お読みになる前に……
車用語が分からないというご意見がございましたので、コメント欄に用語辞典のリンクを作成いたしました。
投稿後かなり時間が経って申し訳ございませんが、ご利用くださいませ。
ガレージから灯りが漏れている。
数年前とはすっかり姿が変わってしまったコブラのコクピットに座ると、横島忠夫は煙草を咥えた。
「なに? まだやってたの?」
二階の事務所から令子が帰り仕度を済ませ、降りてきた。
「ええ、ちょっと調子グズってたもんで」
汚れた手をウエスで拭うと、煙草に火をつけた。
「あーあ、私が乗ってたときとまったく姿が変わっちゃったわね。いままでいくらかけたのよ」
「そうっすね……六、七千万くらいじゃないっスかね」
金額を聞くと溜息をつきながら首を項垂れた。
「七千万ってあんたね……私のポルシェ七台は買えるじゃないの」
「素人がヘタにいじるとこうなるって証明ですな」
煙草を咥えたまま笑った。
「そんなに掛かったようには見えないけどね」
「一発でここまで決めたら外観上は二、三百ってとこじゃないっすか? まぁ試行錯誤しましたからね」
助手席側にまわった令子は、コクピットを覗き込んだ。アフターパーツの各種メーターがオフセットされている。
「何でそんなに掛かったのよ?」
「虎の子の427、ブローさせましたからね。中古のV8買ってターボつけたりスーチャ(スーパーチャージャー)つけたり、ナイトロつけてインジェクションにもしましたね。セルシオV8も載せたし、RBも2Jも載せたなぁ。おもしろくなくてすぐに降ろしましたけど。それに合わせてワンオフで足回りだ、フレーム加工だ」
「あっきれた……あんた趣味の域超えてるわよ」
「二年で五基目のエンジン積んだときにそう思いましたね。あらためて計算すると、目の前真っ暗になりましたよ。真っ直ぐ走らない車になんでここまで金掛けてんだってね。まぁ結局はツレに頼んで427手に入れて、ノーマルの素性伸ばした方が一番いいってことで落ち着きましたんで、デイトナクーペのパーツ組み込みました」
「まともにデイトナクーペ買った方がよかったんじゃない?」
「手に入らないし、ナンバー取れないじゃないっすか。それに誰かさんの影響めっちゃ強いですからね、GSですし」
自嘲気味に笑うと灰皿に灰を落とした。
「おかしいっスよね、学生のときは女以外に金は掛けん! と思ってたんですが、なんでここまで嵌ったのやら」
眉間に皺を寄せると、首を振った。
「ママがいってたけど……」
「隊長が?」
「大人と子供の違いって、おもちゃに掛ける金額が違うだけだってさ」
運転席側に周ると、ロールバーに凭れ掛かった。
「おもちゃ……ねぇ」
ゆっくりと紫煙を吐き出すと、灰皿でもみ消した。
「なによ、今の間は……あ! あんた別のおもちゃのこと考えたでしょ?」
「別のって?」
バケットシートから下りると、ドアを閉め令子を見下ろした。
「別のって……」
僅かに口ごもると、溜息が聞こえた。
「やだね〜、変にスレちゃって」
「ちょ、ちょっと! あ、あんたの方でしょ、別のこと考えたのって」
「俺はなにもいってませんけど?」
赤くなりだした顔を覗きこむと、悪戯っぽく笑った。
「こ、このぉ……」
行き場のない拳を振り下ろすが、あっさりと交されてしまう。
「みんなに報告しよ〜〜〜っと。美神さんはおもちゃでいけないことしてるんだって」
「誰に報告するのよ!!」
「さぁ誰にしようかな〜、オーッホッホッホッホ♪」
口に手をあて令子の高飛車な笑いのマネをすると、コブラを挟んで反対側へとその身を翻らせた。
令子が追えば、横島はその速度に合わせるように逃げる。その差は縮まることはなかった。
「待ちなさい!」
「い・や・だ♪」
子供のような追いかけっこを続けていると、人工幽霊が天井から声をかけた。
『美神オーナー、横島さん』
「なによ!」
『上からのご伝言です……【五月蠅い】とのことです』
「ほら、怒られた」
「誰が怒らせたのよ!」
声を荒げた後に慌てて口に手をあてた。
「アホやってないで帰りますか」
「やらせたのは誰よ」
ガレージの外にでるとシャッターに手をかけ、令子がでてくるのを待った。コブラの隣に停めていたイエローのポルシェカレラがガレージの外にでると、シャッターを下ろした。
「んじゃ人工幽霊、鍵閉めといてね」
『了解しました。おやすみなさい、横島さん』
振り向かず手をあげると、ポルシェの助手席に乗り込んだ。
「なに勝手に乗ってんのよ」
「乗るまで待ってた人のセリフじゃないっスよ」
「ほんと生意気になったわね」
「いや〜、鍛えられましたからね。誰にとはいいませんけど」
口に手をあて笑うと、シートに体が押し付けられた。RR(リアエンジンリアドライブ)の911はケツを大きく沈めると一気に加速をした。
「変な風に鍛えすぎちゃったかなぁ……」
「まぁいいじゃないスか。アクが強いもの同士ということで」
「私はアクなんてないわよ」
返事がなかった。ふいに横を向くと、いつの間にか吸っていた煙草の紫煙を窓の外へと流していた。
「聞きなさいよ!」
「ちゃんと前向いて運転しないと危ないっすよ」
「あ〜〜〜〜〜もぉ!!!」
歯軋りしながらハンドルを持つ手が震えていた。頭に手がのせられた。
「冗談っすよ、冗談」
怒っていいのやら、照れていいのやら。令子は複雑な表情を浮かべながら耳を赤くした。
「明日の予定どうなってましたっけ?」
「明日? 明日は夕方からパーティー」
「パーティー? 主催は?」
「GS協会よ」
