【DS】 さくら さくらん♪

『さくら さくらん♪』



ゆったりと流れる風がサクラの花びらを舞い上げる。
今は春。
新たな出会いの季節。

軽く頭を振ってサクラの花びらを髪から振り落としながら少女が見上げた空はどこまでも青い。
まるで彼女の心を物語るかのように高く低く飛ぶ雲雀の声が耳に心地よくて少女は静かに微笑む。
道行く人々は満開のサクラにも劣らぬ、いや、それを超えた彼女の美しさに思わず漏れた感嘆の息を思い思いの方法で誤魔化した。
当然だが誤魔化しきれないものもいる。
いや、この場の比率からすれば大部分がそうだったろう。

少女とこれから三年間ともに過ごす幸運に神に祈る少年たちの一部はすでに暴走寸前で、なんとか少女に声をかけようとしているが完璧に近い彼女の姿に彼らの煩悩は尻込みを強いられ、仕方無しに盛りのついた犬がごとく舌を出してハァハァ言うだけだった。
異性だけではない。
風に揺れる金糸よりも艶やかな髪に、自分の髪の毛を引っ張りなから溜め息をつく少女たち。
よく見れば未来の希望に満ちた少女たちだって美しいとか可愛いとか表現することは充分に可能なのだけど、太陽の前では月は霞むように、ヒマワリの横ではカスミソウは繊細すぎるように、あまりに圧倒的な戦力差が彼女たちの心に影を落すのだ。
せめてファッションで差をつけたいところだが、あいにくと今日はファッションを競う場ではない。
皆、同じ格好をしている。
いわばハンデ無しの障害戦。ちょっと私に賭ける人は居なさそう。
だって男どもはみんな餓えた座敷犬みたいな顔してハァハァしているし。
せめて今日じゃなければ少しは個性を出せたものの。
白いブラウス。またはYシャツ。
襟元を飾る真紅のリボン。
そして濃紺のブレザーがそれぞれの未来を受け止めて春の日に輝く。

希望と羨望に満ちた彼らの向かう先には『〇〇学園高等部 入学式』の看板があった。





それにしても…と少女は手にした鞄の取っ手を強く握った。
真新しい靴が出す軽快な音も、カバンが手に伝えてくる感触もどちらもが彼女の心を騒がせる。
嬉しく無いのか?と問われれば、少女は少し考えて苦虫を噛み潰しながら嬉しいと答えるだろう。
それは彼女が人外の存在ゆえの不安。こんな人の多い場所で、輝きに満ちた未来を祝う家族や友人たちがいて、想いを受けて雄々しく立つ若人の一人になったからこそ抱えている不安は拭い去れない。

さっきからギラギラと自分に視線を送ってくる周りの人たちは気がついているだろうか。自分が伝説の妖狐の転生だと言うことを。
いや気づいているはずはない。
何しろ今の自分は前のように根無し草ではないのだから。
多少不機嫌そうに見えたとしても、どこからどう見ても普通の新入生。
家族に門出を見守られ祝福されている他の少女たちと変わりは無いはずだ。

ふと思い出した少年の顔が苦笑の形に変わるにつれて少女もまた微笑んだ。
まだ実感は薄いけれど感謝したいと思う。
バカだけどとてつもなく優しい少年と、その少年を育てたとてつもなく懐の深い両親に。
微笑がいつの間にかニヤケ顔に変化し始めたことに気がついて少女は慌てて紅く染まり始めた顔を引き締めた。

式にはまだ間がある。
一緒に式場まで行くという少年たちを余計なお世話と振り切って先に出たのはこんな顔を見られたくなかったからだったのになんと言う失策か。
いけないいけないと深呼吸を一つして少女は胸を張って前へと歩き始めた。
後ろでこっそりと覗き見している、サングラスで顔を隠した見るからに怪しい風体の男女には気づきもせずに。


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「学校?」

「そうよ」

いつもどおりの事務所の光景。
だけど今日はちょっとだけ空気が違った。
除霊の打ち合わせとはまた違った空気の色に小首を傾げていたシロとタマモに令子が切り出したのはタマモにとってとんでもない話だった。

「一応さ。常識ってのを学ぶには学校が一番なわけよ」

「お断りね…なんで私が人間の子供と馴れ合わなきゃならないの?」

余計なお世話だと思う。
必要な情報はテレビとやらからでも入ってくるではないか。
なにも人間の子供に混じって今更、読み書きソロバンもないもんだ。

「うーん…でもなー。これからの時代はやっぱ勉強って必要だぞ」

「あんたがそういうこと言う?」

いつもサボッている癖にと口を挟んできた横島を半目で睨めば、普段ならすぐに怯んで視線をそらせるはずなのに今日は珍しくも食いついてきた。

「だってお前さ、字読めないだろ?」

「失礼ね!!」

仮にも金毛九尾の転生に向かってなんと無礼なことを言うのだろうかこの男は。
過去に為政者たちの寵愛を得るためには肉体の美しさはともか深い知性が必要だったのだ。
その大妖怪に向けて字が読めないとはなにごとかといきり立つタマモの前の突き出されたのは何かが書かれた一枚の紙。
なにやら見慣れない文字が書かれている。

