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【夏企画】絶対可憐オペレーターズ 蒼天の@@ 前編 

 トットットットットットッ

 射すような強い日差しを受け、キラキラと輝く波間を一隻の船が疾走する。
 船は穏やかな凪の上でC重油を燃やし、ジーゼルエンジンが心地よいビートを奏でる。吐き出す白煙と共になびく大漁旗はとても誇らしげに見えた。

 ちっぽけな乗り合いの釣り船。客達は皆満足気に、各々の釣果について談笑する。

 そんな中、10数人の釣り客―――熱い漢達、もといおっさん達に紛れて……高校生だろうか?一組の若いアベック?が何やら言い争いをしているようだ。
 2人は互いのクーラーボックスを見せ合いながら、己が釣果を競い合っている。どうやら他の釣り客と同様の福録には預かれなかったようだ。

「だから洋輔!数なら私の方が上なのよ!だから今日の勝負は私の勝ち!! 」

 洋輔と呼ばれたその少年―――日に良く焼けた肌と逞しい四肢。身に纏ったTシャツの上に羽織られたブルーのジャケット。そのポッケからは釣り用の小物の数々が顔を覗かせている。

「わかんねぇ女だな!この真鯛みてみろ!このマ・ダ・イ!!20cmオーバーの大物だぞ?!そんなジンタの詰め合わせと一緒にするなっての! 」
「何なら秤に載せてみる?総重量なら私のが絶対上! 」
「確かに“蘭子”込みで測るなら俺は勝てませんなぁ?」

 蘭子と呼ばれた少女―――少年と同じブルーのジャケットを真新しいTシャツに羽織っている。艶やかなショートヘヤーとそして……何よりも目を惹く大きな眼鏡。人はそれを牛乳瓶の底と呼ぶ。彼女を評価する声はまちまちだ。ある者は彼女の事を華奢な女の子と言い、またある者はバランスの取れたその身体が素敵だ!と言う。またある者は……

「何ですって?もう一度言ってみな洋輔! 」
「あぁ何度だって言ってやるさ!重量物の蘭子さん♪牛乳積んでお出かけですかっ! 」
「もぅあったまキタ!何よ!この筋肉バカ! 」
「あぁ?何だって?この幼児体系! 」

「おいおい。蘭子。その辺にしておけっ!洋ちゃんも勘弁してやってな! 」

 ブリッジから壮観な男性が顔を出し、険悪ムードの2人に声を掛けた。窓から身を乗り出したその左腕には古傷であろうか、長い切り傷の痕跡があった。

 2人はイタズラを叱られた小学生のように、ムッツリとだんまりを決め込む。
「で……船長はどっちの勝ちだと思うスか?」
 洋輔の問いかけに応えるまでも無く、船長は2人の足元に置かれたクーラーボックスに目をやった。2つをしばし見比べると小さくウンと頷く。額に巻かれたタオルを解き、額を流れる汗を拭う。

「俺の見立てだと今回は引き分けだなぁ」

「ま……まぁ船長がそう言うんならしょうがねぇな」
「ちょっとお父さん!何で引き分けなのよ!どう見たって私の勝ちじゃない」
「お前なぁ……釣り人の潔さってもんがねぇのかよ! 」
「あんたに言われたくないわよ洋輔!大体、あんた今日の釣果たったの8匹じゃない。ハコフグも混じってるし! 」
「あぁ?お前の方こそ、色気の無い小アジばっかりじゃねぇかぁ!しかも一番の大物がボラだぞ!ボラ!!大体なぁ…… 」

「相変わらず仲がいいねぇ」
「ホントホント!おじさん達焼けちゃうよ」

「「なっ!そんなんじゃ無いッスよ(わよ)」」
 お互いヒートアップしていたが、くちさがない常連客の言葉に思わずハモル。
「「何度も言うけど、付き合ってるわけじゃ無いんス(だ)から! 」」

「船長も色々と気苦労が絶えないネェ」
「父親は切ないよなぁいずれ蘭子ちゃんだって…… 」
「おいおい。スーさんにハマちゃん。野暮な事は言わないでくれよな! 」

「ん?」

 常連の客と談笑していた船長が不意に降りだした雨に怪訝な顔を見せた。

「さっきまであんな良い天気だったのに……こりゃ荒れるかもなぁ」

 船長は未だ言い争いを止めない娘とその幼馴染の少年を横目で見ながらマイクに手を伸ばした。

『あ〜あ〜テステス。本日は晴天……成りだったんですが、雲行きが怪しくなってきました。船速を上げて帰港しますので、皆様着席して身体をしっかり保持して下さい。あと念の為、救命胴衣の着用をお願いいたしますっと』

