、力の限り叫んだ。



「澪、冷静になれ!!」

「なによ、あんたまでっ?!
 このジジイが言いたいことも言わずにぐじぐじしてんのが、イラつくのよっ!!」

「全く、若いと言うことは勇ましいことだ」

「少なくともあんたみたいな年の取り方するよりはマシねっ!!」

「ふん、言ってくれる。だが、こんな話を知っているかね?
 昔、この近辺にとあるコメリカ兵が墜落した。
 日本を焼き払う為飛来した爆撃機に乗り
 任務を果たさんとしていたが
 日本側のエスパー兵によって撃墜されたのだ」

「これは念波……?!
 エスパーキラーの名を冠する複合能力はフェイク!
 真の能力は言霊、テレパシーで相手を操るものだったのか?!」



大佐が語るにつれ、僕らの中に確かな何かが現れる。
やがてそれは、一つの明確なイメージを形どる。
これは……悲しみなのか。



「飛行機を抜け出し、森で最早動くことも出来なくなった彼は死を覚悟した。
 そんな時だ、ぼやけ始めた視界にある少女が映った。
 彼は思った、これで本当に終わりだと。
 彼女はすぐに大人を呼んでくるだろう、そうなればなぶり殺しだと。
 しかし、少女が持ってきたのは水と薬だった。
 彼は本当に驚いた……。
 少女は彼をほこらまで案内すると、震える手で血を拭った。
 そしてそれから、彼女は日を置かずやってきては、治療をし食料と水を与えつづけた。
 見も知らぬ敵国の兵隊に、だ」



言葉の端端から、大佐の少女への感謝が伝り体に響く。
だが、だからこそ余計に
その後の悲嘆が余計僕らを苦しませた。



「程なくして戦争は終わり、傷も癒えた。
 帰国する際、彼は少女に約束をした。
 もうあの様な戦争には力を貸さない、とね。
 だが、コメリカはそれを許さなかった。
 なぜなら、彼が超能力に目覚めたからだ。
 エスパー自体が数少なかった時代、軍を離れることも許されなかった。
 そしてそれから、彼の苦悩は始まった。
 極東で、北の果てで、南アジアで、アフリカで、彼はひたすら耐えた。
 いつか約束を果たそうと、苦悩し続けた。
 そしてようやく日本を訪れる事が出来たときに、見たのだ。
 彼が何物にも代え方い恩を受けた村が、ダムの底に沈んでいる様を。
 その光景は彼に酷く動揺を与えた。
 若い頃の思い出や、受けた恩義までもが自分自身の心と一緒に沈んでしまった様にも思えた。
 だが、それでもなお彼は前に進もうとした。しかし、国は彼に対してまた命令を下した。
 今度は中東で、その忠誠を証明してこいと言うのだ」

「大佐……」

「果たして彼は思った。なぜこの様な事になったのか、と。
 約束を果たすことも出来ず、戦火に身をゆだね、気づけばもう老いぼれだ。
 だからこそ、考えた。
 過ぎ去り取り残された自分を最早取り戻すことも出来ないのなら
 過去より続き未来は今によって方向付けられるのなら 
 もう終わりにしてしまえば良いとね。
 永遠に届かないゴールを目指して走るのには、もう疲れたのだ」



テレパシーに当てられて、皆が皆、涙を流す。
これが決して自分の感情ではないと分かってはいても、止めどない哀しみが心を締め付ける。
そんな時、澪が押し殺した声で問いかけた。



「アンタ、もしかして」

「……そうだ。もう私は、迷うまい」



大佐は車いすに座った老婆に向けていっそ穏やかな言葉を投げる。
お婆さんの返事はなかった。
ここに連れ出された時点で、覚悟を決めていたというのか。
あるいは、何か別の理由が?
浮かびかけた予測は、澪の怒声によって掻き消される。



「甘ったれてんじゃないわよっ!
 なによ、死ぬなら一人で死ねばいいじゃないっ!!」

「大佐のお気持ちは良く分かります。
 でも、その方を巻きこむのは筋が違いまス!
 よりにもよって、命の恩人を殺すなど!!」



澪とメアリーは涙をものともせず、天を付く勢いで力を増し
湖面が震え、渦を巻き、なお盛り上がっていく。
現れた巨大な水の壁は二人の怒りを代弁するように、ダム全てを巻き込む勢いで益々大きくなっていく。
しかし
僕に出来るのは、澪を見守るのみ。
復帰してから幾度も感じた限界。
今ほどノーマルであることを身につまされた事は無い。
自分の無力に嫌気がさす。
我が身を掻き毟りたくなるような自己嫌悪に駆られる。
けれど、今の僕はただのノーマルではなく、澪の指揮官なのだから。
自分自身を叱咤する。
何も出来ないならば考えろ。
自分達を包む状況を把握しろ!



