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安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第七章

  
「私たち、子供ができたから
 結婚したんですけど……。
 でも、その子供は生まれてこなかったんです」

 心地良いお風呂の中。
 おキヌちゃんは、ポツリポツリと語っていく。

「もともと私は、江戸時代の生まれで……」

 三百年間、山の中で幽霊をしていたこと。
 その間、肉体は氷の中で保存されていたこと。
 横島さんや美神さんのおかげで、無事に生き返ったこと。
 だけど……。

「漫画やSFじゃないんですから
 冷凍保存なんて無理だったんですね。
 ……しかも江戸時代の技術ですから。
 完全に健康な体だと思っていたけど、
 そうじゃなくて……」

 体内の臓器の、小さなトラブル。
 生まれながらのものか、氷づけの間に出来たものか、定かではないけれど。
 子宮に微細な傷がついていて、彼女は、子供を産めない体となっていたのだ。

「……でも、
 それがわかったのは流産の後でした」

 産まれるはずだった娘。
 『蛍』という名前まで決まっていた娘。

「そして……」

 おキヌちゃんと横島さんは、『娘の誕生日になるはずだった時期に、毎年一週間ほど休みをとって旅行しよう』と決めたのだそうだ。
 都会から離れて、遠いところで。
 何もかも忘れて、二人でノンビリと過ごす。
 それが……今回の旅行なのだという。

(おキヌちゃん……)

 私は、どう声をかけたらよいのか、全くわからなかった。
 曇る眼鏡を拭くことも出来なくて。
 彼女の表情も、ドンドンぼやけていく。

「……横島さんも、
 ちょっと変わっちゃいました」

 表面的には、昔と同じ。
 馬鹿でスケベで、明るく元気な横島忠夫。

「でも、それはカラ元気なんです。
 だって……その証拠に、
 横島さんは、もう……」

 そして、ここまで話が進んだところで。
 ハッと息を飲むような音が聞こえる。

「……あら、ごめんなさい。
 なんだか湿っぽくなっちゃいましたね」

 と言って、話を区切るおキヌちゃん。

「あ!
 みら先生、眼鏡が
 曇っちゃってますよ?」

 そう言って、彼女は。
 手を伸ばして、私のレンズを拭いてくれた。

「ありがとう、おキヌちゃん」
「どういたしまして」

 ハッキリした視界の中。
 おキヌちゃんは、ニコッと笑っている。
 だけど、彼女の瞳は潤んでいて。
 それがお風呂のせいじゃないことは、誰の目にも明らかだった。






     安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」
    
          第七章 クロス・ザ・ドア
            ―― Cross the Door ――






「みら先生の部屋は、この階なんですか?」
「そうだけど。
 おキヌちゃんは違うの?」
「はい、私は一つ上です。
 ……それじゃ、また明日!」

 風呂上がりの私たちは、大階段を上がったところで、お別れする。
 トントンと軽やかに、さらに階段を駆け上がるおキヌちゃん。
 その後ろ姿を見ながら。

(人生って……悲喜こもごもなのね)

 ちょっと、しんみりする私。
 おキヌちゃんの半生について、あらためて考えてしまったのだ。
 彼女が経験してきたこと、それは滅多にない話のはず……。

(でも……私の人生だって
 この先、色々なことが起こるんだろうな)

 と、自分の将来も夢想しつつ。
 私は、廊下を歩いていく。
 突き当たりを左に曲がって、それから、再び左へ。
 自分の部屋へ向かっていたつもりだったんだけど。

「あれ……?」

 角を曲がったとたん、目に入ってきたのは薮韮さん。
 旅館の運転手というか、小森家の使用人というか、そんな役割の人。
 彼は、今、扉の一つをドンドンと叩いていた。
 足下には、ポットとコップを載せたお盆が置かれている。
 これを運んで来たけれど中に入れないってとこかしら。

(でも……この部屋に
 泊まってる人なんかいたっけ?)