 船長の解放したスロットルに連動し、ジーゼルエンジンはその回転数を上げた。2人もまた、エンジンと連動するように……







―――――― 【夏企画】絶対可憐オペレーターズ 蒼天の@@ 前編 ――――――






 バシャッ

 バシャッ

 バシャッ


 蛇口から注がれる水道水が早朝の眠気を洗い流す。

 手元に置いたタオルを取り濡れた顔を拭う。そしてあらかじめ用意した使い捨てのコンタクトレンズを慣れない手つきで瞳に被せる。

「よし…… 」

 自分を奮い立たす様に小さく声を上げると、真新しい瓶が整然と並ぶ小さなカゴに手を伸ばした。

 まずは乳液。続いて下地の化粧水の順番に、指先と手のひらを大きく使って顔全体に万遍なくのばしていく。続いておろしたての真新しいパフを使い、パウダーファンデを施す。

『次は何だっけ?確か……』

 慣れないメイクの為か次の手順が思い出せない。

『ん〜どうやるんだっけ……』

 大きな鏡の前で途方に暮れていると、不意に洗面室のドアが開いた。


「おはようございます」

「あら?ナオミちゃん早いのね?!おはよう」

 先客に声を掛けられた少女―――寝ぼけ眼をこすりながら現れたナオミも、いたって日常の1コマの様に朝の挨拶を交わす。



 ここは内務省特務機関 超能力支援研究局 通称『バベル』の女性専用宿舎 呉竹寮。
 エスパーを含む、多くのバベル職員の女性が寝起きを共にする場所である。



バシャッ

バシャッ

バシャッ


 ナオミも先客の彼女と同様に洗顔を済ますと口を濯ぐ。
 ここで彼女は―――毎朝そうするように躾られた……否。自らにルール付けしたいつもの決まった動作を取る。
 まずは寝ボケた顔を引き締める様に、頬を両手で『パシッ』と軽く叩く。
 そして前に伸ばした手を組みゆっくりと腕を上げる。
 左に3回、右に3回。腕と身体を曲げ、未だ眠りの中を彷徨う身体をゆっくりと起こしほぐしてゆく。
 次はアキレス腱。左脚を6回、右脚を6回。
 続いて左右の腰骨にそれぞれの手を置いて身体を捩る。左に3回、そして右に身体が向いたとき……

 先客の女性と目が合った。
 その2つの瞳は深く濃い。例えるならそう、それは青玉―――

 ナオミが―――驚きを隠せない様子で声を掛けた。


「あの……失礼ですが……どちら様ですか?」


 どちら様?と声を掛けられた女性は一瞬「ムッ」とした表情を浮かべた。やがてやれやれ……といった様子で手元の眼鏡を面前にかざして見せる。

「お・は・よ・う・ナ・オ・ミ・ちゃ・ん」

「あっ!?蘭子さん。おはようございます」

 ナオミは両の手を内股に置き、ペコリと頭を垂れる。

 恐る恐る垂れた頭を上げると、やはりそこには良く見知った顔の―――――年上の女性が居た。


 バベルブリッジオペレータ 金子蘭子 二曹
 バベルの司令塔に常駐し、日々バベルのシステム運用の一切を引き受ける。また、有事の際はバベルの誇る新鋭潜水艦『バベル2』に搭乗してその運用をサポートしている。時に慌てふためく様子も垣間見れたりするのだが、いつも至って冷静に淡々と、時に『棒読み口調だ!』などと揶揄されながらも日々任務にまい進する。その仕事振りはバベル内部において概ね好評である。
 同期の女性達を差し置いて、弱齢ながら春の人事で二曹に昇進したのも―――そんな彼女の仕事振りが評価されての事である。

「気にしないでナオミちゃん。良くある事だから……ははははっ」

 おどけて見せた蘭子であったが、笑い声が乾いていたのはきっと気のせいでは無い。


「それ……カラーコンタクトですか?」

 先ほどの無礼を誤魔化すようにナオミが問いかける。

「ううん。生まれつき…… 」

「そうなんですか?!すっごい綺麗ですよ」

「………… 」

 ナオミの問いに蘭子は沈黙で答える。ナオミは何か琴線に触れてしまった事に気がついて、必死に別の話題を探した。


 ふと。ナオミは蘭子の服装がいつもとは違う事に気がついた。


 淡いピンクのペチコートドレス。その裾には2段に重なったシフォンの柔らかなディテール。胸元からチラリと見えるレース地がなんとも可愛らしい。重ね着された白いチュニックは、ニットで透かし柄の入ったカシュクール風のデザイン。そしてあの深いブルーの瞳がアクセントとなって、全体をより甘めなテイストにしている。

「かわいい…… 」

 年上の女性に対して失礼にあたるかもしれないが、自然と声になってしまった。
 普段の蘭子は省内では制服姿。そして寮内ではTシャツに短パンやジャージといった実に冴えない 格好をしているのが主であった。
休日に好んで出かける様子も殆ど無く。ナオミは彼女の一張羅ともいうべきお洒落着を初めて観た。
 先ほどナオミが見違えたのも、変身した蘭子の魅力のせいかもしれない……。

「今日は凄く綺麗ですね?!これからデートですか?」

「違うわよ!唯の帰省。まぁ……田舎モノ達に都会の洗練された女性ってヤツを魅せてあげるのよ! 」

「あっ?!地元の彼氏さんに会われるんですね?! 」

「違っ!違うわよあんなヤツ。彼氏でも何でもないんだから」

 必死に否定する様子に思わず笑みがこぼれる。


「今年は私が早シフトだからね。今日から遅い夏季休暇なの」

「そうか……ブリッジの人達も交代で夏休みなんですよね。私は先週お休みいただきましたけど…… 」

「そう。後半のシフトが“アホ毛の亜由美”で前半がわた…… 」

『プルプルっプルプルっ』

 蘭子の携帯が鳴った。

「ちょっとごめんナオミちゃん。こんな朝早くからって……亜由美?」

 ピッ!

「もしも…… 」


「“アホ毛”っていうな〜〜〜!!! 」


耳をつんざく大音量に、手に持つ携帯を思わす耳から遠ざける。

「なっ……なんなのよ、朝からいったい…… 」

「ちょっと蘭子!あんた今私の事“アホ毛”って言ったでしょ?!ねぇ?!言ったわよね?私の第6感はごまかせないわよ?」

「なっ何よイキナリ。誰もあんたの噂なんてしてないわよ!それにアホ毛呼ばわりされるのが嫌ならワックスでも何でも着けて直しなさいよこのアホ毛女! 」

「ほらっ!またアホ毛って言った!2回も!!それにこの毛にはそれなりの大人の事情ってもんがあんのよ!あんたの牛乳瓶だって同じ理由じゃない! 」

「ちょ……ちょっと亜由美、微妙に危ない発言はやめて貰えない?それに私、今日忙しいからまた今度ね! 」

「ちょっと!蘭子待ちなさ…… 」


 ピッ!


