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おこたでみかん! 〜クリスマスの夜〜

 木枠のサッシがかたかた揺れている。水仕事を終えたおキヌがきゅっと蛇口を閉めれば、窓の外はすっかり雪景色に包まれ、寒風が吹きすさんでいた。なるほど寒いはずだ、足下の小さいヒーターでは狭いキッチンとはいえ中々暖まるはずも無い。キッチンに比べればまだわずかに広いと言える6畳間の薄い壁の内側には、せめても住人に暖を取らせようと年代物のストーブが赤々と気勢を上げていた。
 エプロンを電子レンジの上に置いて、おキヌはありがとうとヒーターの電源を落とす。彼の努力で保たれていたわずかな暖かさも、すぐに外に逃げていってしまうだろう。冷たさがキッチンを覆い尽くす前に、ワゴンの中からいくらかミカンを持ちだして、6畳間に退避する。曇りガラスの引き戸をさっと開けると、台座の上に真っ赤な布団を掛け緑のテーブルを乗せたおこたがあり、横島が入れたお茶が湯気を立てていた。はい、とミカンを差し出して、おこたに滑り込む。湯飲みを両手で包み込むと、冷え切った手に熱さが染みこんでいく。落ち着いた頃合いにほうと湯気を吹いてみれば、ゆらゆらたゆって部屋に溶けた。見れば、横島はミカンに舌鼓を打っている。

「……こんなにのんびりしていて、いいんですかねえ」

「いいんじゃない? 美神さんものんびりしてろ、って言ってたし」

 二人でおこたに入るのは別に珍しい事でもない。今日にしても、美神が精霊石の買い出しで急に海外に飛んでしまったので、習い性の様に横島の部屋に来ただけの事。世間一般では今日はホワイトクリスマスと呼ぶのだろう、ここに来る途中も煌々とした電飾の光や行き交う恋人達で街は華やいでいた。そんな華やいだ日に、ハレとは無縁な木造アパートの一室でゆったりした時間を過ごすのも、おキヌは嫌いでなかった。

「除霊の依頼は上得意以外は断れって、全く美神さんは殿様商売やのー」

「それでもだいぶん丸くなったんじゃないんですか? 前は雨が降ったら寒いから休業、って感じでしたし」

「今回は俺らが動かなきゃいけないから、考えてくれているのかもしれないけどね」

「この時期は、上得意さんのところで除霊なんて、ほとんどありませんからねー。結界保守が中心ですし」

 所長の美神がいなければ、そも美神事務所が立ち行かなかった数年前とは違い、今では横島もおキヌも一端の戦力になってはいる。だが、まだまだ師匠を納得させるレベルにまでは達していないと、美神は言外に言い含めているかもしれなかった。これでも役に立っているのだと自負らしきものも芽生えてきている横島は実のところ面白くないのだが、細々したことでいきり立っても仕方ないと、降って湧いた休暇を楽しむよう努めていた。おキヌも同じ気持ちなのか、ミカンをつまんではお茶で喉を潤して、まんざらでもなさそうに映った。

「はあぁ。外は寒いし、おこたはぬくいし。なにか眠たくなっちゃうね」

 美神から預かった顧客向け携帯も放りだし、ごろんと横になる。独身の若い男が住む割りに埃が舞わないのはおキヌの手柄だろう。おこたに身体を預けつつ、寝息でも立てるのではないかと言うほど静かになった横島を、おキヌはどうしたものやらと見つめていた。そのままにして寝入ってしまうと風邪を引くだろうし、かといってすぐに起こしてどうこう、というものでもない。単に疲れているのか、それとものんびりしたいだけなのか。何を考えているのだろうと想いを巡らすこんな時間は楽しいもので、本当に寝息が立つまではそっとしておこうと決めた矢先、おキヌのふくらはぎに横島の足先がこつんと当たった。いけない、と避けても追いかけてくる。幾度か足をなおして、こたつの端に追い詰められたおキヌは、どこか申し訳ないと遠慮していた家主に対して、敢然と反撃に出た。

「いらずらッ子にはこうです」

 むんずと足首を掴むと、無防備な足裏をくすぐった。これは覿面な効果を示し、同盟を破り侵略をかけてきた相手方を撃退することに成功したのである。だが、相手も黙ってはいない。一旦引いた足でもって、今度はより積極的に、すねをくすぐるという作戦に出た。領土を回復したかに見えたおキヌ方は、またも僻地に追い詰められてしまった。

「もう! 懲りませんね、横島さんったら」

「わはは、足先の魔術師タダちゃんと呼んでくれたまえ」

 スカートの不利というべきか。どうしても足が露出してしまうおキヌに対して、ジャージとはいえ足裏以外は完全防備、かつ地の利もある横島とではいかんともしがたい。そう思われたとき、おキヌはいよいよ禁じ手を使用した。

