陽がすっかりと落ち、今日は残業する社員もいない。
静まりかえった広大な敷地に、生者を感じさせない白く巨大な建造物だけがそびえていた。
「おかしい……空気が澱んでいる」
古井澄が辺りを見渡しながら呟くと、機械を操作した手を止め恭吾が顔を上げた。
「そうですか? いつもと同じような感じですが」
計器に目をやり、数値に変化がない事を確かめた。
失敗がイコール死に繋がる仕事であった。勘とは経験による積み重ねであり、その積み重ねをあまりさせる事ができないGSという商売は、才能の仕事であるともいえる。
たった一人の跡取りということもあり、過酷な経験を積ませなかったのも理由の一つであった。そして決定的なことは、恭吾には才能が無かった。
次期GS協会会長候補唐巣和彦、名門六道家の現当主冥子。オカルトGメン日本支部西条輝彦と美神美智恵、そして美神令子事務所、いずれも人並み外れた(人外やほとんど化物含む)才能を持ち、かなりの修羅場を踏んでいる。 唐巣一門に対し敵意を剥きだすのは、たんに嫌っているからではない。自分が生きている間はいい。だが息子の恭吾が当主になる頃には、六道を除くほとんどの名家の理事は、唐巣一門に取って代わられるであろう。それほどまでに唐巣一門は霊能者としての才能に溢れ、そして対照的に恭吾は皆無といえた。
それゆえの大げさなまでの除霊機械であった。だが未だその領域は試行錯誤の段階であり、現当主の古井澄が感じたものを機械は探知できなかった。
息子の才能の無さに口の端を歪めると、古井澄は携帯電話を取り出しゲートで待機しているグループに連絡を取った。
「私だ。そちらの様子は変わりないか?」
『変わりありません。道路封鎖も終了して中には、関係者以外入っていません』
「そうか。そういえば犬塚とかいったか、あの小娘はどうした?」
『いえ……まだ……』
通話に雑音が入りだした。器材の方に目をやると、異常を示す数値が記録され恭吾は、顔を上げた。
「全てのセンサーが異常を感知しました。まさに異常です、なんの前触れもありません」
努めて冷静に言い放つが、父親は理解していた。不安を感じていると。
「霊波センサーの感度を上げろ。第一波に備え、吸引装置のセーフティを外しておけ」
不安を感じているのは恭吾だけではない。古井澄もそうであった。だがそれは、古井澄が息子のために否定しようとしている勘によるものであった。
「第三資材搬入路に、霊症発生」
「吸引を開始しろ」
言葉に従い、恭吾がスイッチを入れる。
「吸引開始しました」
六道の式神“バサラ”の能力を模したそれは、唸りを上げると浮遊していた霊を吸い込んでいった。
「結界装置を起動しろ」
「え? まだ早いのでは?」
「いいから早くしろ!」
予定では雑魚霊を駆除してから行うはずであった。澱みが大きくなったことを感じると、最近はめっきりと使うことが減った独鈷杵を手にした。
「結界はまだか!?」
電力が霊力に変換され、本社工場を取り巻いていく。淡いブルーの光は敷地を取り囲み、その光に触れた霊はさながら集蛾灯に触れた虫のように音を立て消えていった。
「霊圧を上げろ、50だ」
「ご、50ですか? それは危険です、まだ人体にどのような影響が」
「いいから上げろ!」
ダイヤルを捻ると、数値が赤いラインに達した。霊能力に乏しい恭吾にでさえ、悲鳴や呻き声が聞こえてきた。耳で聞こえているのではない、脳に直接聞こえるような声であった。
「霊波消えました……」
計器では霊波は消えていた。だが声は止むことなく続いていた。
(機械の霊圧で感じることができない。切るか……いや今切ってしまうと、押し込んでいたものが飛び出すぞ)
独鈷杵を持つ手に汗が滲んだ。
「感知器に反応! 異常な数です、数えられません」
霊波感知器に、点というより染みのように反応が出現した。古井澄が感知機を覗き込むと、それはこの場所を取り囲むかのように広がっていた。
「なんだこの数は、ちゃんと見てたのか!?」
「見てたよ! いきなりでてきたんだ!!」
「いきなりだと? そんなバカな」
無線を使い配置に散っていた部下を呼び出そうとするが、霊の呻き声しか聞こえてこなかった。
(電波に入り込んできただと?……いったいどうやって?)
