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安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」第四章

  
「そっか……。
 おキヌちゃん、結婚したんだ」

 ひとり湯船に浸かりながら。
 たっぷりのお湯の中、思いっきり手足を伸ばして。
 私は、たった今の出会いに思いを馳せる。

「ちょっとビックリしたな……」

 前に会ったときは、私も彼女も高校生だった。
 たしか彼女は、私と同じか、あるいは少し年下のはず。
 若くして結婚するようなタイプには見えなかったんだけど。

「結婚……か」

 私の小説の中では、彼女をモデルとした巫女少女は、主人公と、おタンビな関係。
 でも、現実の彼女は。
 幸せで堅実な人生を歩んでいるのだろう。

「あれ?
 神宮寺令子のモデルとなった女性……。
 彼女とは、どうなったんだろう?」

 突然、その疑問が湧いてきた。

「あの人のこと……
 何も言ってなかったわね?」

 おキヌちゃんとの再会は、嬉しい偶然だったけど。
 私が服を脱ぎながら、彼女が着ながらだったので、あまり多くは語れなかった。
 それでも彼女は、結婚相手のことを簡単に説明してくれた。
 彼女の旦那さまは、あの除霊仕事に同行していた男。
 ムード壊れるから見なかったことにして、意識から閉め出していたけれど、確かに彼女たちは三人組だった。
 その『三人組』のうち二人が結婚したとなると……。

「三人の人間関係も……
 変わってしまったのかしら?」

 心地良いお湯に包まれているはずなのに。
 なんだか私は、リラックスできなかった。






     安奈みら取材紀行「蝙蝠屋敷の怪事件」
    
          第四章 小森旅館の怪人
            ―― The Phantom of the Inn ――






(これじゃ……
 この旅館、流行らないわけだわ)

 夕食の席で、そんなことを思ってしまう私。
 ただし、料理の味自体が悪いわけではない。
 実際、私の向かい側では、

「んー。
 ここのメシは旨いなあ。
 まるで……
 おキヌちゃんの手料理みたいだ」
「もうっ、横島さんたら……。
 毎日毎日そんなこと言うの、
 恥ずかしいからやめてください」

 という会話も繰り広げられている。
 まあ、それはそれで、料理を褒めてるのかノロケているのか、わからないけれど。

(食事っていうのは、雰囲気も大切なのよね)

 私は、あらためて、その場の面々を見渡してみた。
 長いダイニングテーブルの片隅に座る、十人の男女。
 そのうち六人が宿泊客。つまり、私と福原クン、樹理ちゃんと茂クン、おキヌちゃんとその旦那さまの横島さん。
 そして、残りの四人は、この旅館の人々だ。
 ただし、女中のシノさんや使用人の薮韮さんはおらず、小森家の人々のみ。

(まずは……女将さんと御主人さん)

 たしか名前は、涼子さんと浩介さん。
 この二人には御客をもてなそうという気持ちもあるようで、時おり私たちに世間話を振ってくる。
 だが、他の二人は違う。

(こっちが……利江(としえ)さん)

 女将さんたちの正面に座っているのは、五十歳くらいの女性。
 団子っ鼻で、眉毛が濃いのが特徴的だ。
 シノさんからは『大奥様』、女将さんからは『お母さま』、御主人さんからは『おばさん』と呼ばれていた。
 女将さんとは似ていないけれど、女将さんの実の母親らしい。
 ついでに、御主人さんの叔母にあたる人らしい。
 ……という情報は、さっき福原クンが耳打ちしてくれた。

(そして……)

 利江さんは黙々と食事するだけで、今のところ特に害はない。
 問題は、テーブルの一番端の人物だ。

(……この人が、ここの一番エラい人!)

