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金のスッポン 銀のスッポン

『金のスッポン 銀のスッポン』





「くさっ! なんかめっちゃイカ臭っ!!」

期末だ模試だとバイトを休み続けた横島が久々にやってきて発した第一声は奇妙なものだった。

「ちょっと! 誤解を招くようなことを言わないでよ!!」

「だって美神さん。このイカ臭さは尋常じゃないっすよ」

「あははー」と笑いながら横島にお茶を勧めるおキヌも困惑顔である。
確かにイカというか事務所内に立ち込める空気は生臭いが、おキヌには今の二人の会話の流れがつかめないのだ。
判らないことは聞くのが一番と学校の教師も言っていた。
だったら躊躇う理由なんて無い。

「えーと…美神さん。誤解ってなんですか?」

「そんなもん決まっ……て…………なんでもないわ……」

「……?」

知識量の差が如実に現れたこの現実。
なんか目の前の少女と比べて汚れてしまった自分が悲しい。凄く悲しい。
いやいや自分とて経験があるわけじゃなく、単なる比喩としてっていうか一般論として言っただけなんだからそこいらへんは誤解しないでね、なんて口に出さず言い訳をしてみたがだからどうなると言うものでもない。
事務所がまるで漁港の干場のような匂いに包まれていることにはかわりない。
今にもゴメが鳴くからニシンが来そう。

「いったい何が原因すか? まさか美神さん、この不景気に耐え切れずにスルメの生産にまで手を出したとか?」

「するかっ!」

だいたい都会の真ん中で干されたスルメなんか買う人はいないだろう。
今は産地表示も重要なのだ。

「んじゃなんですか?」

重い溜め息をついて令子は天井を指差す。
まさか空からイカが降ってきたわけではあるまいと首を傾げて横島は気がついた。
空と君との間には今日もキツネと狼がいると。

「タマモとシロ…ですか?」

「ええ…」

ゲンナリとした令子の顔色からすれば、今は屋根裏部屋に居るであろう二人がこのイカ臭さの原因らしい。

「しかし…猫とか犬にイカって良くないんじゃないですか?」

「そうなのよねぇ…」

「そうなんですか?」

「昔から言わない? 猫とか犬にイカを食わせると腰が抜けるって?」

「あー。私のところは山奥でしたからイカなんて滅多に。たまに手に入っても猫ちゃんとかにあげるなんて贅沢は」

「なるほどねー」

「え? でももしそれが本当なら…」

「「まさかっ!?」」

慌てて階段を駆け上がる三人。
令子が声をかけ、横島が返事も待たずにドアを蹴り開けてみれば、ムッと沸いてくるイカ臭。ついでに爬虫類っぽい香り。
それはもうイカの体内のいるかのような錯覚を起こしかねないほどの猛臭だった。

「タマモ! シロ!」

「無事かっ?!」

呼びかけにも返事は無く、ただ部屋に積まれたダンボールの影からうめき声が聞こえるだけ。

「そこかっ!?」

床に散らばるイカの絵が書かれた無数のビニールをかき分けてダンボールの裏側を覗き込めば、そこに転がる獣っ娘たちがいた。
鼻からはダクダクと鮮血を零し、力を失った下半身をガクガクと震わせて、それでいて眼光だけは爛々と輝かせている二人の手には日本刀よろしく棒状に切り込まれ甘い匂いを放つスルメベースの加工菓子を持ち、互いを睨みつけるその形相はまさしく修羅。
あるいは武士同士の果し合い。
飛び込んだものの呆気にとられて固まる三人など気づかずにタマモとシロはゆっくりとした動作で手にしたスルメのようなものを口に運ぶ。

ハムハムハムと咀嚼音だけが静まり返った屋根裏部屋に響く。
やがて食べ終わった二人は同時にスルメのようなものの中から出てきた白い棒を吐き出した。
ポトンと床に落ちる二本の棒を見た二人の口から正反対の叫び声。

「やった! これで四個目でござる!!」
「なんでっ! なんで私には出ないのっ?!」

「毎日、先生と鍛錬を続けている拙者と怠惰に寝こけているお主では神様も差をつけたくなるのは道理!」

「まだよ…まだ終わってないわ!! 残った最後のこの一本に私の全てを賭けて見せる!!」

「くくく…仮にそれが銀であってもお主の銀は二個。しかし拙者は今ので四個。すでに勝ちは決まったも同然。大人しく負けを認めるでござるよ」

「認められるわけがあるか!」

意味はわからんがいがみ合っているのは間違いないらしい。
というか勝負の真っ最中だったようだ。

「あー。何をしてるんだお前たち?」

「先生?!」
「横島?!」

「「いつからそこに?」」

「今さっきだが…そんなことより何をしとるのかと聞いているんだけど?」

「勝負でござる!」

「だからなんの勝負なのよ?」

「これよ…」

タマモが差し出したのはスルメのようなものが入っていた袋。
子供っぽくデフォルメされたイカの絵を中心にヘビとかスッポンとかが配置され、袋の上には「ヌルヌル君」という商品名。
別にどこといって不審な点はない。
ちょっと見にはその辺りのスーパーで売っている駄菓子である。