「なによこれ!?」

「そんな質問をする時点でお前が英語を読めないってのがバレバレなんだが…」

「読めるもん!」

「ほほー。んじゃこれなんて書いてある?」

よく見れば出された紙に書かれているのは確かに英文ぽい一行。

『Full I care cows to became Miss Note.』

勿論、ローマ字すらあやふやなタマモに読めるはずも無いがここで引くのは悔しすぎ
る。

「えーと…えーと…くっ…中国語ならなんとかなるのに……」

「ふふふ…これはな『古池や かわず飛び込む 水の音』と読むのだよ」

「本当ですか!?」
「なるほど!!」

タマモより先に一緒になって考え込んでいたおキヌと最初から諦めていたシロが揃って反応してくるのがちょっと計算外。
しかもなんだか目をキラキラさせていたりして。
まあ二人とも英語は苦手そうだから仕方ないといえば仕方ないだろう。
だって黒髪の少女は鎖国真っ只中の江戸時代の生まれだし、銀髪の少女は山奥で江戸時代を引き摺った暮らしをしてきていて、しかも尚且つ今の姿は促成栽培みたいなものだから。
ヤレヤレと頭を振りつつ、状況が悪くなりつつあることを悟って微妙な表情で一歩引いていたタマモに横島はさらなる追撃をかました。

「んじゃさ。電波ってなに?」

今度は理科で攻めるつもりらしい。
無論、横島もよくわかっているかどうかは疑問だが、いかに成績が悪いとはいえ中学生程度の知識はあるだろう。

「う……それはあれよ…あの歩いていると時々頭に飛び込んでくる…」

「とりあえずそんな頭は台所洗剤でよく洗ってから日陰で干しておけ…」

「…そ、そんなの知らなくても別に困らないもん!」

「あっそ…ところでタマモ」

「なによ?」

「電波ってなぁ電子レンジにも使われているんだわ」

電子レンジは知っている。
ちょっと冷めたウドンなんかを火を使わずに温めてくれる魔法のような機械だ。
だけど一度卵を炸裂させておキヌに注意されてからタマモはちょっと苦手だった。
横島もそのことを思い出しているのだろう顔に苦笑が張りついている。

「でだな…お前が言うとおり電波ってのはそこいらじゅうを飛び交っているのだ!」

「ホントに!?」

「ああ…だから迂闊に電波がたむろしている場所にいくとな…」

言葉を切った横島の顔が「我が策なれり」と邪笑に歪んだがタマモは気がつかなかった。

「ど、どうなるの?」

「タマゴのように頭がボンと!」

「ええっ! マジでっ!?」
「そんなっ! 東京って電波が一杯じゃないですか!!」
「せ、拙者散歩に行くのが怖くなったでござる!」

三者三様の驚きの表情に横島と令子の肩からちょっと力が抜けた。
いい塩梅の脱力感。なんだか肩こりも一発解消しそう。
とりあえず六道女学院におキヌの理科の成績を聞いてみようと思いつつも令子は横島の作った流れを利用することにした。
そういうところでは阿吽の呼吸を見せる二人にタマモが逆らえようはずもなく、それでもプライドとかがあるのか躊躇の色を浮かべるタマモに今度は懐柔策を交えた追い討ち。
まさにムチと飴のツープラトン。

「中学校はお弁当なのよねー。お弁当って好きなものをなんでも持っていっていいのよねー」

「キツネうどんも?!」

もしかして大好物のキツネうどんを毎日食べられるのかとタマモの髪の毛がピクンと跳ねる。
おキヌが学校に行っている間、美神令子除霊事務所の昼食は基本的に出前だけどタマモと違って人間の令子にとって、毎食そばだうどんだなんてのは飽きるだけ。
ある時は洋食だったりピザだったりと事務所のキツネうどん率は平均2割2分8厘といった微妙なところである。
それが毎日、お昼にキツネうどん。
嗚呼、素晴らしきかな学校のお弁当。
思わず出かかった涎を飲み込むタマモにおキヌが困ったような笑顔を向けた。
実際にお弁当を作るのは彼女なのだから、毎日、キツネうどんを作らされるというのはちょっと辛いかも。
というより自分は絶対に持って行きたくない。

