『お化けにゃ学校も試験もない』
何て話は今は昔。
人々がかつては畏れの対象としていた夜の闇にもその生活範囲を拡げ、24時間営業のコンビニやファミレスが当たり前になり、TVやラジオは絶え間なく放送を発信、街が眠る事すらも忘れている現代、妖怪もまた生き残るために日々刻々と移り変わる人間社会に対応しなければならないのである。
だからこそ「あ、アタシ明日から学校行くから」というタマモの一言も当然の―― えぇー?!
「何よそれ、聞いてないわよッ?!」
突然の言葉に声を荒げるのは、タマモの保護責任者である美神令子。
当然である。相談もなにもなく事後承諾だけ求められては、彼女としてもやり切れないものがある。
無論、美神にしてもタマモが自らの意思で以って『勉強したい。学校に行きたい』と思うこと自体は大歓迎だ。
見識を広げ、仲間を得る―― その貴重な経験は、美神除霊事務所という狭い世界にその身を押し込めているだけでは到底為しえないことなのだから。
だからこそ、一言相談して欲しかった。
彼女としても、余程の事がない限りそれを受け入れる事は吝かではないのだ。
とはいえ、タマモにもタマモの事情、というものがある。その事情を示すべく、タマモはポケットに押し込んでいた一枚の封書を差し出す。
繊細な楷書でしたためられた便箋にはこうある。
『前略、妖狐タマモ殿。
昨今の人の世の変転、且つ、それについて行けぬ妖どもの数々の失態を鑑み、拙者、東日本の妖を統べる者としてこれを憂慮し候。
故に、拙者、西の悪太郎殿と合議し、日ノ本の妖どもの学び舎なるものを発起致し候。ついては、三月ほどの短き間なれど、貴殿にもまたこの『妖どもの学び舎』に集う事を望み候。
色よき返答をお待ち致し候。
山ン本長五郎拝―― 』
「これが届いたの自体が今日のお昼だったんだから、仕方ないでしょ?確かに急な話だけど、勉強できるチャンスなんてそうそうない訳だし―― 」「行っていいわよ」
タマモの言葉を遮り、美神が言った。
「説明が遅れたことにはこの際何も言わない。それに、勉強したいってアンタの気持ちは本物なんでしょ?じゃあ、アタシがとやかく言うことなんて出来ないじゃない」
タマモの表情が輝きだす。
「あ……ありがとう!!」
眩しいばかりの笑顔を見せ、タマモはリビングを飛び出す。
故に、彼女が知ることはなかった。
美神が翌日の仕事に対してキャンセルの電話を掛けたこと。そして、大至急横島を呼びつけたことを―― 。
【当世妖怪事情〜おばけのがっこう〜】
「タマモが学校に、ですか……いい話じゃないっスか」自宅で寛いでいたところを緊急で呼びつけられたその時にはいささか不機嫌めいた表情を見せていた横島であったが、美神の話を聞いたその声は明るい。
横島としても、妹分と言ってもいいタマモに芽生えた『学びたい』という欲求が喜ばしいことに変わりない。
ついこの間美神除霊事務所の社員となり、正式に社会に出たことで認識することとなった『学校に行く事で、休めてたんやなぁ』というある種の厳しさ―― そして、厳しさを感じさせるそのフィールドで度々感じる『ああ、学校に行ってた時には役に立たんと思ってたことも、こんなことで役に立ってくれてるんやなぁ』と言う実感。
この二つを感じさせてくれた学生生活に踏み出そう、というタマモを祝福こそすれ、押し止めることなどは出来はしない。
「それ自体はいい話なのは判ってるわ。でも、ね……その話を持ち出した相手が問題なのよ。
山ン本長五郎 ―― 遠野、ひいては日本の東半分の妖怪を統べ、『稲生物怪録』にもその名を見ることが出来る日本妖怪の大建者の一角を占める大天狗であり、その神通力は下手な神族をも上回ってるわ」
「へ、下手な神族って……」
「少なくとも、ヒャクメぐらいじゃ束になっても勝てないレベルでしょうね」