 それは、黒衣で身をかためた老女。
 おちょぼ口で、鼻は高くて、目は大きくて。
 若い頃は美人だったのかもしれないけど、今では頬の肉がゴッソリ落ちてしまい、目の周りもくぼんでいた。
 着ているものとも相まって、魔女のような感じがする。  
 小森家の人々から『御前様(ごぜんさま)』と呼ばれる彼女。名前は志寿加(しずか)
 ……と、これも福原クンが教えてくれた。

(小森家の人々と一緒ってだけでも
 旅館っぽくないのに……)

 この『しずか御前』――私の中ではそう呼ぶことに決めた――が、私たちをギョロリと睨むのだ。
 おしゃべりが盛り上がりそうになる度に嫌な顔をするので、どうやら、静かなディナーというのが彼女のテーブルマナーなのだろう。
 なんだか、礼儀作法にうるさい金持ちの夕食会に招かれたような気分。

(この旅館……流行らないわけだわ)

 カボチャの冷製スープに口をつけながら。
 私は、心の中で、もう一度つぶやいた。


___________


「蝙蝠屋敷の悪霊伝説……?」
「ええ。
 夕食前に聞かされましてね」

 食事の後。
 福原クンが私の部屋に来て、教えてくれた。
 私はサッサとお風呂に行ってしまったけれど、あの後、女中のシノさんが呼びにきたらしい。
 食事の用意ができるまでの暇つぶしにということで、大広間に集められて。
 茂クンや樹理ちゃんと一緒に、しずか御前から長話を聞かされたそうだ。

(ああ、なるほど。
 その時に、しずか御前とか
 利江さんの名前を知ったわけね)

 と、納得する私。

「先生も興味あると思って、
 録音しておきましたよ」

 福原クンが取り出したのは、ボイスレコーダー。
 もちろん、飛行機のソレじゃなくて、小型の携帯用のやつ。
 私たちの旅は、一応、取材旅行。だから私も福原クンも、それぞれボイスレコーダーを持っているの。私はノートにメモする方が好きだから、あんまり使ってないんだけど。

「……では、僕は風呂へ行きますので」

 それを置いて、福原クンは、私の部屋から出ていった。


___________


 一人残された私。

「……録音じゃなくて、
 福原クンの口から聞きたかったな」

 なぜか、そんな言葉が口から漏れる。
 伝聞による情報の劣化を防ぐという意味では、彼の行動は正しいはずなのに。

「そうよね……」 

 軽く頭を横に振ってから。

 カチッ。

 私は、ボイスレコーダーの再生スイッチを押す。

「あ。
 また、この話だ」

 最初の部分は、樹理ちゃんに聞かされたのと全く同じだった。
 この地方の『白こうもり様』伝説(第二章参照)。
 でも、それが終わって。
 ようやく、初めて聞く話が始まる…………。


___________
 
___________


 昭和の時代に入っても、小森家は、この地方で一番の有力者だった。
 中央政府の役人とも良好な関係で、政治の派閥争いがあっても、その間を巧みに渡り歩く。

「さすが、小森様は『こうもり様』だ」

 村人たちは、そう噂する。
 この時代になると、蝙蝠のイメージも大きく変わっていた。
 もともと日本の古い文化には中国渡来の名残があり、それで蝙蝠も長寿や幸運の象徴だったのだが、西洋文明の影響が強くなってからは『鳥でも動物でもない、どっちつかずの生き物』となっていたのだ。
 村人の言葉に揶揄が含まれていることは理解しつつも、それでも、小森家は繁栄していく。
 特に当時の御前様は有能だった。世界的な不況の波に日本も飲み込まれる中、彼は、それを逆手に取って財産をいっそう大きくしていた。
 しかし、辣腕で通した彼も、年と共に奇行が目立つようになっていく。
 その一つが、『蝙蝠屋敷』の建築であった。

「そんな大きな御屋敷、
 私たちには必要ないでしょう!?」
「いや……必要だ。
 我が一族の力を示威するために!」

 家族の反対にも耳を傾けず、蝙蝠屋敷は完成する。
 この屋敷は、一族の力のシンボル。そう納得した家族だったが、御前様の真の目的は、別にあった。

「再婚……!?」
「そうだ。
 新しい屋敷に相応しい、
 新しい妻を娶るのだ」

 若くして妻に先立たれ、その後、独り身を通してきた御前様。
 彼の突然の再婚宣言は、一族を驚かせた。
 しかも、その相手として彼が連れてきたのは、二十代半ばの女性。彼の息子たちよりも若い女だったのだ。


