エレベーターホールで待っていたのはレナルドだけでは無かった。
珍しく上機嫌なレナルドの側らには、医師らしき日に焼けた男と付き添いの女性スタッフ。
それとエレベーターを止めているパイロットらしき男の姿があった。
「・・・ミスター・レナルド。検査室は1階では?」
挨拶もそこそこにエレベーターに乗った一同は、1階ではなく屋上を目指している。
不安そうなドリーの問いかけに、レナルドは最も彼に似合わない表情―――笑顔を浮かべた。
「予定が変わったと言ったろう・・・・・・バベルはお前の能力を高く評価してくれたようだ」
彼はそのままの表情で側らの医師を振り返る。
「こんなに早く、多数の機密事項を抱える研究施設に案内されるとは。感謝しますよ・・・・・・ドクター・サカタ」
「はは・・・・・・賢木です。しかし、エゲレス政府の方に知られているようでは機密と言っても・・・」
先程賢木と名乗った若い医師は、レナルドの言葉に曖昧な笑顔を浮かべる。
彼が口にした軽口に、レナルドは微かに表情を引きつらせた。
「フン。ESP研究で立ち後れた我が国には諜報能力すら無いとでも?」
レナルドが見せた歪んだ愛国心に賢木は小さく肩をすくめる。
サイコメトリーを使ったわけではない。皆本と同じく留学経験のある賢木にとってさんざん見慣れた表情をレナルドは浮かべていたのだった。
「あの・・・ドリー、何処に行くのですか?」
険悪に成りかかった空気に不安を感じたように、ドリーがレナルドを見上げる。
その不安げな眼差しに、いつものような冷たい視線を向けたレナルドはたった一言こう言い放つのだった。
「富士の樹海だ・・・・・・」
―――――― 第4のチルドレン【2】 ――――――
富士の樹海内部に作られた研究施設は、その重要度に応じていくつかのエリアに分かれている。
ドリーたちを輸送したヘリ―――バベル1が着陸したのは、最もセキュリティーが薄い検査施設の一角だった。
ヘリを降りて早々、物珍しげに周囲を見回すドリーとレナルドに、施設の職員がIDカードを渡していく。
検査室内のみ入場を許された検査用IDカードに、レナルドは聞こえないよう小さく舌打ちをした。
「さてと、ドリーちゃん。疲れたかも知れないけど、早速検査室で君の力を測定させて貰おうかな」
案内された検査室には、エゲレスの施設でも見慣れた検査機器が立ち並んでいた。
これから行われる検査の内容を理解し、ドリーの顔に微かな戸惑いが浮ぶ。
「じゃあ、先ずは簡単な診察から始めようか。超度を測定するのはそれから・・・・・・と、その前に」
言葉を切った賢木は、ドリーの背後に立ったままのレナルドに咎めるような視線を送る。
これから行う診察には肌を露出しなければならないものも存在する。
彼女の見せた戸惑いの原因を、賢木は思春期手前から生じる恥じらいだと思っていた。
その辺の気遣いを求めようとした賢木の視線に、レナルドはいつもの冷たい口調で応える。
「かまわん。私もドリーも、そんなことは気にしない・・・・・・そうだな? ドリー・・・・・・」
「はい・・・・・・ミスター・レナルド・・・・・・」
レナルドの言葉に手短に応えたドリーは、微かな躊躇を振り切るように制服を脱いでいく。
朱色のベレー帽を外し、モスグリーンのセーターを脱ぎ、グレーのネクタイを緩める。
そしてYシャツを脱ぎ捨てたドリーが、その下に着込んだ下着に手をかけるのを賢木は若干慌てたように制止した。
「い、いや、それは外さなくていい。あとはそれだけで・・・・・・」
賢木の指示に従い、ドリーはスカートの下に履いたタイツを脱いでいく。
呆気にとられた賢木はレナルドに目を向けたが、そこにあったのは何の感慨もない凍り付いたような視線のみだった。
脱ぎ終えたタイツを他の衣類と共に診察台脇の篭に置きながら、ドリーもレナルドの表情を確認するように視線をとばす。
一瞬の停滞の後、賢木を振り返ったドリーからは戸惑いの表情は消えていた。
「ここに・・・寝ればいいんですか・・・・・・?」
「えっ? あ、ああ、そう。その診察台に・・・・・・」
エゲレスでもエスパーの体調管理の為に行うメディカルチェックは頻繁なのか、ドリーは慣れた様子で診察台に横たわる。