如何に情けない面ばかりを見てるからとはいえ、曲がりなりにも神を引き合いに出す美神も大したものではある。
「美神さん、それ、微妙ッス」
しかし、横島もかなりひどい一言で返していた。
「まー、ヒャクメだから仕方ないわよ。
兎に角、それだけの大妖に、常識面にやや不安な面があるタマモが何をしでかすかわからないってところがあるじゃない。
――というわけで、尾けるわよ」
「ええッ?!」
あまりの飛躍ぶりについていけない横島ではあるが、時にひのめやおキヌ相手にも見せている、美神の瞳に宿る過保護じみた光を前に、横島は反論を諦め―― ガレージの隣に設えてある装備置き場を想像した。
煩雑に積み上げられている武器や特殊装備の山を思い浮かべたのだろう―― 横島の双眸からは、我知らず血の汗が流れていた。
姿見が波立った。
波紋の中心に添えられていたタマモの右手が吸い込まれる。
―― とぷん。
そこにそぐわぬ水音を立て、タマモの全身が姿見に呑み込まれた。
「な、なんだありゃ?!」
「ぐずぐずしてる暇はないわよ!鏡をゲートにする術は昔からあるけど、みんな制限時間は短いんだからねッ!!」
主のいない屋根裏部屋の扉を開き、飛び込んできたのはサングラスと黒スーツで身を固めた美神と横島。
はっきりいって爆走気味の怪しさに満ち溢れているが、そんなことには構っていられないらしい。
この『妖学校』が日本全国津々浦々から『生徒』を募っている以上、何らかの方法で一箇所に集めている、と考えるのは当然―― そして、それを尾行するには登校直後が唯一無二のチャンスであった。
鏡面に浮かぶ波は薄くなっており、時間がないことは一目瞭然。早く“門”を使って『妖学校』へ行くタマモを追いかけなければ―― ただそれだけを思い、鏡へと飛び込もうとする二人に―― 『なんじゃあ、お前らはぁ?!』年寄りじみた、間延びした声が投げかけられた。
『コメリカ出身、対外宇宙からの侵略者妖怪・メン・イン・ブラックよッ!!入学式まで時間がないわ、早く通してッ!!』
鏡に浮き出る単眼に臆する事なく、マッハで言い切る美神。どうやら、言い訳は早くから考えていたようであった。
『ひどく活躍の場が限られている妖怪じゃな―― まぁええわ、早う通れ』勢いに負け、ツッコミにも力がない鏡の妖怪に『ありがと、助かるわッ!!』美神と横島は疑いを差し挟む間も与えずに鏡に飛び込んだ。
「ふわぁ…こんなところが―― 」
一瞬とも永劫とも取れる鏡の道を抜け、現れたそこに咲き誇るのは梅・桜・桃の花。
普通ならば重なる事ないこの三つの花が同時に咲き乱れている―― 文字通り現実離れした常春の園と呼ぶに相応しい光景である。
「まさに桃源郷―― 流石に東の長の神通力、といったところね」
『遠野物語』にあるマヨヒガもまた、この神通力が生み出したものであろう―― GSとしての習い性で思わず推論立ててしまう美神。
だが、美神すらも本来の目的を忘れて呆然とするほどの不自然な自然の美しさは、百戦錬磨のGSの直感を削いでしまう。
故に、『その気配』が驚きの声を上げるまで、二人とも気付く事は出来なかった。
『えっと……こんなところで何してるの、横島君……それに、美神さんまで?!』
その声の主はセーラー服に古びた木製机を背負う女子高生―― 本来は逆ではあるが―― 二人が良く見知った妖怪の一人。
「ナ、ナンノコトデスカ?我々はただの通りすがりのコメリカ妖怪、メン・イン・ブラック……」
「って、愛子?!お前こそなんでッ!!」
―― 付喪神の一種・机妖怪の愛子であった。
「偽装工作を無駄にするなッ!!」
言ったところで鼻面に膝蹴りを叩き込まれ、横島は血塗れになって倒れる。
それにしても、ここまでバレバレなのに、どこが偽装といえるのだろうか?