___________


 今度も家族は猛反対するが、御前様は聞き入れない。
 こうして、その女性――緋山(ひやま)ゆう子(ゆうこ)――は、小森家の一員となった。
 もちろん、小森家の人々は彼女に冷たかった。そればかりか、村人たちも同じ態度を示す。

「小森さまの家の財産が目当てだろう」
「女ギツネめ、いつか尻尾を出すに違いない」

 緋山ゆう子は、真っ赤な長髪の持ち主だった。
 スタイルも日本人離れしており、今で言うところのナイスボディ。
 和服を着ることはなく、当時の村人の目には奇異に映るような、そんな洋装が多かったという。
 そして、一番のお気に入りは、洋服ではなくチャイナドレス。髪の色と同じ深紅のチャイナドレスだった。
 しかし、彼女が緋色を好むことは、彼女にとって大きな不運となる。

「もしかすると、女ギツネどころか……」
「……緋蝙蝠の化身なんじゃないか!?」

 そうした噂が発生するまで、たいして時間はかからなかったのだ。


___________


 それから半年後。
 緋山ゆう子は、姦通事件を引き起こした。
 相手は、御前様の子供の一人、つまり彼女にとっては義理の息子にあたる人物。
 さすがの御前様も腹を立てた。
 普通ならば、緋山ゆう子は、これで蝙蝠屋敷から追放されるはずだったのだが……。

 御前様が決定を下す前に、彼女は彼に襲いかかり、彼を刺し殺してしまう。
 しかも、御前様だけでは終わらなかった。
 緋山ゆう子は、蝙蝠屋敷の住民全てを殺して回ったのだ。
 小森家の人々だけでなく、召し使いまでも。

 惨劇の後。
 屋敷へ足を踏み入れた村人たちが目にしたのは、一面に広がる血の海。
 床の色は、ゆう子の髪やチャイナドレスのように、深紅に染まっていたという。


___________


 しかし、これだけの事件を引き起こしながら、緋山ゆう子は、憲兵の手に落ちることはなかった。
 彼女は、逃亡に成功したのである。
 まるで最初から存在すらしなかったかのように、忽然と姿を消したのだった。
 そして、村人の間に、新たな噂が生まれる。

「やはり緋山ゆう子は
 緋蝙蝠だったんじゃないか」
「魔物だからこそ
 自由自在に姿を消せるんじゃないか」

 しかも、噂を加速させる方向に、状況は推移していく……。


___________


 一家惨殺事件で屋敷の者は皆殺しにされてしまったが、これで小森家が断絶したわけではなかった。
 孫娘の一人である志寿加が、当時、屋敷にいなかったからである。
 彼女は、書生の羽臼(はうす)(まなぶ)を付き添いとして旅行に出かけており、おかげで、難を逃れたのだった。
 悲劇の屋敷に戻った志寿加は、羽臼学と結婚する。
 二人が新しい小森家の祖となり、これで昔の栄光も蘇ると思われたのだが……。

「あの御屋敷には……
 亡霊が取り憑いているぞ!」

 人知れず逃亡したはずの緋山ゆう子が、蝙蝠屋敷で目撃されるようになったのである。
 それも、一度や二度ではない。
 ある時は、かつての彼女の自室で、窓からボーッと外を眺める姿が。
 またある時は、屋敷の庭にある倉の近くで、スーッと消えていく姿が。
 何度も報告されたのだ。
 その結果、