 仲が良いんですね♪亜由美さんと。

 クスっと笑って見せたナオミの顔に思わず蘭子は思わず見とれてしまう。
 蘭子は彼女の上司である男性を一瞬思い浮かべた。日々ナオミの為だけに任務を忠実にこなす変t……げふんげふん。有能な指揮官である谷崎主任の事を。確かにこんな笑顔に毎日会えるなら……仮に自分が男に生まれていたら……あえて進んで変態と呼ばれたかもしれない。


「ま……まぁ仲が良いのは認めるわ。昔から気の合うやつとは何故かやり合っちゃうのよね……でも亜由美のヤツ。何でアホ毛呼ばわりした事わかったのかしら」

『プルプルっプルプルっ』

「……また亜由美だわ」

 蘭子は手に持つ携帯を無視する事にした。

「確か亜由美さんってレベル3のテレパスとクレヤボヤンスの複合能力者でしたよね?
知り合いのIさんが言っていたんですが、ESP能力ってメンタルな部分……その時のテンションや対象への強い思い入れとかがあると限定的に強い超度や変性した能力が発現する場合があるそうです。だから亜由美さんの場合リミッターをして能力を封印しても“アホ毛”って言う言葉に…… 」

『プルプルっプルプルっ』

「今度は私の携帯です…… 」

 苦笑いを浮かべるナオミもまた、携帯着信を無視するのであった。



 そうこう会話を進めながらも、ナオミはバレッタを外して髪を梳く。ふと気がつくと、蘭子はパフを持ったまま微動だにしない。

『ファンデまで済ませたのかしら……でもあれだと……それに下地も終わってないのにお着替えしちゃうなんて、やっぱりお化粧慣れしてないのかしら?』

 ナオミは声を出さない様にクスリと笑うと、先ほどの無礼に対するお詫びもかねてある提案をした。

「ところで蘭子さんお化粧の途中だったんですか?あの……よければ私に手伝わせてもらえませんか?」

「あっ…… 」

 蘭子は慣れないメイクの途中……フリーズしていた事を思い出した。

「私、高校のお友達にも良くやってあげてるんです。テンション上げてやりますからっ!ね?いいですよね?」

「そっ……そうね。じゃぁお願いしようかしら」

 半ばホッとしながらも強がりを見せる蘭子だった。


 ナオミは蘭子が自分で塗ったファンデーションも一旦綺麗に落とし、最初からメイクをやり直した。蘭子が用意した化粧品の数々では納得できなかったらしく、ナオミは寮内に残った職員達に頼み込んで、蘭子にピッタリの化粧品をセレクトしてきた。
 粉っぽさのでるパウダータイプは使用せず、リキッドタイプのファンデを使用。一様に薄く薄く伸ばした後、コントロールカラーをTゾーンに重ねる。
 蘭子は、鏡に映った自分の丸顔がテカテカと光っている事に若干の不安を覚える。

「大丈夫ですよ」

 ナオミはそっと呟くと、ルースパウダーで顔全体を抑えるように……そして眉パウダーを塗り、さらにカットしてカタチを整える。まつ毛はシンプルにビューラーのみ。シャドーは抑え目に茶色のリキッドアイライナー。口元にはリップクリームを塗った後シャネルの4番。その上に赤透明のグロスを重ねる。

 綺麗な細い髪を梳き終わった頃、いつの間にか集まった寮生達からため息と驚嘆の声が洩れた。
 ナオミが施したナチュラルメイクはその賞賛に値するだけの出来栄えだった。

 蘭子の頬がほんのり桜色に見えたのは―――重ねたチークだけが原因では無い様だ。















 ガタンゴトン――

 ガタンゴトン―――

 ガタンゴトン――――


 新幹線から私鉄に乗り換え、そこからさらに三両編成の単線に乗り換える。車窓から観る風景はどこまでも続く田園。

 どこまでも、どこまでも続く―――――

 不意に車窓が蔭り、電車は深緑に囲まれたトンネルに吸い込まれていった。

 トンネルを抜けると其処は………一面に広がる青の世界。




「あの……お客様切符を…… 」

「え?」

 通いなれた駅の改札を潜ろうとした時、まったくの不意に駅員から声を掛けられた。

『そうか……もう無人駅じゃなかったのね……』

「すみません。ついうっかり」

 蘭子は慌てて切符を駅員に渡す。駅員とふと目が合った。気恥かしさを隠すように足早に駅を後にしようと……

「あっ!あの……唐突にこんなこと申し訳ないんですが……」

 先ほどの若い駅員から声をかけられた。

「初対面でこんなこと失礼だとは思うのですが……。お名前を教えて頂けませんか?あなたは私の理想の女性だ! 」

「それはきっと気のせいです。私の事なんてすぐに忘れると思いますのでこれで」

 蘭子は突然の告白に動じる事も無く、それを無碍に断った。

『またか……』

 そう小さく呟くと、左手の薬指を慈しむように右手で包んだ。

『私はもう……』

 蘭子は足早に家路を辿った。





 細い町道をキャスターバックを引きずって歩く。左の肩には涼しげなカゴバック。

 国道から一本隔てた町道をしばらく歩き、お豆腐さんの角を曲がると港が見える。釣り船の看板が見えた。私の実家。お父さんの船はもう港に帰ってきてる。
 私は一旦、家の裏手に回ってカゴバックから手鏡を取り出した。そしてもう一度身だしなみを確認する。車中で何度も何度も考え抜いた挙句、結局コンタクトはやめていつもの眼鏡に戻してみた。
 頭上に置かれた純白のキャスケットを整えると2度深呼吸。いざ……表に戻り、大きな引き戸を開けた。

