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いつか回帰できるまで 第四話 50年後のGS達(後編)

 レンガ造りの六道大学、キャンパスに一人の女性が立っている。
 桜が舞う、この卒業式という場にただ立ちつくす袴姿の女性。

「横島さん、美神さん、シロちゃん、タマモちゃん」

 桜吹雪の中で、長い黒髪が小さく揺れた。人生の門出であるにもかかわらず、彼女の表情は憂いを帯びていて、どこか遠くを見ている。
 胸の奥に仕舞ったポートレート、かつての美神除霊事務所の仲間と共にそろって撮影した在りし日の姿。

「私、待ってます」

 風の中に溶け消える小さな呟き、手にした卒業証書に力を込め、こぼれそうな涙を必死にこらえた。

「みんなが生きてるって信じているから」

 力強く言葉にすることで心の奥底から浮かぶ物があった。

「おキヌちゃ〜ん」

 馴染んだ女性の声が聞こえてくる。

「あ、お姉ちゃん」

 とまどいと共に振り返る。
 そこにはショートカットの似合う快活そうな女性が乳飲み子を抱きかかえて駆け寄ってきていた。
 張り込んだのだろうか、服は有名ブランドの最新デザインである。

「すまねぇだ。忠彦がどうにもぐずって仕方ねぇ。おキヌちゃんでねぇとやっぱダメだなぁ」

 申し訳なさそうに言って来る義姉に、おキヌはクスッと微笑み返す。

「ごめんね。お姉ちゃん」

 愛する息子を受け取り、早速優しくあやす。
 泣きそうな顔をしていた乳飲み子は見る間に落ち着きを取り戻し、安らかな顔を浮かべていた。

「ったく、ここまで露骨だとちょっとばかし失礼でねぇか?」

 半眼になった早苗が忠彦をのぞき込んでいる。

「んー、何て言ったら良いんだろ」

 タラリと冷や汗流しながら、おキヌは頬を引きつらせるしかなかった。

「まー、あのスケベの息子だ。そのうち女性なら誰彼構わずになるだ」

「そ、そこまで」

 表情がこわばっていた。しかし、不意にフッと表情から力が抜けてしまう。

「……おキヌちゃん」

 呼びかけてきた先には労るような義姉の微笑み。

「え?」

「あのスケベはぜってぇ生きて帰ってくるだ。殺しても死にそうにねぇんだからな」

 苦笑いしながら続ける。

「あ……」

 ポロッと、瞳からこらえきれない雫がこぼれ落ちた。

「絶対おキヌちゃんのところに戻ってくるだ。あのスケベがおキヌちゃんみてぇな美人をほったらかしにするわけねぇだからなっ!!」

 優しく抱き寄せてくれる義姉の温もり。
 心細さが淡雪のように溶けていくのが分かった。




〜 いつか回帰できるまで 第三話 50年後のGS達(後編) 〜





「おわぁっ」

 広間に入った横島はまず驚きの声を上げていた。

 とはいえ、驚くのも無理はない。
 いったい何のパーティーなのか。
 観葉植物が隅に配され、十数人が立食できそうな大きなテーブルには白いクロスがかかっている。
 そして、なぜかシンプルながらシャンデリアが設置までされていた。