「やっぱり緋山ゆう子は
 ……緋蝙蝠だったんだ!!」
「小森さまの人々を殺して……」
「……死んだ彼らの
 恨みつらみを餌としてるんだ!」

 村の伝説と重ね合わせた解釈が、人々の間に根付いていく。


___________


「もしかしたら
 緋山ゆう子は逃亡したのではなく、
 蝙蝠屋敷に隠れ住んでいるのかもしれない」

 そう考える者もいた。
 だから、大掛かりな捜索も、何度か行われた。
 しかし、痕跡は何も見つからなかった。

「緋山ゆう子が亡霊なのだとしても。
 屋敷に残された霊魂を
 食しているのだとしても。
 ……それらを除霊してしまえばいい」

 そう考える者もいた。
 だから、有名なゴーストスイーパーを雇うことも、何度か行われた。
 しかし、幽霊などいないと報告された。

「除霊師など……あてにならん!」

 村人たちは、ゴーストスイーパーの報告を信じなかった。
 緋山ゆう子目撃談が、延々と続いたからだ。
 その頻度こそ減ったものの、何年経っても何十年経っても、彼女は現れるのだ。
 その姿は、いつも、赤いチャイナドレスの若い女性。

「人間ではないから……」
「……永遠に年をとらないんだ!」

 しかも、彼女の姿が目撃されるのと前後して、屋敷の誰かが亡くなってしまうのだ。
 病気や事故など、それ相応の死因はあるのだが……。

「呪いだ!」
「緋山ゆう子の呪いだ!」

 こうして。
 緋山ゆう子の亡霊が現れるたびに。
 ひとつ、またひとつ。
 蝙蝠屋敷に、不幸が訪れる……。


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___________


『ここが呪われた屋敷だというなら
 ……なんで、ここに住み続けてるの?』

 ボイスレコーダーから聞こえてくる声が変わった。
 話が終わったと判断して、樹理ちゃんが質問をしたらしい。
 だぶん、しずか御前にギョロリと睨まれたんだろうな。
 
『うっ……』

 という小さな声が録音されていた。
 続いて、しずか御前が返答する。

『屋敷を出ることは、
 緋山ゆう子に屈することになるじゃろう。
 ……それはできん!
 邪悪に打ち勝つ強い心意気だけが、
 緋山ゆう子の呪いをはね返すことになるのじゃ』

 ここで、悪役のような不気味な笑い声。
 そして再び、しずか御前の語りだ。

『……気をつけなされ。
 この屋敷に足を踏み入れた以上、
 おぬしらも呪われておる。
 今回の標的は、おぬしらかもしれんぞ?』
『今回の標的……?』

 おおっ。
 果敢にも口を挟んだのは、福原クンだ。

『そうじゃ。
 三日前に……緋山ゆう子は
 久しぶりに姿を現したからの。
 ……昔と全く変わらず、
 あの絵と全く同じ姿で』

 ここで、録音は終わっていた。

(ああ、そうか……)

 たぶん、しずか御前は最後に、壁の肖像画(第三章参照)を指さしたのだろう。
 ズラリと並んだ中、一枚だけ異質な雰囲気を漂わせていた絵。
 赤いチャイナドレスの女。

(……あれが、ウワサの緋山ゆう子なのね)

 納得して、ベッドに入る私。
 でも、これは、寝る直前に考えるべき内容ではなかったようだ。
 その夜、私の夢の中に『緋山ゆう子』が出てきた。

 彼女の亡霊は絵の中に棲んでいて。
 人々が寝静まった深夜。
 肖像画から抜け出して、宿泊客を襲う……というおはなし。
 妄想豊かな私らしくもない、B級ホラーのような、陳腐なストーリーだった。



(第五章に続く)
   
 
 第三章から中二日空けた上で、第四章の投稿としました。

 この第四章から読み始めた方々もおられるでしょうが、もしも最初から読んで頂ければ、もっと楽しめると思います。
 第一章は、こちらです;
 http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gty/read.cgi?no=10319


 第一章から第三章までを毎日一章ずつ投稿したように、第四章以降も同じペースで投稿して、また区切りのところで少し間を置こうと考えています。
 続きも、よろしくお願いします。



(12/15追記)
 第五章を投稿しました;
 http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gty/read.cgi?no=10325

 第五章以降も、よろしくお願いします。
   

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