「あはは…うどんをお弁当にするのはちょっと…お稲荷さんとかお揚げのおかずとかならまだ良いですけど」

精一杯の妥協案。
だって弁当って別々に作るのはとっても手間がかかる。
同じ家族、例えば父親と娘とかでも食の好みは違うのだ。
朝の忙しい時に二人分のおかずを作る余裕はないに等しい。
だから必然的に娘のお弁当が優先され、父親は弁当箱を空けたらチクワが二本入っていたなんて超常現象も起きるのだ。せめてチクワにキュウリぐらい入れろや頼むから。

まあそれでも毎日のお昼にお揚げが食べれるとなればタマモの心は揺れ動く。

「う…行くかも…」

「日がな一日事務所でゴロゴロしているよりはいいと思うわよ」

「ああ…太るしなぁ…そういえば最近…」

令子のアシストをさらに横島が駄目押し。
さらに肝心なところは言葉を濁しながら二人してニヤニヤしながら自分を見ると言う芸の細かさ。
その目はあからさまに「太ったタマモなんてキツネじゃなくてタヌキ?」ってな感じで物を言っていて。
これってとっても屈辱感。
言われてみれば化けている時は気がつかなかったけれど、たまにおキヌの服とか借りた時に妙に息苦しい感じがしたことがあったような。
もしかして肥満の始まりかしらそうなのかしら?

「………わかった…でも嫌になったらすぐやめるからね!」

こうしてほとんど洗脳に近い顛末を経てタマモの高校入学が決まったのであった。



さて実際に入学となると困ったことが出てくる。
文珠で何とかした入学試験もそうだが一番の問題は戸籍だ。
確かにタマモの見た目は中学生だが実際は転生してまだ1年程度。
そして今でこそ政府も権力者に近づかない妖狐を問題視していないとはいえ、妖怪であることに変わりはなく、となるとつまり戸籍もないわけで。
入学のための書類が書けないのである。
まあその辺りは金やコネを使えばなんとかならないでもないが、それでも一般の学生と混じって勉強する以上は最低限の体裁は整えたいところだった。
とは言うものの貰ってきた書類の一行目で早くも令子は行き詰っていた。

「そういえばタマモって苗字がないのよね」

「そうですねー」

「拙者は犬塚と言う苗字があるでござるが」

「ご苦労様です」とおキヌが差し出したお茶で唇を湿らせながら令子は考え込む。
確かにシロには苗字があるし、驚いたことに戸籍もあった。
隠れ里とはいえ、まったく人間と交流が無かったわけではなく、細かいことは長老が何とか誤魔化していたのだろう。
しかし今回はそれが逆に災いした。
シロも一緒に入学と思ったが、年齢的な問題で引っかかったのである。
タマモと差がついたような気がして悔しがるシロだったが、連絡を受けた長老が「何とかする」と言って出してきた案は「タマモと同じ学校へ『編入』と言う形をとれば問題なし」とのことだった。
入学式には出れないけれど、何だかんだと嬉しそうにしているシロにとってはさほど気にするような問題ではないのだろう。
こんな時は彼女の天真爛漫さが頼もしく感じる。
問題なのはタマモだった。

「いっそ私の妹ってことにして「美神」になる?」

「うーん…「美神タマモ」っすかぁ? なんかゴロが悪い気が…」

「あ、じゃあ「氷室」はどうでしょう? お義父さんならきっと「良いよ」って言ってくれると思うんですけど」

「氷室タマモねぇ…悪くは無いけどちょっと違う気も…」

狐火を操るタマモと「氷」という文字がどうにも違和感を作り出す。
仮にも伝説の存在である。
こういうところでゲンを担ぐのは仕方ないかもしれない。

「犬塚タマモは? 拙者の妹分ということで」

「却下よ。なんで私とバカ犬が姉妹扱いになんなきゃ無いのよ」

それだけはごめんだと「ベー」と舌を出すタマモに「なにを!」といきり立つシロの頭を撫でながら横島が無い頭を無いなりに絞ったのか、彼にしては割と真剣な目で口を開いた。

「発想の転換はどうっすかね? 「タ・マモ」とか」

「「マモ」って名前があるかっ!」

探せばあるかも知れないが、苗字が「タ」なんてちょっと嫌だった。
ふーむとまた考えこんだ横島がポンと手を打つ。

「んじゃ「タマ・モ」は?」

もっと嫌だった。

「切る場所を変えただけでしょうが! それに「モ」ってどんな名前よ!?」

当然の抗議を受けて「うーむ」とまたまた考え込む横島。
しかし彼の提案によって議論は微妙な方向へと流れ始めていく。
まず反応したのはおキヌ。

「じゃあ外人さんぽくしたらどうでしょう「タマモノビッチ=イナリスキー」とか」

「なんかヒゲが濃そうな名前でこざるなぁ…」

「ひげっ!?」

「えーと…じゃあ「タマモノニコフ=オアゲタベマンネン」とか?」

「なんで後半関西弁っ?!!」

「ひげ」って…そりゃキツネに戻ればあるけど、それに「まんねん」って女の子の名前?と少しだけ涙が出ちゃいそうになるタマモ。
おキヌが真剣だってわかるから怒るに怒れないってのがちょっとツライ。