「あ、おじいちゃん」

 先ほど呼びかけを行った孫娘が寄ってくる。
 いつの間にやら、ちょっと

「どう? びっくりした?」

 得意げにニコニコ笑っている。

「あ、あぁ、びっくりしたよ」

 他に言葉が出てこない。

「お義母さん、お客様がいらしたわよ」

 そうこうしている内に、ひのめが声と共に広間のドアを開ける。

「はい、どうぞお入りください」

 明るい声と共に微笑み、入室を促すと二つの人影が現れていた。

「氷室さん、お加減はどうかしら?」

「おキヌちゃん、しばらくぶりねぇ」

 二人の老女が姿を現していた。
 一人は日本髪に結い上げて、着物をまといシャンとした出で立ち。
 もう一人は髪を紫に染めて、軽くパーマを当てていた。

「弓さん、一文字さんっ」

 二人の姿を認めて、おキヌの表情がパァッと明るくなる。

「いっ」

『確かにそういわれると面影がある?』

 弓らしき和装の女性は目や輪郭に特徴があるし、一文字と思しき女性も明るい表情にかつてを思わせる。

『……50年かぁ、そーいや、呼び方変わってない?』

 思わず首を捻っていた。

『名字かわっとらんのか?』

 確認しない限りその辺りははっきりすることはないだろう。
 横島もその辺りに思い至ったのか、片手を上げておキヌに声をかけようとした。

「横島さんっ感動の再会デスジャーっ!!!」

 グガシャァッ!! ギュゥゥゥゥッ

「ぐえぇええぇぇええぇえっ!?」

 声をかけることは失敗に終わる。特攻してきた巨躯の老人の殺人ベアハッグが炸裂していた。

「横島さんっ、良かったですジャーっ!!」

 口調から何からはっきり言って誰か確認するまでもない。50年経過しようがなんだろうが変わらない行動パターン。
 それはある意味、変わらず親愛の情を持っていてくれた証とも言える。

「た、タイガーっ!! 死ぬっ死んでしまうっ!!」

「あぁっす、すまんですジャー、つい……」

 そう言って体を離し、土下座せんばかりに頭を下げる。

「た、タイガー?」

 下げた顔はぴくりとも起こされない。

「な、なんだ?」

「う、うぅ、うっ」

 ポトポトと涙がこぼれ落ちていた。

「お、おい、タイガー」

「良かった。良かったですジャー」

 あまりに真っ正直な感動に、帰って気後れしてしまう。
 この人の好い大男は昔から涙もろいところも変わっていない。

「は、はは」

『ここまで喜ばれるとちっとこそばゆくもあるよーな』

 困ったように笑うしかない。

「……そういや、ピート、タイガーには連絡いってなかったんじゃねーのか?」

「あ、あはははは」

 乾いた笑いを浮かべるダンピールにでっかい冷や汗が張り付いていた。

「はは、タイガーには連絡してなかったんですが、奥さんに連絡してましたよ。そーいえば」

「なんだか色々とちょっと待て」

 ナチュラルにひどいことを述べる旧友にじっとりとした汗がにじむ。

「お前ホントにタイガーを友達って思ってるか?」

「や、やだなぁ、横島さん当たり前じゃないですかっ」

 微妙に目をそらしながら言うその言葉は何とも胡散臭い。
 むしろ、当たり前に「友達と思っていない」という言葉でも続いてきそうな雰囲気である。

「ひ、ひどいですジャー」

 先ほどまでと別の涙をこぼすタイガーが膝を抱えてうずくまっていた。

「あ……」

 とりあえず、そういう友達甲斐のない会話は本人の聞こえるところですべきではないだろう。

「しかし、まぁ、魔理ちゃん名字変わってないのがびっくりだな」

 しみじみと述べる言葉に冷や汗が混じっているのはきっと先ほどのやりとりをごまかすためではない。きっとない。

「そりゃわっしが今、一文字・T・寅吉ですケー」

 心持ち立ち直ったらしい爺タイガーが答えていた。

「ミドルネームっ!?」

「……魔理さん、名字で『タイガー』は嫌だってもめた結果こうなったそうです」

 ピートのフォローに横島は一瞬腕組みして考え込む。

『あー、タイガー魔理か……一体どこのリングネームじゃ』

 かつての彼女のやんちゃぶりを考えれば女子プロ団体に所属していても何ら不思議がない。
 むしろ、かつての特攻服を羽織り、デスメタルでもかけながらリングに登場する様を夢想してしまいそうだ。
 リングサイドからカーテンコールの幻聴さえも聞こえてくる。

「青コーナァァァァッ、タイガァアァァァ……魔ァァ理ィィイィィィッ!!」

 リングでマイクでも握ってそうなハイテンションシャウトが響き渡る。

「いきなり意味不明なこと口ばしってんじゃねぇええぇぇっ!!」

 カーンッ!!

 甲高い快音たてて、ゴングが投げつけられていた。どこに置いてあったと言うなかれ。

「あぁっ、しまったっ!! また声に出ていた〜っ!!」

「てっめ〜っ!!」

「い、一文字さん、落ち着いてください〜」

 肩で息をする魔理をさすがにおキヌがなだめに入っていた。
 なんにせよえらく元気な70代達だった。

「やっほー、横島君久しぶりー」

「え?」

 横島が目をやれば、そこには黒髪ロングヘアーを揺らす快活そうな女性が手を振っていた。
 金属製のオフィス机を背負った人影から明るい呼びかけ。その明るい表情はかつての高校時代を思い起こさせる。