『Aチーム、ECCMを最高出力で展開。大佐への発砲も許可する、彼を止め……な、何をするケン中尉?!』

『holdup! 手出し無用デス。大人しくしていて貰いまショウ』



局長とケンの間に何があったのか、それきりヘッドカムからの通信は途絶えた。
何が起こったんだ? ケンが裏切った? こんな状況で何故!?
混乱しながらも、脳の冷静な部分は最適な解を導こうとフル回転する。
挑発を続ける大佐、怯える様子の無いお婆さん、手出し無用というケンの台詞。
液体操作能力に長けたメアリー、超度6のサイコキノである澪、ダムの底に沈んだ過去!
朧に浮かぶ、コンパスにまつわる昔の記憶。
そして、僕は一つの推測を得た。
馬鹿馬鹿しささえも感じそうな単純な結論。
もしもこの推測が当たっているなら、大佐は究極的なロマンチストか徹底的なリアリストかのどちらかだ。
しかし、そんな僕の思考とはまるで無関係に話は進んで行く。



「君たちには関わりない事だ。それとも私を止めるとでも?」

「あんた一人が、辛いなんて思ってんじゃないわよっ!」



そう叫んだ澪は一瞬だけ、こちらに視線を向けた。
そして再び、グリシャム大佐へと向き直り、噛み締めるように言葉を紡ぐ。



「……そんな話なら、アタシだって知ってるわ。
 アンタと反対、元エスパーで今ノーマルやってるヤツ。
 そいつはバカでアホで間抜けでスケベでデリカシー無くて融通効かなくて頭固くてメガネだけど、だけどねっ」



更に一息置いて、澪は言った。



「だけど、少なくともそいつはいじけて誰かを殺そうだなんてしてない!
 自分がやりたいこと、やろうって思うことを、苦しくたってやってるわよ!!
 逃げないで!
 どうにかしようって、もがいてるわよ!!
 年端もいかないソイツだって頑張ってるのに
 何十年も逃げないで向かい合ってきたアンタが
 今更なんのために、そんな事すんのよ!!」



グリシャム大佐の論理を断ち切るように、澪は言い切った。
ずっと黙っていたメアリーは、続けるようにして口を開く。



「大佐、昔あなたに教えていただきましタ。
 先が見えず苦しくとも
 何をすべきか分からなくなっても
 自分の心にともした希望は絶やすな、と。
 だから、私はあなたに恩を返すために!」



瞬間、澪とメアリーの声が重なる。



「「止めて見せる!!」」



響きあった声が湖に命を与え、空高く竜が登った。
双頭の竜はうなりを上げ、一直線に大佐に向かってゆく。
雄叫びはしぶきとなって、辺り一面に降り注ぐ。



「「いっけぇぇぇぇぇぇぇ!!」」



竜の腕が大佐を掴み、まさにその口で捕食しようとした時、僕は駄目元とばかりに叫んだ。



「止めろ、澪ぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」



多くを期待したわけではない。
言葉が届けば、と思ったことは事実だが確信があったかと言えば嘘になる。
だから、次の瞬間は誰にとっても予想外の光景だったのだろう。
ダムよりも更に高い水の壁が、凍ったように静止したことは。
その状況に対して、真っ先に異議を唱えたのはメアリーだった。



「ちょっと、何やってるデスカー!?
 いきなりコッチの邪魔するなんてありえないデース!」

「うっさいわね! 私だって止めたくて止めたんじゃないわよ!!!」




そう言い捨てて、ぎろりとこちらに視線を飛ばしてくる澪。うっわ、怖。
その目から逃れるようにして、僕はグリシャム大佐達の方へと顔を動かした。
そして僕は言葉を失った。つられて僕と同じところを見た澪達も同様だろう。
震えるようにして、いや実際に小さく震えながらお婆さんが涙を流している。
その震えは、きっと恐怖のせいでも。
大佐の言霊のせいでも、ない。


「グリシャムさん。もう、これで十分です。
 本当に、なんて懐かしいこと……」



涙を浮かべた瞳のまま、口にするのは感謝。
その様子を見て、僕は自分の推測が当たっていることを理解した。
僕らの眼下に広がるのは、昔ダムの底に沈んだ廃村。
間違いない。
この場所は、大佐と老婆が出会った場所。
戦争のさなか、確かに人と人が絆を結んだ思い出の地がそこにあった。



