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【夏企画】足りない50センチ・一歩目の勇気


日中の突き刺すほどの陽射しも大分和らいできた。
入道雲が濃い蒼の中でまだその存在をはっきり誇示していながらも、いそいそと気づかれないように空が橙の布を纏い始める。
居間に落ちる影がだいぶん伸びてカーテンに日が陰った時分、おキヌは家事の手を止めた。

「……そろそろ、商店街にお買い物に行こうかな?」

アスファルトが、閉じこめた陽射しをじわじわ開放していく。
朝の天気予報でいやになるくらい繰り返し告げられていたように、事務所を出てすぐに熱気が体を包んだ。
道行く先にはまだ陽炎が漂い、けぶった街そのものの存在感を希薄にしている。
だが体に伝わる熱としみ出る汗が、間違いなく今は現実なのだと教えてくれた。
太陽は人間をその手から逃すまいとすがりついてくる。
おキヌはそれでもわずかばかりの抵抗にと、ノースリーブの白いワンピースを着、涼を求めては木陰を選んで進んでいった。
人は相変わらず多いが、街はとてもぐったりとしている。
ビルとビルの狭間が切り取った空間や、薬局のカエル人形、街路につきだした居酒屋の看板までもが気だるそうに横たわる。
崩れかけた古屋の軒先に咲く向日葵の頬を撫で、角地を曲がり、通い慣れた坂道を幾分か登ると、商店街はすぐそこ。
もうすぐだ。
おキヌがいざと歩みを早めると同じく、風が並び、そして過ぎ去った。
急ぎなよ、街の匂いを運んできた風はそう告げた。

「空が怪しくなってきた……」

むっとした蒸し暑さと共に、視界が急に薄暗くなっていく。
屋根も木も煙突も、息をつく間もなく低い雲が覆ってしまい、乗り合わせているのだろう雷様が元気よく踊り出す。
でもそれは下界を歩くしかない人間には決して楽しい音ではなく、むしろはた迷惑な祭りが始まる合図でもあった。
家の中にいるのであればまだ、一時の涼を得たと喜びもしよう。
外にいる者にとっては、夏風邪を引かないよう用心しなければいけない―――葉を茂らせる木々たちとは違い―――激しい夕立が、すぐにもやってくるのだ。
おキヌは持参していた、ピンク色の可愛らしい傘を広げた。
体をまあるく淡い影が包む。
雨をしのぐにはいささか心許ない、しかし頼りの相棒はおキヌを守ろうと健気に空に向かって気勢を上げる。
その声に応えたかのように、夕立は一斉に地上の侵略を開始した。
人影はすぐにまばらになり、車ですら足下がおぼつかない。
おキヌは激しい夕立に濡れそぼりながらも、目当ての場所までもうすぐだとばかり急いだ。

「あれ……」

半年ほど前閉店した時計屋の軒先で、雨宿りをする人影には見覚えがあった。
正確には、昨日の晩も一緒に仕事をしたバンダナの青年で、雨脚が強く視界が悪くとも見間違えようも無い。
足を前後にゆらゆらと、何かを決めかねているようにややもしてはまた戻る。
輪郭のぼやけたその人を確かめるように、おキヌはそっと声をかけた。

「……横島さん?」

突然横から声をかけられ、青年はきょとんとして振り向いた。

「おキヌちゃん?」

やっぱりそこにいたのは横島で、間抜けた顔におキヌは少し安心した。





        『足りない50センチ・一歩目の勇気』
            Presented by とおり





「奇遇ですね。こんなところで会うなんて」

「そーだね。会うのは大抵、事務所か俺の部屋だから」

おキヌは横島の隣で傘を閉じ、並びに立った。
雨が全てを閉ざして、街からは音が消える。
薄暗い軒下でおキヌが雨を払っていると、ふと目に入る物があった。

「あ」

横島の手にあるチラシは昨日おキヌが机の上に置いて、出がけに探していたものだ。

「そのチラシ、横島さんが持ってたんですね」

「あ、ごめん。探した?」

「ええ、ちょっと。でも、それを持ってるってことは、横島さんもタイムセール狙いですか?」

「横島さん『も』なんて言うってことは、おキヌちゃんも?」

「はい」

おキヌにしてみればそれはごく当たり前の事だった。
食べ盛りの所員達にどうやって美味しくバランス良く、かつ安く提供するにはどうするか頭を悩ませていた。
観葉植物に水をやったり、台所の掃除をしてみたり、ソファーに寝転がってみたり、CDをかけてみたり、時には思い切りカーテンを開けてみたり。

