ドリーの心の中で静かに雪が降っている。
初めて見たエゲレスのイメージに起因するその雪。
彼女にとってその雪は、恐れと救済の二つの意味合いを内包していた。
―――いつしか雪が完全に心を覆った時、今いる自分は消えてしまうかも知れない
ドリーはそれでも構わなかった。
少なくともそうすれば、思い出したくない過去の記憶も消えてくれるだろう。
家も、家族も持たず、誰にも守って貰えなかった自分。
そんな存在は消えてしまえばいいとドリーは思っている。
カークランド財団に引き取られてからの訓練と検査に塗りつぶされた日々は、降り積もる雪のイメージの様に徐々に彼女の心を覆っていた。
『なんで助けたのかだと? お前が我がエゲレスの必要とする高レベルヒュプノかも知れんからだ―――』
唯一救いの手を差し伸べてくれた存在―――レナルドの言葉を思い出しながら、ドリーはポケットからコンパクトを取り出す。
あの日の記憶は彼女の中で、特別な意味を持つようになっていた。
「力があれば、ドリーは必要とされる。 強いドリーなら、レナルドはまた助けてくれる・・・・・・」
度々繰り返される悪夢。
その悪夢からいつも救ってくれるのはレナルドだった。
彼の冷たい目はドリーを温めることはない。
しかし、あの日に経験した粘ついた視線とは対極とも言えるそれに、ドリーは安堵にも似た気持ちを感じている。
「レベル7になれば・・・・・・」
服を破かれたナオミとそれを目撃した谷崎の好色そうな目に、あの日の記憶を刺激されたドリーはその記憶から逃れようとしていた。
本来作戦行動以外では使用を禁止されているコンパクトをドリーは開こうとする。
コンパクトに搭載されたリミッター以外の機能。
しかしその機能は、ドアを開く圧搾空気の音によってその出番を失ってしまう。
「なんだ、ここにいたのか」
「ミナモト・・・・・・」
自分を見つけ笑顔を浮かべた皆本の姿に、ドリーは手に持ったコンパクトをポケットに戻した。
―――――― 第4のチルドレン【6】――――――
1F検査室
エスパーの体調や精神状態をチェックするこの部屋は、先程皆本が賢木に診察を受けていた医務室の隣りに位置している。
多分、自分が賢木と話しているときから彼女は隣の部屋にいたのだろう。
皆本は多少拍子抜けしたようにドリーの近くに歩み寄った。
「こんな所にひとりで・・・・・・谷崎さんが捜していたよ?」
「ドリー、タニザキ嫌いです。ナオミのことイヤらしい目で見て・・・・・・」
「あ、いや・・・・・・うん、まあ、そうだね」
先程の光景を思い出したのか皆本は敢えて否定はしなかった。
「でも、もう、それも無いんじゃないかな。ナオミ君もソレを嫌だとハッキリ言うようになったことだし」
「?」
不思議そうな顔をしたドリーにクスリと笑いかけると、皆本は多少の誇張を含ませながら先程の光景を説明していく。
自分の気持ちを理解し、無理せず正直に谷崎にぶつけるようになったナオミ。
その身振り手振りを含めた説明に、ドリーもいつしか皆本の話に引き込まれていった。
「・・・・・・それで、壁にめり込まされた谷崎さんがこんな風にグハッ!! って」
壁にめり込まされた谷崎を再現する真に迫った皆本の演技に、微かに揺るんだドリーの口元。
その変化を捉えた皆本は、ホッとしたように彼女に笑いかけた。
「やっと笑った・・・・・・」
「!・・・・・・ドリー、笑ってなんかいません」
自分でも意外だったのかドリーは慌てたように口元を引き締める。
「それに信じられません。タニザキのアタマ、ナオミのことばかり・・・・・・そんなすぐに変わるとは思えません」
「あははは・・・・・・それは確かにそうかもね。けど万一そのことが変わらなくても、谷崎一尉が優れた現場運用主任であることは確かだよ」
「そんなの嘘です・・・・・・レナルドが言ってました。タニザキではドリーをレベル7に出来ないと」
「うーん。ミスター・レナルドは谷崎さんと正反対の人みたいだからね・・・・・・でも、ナオミ君は確かに強くなっている」
