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ぼーるーぱーく・らぷそでぃ(その3)

「ストライク、バッターアウッ!!」
 ジャイアンズの二番バッター、セカンド・ドイのハーフスイングが空を切り、ミットがボールを捉えた。

 二回表に三者連続三振を奪ったことでリズムを取り戻した亡霊魔球投手・弁辺の放つ『残像分身魔球』の前にエミ、ピート、横島の三人もあえなく三振を喫するが、雪之丞もまた渾身の超速変化球でジャイアンズのカキワリ守護霊達を相手に連続三振を奪い返してそれに応じる。

 乱打戦を予感させる序盤から一変して、緊迫の投手戦の様相を呈していた試合は、四回の攻防を迎えていた。


 【ぼーるぱーく・らぷそでぃ(その3)】


「えっと〜〜、あのぼーるを打ったら、『べーす』までいけばいいのね〜〜〜〜?
 わかったわ〜〜〜〜」
 漸くルールを把握したのだろう、神通バットを手にバッターボックスに向かう冥子の間延びした頷きがエミの耳に届く。

「や、やっと理解したワケ」
 呟くエミの貌には、明らかな疲れの色が浮かんでいる。

「大体、おたくのとこの従業員を助けるための試合だってのに、野球のヤの字も知らない冥子を連れてくるのがそもそもの間違いなワケ。霊力はあってもルールを知らない冥子に野球のルールを一から教えるのがどれだけ大変か、ちょっと考えたら判るんじゃないの?」

「しょーがないでしょ!こーいった勝負でものを言うのは霊力の強さなんだからッ!!それに、アンタこそピートが野球のルールを知らない、ってことを知らなかったじゃない」
 噛みつかれることが心外、とその口調で主張しながら、ジャイアンズのユニフォームを纏った美神は、真っ先にこの試合のメンバー入りを立候補したピートに確認を取らなかったエミの不手際を突っ込む。

「ピートはイイのよ、ピートは!それに、今はちゃんとピートもルールを把握してるんだからねっ!!」
 間髪の差し挟む予知のない実に素敵なスピードで、エミは自分を棚に上げた。

 とはいえ、美神による人選が主に霊力を重視した人選だったため、ベンチに入った野球についての知識が一切ない、と判明した三人にしっかりとルールを教え込んだ―― とはいえ、冥子とカオスについてはピートに対する個人レッスンの合間にねじ込まれたのだが―― のも紛れもなくエミである。
 『功労者』である自分を棚に上げたくなる気持ちもある意味当然かもしれない。

 だが、指摘を棚に上げられた美神も黙ってはいない。
「アンタねぇ……真っ先に自分を棚に上げるよーな真似せずに、2番バッターなら2番バッターらしく、美しい自己犠牲って奴に徹しなさいよ。見苦しいったらありゃしない」

「おたくみたいに個人プレイしか出来ない一発屋にチームプレイを語られたくないワケ!」
 嵐の如く渦巻き、ぶつかり合う殺気が霊力の火花を上げる。

 日本でも一、二を争う二人の美女GSの殺気―― 言い方を変えるならば強固な意志力のぶつかり合いが向かうところに向かえば、これほど恐るべきものはない。
 そのことは、ブローニュの森に佇むローランギャロスであろうと純白のウィンブルドンに鎮座するセンターコートであろうと勝ち抜けること間違いないと目されていた悲運のテニスプレイヤーの怨霊をも退けたことで既に実証済みだけに、その剥き出しの感情が行き場のないままベンチ内で暴発すると言うこの事態は、もったいないという域を大きく超え、迷惑以外の何物でもなかった。

「き、君達ね」
 チームを纏める役を任じていたはずの唐巣も殺気を放出する二人に青褪め、些か腰の引けた応対しか許されない。

 もしもこの場に先の戦いにおいて圧倒的な存在感を見せた美神美智恵がいたならば話は違ったかもしれないが、生後一月にも満たない嬰児を抱えている彼女がこのような試合に参加する事など出来るはずもない。

 そのことはつまり、真の意味での“ブレーキ”がここにはない、というどうしようもない事実を声高に主張していた。

「お……おい、お前が止めろよ」
「アカン…ああなったらもう止まらん」
「あ、あわわわわ」
 怖いもの知らずな筈の雪之丞、そして、付き合いが長い横島とおキヌすらも尻込みするほどの圧倒的恐怖が三塁側ベンチを支配する。

 故に、グラウンドの動静に気付くものはいなかった。


 固いもの同士がぶつかり合う音と沸き起こる大歓声―― 突如上がったこの二つの音が、ベンチに蟠る険悪な空気をも震わせ、押し流す。

 雪之丞から連続して四人があえなく三振を喫し、攻略には時間がかかると目されていた『残像分身魔球』―― これを野球のルール自体覚束ない冥子の神通バットが弾き返したのだ。
 それも、センターの頭上を大きく越える大飛球だ。

 ベンチの空気を支配していた恐怖が、驚きに駆逐されるのも無理はない。

「どうよっ!私の思惑通りでしょ!ちゃーんと当たれば飛ぶのよ、当たればッ!!
 アンタみたいにセコくヒット狙いでいくよりも一発で―― 」
 驚きから逸早く立ち直ったのだろう。長打間違いなしの打球に、豊かな胸を大きく反らして美神が勝ち誇る。

