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それでも恋は故意

『それでも恋は故意』



「もう疲れちゃいました…」

「ふう」と切なく溜め息をつきながら彼女は俯いた。
正直凹む。
折角の休日の一日、こうして彼女と二人っきりでデート ─彼女の考えはともかく─ をしていて、映画を見たり、ゲーセンでタマモに似た子ギツネのヌイグルミを取ろうとして悪戦苦闘したり、さらには前もってリサーチしていたケーキが美味しいと評判の喫茶店まで来たと言うのに。
もしかして…いやもしかしなくても俺にはデートの才能が無いらしい。
滅多に愚痴とか零さないはずの彼女を疲れさせ、思わず本音を漏らさせるなんてもう逆の意味で才能と言ってもよいだろう。
ああ…やっぱり凹む。
それでも聞かなきゃいけないと俺の心の余計な部分が背中を突く。
そうかも知れない。
今日のスケジュールが彼女にとって無茶なものだとしたらその原因を突き止めなきゃならない。
そうでなければ俺みたいな馬鹿はまた同じ過ちを繰り返す。
次は ─その機会があればだが─ 失敗したくない。
まったく俺って奴は無駄なところで前向きだ。
次の機会なんてあるはずがないのに。

「ごめん…おキヌちゃんのペースとか考えなかった。無理に連れまわしちゃって本当にごめん」

半分ほど飲みかけたコーラをテーブルの隅に押しやって頭を下げる。
彼女の前にあるクリームソーダーはまだ手付かずだった。
ゆっくりと緑色の液体に沈んでいく白い泡がまるで彼女の疲れのように感じられて俺はまた頭を下げる。
気配だけで彼女が驚いた顔をしているのがわかったが、顔を上げることは出来そうになかった。

「ううん。違うんです。今日はとても楽しいです」

「でも」と彼女はそこで言葉を切る。
明らかになにかを言うべきか言わざるべきか迷っている。
出来るなら聞きたくは無い。
でも聞かなきゃならない。
せめて最後にこんな茶番に付き合わせたお詫びだけでもきちんとしたかった。
それが俺のちっぽけなプライドに過ぎないとしても俺は聞きたい。
彼女の瞳の奥にある憂いはなんなのか。
かすかに震える唇にある躊躇いはなんなのか。
それを知りたかった。

「でも…疲れちゃったんです」

彼女は微笑む。
それは大輪のヒマワリの下にひっそりと咲く勿忘草のような清楚で儚い笑顔。
キリリと胸に痛みが走る。
彼女にとってそんな顔を人前でするのだって苦痛のはずだ。
俺がそれをさせた。
やっぱり俺は馬鹿だ。

「もしも…の話ですけど…好きあっている男の人と女の人が居て、でも二人ともそれには気がついてなくて…」

突然話し出した彼女に軽い驚きを感じながらも俺は無言で頷いた。
最初から独白に近かったのか彼女は俺の目を見ていない。
どこか遠くに思いを馳せながらも口を開いているという様子だ。
それが思いつきではなく、彼女が何度も何度も真剣に考えた結果の言葉なのだろうと言うことぐらいぎゅっと握り締められた白い手で揺れるハンカチを見ればわかる。

「そんな二人を前にしていつか…もしかしたら気がついてもらえるのかもって…ずっと思ってきたんですけど…でも疲れちゃいました。いいえ…嫌いになったわけではないんです。逆にもっともっと好きになったけど…でも…きっとこの恋は叶わない…」

言葉が出ない。
彼女の言う二人というのが俺とここに居ない誰かということはわかる。
その程度はわかる。
わかるけど…わかるけど…わからない。
誰か…ここに居ない誰かって。
それが誰かと考えて俺は過去に失った少女のことを思い出した。
思い出したと言うのは正しくない。
忘れたことなどなかった。
ただ彼女とこうして会う今日ぐらいは、アイツのことを胸に抱えたままでは失礼かと俺なりに封印したはずだった。
正直に言えばもう整理はついている。
とりもどせないと覚悟も出来ている。
でも彼女の目からはそうは見えなかったらしい。

俺はつくづく馬鹿だ。

言葉を失った俺の様子を肯定の意思表示と見たのか、彼女は悲しげにポケットから出した鍵をテーブルに乗せた。
木の板の上で鈍く光る安物の鍵。
彼女が俺の部屋を掃除しやすいようにと渡されていた鍵は断罪の剣となって俺の肺腑を抉る。

「お部屋の鍵…お返ししておきます。いつまでも横島さんに甘えていたら私はきっと…」

諦められなくなるという言葉を俺の脳は素通しする。
それほどまでに彼女の決意は覚悟に満ちていて、生半可な感情など嵐の前のササ舟のように吹き飛ばされるだろう。

「でも…横島さんはいつものように笑っていてください。私も明日からはちゃんと笑えるようにします。だけど…」

本気かという台詞をかろうじてかみ殺した。
彼女がこんな冗談を言う娘かどうかなんて決まっているじゃないか。

「なんだか私…待つことに…待ち続けることに疲れちゃいました。勝手な言い分だとは思います…だけど待つだけなんてもう私には無理です…」

涙が零れないのが不思議なほど硬く閉じられた目。
決意を湛えて震える小さな手。
そのどれもが俺から遠ざかる。遠ざかろうとするその意志の現れ。

「だから…」

立ち上がる少女。
手をつけられないままのクリームソーダー。
静かなのに耳障りなクラッシックのBGM。
現実感が失われ。
音が失われ。
世界の一部が失われるような。
取り返しのつかない闇が目の前に広がろうとする。
ただ恐れのあまり手を伸ばす。
温もりを失いたくないと伸ばした手が触れる。