「そういうのはパーティとはいいませんよ。じじいの寄合っつーんです」
「そういうと思って、仕事入れといたわ。気が利くでしょ?」
令子の方を向くと、満面の笑みを浮かべていた。
「利き過ぎやがな……俺のタンパク質はどうするんすか」
「終ったらすぐ来なさいよ、少しくらいは残ってると思うから」
「タッパ持っていってくださいね、お土産楽しみにしてますから」
「するかっ!!」
フラット6の排気音がかき消されるくらいの声をあげた。
「んじゃ明日別行動か……今日泊めてくださいよ」
「嫌よ。なんであんたなんか泊めなきゃいけないのよ」
「足無いじゃないスか。そういうことは先にいってくださいよ」
「バイト時代思い出しで歩け歩け♪」
令子が高笑いをすると、苦笑しながら煙草を灰皿に押し付けた。
カーテンの隙間から朝日、いや日差しが顔に当たった。
陽の高さからすると、おそらく昼近くであろう。万年床から体を起こし、枕元に置いてある煙草を咥えた。
「朝……いや昼か、いいかげん腹減ったな」
高校を卒業する前にアパートは取り壊しになり、賃貸のワンルームマンションへと引っ越していた。給料は十分貰っているのだが、どうせ寝るだけの部屋である。金を掛ける気にもならなかった。
キッチンに行き、冷蔵庫を開けた。ビールが数本と飲みかけのミネラルウォーターとサラミが1本、それといつ使い出したか不明な変色したマヨネーズが入っているだけであった。ミネラルウォーターのキャップを開け、粘ついた口を潤した。
万年床まで戻るとミネラルウォーターを枕元に置き、脱ぎ散らかしていた服に袖を通した。着替えると部屋をでてコンビニへと向かう。
スポーツ新聞の一面に目を通すと、雑誌コーナーへ向かう。成人向けコーナーに立ち止まり、本を変形させビニール袋の中を覗きみた。店員に睨まれているようなので、手早くサンドウィッチとサラダと煙草を買うと、マンションへと戻った。
部屋に入るとポットの中身を確認した。昨日からつけっぱなしで中身はまだ入っていた。冷蔵庫を開けビールを取り出し、窓へと向かう。枕元にコンビニで買ったものを置くと、カーテンを開けた。
「ビールとコーヒーどっち?」
「……ビール」
「俺が運転スか」
万年床から白く細い手が伸びてくる。プルトップを開けると、ビールを差し出した。
「おはよ」
開きそうで開いていない目を擦りながら、乱れている亜麻色の髪をだるそうにかきあげた。喉を鳴らしあおると、大きく息をついて首を項垂れた。
買ってきたサンドウィッチの袋を開けミックスサンドを口にいれると、台所に行き自分用のコーヒーを入れた。
「ん」
カップに口をつけながら戻ってくると、令子が唇をつきだして何かを催促している。その口にサンドウィッチを咥えさせた。
「ひはうはほ」
違うわよ、と言いたいらしいのだが生憎とそうは聞き取れない。そういいつつもしっかりとサンドウィッチは口の中へと入っていった。
「食ってるじゃないスか」
悪戯っぽく笑うと、残りのサンドウィッチを平らげコーヒーで流し込んだ。
「だいたいあんたさ、こんな美人がベーゼを要求してるのにその口にサンドウィッチ突っ込むってどういうことよ?」
「文句いいつつ、人のサラダまで食ってるじゃないスか」
「それはそれ、これはこれよ」
下着姿のまま万年床に胡坐をかいてその場で食べていた。
「それはそれで済むと思います?」
皺が寄ったソフトパッケージはそのまま握り潰し、最後の一本を咥えた。火をつけ紫煙を吐き出すと、令子は残りのビールを一気に飲み干した。
「済むわけないわね」
「そうそう。走り出したら止まりませんよ、サタデーナイトエンジェルですから」
「暴走は暴走でも、下半身のね」
露骨に口の端を歪めると、手を卑猥に動かした。
「暴走するのは夜だけにしときなさい。朝から暴走されると近所迷惑よ」
「だから自重してるじゃないっすか。美神さん声でかいから」
すでに空になった缶ビールが額に命中した。
「で……なんで拙者なんでござるか? 拙者もドレスアップしてレディとして」
「ウソつけ、料理が目当てだろうが。冷てぇよな、師匠が身を粉にして働いているというのにそれより肉を優先かよ」
「別に肉を優先しているのではござらん、かまってくれというあぴーるでござる」
「どこで覚えたんだ、そんな駆け引き」
「おキヌちゃんが教えてくれたでござるよ」
「耳年増だねぇ〜……使われた記憶はないんだけどな」
「使おうにも使えないんでござろうな、殺気に満ちた視線が怖いから」
「誰がそんな視線飛ばすっつーんだよ」
「これでござるよ……美神殿の苦労が忍ばれるでござるよ」
「苦労してるのは、俺の方だと思うぞ」
「どこがでござるか?」
「今の現状考えてみろ」
夜の市街地を疾走する赤いコブラ、4点式シートベルトで体を固定し手足のように操る。助手席にはシロが乗っており、霊団を蹴散らしていた。
「こんな霊団いるんだったら、俺らじゃなくておキヌちゃんの仕事だろうが!」
「おキヌちゃんはこの車に乗せないでござろう? この席は拙者専用でござる♪」
「シールドのないもろに風当る席に乗りたがる物好きは、お前とタマモくらいだよ」
頭の中には、窓から顔をだしている犬の姿があった。なぜ動物は車に乗ると窓から顔をだして風を感じたがるのであろうか……そう聞いてみたかっが、今拗ねられると仕事がやりづらくなるために口を開くのをやめた。
二人で愚痴を零しながらも仕事を終えた。
おキヌ向きの仕事と言ってはいたものの、それでもしっかりと仕事は完遂する。自分が丁稚時代の令子の年齢になった今、横島もプロとして一流と呼ばれるようになっていた。