 『霊力勝負である以上、霊力のポテンシャルが大きければ大きいほどいい』その持論を証明する大飛球である。エミを言い負かせる絶好の機会を逃してなるものか、と言わんばかりの立ち直りぶりであった。

「あー、ハイハイ。確かに当たれば飛ぶワケ……だけど―― 」
 美神の言葉に応じたエミの視線は冥子に向いていた。
「あの娘、歩いてるわよ?」

 一瞬―― 沸き立ちかけたベンチの大半が再びの沈黙に覆われる。

 打球はフェンスの最上段で跳ね返り、センターの深い位置で弾む。

 雪之丞やピートならばランニングホームランすらも見込める絶好の位置に落ちた打球―― だが、いかに打球が絶好であろうとも、散歩のような気楽さでぽくぽくとのんびり歩いていては台無しである。

 センターによって処理されたクッションボールが、矢のような勢いでファーストに返球された。





 あるかなしかの沈黙の後、一塁塁審の腕が横に広がる。




 フェンス直撃のシングルヒット―― ある意味、冥子だけにしか出来ない芸当であった。



「ふー、どうなる事かと思ったけど、何とかなったワケ」
 安堵の溜息を漏らし、タイムを要求したエミがベンチから駆け出す。

「いいの、先生?あんな勝手なことさせて」
 ライバルだから、ということもあるのだろう。もはや名実共に監督と化していた唐巣を差し置いてのエミの行動をどことなく快く思わずに、美神が問い掛ける。

「ああ。構わないよ。
 見ての通り、あれだけの投手を打ち崩すチャンスというものは少ない。特に、今彼が投げている残像分身魔球は、心身ともに負担が大きすぎたために、誰も打ち破る事が出来ないまま投手が死んでしまった幻の魔球なんだ。
 そう言った魔球を打ち破るために試す策はいくらあっても多すぎる事はない。君が横島クンに勝負所になるまで―― 決定的な打開策を見出すまで文珠を温存するよう指示しているみたいにね」

「……見破られてたか。適わないなぁ、先生には」
 微かな驚きの後、美神はその美貌を苦笑の形に変化させる。

「曲がりなりにも、私も君の師匠だよ?」苦笑に応じて向けられるのは理解者の笑顔。「如何に出来の悪い師匠とは言っても、君がどのように考え、どう動くかは、横島クンやおキヌちゃんの次ぐらいには知っている心算だよ。
 ともあれ、打開策を試す機会というものは限られているんだから、彼女のように攻略のヒントを見出した時点でそれを実行するのも一つの手段には違いない。
 君のように勝負所に至るまで徹底的に弱点を洗い出し、立ち直る暇を与えずに一気呵成に攻め立てるのも間違いではないけれど……ここは一つ、彼女が一体何を見出して、どのような策を用いるのかを見てみようじゃないか。各々が打ち出した策の積み重ねが、あの魔球ピッチャー・弁辺勉を攻略する最大の手掛かりになるんだからね」

 その唐巣の言葉を受けたかのようなタイミングで、バッターボックスに立つ西条、そして、ファーストキャンバスに佇む冥子にそれぞれ何事かを耳打ちしたエミがダグアウトに引き返す。


「えっと……二人にどんな作戦を?」
 流石に自分の生命が懸かっているだけはある、怪訝な中にも真剣味を帯びた表情で尋ねる横島に、エミは自信に満ちた表情で応じて言った。
「確実に……点を取れる作戦なワケ」
 その言葉と共に、四つの弁辺の姿がマウンドで振りかぶる。

 赤味を帯びた土煙がマウンドで躍動する四つの影を覆い隠した。

 全力でスイングされたバットが、空を切る。

 前打者にあわやホームランという打球を打たれた事で生まれた『攻略法を見抜かれたのか?』という疑念を振り払うかのような空振りに快く頷く八幡平だが―― 返球しようとしたその目が、セカンドキャンバスにごく自然に佇む冥子の姿を捉えたことで、胸中に生まれた満足感は即座に驚愕に塗り替えられた。

 いや、驚愕は八幡平だけではない。三塁側ベンチに座るGS達を除いた全ての者が、投球に目を奪われていた一瞬の内に二塁を陥れた冥子に驚きを禁じえなかった。

 しかし、無理もあるまい。いかに弁辺の魔球が走者を意識すらせぬワインドアップばかりとはいえ、盗塁の素振りはおろか、リードすらも見せなかった『トロい娘』が二塁にいるのだ。
 彼女がGSとしていかなる能力を駆使しているかを知らない限り、驚くな、と言われても無理な話だと言えた。










 だが、彼女の能力を知っている者にはその種はすぐに割れる。
「―― セコッ!」
「セコくないッ!」
 『策』の正体を知った直後、間髪入れずに一言で言い捨てた美神に対して、エミは心外、とばかりに返す。
「第一、これなら確実に点が取れるでしょうがッ!!取れる時にきっちり点を取るのも勝負の鉄則ってモンなワケ!」
「そんなセコい点の取り方なんかこっちから願い下げよッ!!」

「まーまー。二人ともその辺にしておきましょうよ」
 再燃しかけた論争をやや青褪めながらもおキヌが仲裁する間に投じられた二球目は、外角に大きく外すボール球―― 明らかに盗塁を刺す意図が込められたリードである。

 しかし、捕球と同時に送球モーションに入った八幡平の目は、サードベース上でのほほんとこちらを眺める冥子を捉えていた。

 何が起こったかを理解する事も出来ない。
 『魔球』『秘打』ならぬ『魔盗塁』だろうか?もはや、八幡平には力なく肩を落とす以外には出来なかった。



 理解の外にある冥子の『盗塁』に、ドームを微かに震わせるだけだったざわめきが、その響きを増していく。


 ―― おい、見えたか?
 ―― 見えるわけないだろう!