「・・・・・・それでは足りません。ドリーが強くなるにはもっと良い指揮官が必要です!」
切実な様子のドリーに皆本は言葉に詰まる。
この部屋を訪れた時に垣間見た彼女の思い詰めた表情。
その後微かに浮かべた笑み。そして、今の焦りを感じさせる物言い。
そのどれもが皆本にちぐはぐな印象を与えている。
ドリーの見せた反応に、彼は張りつめた危うさを感じていた。
「強くって・・・・・・」
「私、強くなります。カオル先輩のように強く・・・・・・ドリーを・・・・・・カオル先輩たちと一緒に戦わせてください!」
「僕も出来るならそうしてあげたいとは思うけど・・・・・・ドリー、君はなぜそんなにチルドレンに憧れてるんだ?」
「カオル先輩は最強のエスパー。それに・・・・・・」
「それに?」
ドリーは記憶の奥底に埋もれた思いを掘り起こそうとしていた。
しかし、確かに存在したはずの自分の思いは見つからず、ただもどかしい思いが彼女の胸に広がっていく。
「わかりません。ただ・・・・・・ドリーには無い何かを・・・・・・持っている気がします。カオル先輩のように強くなればわかるかも知れません・・・・・・ドリーにも」
「ドリー・・・・・・その何かが君に分かる日はきっと来るよ。でもそれは・・・・・・ただ強くなるだけで分かることじゃないと思う」
皆本の真意が分からず首を傾げるドリー。
そんな彼女に、皆本は言い聞かす様に後を続けた。
「実は、ある部分に関して僕は谷崎さんを尊敬していてね。あ、ナオミ君を見る目とは全然ちがう所で」
皆本は冷めた目を向けようとしたドリーに冗談めかし笑いかける。
「谷崎さんが凄いのは、エスパーではなくナオミ君を育成する為にはどんな苦労も厭わない所でね。高レベルエスパー・・・・・・特に直接的な破壊力をもつサイコキノが、ノーマルの学校で問題なく普通教育を受けるなんて、当時の教育行政じゃあり得なかったんだよ」
「学校・・・・・・ですか?」
「ああ、谷崎さんが関係部署を全て説得してね。ナオミ君がその期待に応えてくれたこともあるだろうけど、谷崎さんが立案した就学バックアッププログラムが評価された御陰で、うちの3人も学校に通えることになったんだ。エスパーとしての力とは全く関係ないことだけど、もっとみんなと話して、いろんなものを見て、そして考える・・・・・・そういうことが君たちの成長になるんだよ」
みんなと共にいられなかった少年時代を思い出し、皆本は少し寂しげな笑みを浮かべていた。
彼はその感傷がドリーに共感されないものであることに気付いていない。
純粋培養である特別教育プログラムに進んだ彼は、本物の汚い世界を知らなかった。
「ドリーには・・・・・・よくわかりません」
「うん、今は分からないかもしれない。でも、今にきっと―――」
―――――― 今にきっと分かる
こう言おうとした皆本は携帯の着信に言葉を詰まらせた。
発信者は桐壺。先程の件で至急伝えたい事があるとの用件に、皆本は表情を引き締める。
彼はドリーとの会話を打ち切ると、桐壺の指示に従い地下駐車場に向かおうとした。
「ごめん! 急に呼び出しが入っちゃった・・・・・・でも、君にも今にきっと分かる。焦ることはないと思うな」
こう言って検査室を出ようとした皆本は、何かを思いだしたようにドア手前で振り返る。
「あ、そう言えばさっきソフィアさんとお会いしたよ。分からなかったら、ソフィア
お姉さんに相談してみるのもいいかもね。それじゃ!」
皆本が最後に放った言葉がドリーの表情を凍らせる。
しかし、閉じたドアが皆本の目からその表情を隠していた。
「皆本がうらやましい・・・・・・ドリーは・・・・・・」
何かを言いかけたドリーは背後を振り返る。
時折感じる背後から何かが迫ってくるような圧迫感。
無人の筈の室内を見つめ、ドリーは自分に言い聞かすようにそっと呟く。
「ドリーが強くなければ・・・・・・力がなかったら・・・・・・きっと・・・・・・財団はドリーを必要としない・・・・・・」
彼女の心には再び冷たい雪が舞い始めていた。
東京郊外
犯罪者エスパーの収容施設に、桐壺は皆本を引きつれ訪れていた。