「これのどこが?」

おキヌも合点がいかない様子で覗き込んでくる。
確かに子供の駄菓子としてもありふれた包装だ。
酢イカならともかく中身がスルメの加工品というのはちょっと親父臭い気もするが。
描かれているイカとかスッポンとかマムシの絵柄は子供向きのように見える。

「そこに書いてあるでしょ。ヌルヌル君はね当たりが出ると「おもちゃの箱詰」がもらえるのよ」

「はぁ?」

「そうでござる。中の棒に描かれたスッポンが銀ならば五個。金ならば一個でおもちゃの箱詰がもらえるんでござる!!」

「そ、そうなんですか…」

呆然とするしかないおキヌ。
頭痛を堪える令子。
そしてでっかく嘆息する横島と、三者三様の反応に二人の獣っ娘は気を悪くしたのか、震えて自由の効かない足に無理矢理気合を通すと立ち上がった。

「だってこのバカ犬が金のスッポンなんか無いって言うから!」

「だってそうでござろう! 互いにお小遣い全部使って箱ごと買ったのに出たのは銀のスッポンだけではないか!!」

「大人買いしたんかっ?!」

「しかもそれを全部食べたの?!」

「最近、はまっているのは知ってましたが…まさかこんなに買って来るなんて…」

おキヌの視線が山と積まれた箱を撫で回す。
開いている袋の数からしても、二人が食べたヌルヌル君は100の単位だろう。
どうりで事務所が生臭かったはずである。
おそらく普通に平々凡々の人生を送る人が一生かけても食べないだけの量がここにはあった。

「お腹壊すわよ…」

「必要なのは中の棒だろ。だったら別に食わなくてもいいじゃん」

横島の正論に対する反論は意外にも彼の後ろから飛び込んできた。
振り向けば「むー」と膨れるおキヌがいる。
なにかが彼女の逆鱗に触れたらしい。

「駄目ですよ横島さん! そんな食べ物を粗末にするなんて!!」

「え…でも…」

「でもじゃないですよ! イカさんの気持ちになって考えてください!」

「お、おキヌちゃん?」

「イカさんだってきっと思ったはずです。網にかかって覚悟を決めたイカさんは第二の人生をスルメとしてまっとうしようと…みんなを喜ばせる味になろうと…。そして開かれ、干されたイカさんは耐えたんです。体を焼く灼熱の地獄を耐え切ったんです! 聞こえませんかイカさんの声が? 『熱いよー。死んじゃうよー。でも頑張る。おいしいスルメになるために!』って…」

(えと…開きになった時点で死んでるんじゃ…)
(そうっすよねぇ…)

「二人とも真面目に聞いてください!!」

「「は、はいっ!!」」

少女の迫力に思わず最敬礼で返す二人。
そんな二人にまだ憤懣やるかたないとばかりに肩をいからせておキヌは拳を天に突き上げた。

「というわけでタマモちゃんやシロちゃんは間違ってません!!」

「そうかなー?」

「なにか?」

「なんでもないです…」

こういう時のおキヌは怖いから令子も口を噤む。
なにしろ事務所の台所を一手に預かっているうえに、生まれ育ったのは物のない時代と場所。
普段は控えめだけどそういうところでは厳しいのだ。
きっと結婚したら良いお母さんになるだろう。少なくとも自分よりは。
あれ? 私ってば今なんかちょっと負け犬思考?

一瞬凹みそうになった令子に構わずおキヌはシロとタマモに向き直る。

「さあタマモちゃんもシロちゃんも勝負を続けてください。私が見届けます」

「ありがと、おキヌちゃん」
「感謝するでござる」

ペコリと頭を下げて二人はダンボールの中に手を突っ込み、それぞれ最後の一本となったヌルヌル君を手に取った。
確かにここまで来れば今更一本ぐらい食わなかったところでかわりはないだろう。
壊れる腹ならとっくに壊れている。
さすが妖狐と人狼といったところか。ちょっと感心するところが違う気もするが。

「まあ拙者の勝ちは動かないでござるがな…」

不敵に笑うシロにタマモは答えない。
目を閉じ、精神を集中し、運命の女神に一心に祈る。
稲荷大明神も照覧あれ! 私はこの一本にすべてを賭ける。そして勝つ!!