「うーん…だったら中国風に 「玉 藻」とか「ギョク・モ」なんて良いと思うんですけど」

「名前変わってるしっ!? そして「モ」は確定っ?!」

「やっぱちょっとゴロが悪いわねー」

それに漢字に直したとしても「藻」は可哀想な気がする。
試しに机の上のパソコンで藻を検索して見た令子の前に現れるたのは「水槽につく藻の対策」だの「水溜りの藻」だの「藻の駆除方法」だのとちょっと本人に見せるのは憚られるような一覧が並んでいたりするのだから。
うーんと苦笑いする令子の意図を察した横島がポンとわざとらしく手を叩いて見せた。

「こうなったら言葉を連想していくってのはどうでしょうか?」

「連想ですか?」

今ひとつ意味がわからないと首を傾げるおキヌに向けて横島は軽薄に笑ってみせるといきなりタマモを指差して叫んだ。

「んじゃ俺からね! タマモ…モグラ!!」

「はい次」とバトンを渡されてアワアワとうろたえるおキヌだけど、横島の言いたいことは理解できたからすぐにシロへと切り返す。

「えーと…ラ…ラッパ!」

「せ、拙者でござるか?! パ…パ…パプアニューギニア!!」

こうして三人の間を言葉が回り、最後におキヌが「ン」で終わってしまったところで横島が、口を挟めぬまま呆然と見守っていたタマモの肩をポンと叩く。

「というわけでお前の名前は「タマモ=モグララッパパプアニューギニアアフリカゾウウツボカズラランチタイムムキムキマッチョチョコレートンカツツクバサンロクショウネンガッショウダン」に決まったから」

「嫌よぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「あ、あは…でも「寿限無」みたいでカッコイイじゃないですか…」

「ただの尻とりじゃないのぉぉぉ!! しかもなんか不気味な言葉が混じっているしーーー!!」

ダウッと目から涙を迸らせて崩れ落ちるタマモをフォローしようとして追い討ちをかけるおキヌ。無論、本人も心からそう思ってフォローしたかどうかは額を流れる汗から言っても微妙である。
ガックリと力尽き「ねえ?もしかして私って虐められてる?」と口の中でぶつぶつと呟き出したタマモの耳に届く救いの声。

「駄目よ。そんな名前」

「美神いぃぃぃぃ!!」

感極まって立ち上がり感謝の抱擁をかまそうと走り出すタマモだったけど。

「そんな長い名前、この欄には書けないわよ」

あっさりと裏切られ、抱きつこうと両手を伸ばした体勢のまま開いていた窓から飛び落ちていった。





しばらくて涙と泥でくぢょぐちょに汚れたタマモが暗い笑顔を浮かべたままた戻ってきて、その鬼相にさすがにマズイと思った横島がやっと頭をマトモな方向に使い始めようと思ったらしい。
声が震えているのはご愛嬌。

「そ、そそ、それなら俺の親父に相談してみましょうか?」

「………横島の?」

ジットリとした視線が怖い。
でも自業自得。
他のメンバーもなるべく刺激を与えないようにと口を噤む中、まるで一人で爆弾処理に向かうかのような心境で横島はさらに声を震わせる。

「おお。糞親父だけどこういうことには知恵がまわるからなぁ。どうせなら合法的なほうがいいだろ?」

「なによ…私が非合法な手段を使うとでも?」

露骨に自分のことを言われたと悟って令子が反応するが、「非合法」と言われて自分のことだと即座に判断する辺りは日頃の行いのせいだろう。
自覚があるだけ良しとすべきかもしれない。

「使わない気でしたか?」

「うっ…そ、それは…」

露骨に目を逸らす様子が雄弁に告げている。目は口ほどにモノを言うのだ。
タマモとしても横島の身内になるかも知れないというのはどうにも納得しづらいが、やはり折角、大手を振って陽の下に出るのだから合法的である方が望ましいかもと思い始める。
というかここで駄々を捏ねたらさっきの珍名が復活しかねない。
それは全力で遠慮したい。
もう一回あんな仕打ちを受けたら確実に泣く。
もう声を限りに泣いてやるとは思うけど、だからと言って便宜上とはいえども横島の身内になるというのもやっぱりちょっと気恥ずかしい気もする。

考えてみればそもそも自分は身内など必要なかったのではないだろうか?
だってずっと一人で生きていくつもりだったではないか。

だけど不思議なことに横島を止めようという気持ちは起こらなかった。
むしろ心の一部がこの状況をに安堵している気がする。
ふと見た窓に写った自分の顔は涙で汚れながらも、はっきりと安らぎの表情を浮かべていたのだから。