 そういった疑問と当惑によって成り立つざわめきと『正体を見極める』―― その意識がドーム球場を包む中で投じられた三球目―― ドームのみならず、全国の視聴者が固唾を呑んで見守るその一球は、渾身の残像分身魔球!

 通常、ホームスチールを警戒する場合にはボールをウエストすることが一般的だ。
 ごく単純にストライクゾーンにボールを投げていては、ヒッティングやスクイズに移行された場合に対応する事も出来ず、みすみす失点を許す事になるからだ。

 だが、四つの分身が同時に見せる投球フォームに加え、逆巻く土煙の中から忽然と現れるこの魔球は、たとえバントであろうともそうそう捉えられるようなボールではない。

 ならば、最短距離を駆け抜け、ウエストすることによって生じるベースカバーに至るまでの二、三秒の遅滞を打ち消すストライクゾーンへの速球こそが、本盗を阻止する最適な一球なのである。

 ミットを叩く乾いた音が高く鳴り響いた。

 速球が小気味よく決まっていることを示すきな臭い匂いを伴うその音によって、テンションをさらに高める事が出来る弁辺のため、通常の捕球位置よりも前目に差し出されているキャッチャーミットを、八幡平は身体ごと投げ出すかのように更に前に進める。

 右打席に立つ西条の動きを視界の端に収め、万全の位置取りを見出してのベースブロック―― 如何にスピードがあっても間違いなく封殺出来る、まさに鉄璧と呼ぶに相応しい万全の構えであった。

 が、八幡平が作り上げた鉄壁の背後で、冥子はちょこなん、とホームベース上に立っていた。

 錆びかけたブリキの人形の如きぎこちない動きで振り返り、唖然としか表現しようのない表情で『ホームスチール』を達成させた冥子を眺める八幡平の瞳に―― いや、電波を通してTV画面の向こうにも、冥子の傍らに佇む白い虎の姿が映るが、その白い影は瞬きよりも短い時で消える。


「ホ…ホームイン」
 八幡平と同じく目を白黒させるアンパイアの声が小さく響き、スコアボードに『1』の字が灯った。

 『寅の式神・メキラの力に拠る、瞬間移動による盗塁』―――― 確かにセコいと言われても仕方ない、しかし、破る事も不可能と言える必殺の策であった。

 何しろ、瞬間移動である。たとえリードをとっておらずとも、キャッチャーが捕球した時点で―― いや、もっと言えばピッチャーが投げると同時に盗塁を成立させることすらも可能なのだ。

 が、そのタネがどう非常識であれ、『いとも簡単に三連続盗塁を決められた』という事実はキャッチャーに強い動揺をもたらすことに変わりはない。
 ただでさえ控え選手がいない上、弁辺の魔球を受ける事が出来るのも八幡平以外には存在しない以上、八幡平の動揺した精神を切り替え、集中を取り戻すべく、『ワンちゃん』がタイムを要求するのも致し方なし、と言えた。

 が、八幡平がショックから立ち直るために必要な空白の時間は、GS達にとっても生還を果たした冥子からもたらされる情報を精査する貴重な時間ともなる。

 時間にしてせいぜい一分あるかどうかという短い時間を無駄にしないためだろう、単刀直入にエミは問う。
「……で、アンタがどうやって打ったのか教えて欲しいワケ」

 その問いに冥子は暫し考え込むと、「え〜っとぉ〜……こうやってぇ〜、『え〜い』って振ったらぁ〜、当たったのぉ〜」手近なバットを振って答える。

 ベンチのGS達全員が、カオスを除いて盛大にすっ転んだ。
 
「アンタねぇ、そんなので判るはずないワケ!もうちょっと具体的に言わないと、さっぱり判んないでしょうがっ!!」
 絶妙に息のあったコントの如き応対から逸早く立ち直ったエミが再度冥子に問うが、「ええ〜?でも〜ぉ、こうやってぇ〜」冥子はやはり些か間延びした口調と間の抜けた素振りでバットを振るってその答えとする。

「し、失敗したワケ。この子がまともに説明できるはずなかったんだった」
「ええ〜、ひどぉ〜い」
 頭を抱えてよろめくエミに、冥子は怒りが一切伝わらない口調で憤慨する―― ある種いつも通りと言ってもいい、緊迫感に欠けるやり取りを繰り広げる二人を半ば呆れ顔で眺める美神が、口を開く。
「冥子……もう一回バット振ってみて?」
 その目が一つの事象を捉えたのは、偶然と呼ぶことは出来ない。
 正体を掴めない相手の情報を掴み、活路を見出すために日頃から鍛えられ、身についた洞察力―― 魔球投手・弁辺勉の弱点を看破するためにフル回転していたそれが冥子のスイングに現れていたその違和感を掴む事は偶然ではなく、ある種必然であるといえた。