薫たちとは何処か異なる反応に、賢木は何気ない風を装い自身のリミッターを解禁した。
「そう、力を抜いて・・・・・・それじゃ、軽く触診から始めるから。飛行機、ヘリと立て続けじゃ疲れたんじゃ・・・ッッ!!」
まるで熱く焼けた鉄に触れたように、賢木はドリーの頸部にあてがった手を慌てて外した。
ドリーの内部に何を見たのか、彼の顔からは一切の表情が失われている。
そんな彼の変化を冷ややかに見つめながら、レナルドは愕然とする賢木に向かい口を開いた。
「バベルにサイコメトラーの医師がいると聞いたが、君のことだったか・・・・・・・・・・・・・・・胸を張れッ! ドリーッツ!!」
賢木に向けたサイコメトラーであるという一言。
その一言に拒絶の姿勢を見せ、何かに怯えるように診察台の上から逃げようとしたドリーをレナルドは一喝した。
ビクリと体を竦ませたドリーだったが、冷たい目で賢木を見据えるレナルドに倣うよう胸を張り賢木をじっと見つめる。
その眼差しを受け止め切れず、賢木は思わず視線を逸らしてしまった。
「それでいい・・・・・・お前が誇りあるエゲレスの高レベルエスパーである限り、過去はお前に追い着いて来ない」
ドリーの姿に満足そうに肯くと、レナルドは打ちひしがれる賢木に向かい意外なほど柔らかな声をかけた。
「そうでしょう? ドクター・・・・・・」
「ええ、その通りです・・・・・・」
賢木は笑顔を浮かべると、診察台の上に上体を起こしたドリーに笑いかける。
これ程苦労して笑顔を浮かべたのは、彼の人生で数えるほどしか無かった。
「それでは診察の続きを・・・・・・ドリーが一日も早くレベル7になれるように」
レナルドに促されるように賢木は診察を再開する。
リミッターは最大に、そしてドリーへの接触は最小に。
彼が触れようとする度に強ばり、それを無理に我慢しているドリーに賢木が見せかけの笑顔を絶やすことは無かった。
手短に診察を終わらせると、賢木は隣室で検査の準備をしている女性スタッフをインターホンで呼びつける。
「さてと、診察は終了。服を着てから隣の部屋でESP出力の検査に移ろうか」
その言葉を受け、そそくさと服を着だしたドリーの姿に、賢木に呼ばれ入室した女性スタッフが怪訝な顔をした。
「あれ!? 賢木先生、ESP関係はもっと後の予定では?」
予定では、採血、心電図等の基本的な検査に加え、MRIなど健康面の検査を入念に行った後にESP関連の測定に移ることになっていた。
賢木はそんな彼女にいつものような軽薄な笑顔を向けると、後は任せたとばかりにドリーの検査項目が書かれたカルテを引き継いだ。
「いや、予定変更。特に健康面に問題無さそうだから、先にESPチェックを一通りやっといてよ!」
呆れ顔の女性スタッフに背を向け、賢木は着替えを終了させたドリーの前にかがみ込む。
目を逸らされなかった事に、彼は心の底から救われていた。
「んじゃ、ドリーちゃん。このお姉さんについて行って。エゲレスでもやったことあるよね? ここの設備はレベル7まで測定できるから思いっきりやっちゃって!」
「はい。ドリー頑張ります!」
女性スタッフの後に付き、元気に隣室に移動するドリー。
そんな彼女を見送ってから、賢木はその場に残ったレナルドに振り絞るように謝罪の言葉を口にした。
「すみません・・・・・・」
「何を謝る。君は自分の職務に忠実だっただけだ・・・・・・」
何の抑揚もない冷たい声。
しかし、ドリーにとってその声が持つ意味を理解した賢木には、もはや彼の声は嫌悪の対象にはなっていなかった。
「だが一つ約束して欲しい。もしも今後、それがドリーがレベル7になるために必要なデータだと言うのなら、全て私が提供する。だから・・・・・・」
「今後、二度と彼女にサイコメトリーは行いません。それに今、
透視た事は絶対に他言・・・・・・」
「日本が、我がエゲレス並に礼儀を重んじる紳士の国であることを期待する」
まるでそれが当然のことであるかの様に吐き捨てると、レナルドはドリーの後を追い隣室への防音扉を潜る。
その扉が閉じられたのを待ってから、賢木は自己嫌悪に耐えかねたように近くの壁を思いっきり殴った。
