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−月から還って−
「いっくら月の件で儲かったからって、負傷した社員を、いやバイトか。気遣う神経無いのかねー」
道すがら、頼んだわよと美神にぶっきらぼうに渡された買い出し表を仰ぎ見た。合い挽き肉、タマネギ、パン粉、牛乳、卵、パン粉……これがもしかしてその気遣いなのだろうか。書き上げられていたのは、俺の大好きなメンチカツの材料だ。
「美神さんがこんな気遣いする訳ないし、おキヌちゃんが手配したのかもしれないな、この買い出し票」
一人ごちりながら店を歩いてあといくつか、とは言っても他にはパン粉と卵くらいで、すぐに買い物も終わった。買い物客で賑わい、威勢の良い呼び込みの声が聞こえる商店街を後にして、事務所に向かって歩きはじめる。
「うー、蒸し蒸しするな…」
今日は昼間に雨が降ったせいか、余計に湿度が高い。加えて夕暮れとはいえ夏の日差しはキツくて、汗が絶え間なくじとじと体から流れ出しているのがわかる。
「アカン、このままじゃ事務所に着く前に倒れるかもしれん」
ただでさえ普段からカロリー不足なのだ、多少遅れたところで文句を言われる筋合いでもあるまい。誰に聞かせるでもなくぶつぶつと、少しでも涼を取ろうと街路樹の葉が生い茂り日陰を作る並木道を歩いた。だけれども日差しが強いときにはいいのだが、こう蒸し暑いとあまり役には立たない。
「ほんとにさー。こないだ記憶戻ったばっかりなんだから、ハワイいけとかくらい言わんかね。海外社員旅行でハワイ。むちむちのネーちゃん。巨乳のネーちゃん。スレンダーなネーちゃん。開放的なハワイのネーちゃん達…」
「ねーママ、あの人変な事言ってるよー」
「ほっといてあげなさい。あのくらいの時期には仕方ない事なのよ」
トテトテと歩く子供と手をつないだ母親から、悟り切った笑いが聞こえる。メドーサ倒して地球救ったのは俺なのに、絶対に世の中間違っとる、間違っとるぞ。
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街道筋を通り、背の低いビル街を抜け、影の落ちた裏道に入る。さすがに幾分暑さが和らいだと思うと、焼けたアスファルトから立ち上る熱を吸った風が通り抜け、避けきれない暑さをなんとか避ける様にして日陰を探し事務所に向かう。
「うーあ……東京の暑さは異常だな、ホント」
月は寒くて良かったな−。マイナス250度くらいだったけど。たわいもない考えで気を紛らわせていると
「うわおっ?!」
突然がしっと肩をつかまれる。すわ、妖怪か。驚いて飛びのき、とっさに間合いを取る。買い物袋が派手に揺れて、卵が心配だがそうも言っていられない。
と、眼前には
「横島さんっ、助けてくださいっ! 」
「あれ、ジェームズ伝次郎じゃねえか。どうしたんだ?」
現役幽霊演歌歌手、ってのも変だけど一般人にも見えて力の強いこいつは、最近このあたりの浮遊霊の顔役になってる。ボスはおキヌちゃんらしいけど、生き返ったし。
「そ、それがデスね、とにかく来てくださいっ」
手を取ると、伝次郎はぐいぐい俺を引っ張って行く。浮遊霊の間でなにか起こったのか、早く早くと急かす。俺も足を速めはするが、いかんせん人の足だ。相応の時間の後、汗でびっしょりになった俺は目的地にたどり着いた。
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「あ、ここです」
伝次郎がようやく手を離し、指し示した先は石神の祠がある公園だった。
「どうしたんだ、またあのプロレス狂の石神がなにかしでかしたのか? 」
そもそも、おキヌちゃんが幽霊時代に浮遊霊のボスだったのも、勝負を吹っかけた石神のせいだった。血の気の多いあの石神の事、またなにか問題を起こしたんだろう。
かと思えば、伝次郎の口から出たのは違う言葉。
「いえ。石神様は今、アタイよりも強い奴に会いに行くとか行って、各地を放浪してまして……。あの、とにかく祠の前まで来てもらえませんか」
伝次郎は時折ちらりとこちらを振り返り、奥に進む。元々この公園は整備が行き届いているので、街灯もきちんと配置されていて夕暮れでも人通りがある。夏の暑い盛りにも緑が伸びっぱなしだったり、トイレが滅茶苦茶に汚れていたり、ごみが散乱していたりはしない。
自然浮遊霊も人の集まる所に寄ってきて、だからこそ石神の祠がここに移設されたりもしたんだけど、なにか起こったってのは石神がいないからか。あれこれ考え伝次郎と歩いていると、緑の濃い植木に身を隠すようにして向こう側にある祠を見つめる浮遊霊達に出会った。
なにやら、がやがやと騒がしい。
「おい皆、横島さんを連れてきたぞ」
「おお、横島さん」
「見てくだされ、あの祠にいる奴を」
口々に、祠を見てくれと言って来る。一体何事か、そっと覗きこむ。こちらからは西日のせいでよく見えないが、赤く焼けた夕空に薄紫色の長髪が印象的な女性だった。際どいカットソー?とミニスカートといういでたちで、祠に腰掛け佇んでいる。強調された胸元、くびれた腰周り、細身だが肉つきの良い太ももがあらわになっていて、つい目を細める。