そんなタマモの勘違いなど気づきもしないまま、横島はのほほんとした表情で電話をかけ始めた。
しばし電話口で何かを話していたがやがて満足げに頷くとタマモに向き直る。
表情からすれば父親との交渉は上手くいったのだろう。

「親父に話したら「俺に任せておけ」ってさ」

「そうなの? 大丈夫?」

大樹のことを知っている令子はまだ不安そうだ。
なにしろ横島の父親。
稀代の女ったらしとの噂も聞いているし、実際に自分も口説かれかけた。
今ひとつ信用できないのも事実であるが、横島は少しだけ不満そうに口を尖らせながらも令子の疑念を否定する。

「ええ。なんでも黒崎さんって人に任せておけば大丈夫とかって言ってました。すぐに連絡をとるそうっすけど」

「そう…じゃあそれでいいか」

第三者が介入するならば問題は無いだろう。
仮にも横島の父親が信用する人物なのだし、無能と言うことはないはずだった。
しかも普通の商社マンであるなら常識的な方法をなんとか探してくるはずだし。


「え? もう決まったの?」

「ああ、多分お前は俺の妹ってことになるな」

「妹」と言われてそれは考えてなかったと絶句するタマモを不思議そうに見ている横島の袖に縋りつく人狼の少女が一人。
ブンスカ振れている尻尾がおやつを前にしたワンコのよう。

「先生! 拙者は? 拙者は?!」

「お前にはちゃんとした苗字があるだろうが…」

「先生さえ良ければいつでも横島姓を名乗る準備が出来ているでござるよ…」

今度は一転、大和撫子っぽくはにかむ少女の頭に手を置いて横島は心底不思議だと首を傾げた。

「ん? お前も親父の養女になるのか?」

あまりにあまりな少年の言葉を受けて崩れ落ちる少女を見た残りの女性陣は「ああやっぱコイツは鈍いんだなぁ」としみじみ思ったのだった。




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入学式が行われる講堂は特に他と変わりがあるというわけでもなく、並んだ新入生用のイスに白い布で覆われた来賓席。
壇上に置かれたマイクやその横の校旗などありふれた様子だった。
特徴があるとすれば来賓席とは反対側に楽器を持った在校生が座っていることぐらいだろう。
どうやらこの学校のブラスバンド部らしく、指揮棒を持った生徒が忙しそうに他の生徒に指示をしていた。

やがてそれほど待つこともなく式は始まった。
式次第通りに進む何の変哲も無い式はタマモにとってひたすらに退屈なものだったが、初日が肝心と令子たちに言い含められているので襲い来る睡魔を必死に振り払っていた。
式が進み、来賓の挨拶の後で校長と紹介を受けて登壇したのは初老の上品そうな女性だった。

タマモは壇上の校長と紹介された人物の話を、眠気を堪えながらどこか他人事のように聞いていた。
人間は色々と儀式とか儀礼とかにこだわるのが好きだが、正直に言えばこの呪的要素の無い儀式には興味を引かれなかった。
普段の自分ならとっくに抜け出しているか、あるいは寝てしまっていただろう。
なのに今の自分はどこか変だった。
そもそもこんな退屈な儀式の最中に寝ていないなんてありえない。

どうにも自分の身に起こっていることが現実味を帯びない。
ふと思い返せば、つい先日まで「横島タマモ」なんて呼ばれるなんて思ってもいなかったというのになんだろう今のこの気持ちは。
まるで見えない手で誰かに支えられているかのような。
フワリと柔らかい毛布に包まれているかのような。
雲の上を歩いているかのような頼りなさはなんだと言うのだろう。
さっきふと振り返った時に父兄席に座っている横島が笑いかけてくれた。
似合わないサングラスはどうかと思うが、あの時感じた胸の高鳴りはなんだろう。

そんなことを考えていたら壇上の校長が自分を指差しているのに気づくのが遅れた。
横からこの学校の教師らしいスーツ姿の男が走ってくると、キョトンとしているタマモに起立するようにと促してくる。
何のことだかわからないまま促されたとおりに立つと、校長が穏やかな笑みを向けてきた。