如何にも刑務所然とした施設を囲む高い壁と鉄条網、見張り用の櫓は脱走を手引きする外部に向けた備えでしかない。
脱走を図ろうとするエスパーたちへの備えは、各人にはめられたリミッターと鉛を含んだ特殊電磁鋼材による隔壁、そして隙間無く設置されたECM【超能力対抗装置】だった。
「かなり深いですね・・・・・・これだけの地下施設にいると言うことは、彼はこの施設の看守かなにかですか?」
地下へのエレベーターに乗った皆本は、予想以上に長い降下時間に緊張の色を隠せなかった。
案内役の桐壺は、彼に先程会った謎の男に会わせるとしか説明していない。
桐壺自身かなり緊張しているのか、皆本の質問に答えた彼の声は何処か上ずっていた。
「ここは地下500メートル──―彼のためだけに造られた特殊監房でね・・・・・・」
「彼は犯罪エスパーなんですかッ!? それも、こんな場所に・・・・・・」
「そう、彼はここにいるはずだ。バベル本部にあらわれる筈がない。監視は24時間続けているし、異常があればすぐに連絡がくる・・・・・・つまり、奴が外に出られた筈がないのだ」
何処か自信なげな桐壺の言葉が終わるのと同時に、最下層に到着したエレベーターの扉が開いた。
その場を警備していたスタッフと2,3状況の確認をした桐壺は、異常なしとの報告に忌々しそうに口元を歪める。
彼の指示によって、滅多に開くことのない厚さ1メートルを越す特殊電磁鋼材の扉が重厚な音を立てて開いていく。
目の前に開けた光景に、皆本は驚きの声をあげていた。
「な、なんですか!?この厳重な警戒は!?」
やり過ぎとさえ思えるECMの設置と、全ての面を覆い尽くす特殊電磁素材の壁。
リミッター研究の第一人者である皆本は、そのヒステリックなまでの超能力対策が悪い冗談のようにさえ思えている。
ここまでの対抗策が必要なエスパーなど、理論的に存在するはずはない。
そんな彼の考えは、桐壺が指さした人影に呆気なく霧散していた。
「奴の名は兵部京介。エスパー犯罪史上最強の人物だよ・・・・・・」
「馬鹿なッ!・・・・・・」
隔離スペース中央に設置された強化樹脂の独房の中には、先程会った学生服の男が長椅子に本を片手に寝ころんでいた。
読書を中断し、絶句している皆本に皮肉めいた笑みを浮かべた兵部は、彼を無視するように桐壺に話しかける。
「やあ桐壺クン。20年ぶりかな? 相変わらず若々しいね」
「今年80になる貴様ほどじゃないよ、少佐・・・・・・」
「は、はちじゅう・・・・・・!? どう見たってそうは・・・・・・!!」
次々に明かされる予想を遙かに超える出来事。
喉に声を絡ませた皆本に、桐壺は兵部を忌々しそうに睨みつつ説明を加える。
「奴は遺伝子を超能力でコントロールして老化を免れているのだ」
「いやだなあ、ここで超能力が使えるわけないじゃないか。ただの特異体質だよ」
「とぼけるなッ! あんたはこれまで何度も痕跡を残さずに外に出ている。設置した多数の新型ECMも役に立たなかったようだな」
「ククク・・・・・・なかなか面白い人材を揃えたじゃないか、桐壺クン。変身や憑依を行う合成能力者や、アブノーマルなノーマルの指揮官なんてね」
こともなげに新規参入したばかりの【ザ・ハウンド】や、色々な意味で正体を露呈した【ワイルド・キャット】について口にする兵部。
それは桐壺の言うとおり、彼が自由にこの場から抜け出せていることを物語っていた。
「そんな・・・・・・数多くの新型ECMの影響下でも超能力を・・・・・・!?」
「それだけではない。サイコキネシス・・・・・・テレパシー・・・・・・そしてテレポーテーション。彼は様々な能力を兼ね備えた複合能力者でネ」
「高レベル複合能力者・・・・・・!!」
「しかも、そのレベルも使える能力の種類も我々には分からないのだ」
「そんな・・・・・・」
超能力研究に関してはそれなりの自負があった皆本だったが、彼は己の超能力に対するイメージが足下から崩れていくのを感じている。
目の前の男は、明らかに規格外のエスパーといえた。