「アンタ……目ェ瞑ってバット振ってるの?」
「だって〜ぇ、怖いじゃない〜」
 頷きながらなされたその答えに、ベンチ内の反応は二つに分かれる。

「こ、こらアカン」
 一つは横島ら若手達の見せる落胆。

「……ありがと、それだけ判ればいいわ」
 そして、もう片方は美神とエミ、そして唐巣という第一線で活躍するGS達の沈思黙考。

 『変わらず泰然と構えているカオス』という例外は置いておくが、この二つの態度が示す差は、そのまま彼らがGSとして刻み込んできた経験が示す差であるといっても過言ではないだろう。
 そして、その差は、偶然をただ偶然と捉えるか。はたまた、偶然を必然に結びつけるか細い糸を見出す事が出来るか―― その思考を身に染み付かせるだけの経験の差と言い換えても良かった。

「タイガー!」
 そうして訪れた、時間にしてほんの僅かな沈黙を破ったのはエミだった。

 怪訝な表情でエミの呼びかけに応じるタイガーの巌のような表情が、驚きの色に染められる。
「そ、そんなことであの魔球を破る事が出来るのかノー?」
「決まってるじゃない!おたくの力とアタシの頭脳が合わされば、あんな魔球程度、楽勝なワケ!」
 自信満々に言い切り、廣島コンドルズの赤いユニフォームを着込んだ巨漢の背をどやしつけるエミ。
 その力強さに「どうやら、彼女は何か掴んだみたいだね、令子ちゃん?」ベンチに戻ってきた西条が感心したような一言を投げかける。

「まぁ、アタシもあらかた掴んでは……って、何時の間にッ?!」
 ごく自然に応じかけた美神が驚きの声を上げる。

「……ゴメン、聞かないでくれるかな?」
 がっくりとジャイアンズのユニフォームが肩を落とす。

 スコアボードには既にオレンジ色に輝くランプが二つ並び、少し間隔を開けたやや下には赤いランプが一つ灯っている。
 どうやら、ベンチが冥子のもたらした情報を基に推理を進めている間に、落ち着きを取り戻したバッテリーによって、手もなく捻られたらしかった。

「あーあ、すっかり落ち着いちゃってるわねぇ」
「そうだね。西条君を三振に斬って落としたことで、すっかりリズムを取り戻しているようだ」
 容赦ない物言いにさらに落ち込む西条をよそに、美神が唐巣の言葉を受ける。
「……そこにきてあれじゃ、如何にマリアでも打つことなんか出来ないわね」
 マウンドに立ち込める土煙が静かに消えるとともに、弁辺の姿が露わになる。
「でも、このやり方さえ間違ってなければ、マリア以外なら打つことが出来るのよね」
 土煙が消えると同時に放たれた、立ち込める暗雲を晴らすかの如き力強い言葉に、落ち込んでいた西条の視線が上向いた。

 言うが早いか、ネクストバッターズサークルに向かおうとするおキヌにアドヴァイスを送る美神。
 その自信がどこから来るのかを未だ掴めない西条が、薄い笑顔を見せる唐巣に尋ねるのも当然であった。
「令子ちゃんは……何を掴んだんですか?」
「なぁに、単純な事さ。『下手に見ようとして駄目ならば、見なければいい』……つまりはそう言う事だよ」
「……と、いうと?」
 西条の言葉とともに、『ストラック!バッターアウッ!!』アンパイアがツーアウトを宣告する。
「あの魔球の恐ろしいところは、投球モーションを取る姿が四つあるということ自体は見えていながら、肝心の投球の瞬間が一切見えていない、というところにある―― これは判るだろう?」
 その言葉に、西条は頷く。
 四つ見える弁辺の姿のうち、三つは残像である、ということは判っていても、土煙に遮られ、本体がどれであるのかということを見破る事も出来なければ、どの弁辺が放っているのか、というのも皆目見当がつかない。

 ましてや、マウンドに立ち込める煙の厚みはおおよそ2メートル――その煙幕の向こうから放られる速球である。タイミングが掴めないのも無理はあるまい。

「その球を冥子くんは目を瞑って打ったんだ。確かに、長打になったこと自体は偶然かもしれない……だけど、私達は総じて霊能力を持っている。霊視ゴーグルがなくとも、意識を凝らせば霊体の姿を捉え、その動きを追うことが出来る程度にはね。
 まぁ、見ていたまえ―― エミくんと美神くんが授けた策がどのようなもの…」
 言いかけた唐巣の声が薄れる。

 いや、声が薄れたのは間違いである。
「虎よ!虎よ!ぬばたまの夜の森に燦爛と燃えて!!そも、いかなる不死の手、はたは眼のつくりしか、汝が由々しき均整を……!!」
 ベンチに届く歓声を打ち消すほどの歌声とそれに続く笛の音が、唐巣の声を掻き消しているのだ。