『偽装というか、仮装よね……それは』
苦笑と共に、事情の説明を受けた愛子は言う。
『ま、貴方たちがタマモちゃんを心配してここまで来ちゃった気持ちも判らなくもない……っていうか、これも青春よねッ!!』
「青春はいいけど……どうしてお前もこんなところにいるんだ?お前、ウチのガッコ公認の学校妖怪だから、いちいちこんなトコまで勉強しに来る必要なんてないだろ?」
半ば致命傷を受けていたにも関わらず、人間離れした回復力で意識を取り戻した横島が尋ねる。
『うーん、ちょっと違うわね。
この『妖学校』は、山奥や何かで生活を続けているうちに人間と縁が薄くなってしまった妖怪が、いかにして人間との折り合いをつけて、共存を図るか、というコンセプトで作られたのよ。私みたいな人間界で生活している妖怪を講師に招いてね。
音楽講師には前あったメゾピアノと……セイレーンって妖怪がその座を争っていたんだけど、あまりにも自分のことしか考えてないって事で、音楽室の主のショ○ン先生が選ばれたりもしてるのよ」
そのドタバタ―― そして、メゾピアノの落胆振りを思い出したのだろう、鈴のように笑う愛子に
「……つまり、タマモも?」
「そうね……確か、タマモちゃんは『化け学』の講師として招かれていたはずよ?」
机から器用に取り出したシラバスをめくり、その名前を確認する愛子だが、あまりの馬鹿馬鹿しさに脱力する二人の耳は、それからも続く愛子の言葉を右から左に流れさせる事しか出来なかった。
そして、入学式の開始時間が間近に迫ることを知らしめる半鐘の音が響いた。
* * *
入学式が終わり、部員勧誘にざわめく校庭―― 恐らくは廃校になった学校から拝借してきたのであろう古ぼけた幟が立ち並ぶその様は、愛子のプロデュースによるものであろう、人間の学校で行われるものとそれほど変わりない。
そんな校庭の一角で、生徒である子狸や子狐など、化かす類の妖怪の子供に対して、タマモの変身講座が行われている。
年下に慕われて悪い気がしないのであろう……ノリノリで今風の制服姿に化けるタマモ。
「こんな感じね、やってみて!」
タマモの言葉に応じ、額に木の葉を貼り付けた子狸の一匹が男子中学生風の姿に変行を果たす。
『こうですか、先生?!』
「まだ甘いっ!耳と尻尾が出てるじゃない!」
『何やってんだよ、お前はー!』
子狸の失敗を笑うのは、ややこまっしゃくれた風の顔の子狐。
耳も尻尾もしっかりと隠しており、勝ち誇ったような微笑みを浮かべている。しかし――。
「キミも人を笑えないわよ!合わせが逆じゃない!
兎に角、洋服のつくりから何から、昔と今は違うんだから、そう言ったところもちゃんと覚えてもらうわよ、いいわね?!」
経緯はどうあれ、初対面の相手にも臆することなく溶け込むことに成功しているタマモに安堵する美神。
「全く……心配してたのが馬鹿みたいよね―― さて、そろそろ帰り……って、あれ?」
しかし、その横から横島の姿は消えていた。
「甘いぞ、タマモッ!!そんなことで変身を―― 演技を語るとはおこがましい……上っ面だけなぞるのではなく、その意識から変えていってこそのものだッ!!」
言うが早いか、横島の姿が女性的な質感を帯びる。
いや、物腰も女性じみたものに代わり、しゃなり、と艶っぽくその場に座り込む。
ユニコーンと対峙した際に使用したエクトプラズムスーツ、そして、文珠による自己暗示で精神をも完全に役に入りきる。
化け学講師のタマモをしてツッコミより先に「よ、横島……なんて、恐ろしい子ッ!」というリアクションしか取ることが出来ない化けっぷり―― 美神と同じく、タマモを過保護気味に心配していた横島の、タマモが大人気で生徒たちに受け入れられていることから飛躍した発想『人気者の女教師・タマモと線の細い生徒→夕暮れの教室に佇む二人→以下略』から来る、半ば以上嫉妬で構成された暴走であった。
しかし、横島がその存在を顕わにしてしまった事は、もう一つの暴走を呼び起こした。
「横島?!……先生、先生でござるかッ?!」
言うが早いか、ジャージ姿に竹刀を持った人影が、横島を中心とした妖怪の山を一足飛びに飛び越え―――― その姿を女性のそれに変えていた横島を押し倒した。
「拙者の仕事振りを身にきてくれたのでござるねッ!!そうと判れば、拙者張り切っちゃうでござるよッ!!」
「し、シロまでッ?!」
『ちゃんと言っただけどなぁ―― 『シロちゃんも体育教師として招かれている』って……聞いてなかったのね?』
愛子のその言葉に頷く美神はさておき、典型的な体育教師の姿で横島の顔を舐めまわすシロの『先生』という言葉に妖怪達の見る目が変わる。
「シロ先生の先生、ということは……大先生ッ?!」
「しかも、今のタマモ先生にも駄目出しをッ!?」
「是非にご教授をッ!!」
「お願いしますッ!!」
黒山の如く押し寄せる妖怪達。
シロに押し倒されたショックとそのプレッシャーで女性の姿から本来の姿に戻ってしまった横島は、救いを乞うように視線を美神に向ける。
―― 美神は、目を逸らした。
しかし「コラーッ!アンタ、それでも俺の師匠か――――ッ!!」向けられたのは視線だけではなかった。
苦し紛れに投げかけられた横島の泣き言によって、美神の周囲にも無数の『習いたがり』達の影が迫る。
「余計なことを言うな――――ッ!!」
結局―― 人の身でありながらこの妖学校の臨時講師として招聘される事になってしまった美神と横島がその日の講義を終えることが出来たのは、学校から帰ってきたおキヌが用意していた水炊きが冷めてしまってから、やや経ってのことであった。
―――― 学ぶ楽しさ、常にこそあれ。
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