「ちょっと出かけて来るから」
なんて彼女が言い出したのはまだ日も上がりきっていない午前のことだった。
その言葉が決して自分に向けて放たれた言葉でないことを理解しているが、
一応返事はしておくことにする。
「おう、気をつけてな」
「気をつけるって、何によ?」
驚いた。
まさかこのひねくれ者から返事が返ってくるとは思わなかった。
こいつはどうやら俺のことを邪険にしているみたいだし、
俺の言葉なんて無視するもんだと思ってたんだけど。
「あ〜、ほら車とか?」
「そんなのにあたるほど鈍くないわよ」
ぷいと視線を戻すとそのまま出て行こうとするが、
もう一つの声がタマモの足を止めた。
「タマモ。あんまり目立つことはしないでよ。一応あんたは居ないことになってるんだから」
声の主、美神さんの目は半分閉じられて、顔には不信の色が上っていた。
「わかってるわよ、そのくらい」
「だったらその服はなに?」
改めてタマモの服装を見る。
胸元から覗く純白のシャツ。
襟には赤いリボン。
極めつけには紺色のブレザーにスカート。
道行く人に質問すれば十人中十人が同じ答えをよこすだろう。
「なにって、制服。このくらいの年齢の人間はみんな着てるんでしょ」
それがどうしたのかと、しれっと答えるタマモに反論することもないのか、美神さんは何も言わないでいる
――実はこれも作戦の一つなのだが。
「まあ、いいわ。いってらっしゃい」
今度こそタマモは出かけていった。
事務所から出たのを窓から確認し、早速尾行の準備をする。
とはいっても事前に物は揃えているので持っていくだけなのだが。
「横島くん早くしなさい。これ以上離されたら見失っちゃうわ」
「もう終わりましたよ」
俺が準備を済ましたことを確認すると、美神さんはすばやく外に向かっていった。
今の美神さんはまさしく戦闘状態。
事によっては自分の進退にも関わる問題だしな。
さて、俺も行きますか。
なぜ俺達がこんなストーカーまがいのことをしているのか。
別に俺が新たな趣味に目覚めたとか、ましてや美神さんが新たな世界を垣間見たとかそういうわけではない。
数日前からタマモの様子がどうもおかしい。
たびたび行く先不明でどこかに出かけているようなのだ。
まず制服をどこで手に入れたかも謎だが、いったいどこに出かけているのか?
まさか本当に制服を着て遊びに行っているということは無いだろう。
ということは…
「まさかタマモがいかかがわしい事やってるなんて思えないんですけど」
「わたしだってそうよ。でもタマモが話してくれないんだからしょうがないじゃない」
目の前で歩くタマモを見る。
ひたすら前だけを見据え、こっちに気付いた様子は露ほども無い。
文殊を使った迷彩にはさすがの鼻も利かないだろう。
しかし…なんだ、こうして隠れて女子高生、ではないが、
女の子を追うというのはなんとも妙な気分だ。
別にそんな趣味があるわけじゃないけど、これはこれでなんともおかしな気持ち芽生えてきそうな。
「横島くん」
「はい!俺は何もやましいことなんて考えていません!」
「何言ってんのよ。あんた脳みそは万年どぎついピンク色してるんでしょ」
失礼な、俺の脳いつだって崇高な考えしかしとらんぞ。
と、心の中だけで考えとこう。
やっぱ誰しも我が身が大事だよな、うん
「それよりタマモがそこの角を曲がったわ。早く追うわよ」
確かにいつの間にかタマモの姿が消えていた。
急いでタマモの曲がった角を曲がると、目の前には一つの大きな建物がそびえ立っていた。
「美神さんこれって……」
「どうやらここに入ったみたいね行くわよ」
って、はいっちまうんですか?!