ベシという鈍い音と共に拳が割け、すりむけた皮膚からはたらたらと血がこぼれる。
脈打つように疼く裂傷とは別に、錐で刺すように痛む手の甲。
多分、中手骨にはヒビが入ってる事だろう。
自分の能力を使えば痛みを消し去る事は出来る。
しかし、賢木は敢えてそれを行わず、歯を食いしばり痛みに耐え続ける。
それが彼にとっての贖罪であるかのように。
少なくとも右拳から伝わってくる痛みは、先程読み取った情報を彼の中から薄れさせてくれていた。
検査室
幾層にも重ねられた強化樹脂の窓越しに、ドリーは検査機器を操るスタッフを眺めていた。
中で待機するよう指示された数メートル四方の検査室には、彼女以外の人影は存在しない。
部屋と周囲を隔てる分厚い金属とコンクリートの壁。そして壁面に貼られた真っ白い衝撃吸収剤と所々に配置されたセンサーが、この部屋が高レベルエスパー用の出力測定ルームであることを物語っていた。
操作室内を慌ただしく動き回るスタッフの様子からすると、そろそろ測定開始が近いらしい。
そっと目を閉じると、ドリー周囲を包む静寂が一層その密度を増していく。
「・・・・・・・・・・・・」
彼女は完全防音の室内に、エゲレスに引き取られた朝に経験した一面の雪景色を思い出していた。
一夜にして全ての景色を覆い尽くし、周囲に静寂をもたらした大雪はドリーの心に強い印象を与えている。
真っ白に塗りつぶされ、余計な雑音が排除された綺麗な世界。
初めて経験する身を切るような寒さは、支給された清潔で温かな制服が防いでくれていた。
その雪の下にどの様な光景があるのかは彼女には分からない。
しかし、その冷たい雪に覆われた真っ白い世界に、ドリーは確かに救われていたのだった。
「準備はいいかしら?」
室内に設置されたスピーカーから女性スタッフの声が聞こえる。
ドリーがゆっくりと目を開けると、女性スタッフの横にはあの日と変わらない凍てつくような視線のレナルドの姿があった。
「はい・・・・・・ドリー、いつでも大丈夫です」
ドリーはそう答えると意識を集中しはじめる。
まずは訓練で習ったとおり「できる」と強く思う―――それはカークランド財団の訓練だけでなく、世界中の超能力開発機関で取られているごく普通の精神集中法だった。
続いて頭の上に力場のイメージを集中によって作り出す。
輪となったソレが舞い降り自分を包み込んだ瞬間、ドリーは高レベルエスパーとなった自分を感じていた。
「それでは、対象を目の前に投射します。何でもいいからそれに向かって暗示をかけてみて・・・・・・」
スタッフの声とほぼ同時に、ドリーの目の前に立体映像が投射され始める。
徐々に鮮明になる立体映像に、検査室内で見学していたレナルドが感心したように呟く。
エゲレスの測定施設には、これ程大がかりな検査機器は存在しなかった。
「ほう・・・・・・立体映像か」
「力を使う対象がハッキリしていた方が、意識を集中しやすいですから・・・・・・」
マイクのスイッチを切り切ってから、レナルドの呟きに答える女性スタッフ。
その口調には何処か迷いの様なものが感じられていた。
「成る程。しかし、年寄りの映像とはあまり効果的でないような気がするがね」
「ええ、ドリーちゃんの様なヒュプノ能力者は珍しいですからね。今、流れているのはバベルにいるヒュプノ能力者用のプログラムです」
超能力研究では世界のトップ水準にあるバベルではあったが、サンプルの少ない高レベルヒュプノについての研究はそれほど進んでいない。
そのため歯切れの悪くなった彼女の答えに、レナルドは予想外の反応を示していた。
「バベルにもヒュプノが!? まさか、この施設にいるバベルの最高顧問のことかな?」
「は? 最高顧問?」
「そう、女性の高レベルエスパーという噂を聞いている。それも若く美しい・・・・・・一度、ドリーと共にご挨拶したいのだが」
朴念仁で女性に興味が無いようなレナルドが口にした若く美しいという言葉。
意外なギャップに目を丸くした女性スタッフは、彼の発言に込められた真意に気付くことは出来なかった。
「いえ、この施設の責任者はノーマルの男性ですよ。本部の局長は時々ノーマルとは思えない行動をしますけど・・・・・・」