この料理は美味しいでござるな。
あんたはそればっかりで、味なんてわかってないでしょ。
ゆっくり食えよ。
どうでもいいけど、三杯目にはそっと出しなさい。

脳裏に響く雨音の様に所員達の声を思い起こしながら、献立を考えるのが習慣となっていた。
それがいつ頃からのことなのか思い出せないほど、半透明の自分たちが事務所全体に染み渡って久しい。
部屋中に溢れた声をおキヌは何度も確かめては嬉しく思う。
だけどもおキヌはその想いは静かに心に秘め。
カトン、タタン、トン。
雨脚は変わってはいないのに、大粒の水滴がひさしを叩く音だけが聞こえてくる。
すぐそこは、雨脚が地面を叩いているのに。
ここだけぽっかり切り取られた様に静かな場を賑やかそうと、おキヌは言葉をつないだ。

「それにしても、盛大に降られちゃいましたね」

「だなぁ。ここまで激しくなるとは思わなかった」

横島はおキヌの声に誘われて、雨の降る景色に目を向けた。
大粒の雨がアスファルトを打ち付け、飛び散った飛沫が二人の足元にまで届く。
しぶきが足を濡らし、ワンピースも先ほどからの雨を取り込んで重くなってしまっていた。

「傘、あまり意味ないですね」

「ないよりマシだよ」

「靴なんか、もうびしょびしょです」

「はは……そういや俺の靴も、中でグチョグチョ言ってるなぁ」

おキヌはぼやいて、ワンピースのスカート部分を少したくし上げ端をぎゅっと絞る。
服にしみ込んでいた雨水が、ほっそりとした白い指の間からぽたぽたと落ちた。
肩口に髪が撫でかかる。
帰ってからきちんと洗濯をして、早めに干さないと皺になってしまうかもしれない。
そうだ、横島さんの服もびしょ濡れなら、同じに洗濯してしまおう。
おキヌが問いかけようと不意に顔を上げると、習え右で横島はそっぽを向いた。

「横島さんは傘持ってきてないんですか?」

「あー……」

何気ない問いに、横島は答えづらそうに頬を掻いた。
おキヌは「仕方ないですね」とばかりに、くすっと苦笑を漏らした。

「だめですよ、横島さん。入道雲を見たら、とりあえず傘は用意しておかないと。夕立って、激しくなること多いんですから」

「はは……今、身をもって体験してるところだよ」

苦笑で返す横島。
その台詞が終わると同時に灰色の空にぼやけた光が走り、数瞬遅れ。



 ――轟音。



「きゃっ!」

稲光の後一拍置いて響いた音に、おキヌは思わず横島にしがみついた。
しがみついて――動けなくなる。

「お、おキヌちゃん?」

「あ……ご、ごめんなさい」

横島の呼びかけで我に返ったおキヌは、恥ずかしそうに顔を赤らめその手を離した。
しがみついたときと同じくらい無意識に、反射的に。
息が詰まった。
一体、私は、何を。
激しい鼓動が少しの間血の気を引かせ、そしてほてりは体中を駆けめぐる。
この熱が伝わってしまいそうでイヤだと、おキヌはつと顔を伏せた。
時折、おキヌは自分の事が分からなくなる。
自分が不意に見せる大胆さは、自身をすら驚かせて動転させる。
どうしてこんな事をしてしまうのだろう、と。

「光ってからそんなに間が空いてなかったな……近かったのかも。次はここに落ちるんじゃない?」

意地悪くのたまう横島に、おキヌの心のざわめきは落ち着いていく。
でもちょっとだけ腹立たしさも覚えて、この動悸も紛れ込ませてしまえとばかり眉根を形作っては、出来る限り不機嫌そうに言った。

「そんな、怖いこと言わないでくださいよ」

「案外本当かもよ? 隊長が時間移動したとか」

「え?……って、そんなことあるわけないじゃないですか」

おキヌは思わず目を丸くしたが、苦笑と共に否定した。
無論、横島は冗談で言っただけで、彼自身もそんなことがあるわけないと思っている。
おキヌはまた、前を見た。
すると、もう一度空に灯りがともった。
今度は少しだけ間を置いて、おとなしめな音が聞こえてくる。