 しかして、その服は思い出の中のセーラー服に非ず。

「うぉっ、愛子っ、スーツかっ!?」

 上下黒のビシッとしたスーツに、襟を飾るネッカチーフ。
 白いシャツが清潔感を漂わせていた。

「生活環境が変わったから♪」

 とはいえ、その容色は50年を経てもいささか衰えがない。さすがに机の妖怪だけあって、この程度の年の変遷はものともしていないらしい。

「生活環境って、今なにやってんだ?」

「ん? なにって、学校の事務員よ」

「マヂ?」

 世の中は進化した物で最近はつくも神を事務員に雇えるらしい。

「うん、六道大学卒業寸前に運良く声がかかってね♪」

 彼女は横島同様に高校卒業後に六道大学に進学していた。近況を嬉しそうに語る彼女は輝いて見える。

「うーむ、びっくりだな……」

「うん、私も驚いたわ」

「どこの学校だ? 六女か?」

 六道女学院、GS養成の学部があるあの学校ならばあり得なくもない。
 しかも、六道大学卒業からならなおもっておかしくないだろう。

「うぅん、私たちの母校よ」

「なぬっ!?」

 横島達の母校、ごく普通の公立高校である。
 いや、学校妖怪の愛子を普通に生徒として扱っていたくらいだし、ドッペルゲンガーを教師に雇い。
 バンパイアハーフまで当たり前に入学許可していた高校は『普通』と言うには語弊があるかもしれない。

「事務できる卒業生が欲しかったんだって」

「……グローバルだな」

 それ以上のコメントが思い浮かばない。
 世界広しといえど、ここまでボーダレスな環境を誇る普通科高校は他にあるまい。

 不意に横島の目が女性の姿をした愛子ではなく背中に背負った机にいく。

『ん?』

 思わず眉根を寄せていた。

「なぁ?」

「何?」

「お前の本体って机だよな?」

「そーよ」

 何を今更、とでも言いたげな怪訝な表情に、更に怪訝な表情で返す。

「なんで金属製のオフィス机になってんだ?」

 記憶を確かめようが何しようが、愛子の本体は古びた木製の勉強机だったはずである。

「あ、事務員になったから」

 あっけらかんとした回答がかえってくる。

「マテや、をぃっ」

 問題がありまくりな回答にたらっと冷や汗が垂れ下がった。
 出世魚じゃあるまいし、立場が変わったら本体がバージョンアップでもするというのか。

「うそうそ♪ 学生机の老朽化が進んだからこっちに住み替えたのよ」

「ほー、なるほどなるほど……って、ヤドカリかぁぁぁぁぁぁっ!!」

「失礼ねっ!! 水棲節足動物と一緒にしないでよっ」

「つってもなー」

 頬を膨らませて怒る愛子に対して、横島は苦笑が浮かんでしまう。
 かつての旧友、横島にとっては昨日のことだが、愛子にとっては遙か遠い過去のことだった。

『……時間、経ってるんだな』

 物思いに耽っていると、誰かが新たにやってきた気配がする。

「なんだなんだ? えれぇうるせぇだな?」

 やたら張りのある女性の声が扉をくぐり抜けてくる。

「よっ、おキヌちゃん、元気だべか?」

 髪を結い上げた恰幅のいい老女が軽い挨拶と共にやってくる。

「あ、早苗姉さん」

「いっ!? あれがっ?」

 かつて横島の記憶にある早苗は、ガサツながらも巫女装束がよく似合う美少女だったはずだ。
 現在目の前にいるのは『肝っ玉母ちゃん』というタイトルがバシッと決まりそうな人物とはいきなり合致しにくい。
 そして、件の人物は横島の第一声を聞いて眉をヒキッとつり上げていた。

「ほー、『あれ』とはいきなりご挨拶だべなぁ横島……」

「あーいや、なんだ……貫禄出たな」

 冷や汗をにじませながらかろうじて言葉を絞り出す。

「そら嫌みけ?」

 ヒクヒクと口の端をヒクつかせている迫力は歴戦の物に違いない。

「えーと、いや、思ったまま?」

 ボグッ

「ぐはっ!! グーか? いきなりグーなのかっ!?」

 拳がめりこんだ左頬を押さえながら、怒り大魔人を見上げるしかない。

「ふふふふ、この朴念仁の甲斐性無しがっ!! 穏便にすましたろうと思うとったけんど、気が変わっただっ!!」

 背中に紅蓮の炎を背負った早苗がジリジリと距離を詰めていった。

「おめが居なかったせいでっ!! どんだけっ!! おキヌちゃんがっ!! 苦労したとっ!! 思っとるだっ!!」

 ベギッ!! ボグッ!! メキッ!! バキャッ!! グシャッ!!