「いざ勝負!!」

ビリッと破ける袋。
互いの口に飛び込むヌルヌル君。
咀嚼音が静まり返った室内に響き、ついに審判の時が来た。

ふっと吐き出された二本の棒。
一本にはなんの模様もないものの、それでもシロの優位は動かない。
そしてタマモの吐き出した棒には金色に輝くスッポンが天使の笑顔を浮かべていた。

「か、勝った…勝ったのね…わたし…」
「そんな…まさか最後の最後で…」

全てを出しつくし崩れ落ちる両雄。
勝者も敗者ももう残っている気力は無い。
いつの間にか暮れ始めた空に浮かぶ夕日が窓から差し込んで二人の影を濃くする。

「くっ…無念でござる…無念でござるが…タマモ…おめでとう…」

「ありがとうシロ…あんたも強かったわ…」

「二人ともよく頑張ったね…。 私、感動しちゃいました…ぐす…」

抱き合って健闘をたたえ合う二人を涙を浮かべたおキヌが優しく抱く。
それはまるで青春スポ根アニメの一コマのような光景だった。
足元に散らばっているのがヌルヌル君の袋でなければだけど。

「まあ良かったってことっすかねぇ…」

「そうねぇ…でも考えてみればおもちゃの箱詰とやらは二個もらえるんじゃない? だってタマモの金とシロの銀、それにタマモももう一個銀を持ってるんだし」

「その方がいいじゃないすか。喧嘩にならんですみますし」

「そうね」

ヤレヤレと令子が肩をすくめ、タマモとシロの熱い戦いは終わりを告げ、事務所には臭気を残して平和が戻った。
しかしそれはつかの間の平和でしかなかったのだった。








とある平日の午前中。
相も変わらず寝坊して、遅まきのシャワーを終え、なんとか若い女性としての体裁を整えて書類を引っ張り出した令子に人工幽霊が宅配便が到着した告げる。
おキヌは学校。
シロタマもどこかに出かけていると聞かされて、令子はネコの印の宅配便屋さんから荷物を受け取って応接室へと運び込んだ。
それほど大きくは無いダンボールが二つ。
受取人はそれぞれシロとタマモ。
ふむ?と首を傾げつつ差出人を見ても覚えが無い。
しかし何か異様な気配が漂っていると彼女の霊感が告げる。
とりあえずシロかタマモには後で断るとして令子は手近な一個を開いてみた。

中から出てきたのはデフォルメされたイカの絵が印刷された箱が一つ。
ここまでくれば合点がいく。
これがタマモとシロが争った「おもちゃの箱詰」なのだろう。
どうやら令子の知らぬ間に応募していたらしい。

何気なく手にとってみれば予想していたのより重い。
振ってみても音はしない。
ただ感触からそれなりに立派なものが入っているような気がしてくる。
となれば中を見たいというのは人の性だろう。
幸い箱は二つあるし、すでに開けたのだし、後で謝ることをもう一個ぐらい増やしても問題はないだろうと納得して令子はヌルヌル君のプリントがされた箱を開いてみた。









昼飯前の授業というのは横島にとって苦行である。
これが普通の生徒なら昼飯に思いを馳せて乗り切ることも出来るだろうが、生憎今の彼は無一文に近かった。
水でも飲むかまた土下座しておかずを分けてもらうかとボンヤリ考えた時、教室のドアを開けて校長が血相変えて飛び込んできた。

「横島はいるか!?」

「はい?」

「君に電話だ! 急げっ! 急がなければ命にかかわるぞ! きっと私の
!!」

「は?」

「いいからっ!!」

問答無用で連れ込まれた職員室は異様な緊迫感が漂っていた。
保留ランプがついた電話機を示され、わけがわからないなりに横島は受話器を耳に当てる。

「もしもし横島ですけど……美神さん? どうしたんすか? 携帯? 授業中ですので…」

「え? 大至急おもちゃを買って事務所に来いって…なんでですか? は、はあ…なるべく子供が好きそうなおもちゃですか…でも俺、金もってないすけど?」

「え? おもちゃ屋さんには電話しておいてくれたんですか? 美神さんのツケで? あ、それなら問題ないっすね」

「わかりました。意味はわからんけどとりあえず子供が喜びそうなおもちゃの詰め合わせ二人前ですね。 は? すぐにっすか? いや…死なすとか言われても…へ? 本気?」

浮かんだ脂汗もそのままに周りを見渡せば校長は当然、他の教師たちもコクコクと頷いていた。
電話越しにでさえこれほどのプレッシャーを与えるあたりさすが美神さんと奇妙な感想を抱きながら電話を切れば、すでに担任が早退届を代筆してくれていたりする。

