ドリーは夢を見ていた。
薄暗い部屋の中、軋むドアの向こうからにじり寄ってくるギラついた目。
なめ回すように自分を見つめる視線は、十歳のドリーにとって戻りたくない過去の象徴と言えた。
振り切っても振り切っても逃れられない過去の記憶に、全身にじっとりと汗が吹き出てくる。
荒くなる呼吸。上昇する血圧。
しかし、耐えきれない嫌悪と恐怖が彼女に叫び声を上げさせる事はない。
叫び声をあげそうになる瞬間、彼女は抑揚の無い凍り付くような声にいつもその眠りを妨げられるのだった。
「起きろ・・・・・・そろそろ到着だ」
愛情の欠片すら感じられない声。
しかし、その声に救われたドリーは、感謝の目で自分を見下ろす男を見上げていた。
「ありがとうございます。ミスター・レナルド・・・・・・」
消えてしまいそうなか細い声が可愛らしい口元から発される。
中央アジア独特の浅黒い肌に彫りの深い顔立ち。ドリーは幼いながらもある種の美しさを感じさせる少女だった。
しかし、潤むような目で自分を見上げる少女に、レナルドと呼ばれた男が与えたのは声以上に冷たい視線。
何かに怯えるようなドリーの物腰は、男に保護欲ではなく苛立ちを感じさせていた。
「ドリーまた怖い夢を見ていました・・・・・・ミスター・レナルドに助けられた時の・・・・・・」
ドリーが座席のリクライニングを起こすのを確認すると、レナルド・ハントはそれっきり興味を失ったかのように彼女から一つ外れた座席へと腰掛ける。
政府専用のチャーター機には彼とドリーの姿しか見えない。その機には客室乗務員すら乗り合わせてはいなかった。
ESPテロへの警戒から、高レベルエスパーの旅客機への搭乗に厳しい制限が設けられているせいもあるが、今回の任務は単なる研修ではない。
エゲレスのESP機関存亡をかけた任務をレナルドとドリーは任されていた。
「任務を遂行しろ。そうすれば過去がお前に追い付くことはない・・・・・・」
前を向いたままのレナルドの言葉に、ドリーは思わず後ろを振り返ってしまう。
思い出したくもない無い過去の悪夢は、財団に引き取られてからのカウンセリングによってその頻度を落としている。
しかし、時折彼女は過去の自分が追いかけてくるような妄想にかられることがあった。
訓練が休みの時に度々起こるフラッシュバックのような悪夢。
それから逃れるために、ドリーは自ら進んで厳しい訓練を欲するようになっている。
訓練による疲労だけが、安らかな眠りを与えてくれるとでも言うように。
「任務を遂行すればそこに戻らないですむ・・・・・・我が国初のレベル7になればな」
レナルドの言葉がドリーの胸に深く染み込んでいく。
厳しい訓練によって成長を続けている自分の力。
その力に対しての周囲の期待が、母国の旧宗主国であるエゲレス国内に彼女の居場所を作り上げていた。
ドリーは視線を前方に戻すと、自分に強く言い聞かすように今回の任務を口にする。
悪夢によって胸に湧き上がった不安を抑える為、既に儀式と化している彼女なりの精神安定法だった。
「はい。ミスター・レナルド・・・・・・ドリー、必ずレベル7になります。その為に・・・・・・あっ!」
任務を言いかけた彼女の視線が、窓の外に見えた光景に釘付けとなる。
急いでシートベルトを外し、窓に駆け寄る彼女の姿は年相応の子供に見えた。
任務のため訪れた異国。
そこで初めて目にした風景に彼女は顔を輝かす。
なだらかな傾斜を抱く成層火山のシルエットが、彼女の心に感動にも似た感情を生じさせていた。
「アレ、富士山ですよね。ミスター・レナルド・・・・・・」
子供らしい歓声に、レナルドは苦虫を噛み潰した様な表情と沈黙で応える。
しかしそんな彼の反応に、べったりと窓に張り付いたドリーは気付かない。
彼女はいつもとやや異なる気持ちで、言いかけた任務の先を続ける。
「ドリー、必ずレベル7になります。その為に絶対に【ザ・チルドレン】の一員になります」
憧れの先輩エスパーと共に立つ自分。
目の前の光景は、プレコグを持たない彼女の脳裏にも幸せな未来を思い描かせていた。
―――――― 第4のチルドレン【1】 ――――――
内務省特務機関
超能力支援研究局―――通称バベル本部
有事の際に占拠されにくいよう、わざと利便性を悪くした構造の局内を皆本光一は足早に歩いていた。
1階で担当するエスパーのメディカルチェックを行い、その足で2階のトレーニングルームへ。
同じ室内にある設備でリミッターの調整を行った後、職員全員が揃えて不平を口にする2階でのエレベーターの乗り換えを行い、局長室でミッションの確認をするのが彼の日課となっている。それも一日に何度も何度も・・・・・・