感知器が霊圧によりショートしたのか、火花が散った。
「まさか……」
恭吾を感知器の前から突き飛ばした。
「電気を伝ってきたのか!」
計器のレンズが割れ、蒼白い霊波が飛び散った。
圧倒的とはこういうのをいうのであろう。
各所に分散するかのように現れた霊の集合体は、除霊機械を破壊して、彼らを追い立てると姿を消した。
「と、父さん」
「油断するな! まだいなくなったワケじゃない!」
知能があるかのように、手薄なところから襲い掛かり、武器となるものを破壊した。古井澄の手元にあるのは、予備として準備していた護符と独鈷杵だけであった。
「消えるわけがない、消えるわけがないんだ」
工場の壁を背に、意識を集中させ霊波を探った。プレッシャーなのかそれとも恐怖なのか、体が震えた。
(私がびびってるだと?)
体の震えは確かであった。だがその震えは、別のところからきていた。ゆっくりと振り返ると、建物の壁自体が振動していた。
「罠だ! この場所から逃げるんだ!!」
全速力で走ろうとするが、まるで自分の体ではないように足が重い。すべてがスローモーションのように感じた。
壁が大きく震えると、爆音とともに大きな固まりが打ち出された。大砲の弾のように打ち出されたもの。それはヨーダ製高級車、ラキシスであった。
霊であれば、独古と符でどうにかすることはできても、2トンもの弾丸である。どうすることもできない。
恭吾の足がもつれた。腰が抜け、這いずるようにして助けを求めた。
「恭吾!」
恭吾の下に駆けつけようとするが、上空からラキシスが降ってきた。破壊音が響く。金属が潰れたような音であった。事故特有の臭いが立ち込めた。
「おっさん、邪魔」
低い声だった。
原型を留めていないフロントが持ち上がると、ラキシスが宙に舞った。
「随分と派手なことになってやがる、ポルターガイストどころの騒ぎじゃねぇな」
赤と黒の鎧のようなものを身に纏った、男が立っていた。
「弓家の婿養子か?」
「まだ養子になっちゃいねぇよ!」
飛んできたラキシスに突っ込むように、拳で破壊した。さすがに魔装術を身に纏って人にはツッコミは入れないらしい。
「おっさん、符は何枚ある?」
「吸引符が10枚、破魔札が20枚くらいだ」
「あの倉庫には、車は何台くらいあるんだ?」
「100台は下らないはずだ」
足りるワケがなかった。
「仕方ねぇ、やれるとこまでやるか。俺が突っ込む、打ち漏らしを頼む」
関節を鳴らすと、体勢を低く構えた。
「いけるのか?」
「やるしかねぇだろ」
地面を蹴ると、アスファルトに亀裂が走り雪之丞の姿が消えた。
工場の壁を突き破り、ラキシスが突っ込んできた。ありえない角度で弾き飛ばされ、工場が震えた。
「と、父さん、今のうちに逃げよう」
恭吾が腕を掴んだ。
「いけすかない男だったが、奴のいってたことは正しかったということか……」
半年前、東方に大勢の前で恥をかかされた事を思い出した。怯え震える息子を目の前にして、古井澄は唇を噛んだ。目を見開くと、息子の頬を平手ではった。
「ここで背中見せたら殺されるぞ。お前も古井澄の男だろ、部下を目の前にケツを捲くるようなマネをするんじゃない!」
独鈷杵を恭吾に握らせると、符を両手に持った。
「佐野」
年配の部下を呼んだ。
「恭吾を頼むぞ」
佐野は黙したまま、頷いた。
「なんぢゃこりゃああああああああああ!!!!???」
工場に突入した途端に、雪之丞の叫び声が響いた。声の方に古井澄が駆けつけると、たちの悪いSF映画を観ている感覚に陥ってしまった。
数台のラキシスが固まり、人の形を成している。まるで巨大ロボットのようである。そしてその周りを、二足歩行と二輪歩行のロボットが雑兵のように陣取っていた。
「トランス○ォーマーかよ」
「鉄人の世界だ……」
世代の差を感じる科白をいうと、顔を見合わせた。
工場の壁が震えるほど霊圧が高まった。機械の中に入り込んでいた霊が染みだしてきて表面を覆うと、それは異形の者へと姿を変えた。
「おっさん、なんで来たんだよ」
「ここで逃げては、お前らにデカい顔をされるんでな。名門は大変なんだよ、婿養子のお前もいずれ分かる」
「吹いてろ。形はアレでも中身は自立歩行がやっとの代物だ、2足の奴を頼む。俺はあのデカブツを殺る」