 タイガーの能力―― 極めて広範囲に影響を及ぼす精神感応と、その精神感応力を増幅するための呪歌と呪奏こそがエミの策。
 それによって、ボールの纏う霊力の軌道をトレースする―― 西条がそう結論付けた矢先、タイガーを中心に生み出された漆黒が―― 生み出された時と同様、唐突に消えた。

 闇が晴れる前と変わっているのは、脇腹にボールをめり込ませてうずくまるタイガー。
「デ…デッドボール」アンパイアが宣告すると同時に「ア…アンタ、酷いことするわね」流石の美神すらも青褪めながらエミに向けて呟きを漏らしていた。

「でもこれなら確実なワケ」こともなげに言い切り、エミは続ける。「大体いくら霊能があるとは言っても、本格的に修行してない人間がおいそれと心眼を身につけることなんて出来ないに決まってるでしょうが!
 神族直伝の心眼なんて才能がすぐ後ろに控えてるんだから、そこに頼るのは当然なワケ!ましてや、横島の生命が掛かってるんだから、なりふりなんか構っちゃいられないワケ!!」
 一喝の後、雪のように舞い降りる沈黙。
「……エミさん、そこまで横島さんを―― 」
 圧倒され、ピートは言葉を詰まらせる。
 実際に被害を受けているのは、あえて説明不充分なまま打席に送られたタイガーだという事実には、気付いていないようであった。

 とはいえ、エミの言葉の勢いで変わったのは、ベンチの雰囲気だけではなかった。
 打席に入るおキヌの意識にもまた、自信という名の大きな力をもたらしている。

 瞑目とともに、おキヌはエミの言葉を反芻する。
 『神族直伝の心眼なんて才能が――』

 イヤリングとして借り受けていたヒャクメの『眼』は既にない。
 だが、アシュタロスとその眷属を相手取るために―― かけがえのない『姉』である美神を助けるために施された訓練で体得した『心眼』そのものは彼女に備わっている―― その事実もまた変わりはないのだ。

 弁辺の放つ球速に圧倒され、忘れていたそのことを思い出す。

「……ストラック、ワン!!」ミットを速球が叩く音に遅れ、アンパイアの声がカウントを宣告する。
 眼を開き、深呼吸―― 今度は、ネクストバッターズサークルに向かう前に授けられた美神の策を思い返す。
 『結局のところ、この勝負って霊力勝負なのよ!霊力さえ集中すれば球筋もある程度は見えるし、腕力の不足も霊力でカバー出来る……さっきの冥子みたいにね。
 だから、目を瞑って“1・2・3”で思い切り振り抜きなさい!目を瞑った方がボールに込められた霊力だけを<視る>には持って来いだし、バットに霊力を集中するのもそっちの方がやりやすいんだからね!』

「……ストラック、ツー!!」心眼で見た軌跡と違うことなく二球目が駆け抜ける。

 高鳴る鼓動を落ち着かせるべく、再び深呼吸―― そして、何よりも大切な事実をおキヌは胸中で再確認する。

 ―― 横島さんを、助けるんだッ!!

 その明確な想いとともに、目を閉じる。
 四人の弁辺が、一人に見えた。

 テイクバックで溜めていた力を解放―― 軽い手ごたえが両手に残る。

 ボールパークに湧き上がる歓声に、恐る恐る眼を開く。
 純白の放物線が、バックスクリーンで―― 弾んだ。

 端から見ればまさかのツーランホームラン―― だが、おキヌに宿る霊力とチーム随一の『心眼』という適正、そして、それらを支える意志から言えば、紛れもない必然の一本により、スコアボードの『1』は『3』に変わった。


 打った本人にも信じられない一発だが、打たれた当人にしてみれば、もっと信じられない。
 自身の生涯において最高最強の魔球である『残像分身魔球』―― これを破ったのが線が細く、まさか打つとも思えない女性二人だったという事実は、『侍』を自認する弁辺にとってあまりに大きな衝撃を伴っていた。
 切り替えられないショックを引き摺って、弁辺が投じた初球は、残像分身魔球ではあるものの、肝心の煙幕の掛かりは薄く、スピードも並みの速球と同程度―― そうして放たれたこの試合初と言ってもいい甘い球を見逃す雪之丞ではなかった。
 全身のバネを撓め、蓄積した爆発的な力を解放する。

 神通バットから糸を引くようなラインドライブが生み出された。
 見る者全てが長打―― 超低空から揚力による伸びを見せる、戦闘機の離陸にも似たその打球の速度と角度からすれば、二者連続のホームランすらも幻視させるに至ったこの高速ライナーを奇跡的、と呼ぶより他にないジャンピングキャッチで捌いたのは、球史最高にして不可侵のサードである『チョーさん』―― 舌打ち混じりに睨み付ける雪之丞の視線を笑顔で受け流し、一塁側のダグアウトに戻りつつ『なぁ、ベンちゃーん』その笑顔を崩さぬまま弁辺に詰め寄る。