「あがっぎえぇぇええぇぇぇぇっ!!」

「ね、姉さん、落ち着いてぇ〜っ」

 おキヌが必死で早苗をくい止めようと腕にしがみつく。

「まー、生きて帰ってきたからこのくらいで許してやるだ」

 ため息一つと共に両手をパンパンッと叩いて払った。

「へーい……」

 煙を上げてボロクソにのされた横島がかろうじて、手を挙げている。
 逆らわない方がいい相手が居る。さすがに彼もそれは学んでいるようだった。

「ね、姉さん……」

「正直このボケにゃぁもっと言ってやりてぇことが山ほどあるだ。でも」

 フッと隣のおキヌに目を移して微笑む。

「なんか五十年分幸せそうなおキヌちゃんが居っから、勘弁してやるだっ♪」

「え、その、あの……」

 恥ずかしそうなおキヌを見て満足そうでもある。

「うんっ、やっぱしおキヌちゃんは笑顔の方がええだ」

 ニカッと貫禄のある笑顔を浮かべると横島を引き起こす。

「ほれっ、もっと仲良くするだっ」

 そう言っておキヌに押しつけていた。

「あ、いや、えっと」

 向き合う青年と老女、互いに軽く頬を染めて微妙に目線を合わせづらそうにしている。

「えっと、おキヌちゃん?」

「は、はい」

 そのまま二人して硬直していた。

「……放っておいたら半日くらいあの状態じゃありませんか?」

 弓かおりが呆れたような声でつぶやいていると周囲も困ったような顔が伝播する。

「お湯をかけたら三分で戻るかも知れねぇだな」

 一人ケラケラ笑う早苗を除いて。

 そんな中で不意にダッと扉の影から誰かが駆け寄ってくる。

「ヨコシマーっ」

 ぎゅうっ

 見慣れない美少女が横島の背中に飛びついていた。

「おわわわわっ」

「会いたかったーっ」

 満面の笑顔でギュゥッとしがみついてくる。
 スラッとした長身は程よく要所は肉付きがあった。そして、その端整な顔立ちにはどこまでも無邪気な笑顔を浮かべている。
 肩越しに見える美少女。
 澄んだ薄緑色からかすかに覗く黒い二房の髪。鼻孔をくすぐるのは柔らかく甘い香り。

『いっ、誰? 見覚えないっ!? いや、無くもないけど。でも誰だっ』

 50年である。そもそも50年たって10代の美少女に知り合いが居るとは思えない。

『確かになんか引っかかるモンはある。だがっ今はそれよりも』

 横島にとって重要なことはそこではなかった。

「こんにちわ、美しい方っ、そーです僕があなたの横島ですっ! ささ、一緒にずずぃっと奥の部屋へっ」

「へ?」

 当社比2.5倍に男前な顔でどうやって反転したのかまっすぐ向き合って手を握っていた。
 周囲の人間全員がガターンっとひっくり返っている。

「あ、ああぁぁぁぁぁ」

 絹香を筆頭に口をあんぐり開けたままその様子を眺めているしかできない。

「えっと? あの、ヨコシマ?」

「いやいや、照れることはありません。こんな美しい人が喜んで迎えてくれるだなんて、ぼかぁっ!! ぼかぁっもぉっ…「何をくちばしっとるかぁっ!!」…おぶぅっ!!」

 ドゴォォォンッ!!