研究者らしからぬ彼の引き締まった体は、担当エスパーの理不尽とも言える暴力に耐えるための腹筋と、一日3万歩に迫る歩行距離によって維持されていた。
「ったく・・・・・・いくら事情があるとはいえ、やり過ぎだろこの複雑さは」
珍しく不平を口にしながら皆本が先を急ぐ。
予知部から【ザ・チルドレン】たちの未来が自分の育成にかかっているとプレッシャーをかけられた彼は、時間の許す限り担当エスパーである【ザ・チルドレン】のメディカルチェックを行うようになっている。
現在、日本国内で確認されているたった3名のレベル7によって編成された特務エスパー【ザ・チルドレン】
サイコキノ:明石 薫(10)
テレポーター:野上 葵(10)
サイコメトラー:三宮 紫穂(10)
彼女たちを心身共に健全に成長させ、大きすぎる自身の力に振り回されない確固たる人格を形成させることが、【ザ・チルドレン】現場運用主任である皆本光一の真の任務だった。
「急ぎの用があるときは、流石にテレポーターが羨ましくなるな」
つい先程、水中でのテレポート訓練を終わらせた葵のチェックを終わらせた彼は、次のミッションに関する情報を聞くために一路局長室を目指している。
適度な訓練とメディカルチェック。リミッターの強化や与えられたミッションのクリアと、彼女たちの健全な成長のため皆本は一日中休む暇なく局内を動き回っていた。
「局長、次のミッションについて・・・っと、失礼しました」
形ばかりの挨拶と共に3階の局長室に足を踏み入れた皆本は、そこにいた先客の姿に慌てて退室しようとする。
局長である桐壺帝三の人柄の影響か、バベル局内には特務機関にありがちな堅苦しい人間関係は希薄だった。
しかし、それはあくまでも内部に限った話であり、局長室にずかずかと踏み込む今の姿は外部の、特に外国の人間には奇異に映ったことだろう。
局長室にいた先客―――長身の白人男性とエスニックな風貌の少女の姿に一礼すると、皆本はすぐに踵を返した。
「待ちたまえ! 丁度今、君を呼ぼうとしたんだヨ」
退室しようとした皆本をいつもと変わらぬ調子の桐壺が呼び止める。
権威を感じさせない桐壺のフランクな物言いに、先客である男の口元が嘲笑の形に歪んだのを皆本は見逃さなかった。
コメリカへの留学時代に時折向けられたその表情に気づかない振りをし、皆本は敢えていつもの調子で桐壺に向き直る。
彼はフランクな態度をとる桐壺の意図を理解していた。
子煩悩な上司は子供の前で威圧的な態度を取ることを極端に嫌う。
彼の意を汲んだ皆本は、白人男性の隣りに立つ少女に向かい柔らかな微笑みを浮かべていた。
「彼が先程話した皆本クンです。【ザ・チルドレン】現場運用主任の・・・・・・」
桐壺が彼の紹介をした瞬間、部屋の空気が一変する。
白人男性の皆本に向ける視線は嘲笑から値踏むようなそれに変化し、そして、何処かおどおどと皆本を見ていた少女の視線には憧れにも似た光が生じていた。
「皆本クン。こちらがエゲレスの超能力開発機関を運営するカークランド財団の・・・・・・」
「レナルド・ハントだ。君のことは聞いているよミスター・ジミモト」
「えっ? 僕ですか? それに僕の名は皆本です」
「フッ、すまんね。日本人の名は覚えにくくて困る」
レナルドの物言いに、皆本はある種の確信を持つ。
目の前の男は皆本と言う個ではなく、【ザ・チルドレン】現場運用主任としての自分にしか興味は無いらしい。
「ま、まあ、皆本クン。あと、そちらの子がドリークン。エゲレスのエスパーだよ」
取りなすような桐壺の言葉に、皆本は自分の考えが当たっていたことを理解する。
朱色のベレー帽に、モスグリーンのセーター。チェック柄のミニスカートと青みがかったグレーのストッキング。
どことなくくすんだ色調の制服に、皆本は少女が軍、またはそれに近い組織に属していると予測していた。
「やあ、僕は皆本。よろしくね」
彼はドリーの正面に移動すると、彼女の視線に合わせるようにその場にしゃがみ込む。
皆本の自己紹介に何と答えていいのか分からないのか、ドリーは彼と視線を合わせないように俯いてしまっていた。
――― 局長、この子・・・・・・
訴えかけるような皆本の視線に桐壺は小さく肯く。
カークランド財団は世界中から恵まれない引き取っていることで知られている。
その財団が運営する超能力開発機関で育成される内向的な少女。
そんなドリーの姿に、皆本は彼女に起こった不幸な出来事を想像していた。
「ほら、挨拶をしないか!」
桐壺と皆本のドリーを気遣うような空気を打ち消すように、レナルドはドリーに皆本への挨拶を促す。
その声にはじかれたように背筋を伸ばしてから、ドリーは皆本に向かい深々とお辞儀した。
「ドリーです。よろしくお願いします・・・・・・」