『ベンちゃんさぁ……これ以上分身魔球を放っても、ヒットされるだけだよー?今さっきのライナーは別だけど、打たれた二本は二本とも目をクローズしてスイングしてたんだからさぁ。
 いわゆる一つの勘頼りなのかも知れないけど、ベンちゃんのボールは当たれば飛んでいっちゃうんだから、そろそろ別のやり方ってヤツを考えた方がいいんじゃないかなぁ?』
 長幼の序が厳しい野球界において、地元の先輩でもある八幡平にすらほぼタメ口で受け答える傍若無人な弁辺ではあるが、それでもなお『チョーさん』、そして『ワンちゃん』だけは別格であるらしく、言外に“煙幕効果以外は普通の直球と何ら変わりはない残像分身魔球は、勘や反射神経、霊的知覚能力が並外れているGS相手にはもはやほぼ役に立たなくなっている”と述べているその言葉を直立不動で受けている。
『まぁ、ボク達が打って取り返しはするけど……それ以上に打たれたら何にもならないんだよ?』

 他の者が言えば傲慢といってもいい言葉を残し、ヘルメットを被る『チョーさん』の脇で弁辺はその身を震わせる。
 その震えの源は屈辱と怒り―― と思いきや、表情にはやや陽性じみた笑みも宿っている。
『へ…へへへっ!そうだよなッ!!そりゃああれだけ投げたら打たれてもおかしくないよなッ!!』
 負け惜しみのそれではない、強い言葉―― 弱点を見出される前に、多投によって自らの生命を削り尽くし、結果、欠点を明らかにすることなく人々の心に無敵不敗と刻み込まれるに至った魔球を、野球一途な者達には到底至ることない道筋で打ち砕いた、この新たなる好敵手達を相手にする高揚が、そこにあった。

 だが、弁辺の気が上向いたところで四点という点差は大きい。
 この回先頭の『ワンちゃん』と続く『チョーさん』のアベックアーチによって即座に二点差に詰め寄るものの、続くスエツグは平凡なセンターフライ、クロエは引っ掛けてのセカンドゴロ、と二人のカキワリ選手達はそれぞれ敢え無く凡退。弁辺もまた、胸中に新たな魔球への意識が生まれた事もあり、何ら見せ場なく三振を喫している。

 このように雪之丞が順当にアウトを重ねることと対照的に、試行錯誤の只中にある弁辺は当然ながら苦戦する。

 残像分身魔球と大跳躍魔球を組み合わせ―――― 空中で残像を作り出すことなど出来るはずもなく、尚且つ、生み出した土煙を大きく飛び越えてしまうただの大跳躍魔球となったこの合体魔球は、エミによって煙幕の中に転がされ、絶妙なバントヒットにされてしまう。

 ならば、と、さらに超竜巻魔球を組み合わせてみる。
 巻き起こされた土煙が超竜巻魔球のモーションである回転によって舞い上がり、砂漠のただ中に聳え立つ塔を隠す砂嵐の様相を呈して跳躍した弁辺の姿を覆い尽くす。

 しかし、視線を遮る砂嵐の塔を前にしたピートの眼が怪しく輝いていた。
 邪眼イビル・アイが砂嵐のヴェールを透かし―― 同時に輝線を描いてその目に映った軌道に併せて振りぬかれたアッパースイングはドーム球場の天井に直撃する超特大のセンターフライと化す。
 打球の角度がほんの少し違えば、天井に吊られたスピーカーを直撃するホームランになっている当たりであった。

 ともあれ、ワンアウト・ランナー一塁でバッターは『ポチ』こと横島、そして、続くのは分身魔球を打ち崩す切っ掛けとなった冥子。
 弁辺にとって、まさに絶体絶命と言ってもいいピンチである。
 心配になった八幡平がマウンドに駆け寄るのも無理はなかった。

『どうした、勉?新しい魔球を造ろう、というその気持ちは判るが……肝心の投球そのものがおろそかになっては何にもならないぞ!
 兎に角、今は目の前の打者に集中しろ!魂を込めた本当のお前の球だったら、そうそう打てるものでもないんだからな―― 聞いてるのか、勉?』
『ああ……やっぱり兄貴は頼りにならぁッ!』
 飛び切りの笑顔で答えとする弁辺に、八幡平は頼もしさと『本当に聞いているのか?』という些かばかりの不安を感じる。
 しかし、その八幡平の不安をよそに、弁辺は笑みと同じく力強い一球を投じた。

 ジャンプはおろか、回転も分身もない、単なる速球。
 200キロ近い速度を誇る直球ですらも『単なる』と呼んでしまえる感覚はさておくが、それまでの変則投球を覆すかのような正統派な投球―― 変則投球による魔球の隙を見出し、それを上回る変則打法で応対することで切り抜けてきた横島にとって、弁辺の投球術の突然の変化は戸惑いを隠すことは出来ないものであった。

「タイム!」だからといって、引き下がる事は出来ない。ストライクをタイムを要求すると、横島はボックスを外してなにやらブツブツと呟く。

「よーく考えてみろ……西条の野郎はノーヒット、俺はツーベース!美神さんへのアピールポイントで言えば俺の方が圧倒的に有利なんや。
 ここでさらに一発打てば『よくやったわね、横島クン!……抱いてッ!!』なーんて、なぁ……うぇへへへへへ」
 脳内で作り上げた桃色の幻想―― あくまでも妄想に過ぎないその飛躍的な『やり取り』に目尻を下げ、鼻の下を伸ばす横島に対して、アンパイアと八幡平は頬を引きつらせる。