「ただいま」

「おう。早かったな」

 私の予想通りにお父さんが出迎えてくれた。そして……

「東京で仕事以外にすることが無いから、とっとと帰ってきただけだろ?」

「洋輔!なんであんたがここにいるのよ?! 」

 必死に隠してはいたけれど、今の私はきっと笑ってる。

「洋ちゃん今日はお客さんだよ。凄い釣果だ」

 確かにお父さんの言うとおり、洋輔のクーラーボックスにはアジ、サバ、イサキがびっしりとつめられている。前に一緒に出かけたときとは違って確かに大物が相当数揃ってる。

「相変わらず小物ばっかりじゃない…… 」

 こうやって、憎まれ口を叩いてみるのが昔っからのコイツと私の不文律。

 すると店の隅から別の声がする。

「おや蘭子ちゃんかい?いやぁ……すっかり別嬪さんになって…… 」

「すっかり亡くなった女将さんに似てきたね〜」

「ありがとうございます。スーさんとハマちゃんもお元気そうで何よりです。いつもご贔屓頂いてありがとうございます」

昔からの馴染客には遠慮の無い笑顔を振りまいた。


「最近は洋ちゃんの乗る日にあわせて来る事にしてるんだよ!いやぁ洋ちゃんがいると魚探いらずなんだよ。ココだって決めたポイントでもう釣れる釣れる」

「洋ちゃんは特に入れ食いだけどね」

「最近じゃ、その問い合わせもあるくらいだ」

 3人の言葉に気を良くしたのか……洋輔は実にエラソーな視線をぶつけてきた。


「でもこんな田舎じゃなぁ〜洋ちゃん魚は釣れてもねぇ〜」
「そうそう女の子の方はちっとも。入れ食いどころかもう閑古鶏が鳴いてちゃってねぇ」

「げふん。げふん。とっ……ところでお前、内務省に勤めてるんだよなぁ?」

 常連達のちょっと下品な発言をもみ消す様に、洋輔が声を大きくする。

「そうよ?何か問題でも?」

 仮にも華の国家公務員である。エッヘンどうだ!とばかりに洋輔を流し見た。
すると洋輔は―――私の頭のてっぺんから、足のつま先までをじっくり見つめる……

「なっ何よ……じろじろ見ないで気持ち悪い…… 」

 私がずっと待ち望んだこの瞬間。全てはこの瞬間の為に!さあ!遠慮なくお褒めの言葉プリーズ。
 しかし現実は―――洋輔はポンっと手を叩き、謎は解けたとばかりに爆弾を投げつけてきた。

「そっか……内務省の食堂で働いてるんだな!その割烹着。給食のおばちゃんみたいだもんな! 」



「なっ?★$■#@割っ!?きゅっ……食………お・ば・ちゃ……… 」

 言葉にならない。


 いったい今までの努力は何だったのだ?
 今日この瞬間の為に数ヶ月前から準備を始めて………普段全く見向きもしないファッション誌を熟読し、インターネットで数多のサイトをチェック。
 熟考に熟考を重ねてこれだ!と決めた完璧なファッション。
 メイクもバッチリ決めて………もらって。
 寮から出陣の折には、集まった寮生達から熱いエールで送られて………
 もの凄く照れくさかったが『行ってきます!』と声高らかに帰省してきたのに……

 積み上げたモノがガラガラと音を立てて崩れていく……うるうると涙がこみ上げる。ぐっと堪えた悲しみが怒りに変換されていく。でもすぐには言葉にならない。もう一度振り絞ってみる。やっとそれが言葉になりはじめた時。


「ごめん。ちょっと言い過ぎた。すごく似合ってる……それ」

 体からスッと力が抜けた。

「うん……ありがとう………… 」

 このコトバだけは素直に言えた。












 壁を一枚隔てた隣の居間からは、男衆の談笑が聞こえてくる。

 早く合流したいのだが、私にはやらねばならぬ事がある。

 まずはツマ。大根と人参を薄〜く薄く桂に剥く。そして細く細く千切りに。冷水にしばらく漬けるとパリっと新鮮に。

 大きな真鯛は大胆に頭を落として二枚に捌く。一度洗って水気を切ったおコメを土鍋に入れて水を張る。この加減が難しい。お酒を少々。骨付き半身を昆布と一緒にお鍋に入れたら、ここで隠し味。乾物ホタテの貝柱を一つ放り込む。お塩と薄口醤油を各適量。コンロに掛けると弱火にセット。残りの半身は刺身に引いて、水気を切ったツマと一緒に大皿に盛り付ける。大葉を添えるのを忘れない。

 アジは大胆不敵に大名卸。沢山捌いた半分はお刺身に。もう半分はおネギと生姜、そしてちょっとのお酒とお味噌と砂糖。ここで必殺小出刃二刀流♪トトトントンっと一緒に叩いてナメロウに。

 包丁の背で丁寧にウロコを落としたイサキを3枚に下ろす。お腹の骨を身と一緒に薄く削ぐ。皮目を長手に隠し包丁を2筋入る。皮目に熱湯を掛けるとキュっと反る。直ぐに氷水に晒してペーパーで水分を良くふき取って刺身に作る。

 お鍋の火加減を確認したら先ほどの鯛の頭に取り掛かる。出刃で真正面から両断したらブツ切りにする。お酒を振ったら少しきつめに塩を打つ。ざっくばらんにグリルに放り込む。

 あっとサバを忘れていた。輪に切って味噌煮にする。ポイントは……煮込む前にお味噌を入れるとコクが出る。煮込んだ後に醤油を入れると香りが立つ。

 そろそろご飯が炊き上がる。蓋をはずすとホワァッ……湯気と共に美味しそうな匂いが立ち込める。一旦身を取り出して骨を綺麗に取り除き、鍋に戻ししてシャモジで切るように混ぜ合わせる。

 そうしている内に鯛の頭に程良い焦げ目が付いている。お椀に盛るとその上から薄い昆布だしを張る。ジュッという音が食欲を掻き立てる。そこに麩鞠を3つ。結わいた三つ葉と刻んだ柚子の皮を添える。麩鞠がしんなりする頃にはお出しが勝手に溶け出して、丁度良い塩梅になっているはず。お吸い物はコレでよしっと。