 怒号一閃、絹香の叫びと同時に炎をまとったコークスクリューアッパーが横島を吹っ飛ばしていた。
 廬山の大瀑布さえ逆流させそうな一撃に、横島は仰け反って空を舞う。

 ほどなくして香ばしい匂いが漂い、焼け具合が適切ぶりを訴えていた。

「うふふふふふふふふふ……おじーちゃん、死ぬ覚悟はOK?」

 絹香が壮絶な笑顔を浮かべ立っていた。こめかみには破裂しそうな青筋が張り付き、通常5倍増しの迫力でドンドロドンドロ周囲を圧迫している。

「ち、違う、違うんやぁぁぁっ、これは条件反射なんやぁぁぁっ!!」

 どこぞの忠彦と同じ言い訳を述べる姿、親子ここにありだった。

「どこの父さんと同類なのよっ!! あんたわっ!!」

 肩は怒り、両手わななかせて叫ぶ姿に周囲は圧倒される。

「き、絹香、父さんあそこまで無節操じゃないぞっ」

「ほんっとーに父さんの父さんだけあるわっ!!」

 技術点10.0がもらえそうな、見事なスルーで絹香は横島に怒鳴りつける。
 その後ろで、いじけた忠彦が居るのはきっと気のせいだろう。

「大体おじいちゃん、あの人が誰か分かってんのっ!?」

「いや、美人を見るとつい反射的に……」

 一切の理性介在を否定した男がまさしく脊椎反射で返答していた。

「人としてどうなのそれはっ!?」

「あうあうっ」

「プフゥッ!」

 口ごもる横島に、件の美少女が堪え切れずに吹き出していた。
 あまりに勢いの良い笑い方に横島がビクゥッと後ずさる。

「アハハハハッ♪ もう相変わらずヨコシマはバカですねっ♪」

 ケタケタと文字通りお腹を抱えて笑っていた。
 笑い声混じりの言葉は聞きようによって思いっきり悪口だが、声に限りない親しみと愛しさ、明るさがある。
 いきなりな笑いをくらって横島の後頭部にダラダラと冷や汗が流れ落ちる。

「ウフフ、ホントのホントに分からないですか?」

 ひとしきり笑い転げたのも束の間、目尻の涙を軽く拭き取りながら再び無邪気な笑顔で見上げてくる。
 不意に細い首筋にきらりと輝く蝶をかたどった飾りつきのチョーカーが目に入る。
 よく見ると黒髪に見えたのは触覚で、フェイスペイントは地の肌である。

「仕方ないかもですね。私も昔と比べたらずっと成長してるんですから、でも、昔はご主人様とペットの関係だったって言うのに薄情ですよポチ♪」

 そして、彼女が最期に付け加えた名前に横島はビクッと反応した。

「まさかっ!?」

 天啓のように横島の脳裏にある人物が浮かび上がる。

「お前パピリオかっ!?」

「えへへ、もうお子様だなんて言わせないですからね。ヨコシマ♪」

 ペロッと舌を出した華のような満面の笑顔が正解を認めていた。

「パピリオは嬉しいですよ♪ 可愛いって認めてもらえたわけですから♪」

「あ、いや、まぁ……見違えたなぁ」

 感心する横島にパピリオは満足そうに幸せな笑みを浮かべていた。

「うふふふ〜♪ 今ならルシオラちゃんを生むことも出来ますよ♪」

 ピトッと甘えるように胸に抱きついてくる。

「へ?」

 予想外の発言に横島の思考回路が完全に停止する。

「ふふふ〜♪」

 再びギューッとしがみつきつつ、色気漂うとろけるような微笑みで見上げてくる。
 胸に押しつけられる柔らかなふくらみ、肩越しにはほっそりとしつつも女性らしさを感じさせるようになった曲線美が横島の視界に飛び込む。

「ああぁぁぁ、あかんっ!! アカンとわかっているのに手が勝手に〜この柔らかさが、この温もりが俺を狂わせるんや〜」

 震える手が細い肩の上でブルブルと精神のせめぎ合いにわなないていた。

 そして、パピリオは心底幸せそうに横島に体を押しつけてゴロゴロ甘えている。
 想定外の事態に横島の顔が上気していた。その雰囲気は間違いなく甘い物であろう。

「よ〜こ〜し〜ま〜さ〜ん……」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 不意に背中から聞こえてくる一オクターブ下がった声。
 穏やかでありながら剣呑な響きを持つ呼びかけに横島がビクゥッと引きつけ起こしたように震える。

 パリパリッと空気中を帯電しているかのような、静かなとげとげしさに満たされていた。

『あぁぁぁぁぁっ、この、このイントネーションはぁぁぁっ』

 それこそ何度となく体験し、遺伝子レベルにまで刻みこまれた猛烈な恐怖に襲われながらギシィッと固まった。

「お、おキヌちゃん……?」

 確認する声は震えが隠せない。しっかりくっきり身に覚えのある光景がとんでもなく明確なイメージで脳裏に現れる。
 振り返るまでもなくそこに誰が居るのか分かっていた。どんな顔をしてそこにいるのかも分かっていよう。
 それでも振り返ってしまうのは観念したのか、言い訳を諦めたのか、覚悟完了したのか。

『あぁぁぁっ、やっぱりぃぃぃ』

 静かに微笑をたたえたおキヌのこめかみにくっきり青筋が浮かんでいる。
 笑顔の圧力でその場の全員が戦くようにじりじりと後ずさっていた。

 そんななかでパピリオをしっかり抱き留めた横島は身動き一つ取ることができない。
 パピリオもガタガタと震えてより一層横島にしがみついていたりして、余計に圧力の強化に努めていた。