後処理を済ませ、再びコブラを走らせる。
仕事が終ったらパーティに顔を出すようにいわれていたのだが、車は会場とは別の方向へと向かっていた。
「先生……この道は……」
「まだ時間はある。寄り道だよ、気にするな」
あまり通ったことのない道であった。だが、シロはこの道を覚えていた。鮮烈なるインパクトを残したこの道を。
「えーー! この先に行くでござるか。拙者まだ心の準備が……三分ほどお待ちくだされ」
顔を赤く染め、両手を口の前で組むと体をくねらせた。
「父上……拙者、いよいよ女になるでござる。それと同時に最強のGSを敵に回すことになり、父上のところにいくことになるやもしれません」
「なにいってんだ?」
「なにって、心の準備でござる。あと二分半時間をくだされ」
「いやそういうんじゃなくて、なんでそういう発想になるんだ? 耳年増じゃなくて大年増の影響か?」
「え? この先はホテル街でござろう。ご休憩では?」
首都近郊のバイパス……確かに以前事務所のメンバーでここを通ったことがあった。城のような建物に興味をもったシロとタマモが質問攻めをして、つい本当のことをいってシバかれ車から放り出されたことを思い出した。
「そういえば、この道だったよな……事務所まで遠かったよ」
若い女性の車をナンパして事務所の近くまで送ってもらって、それを発見され今度はヘリで東京湾沖二十キロで投棄されたことが鮮明に蘇えってきた。
想い出に浸っている間に三分が経過したのであろう。シロが目を閉じ、深く頷いた。
「準備完了でござる、いざ参ろう!!」
「参るかーーーっ!!!」
車がほとんど通らないバイパスの信号で停止する。まだ直進するのであろう、片道二車線の右側につけていた。
「ならばなぜこの道でござるか?」
「用事があるからに決まってるだろ」
コブラの左側に一台の車が止まった。
「この車と同じような音を立てた車でござるな。ひじょーにうるさい」
「67年式、シボレーコルベットスティングレイ。L88搭載のC2ってやつだ」
「偉く詳しいでござるな」
「まぁな」
左手を軽く上げると指を三本出し前方を指した。
「なんでござるか、それ?」
「ひ・み・つ」
歩行者用信号が点滅を始めると、アクセルを呷った。C2もコブラと同様のサイドマフラーから排気音(エグゾースト)を奏でている。
「さぁて、さっさと用事を済ませるとするか」
「な、なにが始まるのでござる?」
「だから用事だって」
歩行者用信号が赤になると、交差している信号が黄色になりやがて赤になる。正面の信号が青に変わった。クラッチを繋ぐと白煙が巻き起こり、シートに体がめり込んだ。
「し、仕事のときよりも速いでござらぬか!」
「向こうに合わせてるからな、全開でないとミッドイヤーに勝てるわけねぇだろ」
ギアを二速に入れる。C2がじわりと前にでた。
「ちきしょー、今日はバラスト積んでるからな。加速で負ける」
「そんな重くないもん!」
「微妙な勝負なんだよ、馬力ほとんど変わらねぇ」
ギアを三速に入れるまで、二台はリアを振りながら加速を続けた。横島のコブラは排気量427キュービックインチ(6997CC)である。だが前方を走るC2も同じ排気量である。ボンネットに張り出したエアインテークに記された427のエンブレムがそれを物語っていた。
1965年生まれのコブラ、1967年生まれのC2。同じ心臓を持つ同じ世代のマシン。お互いに譲られぬものがある。絡むようにコーナーに進入していく。
「くそ、アンダーがキツい。仕事のときにタイヤ使い過ぎたか」
ハンドルを右に切るが、フロントタイヤがズルズルと外側へと逃げてしまう。
「先生、滑ってる滑ってる!」
「分かってるから黙ってろっつーの」
コーナーを立ち上がり加速すると、リアサスペンションが沈み込んだ。C2の腹から火花が散った。
「壊れた壊れた!」
「壊れてねぇから、黙ってろって」
パワーも重量もそう変わりはない。時代を感じさせる四速までのギアのギア比さえもほとんど同じである。勝負はドライバーの腕がほとんどを占めていた。そしてそれさえも、変わりがないようである。二台は再びもつれるようにコーナーに進入した。
「先生、タイヤ全部滑ってる!」
「向こうも一緒だっつーに!」
侵入でフロントが滑り、アクセルを開けると今度はリアが激しくスライドした。わずか3700回転で最大トルクを発生するアメリカンV8エンジンはスライドとの戦いでもある。見た目は派手だが、リアの横滑りはスピードには結びつかない。いかに無駄なくパワーを路面に伝えるか。トラクション(加重)を進行方向にもっていくかで、直線の伸びが変わってくる。
「くそ、立ち上がり同じかよ。足回り変更したの意味ないじゃん」
セッティングは自分が乗って変更している。助手席に50kg弱のバラストが積んであることは失念していた。
「拙者が走るより速いし、怖いでござるよ〜」
「心配すんな、地面の上にいることは間違いない。例え飛んだとしても、ヘリよりも高くは飛ばん」
「と、飛ぶのでござるか?」
「事故ったら飛ぶときもあるんじゃないか?」
「い……いやぁーーーーーーーーーーーーーっ!!!おろしてー!おろしてくだされーーー」
「女みてぇな悲鳴あげるんじゃねぇ! おろすような行為はお前にはやっとらん」
「せ、拙者は女でござるよ! それにいまやってる、まだやってる、ほらやってる!」
「お前には手ぇつけたことないだろがっつーの」