 薬味の浅葱を刻んで生姜を擦り、わさびは粉を水で良く練ったら小皿に貼り付け酸化しない様に裏返す。

お勝手口の七輪に乗せた塩焼きもそろそろ頃合のはず……

え〜っと。後は……



「お待たせ〜」

「おいおい。いくら大漁だからってこれは随分な御馳走だなぁ…… 」

「久しぶりのお台所だから感覚忘れちゃってて…… 」

 鼻唄交じりに次々と料理を居間に運ぶ。

 お父さんと洋輔。そして何故かスーさん、ハマちゃんは先出しした枝豆で既に一杯引っ掛けていた。

「ちょっと待ってね…… 」

 そう言ってから別のお膳に小さくこしらえた同じ品々を仏壇に供える。

『チーン』

 仏前のお母さんに手を会わせた。

 皆その場で―――私と一緒に手を合わせてくれた。


「ところで洋輔?何であんたがココに居るわけ?」

 お母さんへの挨拶を済ませると、私は座ったまま洋輔の方に身をよじる。

「はぁ?俺が釣った魚だろ!俺が食べるのに問題でも?」

「料理したのはわ・た・し。あんたに食べさせてアゲルなんて一言も言ってませんが何か?」

 わざとらしく嫌味な目線を洋輔にぶつけてみる。

「まぁまぁ。仲が良いのはわかったからネ?そろそろはじめよっ!ほらっ折角の御馳走も冷めちゃうし」

 こんな時に頼れる男。ハマちゃんが助け舟を出してくれた。昔からの……お母さんが生きてた頃から度々こうして来た。

「よし。死んだ母さんは賑やかにやるのが好きだったしな。まぁ蘭子も久々に帰って来た事だし、ぱ〜っとやるか! 」

 お父さんの言葉で皆改まって席につく。正面にハマちゃんとスーさん。お父さんはお誕生席で……私の隣には洋輔。

「では僭越ながら改めまして」

スーさんの音頭で、皆グラスを手にする。


「蘭子ちゃんの帰省と本日の釣果に! 」


 手の中のビールグラスがチンと音を立てる。

 洋輔とも乾杯の挨拶……って私のグラスには見向きもしないで杯を空けた。
まあ良い事にしよう。美味しそうに料理をパクついてる。まぁコイツらしと言えばコイツらしい。




 うまい肴とうまい酒。そして気さくな連中が揃ったら……
 料理はあっという間に各々胃袋の中に収められてお酒も進む。後はドンチャン騒ぎ。


『これおいしいね?』

『全部お母さんに教わったのよ!うふふっ』


 なんて言う間も無かった。


 次々と消えて行く料理―――私は慌てて台所に戻る。
 ここは女の意地とプライドの正念場。肴を切らすわけにはいかない。乾き物なんて論外だ。有り合わせで何か作れないか……冷蔵庫を覗いた自分が虚しくなる。男ヤモメの食料庫に期待した私が馬鹿だった。

 それでも何か無いものか……棚の隅に切干大根の袋。

 選択の余地は無い。

 手の平でしごくように、絞るようによく洗う。そして大根をぬるま湯に浸す事にした。今からお水で戻す時間は無い。その隙に人参を千切りに。ここで困った。お肉がな……有った。奇蹟的に冷凍庫の中に。うん。賞味期限は……大丈夫。ジップから取り出すと凍ったままの鶏モモ肉を牛刀でこま切れにする。あとせめてコンニャクがあれば……
 まぁ無いものは仕方がない。むしろそれだけ有っても娘としては悲しくなる。

 お肉と人参を油で炒め、そこに戻した切干しを。軽く炒めると、煮干しで取った出し汁を少しづつを加える。コレがお母さんのやり方……みりんと醤油でしばし煮込む。

 菜ばしでつまんでお口の中に。
「熱っ!はふっ。はふっ。」
 良し。大丈夫。ちゃんと柔らかい。アルコールで舌の感度は鈍っているけど、味もお母さんと遜色ないだろう。

 深皿に盛り付け居間に戻る。

 すると、お父さんと洋輔が赤らげながらも真剣な顔をしていた。

 なっ?何が起きたの?
 勝手に期待と不安が入り混じる。

 そこには……漢の年輪と言う名の見事な駄腹。見事なダ肉。お腹の上にボニョっとした何かをサインペンで描いたハマちゃん。と、ネクタイを額に巻いたお決まりの正装をしたスーさん2人が寸劇をはじめたトコロだった。

「オフェーリア!! 」

『なんでシェークスピアなのよ!』
 声には出さずに激しいツッコミを入れてみる。こういうのが男の包容力?とか言うのかしら?それとも年の功?そういえば噂ではスーさんどこかの社長さんみたいだし……

「おい、もし結婚するなら、持参金がわり、この呪いの言葉をくれてやろう――――いくらお前が氷のように貞淑で雪のように清純であろうと、人の口に戸はたてられぬぞ。尼寺へ行け、尼寺へ! 」

「ああ、私は、このオフェーリアは、女のなかでもいちばん辛い、憐れな生涯、なまじあの快いお言葉の蜜の香りに酔うただけに。気高く澄んだ理性の働きは、耳をくすぐる鐘の音、それも狂うて、いま、この耳に、ひび割れた音を聞かねばならぬ。水ぎわだった花のお姿が、狂乱の毒気にふれて見る見る萎れてゆくのをただじっと眺めているだけ。ああ、こんな悲しいことが! 」

「「昔を見た眼で、今このありさまを見ねばならぬとは! 」」

 第三章の長台詞。最後のフレーズは2人同時に叫んでいた。

 チクリと胸が痛んだ。

「ハムレット! 」

「オフェーリア!! 」

2人は手を取って抱き合う。



 お父さんが真っ赤な顔で拍手喝采。それにつられて私と洋輔も。



 ピピピッ!ピピピッ!ピピピッ!