注意してみれば、頭をかきむしっては何かを言っているようだった。
「全く、ここの土地はどうなってるんだ! 社の石神はどこいったんだい、ったく」
耳を澄ますと、そんな言葉が聞こえてくる。どうやら、少なくともあの女性は石神の事を知っているらしい。
「あの人がどうかしたのか? 」
「横島さん、わからないんですか。あの女は…」
伝次郎がそこまで言って、不意に黙り込む。
「おい、どうした……」
こちらの気配に気付いたのか、女性がこちらに顔を向けていた。逆光で黒く塗りつぶされた顔はほとんど見えないが、女性はつかつかとこちらに歩いてくる。
「何固まってるんだよ、あの人がどうしたって」
ほど近く、豊かな髪からのぞくその顔が見えると、俺は思わず声を上げた。
「メ、メ、メドーサっ?!!!!!!!!!!!!!!」
間違いない、月で若返った時の様相をしている。俺は木立から立ち上がり、指を指して硬直する。これだけ暑いってのに、一斉に汗が体から引いた。
どうする、今の俺じゃ太刀打ち出来ない。どうする、どうする、どうする。
どれだけ激しく頭を回転させても、この距離で、この間合いで今の俺に対抗する手段も、逃げる術は無い。導き出される結論は、ただ一つ。
絶対的な死。
「ってあれ? 魔族の気配がしない…?」
絶望的な観測を根底からひっくり返す事実。腰に手をあて、呆れた顔で俺を見るメドーサからは魔力どころか悪意さえ伝わってこない。それどころか、穏やかに笑っていた。
「たく、変わりゃしないね。横島」
「あれ、え、え、え? 」
メドーサはちょうどよかったとばかりに言う。
「あんた、美神の事務所に案内してくれないか」
以前の事務所はアタシが吹っ飛ばしたしさ、元あった場所に行っても無いんだよ。小ぶりな鼻の頭をかくメドーサは苦笑いをして、俺の混乱はますます加速する。
「で、伝次郎。どういう事だっ?」
小声で呟く。
「魔族の蛇女の事はおキヌさんから聞いて知っていましたが、霊波が神様の物だったので…。どうにも判断が付かなくて、それで」
「何をこそこそ話してるのさ。本人が目の前にいるんだから、直接聞けばいいじゃないさ」
メドーサは焦れている様でもあった。若返ってなお豊満と言って良いバストを誇示するように胸を反らす。
「え、えーと? …どういう事? え?」
「ああもう、本当に。仕方ない、教えてあげるから、どっか落ち着ける所はないかい」
メドーサはいらだたしげに、俺に適当な場所を案内する様にと告げた。
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「一回滅びて、そっから神として復活した、ってそんな事あるのか」
「とか言われてもね。実際そうなってるんだし。前の記憶が無くなった訳で無し、変な感じだよ」
「はぁ……」
そう金がある訳でないし、買い出しの材料もある。あまり長い時間ぷらぷらも出来ないし、店に入る訳にもいかない。
結局事務所に向かっての道すがらで事情を聞くことに決めた。並んで歩いていても、いつ叩きのめされるやらとびくびくしていたのだが、そんな様子に気づかないのか、メドーサは視線を落としたままぽつりぽつりと語り始めた。
月での攻防。宇宙に投げ出された時の絶望。燃え尽きるまでの意識。そして復活した時の景色。
今になって見れば全部が嘘の様で、でも現実は自分を待ってはくれない。竜神のメドーサはいかにも苦しそうだった。
「アタシは元々龍神だからね。そりゃ、堕天してからの因果が振り切れるくらいに消滅しちまえば、神としての復活する可能性も無くはないんだけど…」
「あんまよくわかんねーのか?」
「どうも、落下したところがアタシが元々生まれた所だったのが幸いしたみたいだけどね」
これも縁って言うのかねえ。遠くを見つめるメドーサの視線の先には何があったのだろうか、俺にはわからなかった。
「お前だって」
「ん? 」
「力の大半を大気圏突入時に使っちまって、霊力中枢が傷ついて調子悪いんだろ? 小竜姫に聞いたよ」
「小竜姫様に?」
確かにその通りだった。マリアに助けてもらってこそ生還する事が出来たのだ。が、一時的に記憶を失うほど力を限界まで使った結果、霊力中枢に過度の負担がかかり、完治するかどうか分からない。荷物もちくらいは出来るが、バイトも前の様にはいかないだろう。俺にとっては事務所での生活はそれ自体が暮らしの一部で、そこから離れるなんて事は考えてもいなかったので、今までどおり続けてはいるけれど。
「……小竜姫様は治るとか言ってたけどな。つーかおまえ、小竜姫様のところにいたのか」
「まあね。お互い、妙な事になっちまったねえ」
「そりゃなあ……。美神さんも、お前の顔みたらなんて言うか」
「アタシも美神の顔なんて見たくもないし、妙神山で小竜姫をからかっている方が楽しかったんだけどねえ」
「猿神にでも、事務所に出向けって言われたのか」
「察しがいいね。そうなんだ、全く。聞いておくれよ……」
復活してからの事の顛末を、メドーサはぽつぽつ語り始めた。
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