「えー。今日の入学に当たって皆さんに一つお知らせしたいことがあります」

ザワザワと会場がどよめく。
式次第にも書かれていないからには完全に校長のアドリブなのだろう。
幾人かの教師は露骨に驚いた顔をしていた。

「今日、皆さんと一緒に本校に入学することになった横島タマモさんですが…実は彼女は皆さんと違うところがあります」

ああ、そうか。
やはり自分はこの場において異端なのだろう。
しかしそれも仕方ないこと。
横島たちのように人外を認める存在の方が珍しいのだから。
きっと言われるだろう。
「あの子は妖怪」と。
でもそれがどうしたとタマモは胸を張る。
例えよく知らない人間に妖怪と言われようとも、自分には…そう…家族が出来たじゃないか。
それだけで充分。他に何を望むと言うのだろう。
きっとだけど、今は望むものなんかない。それは贅沢じゃないだろうか。
だって妖怪として生まれてから、いや転生した後も、ずっと自分さえ知らないところで願っていたもの。
孤独を癒す絆。
それが紙の上だけとはいえ、人の作った法の上とはいえ、確かに手に入ったのだ。
だからタマモは凛として胸を張る。
校長が自分を糾弾するその言葉を受け止めようと力の限り胸を張って……




「実はそこに居る横島タマモさんは『人妻』なのですっ!!」




……そのまま床めがけて豪快な一人ジャーマンスープレックスを炸裂させた。
ガチコンと講堂の床とタマモの後頭部がやたら痛そうな音を立てる。
思わず頭を押さえてのた打ち回りたくなる体を必死に堪えて、美少女の見せた突然のパフォーマンスに驚いた生徒たちの視線を一身に浴びながらタマモはユラリと立ち上がった。
もっとも脳の処理能力は先ほどの言葉と後頭部から伝わる痛みの処理で許容値をオーバーしてしまい言語中枢を動かすまでは追いつかないのではあるが。

「な…な…な!」

反論しなきゃとは思うがどこから手をつければ良いのかサッパリわからず、金魚のように口をパクパクさせるタマモに落ち着くようにと軽く手で合図して校長は話を続ける。
校長の話に合わせるように在校生のブラスバンド部員が奏でるBGMはなんだか映画のワンシーンのよう。

「タマモさんはとある組織に追われたあげくに捕まって長いこと幽閉されていたそうです」

BGMが物悲しいものへと変わる中で新入生も父兄も来賓も突然のスペクタクル話に息を飲む。
そしてタマモは呆然としながらも、ちゃっかり心の中で校長の話に突っ込みを入れていたりした。
平たく言えば現実逃避である。

「しかし! タマモさんはついに逃げ出しました! ああ…ですがなんと言うことでしょう! すぐに追っ手がかかったのです! しかも追っ手は銃を持つとある組織の軍隊でした」

あ、あは…そりゃ石になっていたけど…転生してから確かに兵隊さんに追われたけど…えーと…えーと…。

「追い詰められ、哀れタマモさんの命もここまでかと思われたまさにその時、そこに居る横島さんがタマモさんを助けたのです!」

途端にスポットライトが父兄席にいた横島へと浴びせられる。
突然の展開にポカンとバカ面晒していた横島だったが、そこはそれ関西人の血がスポットライトに反応する。
基本的に彼はお調子者なのだ。
特に促されたわけでもないのに立ち上がると似合わないサングラスをとってペコペコとお辞儀をするが、本人の主観はともかく傍から見れば売れない三流芸人が媚を売っているようにしか見えない。
しかし校長はそんな横島の姿に何かを感じ入ったかのように大きく頷いて先を続けた。

「横島さんは勇敢にも追っ手の雇った女殺し屋から彼女を守り抜きました!」

殺し屋扱いされて固まる令子と、居なかったことにされて魂が抜けかけているおキヌにもスポットライトが当たる。
何時の間に打ち合わせしたんだろうなーとか考えるのは無駄だ。
だって黒幕と思しき眼鏡の男が携帯片手にテキパキと指示を出しているのだから。
よく見れば講堂のあちこちに黒子の姿も見える。
あまりに自然に溶け込んでいたので誰も気がつかなったのだ。いやホント。

「ああ…しかし…しかし…長い間一人で幽閉されていた彼女は横島さんを信じきれずに彼の前から逃げ出してしまいます。それからたった一人で彼女がどうやって生きてきたのか…私は…私は想像するだけでも辛い! 悲しい!!」

はい…食い逃げとか通貨偽造同行使とかしてました…すみません…。
思わず項垂れどこか悄然としたタマモの姿に観客たちは「ああ…その時のことを思い出しているんだなぁ…」と貰い泣き。
ついでに校長も自分の話がツボに入ったか涙を流しつつ声を大きくする。

「しかぁぁぁし! 神様はちゃんと見ておられました! タマモさんは横島さんと運命的な再会を果たしたのです!!」

「おおー!」と湧く観客席。
ところどころではもう感極まって号泣している人もいたりして。
そんな人たち相手に「あはは。実は食い逃げの現行犯でつかまりました」なんて言えようか、いや言えまい。

「皆さん! 確かにまだ二人は若いかも知れない! ですが…ですがこんな二人を! こんな素晴らしい恋愛を祝福しないで何が教育者でしょうか!!! 私は信じています!! タマモさんと横島さんの愛は皆さんにも勇気と希望を与えるということを!!!」