 さらに現実へと引き戻される。
 私の携帯が鳴った。このコール音は確か……谷崎主任?
 主任クラスになると、それぞれ固有のコール音が設定されるのがバベルのルール。
 確か今……桐壺局長が夏休みで、その代理を谷崎主任が勤めているはず。
 業務に関することか?
 とにかく。私は内務省で普通のOLみたいな仕事をしている……事になってる以上、ここでの会話はまずい。

「ごめん。少し飲み過ぎたみたい。ちょっとだけ夜風にあたってくるね…… 」

「おう。もう大分涼しくなってるからな、上に何か羽織ってけよ…… 」

 お父さんが一瞬だけ真剣な表情を見せて―――私に声を掛けた。

 慌ててエプロンを外すとダイニングの椅子に掛けたカーディガンを引っ張り、足早に表に飛び出した。

 居間からはお父さんの妙に甲高い笑い声が聞こえていた……。

 住居兼店舗の前には細い町道を隔てて港がある。
 港の朝は早い……ここんな夜更けになると人気が無いことは良く知っているが、改めて周りに人がいない事を確認する。

 ピッ

「お待たせして申し訳ありません谷崎主任。金子蘭子二曹です」

「谷崎だ。休暇中に申し訳無いが……プレコグシグマから予知が出た」

 プレコグシグマ……
 その言葉を聴いて緊張する。

「明日。日本海沿岸で誘拐事件が発生する。もちろんエスパー絡みの事件だ。詳細は一切不明。申し訳ないが……携帯のGPSで君の現在位置を確認させてもらった。コレは内規第130条の特例条項に拠るもので、有事の際には上長の判断の元、特例的に職員の現在位置をG…… 」

「内規は熟知しています。それにただの帰省ですから現在位置を知られても問題ありません。続けてください谷崎主任。」

「あぁ……では続ける。つまり、誘拐事件が予想される海域に最も近い本部職員が君という訳だ。実際に発生した場合、休暇中であろうと君に現場へ向かってもらう可能性がある。そう心積もりしておいてくれたまえ! 」

「了解しました。谷崎主任。」

「まぁ……発生確率は1e-30%なんだがね…… 」

「はぁ?」

 ゼロコンマ……ゼロが30個。殆んどゼロに近い確立に思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。そんな確率の予知なら日常茶飯事だし、その殆んどがガセネタだし。しかし命令ならば現場に急行する。それがバベル職員であり、それはブリッジオペレータとて例外じゃ無い。そもそも有事の際は何があっても……そう、例え逢瀬の最中であっても現場に急行するのが任務である。―――ふと。実際にそんな同僚も居たことを思い出した。
 しかしそもそも『心積もりしろ』なんて命令は今だかつて受けたことが無い。ハッと、ここで我にかえる。

「しっ……失礼しました。復唱します。明日、日本か…… 」

「いや。復唱は結構。以上業務連絡おわり」

 ルールに則った復唱を主任に制止された。その口調は棒読みで、少しおちゃらけた感じまでした。

「まぁ。そのなんだ。君に電話する口実なんだ。もちろん予知は本物だがね…… 」

「はぁ…… 」

 口実などと言われても、変態で名高い谷崎主任とプライヴェートで語った事など無かったはずだ。そもそも、ナオミちゃん命のアレが何でわざわざ?もしかして、とうとうナオミちゃんに愛想つかされた?
 そっ……そして―――ブリッジで燦々と輝く眩しい私の存在に気がついてしまったの?
 嫌。駄目よ。私はもう……。
 そう。愛に歳の差なんて……なんて言葉は私は嫌なんです。嫌なものは嫌。オヤジ世代の人間をとても恋愛対象としてなんて見ることは……

「……こクン。聞いているかね?金子君」

「はっ……はい。大丈夫です」

「お酒でも飲んでいたのかね?まぁ休暇中の個人のプライヴェートな事柄にまで干渉する趣味は無いの…… 」

「あの。それで用件は何ですか♪谷崎主任?」

 任務には真剣に取り組むが、実際には気さくな人間だとも聞いている。ならば……酔った勢いも手伝って、こちらからフランクに切り返してみた――――――

「ナオミから聞いたのだがね…… 」

 その名前にほっ胸をなで下ろす。どうやら私とね……げふんげふん。


「金子君。君が無理をしているのでは無いかと」

「え?無理ですか?そんな事は……今日の私はむしろ普段の20倍くらい素直になってるくらいで…… 」

 アルコールのせいだろうか?いよいよもって無駄口を叩いてしまう。

「いやいや。プライヴェートの話では無いんだ。仕事の事。この場合、バベルの職員であるという事……と言った方がいいのかな?」



 思わず絶句してしまった。



「つまりバベルの職員として、君がその……無理をしているんじゃないかと。ナオミが心配していてね。休暇に入る前に局長も同じ事を言っていたものでね、少し気になってみたんだ…… 」

「……… 」

 絶句したまま声が出ない。アレはそれでも勝手に話を続ける。

「君が入省した経緯。望んだ訳で無い事は知っている。確かに当時は人事が混乱して問題があった。しかし君の働き振りも知ってい…… 」

「……… 」

「いや……無理をさせている側の人間に加担する私が……こんな事を聞く事自体どうかしていた。すまなかった金子君。ナオミが随分心配していたものでつい…… 」

「はい。御気づかい頂きありがとうございます」

 何とか搾り出したコトバ。それは今日一日忘れていた―――――普段の仕事でそうあるような、抑揚のない声だった。

「とにかく。今は帰省を満喫したまえ。先週休暇のナオミは喜々として実家に帰って行ったよ!まぁ私と離れてしまうことが辛いのだろうね?!付き合いの長い私には良くわかる。ああして私を冷たくあしらう事で逆に……そうそう、流行のコトバでいうとツンデ……… 」


ピッ


 何か一生懸命取り繕うと話していたが―――――とても聞く気になんてなれなかった。だから……電話を切った。“普通の人間”だった頃の感覚が、今の私にそうしろと訴えたから―――――













 ザザーザザーザザーザザーザザー

 波の音が聞こえる。


 どのくらいの時間―――こうしていたのかわからない――――――


「ひゃっ」


 唐突に――――――首筋に感じた冷たさ。押し当てられたスティール缶に思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