巨人に相対すると、正面からまともに突っ込んでいった。
霊力を纏った赤い弾丸は巨人に穴を開けるが、穴に別のラキシスが入り込むと元の形へと戻ってしまう。
「チッ! 本体を叩かないと無駄ってか? 観の目を使うか……」
武道派である雪之丞は、霊の流れを感知する修行は行っていた。
「心の目だ。心眼で見るんだったな」
目を細め、心を静めるように構えた。
ロケットパンチならぬロケット車に跳ね飛ばされた。
「なにをやってるんだ、貴様ぁーー!! 目を瞑ってどうする!!!」
雑兵の攻撃を避けながら古井澄が叫んだ。
「あたぁ〜〜〜、出来ないことはやるもんじゃねぇな」
修行は行うだけで、できるようにはなっていなかった。頭を振り立ち上がると、再び巨人に向かっていった。
「出来ねぇなら出来ねぇで、方法はあるんだよ!」
頭を蹴り飛ばすと、千切れた首が工場の壁にぶち当たりラキシスの姿へと戻った。
「俺の霊力が尽きるのが先か、本体をぶち壊すのが先か、勝負だ」
肩に乗ったまま、腕に蹴りを入れた。足に感触が伝わってこなかった。手が浮かんでいる。ラキシスの姿に戻ると、そのまま雪之丞にぶつかってきた。壁にぶつかり挟まれるが、フロントをエンジンごと打ち抜いた。
「猿とやったときよりは、楽じゃねぇかコラ!」
三白眼を吊上がらせると、凶悪な笑いをみせた。
建物の外では、佐野が恭吾を引きずっていた。
「父さんが! 父さんがまだあの中に」
「恭吾さん、あなたが行ったところでどうなりますか! なんのために当代が向かわれたのか考えてください」
駄々をこねる子供を引きずるように、工場から離れていく。
退避しようとする古井澄一門をライトが照らした。蒼白いHIDの光、ラキシスの前照灯。ラキシスは工場内だけではなかった。自分たちが乗ってきたラキシスであった。
佐野たち一門が、恭吾の盾になり立ちふさがった。構えてはみたものの、佐野には打つ手はなかった。霊だけならともかく、物理的な力が加わっている。2トンの車から恭吾を守る術はなかった。
エンジンの咆哮が響いた。佐野が身構える。ラキシスが体を揺するように車体を振った。
「エンジン音だと?」
今までラキシスは宙に浮いて飛んできた。エンジンを始動して突っ込んできてはいない。
遠くに一灯のライトが見えた。エンジン音と一灯のライトがみるみるまに近付いてくる。車ではない。オートバイであった。
ラキシスは宙に浮いたままその場で向きを変えると、バイクに向かっていった。
真正面。挟まれると思った瞬間、バイクのライトはあらぬ方向を照らした。路面から火花が散っている。車体を真横に寝かせると、逆ハンを切りドリフト状態で浮いているラキシスの下を抜けた。
赤と銀のバイクが佐野の前で派手なブレーキターンをして向きを変えた。
「遅くなったでござる、犬塚シロ、助太刀いたす」
背負っていたリュックを下ろし、佐野に渡した。リュックの中には、霊体ボーガンと破魔札が入っていた。
アクセルを派手に開けると、クラッチを繋いだ。リアタイヤが空転し白煙を巻き起こすと、フロントを持ち上げながらカタナは加速した。
再びラキシスと正対する。2速、3速に入れ加速させると距離が一気に詰まる。減速をほとんどしないままを、ギアを落としクラッチを一気につなぐとリアタイヤがロック状態になりリアが振られた。それを利用して向きを極端に右に振った。
「あとヨロシク」
そのままラキシスの天井へと飛び移る。振り落とそうとラキシスが暴れた。ルーフをしっかりと右手で掴むと、左手で霊波刀を作り出した。かなり巨大な霊波刀だ。2メートルほどの長さがあった。左手を振るう。ラキシスが前後別かれると、激しく弾けた。
天井を蹴りつけ飛び上がると、着地点にカタナが走りこんだ。飛び移り、右手でアクセルを開けると、次のラキシスへと向かった。
「やはり侵入はエンジンからコンピューターでござるな。切り離したら動けないでござるよ」
「雪之丞さんに知らせますか?」
「もう一台潰してからでござる!」
ステップの上に立ち上がると、霊波刀を左手から右手に変えた。上段に構えると、カタナが加速した。ラキシスはやはり正面から跳ね飛ばそうと、突っ込んでくる。
「左」