「秘技大陸移動!」

「わ、ずるいよおキヌちゃん」

 何のことはない。ただおこたを自分に引き寄せただけだが、すきま風のはいる部屋では効果抜群だった。友人達と戯れている際に出てきた技?なのだが、陸に上がった亀の如く、引きずり出された相手は動きが鈍くなる。横島はずっと横になりながらちょっかいをかけていたのが、裏目に出た訳である。この隙にと、おキヌは一番良いポジションを確保してしまった。

「ふふん。もう横島さんの入るところは脇っちょしかありませんよーだ」

「……うぅ。まさかおキヌちゃんがこんな技を知ってるとは」

「私も生き返ってから、日々進歩しているのですよ」

 週刊誌を読みこんで耳年増になっただけじゃないんだね、などと逆鱗に触れそうな台詞を口走りそうになり、横島は慌てて口を塞ぐ。それがおキヌにはクシャミを押さえる動作に映ったのだろう、大丈夫ですか、と申し訳なさそうに問いかけてきた。大丈夫だよと答えると、横島は少しいたたまれなくなり、キッチンにミカンを取りに行き、すぐ戻った。おこたは元の位置に戻っていた。

「はい、ミカン」

「ありがとうございます。ついついあるとつまんじゃいますよね」

「こないだピートが言ってたけど、外国だとミカンをクリスマスオレンジなんて呼ぶんだってさ」

「季節の風物詩なのかな? 日本でも、冬の定番ですものね。オシャレなイメージはないですけど」

「いつの間にかそこにあるし、地味っちゃ地味だし。でも、無いと寂しいし、食べれば美味しいよね」

「横島さんみたいですねー」

「ひでぇ」

 くすくすとおキヌが笑う。なるほど確かにその通りなのだが、横島はどうせならクリスマスフルーツの方になりたいなどと考えてみて、ミカン星人の顔をした自分しか浮かばない。食べれば、という部分で女性に言うべきでもない冗談を思いついて言えず、それきり黙って、またちびちびミカンをつまんだ。おキヌはふと、街の灯りはまだ夜空に張り付いて静止しているのだろうかと思った。別に黙っている時間が苦痛なのでもない。ただ、思いがけずハレがこの部屋に飛び込んできたようで、手元のミカン、いやクリスマスフルーツにちょっとだけ、感謝していた。

「……ハレにもケにも成れる、不思議な果物ですよね。ミカンって」

 見つめた横島はキョトンと、お茶を流し込んでいる。おキヌは不意に頭に来て、ミカンの皮を投げつけてやろうかと思い止めた。その代わり気づかれないよう、いや、おそらくは本当に気づかれないだろうが、側にあったわら半紙にミカンの汁で書き付けた。
このニブチン、と。

「どうしたの、おキヌちゃん?」

「え、いえ! なんでもないんです、あはは」

 妙なところで鋭いのだけは変わらないんだから、とおキヌは愚痴をこぼしかける。いやな人だと感じたのは一度や二度ではないが、それでもずっと近しくあれる。
自分に正直であけすけで、誤解されたり傷ついたりしてて、でもその分側にいて安らげて。はらはらもどきどきもさせられるのだけど、結局の所、ミカンがこんなにも美味しいというだけで、おキヌは満たされてしまうのだ。それでいいやと思う自分がいるのも、おキヌはちゃんと分かっていた。
 やかんから音が鳴り、湯気が立つ。再加熱したストーブの余熱が、暖めてくれたのだ。

「……お茶のお代わり、下さいな」

「あ、はいはい」

 お茶を入れる横島を見て、もうしばらくこうしていようと、おキヌは決めた。外はまだ風が吹いて寒いだろうし、中はこんなにもぽかぽか暖かい。一寝入りしてしまっても、まだ時間に余裕はある。ミカンを食べて、お茶を飲んで、横島と軽い喧嘩でもしていれば、きっと楽しいだろう。新しいミカンを一つ、むいてから横島と半分こした。

「はい、どうぞ」

「ありがと」

 変わらずミカンは、美味しかった。
http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gty/html/9444.html  おこたでみかん!
http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gty/html/9452.html  おこたでみかん! そのちょっと後

一応以前書いたモノもup。お時間あったら読んでみてくださいませ。
読み返すと、蛇足だなーと思う部分もありますが。
さて今回のは、時間軸としては、以前の何年か後、という形なんですが。
掌編なので、あんまりそのあたりも描写してないです。
平坦なお話しではありますが、横島とおキヌをいちゃいちゃさせられたからいいや。わーい。

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