「いつまで電話してんだ?もう夜は冷えるから……風邪引くぞ」

「洋輔…… 」

 プシュっ

 アイツはウーロン茶を口に含む。

「飲むか?これ好きだったろ……?」

 アイツが差し出した。ネクター。
 ギュッと握りしめる。

「ありがとう…… 」

 8月も終わりに近づくと夜風が冷たい。お父さんに言われて持ってきたカーディガンを羽織る。


 ザザーザザーザザーザザーザザー

 波の音が聞こえる。


「もしかして探してくれた?」

「あぁ」

「お父さん達……もう寝ちゃった?」

「あぁ」

「面倒みてくれたんだ……ありがとう…………… 」

「あぁ」



 ザザーザザーザザーザザーザザー

 波の音が聞こえる。


「料理……うまかった」

「ありがとう……全部お母さんにおそ……… 」

「なんで…… 」

 私の声をあいつが遮った。

「なんで東京の短大になんて行ったんだよっ!!! 」

「なんで東京で就職したんだよっ!!! 」

「なんで親父さん1人にしておくんだよっ!!! 」

「なんでなんだよっ! 」

「なんでっ!!! 」

「なんでっ!!! 」

「何でっ!!! 」

「なんでなんだよ……教えてくれよ………何があったんだよ」

 息が詰まる。……アイツは一気に気持ちを吐き散らかした。その顔は凄く怒ってたけど、とっても悲しい瞳をしてた。



「そして何なんだよこれは! 」

 アイツは私の左手首を乱暴に掴んだ―――――――

「これだよ!さっきから知ってるよ!何だよこの指輪。薬指にこれ見よがしに…… 」

「それは…… 」

「さっきの電話の相手か?男なのか?東京の男がそんなに大切なのかよ!親父さんよりも!……よりも……… 」

 最後の言葉は良く聞こえなかった――――


 突然……私は両の肩に重みを感じる。

 突然……あいつに押し倒される。

 アイツはもっと悲しい瞳をしていた。

 これから起こる悲惨な未来に軽く失望した――――
 でも抵抗する気にもなれなかった。
 だって私は今――――ちょっとの過去に失望して……その延長線にいるだけだから。

 アイツの身体は震えていた。
 アイツの慟哭が痛かった。

 アイツは乱暴に服の上から私の身体をまさぐる。
 乱暴にカーディガンを脱がす。
 手が――――乱暴に動きつづける。

「これか! 」

 私は私の携帯をあいつに奪われた。

『なんだそういうことか………いっそ乱暴して欲しかった……………こんな身体も、こんなチカラもいらないから…………』

 あいつは必死に着信記録を見ようとする。だけどそれは絶対に無理。民製品に擬態してるけどあれはバベルの特別製。パスワードで厳重に管理されてるから―――――

 それでもあいつは、携帯のボタンを忙しなく押し続ける。


『ピッ』


「えっ?」

「着信は……これか!谷崎一郎?!こいつなのか!俺が話を着けてやるっ」

 あいつはそう言ってリダイアルボタンに親指を乗せた―――――



「私がエスパーだからよ! 」


 叫んでた。



 気がつくと泣いていた。声を出して泣いたなんて………お母さんが突然死んだ時以来だった。

 気がつくとアイツの腕の中に抱かれてた。
 ―――――感じる肌の温もりが気持ち良かった。
 ―――――感じる海風が懐かしかった。

 私が泣き止んでも、ずっと……ずっと抱きしめてくれた………………

 眼鏡を外して……ハンカチで涙を拭いてくれた………………

 そしてネクターを。プルタブを開けて私に飲ませた………………

 口腔内に甘さが広がっていく。なんだか懐かしい甘さだった。


「落ち着いたか…… 」

「うん…… 」

「さっきはごめん…… 」

「うん…… 」

「あっ……あのさっ」

「私ね……お母さんが大好きだった。もちろんお父さんも大好きだけど…… 」

 あいつは黙ってうなずいた。

「だから……お母さんの思い出の……あの家に居るのが辛かった。だから……。でも卒業したらすぐ戻ってくるつもりだった…… 」

 思えばそれが浅はかだった。

 あの時の自分が………お母さんの死を受け入れられる位に強かったらきっと………………


 短大での生活はそれなりに楽しかった。講義を聞いて友達とおしゃべりして、勉強したりアルバイトしたり……
 そして意外な事に凄くモテた。人生にモテ期は3度あるっていうけど、その一回目が来たと思ってた。でも恋愛と呼べるものでは無かった。街やお店ですれ違う人達に突然告白される……そればかり。当然……全てお断りしてた。

 ある日、集団健康診断があった。
 講堂に横付けされたレントゲン車が妙に誇らしかった。自分がちょっとだけ大人になった気がした。
 身長、体重、聴力、視力etc……
 その内に私だけ……別な部屋に連れていかれた。白衣を着た人が沢山いた。
 心電図みたいな機械をつけて簡単な質問に答える………
 詳しく覚えてないけど……ほんとに簡単な検査だった。

 それから何日かして……



 あの封筒が届いた。



『内務省?なんだろうコレ……』

 封筒を開ける私。
 何も考えて無かった。そんなお役所から……きっと何かの間違いだと思ってたから――――




金子蘭子殿

                             内務省特務機関
                             超能力支援研究局局長代理

                採用決定のご連絡

拝啓
時下ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、先日実施されましたESPの集団検診におきまして、貴殿が非常に稀有な複合能力者であることが判明いたしました。その貴重な能力を広く国民の皆様のお役に立てるため、内務省特務機関超能力支援研究局に採用すことを決定しましたのでご連絡いたします。

つきましては、同封の書類をご記入いただき、期限までにご返送ください。
なお、入所日については別途ご連絡いたします。

なお、本件に関しては第3親等以外に口外することは固く禁……




なお、本件に関する意義申し立ては一切認められません。これはエスパー保護法第13条18項に拠……




 何かの間違いだと思ったから………
 だってそれまで、エスパーなんて自分とは関係ない世界の生き物だと思ってたから………
 そのままソレをゴミ箱に捨てて何も考え無い事にした。