レナルドの言葉を誰かにからかわれたものと思った彼女は、クスリと笑いながら冗談交じりに彼が聞いた噂を否定する。
彼はその反応に皮肉っぽく口元を歪ませると、眼鏡の位置を直しながら小さくポツリと呟いた。
―――スタッフにも知られていない存在。我が国の諜報機関が優秀すぎたということか・・・・・・
「え、何かいいましたか?」
「いや、それではヒュプノと年寄りの間にどのような関係が?」
「ああ、バベルが模索している超能力の平和利用の一環に、ヒュプノによる終末医療というのがありまして・・・・・・」
島の位置等の具体的な情報は漏らさないものの内容自体は開示可能らしく、スタッフは南の島で行われているヒュプノの利用計画を説明し始める。
その説明が終わろうとした頃、ドリーの測定結果がアラーム音と共に操作室のモニターに表示された。
「レベル4〜5。ちょうどいま話にしたヒュプノ能力者と同じくらいですね」
「失礼。ドリーと会話させて貰おう・・・・・・」
表示された結果に不満の表情を隠さないレナルドは、スタッフの許可が無いままマイクのスイッチをオンにした。
「何をしているんだドリーッ! こんなことではエゲレス政府が熱望するレベル7になど到底なれはしないぞっ!!」
「す、すみません。ミスター・レナルド・・・・・・」
「今回の検査結果が【ザ・チルドレン】への参加に影響することは分かっているはずだっ! 希望を果たせずにエゲレスに帰国することになってもいいと言うのかっ!!」
レナルドの剣幕に萎縮し下をむきかけたドリーだったが、続けざまに放たれた彼の言葉を聞き慌ててその顔をあげる。
追いつめられたようにも見える彼女の目には、強い決意の光があった。
「嫌です! ドリー、絶対に【ザ・チルドレン】に入ります。そしてカオル先輩みたいに・・・・・・」
「ならば、何をすべきか分かっているな?」
「・・・・・・そっちの電気を消してください。ドリー、もっと集中したい」
その言葉に静かに肯くと、レナルドは部屋の隅にある電気のスイッチに歩み寄った。
「バベルのヒュプノ利用法には感服する。しかし、我がエゲレスが求めるのは圧倒的な力・・・・・・次はサイコキノ用の立体映像―――そうだな、テロリストの映像などを使用して貰おう。それでいいな! ドリー!?」
「カオル先輩と同じサイコキノ・・・・・・はい、それでお願いします」
彼女の言葉に応えるようにレナルドがスイッチを切ると、操作室の電灯が一斉に消えた。
明かりの落ちた操作室が見通しずらくなり、検査室内のドリーの目に強化樹脂の窓に反射した己の姿が映る。
彼女は窓に反射した己の目を食い入るように見つめていた。
「何をしているッ! 早く投影したまえ!!」
目の前で行われたやり取りが理解できず、呆然としていた女性スタッフをレナルドが一喝する。
その剣幕に押された様にスイッチを入れた彼女は、数分後に驚愕の声をあげることとなるのだった。
樹海の研究施設において最も立ち入りが制限されている一画。
その一画に存在するドーム状の建物の中で、ドリーの能力解放に呼応するように小さな動きが生じていた。
「ん・・・・・・・・・」
薄暗い室内に浮かび上るなだらかな曲線。
その曲線を作り出しているのは、部屋の主らしき若い女性だった。
先程までスースーと寝息を立てていた彼女は、急に何かに気付いたように寝返りをうつ。
仰向けになった彼女の体からは上掛けがずり落ち、その見事な肢体が露わになっていた。
大きく張り出した胸元と引き締まったウエスト、そしてすらりと伸びた脚。
極端に丈の短い寝間着は、必要最低限しか彼女の肌を隠してはいなかった。
「兵部・・・・・・京介?」
彼女は寝ぼけたような口調で男の名を呟く。
銀色の長い髪を手ぐしでかき上げ、虚空をぼんやりと見つめた。
「違う・・・・・・でも、この感じ・・・・・・だけど・・・・・・」
人違いに安心した彼女は僅かな葛藤の末、ずれた上掛けを巻き込むように再び眠りの体勢にはいる。
「むにゃ・・・・・・あと5日」
彼女はそう呟くと再び微睡みの中に入っていった。
第4のチルドレン【3】に続く
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