「最初に言っておこう。ドリーに関して余計な気遣いは無用だ」
ドリーの挨拶に安堵の表情を浮かべた皆本に向かい、レナルドは宣言をするように語りかけた。
「察しの通り、ドリーは数年前に中央アジアで起こった洪水によって身寄りを失っている・・・・・・」
レナルドが口にした彼女の過去に皆本の表情が曇る。
事前に報告を受けていたのか、桐壺は何かに耐えるように固く目を瞑るだけだった。
つらい過去を口にされたドリーの顔からは一切の表情が消えている。
彼女に対する配慮を感じさせないレナルドの物言いに抗議の声をあげようとした皆本は、続くレナルドの言葉に反論の機会を失っていた。
「ハッキリさせておきたいことは一つ。ドリーは不幸だった子であって不幸な子ではない。我が財団に引き取られた彼女は、財団の育成によって類い希な才能―――レベル7に達する超能力を開花させた。だから、ドリーへの同情や哀れみは一切しないでくれたまえ・・・・・・・・・彼女は我が国の期待を一身に背負った高レベルエスパーなのだから。もし、君がドリーの為に何かできるとすれば、一日も早く彼女がレベル7になれるよう訓練を行うことだろう・・・・・・」
レナルドの言葉に含まれていたレベル7という響き。
世界でも希な存在である、強力なエスパーを表す言葉を聞いたドリーの目に、先程では見られなかった意志の光が灯っていく。
エゲレスの超能力開発の期待を一身に背負った自分。
その自負が現在の彼女を支えていることを皆本は感じ取っていた。
「レベル7・・・・・・エゲレスでは初めてですね」
皆本の呟きにドリーは力強く肯く。
その肯きには自分がその初めてになるという強い意志が込められていた。
「うむ、故にミスター・レナルドと財団は、彼女をこのバベルで訓練して欲しいと考えているのだヨ」
「そう、それについてはドリーのたっての願いもあってね。君らの存在を知って以来、ドリーは【ザ・チルドレン】に憬れの感情を抱いている・・・・・・」
「そう言って貰えると、彼女たちも喜ぶよ。ドリー・・・」
「本当ですか?」
ドリーが浮かべたのは子供らしい笑顔だった。
「本当だとも・・・・・・」
その笑顔に逆に救われた気になった皆本は力強くその笑顔に肯くと、その場に立ち上がりレナルドに右手をさしだす。
彼女を保護したレナルドたちカークランド財団への、友好の気持ちがその握手には込められていた。
「それではこれから、よろしくお願いします。ミスター・レナルド」
「・・・・・・すまんが握手だったら遠慮させて貰おう」
握手を拒否したレナルドに、局長室に再び気まずい沈黙が落ちた。
しかし、ドリーの検査準備の支度が調ったという賢木からの連絡に、再びの沈黙はすぐに打ち消されることとなる。
「君たちとはビジネス以外の馴れ合いをする気はない・・・・・・悪いがね。ミスター・ミナモール」
そう言い放つとレナルドはドリーを伴い局長室を後にする。
立ち去る彼の背中に、小さく自分の名を呟く皆本の声は届いていないようだった。
「どうした? ドリー・・・・・・」
局長室を退室してから数秒後、突如歩みをとめたドリーにレナルドは怪訝な表情を浮かべた。
急には振り返らず、時間を確認するふりをして腕時計に視線を向ける。
ガラスに映った背後の風景に、彼は口元を笑いの形に歪めた。
「先に行く・・・・・・」
「えっ? でも・・・・・・」
レナルドが発した小さな声。
その声に戸惑うように、ドリーもまた小さな声を発した。
「検査などはどうでもいい。彼女たちと仲良くすることも重要な任務のうちだ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
突き放すように呟くと、レナルドは一度も振り返らずに1階にある医務室に向かっていく。
その場に残されたドリーは数秒の躊躇の後、思い切ったように背後を振り返った。
「・・・・・・・・・!」
局長室前の廊下。
予知室の方へと向かう曲がり角で慌てたような気配が生じる。
ドリーは振り返った瞬間、視界の隅に慌てたように顔を引っ込める3人の少女の姿を目撃していた。
――― どうしよう。あの曲がり角に先輩たちがいる・・・・・・
過度の緊張に、ドリーは手のひらが汗ばむのを感じていた。
エゲレス国内で訓練を受けていた際、目標として掲げられていた日本のレベル7エスパー。
国家機密扱いのため顔写真などは無かったが、自分と同世代であるレベル7の存在はいつしか彼女の中に強い憧れとして眩い光を放つようになっていた。
その憧れの存在が曲がり角の向こうで自分の様子を窺っていた。
サイコキノ、テレポーター、サイコメトラーの3人は、一体どのような顔をしているのか?