そりゃ美神さんが物怖じしない性格なのは知っているけど、
こんなとこまで躊躇無く入れるとは……。
「ほら早くしなさい」
美神さんに急かされて俺は門をくぐった。
『入学おめでとうございます』と書かれた看板の横を通って。
「剣道部をよろしくお願いしまーす」
「初心者でも大関係だよ、ちょっと覗いていかない?」
「君ならきっとスターになれるよ!」
……ずいぶんとにぎやかなことだ。
俺達が不法侵入した学校の中では白熱した勧誘合戦が繰り広げられていた。
正直、部活をやってなかった俺にはこの熱心さが良く判らない。
本人達が一生懸命なら別にいいんだが。
そんな雑踏の中、彼女は何をするでもなかった。
「タマモのやつ何やってんすかね」
「さあね、さっきからうろうろするだけ。何がしたいのかさっぱりよ」
あっちへ行けば勧誘を受ける新入生を見てみたり、こっちへいけば自ら部活の説明を受けてみたり、
何を考えているのか。
ただ、なんだろう。
そのときののあいつの顔はひどく羨ましげに笑っているような。
いや、もしかして――
「あいつ、まさか……」
「どうかしたの?」
「いや、自信ないんですけどね?タマモは学校に用事があったんじゃなくて、学校そのものが用事だったんじゃないですか」
「?……どういうことよ」
ずい、と美神さんの顔が迫る。
その表情は『てめぇ、いい加減なこといったらぶん殴るぞ』と物語っている。
おいおい、俺はこの状態で説明しなあかんのか。
これで間違えだったら後はないぞ。
「ええと、ほら覚えてませんか?シロが学校に入ったときあいつ羨ましそうに見てたじゃないですか」
「?そうだったかしら」
「あいつ、関心なさそうな顔してシロの制服姿ずっと見てましたよ」
確かあれは1ヵ月ほど前のことだったか。
俺と同じ学校に行くことが決まり学校の届いたばかりの制服を着ていつも以上にはしゃいでいたシロ。
それを冷めた目で見つめていたタマモ。
国に追われている。
戸籍が無い。
そのほかたくさんの理由が重なってあいつは学校に行くことはできなかった。
口ではなんでもないように言っていたけど、俺にはそんなあいつの顔がとても寂しそうに見えた。
本当はシロと一緒に学校に行きたかったんじゃないだろうか。
同じ年齢の友達を作りたかったんじゃないだろうか。
「ふぅん……横島くんが言ってるなら多分そうなんでしょうね」
「へ?信じてくれるんですか」
正直俺の言ってることなんて信じてもらえないもんだと思っていた。
いつも俺の意見を採用したことないし。
「こういうことに関しては横島くんの言うことは信用してるわよ。あんた本当にどうでも良さそうなことに関しては鋭いんだから」
「どうでも良さそうって……タマモのことですよ」
「わかってるわよ!さて、そうと解れば早く何とかしないとね。いつまでもこんなこと続けられちゃ迷惑で仕方ないからね」
誰にともなく言って歩きだす美神さんの顔は僅かに赤く染まっている。
あんなふうに言うくせに本心じゃ心配してるんだから、
あの驚異的な意地っ張りはどこからきてるんだろう。
「横島くん!ニヤニヤしてないでさっさと来なさい!」
「は〜い、今行きますよ!」
* * * * * *
「……何よこれ」
「なにって明日からあんたが着る制服よ。ああ、言っておくけど拒否は許さないからね」
「明日からタマモが俺の後輩か。忠告してやるがうちの学食におあげは無いからな」
「拙者と同じクラスになるらしいでござるな。あんまり騒がしくするなよ女狐」
「うう〜、わたしも同じ学校に行きたかったです……」
自分に用意された制服を前にタマモは呆然とした表情だ。
そりゃ朝起きていきなり、
「お前明日から学校ね」
なんて言われたら呆然とするだろうけど。
「私学校なんて……第一なんで私が学校に行けるのよ?」
「別に?ちょこっと校長に言ってやったら、良いですよなんて言ってくれたわ」
……その美神さんがちょこっと言った日の校長の顔色が嫌に青かったのは気のせいだよな。
「ともかく、あんたは明日学校に行くの。これは決定事項、異論反論は受け付けません」
さすが美神さん、もうこの話はお終いとばかりに書類に手を伸ばした。
これにはタマモも何も言い返せまい。
「……もう学校なんて面倒くさい。なんでそんなとこに行かなくちゃ行けないのよ」
なんかぶつぶつ呟いてるが、口の端がが僅かに震えてる。
横を見るとおキヌちゃんがそんなタマモを見てニコニコしている。
あいつも相当な意地っ張りだな。
「ちょっとシロ!学校行ってどう行けばいいのか教えなさいよ!」
この翌日、俺の高校に一人の転校生がやって来た。
その転校生はどうもかなりの美人らしくみんなお昼に見に行ったりしていたが、
俺はおキヌちゃん手製のお稲荷弁当を食べていた。
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