「あ…じゃあ行ってきます…」

「必ずここに帰ってこいよ!」

こうして手を振ったり、どこからか取り出した真っ赤なスカーフを振ってくる教師たちに戸惑いながらも横島は職員室を後にしたのだった。








そんなこんなでその日の午後。
散歩から帰って来たシロタマの前に置かれるのは真新しい箱が二つ。

「こ、これが「おもちゃの箱詰」でござるか…」

「開けてもいいよね!」

「ええ…いいわよ…」

横島と令子が息を飲んで見守る前でシロとタマモは綺麗に包装された箱を開く。
恐る恐ると中を覗いた二人。
やがて同時に顔を見合わせて抱き合うと歓声を上げた。

「やった! 「忍天丼 WLii」でこざるよ!!」

「ほんとだ! あ、「忍天丼 ダーク」もある!!」

「ソフトも入ってるでこざる!」

「これは「おいでよ成仏の森」ね!」

「拙者はこっちの「GS無双」がやりたいでござる!!」

「いいわ。私と対戦しましょう!」

「おう!!」

声を挟む間もなくゲームと本体を抱えて屋根裏へと駆け上がっていく二人を美神と横島は対象的な表情で見送った。
片方は明らかに安堵の表情。
もう片方は自分が買って来たおもちゃが好評なのが嬉しいのかハレバレとした笑顔。
やがて天井からゲーム独特の音楽が聞こえてきて初めて二人は顔を見合わせる。

「ありがと横島君。助かったわ…」

「いえ。俺は別に構わないんですけど…あ、そうそう。これおもちゃ屋さんの請求書です」

渡された紙を見て令子は凍りついた。
そこには一人暮らしの学生が必要な家電品を賄えるだけの金額が書かれていたのだから無理も無い。
もっとも令子にとってははした金ではあるが、モノはたかが「おもちゃ」である。
自分の予想を二桁は上回った金額は彼女の価値観を根底から覆しかねない威力を秘めていた。

「な、なんでこんなに高いの…」

「今のおもちゃは万単位っすからねぇ…」

ううう…と唇を噛む令子。
必要ならば億の単位でも躊躇しないけれど、おもちゃにこの値段はちょっと納得がいかない。
それでも金額を指定しなかったのは自分なのだし、助かったのは事実だからなんとか八つ当たりは我慢した。
だけど皮肉の一つぐらいはいいだろうと軽く睨んだ横島は心底不思議そうな顔をしている。

「で…なんだったんですか?」

「うっ…それは…その…」

「?」

「聞かないで……」

鍋に放り込んだタコよりも赤くなった令子に横島はますます首を捻るのだった。










それからしばらくして…

除霊の打ち合わせから戻ってきた令子に、ひのめをあやしていたおキヌが美智恵が来ていると告げる。
「あっそ」と軽く返事して着替えようと自分部屋に入った途端、令子は塩の柱と化した。
ベッドの上に放り出されている「おもちゃの箱詰」
あの日、こっそりと始末しようとしたものの、半透明のゴミ袋に入れることも出来ず、仕方なしにベッドの下に隠したはずの箱がそこにある。
そしてその前で真っ赤な顔で泣いているのか笑っているのか判別のつかない不思議な表情を浮かべている美智恵。
しばしの沈黙。
どちらも動けない。
動けばとりかえしのつかないことが起きるとばかりに動かない。
だけど時は有限である。
ついに沈黙にたまりかねたのか美智恵が母親としての責任感を沸き立たせて貴重な一歩を踏み出した。

「あ、あの…令子…ママね…ちょっと驚いちゃったかなぁ…って」

「違うの…違うのよママ…これにはね深いわけが…」

「ううん…いいのよ……あなたももう大人だからね…ごめんね…ママが悪いの…」

「ママ……?」

「思春期に独りぼっちにしてしまったママを許してね…」

「あのね…話を聞いてほしいなぁなんて…」

「でもね令子……」

「え?」

「一人で遊ぶのに手錠とかムチはどうかなーってママは思うの………」

「違あぁぁぁぁぁぁぁうっ!!!」

ブワワッと涙腺から心の汗を迸らせる令子を、瞳に母の愛を浮かべた美智恵はいつまでも優しく見守ってあげたのだった。







おしまい

ども。犬雀です。あはは…えーと…汚れちまった悲しみに…ってな感じで一つ(どんなだ?)

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