 不思議に思う私。
 そこは、私や福原クンの部屋のすぐ近くなのだ。
 一方、薮韮さんも、
   
「安奈様!?
 どうして、こんなところに……」

 歩み寄る私を見て、怪訝な顔をしている。
 ドアを叩く手も止めてしまっているくらいだ。

「……あ。
 そういうことね……」

 私は、ようやく気が付いた。
 近付いてみたら、扉のプレート番号は207だったの!

「……えへ。
 間違えちゃったみたい」

 ここは三階ではなく、二階なのだ。
 別れ際におキヌちゃんが『私は一つ上です』と言ったのも、これで納得できる。
 きっと、宿泊客の部屋は全部三階にあって。
 二階は、小森家の人々が使っているんだろう。

「三階も二階も、
 パッと見では同じですからね」

 と、苦笑する薮韮さん。
 でも、すぐに真剣な表情に戻って、事情を語り出した。

「ともかく、いいところへ来てくれました。
 大奥様へ御飲物を運ぶ時間なのですが……」

 利江さんの部屋まで来たはいいが、呼んでも叩いても返事がない。
 しばらく心配していたところに、私が通りかかったのだという。

「……じゃ、
 勝手に入っちゃいましょう!」
「それは私も考えましたが……」

 という言葉も最後まで聞かずに、ドアノブに手を伸ばした私。
 扉は固く閉ざされていた。
 いくらガチャガチャやっても、無理なようだ。

「この部屋には窓もないので、
 このドアから入るしかありません」

 外に回って窓から入るなんて。
 そんな無茶は、私も考えていなかった。

「鍵は……?」
「大奥様しか持っておりません。
 合鍵部屋まで行けば、
 もちろん合鍵もありますが……」

 合鍵。
 昨日部屋へ案内された際、シノさんが『合鍵を管理している小部屋が一階にある』と言ってたっけ(第三章参照)。

「もう少し私が頑張っている間に……。
 安奈様、御手数をおかけしますが、
 合鍵を取りに行っていただけないでしょうか」

 うわっ、私、使用人にパシリにされちゃったよ。
 まあ、でも。
 もしも利江さんが熟睡していただけの場合、扉を叩き続けたら、起きて出てくるかもしれないし。
 その場合、私一人がお盆持ってここに立っているのは、なんか気まずいような気もするし。

「……うん、わかりました!」

 快諾して、私はその場を走り去った。


___________


 そして。
 一階大食堂の東隣、合鍵を管理する小部屋に駆け込んだ私。

「すいませーん!!」

 中にいたのは、白髪頭の老人。
 初めて会うので、名前もわからない。
 彼は、畳敷きの部屋で、薄い一枚の座布団に座っていた。

「……どうしました?」

 私を見て、立ち上がる。
 年のせいか、背中が少し曲がっているようだ。

「安奈みらです。
 昨日から泊まっているんですけど……」

 簡単に自己紹介してから、事情を説明する私。
 老人の顔色が変わる。

「そりゃあ……大変だ!」

 今日の夕方の目撃談(第五章参照)を知っているか否かは、ともかくとして。
 四日前に緋山ゆう子の亡霊が出たということくらいは、聞いているのだろう。
 なにしろ、この屋敷には、しずか御前がいるのだ。嬉々として宿泊客に語るくらいだから(第四章参照)、使用人たちにも当然のように吹聴しているはずだった。

「悪いことが起きなければよいがの」

 つぶやきながら、壁際へ向かう老人。
 そこに、たくさんの鍵がかけてあった。 
 彼は左脚を引きずり気味に歩いているが、彼が鍵の番人であるというなら、私が代わりに手を伸ばすわけにもいくまい。
 