「ああぁぁぁぁぁあぁ」

「そーですよねぇ、やっぱり若い女の子の方がいいですよねー」

 気温が下がるようなつぶやきと共に『ほほほほほ……』、と静か笑う。だが、目がちっとも笑っていない。口の端がプルプルと小刻みに震えていた。

「いやぁぁぁぁっ!! 堪忍してぇぇぇぇっ!! そんな汚物を見るような目で見ないでぇぇえぇえっ」

「まったくもぉ、横島さんったら全然変わってないんだからっ」

「すんまへんっ、すんまへ〜んっ」

 ペコペコと必死に頭を下げる横島に、おキヌも横目で膨らませていた頬をゆるめる。

「……若い娘の方が、いいですよね?」

 少し寂しそうな瞳だった。かすかに潤んだ瞳に捕らえられてしまう。

「う……」

 横島はうめき声と共に心の奥底にズシリと重みを感じていた。

『うぅ、罪悪感、でも、可愛いんだよなぁ〜、こんな風に拗ねてるおキヌちゃんってすげぇ可愛いんだよなぁ」

 ボフッとおキヌの顔が真っ赤に染まっていた。

「あれ?」

「このバカ横島、全部声に出てるべ」

 斜め後ろから早苗が呆れたような声音でつっこんでいた。
 そして、周囲が注目している中で早苗だけはつまらなそうにフイッと横を向いていた。

「ったく、夫婦喧嘩は犬も食わねぇだ」

 半眼の呆れ顔が全てを物語っていた。

「えっと、あの」

「……」

 横島とおキヌが互いに頬を染めて何も言えずにいると、背後の妙な気配にようやく気づく。

「あり?」

 振り返った先では妙な殺気が迸っていた。

「横島君は私の大切な同級生なのよ。級友同士のふれあいの時間を邪魔するなんて青春じゃないわっ」

「ヨコシマと私は主と僕の間柄だったんですよ。そぉんなありふれた関係と一緒にされるのは迷惑です」

「そんな強要した関係なんて物の数じゃないわよっ。おじいちゃんとお婆ちゃんが愛し合った結果として孫の私がここに居るんですから、あんまり大人げないことは言わないで欲しいんですけど?」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 愛子、パピリオ、絹香の三名が目から火花を散らして相互に睨み合っていた。
 うっふっふっふっふと剣呑な笑顔が場を支配する。
 完全に周囲が一線をおいて退きまくっている。

「な、何で俺不在のところでこんな争いがっ!?」

「よ、横島さんっ、あの三人を止めてくださいっ」

「し、知るかぁぁぁ、俺に頼んなぁぁぁぁ」

 完全に及び腰のピートと横島が情けないことこの上ない「相手を盾にする」争いを演じていた。

「え〜と? そろそろ入ってもいいんでしょうか?」

 そういっておずおずと顔を見せるのは小柄ながらも凛々しい顔立ちをした武神の少女。
 赤いショートカットにかすかに覗く角は龍神の証、カーディガンにミニスカートと可愛らしい姿ながら凛とした雰囲気は変わらない。

「しょ、小竜姫様っ」

「横島さん、お久しぶりです」

 互いの姿を認めると思わず笑みがこぼれていた。

「いやぁ、小竜姫様っ、相変わらずお美しいっ♪」

 シュタッと立ち直って手を取っている当たりが実に横島だった。

「よ〜こ〜し〜ま〜さ〜んっ」

「ヨ〜コ〜シ〜マ〜」

「横島く〜ん?」

「おじ〜ちゃ〜ん?」

 背中からの突き刺さるような色とりどりの呼び声にギクゥッと固まるのもつかの間、チャキッと固い鍔鳴りと共に喉元に押しつけられる冷たい感触があった。

「横島さん? 私に無礼を働くと仏罰が下りますって言いましたよね?」

 青筋張り付けた小竜姫の神剣が横島の喉元をピタッと捕らえている。

「あ、あははははははははっ、やだなぁ、小竜姫様ぁ、かるぅいジョークですから」

 青ざめた顔に冷や汗を目一杯流しながら愛想笑いが引きつっている。

「さぁて〜、どぉしてくれましょう?」

 ちっとも目が笑っていない微笑みがとっても怖かった。こめかみの青筋は小刻みにピクピク震えている。

「ふぅ、お久しぶりなのね〜」

 割って入ってくる明るい声、聞き慣れた語尾だ。見るとそこには額といい手のひらと言い肩口と言い目が張り付いた奇抜な風体、跳ね上がった髪型。
 もはや誰か確認するのもばかばかしいほど特徴的なキャラクターだった。