「…………バッターラップッ!!」
 これ以上変な空気を作られたくない、とばかりにアンパイアが打席を外した横島を促す。
 よく見たら、マスクの向こうはちょっぴり涙ぐんでいる。
 正直、気の毒な光景であった。

 アンパイアの受難は兎に角、促され、打席につき直す横島―― やや前屈み気味の構えではあるが、ベンチで戦況を眺める美神にすらも悪寒を感じさせるほど強烈な妄想によって横島の霊力の源である煩悩は充分に補完されている。

 弁辺の投げるストレートが、コマ送りのように見えた。
 『ボールが止まって見える』『確実にシュートを決めるための道筋が見える』などの言葉に代表される“Zoneゾーン”―― 超一流のアスリートが到達出来る集中の極みであるが、妄想だけでその域にまで飛躍出来る横島忠夫という漢―― ある意味只者ではないと言えよう。

 その『閉じた世界』にあるのは、ただ弁辺と横島、そしてボールが三つ。

「……って、三つ?!」
 驚きながらのスイングが『ボール』を捉える。
 だが、捉えたはずのボールは手ごたえなく霧散し、改めて開いた世界からミットを叩く衝撃音が追いついてくる。

『どうでぃ!これが“入魂分身魔球”でぇ!!ボールに魂を込めて込めて込めまくって、収まりきれなくなった魂ごと投げるこの魔球―― 打てるモンなら、打ってみやがれってんだッ!!』

 ―― べべべべべべべん!
 勝ち誇るかのように掻き鳴らされる弁辺の三味線の音は、反撃を期する勇壮なときの如き響きを孕んでいた。



 この土壇場で開発された新たな魔球―― 霊体である自らを分割してボールと一緒に投げ込む入魂分身魔球の登場は、妄想というマインドセットで“Zone”状態に入った横島、そして、先ほどあわやホームラン、という当たりを飛ばした冥子を連続三振に切って取ったことも含めて敗北の重苦しい空気に片足を掴まれていたジャイアンズの守護霊達と、『伝説のV9戦士』の逆転勝利を信じるファン達の心理を後押しすることにも繋がった。

 そもそも彼ら『V9戦士』達は精神体である。その意識一つで強くもなれば弱くもなる。
 ましてや、全国津々浦々のファンが勝機を強く見出し、その膨大な精神エネルギーも流れ込んでいる―― 打撃では一切期待されていなかった八幡平や、元から数合わせとしか認識されていないカキワリ選手達も然り、であった。

 外角に逸れた後、急激に落ちる―― スライダーとフォークを組み合わせたかのような二段構えの動きを見せた高速変化球が掬い上げられる。

 内懐に切れ込んだかと思うと、一気に大外に軌道を変える変則スライダーが、三遊間を痛烈に切り裂く。

 低目の一旦を舐めるようにコントロールされた快速フォークが、高いバウンドを経てセンター前に弾き返される。

 八番に入る八幡平の当たりはピートの正面を衝いていたものの、それまでとは打って変わってのつるべ打ち―― 侮る心算はなかったものの、それまで一切タイミングが合わなかったカキワリ選手達の突然の変化によって訪れた1アウト・一、二塁のピンチ―― ダブルプレイを取ることが出来なければ、逆転のランナーを背負ったまま『ワンちゃん』に打順を回してしまうというこの巨大な危機に雪之丞の背筋に冷たいものが走った。

 が、ゴロを打たせることを意識して投じられたとはいえ、最初から来る、と判っている低目の変化球を狙う事は、このレベルの選手ともなれば造作ないことである。

 雪之丞の意図を嘲笑うかのように掬い上げられたボールはライトへ方向と飛び―― 「バサラちゃん、お願〜い」この試合初の守備機会に恵まれた冥子―― 正しくは、その式神の内の一つである丑の式神、バサラによって吸い込まれた。

 よりによって、塁上にいたタカダ・シバタ・ドイの三選手も一緒くたに。



 何が起こったのか把握し切れなかったことで起きてしまった沈黙。

 一仕事やり遂げたことで浮かび上がる冥子の無邪気な笑顔とは対照的な、GS達の顔に拡がる「あ……やっ…ちゃっ…た?」の空気。

「ちょ……ちょっと待てーッ?!」―― この微妙な閉塞空間を破ったのは、他でもないアンパイアの叫びであった。
 無理もあるまい。ただでさえ非常識なこの試合を取り纏めてきたことで様々なストレスが溜まりに溜まっていた上、打球と一緒にバッターとランナーまでもが吸い込まれてしまうという事態が引き起こされたのである。
 叫びの一つや二つ上げてもバチは当たらないところだ。

「あ……あああああ、落ち着いて、落ち着いてください!!」
 表情に赤い怒りを滲ませながらライト方向に歩み寄る審判を必死に押し止める西条とおキヌ、そしてベンチから飛び出してきた唐巣。
 アンパイアの気持ちは判らなくもない。下手をすると、この場で没収試合になっても不思議ではないほどだ。
 だが、至近距離で警告を発したり、退場を宣告することで冥子を刺激してしまっては、まず間違いなく暴走してしまう。そして、その暴走に一般人でしかないアンパイアが巻き込まれてしまうという大惨事もまた、避けなければならない。