「遠くなりましたね」

「雨足も、ちょっとは弱くなったかな?」

「どうかなあ。あまり変わってるようには見えませんね」

確かにおキヌの言う通り、雨の勢いは相変わらず強く、街は依然夕立の支配下にある。
灰色は目の届く限り続き、家々の窓も、遠くのネオンも、駅のホームも、いつもは横島を見つけて手を振る坂道も、皆押し黙っていた。

「…………」

「…………」

――ふと、言葉がとぎれる。

ごぉー……という激しい雨音が二人の前を過ぎていく。
周囲の迷惑も考えず、水溜りを弾き飛ばしながら通り過ぎる車。
横島のように傘を忘れたのか、「せめて頭だけでも」とばかりに手に持った鞄かざし、駆けて行く人。
お互いの暖かさをすら感じ取れる距離のまま、そんな景色を眺めては、また二人は顔を伏せた。

――随分と長いこと、ずっとそのままで隣り合っていた。

どうしようかと、おキヌは逡巡していた。
雨音が外を支配して、でもここには音が無く、ただただ穏やかな空間がおキヌには好もしくも思えた。
普段とは異なる二人の近さが、この場所のバランスを保つ奇妙な力を持っていた。
幽霊だった昔、おキヌは一人だった。
もうそれは昔の事で、生まれ直してからずっと、おキヌは一人では無かった。
横島と、事務所の皆と、たくさんの時間を一緒に過ごし、幾度もの新しい自分に出会って、今おキヌはこの場にいる。
それが嬉しくもあり、近しくなっていく分知らないことが増えていくのが寂しくもあったけれど。
おキヌはほんの少し離れるとシャッターに背をそっと預け、ぽたぽた水滴の落ちるひさしを見つめていた。
変わりなく立ちつくすこの人は、何を思っているのだろう。
雨宿りをしているだけでは所作から図りようもなく、横島の視線の先を同じようにあてどなく覗くだけだ。
やがて、雨が地表を叩く音がすこしだけ柔らかくなって、ほんの少し風が薙いだ。

「雨、だいぶ弱まりましたね」

「そーだね」

雲がゆるやかに通り過ぎようとしているサインに、おキヌは右手の時計を確認した。
もう7時までは30分そこそこしかない。
でも傘が一つしか……そこまで考えて、おキヌは自分の言葉を思い返す。

傘。

単なる偶然でしかなかったが、傘は一本しかない。
おキヌも横島も、タイムセールに向かいたいのだ。
しかし、雨脚はだいぶ弱まったとはいえ、依然強く街を叩いている。
で、あれば―――そこまで考えるのに、数分を要した。
そして、その思いつきはおキヌをすっかり高揚させた。
わくわく、というよりはどきどきとしたと言った方が正確だが、とにかくもおキヌは自分の思いつきをなんとかして形にしようとして、更に数分を使った。
おキヌは傘と目の前の雨に、交互に視線を向け、時折横島を盗み見た。
白のワンピースではなく、自身の心からなんとかして勇気を絞り出した。
よし、と口をついてしまったのは仕方なく、ごまかすようにばさと傘を開いた。
それは決意の号令。
横島には聞こえ得ない進軍ラッパが鳴り響いたのに、事務所のメンバーがいたなら気づいたろうか。

「はい」

「……え?」

横島は呆けた声を返す。
おキヌは傘を、横島の頭上にさしていた。

「おキヌちゃん?」

「せ……せっかく向かう先が同じなんですし、一緒に行きましょうよ。時間も、その……そんなに残ってないですし」

「時間って……そんなに経ってるの?」

「あ、はい。えっと、6時……30分過ぎちゃってます」

「げ」

声がうわずっているのをおキヌは自覚しているが、横島はそれを気にした様子もない。
ただ単純に、時間の事のみが頭を患わせている様だ。
自分の言い訳がうまくいった事を喜べばいいのか、悲しめばいいのか、傘をつきだしたままのおキヌには良く分からない。