「おぉっ、ヒャクメっ、いいところにっ!!」

 思わず救いの神を見る目で横島が喜色満面歓迎する。

「あ、私のことは気にせず続けて欲しいのね♪」

 速攻で射程距離外に避難していた。

「この役立たず〜っ!!」

 魂の叫びに答えることはなかった。

「わ、私だって命が惜しいのね〜」

 ヒャクメが遠くからわめいていた。

「あ、結構集まりましたね♪」

 ひのめが全体に声をかける。
 気がそがれた小竜姫が神剣を仕舞っていた。

「ようこそお越しくださいました♪」

 人差し指を頬に当てて、柔らかな笑みを浮かべ挨拶する。
 密かに横島が胸をなで下ろし、生きながらえたことに安息することができた。

『ありがとう、助かったぜひのめちゃんっ』

「せっかくのめでたい席ですから、主賓を抹殺するのは最後にしましょう♪」

 笑顔でサクッときついセリフを残してくださっていた。

「ちょっと待てぇぇえぇぇぇぇぇっ!!」

 横島の絶叫が広間に切なくこだましていた。





 宴は瞬く間に混沌の渦に包まれていく

「やっぱり、人生青春よねっ」

「ヨコシマー、こっちに来てもっと飲むですよーっ」

「だー、ちょっとまて、そんなわんこ蕎麦みたいに注がれてもっ」

「横島さん、僕のお酒が飲めないって言うんですかっ」

「ひどいですジャー」

 そんな喧噪からかすかに離れて、和服の老女が微笑みをたたえていた。

「横島さんが帰ってきて、みんな楽しそう、やっぱり横島さんはかけがえのない人なんですよ」

「おキヌちゃん?」

 その傍らに赤毛の龍神がたたずんでいた。

「小竜姫様」

「無理は……しないでくださいね」

 労るように潤んだ瞳を向け小竜姫が小さく声をかけていた。

「大丈夫です。自分でも驚くほど元気なんです。お気遣いありがとうございます」

 小さく微笑み返す。小竜姫はいかんともしがたい表情でその微笑みを見つめるしかなかった。
 軽く目を伏せて、懐から紙袋を取り出していた。

「こちら、いつもの薬です」

「いつもありがとうございます」

 拝礼しつつ紙袋を受け取る。

「良いんですか? 言わなくても」

「私、50年待った甲斐がありました」

「おキヌちゃん」

「多くは望んでいません……私のところに帰ってきてくれたんですから」

 再び二人は喧噪の方に目を戻していた。

「横島さん、雪之丞から伝言があったのね〜っ」

「で、伝言っ!?」

「『今生では決着を付けられないのは残念だがっ、来世でこそは必ず決着を付けてやる。覚悟しろ俺のライバルっ』」

「勝手にライバル認定してるっ!?」

 そんな騒ぎは夜更けになるまで続いていった。






 木々の隙間から漏れるかすかな月光がかろうじて男の顔を照らし出した。

「くくく……そうか、遭遇できなかっただけか」

 つり上がった目をした壮年の男は嗤う。

「さもありなん、ヤツは文珠が使えるのだ」

 さして、残念そうでもない。むしろ、暗い愉悦を浮かべていた。

「まぁよい。なれば、目の前で八つ裂きにすることもできようというものだな」

 空に浮かぶ満月が、人影を不気味に照らしていた。

「さて、呼び寄せる準備を始めるとしようか」

 袖を翻し、男は儀式の準備にかかり始めていた。








 夜空に満月が輝いていた。たくさんの星を従えて、丸い月が夜空を明るく照らす。

「やっぱ、時間たってるんだなぁ」

 ひとしきり宴も終わり、華やかだった時間は終焉を迎える。
 ようやく横島とおキヌは二人だけで並び立っていた。
 庭で見える景色は都会とは思えないほどに穏やかな物だった。