 さもなくば、この試合を通じて剥がれかけてきた横島の『魔族の手先』というレッテルはGS全体に改めて貼り付けられてしまいかねないのだ。

「そんな訳に行くか!ちゃんと退場させなければ!!」
「退場自体は吝かではありません!しかし、近くで宣告するのだけは止めてください!生命に関わりますッ!!」
 西条の本音の一言に、アンパイアの怒りが急激に醒める。
「……本当に?」
 醒めた頭で念を押すアンパイアに対して、沈痛な面持ちの頷きが三つ、返ってきた。

「先ほどのプレイについて、報告いたします!」アンパイアの声が、マイクを通じてドーム球場全体に響く。
「六道選手の行為は悪質な走塁妨害であるとみなし、六道選手に退場処分を宣告します!そして、ドイ選手の打球につきましてはボールデッドとなった地点から鑑みまして、エンタイトル・ツーベースとして処理します!
 よって、タカダ選手のホームインが認められた上、1アウト二、三塁の状況で試合を再開いたします!!」

 下った裁定―― 没収試合もありえただけに、少し甘いと見て取れる裁定ではあるが、観客席から上がる不服の声は小さい。
 続くバッターは当たればホームラン、という脅威の打棒を誇る『ワンちゃん』であり、その後にも『チョーさん』が続く。
 完膚なきまでに打ち砕いて勝利をもぎ取ってこそ勝利には価値があるのであり、没収試合によって勝ちが転がり込んでも価値は薄いということ。そして、それが実行出来る打順である、ということが観客にも判っているのだ。

 しかし、没収試合を回避したとなると、根本的な問題が浮上する。
「で、代走は?」
 そう―― 代えの選手が、いないのだ。
 如何にカキワリ扱いであるとはいえ、実際にカキワリを使うわけには行かない。
 たとえカキワリが認められたとしても、守備に至ってはセンターとレフト、セカンドが抜けてしまっている。
 漫画ではあるまいし、そんな守備が成り立つはずもないのだ。












 だが、この場合は―― 現実の方が漫画よりも遥かにタチが悪かった。


『心配いらねぇ、オイラに任せてもらえりゃ充分ってなもんさ』
 言うが早いか、弁辺は念を込める。
 ―― ボールに魂を込めること。それは即ち、自分の魂そのものを分割してボールに宿す、ということ。
 ましてや、ボールから漏れ出た魂も形と為し、ボールの分身とする、入魂分身魔球を編み出す事が出来た今となっては、自分の分身を作ることなども造作ないこと。

 理屈など因果の彼方に放り捨てたかのような、得体の知れない根性論の極み―― そして、その魂の燃焼から生み出された光の中から、四人の弁辺が生み出される。

 あまりの非常識ぶりに、アンパイアはちょっとだけ―― 泣いた。



 『―― 選手の交代をお伝えします!ヨメウルスーパースターズ、サードランナー・シバタに代わりまして、弁辺・分身一号!セカンドランナー・ドイに代わりまして、弁辺・分身二号!』
「うわぁ、ホンットに非常識ねぇ」アンパイアも泣き出すその光景、そして、アナウンスのシュールさを、三塁側ベンチの奥で張りのある声がややうんざりとした口調で断じる。
「―― でも、あっちの非常識にいちいちペースを乱す必要なんかない。
 出し惜しみなしで行っていいわよ、横島クン!!」
 真新しいジャイアンズのユニフォーム……男向けに仕立てられているそれに無理矢理押し込まれた豊かな双峰をたゆませ、亜麻色の髪の美女が言う。
「そ、そうっスかッ!
 つまり、それは、この試合に勝ったら下着くれるか身体預けるか時給上げるかのお墨付きということで―― 」
「死んでしまえッ!!」
 右ストレートが横島の顔面にめり込んだ。

 が、半殺しの目に会う横島を無視するかのように、アナウンスは流れ続ける。
 『続きましてゴーストスイーパーズの守備の変更をお伝えします!
 ピッチャーの伊達選手がショート。ショートの“ポチ”選手が入れ替わりまして、ピッチャー。
 そしてライトフィールダー、六道選手に代わりまして、美神……令子選手が守備につきます』
 そのアナウンスが響くと共に、裁定が下るまで引き上げさせられていた三塁側ダグアウトから改めて守備につく九人。
 中でも、再びマウンドに上がる横島と、大騒動を起こしてしまった冥子に代わる美神に注目が集まるのは当然のことではある。
 だが、美神の美貌と横島がなぜかふらついている事に対して注目が集まる余り、横島が三塁ベース脇を通ったその時、右手から何かがこぼれた事に対して気付く者は―― 一人としていなかった。
 世間ではお題企画が真っ盛りだというのに、その流れに逆行するかのようにこんな馬鹿話を書いてしまいました。
 なお、改めまして申し上げますが……このSSはフィクションであり、作者は特定の球団を貶める心算はありません。いや、多分。
 今度こそ日本シリーズに間に合うかどうか……うーむ(悩)。

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