「おおおおおおおおおおおお」と観客総立ちの大拍手。
さらには盛り上がった生徒と父兄たちのウェーブまで始まって、もう事態は「勘違い」で収まるレベルを遥かに飛び越しちゃっていて。
怒涛の展開にタマモに何が出来ると言うのだろう。
それでもなんとか誤解を解かねばと必死に言葉を探すが、頭はまだ上手く活動してくれないからただ震えるだけ。
そんなタマモの様子を感動のあまり言葉を失ったととった校長は壇上でピッと右手を上げた。

「そこで私は素晴らしい感動を与えてくれたタマモさんと横島さんにお礼がしたいと考えました。聞けばお二人はまだ結婚式を挙げていないということ。ならば今、この場でタマモさんと横島さんの結婚式を挙行いたしたいと思うのですがどうですか皆さん!!」


「おおおおおおおおおおおっ!!」

たちまち溢れる賛同の声に校長は満足そうに頷くと、上げたままだった右手でピシリと舞台の袖を示す。
誘われるように切り替わったスポットライトに浮かぶのは、赤いマフラーなびかせた吹きすさぶ風がよく似合いそうな9人の有志と人の言う。

「紹介しましょう! 彼らはインターハイで何度も優勝経験のある我が校の誇り! そうです! 彼らこそ『裁縫部 009』!!」

「なによそれぇぇぇ!!」 

再びブリッジしそうになりながらも意志の力で踏みとどまってタマモちゃんの大突っ込み炸裂。
しかし校長も流石は教育者。その程度の突っ込みは予想の範疇問題なし。

「ですから我が校の部活動ですよ。彼らはお二人の愛のためにとその能力をフルに発揮してくれました!」

「待ってよ! なんかどう見ても高校生じゃない人が混じっているじゃない5番とか6番とか! つーか赤ちゃんいるし!!」

タマモの突っ込みに照れくさそうに笑う3番と9番。
校長はそんな二人と抱かれた1番の赤ん坊を優しい目で見つめるとシミジミと頷いた。

「愛ですねぇ…」

「それでいいんかこの学校っ!!」

「まあそんなことよりも初めて下さい裁縫部009!」

あっさりとスルーされたタマモが立ち直る間もなく「応!」と吠える裁縫部の有志たち。
奥歯を噛み締め、電光もかくやと思わせる速度で一気にタマモに近づくとその周りを布で覆う。

「へ?」と脳が事態を認識する前に疾風の速度でタマモの着替えは完了していた。




パサリとタマモの着替えを隠していた布が落ち、中から出てきたのは純白のウエディングドレスを身に纏った少女が一人。
白いベールと金色の髪の毛がスポットライトに映えて、観客たちは思わず感嘆の溜め息を漏らす。
時を同じく講堂に流れるのはウェディングマーチ。ペケペケーン♪

「え? え? え?」と急展開にブーケを持ったまま固まるタマモの横にはいつの間にか、捕まった宇宙人のように黒子に両手を持たれた横島がいたりして。
彼も状況を飲み込めていないのは顔色からも明らかだった。

「では新郎新婦の入場です!」

いつの間に着替えたかシスターの姿をしている校長の合図とともに黒子に背を押されて二人は歩き出す。
万雷の拍手を背に受けて。
観客には「感動のあまり呆然としている」としか見えない当事者の二人は、実は突然の展開に魂を消し飛ばしているだけだったが、そんなもの感動の涙で目が曇りまくった観客の誰も気づくはずはなかった。


「それでは横島忠夫…君はタマモさんを生涯愛すると誓いますか?」

「は?」

「よろしい。ではタマモさん貴方は横島忠夫さんを生涯にわたって愛すると誓いますか?」

「はい?」

聡い幾人かの観客は微妙なアクセントの違いに気がついたけど、そんな違和感も次の瞬間消し飛んでしまったわけで。

「では誓いのキスを」

「え?」
「は?」

まだ脳みそが固まったままの二人を校長もといシスターは微笑みながら見守っている。
そして状況がつかめないまま向き合った二人の後ろにスックと立つ黒子たちがポンと二人の背を押してそのまま唇と唇がドッキング。
多少の違和感はあったものの古来より黒子は「見ない居ない」とするのが礼儀だから誰も深くは考えない。
今あるのはとにかく宣誓と誓いの接吻がなされたと言う事実だけ。
ということは大勢の証人の前で二人の結婚は成立したと言うわけで…。