人工幽霊に呟くと、上段の構えから霊波刀をアスファルトに突き刺した。ふわりと宙に浮くと、カタナは左へとターンし、ラキシスは真っ直ぐ突っ込んできた。
宙を舞ったまま霊波刀をアスファルトから引き抜き、右から左へと薙ぎはらった。霊力が断たれ、慣性法則のままにラキシスは弾け飛ぶとアスファルトに車体を削りつけた。
とんぼを切りふわりと着地すると、頭を振り、乱れた銀髪を後ろへと靡かせた。
「あ」
着地のタイミングを間違えた人工幽霊が後ろからぶつかった。
「決まったと思ったのに……」
「すいません、シロさん」
頭を下げるように、カタナのフロントサスペンションが何度も沈んだ。
派手な破壊音がすると、赤い物体が降ってきた。シロの目の前で、二度ほどバウンドすると何事もなかったかのように立ち上がった。
「わははははははははははははははははは!!!!!!」
赤い物体はけたたましく笑うと、弾丸のように工場に突っ込んでいった。
「今のは雪之丞さんですね」
「良い子はみちゃいけないものでござるな……夢にでてきそうでござるよ」
呆気に取られてそれを見送ってしまったが、工場の側で蹲っている男をみつけた。恭吾のようであった。溜息をつくと、カタナに跨り工場の側までいった。
「なにをしているでござるか?」
独鈷杵を持ったまま震えている恭吾は、顔を上げた。
「戦うなら戦う、逃げるなら逃げる。中途半端は邪魔なだけでござるよ」
独鈷杵を両手で握りしめ祈るように顔を当てた。
「怖いでござるか?」
「怖いに決まってる! あんた女だろ、怖くないのか!?」
叫ぶように恭吾はいうと、シロはカタナから降りた。
「除霊というのは、生者と死者との魂のぶつかり合いでござる。いくら道具が発展しようと、それだけは変わらないでござるよ。恐怖に飲まれた者が、勝てると思うでござるか?」
銀髪を纏め上げ、煙管を取り出すとそれで止めた。
工場の壁が破壊され、人が降ってきた。古井澄一門と雪之丞である。
「おお、伊達殿ご苦労」
「おせーんだよ、お前は!」
どうやら先ほどは、アドレナリンの出過ぎでシロの姿は見えていなかったようである。
「なにうなじ出してアピールしてんだよ、坊ちゃんに鞍替えして玉の輿にでも乗る気か?」
「先生以外にアピールする気なんてさらさらないでござるよ。まだ未熟ゆえ、こうしていないと頭がブレるでござる」
霞丸を抜刀すると、花が咲いた。緊張感に包まれていた古井澄一門が、斜めに傾いた。
「内側を叩くゆえ、浮遊した霊を頼むでござる」
左手で花を握ると一気に引き抜いた。刀身の無い霞丸を腰から抜刀するかのように構える。
息を大きく吐き、そしてゆっくりと吸った。端整な顔が歪み、唸り声を上げた。
工場の壁が壊れ巨人が姿を見せると、威嚇するかのように口の端をつり上げ犬歯を剥きだしにした。
霞丸に蒼白い刀身が浮かび上がる。自ずから光りを放つ霊波刀とはあきらかに違った。霊力の光ではない。日本刀の、それも妖刀が放つ重さのある蒼白い光りであった。
巨人が右手を振るった。シロの姿が消えた。振るわれた手がラキシスに戻ると、アスファルトを削っていく。
最初からその場所にいたかのように、抜刀し胴をはらう体勢でシロは巨人の後ろにいた。唸り声は消えていた。息を吐き、構えを解くと蒼白い光りは消えた。
背中の鞘に霞丸を納刀すると、髪に挿していた煙管を抜いた。纏めていた銀髪が流れるように落ちていく。頭を軽く振ると、銀髪が風に靡いた。
巨人の動きは止まっていた。表面を覆っていた霊体が姿を消した。浮かんでいたラキシスが、支えを無くしたかのように、音を立てながら重なり落下していった。
本社工場を見下ろすような丘の上に神社が立っていた。
ヨーダ本社工場が建つ以前から建立してあり、この一帯の土地神を祀るものであった。
男がヨーダ本社工場を見つめていた。音は届いていないが、鈍い光はこの丘まで届いていた。
達観したかのような冷めた目で、その光りを見つめていた。
「気は晴れたでござるか」
掛けられた声に驚きもせずに、男は光りから目を離さなかった。
「なんのことですか?」
「恍けなくてもいいでござるよ、真田殿」
男がゆっくりと振り返った。真田工業の社長であった。