「けど、変わらないやつは何年たっても変わらないもんだな。相変わらずノリ軽いし」

「みんな横島さんに再会できて嬉しいんですよ」

 横島の傍らでおキヌは幸せそうにころころ笑う。
 夜空に星が瞬く、風が踊り清涼な空気が二人の周囲を吹き抜けていった。

 片や二十代に入ったくらいの青年、片や老齢の域に達した老女。

 けれど、二人が醸す空気は紛れもなく恋人同士のそれだった。

 例え50年という隔たりがあったとしても、互いの思いがあせたわけではなく。

「横島さん、お願いがあるんです」

「ん? 何?」

 その澄んだ瞳はまっすぐジッと横島を見つめていた。

「抱きしめてください」

「え?」

「横島さんを全身で感じたいから、あの時のようにっていうのは無理かもしれませんけど」

「え、いや、その……うん、なんか改まってだと照れるな」

 頬を軽く染めるの顔に嘘はない。

 勢いで抱きしめたときは気にしなかったが、こんな風に壊れて抱き寄せるとなると柄にもなく緊張してしまう。

 少しだけ躊躇いがちにおキヌのか細い体を抱き寄せる。

 ギュッ

「こ、これでいい?」

 とさっ

「横島さん」

 胸に顔を埋め、溢れるまま涙をこぼす。

「会いたかった。ずっと、ずっと……」

 小さく呟いて、やがてその声は嗚咽としゃくりあげに変わっていく。

「ひっく、ひっく……」

「おキヌちゃん」

「横島さんの匂い、横島さんの温もり」

 涙と月の輝きに彩られ、おキヌは子供のような甘えた笑顔を浮かべていた。
 かつて二人で過ごしていたときのように。

「間に合って良かった、時間が尽きる前に」

 抱きしめられて、おキヌは安らかな微笑みを浮かべる。

「おキヌちゃん」

 愛しさに腕の力がこもる。
 横島が居ない50年間、彼女はどんな気持ちで待ち続けていたのだろう。

『や、やべっ、泣きそ』

 胸の中で涙する彼女のささやかな温もりに、横島は目頭がぐっと熱くなる事を自覚する。

「横島さん」

「ん?」

「私、満足です。横島さんに抱きしめてもらいたくてずっと待ってたから、もう思い残すことはありません」

「な、何を言ってるんだよ?」

「横島さん……大好き」

 安堵の微笑みに彩られたままで、おキヌの全身から力が抜けていく。
 いつのまにか胸の中で蒼白になっているおキヌを見て横島の顔から血の気は引き、恐慌が吹き荒れる。

「おキヌちゃんっ!?」

 抱きしめた体から抜けていく。力が、生命が、魂の息吹が徐々に弱々しくなっていく。

「何でだよっ。やっと、やっと会えたんだろ? 俺達、ようやく会えたんだろ?」

 抱きかかえ、その場から駆け出す。

 その日、彼女が呼びかけに答えることはなかった。








 それは見回していた首を不意に止めた。

《ユウドウヲカクニン》

 闇の中でそれは独白する。
 闘牛を思わせるかのようなシルエットに巨大なる威容。

《ザヒョウイドウ》

 それは、確実に何かを見つけだし、ある一点めざし突き進んでいく。

 確実に何かが動き始めていた。
こんばんわ。長岐栄です♪
お待たせいたしました。『いつか回帰できるまで』第四話をお届けいたします。
なんとっ、今回は挿し絵付きっ!! たかす様どうもありがとうございます♪
http://gtyplus.main.jp/cgi-bin/gazou/imgf/0028-img20070506232209.jpg
是非是非っ ご堪能くださいっ

さて、今回は話は当初三話で予定していた内容でしたがいかがでしたでしょうか? (´・ω・` )
これより新たな展開を見せていく物語、今後の展開を乞うご期待♪

>akiさん
構成はかなり頑張っています。今回は美神さん出せませんでした。
さて、次回は出番があるんでしょうか? 作者としても頑張っていきます。

>アミーゴさん
ピート・美神一家共にGメンで活躍中です。
その他の人がどうなったかは掘り下げておりませんがw
シロタマに諸事情につき展開次第ということでご勘弁を(^^;

>平松タクヤさん
西条は結構気に入ってます。新語を造った勇者に栄光アレっ
さてさて、この人物は何者でしょう? 当選者には……特にありません(マテ

>ちくわぶさん
そういっていただけると本当にホッとします♪
基本的に本編のアフターであることを意識していますのでテイストはしっかり残したいのですっ
今後もよろしくお願いします♪

>すがたけさん
どもです♪ 美神さんの行方不明……それは展開次第……かも?
西条いいでしょw


さー、これにて再会編はひとまず終了ですっ
次回、謎の存在達は? おキヌちゃんは? 第五話をお待ちくださいっ♪

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