「えっと……それじゃ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」

言い終える前に、横島はおキヌからふわりと傘を奪い取った。
あ、と口をついてでた言葉もはみ出た傘にかかる雨音にかき消され霧散した。
嬉しさと同時に、喉を冷たさが下る。
自分の方が背が低いことは分かっているが、それでも当然のように横島が傘を持っている事にも、おキヌは違和感を覚えた。

―――やりやすい方が傘を持てばいいことだよね。

そうやって違和感を押さえこむと、横島が傘に入ってと促した。
二人揃って踏み出そうとしたときにおキヌの肩にかかったのは夕立で、それは横島も同じだった。

「傘……小さかったですかね」

「…………」

おキヌの問いに横島は、傘を差し出すことで応えた。
代わりに横島の方が、腕と言わず肩と言わず、それどころか耳まで濡れてしまいそうなほどまで傘の外に出てしまった。
それはきっと横島にはパズルのピースをはめる様な物で、波型だとか星型だとか、とにかく空洞に正しい何かをはめるように正しいことに違いなかった。
だけど気遣いはおキヌの心にすっぽりはまることはなく、友情や喜び、嬉しさとも言った物でもなくて、むしろ哀しみや戸惑いをあてがった方がすんなりぴったりと形を合わせることが出来るたのではないだろうか。

「よ、横島さん、私は大丈夫ですから……」

「いや、元々この傘はおキヌちゃんのものなんだし、入れてもらってる身で贅沢できないって。第一、肩だけとはいえ、女の子を濡れ鼠になんて出来ないよ」

「そんな……」

「じゃ、行くよおキヌちゃん」

「あ……はい」

横島はおキヌを促し、一歩進み出る。
その歩調に合わせ、おキヌも一緒に踏み出した。
つとおキヌは思う。
素直に厚意を受け止められない自分は嫌な女なのだろうか、と。
こういう時もしも美神ならば横島の傘を奪って、さも当然といった態で歩いていくのだろう。
でもその後できっと傘を差しだして、同じように肩を濡らしながら歩くのだ。
そう、同じように。
おキヌには、なによりそれが羨ましく思えてならない。

「……あの、横島さん」

「ん?」

「その……左肩……」

「ああ、大丈夫だから。心配することないって」

陽射しが強ければ影も濃くなる。
横島の厚意が暖かく嬉しい物であるほど、おキヌにかかる影もまた大きくなってしまっていた。
不意に、横島と肩が触れ、湿った袖口を横島の体温が覆う。

―――ほら、おキヌちゃんがいてよかったろ?

いつかの横島の言葉が、おキヌの頭に浮かぶ。
ああ、なるほど。
私はちょっと、いや確かに、怒っているのだ。
くっきり輪郭を伴って浮かんできた感情は、おキヌを再度高ぶらせた。
昔と違って、もう自分の時間は止まらない。
幽霊の時よりも、生き返ってすぐよりも、今はなお色濃い。
あれから随分と贅沢になってしまったから、きっと傘を差して貰うだけではいられないのだ。
だから願った。
半透明の自分が溢れる時間や空間に、なおまた新しい自分が生まれますように、と。
そうすることで、おキヌは前に進める気がする。
今までを肯定して、また次の時間へと行けると思えるのだ。
この扉を開けて、前にと。
想った、その時。

「きゃ!?」

思索に沈んでいたおキヌのすぐ横を、雨水を弾き飛ばしながら車が走り抜けた。
タイヤが弾き飛ばした水がおキヌにかかりそうになって、思わず横島に身を寄せた。
先ほどの雷と同じく自分の行動に驚きつつも、おキヌは自分の背中を押してくれた車に感謝した。
そうしようと思っていたとはいえ、商店街にたどり着くまで実際行動に起こせていたかどうか、それはおキヌ自身が怪しいとも思っていたから。
上気した自分を感じながらも改めて横島の腕を取ると、強引に引っ張っていく。

「あのー……」

「……」

横島の戸惑いをわざと無視して、勢いの細ってきた夕立の中をおキヌはなお進む。
肩が濡れるのも分かっている。
だけど、いささかも歩みを緩めることは無かった。
どうだ、自分にもこんな事が出来るのだぞと。
雨が上空から地上に降り注ぐ様なくらい当たり前に、おキヌは自分が濡れるのも当たり前だと、ためらい無く見せつけていた。
横島はそんなおキヌの声にあてられたのか、意を決したように口を開いた。