「僕のことなんかどうでもいいよ・・・・・・それよりも、あのレベル7の3人。実に良いね」
「ここ10年ほどおとなしかった貴様が、うちの可愛い【ザ・チルドレン】になんの用だッ!?」
「興味があるのさ、かわいいコたちだからね。将来僕の花嫁にしたい・・・・・・っていったらどうする?」
「はっ、花嫁て・・・・・・局長ッ!」
兵部の行った爆弾発言。
能力以外の面でも彼に危険を感じた皆本の目の前で、桐壺は兵部めがけて強化樹脂の壁に殴りかかる。
「言うに事欠いてッ! このジジイ──ッ!!」
強化樹脂の表面に桐壺の拳が無数の亀裂を作っていく。
彼の脳裏には、愛娘を男に奪われたときの記憶がフラッシュバックしていた。
「くっくっく・・・・・・おや?」
楽しげにその光景を眺めていた兵部が、何かに気付いたように天井に視線を向けてから数秒後。
けたたましい警報と共に、地上施設で受刑者の暴動があったとの知らせが入った。
「これも貴様の差し金かッ!? 兵部少佐ッ!!」
「さあね。知っていることはいくつかあるけど、教える気はないよ」
「クッ・・・・・・コイツのことは後だ! 皆本クン我々は急いで地上に戻るぞ!」
「は、はい。局長ッ!」
素っ気ない兵部からの情報収集を諦めた桐壺は、皆本と共に来たときと同じ道を戻ってく。
嘲笑混じりに二人の姿を見送っていた兵部だったが、彼らの姿が見えなくなった途端に不快な表情を浮かべ始める。
「おかしい・・・・・・予想より1週間ほど早い。誰かが奴らの手引きをしたというのか? ふむ・・・・・・」
しばし思案してから何処かへとテレポートする兵部。
後には「一身上の都合により脱走します」とのメモが残されていた。
けたたましいサイレンに包まれた収容施設。
その駐車場に最も相応しく無いパールピンクのロールスロイスの中で、ソフィア・カークランドは妖艶な笑みを浮かべた。
「あら怖い。受刑者の脱走かしら・・・・・・折角、最先端を行く収容施設の見学に来たというのに、
本当にツイてないわ。そう思わない? レナルド」
彼女の問いかけに、レナルドはすぐに答えることは出来なかった。
来日して早々、彼女は自分とドリーを伴いこの収容施設を訪れている。
多分、この施設に目的である兵部京介が収監されているのだろう。
あまりのタイミングの良さに、彼はこの一件に関してソフィアの関与を疑っている。
彼が畏怖するソフィア・カークランドという女は、一片の躊躇いもなくそのような行動を起こせる人物だった。
「大変申し訳ありませんッ! 現在、受刑者の一部と脱走を手引きした何者かが暴動をおこしておりまして。施設内の安全な場所に避難していただきたいのですが」
「この車は対戦車ライフルの直撃にも耐える。この中の方が安全だ・・・・・・」
走り寄ってきた警備スタッフの誘導に、初老の運転手が鉄錆の様な声で答える。
政府からソフィアに対してVIP待遇を通達されているのか、警備スタッフは一瞬の躊躇の後、本来なら話すべきでない詳細な情報を説明し出す。
「脱走を手引きした何者かにより、受刑者は最新式のECCM【対超能力対抗装置】を手にしています。物理的な防御は意味をなさない可能性が・・・・・・」
「まあ、それでこんな騒ぎに? それでは誘導に従って施設内に避難させていただきますわ」
彼女の意志は絶対なのか、または先程の拒絶はスタッフから状況を聞き出すための芝居だったのか、運転手は流れるように運転席を後にするとソフィアを誘導すべく後部座席のドアを開ける。
ドリーを伴いソフィアと反対の方向から降車したレナルドは、心底楽しそうなソフィアの姿に胃の痛みを感じ始めていた。
「ドリー。コンパクトは装備しているな?」
「はい・・・・・・ミスター・レナルド。ドリー、絶対にミス・ソフィアを守ります」
「ふふっ、その必要は無いでしょうね。すぐにミナモトさんが【ザ・チルドレン】と共に駆けつけるでしょうから・・・・・・そうだわ、ミナモトさんにお願いして、あなたも鎮圧のお手伝いを・・・・・・」
「いや、それがその・・・・・・」
ドリーによる協力の申し出に気まずそうな顔をするスタッフ。