「え?」

振り返る彼女。
怯えた目。
震える手。

だがそれだけを今は求めた。

「それはさせない…俺がさせない…俺にはおキヌちゃんが必要だから」

乾いてくっついた唇を無理矢理に引き剥がして言葉を紡ぐ。
彼女がどう思ったかなんて関係ない。
俺はエゴイストだ。
だから今、彼女を求めるこの気持ちに従う。
彼女の言ったことの意味なんかわからない。
わかりたくもない。
ただ今を逃せば俺は失う。
それだけは認められなかった。許せなかった。
エゴに過ぎなくても、俺の勘違いかも知れないけれど、俺は彼女を求めた。

「嬉しい…です…」

俺に手を握られたまま彼女は涙を零す。
何一つ言わなくても俺の心は伝わってくれたんだろう。
引き止めることこそが待ち続けた彼女に対する俺の気持ちなのだと気がついてくれたのだろう。

今度は体全部を使って彼女を引きとめようと立ち上がる俺に、かすかに頬を染め彼女もまた無言のままに俺を受け入れようと手を広げ………

ポソリと懐から何かを落とした。

「…………『柳生の兵法 恋愛篇』……」

「あ……う………」

とりあえず拾ってみれば挟まれた栞が目に入る。
開いてみるとラインマーカーの蛍光色が目に眩しい。

「えーと…『死中に活 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり』……」

「い…いへ…こりはですね…」

「『別れを演出して彼氏のハートを見事にキャッチ。実論 私はこの方法で彼氏を振り向かせた』……」

「で…でしゅからこれには色々と複雑な事情がありまして…」

目の前の少女の姿が見る見る小さくなっていく。
まあ言いたいことはあるがその前に。

「まずは座ろうね」

「はひ…」

顔を真っ赤に染めたまま小さく震えて座りなおす少女は捨てられた子猫のようにも見えた。
とりあえずと手元にあったコーラを差し出すと、極度の緊張で喉が渇いていたのかストローを咥えて一気に飲み干す彼女。
ここまで冷静さを欠いたおキヌちゃんは初めて見た。
コーラが無くなって間が持たなくなったのか、おキヌちゃんは恐る恐る俺を見ると申し訳なさそうにペコリを頭を下げる。

「ご、ごめんなさい! あのっ! わ、私ったらこんな馬鹿なこと!」

俺は無言のまま彼女の前にあるコップを見ている。
今は口を開くのが惜しい。

「怒ってます? 怒ってますよね……」

「怒ってないよ?」

「え…でも…」

言いたいことはわかる。
それならなんで私の目をみてくれないの?と。
そんなことは聞かなくてもわかる。
だから俺は…。

「いや俺の飲むものがなくなっちゃったなぁって…」

「へ?」

そして彼女は自分の前にあるコップとストローが誰のものだったかに気がついて頭から湯気を吹き上げた。

「んじゃおキヌちゃんの飲んでいい?」

「は、はひっ! ど、どうぞ!!」

「ありがと…」

そして俺はクリームソーダーに残されていたストローを口に咥えると、あわあわあわと真っ赤になったまま慌てる彼女に気がつかないふりをして一気に吸い込んだ。
甘い炭酸が喉を焼く感触が俺の頬を緩ませる。
おキヌちゃんは相変わらず真っ赤で何か言いたそうにしている。
だったらこんなのはどうだろう。
手を上げてウェイトレスさんを呼ぶ。
水の入った器をもってやってきたウェイトレスさんに俺は自分でも似合ってないと思えるウインクを一つ。
笑いをこらえたのか真っ赤になるウェイトレスさん。
ごめん。自分でも照れくさいけど今だけはちょっと格好をつけさせてください。

「ストローもう一本もらえますか?」

「はえええっ!!」

向かいの席からなんだか奇声が聞こえた気もするが俺だって余裕は無いのだ。
だってウェイトレスさんがなんか舌打ちした気がするんだもん。

なんでだか知らないけれど、しぶしぶと言った感じで渡されたストローをおキヌちゃんに手渡してもう一度甘い炭酸で喉を潤す俺。

「ん…うまい…一緒に飲む?」

「は、はひっ! こちらこそよろしく!!」

さて…おかわりも頼んだ方がよさそうだ。
目を閉じて必死にストローを咥えるおキヌちゃんを見て俺はまたウェイトレスさんに手を上げたのだった。






その日、ケーキなんかの甘味が評判だったこの店で、開店以来初めて辛い辛いカレーライスが売り上げトップになったそうな。



教訓 過度の甘味は見ている方の体に悪いかもというお話。



おしまい


ども。犬雀です。今回はちと甘め。うーん。甘いのは苦手であります。男はやはり塩辛で。

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