微妙に噛み合わない会話をしているうちに再びコーナーが迫る。前2つのコーナーに比べるとかなり急角度のようである。出口がみえない。
コーナー手前で二台が並ぶ。コブラがブレーキをかなり遅らせた。
「せんせー!ブレーキ!ブレーキ!!」
横島の返事はない。さすがにかなりのレイトブレーキングでは喋るヒマさせないのであろう。ブレーキングでC2の前にでた。2車線目にいた横島はアウトから左コーナーへと侵入する。同じ性能の車で二台分ブレーキを遅らせている、曲がれるスピードではなかった。
「わーーーっ!!滑る滑る!曲がらなぁーーーーーい!!」
意味がないのは分かっている。だが、シロは足の爪を立てて床に踏ん張った。
どアンダーのままでコーナークリッピングポイントに差し掛かると、ハーフアクセルのままクラッチを蹴った。瞬間駆動が切れ、再び繋がる。そのショックでリアタイヤが流れ、ノーズが出口を向いた。ハーフアクセルからじわりと踏んでいく。白い靄がかかるとタイヤの焼ける臭いが漂った。
自動販売機が数台固まっている場所につくと、横島はコブラを止めた。
助手席のシロは、焦点の定まっていない目で口を開けて呆然としていた。風圧で乱れたシロの髪を一撫ですると車から降り、自動販売機でコーヒーを二本とオレンジジュースを購入した。コブラに戻り、オレンジジュースをシロの顔に当てるとようやく深い呼吸をついた。
「地面の上でござる……」
「当たり前だ」
その手に渡し、少し距離を開け停まっていたC2のウィンドを缶コーヒーでノックした。手動式のウィンドが下がると500円玉が渡され、かわりに缶コーヒーを渡した。
「毎度。これでタイだな」
ニヤリと笑い煙草を咥えると、派手な刻印が刻まれた銀製のジッポがウィンドーからでてきた。火をつけると、手が車の中に戻り室内から紫煙が漏れてきた。
「お前、クラッチ蹴りやりやがったな。(クラッチ)滑らせてエンジンパーにしてくれるなよ、お前がクラッシュしたらあのエンジンは予備に使うんだからな」
「ぬかせ。あんたこそ、またマウント加工してエンジン落としやがっただろ、腹擦って火でてたぞ。シャフトへし折れてエンジンパーにすんなよ、俺のスペアがなくなるからな」
声にださないがお互いに笑っていた。
「あの嬢ちゃんはお前の彼女か? 随分と可哀想な目にあわせやがって」
「残念ながら彼女じゃねぇよ。俺の彼女は気が強すぎて、んなことやった日には俺生きてねぇや」
プルトップを開けると、口をつけた。
「かかあ殿下か……ある意味円満の秘訣だな」
「んな簡単なもんじゃ無いと思うけどな」
「年長者の意見は考慮するもんだぞ」
横島が苦笑すると、左手を軽く振りC2は動き出した。
「じゃあ、また」
「また」
地響きのような咆哮を上げずに、低い回転のままゆっくりとC2が走り去っていく。
「やっぱV8は、いい音してやがるな」
コーヒーを一気に空けると、車へと戻った。シートに腰を下ろすと、シロは現世に帰ってきていた。
「さてパーティーに行くか」
「もう、飛ばさないでくだされ」
「分かってるって」
短くなった煙草をもみ消すと、ギアを入れた。
「あのバカ、遅いわね」
普段より少しだけゴージャスな衣装を身につけた令子は、カクテルグラス片手に窓の外を見ていた。
「霊団相手なのに横島くんとシロちゃんを寄こしたそうだね。おキヌちゃんが適任だったんじゃないのかい?」
いつもは私服姿である西条が、ICPOの制服姿でグラス片手に近づいたきた。
「それだけ彼を信用しているのかな?」
「違うわよ。信用していないからシロなのよ」
眉間に皺を寄せてそういうと、西条は口元を押さえた。
「なにが可笑しいの?」
「いや、仲良きことはいい事だというが、僕にとってはあまりいい事ではないな」
グラスの中の琥珀色の液体を口に運んだ。
「それはどういう意味なのかしら?」
何かを察したのであろう、令子のコメカミには血管が浮き出ている。
素直ではないが分かりやすい性格は昔から変わっていない……西条はそう思ったが、それを口にするとムキになることも百も承知していた。
「あ、会長が見えられたよ。挨拶した方がいいんじゃないのかい?」
誤魔化すように、中年いや初老に差し掛かった体格のよい男をグラスで指した。令子は横目で睨み口を尖らせると、会長と呼ばれた男の方へ歩いていった。
会長の周りには、GS協会の顔ともいえる権限をもった年寄りどもが挨拶のために集まっていた。
令子はこういう連中が好きではないし、相手からも好かれてはいなかった。GSの血筋とはいえ、二十歳そこそこの女がここ数年この業界の長者番付のトップなのである。稼いだ金イコール実力とはいえないのだが、バロメーター代わりにはなっていた。それに幻ともいえるアイテム文珠使い、世界的にみても希少な死霊使いや人狼をもメンバーなのである。次の覇権を狙う者や権力の座にしがみつく者にとっては目障りな存在であった。
「美神の嬢ちゃんか、久しぶりだな。たまには顔くらいみせろよ」
加齢臭の漂う老人たちをかきわけ、白いものが混じった髪を整え、鼻ヒゲをたくわえた男が令子に手を差し出した。
「お久しぶりです、東方会長もお変わりなく」
「お前さんこそあいかわらずみたいだな。あんまりお袋さんと唐巣にに心配かけんなよ、唐巣なんてますます磨きがかかっているみたいだしな」
微妙に眉を動かしながら、令子は東方の手を握った。
「そ、そうですか? 私どもは企業努力を致しまして、日々真面目に精進しておりますわ」
東方が口元を緩めた。
「真面目に……ね」
「そう、真面目に」