「さあ。
 どうぞ、これを」

 老人は、私に一つの鍵を渡してくれた。
 それには、『207号室』と記した小さな紙が、針金で括りつけられていた。


___________


 合鍵と共に二階へ戻ると。
 薮韮さんは、一人、207号室の前で立ちすくんでいた。
 もう扉を叩くことも止めており、なんだか茫然とした感じ。
 それでも。

「あ……。
 安奈さん、ありがとうございます」

 と言って、私の方へ手を伸ばす。
 私から受け取った鍵を、ドアノブの鍵穴にはめる薮韮さん。
 ガチャガチャと、少し悪戦苦闘。
 やはり、動揺していたようで。
 左へ回したらいいのか右へ回したらいいのか、一瞬、わからなくなったらしい。
 それでも、最後には開けることが出来て。

「失礼します、大奥様」
「こんばんは……」

 声をかけながら、私たちは部屋へ入っていく。
 心配する気持ちはありながらも、それでも、ゆっくりと。
 『慎重に』というより、むしろ『恐る恐る』といった感じで。


___________


 そこは、三階の私の部屋よりも、さらに広い部屋。
 いくつかの小部屋に分かれていたんだけど。
 どこへ行くべきなのか、すぐにわかった。

 ガチャッ。

 リビングらしき部屋へ通じる小ドアを開ける。
 小部屋と小部屋をつなぐドアには、鍵はかかっていなかった。外さえシッカリ戸締まりしておけば安心だと思ったのだろうか。
 でも……。

「うっ……」

 私は、鼻を押さえてしまった。
 視覚でも聴覚でもなく。
 私たちをリビングルームへと導いたのは、嗅覚だったから。
 そこに入ったとたん、その独特の匂いが強くなったから。

「おっ、奥様!?」

 隣では、薮韮さんが叫んでいた。
 でも、私は彼の方を見たりはしない。
 私の目は、床の上のそれに向けられていたの。


___________


 むせ返るような血の匂いは、そこから発せられていた。
 それは、この部屋の主、小森利江さん。
 手足を大きく広げて、床の上に倒れている。
 パジャマ姿だけど、眠っているわけじゃない。
 目を大きく見開き、口もだらしなく開いている。
 そして……。
 胸に刺さっているのは、大きな刃物。

「どう見ても……死んでるわ」

 言うまでもないのに、口にしてしまった私。
 まだ殺されてから、あまり時間は経ってないんだろう。
 胸から流れ出した血は、完全には固まっていなくて。
 カーペットの上で大河を成していた。
 その色は、鮮やかな赤。

(これと同じ色、
 つい最近どっかで見たような……)

 ああ、そうだ。
 これは、チャイナドレスの緋色。
 緋山ゆう子の肖像画だ。
 夕方見た人影だ。

(……!!)

 この屋敷に来てから聞かされたこと、考えたこと、目撃したこと。
 それらが、頭の中をグルグルと回っていく。
 中心には、赤い亡霊が立っていて。
 勝ち誇ったように、微笑んでいる……。
 そんな光景を、私は想像してしまった。



(第八章に続く)
   
   
 ようやく殺人事件の発生です。
 第七章から第九章までは、また一日一章ずつ投稿していこうと考えています。

 途中から読み始めた方々もおられるでしょうが、第一章から読んで頂けたら幸いです。
 第一章は、こちらです;
 http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gty/read.cgi?no=10319


 さて、今回の第七章。
 かなりドキドキしながら投稿しています。
 冒頭部に関して、ルシオラファンやおキヌちゃんファンの方々にどう思われるか、それが心配なのですが、それだけではありません。こういう理由でのおキヌちゃん不妊説というのが既出かどうか、それがわからなかったからです。
 もしも有名な作品とアイデアがかぶってしまった場合、それは「その作品を読んでいない」と告白するのも同じですから、なんとも恥ずかしくて……。

 




(12/19追記)
 第八章を投稿しました;
 http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gty/read.cgi?no=10328

 第八章以降も、よろしくお願いします。 


  

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