 でも……あいつらは来た。私から何もかもを奪いに。

 アルバイトを終えて家に帰った。そしたら奴らが来た。

 令状とか何とか沢山見せられた。
 何がなんだか判らなくて……私はずっと首を横に振ってた。

 そしたら………あいつらは言った。

 エスパーはノーマルとは違う。だからもう……ノーマルみたいな普通の生活は出来ないって。

「それからしばらくはほとんど軟禁生活。山奥の施設で訓練やら研修やら」

 しばらくして強引に納得した。開き直るとちょっと変わった学校みたいで楽しくもあった。いろんな講義を聞いたり訓練したり。

「……まぁ同じ様な境遇の子とお友達にもなれたし」

 私の脳裏には今朝電話をくれた“アホ毛”のあいつ浮かんでいた。

「それでその指輪は?」

「ESPリミッター。簡単に言うと超能力の中和装置…… 」

 リミッターをつけてれば超度3までは中和できる。人間社会にエスパーが溶け込む為に必要な装置。エスパーにも個性があってリミッターのタイプも様々。私には左の薬指が一番効くらしい。私はソレにすがった。ソレが意味する本来の意味を忘れてしまうくらい必死に……。
 でも私はこの装置を発明した人間に会えたらきっと……きっと感謝すると思う。特に私には絶対欠かせないもの―――私が人として有る為に。

 基礎訓練は何度も受けたけど、実際に能力を発動出来たのなんて片手で数える程。でも超度3。実際に能力を自分の意思でコントロールできるようになったらもっと超度は上がるだろうって。きちんとコントロールできるように成らないと、能力が暴走して問題を起す事もあるから……だから……リミッターがないとある日突然―――誰かの心を傷付けてしまうかもしれないから――――――

「だから私の能力を見つけてくれたバベルには感謝もしてる。もしあのまま放置してたら今頃どうなってたか」

 理解はできる。でもやっぱり割り切れない。
 ある日突然。あなたはエスパーですから一般社会と隔離します。命令は絶対ですって。

「今何処にいて体調はどうかとか……本部の端末を使うと全部わかるんだよ?!GPSだったりバイタル信号だったり…… 」

 だから―――――――やっぱりこんなチカラ私は要らない。


 洋輔は私の話を黙って聞いてくれた。



「お前は金子蘭子。昔も今も何も変ってなんかいねぇよ」

「でも今こうしてても……次の瞬間チカラが暴走して洋輔を傷つけるかもしれないのよ?」

「それでもお前は金子蘭子。昔も今も何も変ってなんかいねぇよ
気が強くって負けん気で、でも泣き虫。料理は母親譲りの腕前だけど、おしゃれや化粧はからっきし。昼間のあのおしゃれ着と化粧。誰かにしてもらったんだろ?」

「お洋服は私が選んだの……まぁメイクはお手伝いしてもらったけど…… 」

「幼馴染の第6感をナメルなよ?!そして牛乳瓶も健在っと」

「これね……実は迷ってたんだ。コンタクトにするかどうか…… 」

「色の事。気にしてるのか?」

「お母さんと同じ色だから………ずっとお母さんが傍に居てくれてれればって………そう考えちゃう自分が許せなくなるから…… 」



 ザザーザザーザザーザザーザザー

 波の音が聞こえる。


「ねぇ。覚えてる?あの時のこと…… 」

「2人揃って死に掛けたときの事か?」

「くだらない事で2人してムキになって…… 」

「あぁ。急に時化てきたもんなぁあん時」


 あの時、お父さんの船内アナウンスからしばらくして、海が突然荒れはじめた。
 風と雨と波が小さな船体を容赦無く打ち続けた。

『大体あんたねぇ!』

『往生際の悪い女だなっ!』

『だからっ!』

『いい加減にしろ!蘭子!!洋ちゃんも!船長の指示に従う!コレ海のルールだ!』

 シビレを切らしたお父さんがスピーカーから怒鳴ってた。

『ちょっと待ってて。今それどころじゃ……』

 そして突然の横波。
 救命胴衣も付けないまま、私は波にさらわれた。ほんとに馬鹿な理由で意地はって――――

 波にもみくちゃにされて、沢山海水を飲んで。

 でもその時。荒れ狂う海の中で洋輔が抱きしめてくれた。今みたいに抱きしめてくれた。海の中でも―――あいつが私を見つめる瞳がしっかり見えた。それで私は安心できた。

「船が旋回して私の所に戻るまで待て無い!って飛び込んでくれたんでしょ?救命胴衣もつけずに」

「そっ!それはお前が沈んで行くのが見えたから……あんなものつけたら潜れないだろ?! 」

 で、その後はよく覚えていない。意識を失って次に気が付いたとき――――お父さんに人工呼吸されてた。

「まったく最悪よ!なんで乙女のファーストキッスをお父さんに捧げないとイケナイのよ! 」

「父親なら回数の内に入らないだろ?!お前なんてまだマシだぞ!俺なんてハマちゃんだぞ!ハマちゃん!!
何が悲しくて俺のファーストキ〜〜ッスを男に捧げにゃならんのだ! 」

「男同士なら尚更回数に含めなんくていいんじゃない?!
そもそも助けに入ってなんで自分も溺れるかなぁ?カッコ悪っ」

「なんだって?助けてもらってその言い草かぁ?って……少しは元気出たか?」

「……うん。ありがとう」

「大丈夫。俺が保障する。やっぱりお前は金子蘭子。昔も今も何も変ってなんかいねぇよ」

「ありがとう…… 」

 腕に抱かれながらじっと彼の眼を見つめた。

 彼の瞳も腕の温もりも……何も変ってなかった。

「まだ……あの時のお礼……ちゃんとしてなかったね」

 私はそう言って瞳を閉じた。



 本当のファーストキスは……ネクターの味がした。















 そして波の音は聞こえ無くなった。












中編はこちら。
物語は急展開!
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