握っていた手を離し、口元にもっていくとホホホと笑った。
聞き覚えのある音が近づいてくると、令子の額から一筋の汗が流れ落ちた。窓ガラスを振動させるまで近づくと、一度大きく噴かして音が止まった。
「あ、あのバカ」
コメカミに青い血管が浮かび上がると、そう呟いた。
「どうした? 顔色が変わったようだが」
「い、いえ、なんでもありません」
引きつった笑顔をみせながら無理に笑ってみせると、ドア付近から大声が聞こえた。
「肉なくなってたら、先生のせいでござるからな」
「車にもメシ食わせねぇと走らねぇだろうが、リッター2キロ舐めてんじゃねぇぞ」
「顔舐めはスキンシップでござるよ」
ドアが少しだけ開いたがすぐに閉められた。
「おーーー!!綺麗なお姉さん! この後時間空いてます?」
「せんせー! 肉! 肉が先でござるよ!」
「お前は食う方の肉だろうが。俺はこっちの肉(欲)がいいの」
「お、お客様、お戯れは」
「よいではないか、よいではないか」
「先生、戯れは拙者でするでござるよ」
「いや、だってお前、乳ないし」
「この前計ったらCカップになっていたでござるよ!」
「え、まぢ?」
場違いな大声に会場が静まり返る。いや、正確にはその声に反応している一人の女性のために静まり返っているといった方が正しいであろう。
その女性は笑顔を絶やさぬまま血管は浮き立ち、亜麻色の髪を逆立て霊波計が振り切れるほどの霊気いや殺気を全身から漂わせていた。
「ちょっと失礼致します」
笑顔のまま一礼して声のするドアへと向かった。
「やりすぎるなよ」
東方の声はすでに令子には届いていなかった。
ドアが開き令子が外にでると、すぐに閉められる。会場内は水を打ったように静まり返ったままであった。
「なぁにさらしとんのじゃ! このガキぁー!!」
叫び声が聞こえると同時に、破壊音と肉を潰すような不気味な音とたまに獣の鳴き声が聞こえた。
「まったく下品極まりないですな」
東方の側にいた理事の一人がそういった。それに賛同するかのように、周りの理事の数人が同じようなことを並び立てる。下品、野蛮、成り上がり、この会には相応しくないなどである。
「元気があっていいじゃねぇか」
「しかし会長、気品というものが」
「平安時代じゃねぇんだよ、人外相手に品求めても通用しねぇぞ」
歴史のある家柄の理事の後ろに立っていた息子たちに目を向けると、理事の群から離れた。
「おう、唐巣」
「お久しぶりです会長」
窓際で西条と談笑していた唐巣の側にいくと、二人はすぐに頭を下げた。
「あいかわらず元気がいいな、お前んとこの若いのは」
唐巣は西条と顔を見合わせ、同時に苦笑してしまう。
「お騒がせして申し訳ございません」
唐巣の代わりに西条が頭を下げた。
「美智恵ちゃんの代わりか? まだお前がやる必要は無いよ。変なもの背負って老け込むにはまだ若すぎるぞ、そんなこたぁ年長者にやらせときゃいいんだ」
いいながら唐巣の額に目を向けた。
「そのトシでこうはなりたくないだろ?」
西条は苦笑するしかなかった。
「正直にいってみろ、こうなりたいのか? それともなりたくないのか?」
口元に笑みを浮かべたまま西条を問い詰める。一瞬だけ唐巣の頭髪に目を向けると、血管が浮き出ていた。慌てて目線を逸らした。
「上品なイギリス留学は失敗だったな、お前もアメリカに行ってくるか?」
オカルトGメンの人事権にGS協会は関与していない。だがその言葉を信じてしまうような迫力が東方にはあった。
「もっと砕けろよ。あんまりしゃっちょこばってやがると、魑魅魍魎に喰われちまうぞ」
目線を僅かにずらせた。
「手厳しいですね」
唐巣が東方の目線の先を追った。理事たちが談笑をしていた。
「まぁな。お前の後は当然コイツだろうが」
その言葉に反応するかのように、西条がグラスを口に運び一息ついた。
「二年後だ……そう長くはねぇぞ。周り固めとけよ」
グラスの揺すり氷を回した。
「もう一期勤める気はありませんか?」
「元々ガラじゃねぇのに勤めさせられたんだ、いいかげん好きにさせろよ」
GS協会現会長である東方剣蔵は元々はフリーのGSであった。核ジャック事件後に前会長が辞任した際、その当時拠点にしていたアメリカから急遽呼び戻されたのである。
「好き放題やってるじゃないですか」
「言うなぁお前も。俺が好き放題なら美神や六道はどうなるんだよ」
「あれは好き放題ではなく、たんに我侭なんです」
唐巣でなく西条が噴出した。
「女系は我侭か……女の可愛さだと思ってやれよ」
「いや、さすがにあれは可愛さの領域を超えてますよ」
「なにいってやがる。男ってのは、女がやることは可愛いと思っていればいいんだよ」
「剣蔵先生と違って、私はその境地には達せません。遊んでおりませんので」
先ほどのお返しのつもりであったのだろう、言いながら口元を緩めた。
「坊主でも結婚している奴はいるし、“生臭坊主”なんて言葉もあるんだ。お前は固すぎるんだよ」
「性分でして」
「そこまで頭も固ければ下も固いんだろ? いい年して溜めすぎなんだよ、お前は。ソープ行って抜いてこい」
唐巣は顔を赤くして、西条はまたしても噴出した。
「か、会長!」
「金か?心配すんな、それくらい奢ってやる。西条、お前も行くか?」
「いえ、僕は風俗には行きませんので」
「そうだな、お前には必要ないな。事務員どころか協会の人間、果ては依頼者にまで手ぇつけてるからな」
「ほ、本当かね!」
「俺の耳に入ってきているんだぜ、苦情って形でな」
唐巣がまさに食いつきかねない勢いで、西条の襟首を掴んだ。