「ありがとうございます、グリシャムさん。
 お嬢ちゃん達も、本当にありがとう……そして、ごめんなさいね……」

「え、えええ?」

「――――――――――あ」



思わぬ方向から感謝を受けて、気を抜いたのがいけなかったのだろう。
予想していたのか、グリシャム大佐はお婆さんを連れてテレポートで逃げたが
澪とメアリーはコントロールを失った水の中へ、ざっぱんと沈んだのだった。





☆☆☆





「狂言んんんんん!?」



メデューサもかくやな視線となった澪が、グリシャム大佐を睨み付ける。
髪も服も濡れたままで、髪はあふれたサイコキネシスでわなないて
威圧感は二割増だ。見てるだけでも怖い。
それでも意に介さない様子は、流石の貫禄と言おうか。単に面の皮が厚いだけなのか。
なお、決して良好とはいえない体調を慮り、一足先にお婆さんは病院へと返している。



「その通りだ」



あっさりと肯定する大佐の態度に、澪の怒りはヒートアップ。
お願いですから挑発しないで下さい、と僕は心中で頼んでみる。
大佐自身にそんな意図は無いのかもしれないが
結果として澪の機嫌が傾けば周囲に物理的被害が及ぶ、主に僕。



「何故言ってくれなかったデスカー?!」

「そーよ。それならそうと言ってくれれば協力くらい!」



燻った怒りを、不満そうにはき出す澪とメアリー。
信用されていないかのような扱いが心外だったのだろう。
口を尖らせる彼女達に対して、グリシャム大佐は悪びれずに答えた。



「こんな話を知っているかね?
 エスパーの力とは、感情の起伏に大きく左右されるのだよ。
 『私に力を貸す』というよりも『私を倒す』という気持ちの方が
 より大きな力が期待できると考えたものでね。
 だが、騙してしまったこと自体はすまなかったと思っている」



その言葉の途中ではキリキリと瞳を釣り上げていたものの
最後に謝罪と共に頭を下げられて、澪達は毒気を抜かれたようだ。
その辺りが老獪なのか天然なのか。
グリシャム大佐という人が僕はよく解らなくなってしまったが
だがその様子に、僕ははっきりと思い出す。



「そうだ、あの時もそうだったよな」



怒りが全て消えた訳ではないんだろうけど、今更ブチブチ言っても締まらないと思ったのか
煮え切らないような、拗ねたような、そんな表情で澪は黙り込んでいる。
メアリーも似たような感じなのを見る限り、この二人は根が似たモノ同士なんだろう。
後のフォローの事を考えると少しだけ気が重くなる。お菓子でもまとめ買いしとこうか?
僕と同じ境遇であろうケンを見てみると、彼も同じ気持ちだったんだろう。
丁度視線が合い、僕達はお互いに苦笑し合った。



「ザ・チャイルド」



突然に後ろから声をかけられて、少しの驚きに身を固くする。
振り返ってみると、その声の主はグリシャム大佐だった。



「君にも迷惑をかけた。
 それに、激昂していた彼女等が止まったのは君のおかげだ。
 おかげで、皆を無駄な危険に曝さずに済んだ。
 謝罪と共に感謝を述べておきたい」

「あ、いえ、アレは無我夢中だっただけですから」



結果的には成功だったとはいえ、褒められるような事ではない。
しかしこうしてじっと見詰められると、蛇の前の蛙にでもになった気分がしてくる。
超度7のテレパスであるグリシャム大佐。ノーマルからエスパーになった人物。
外見では全く似ているところなど無い筈なのに、鏡を見ているような錯覚を覚える。
大佐の瞳には、僕自身さえも解っていない僕の心が見えているんだろうか。
きっと昔と同じように。
もしそうならば、僕はこう言わなければならないのだろう――――――



「たとえ何をしていようとも、それをしている自分を愛せ。
 でしたかね、大佐?」

「……覚えていたのかね」

「いえ、先ほどまでは。
 貴方を思い出したのは
 覚えられていたのは……これのおかげです」



わずかに驚いた大佐に、ポケットからコンパスを取り出し見せる。
懐かしそうにコンパスを手に取った大佐は、僕に笑いかける。



「……とても小さかった君がこんなに大きくなったとはね。
 空港でぶつかった時には本当に驚いた。
 何かの縁とは言え、成長した君に会えて、私も嬉しかったよ」

「いえ。大きくなったのは体ばかりです」

「……ご両親とは、和解出来たのかね」

「それは……」



大佐の問いかけに僕は何も言わなかった。最後まで言えなかった。
けれど、大佐はそれでも何かを肯定するかのように首を縦に振る。
意味の無い筈のそのやり取りで、何故だか僕は少しばかりの安心感を得た。
それはノーマルである自分を、今の自分を受け入れる気持ち。
そして、自分を取り巻く全てを受け止めるという気持ちだ。