「おキヌちゃん。傘、持って」

「あ、はい……?」

おキヌが傘を受け取ると同時に、横島はおキヌの肩に手を回し引き寄せた。

「あっ……」

突然のことに、おキヌの目が丸くなる。
おキヌが先ほど横島にしたことと同じような物だが、人にされるのはやはり驚く。
冷えた体に伝わる横島の体温に、ゆっくりおキヌは桜色に染まっていった。

「こ、こうすれば、濡れる面積も小さくなるからさ……」

「は、はい……」

そして、おキヌからもう一度傘を受け取り、横島は傘を真上に掲げる。
今度はすっぽりと――などと都合良くはいかなかったが、それでも今までよりはだいぶマシになっていた。
何よりおキヌが嬉しかったのは、ちゃんと二人の肩が同じように傘からはみ出し、そして濡れていた事。
降りかかる雨は冷たいけれど、とても心地よくて。

―――ありがとうございます。

お礼を言おうとし、目が合った。
恥ずかしげな横島の視線がおキヌにはおかしくて、つと笑いがこぼれた。

「時間も押してるし、急ごうか」

「はい」

お天道様に、ちょっとだけ感謝。
ささやいて、おキヌは想う。
そうだ、もっと大きい傘を買おう。
二人で入っても身を寄せ合えば濡れずに済むような、激しい夕立でも一緒に歩いて行ける、そんな傘を。
横島といれば、雨に笑う事だってきっと出来るだろうから。
傘にかかる雨音は、ようやく落ち着いてきていた。
正面を見れば、遥か遠くの空は既に雲が切れていた。
その雲の切れ端はわずかに顔を覗かせている空と共に、見事な赤焼けに染まっている。
日は沈んだ直後なのか、その赤い空に夕日は見えなかった。

「おキヌちゃん。良かったら、スーパーで傘買っていかない?」

言われて、おキヌは思わず横島を見上げた。

「あ……。私も、その。同じこと考えてました」

「そっか。んじゃ、ちょっと大きめのヤツを買おうよ」

嬉しいのだろうか、それとも悔しいのだろうか。
おキヌはただ、わかっちゃうのかあとばかり。
いつか女子高生に憑依した時の事が、脳裏に浮かんでいた。

「ええ。買っちゃいましょう。私、ちょうどお金もありますし」

「いや、いいよ。それくらいだったら俺もあるし、そのくらいは甘えてよ」

「……ありがとうございます。でも、その気持ちだけでありがたいですから。やっぱり私が」

「いや、俺が買うから。ホントにいいよ」

「いえ、私が」

「だから俺が、さ」

「私が」

「俺が」

「…………」

「…………」

瞬くほどの間、にらめっこのように視線を交わし合って、そして笑い合った。
全く何をしているんだろう、おキヌは想う。
でも、この時この瞬間を、おキヌはとても嬉しく感じていた。

「……一緒に買いましょうか?」

「そだな」

二人は少し足を速め、スーパーへの道のりを歩いていった。
タイムセールの期限もあるが、きっとそればかりではなかったろう。
調子よく足を進めていた時、不意に横島の足が止まった。
見やれば、夕立は馬の背を分けるとばかり西の雲は燃え上がっていた。
傘を叩く雨の勢いも、目に見えて減じてきている。
ビル群は夕日の最後の抵抗に目隠しをされ、でこぼこした形だけが映っていた。

「もう、横島さんったら。ほら、時間無いですよ?」

おキヌは、もう一度横島の手をぐいと引いた。
雨が上がってしまう前に、もうちょっとだけ。
互いの肩を濡らしながら、駆け抜けていった。







後に二人は、相合い傘前提で傘を買ってしまったことに気付き、またもや一騒動あったのだが。
それはまた、別の話。
http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gty/read.cgi?no=10040
いしゅたるさんの「一歩目の勇気(触れ合う距離感)」編も合わせてお楽しみください。

……という訳で、こちらはおキヌ視点でございました。
隣り合ってはいても気持ちが見えるわけではなくって、そこから生まれる物が人の関係を面白くしているんじゃないかなあ、とか想いつつ書きました。
読んでいただいた方々に、楽しんでいただけたら幸いです。

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