「い、いえ、それは……」
「自由恋愛とはいえ、お前いつか背中から刺されるぞ」
口元を緩めながら煙草を咥えた。
「女に関しては、お前ら足して二で割れば丁度いいのかもな」
東方と唐巣一派の談笑を一部理事達は怪訝な顔でみつめていた。
旧体制の理事たちにとって、数年前に会長に選出された東方はやっかいな存在である。だが国内だけでなく海外で高い評価を受ける東方の存在を否定しては理事としての立場も危うくなる。そのため表面上は東方に従うフリをしていた。
「この分だと、次の会長のイスは唐巣に決まりそうだな」
「貧乏教会のエセ牧師にか? 冗談ではないぞ、バチカンとのいざこざを日本に持ち込まれてはゴメンだ」
「名門の出身でない奴を会長職になど、海外に恥をさらすようなものだぞ」
「いや、それよりもむしろ問題なのは……」
大きな音を立てドアが開くと、満面な笑みを浮かべながら令子が部屋に戻ってきた。その右手にはボロ雑巾となりはてた横島がズルズルと引き摺られていた。
「アレだな」
「そう、美神令子事務所だ。唐巣の後を継ぐのは、美神美智恵か西条輝彦がオカGから下ってくるだろう。そうなると、次は美神令子か横島忠夫……いずれにしても唐巣の息がかかっている奴等だ。おそらく半世紀近くは奴等の天下だぞ」
「成り上がりどもめ」
理事たちの話は耳に届いていないのか、令子の説教が終ると横島とシロはテーブルに用意されていた料理を貪り始めた。
「横島くん」
「はひ、はんふは(はい、なんスか)」
「その皿食べ終わったら付き合いなさい。人に紹介するから」
「ひひっふほ、ほんはほへんほうははは(いいっスよ、そんなの面倒だから)」
「なんのためにあんた呼んだと思ってるのよ! こういう席でしか会えない人いるんだから、少しはちゃんとしなさい」
口に食べ物を詰め込んで周りは解読不能であったが、令子には分かったらしい。
「ほふほっほふっへははへひひっふは?(もうちょっと食ってからいいっスか?)」
「あんまり時間ないんだからね、急ぎなさいよ」
頷き、そして再び食い物を口に詰め込んでいった。
「ひほへっへほ(急げってよ)」
「ひょふはひへほはふ(了解でござる)」
シロも理解していた。
「なんであれで分かるんだ?」
西条が眉を歪めた。
「かなり特殊だからね、あそこは」
「認めたくありませんが、意思疎通が取れているってことですかね」
「事務所のメンバーがかね、それとも」
「いいたくありません」
俯き加減に煙草を咥えると、東方がシルバーのライターで火を差し出した。
「横島忠夫か……」
「潜在能力、いや基礎霊力では六道(式神使い)さえも超えています。ちょっと元気があり過ぎますが、いい子ですよ」
唐巣が捕捉するかのようにそういうと、西条は露骨に顔を歪めた。
「いい子っていうトシじゃねぇだろ……ガキだな」
ガキという言葉に、西条の顔の歪みが元に戻った。
「ええ、ガキですよ。剣蔵先生と同じでね」
唐巣の言葉に再び顔が歪んだ。
「だろうな、あのツラは優等生には見えねぇな」
聞いていた二人の口元が緩んだ。
「お前らはいい大人だが、いい男にはなれねぇな」
「ええ、分かってます。私には無理でした。たまに羽目を外すくらいが限界ですね」
「バカな子ほど可愛いってか」
「例えが違いますよ」
「似たようなもんだろう」
氷が溶け水割りになったウィスキーを口に運んだ。
確かに自分には無理だ、バカにはなれそうにはない。
西条は言葉の代わりに紫煙を吐き出した。
視線が突き刺さる中、令子は二人の食事が終るのを待っていた。
自分でも気が長くなったと自覚している。恥をかかせるかのような下品な食いっぷり、これを人前でしかも仲が良いとはいえない同業者の前で曝しているのに文句の一つもつけないなんて、大人になったものだ……と、自分を誤魔化す術を覚えた。
仕事柄なのか、生来もっていたものか定かでないが、耳はいい方である。特に風評や悪口などには特に有効に働く。所謂『地獄耳』というやつであった。
「ひはひほほほほっへふへほはふは?(美神殿怒ってござるか?)」
「はふんは。ほんひんはほほっへはひふほひはんははほ(多分な。本人は怒ってないつもりなんだろ)」
にこやかな顔と裏腹に、額には青い筋が浮かんでいた。
「へっははひほへひへほはふはは(拙者たちのせいでござるかな)」
「ひはふほほほふほ。ひひはへははふへへひほ(違うと思うぞ。耳だけ傾けてみろ)」
食事だけに集中していた神経を少しだけ耳にまわした。
「聞きゃなきゃよかったでござるよ、メシが不味くなる」
「な、俺が来たくなかったワケ分かったろ」
妬み、嫉み、僻み、悪霊の元となる負の言葉が一部から聞こえていた。悪霊を除霊するはずのGSたちの集まりで、この感情が溢れている。皮肉といっては皮肉だ。
「だからタッパーがいるっつーたんだよ」
「持ってくればよかったでござるよ」
刺さるような視線と言葉を感じると、シロは急激に食欲がなくなってきた。これならば下水道の中や、魍魎の死骸が転がった場所の方がマシだとさえ思えてきた。
「まぁこの中で、メシ食ったり酒飲んだりできて、笑っていられることが一人前の証しだっつーのなら、俺ぁガキでいいや」
そういいつつも皿の上には、料理が大盛りになっていた。
「だいたいさ、血管浮かべながらにこやかに笑ってろっつーのが無理があるんだよ」
それを実践している人に目を向けた。こちらの会話は聞こえていないのか、組んでいる腕で振るえていた。
「いつ爆発するか分からんな……いざというときは、抑えるぞ」