名前は? 声は? そして自分の存在をどう思っているのか?
その答えは数メートル先の曲がり角に確かに存在する。
しかし、ドリーにはその答えに向けての一歩をどうしても踏み出せなかった。
ほんの僅かな、しかしドリーにとっては数十分にも感じられる躊躇と決意を繰り返した時間。
そんな時間に終止符をうったのは、局長室から出てきた皆本の声だった。
「あれ? 君は一緒に行かなくっていいのかい? 確か検査だって聞いたけど」
「あ・・・、ミスター・レナルドが検査は後でもいいって・・・・・・・・・」
「へえ。そういうことに厳格そうに見えたけど意外だな。それじゃ、何のために此所に?」
「あの・・・、その、【ザ・チルドレン】のみんなと・・・ッ!」
ヒュパッ!
突如目の前に生じた人影にドリーは驚きの表情を浮かべる。
【ザ・チルドレン】のことを口にした途端、まるでそのタイミングを計っていたかのように3人の少女が彼女の目の前に姿を現していた。
「あっちゃー。ヤッパばれてたか!!」
「流石、準レベル7エスパーやね」
「ごめんなさいね。尾行みたいな真似しちゃって・・・・・・凄い女の子が来たって聞いたから」
呆気ないほど簡単な邂逅。
何のわだかまりも、構えもない。
友人に対するようなコミュニケーションに、ドリーは戸惑いすら覚えていた。
「君たち、ずっとここにいたのか・・・・・・」
呆れ顔の皆本に甘えるようにすり寄る3人の姿。
レナルドと自分の間には存在しない人間関係に、ドリーの驚きは更に深まっていく。
皆本による3人の紹介を、彼女は驚きに目を丸くしながら聞いていた。
レベル7のサイコキノ 明石薫
レベル7のテレポーター 野上葵
レベル7のサイコメトラー 三宮紫穂
屈託無く笑う薫や葵、そして信頼しきった様子で皆本の手を握る紫穂の姿に、ドリーの中で最強のエスパーチームである【ザ・チルドレン】のイメージが音をたてて崩れていく。
指揮官である皆本に甘える彼女たちの姿は、ドリーにとってエスパーとしてのレベル以上に遠いものに感じられた。
「・・・・・・で、この子がドリー。もう聞いているみたいだけど、バベルで超能力の訓練をする為にエゲレスから来たんだ」
「グフフ、ドリーちゃんって言うのかー。おいちゃんたちと仲良くしようねー」
薫のセクハラっぽい言動に、ドリーは思わず後ずさってしまう。
彼女は【ザ・チルドレン】のリーダー的存在の薫に、最も強い憧れの感情を抱いていた。
「あ・・・・・・えと、ドリーは・・・ドリーも・・・・・・」
「ドリー! 事情が変わった! すぐに検査を受けるぞ!!」
エレベーターホールから聞こえたレナルドの声に、ドリーは咄嗟に走り出す。
――― ドリーも仲良くしたい。
この一言がどうしてもドリーには言えなかった。
彼女は逃げるようにして、自分にとっての日常であるレナルドの元へと向かっていく。
薫たちに幻滅したのではない。ただ、ドリーにとって彼女たちの姿はあまりにも眩しすぎたのだった。
第4のチルドレン【2】に続く
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