「見ての通り、あんまりアイツと上手く行ってはいないんですけれど」



苦笑いに、大佐は目を細め言った。



「君たちは、あれでいいのだろう。
 上手くやれているさ」



本当に成長した。
強い意志のこもった痛いほどの握手に僕は破顔し、久しぶりの再会を喜び合った。
やがて大佐は、僕の傍を離れていく。
その背中に、やはり迷いは無かった。
だけど無許可離隊に狂言だけでも大佐の処分は免れないだろう。
幇助したケンもまた同様に、だ。
罪の軽減のためにBABEL側から何か工作でも出来ないものか。
手段はともかく、大佐の行動は憎みきれない。
コメリカとしても優秀なエスパーを失う可能性は排除したい筈だ。
……うぅん。考えても埒が開かないし、後で局長に相談してみるとするか。



「う〜〜〜〜〜、早くお風呂入りたい」

「あ、澪」



ぼやきながら僕の横を過去ろうとする澪を呼び止める。
何よ邪魔するのあのジジイと知り合いだったのねよし殺す、と目で語る澪は正直怖いものがあったが
それでも僕はしっかり目を反らさず言った。



「君が居なきゃ、僕は何もできなかったよ。
 それから、こんなことを言うのは変かもしれないけど
 ……ありがとう。よく止めてくれた」



そう言って頭を下げた。
エスパーが指揮官の命令を聞くのは当たり前なのかもしれないが
僕自身、とても嬉しかった。
任務に私情を込めるのは良くないが
たった今、グリシャム大佐との会話に感化されていたせいもあるのだろう。
そして礼を言われた澪はといえば、一瞬呆けたかと思えば顔を瞬間的に赤くして



「つ、つい、よ! つ・い!!!
 反射的に体が動いちゃっただけなんだからね!
 いつもいつも命令を聞くだなんて思うんじゃないわよ!」



いや反射的にって…………それ既に身に染みてるってことじゃないんだろうか。
あと僕はお前の指揮官ってこと忘れてないか?
命令無視の宣言をしてどうする。
けれど、そんな澪の発言に腹が立つことは無く、むしろおかしく感じていた。
君達はそれでいい。
先程聞いたグリシャム大佐の言葉が頭の中で繰り返される。



「ちょっと、何にやにやしてんのよ気持ち悪い。
 はっ!? まさか透けた服とか見てたんじゃないでしょうねいやらしい!」

「って、人聞きの悪い事を言うなっ!
 だいたい全くちっとも透けてないだろが!」



胸を隠すようにして、距離を取る澪。さっきの今でいきなり変態扱いかオイ。
弁解らしき台詞を言った後で微妙な発言内容に気付いたが、訂正しても墓穴掘りそうなので無視。
軽く目を閉じた僕は、発起となった局長との会話を思い起こし
今回の任務で出会った人達を一人一人思い返して結局、苦笑と共に台詞を口にした。
心からの本音に一握りの強がりを込めて。



「僕はただ、局長が言ってたとおりに京都も悪くない、って思っただけさ。
 修学旅行先としちゃ、見るところも沢山在ったしね」

「しうがくりょこう……?」



予想外にも、不思議そうな顔をした澪が鸚鵡返しに呟く。
続いて蒼褪めた表情に成るのを見て、こっちも嫌な予感に囚われた。
おい、まさか…………?



「わ、忘れてたーーーーーーーーっ!!!? あーん、生八つ橋食べてないっ!!」

「って、今からでも食べれるだろそれはっ!」



そして今度は予想通り。
事件の終わりを示す鐘の代わりに、そんな緊迫感の無い悲鳴が京都の空に響いたのだった。
……さーて、澪には適当に八橋食わせとくとして、学校側にはどんな言い訳を考えようかな。





さてさて、ながーくなってしまい、読者の方々には申し訳ございません。
お待たせした分、楽しんでいただければなによりです。
雨降って地固まると申しましょうか、皆本と澪もそろそろ会話が成立するくらいにはなってきたようですが、さてこれからどうなっていくのやら。
月刊のつもりでがんばってはおりますが、ゆるーくお待ちくださいますようお願い申し上げます。
ではっ。

http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gty/read.cgi?no=9866 第一話はこちら

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http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gty/read.cgi?no=10380 第九話後編はこちら

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※2009年1月 改訂実施
※2010年7月 改訂実施

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