「ではお二人の門出に盛大な拍手を!!」

校長もといシスターの音頭に再び万雷の拍手が会場を揺らし、ついに横島タマモは名実ともに横島君の伴侶として認められちゃったのであった。




「……って待ちなさい!」

声を上げたのは美神令子。
今までの展開でフリーズしていたのは彼女も同じだったらしい。
そりゃあ居候のキツネ娘の入学式と思って来てみれば、やれ「実は横島と結婚してました」だの「結婚式までしちゃいました」なんてのを見せられて平然と事態を処理できる方がおかしいだろう。
その証拠に彼女の横では未だにおキヌとシロが滝の涙を流しつつ笑いながら固まっていたりするのだから。

だがそこはそれ美神令子。
世界を御破算にしかねない女。
こんなもの断じて認められるかと異議を唱えようとする彼女の前に立ち塞がる眼鏡の青年が一人。

「邪魔しないで!」

「そうは行きません。横島支店長に頼まれてますので」

「あ、あんたねぇ…あんたが黒幕なの?!」

「横島支店長から「手段は問わず」と言われてます」

「それがなんで結婚と入籍なのよっ!?」

「入籍の方が国籍や戸籍を偽造するより楽でしたから…」

「それにしたってあんな作り話!」

「嘘は言ってませんが?」

「真実も言ってないけどね…」

「力ずくでも阻止するおつもりですか? それなら私にも考えがありますよ」

「ふーん…私とやる気なの?」

だが黒崎は腕力で勝負するタイプではない。
むしろ策略家である。
そしてすでに彼はこの場を支配していた。
眼鏡をキラリと光らせて、確かな勝算を胸に彼は大声で叫ぶ。

「大変だっ! ここに女殺し屋が居るぞっ! タマモさんが危ないっ!」

「なんだとーーー!!」
「おおっ! 確かに殺気が満々だぞ!」
「誰か警察を呼んでー!」
「あのサングラス! あれは紛れもなく殺し屋の印! 教師生活25年のこの私が言うのだから間違いは無い!!」
「二人を守れっ! 愛を取り戻せえぇぇ!」
「させるかぁぁぁぁ!!」

「ち、ちょっと! 違うっ! 誤解だから!」

美女の必死の弁解に一度は止まった観客たち。
しかし眼鏡の青年は令子の予想を超えてキレ者だった。
特に人心を扇動することにかけては天才的と言ってもいい手腕を持っていた。

「皆さん! 皆さんはどちらの言うことを信じますか? こちらのお昼ご飯は毎食のように一流ホテルで外食しておきながら「私って食べても太らないのよねー」とか言う女性と、慎ましくもお昼はほとんどキツネうどんで済ませている少女と!」

言っていることは事実だがその言い方があざとい。
そして彼の目的がわからない令子ではない。
実際、殺し屋が居ると言われて怯えていた父兄席の奥様方は今ははっきりと敵意に満ちた目を令子に向けていた。

ああ…私は今、この観衆の半分を敵に回したわねーとどこか他人事のように考えるあたりそろそろピンチだろう。精神的に。
でも…でも…まだ半分居る。
奥様方は敵になったけどお父様方さえ味方につければまだ逆転の目があると令子が口を開く前に青年の第二撃が観衆へと投げつけられた。

「皆さん! 「お金大好き」と言う二十歳超えたイケイケな女性と…キス一つで硬直してしまう可憐な恥じらいを秘めた女子高生の新妻!! さあどっち!?」

「女子高生の新妻!!!」

お父様方の意見は全会一致。
「あはは…大丈夫か日本」と令子が諦念に捕らわれて見えもしないお星様に助けを求めたとしても誰が責められようか。
だがこれで大勢は決した。
ムクムクと湧き上がる敵意は今は可視レベルへとなっている。
令子は群集の意思を確認した黒崎がトドメのボタンを押すのをどこか投げやりに見ていた。

「皆さん! 愛を守るのです!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

ざわめく観客の中では黒子たちが投擲用にと生タマゴを周囲の人に配っていたり。
あげくに黒子の何人かはハンドマイク片手に露骨に扇動していたりもして。
ああ…群集心理とは恐ろしい。

「行くぞみんなっ!」

「おう!」

「中央軍 投擲開始! 右翼左翼各軍は鶴翼の陣にて半包囲!!!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

ときの声ともに宙を舞う無数のタマゴ。
腐っていなかったのは幸いだったけど、さしもの令子もこんな攻撃には耐えられそうにない。
となれば戦術的に後ろへ向かって全速で突撃するしか道はなかった。

「なんでえぇぇぇぇぇ!!」
「美神さーーーーん。どうしてこうなるんですかぁぁ!!」
「美神殿の日ごろの行いが悪いからあぁぁぁ!!」
「やかましいぃぃぃ!!」

こうして津波のような生タマゴ攻撃から慌てて逃げ出した三人の目の前を、呆然としたままの新婚さんを乗せたオープンカーが空き缶を引き摺りながら通り過ぎていったそうな。


おしまい

ども。犬雀です。
今回はタマモちゃんに花を持たせましたーw


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