彼らはソフィア一行を最も堅牢な一角へと案内してから、声をひそめるようにして彼女の申し出を辞退しようとする。
「実は皆本二尉は囚人の1人に人質にされています。そして桐壺局長も人質にはなっていないものの、脱走防止に封鎖したブロックに閉じこめられた状態でして・・・・・・」
「まあ、それは大変! 一体、何故人質になんか!?」
予想もしていなかった情報に、ソフィアの声が僅かに高くなる。
レナルドはそのことで、皆本と桐壺の窮地がソフィアの予想から外れていることを理解した。
「地下施設からの帰り道、偶然、囚人の一人と出くわしまして・・・・・・運の悪いことにその囚人は対超能力戦の訓練を積んだ元軍人でした。現在、特務エスパーチームがこちらに向かっていますが、指揮官不在の【ザ・チルドレン】との共同作戦は・・・・・・」
「それはお気の毒に、
本当に運のないことですわ。ですがそれならば尚のこと・・・・・・」
「来た! カオル先輩たちです・・・・・・」
室内で【ザ・チルドレン】の到着に気付いたのはドリーだけだった。
数十秒後、無線で3人が封鎖地区に突入した知らせを受けた警備主任は、ドリーの能力に賞賛の目を向けている。
「ドリー。【ザ・チルドレン】のお手伝いをしたいのでしょう?」
自分の問いかけに深く肯いたドリーに、ソフィアは堪らない笑みを浮かべた。
「決まりね。ノーブレスオブリージ・・・・・・あなたのその力で【ザ・チルドレン】を手伝いなさい」
彼女は毅然とした態度で警備隊長に向かうと、エゲレス政府の一員として正式に協力を申し出る。
人に命じ慣れている者が持つ、一種独特な威圧感がその声には含まれていた。
「う・・・し、しかし、内部にはECMが・・・・・・【ザ・チルドレン】のリミッターには最新のECCMが装備されているからこそ・・・・・・」
「あら、
本当に偶然ってあるものね・・・・・・アレを出して頂戴」
ソフィアの指示に運転手が恭しく差し出したのはただのコンパクトだった。
呆気にとられたような警備スタッフを他所に、レナルドの顔に緊張が走る。
彼はそのコンパクトの持つ意味合いを瞬時に理解していた。
「
たまたま我がエゲレスでも最新型のECCMを開発しましてね。私の来日は、一日も早くドリーにこれを渡してあげようと言う意味もありましたの」
「これが彼女の・・・・・・」
「ええ、最新式のリミッターですわ。そして、封鎖地区に入るのはドリーだけではありませんから・・・・・・いざとなったらレナルドが身を挺してでも、彼女を守るでしょうし、そう・・・・・・あの時の様に。そうでしょうレナルド」
「・・・・・・はい、その通りです。ソフィアお嬢様」
突如湧いた危険な任務に、苦労して動揺を押し隠すレナルド。
ソフィアの提案に関して彼は拒否権を持ち合わせていない。
彼女が浮かべた微笑みに、レナルドは心臓を鷲掴みにされていた。
「すごい・・・・・・これを全部先輩たちが」
封鎖地区に入ったドリーとレナルドは、目の前の光景に感嘆の声をあげていた。
二人の目の前には、脱走を手引きした何者かが持ち込んだ兵器―――多脚式の自走砲台の残骸が無惨な姿で転がっている。
そしてその隣には残骸を器用にねじ曲げて作った拘束具で、意識を失ったサングラス姿の侵入者が拘束されていた。
兵器に関しては完膚無きまで破壊し、そして人間に対しては意識を失わせる程度のダメージを留める。
彼らの誰もが致命傷を負っていないことが、彼女たちが繊細な手加減をしながら戦闘を行っていたことを物語っていた。
―――やっぱりだ。お嬢様も相変わらず無茶をする・・・・・・
ドリーがチルドレンの力量に驚きの表情を浮かべるのとは別に、レナルドはサングラス姿の侵入者が携えている兵器に驚きの表情を浮かべていた。
彼はその兵器に非常によく似たものを、エゲレスの兵器開発部で見かけたことがあった。
念のため使用されている部品を確認したが、使われている部品にエゲレスへと辿れるものが無いことに軽い溜息をつく。
そんな彼の背後で侵入者の気配が動いた。
「チッ、新手かッ!」