「失礼でござるが、調べさせてもらってでござるよ。個人企業、いや町工場としてはN市でもズ抜けた技術を持つ真田工業の業績が悪化し、製品の質が落ちたのは半年前。ちょうどその頃でござるな、真田殿が銀行から融資してもらったのは」
「材料の質が落ちれば、当然製品の質も落ちるさ」
「そうではなかろう? その融資してもらった資金の送金先は、○×商事。買ったものは、新型の工作用機械ではなく、魔法書でござろう?」
煙管を取り出し、刻み煙草を先に詰めた。
「古文書の類で、霊の召喚、召喚した霊の移動、そして取り扱い方。今となっては、GSの各門派で口伝でしか伝えられていないことを記した禁術書でござるな。自社で製作したネジに霊を憑依させ封印しておけば、いかなGSでも感知することはできないでござる。電気を通り、呪力を移動させればいきなり霊は湧いてでるかのように見える。なにより、ロボットどもは単純な動きしかできなかったが、ラキシスだけは思考をもったかのように動き周ったでござる。それにラキシスは第4ライン、真田殿の工場で作られたネジを使っていた。あれだけの数の霊が暴れても、人以上の動きができたのはラキシスのみでござる」
真田は振り返り、シロの方を見た。
「いつ分かった?」
「最初からでござるよ」
真田の隣に並び、本社工場の光りを眺めた。
「最初、あの工場を見て周ったときにおかしな臭いがしたでござる。油の臭いでござったが、あの工場の油の臭いじゃなかった。しかも第4ライン管理部の外でござる、あそこは事務だけで機械なんか置いてないでござるよ。あの近くで真田工業の刺繍を入れた作業服をきた霊を見かけたでござる……それでおたくを訪ねたら」
「同じ臭いがした、か」
「そうでござる。血と汗が染みこんだ、職人が使う油でござる」
「分かっていたなら、なぜあの時に捕まえなかった」
「動機が分からなかったでござる。第4ライン管理部部長の氏川、あのカスのせいで取引き中止になって潰れた会社や首をくくった人は両手では足りないでござる。真田殿もあのカスに苦しめられてはいたが、まだ取引きは続いていた。憎んではいても、あれほどの騒ぎを起こすほどの理由にはならないでござる」
煙管をタマモンの中に入れ、火をつけた。
「平成○年に出向していたのは、息子さんでござるな」
真田の肩が揺れた。
「出向後、半年で退社。ヨーダの資料ではそうなっていたが、実際は工場内で自殺したのでござるな」
「あぁ。扱いは正社員と同等といったが、実際は奴隷とそう違わない扱いだった。早出に残業、手当なんて付きはしない。派遣からは出向は気楽だと妬まれ、社員からは呈のいい使い走りだ。どんなにすり減らしても、下請けから来ているならヨーダ自身が困ることはない。責任だけ負わされ、手柄はすべて上の奴が掠め取った。体も精神もぼろぼろになって、ミスを仕出かすことを恐れたあげくに首を吊ったよ。自分がミスをしたら、俺に迷惑がかかるってな」
煙管を手に持つと、ゆっくりと紫煙を吐き出した。
「お主が十年の歳月を費やしたこの計画、ヨーダはもみ消すでござるよ」
「分かっているさ。ヨーダだけでなく、国ももみ消そうとするだろうな」
「分かっていたなら、なぜ?」
「息子たち死んだものたちは、虫けらじゃないんだ。人間なんだよ。こういう騒ぎを起こすのはいつも人間だ。世間や社会のしがらみに縛られ、いつしか身動きがとれなくなる。そしてそいつが喉に食い込んで、もがいて死んでいく。蜘蛛の巣に絡みついた虫みてぇじゃねぇか……あまりにも悲しすぎるだろ。奴らいや世間に一矢報いようとは思わねぇ。ただ虫けらみたいな俺らだって、生きていたんだぞって分からせてやりたくてな」
「分かっていると思うでござるが、その呪縛、続くでござるぞ」
溜息混じりに紫煙を吐き出すと、シロは踵を返した。
「捕まえないのか?」
「拙者はGSでござる。仕事に逮捕などというものは入っていないでござるよ」
右手を軽く上げるが、振り向かなかった。
カタナのエグソーストノートが丘に響いた。真田はシロの立ち去った後から目を逸らさなかった。
「分かっている、分かっているさ。けじめはつけるよ」
呟いて本社工場の方を向いた。鈍い光りは消えていた。
―――続く―――
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