「えーっ! 拙者もでござるか」
「俺一人で止めきれると思うか?」
震える腕に血管が浮き出ている。相当に力が入っているようであった。
「確かに……二人がかりでも止まるかどうか」
そういいかけていたシロの頬がピクピクと引きつりだした。
「拙者のことならいざ知らず、先生を愚弄するとは……」
どうやら横島の陰口が聞こえたらしい。
「気にすんな、本当のことじゃねぇか」
フォークを咥えたまま喰いしばったため、銀製のフォークは原型を留めていなかった。
「むっ! 次は事務所の批判でござるか……」
シロの額には血管が浮き出てきたが、それは急に消えていった。
「よく考えてみれば、先生のいうように本当のことでござるな」
急に血の気が引いたせいか、シロは近くにあったジュースに手を伸ばした。
「先生が婦女子にだらしないのも、美神殿が金にがめついのも、本当のことでござるからな」
「あらためていうなよ、照れるじゃないか♪」
「誉めてないでござるよ」
場が少し落ち着いてきたのであろうか、シロはジュースを口にすると息をついた。
『枕営業でもしているのではないか、美神令子は』
シロは、聞こえてきた会話に首を傾げた。
「枕営業? 先生、枕営業ってなんでござ……」
聞きなれない言葉を聞いて、横島に言葉の説明を聞こうと隣を向くと、すでに姿がなかった。
テーブルが倒れ、グラスが割れる音が響くと、悲鳴が聞こえた。
「あ……」
止め役なはずの横島が、中年の男に馬乗りになり殴りつけているところを令子と西条、それに唐巣に抑えられていた。
「落ち着きたまえ!」
珍しく唐巣が強くいうと、横島の腕から力が抜けた。羽交い絞めにしていた西条は、力を抜き横島を立たせた。その瞬間、腕を振り解くとまだ立ち上がっていない男の腹に蹴りを入れた。西条は慌てて横島を組み伏せた。
「離せっつーんだよ!」
目を血走らせた横島の怒声が響くと、会場は騒然としていた。
「どうした、なにを騒いでいる」
そう広くない会場である。あきらかに押っ取り刀で東方が現れた。
「喧嘩か……原因はなんだ」
横島は舌打ちをすると、顔を背けた。
「この男が、この男がいきなり私に殴りかかって」
理事たちに脇を抱えられ、中年男が立ち上がった。東方は煙草を咥えると、シルバーのジッポで火をつけた。
「本当か?」
間を開けるように紫煙を吐き出した。横島は男の言葉に再び怒りが込み上げたのか、動こうとしたところを西条に抑えられた。
「だめだな、こりゃ。完全に頭に血が上ってる」
三十歳くらいの筋肉質の男が東方に近づくと、何かを手渡した。それを受け取ると、横島の側に近づき、いきなり横島の顔にパンチを入れた。西条の手から離れ、床に叩き付けられた。
「これで頭冷せ」
横島に缶コーヒーを放った。
「謹慎一週間だ。暫く反省してろ」
受け取り、舌打ちをして立ち上がった。中年男に一瞥くれると、そのまま歩こうとするが、東方に肩を叩かれた。余人に聞こえないように耳元で囁いた。
「カーボンシャフト、ワンオフで作るぞ。余ったらお前のも作ってやる。どうせヒマなんだろ、手伝いにこい」
「得したのは、おっさんだけかよ……つーか、痛ぇんだけど」
「これで俺の方が上だな」
「これも勝負の一つかよ、汚ぇな」
「大人ってのは汚いんだよ、坊主。それとも貸しの方がいいか?」
「今日のところは、負けといてやるよ」
口の端を歪めると、それとは対照的に東方は口元を緩めた。一台だけのために作るカーボンシャフトに余りなどでるワケがない。それはお互いに重々承知していた。東方がぽんと肩を叩くと、横島は部屋の外へとでていった。
「追いかけないのかね」
唐巣が行きあぐねていた令子の背中を押した。不安げに唐巣を見返すと、唐巣は優しく頷いてみせた。
「あのぉ……拙者はどうすれば……」
V8サウンドが遠ざかると、置いてけぼりをくった形になったシロが呟いた。
「僕が送っていくよ」
西条がそういった。正確には送るのは西条ではなく、西条の運転手である。だが、シロは西条に怪訝そうな表情をみせた。
「どうしたんだい?」
「あの……先生が、西条殿の車に乗ると赤子ができてしまうとおっしゃられていたので」
「おのれぇ、横島ぁ〜」
西条が持つグラスから琥珀色の液体が染み出した。
呑気な空気を醸しだし始めた唐巣一派であったが、この場の決着は未だついていないようである。罰が軽い、医者だ、弁護士だ、警察だと理事たちが大袈裟に騒ぎ出した。
「なんだ、俺の裁定に不服があるのか」
東方が睨みつけると、理事たちは口をつぐんだ。だが当時者である中年男は、切れた唇に当てたハンカチを投げ捨てると東方の前に歩み出た。
「協会の裁定はそうでも、法律的には立派な犯罪だ。訴えさせてもらいますよ」
「法律だと?」
部屋の中にも関わらず、東方は咥えていた煙草を絨毯の上に放った。周りにいた理事たちは、慌てて中年男を下げさせようとしたが、眼力だけでそれを下げさせた。
「小僧、GSって仕事はな、人外相手に命掛けて勝負してんだよ。人間の常識が通用しねぇ相手にな」
「それぐらい分かっています」
言い終わらないうちに、東方は男の胸倉を掴んだ。
「分かってねぇよ、お前は。常識が通用しねぇってことは、法律なんぞ何の関係もないってことだ。そういうの相手に命(たま)張ってんのか、テメェ。人に任せて後ろで踏ん反りかえっていやがるんじゃねぇのか?」
あまりの剣幕に、男の顔から血の気が引いていた。東方は手を放すというより放ると、男は数歩下がり床に尻をつけた。