「丁度良い。貴様に聞きたい事がある」
レナルドが振り向きざまに撃った数発の銃弾は、角から現れ戦闘態勢を取ろうとした2人組の片割れの肩を打ち抜き、手に持ったマシンガンを無力化する。
苦痛に崩れ落ちた男を確認すると、彼はすばやく通路に隠れドリーに手短に指示を与えるのだった。
「ドリー、残りは一人。アクアカレントでいけ!」
「わかりました・・・・・・ミスター・レナルド」
レナルドの指示に応えるようにドリーの瞳が怪しい光を発する。
反撃の姿勢に入ろうとした男が、驚きに目を見開いたのはまさにその時だった。
「グボッ! い・・・き・・・・・・が・・・・・・」
その瞳に何が映っているのか、男は苦しげに喉を掻きむしる。
そして水中で藻掻くような仕草を2,3度繰り返した男は、最後に苦しげな痙攣を一つだけするとぐったりと意識を失っていった。
「よし、お前はここで待機して・・・・・・ッ!」
自分が無力化した男を尋問しに向かおうとしたレナルドは、猛烈な銃撃に晒され間一髪で通路の影に逃げ帰った。
倒れた男が最後の力を振り絞り起動させたのだろう。
角からゆっくりとその姿を現した多脚砲台は、禍々しい陽炎の立つ銃口をレナルドとドリーが隠れる通路へと向けていた。
「チッ・・・・・・ヤツにはヒュプノによる幻覚は通じないか。さて・・・・・・」
何かを訴えるレナルドの視線に肯いてから、ドリーは先程ソフィアから渡された新型のリミッターをポケットから取り出す。
コンパクトを模したそれを広げると、微かな耳鳴りと共に鏡に映った自分の瞳が目に入った。
一瞬で雪のようなものに覆われる彼女のイメージ。
極限の集中に入った彼女の脳裏には、それまでのヒュプノとは異なる力のイメージが構築されていく。
ドリーは自分の力のあり方として、強く薫の姿をイメージしていた。
「ドリー、カオル先輩のようになります・・・・・・」
こう呟いたドリーは、内部から湧き上がる力を圧縮し多脚砲台へと叩きつけた。
薫がサイキック・アイアンハンマーと呼ぶのと同じ現象が、多脚砲台を破壊し荒れ狂う銃撃を沈黙させる。
レナルドはドリーにその場での待機を命じると、再び男を尋問しに向かっていった。
「意識はあるな? 死にたくなかったら質問に答えろ・・・・・・この兵器や囚人に渡したECCMはどこで手に入れた」
苦痛に息も絶え絶えな男に、レナルドは容赦なく質問をぶつけていた。
痛みと出血に意識を失いかけている男は、なかなかその質問に答えようとはしない。
レナルドは氷のような目で男を見下ろすと、床に倒れた男の銃創を踵で容赦なく踏みつけるのだった。
「もう一度言う・・・・・・質問に答えろ。お前が答えないなら、別な人間に答えさせるまでのことだがな・・・・・・」
その言葉に観念したのか、男は【普通の人々】という所属団体の名と、その団体の活動理念、活動方法を口にする。
彼らと戦闘経験のある者たちにとってはお決まりの台詞に、一応の納得をしたのかレナルドは安堵の表情を浮かべた。
どうやら【普通の人々】とは高度に独立した組織構造をしているらしい。
ECCMと兵器の出所に関して、そう簡単に辿れないことを理解したレナルドは、男の肩口を抉るように踏みつけ気絶させた。
「この件については気にしないでもいいようだな・・・・・・ドリーッ! 先ずは地下最深部へのエレベーターを目指すぞ!」
レナルドはソフィアにこれ以上の暴走をさせないためにも、彼女の望み通り兵部との接触を優先事項にする気だった。
憬れや直接戦闘などの強い影響によって、他のエスパーの能力を自己催眠を使い模倣することができる特殊なヒュプノ。
その能力特性を持つ可能性こそが、カークランド財団がドリーを保護した理由だった。
「ドリーッ! 早く来いッ! ドリーッ!?」
レナルドの呼びかけにドリーは応えない。
慌てて待機を指示した通路に戻ったレナルドは、姿を消したドリーに困惑の表情を浮かべるのだった。
第4のチルドレン【7】に続く
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