「人外相手に人の理(ことわり)を無視して仕事してんだよ、俺たちは。だからこそ、俺たちGSは法律よりも大切にしなければいけないんじゃねぇのか、人の道ってやつをよ」
熱くなったのを自覚したのか、煙草を咥えて派手な彫刻の入った銀製のジッポで火をつけた。
「そう広くない部屋だ、お前らの話なんざ俺の耳にも聞こえてるぜ。ああいうことを言ったら“男”は引っ込みつかんだろ。世間じゃ、やった者勝ち、言った者勝ちって言ってるけどな、その言葉をいったら命のやり取りでしか決着(けり)がつかないってこともあるんだよ」
ゆっくりと紫煙を吐き出すと、周りを見渡した。理事の一部は震え上がっている者もいた。
「口舌の刃で逆鱗に触れておいて、法律を盾にするか……京都のように人の負で澱んで、魑魅魍魎に闊歩されても敵わんな。しかもそれが協会の人間だとすると、言い訳のしようがないな」
次の言葉が出る前に、理事の一人が東方と中年男の間に入ると、何度も頭を下げ思いつく限りの謝罪の言葉を並べた。上辺だけの言葉だとは誰もが分かっていた。だが、この場を取り繕うためには十分なものであった。
年配の理事たちは、東方の言葉の次にくるものが何かを感づいたようだ。伊達に人という名の魍魎たちを相手に生き永らえてきたのではない。
「と、殿様のようでござるな、あの御仁は」
あまりの唯我独尊ぶりに、シロが呟いた。
「殿様じゃないな、あれは“俺様”だな」
西条はそう呟きながら、自分の上司とどちらがよいか比較してしまった。どちらをとってもいい結果が浮かない。あの年代というのはそういうものであろうか。そう考えると、深い溜息がでた。
憮然とした表情のまま、コブラに乗り込みセルを回した。
水温はまだ完全に落ちきってはいない。オイルをピストンに絡ませるように、アクセルを呷る。サイドマフラーからくぐもった音が響いた。
舌打ちすると、アクセルを二度踏み込んだ。爆音が響くと、苛立ちとは違う芯の震えがきた。ギアを一速に入れクラッチを繋ごうとすると、助手席のドアが開いた。
「やっぱオープンはいいわね、こういうとき便利だわ」
当たり前のように助手席に座ると、横島は一瞬だけ目を向けるとクラッチを繋いだ。
敷地内をでて一般道に入っても、速度はかなり緩やかであった。
「遠慮しなくていいわよ、いつものペースで走ったら?」
「風強いっすよ、風防ないですから」
「いいわよ、こうしてるから」
言いながら横になると、膝の上に頭をのせた。
「ほら、これで風こない」
見上げてにっこりと笑った。
「隣に車くるとヤバいな」
「なんで?」
「いや、まぁ……位置的に」
なにを言いたいのか察知すると、令子はにっこりと笑った。
「この前さ、厄珍のバカが私にイミテのダイヤつかませたのよ。どうしたと思う?」
「シバきあげたんでしょ?」
「もちろんよ。でもね、その前にガラス玉噛み砕いたのよね……歯と顎は丈夫なんだ」
『シロか、あんたは』と言いたいところであったが、その前に背筋を冷たいものが走った。冗談とは分かっていても、怖いものは怖い。それは本能なのかもしれない。
口元を歪に引きつらせて笑うと、令子は微笑んでみせた。
「ほんっとあんたって変わったわね」
からかうように横島の顎を、指で突いた。
「そうっスかね……一応社会人ですから、そこはそれ、大人にならないと」
大人がいきなり殴りつけるものであろうか。令子は先ほどのことを思い出すと、思わず噴出した。
「なんかおかしいっすか?」
「大人になんてなってないわよ。あんたは悪ガキのまんまよ」
「だったら変わってないじゃないスか」
自分では変わったと思ってはいない。変わったのではない、素の自分がでただけだ。横島はそう思っている。
令子という彼女がいるのにも関わらず、女をみれば自然と目だけでなく体さえも向かってしまうし、テーブルマナーさえ満足にできない。ほとんど本能のままに動いているといっても過言ではない。自覚しているだけにタチが悪い。
昔のままじゃないか。そう思ったが、この車が自分のものになったときにそれが加速したことは否めなかった。
理不尽なことがあれば怒るし、おもしろければ笑い、悲しければ泣く。至極当たり前のことだが、損得を抜きにしてそれができるのを大人というのならば、自分は大人ではない。
「どうでもいいか……」
珍しく小難しいことを考えてしまった。そう思うと、苦笑が込み上げた。
アメリカンV8エンジンは、ツインカムどころかオーバーヘッドカムでもない。最新型のエンジンでさえ、半世紀ほど前の基本設計と変わっていない。それどころか、パーツさえも共有できる。国産車では考えられない事だ。その頑固さが移ったのかもしれない……そう思うが、ガラでもないとすぐに首を振った。
血が騒ぐ―――それでいいじゃないか。
騒いだあげくに、損をしてしまうことは目に見えている。おそらく令子にも迷惑をかけてしまうだろう。
だが耐えられそうもないし、耐えるつもりなど毛頭なかった。そこで耐えて大人になるより、自分のままでいたい。綺麗な大人になるより、悪ガキのままで好きなようにやるさ。
ふいに昨夜のガレージでの話を思い出した。
「確かに、高いおもちゃだ」
呟くと、頬を撫でられた。
「なにか言った?」
「迷惑かけてすんません。美神さん愛してるから捨てないで〜〜〜って」
「そんなこといってないでしょ」
速度が少し上がったようだ。令子の体が少し揺れた。
――― 了 ―――
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