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【DS】タマモ、スクールライフに憧れる? の段

 随所に植えられた桜はちょうど満開で、ハラハラと花びらが散っている。そんな光景を見ながら、
「日本人って、やたら桜が好きよね〜……そりゃ、見ててキレイなのは分かるけどさ」
 私が昔“玉藻前”だった頃も、日本人は桜好きだったっけ……と、断片的な記憶と照らし合わせながら、タマモはさして面白くも無さそうに呟いた。
 視線を正面に向けると、そこには静かに舞い散る桜とはうって変わった喧噪がある。未来に胸をときめかせる若者達、彼ら彼女らに話しかけようと躍起になる、何やら旗指物を掲げたこれまた若者達。そして、タマモの背後にはデカデカと『入学式』と書かれた看板…………

 タマモは、学校に来ていた。





 『タマモ、スクールライフに憧れる? の段』 Written by いりあす




 話の起こりは、時を遡ること約半月。横島やおキヌの通う学校が春休みに入る少し前のことである。

「やったやった〜〜! 合格でござるよ、ごーかく!! これで、一年間だけとは言え先生と同じ学校に通えるでござる〜〜〜!!」
 いつにも増して物凄い勢いの、日常の市街地の中でなら某顎長のドイツ人レーサーが搭乗する最新鋭のF1マシンにも勝てるんじゃないか? っていうぐらいの勢いで駆け戻ってきたシロが、美神事務所の敷居をくぐるやいなや大喜びでエントランスを舞台に踊り回っていた。なお、彼女の右手に襟首を掴まれたままここまでやって来たらしい横島は、駅にして2つ3つ分の距離を引きずられたせいかボロボロである。いや、本人もさることながら一張羅の学ランが…………

「あ〜、分かった分かったから、おめでとうおめでとう」
「シロちゃん、おめでとう! サンポも我慢して、頑張ってましたからね」
 騒ぎを聞きつけて出迎えに出てきた美神とおキヌの二人も、それぞれの流儀で祝福の言葉を投げかけてくれた。もっともおキヌちゃんの方は、視線はシロとボロンチョになった横島の両者を行ったり来たりしているのだが。
「……やれやれ、これでシロの受験騒ぎともおさらば、かあ」
 そんな光景を、タマモはリビングから顔だけヒョイと覗かせながら独りごちた。


 3学期も半ばが過ぎ、そろそろ横島&おキヌの学生組が進級する時期になった頃、実はシロは高校受験に余念がなかった。もちろん彼女の言い分は、
「拙者も先生と同じ学校に通いたいでござるよ〜〜!」
 というもの。見た目は中学生〜高校生ながらメンタリティは小学生か忠犬のような彼女のワガママが通った形で、“なら普通に受験して合格しろ”という形で美神が譲歩したのが始まりである。それから一ヶ月、ガラでもない学校の勉強をシロが必死こいて続け、試験終了後は終了後で夜ごとシロがどこかで摘んできた花の花びらを一枚ずつ取りながら、
「試験に受かってる〜〜、落ちてる〜〜、受かってる〜〜、落ちてる〜〜、受かってる〜〜……お、落ち……のぉぉぉぉぉ〜〜〜!!」
 などと苦悩する毎日。別に高校生活に興味のあるでもない同室のタマモに多大なご迷惑をおかけしたのだが、どうやら陰気な騒がしさとは無縁になりそうだ、とタマモはボンヤリと考えた。



「ではっ! 拙者、里の長老達と父上の墓前にに合格の報告に行って参るでござるっ!! 明日の朝には戻りますゆえ、それではっ!!」
 そして、大喜びが終わって少し冷静になり、改めて事務所のメンバーからお祝いの言葉をもらったシロは、続いて故郷の面々にこの話をするべく事務所を駆け出していった。あの爆走ぶりからすると、ひょっとすると警察のネズミ取りに引っかかって叱られるかも知れない……が、運転免許なんて持っていないシロには関係のないことである。
「ふ〜〜、受験のフラストレーションから解放された途端あの元気……何とかならないもんかしら」
「ま、まあ合格して嬉しいって気持ちは分からないでもないんスけど」
 事務所に常にワンセット置いてある着替えの私服(除霊で服がダメになることが往々にしてあるからだ。もっとも、この服もいつもの私服と同じGジャンとGパンなのだが)を着込んできた横島が、妙にパリッとしたノリ筋を指でいじりながら答えた。なおこの備え付けの着替え、時々おキヌが私室に持ち込んでいるという人工幽霊の目撃情報がある…………が、詳細は黙秘されている。
「横島さん、一年間慌ただしくなると思いますけど、シロちゃんのことをお願いしますね」
 二人にお茶を出しながら、おキヌは横島をねぎらうような慰めるような笑顔を浮かべた。
「よかったじゃない、毎日シロに引っ張ってもらえば遅刻が減るわよ」
「その分生傷だらけになって、保健室にいる時間が増えるよーな気もしますけど……」
 どーにかこーにか3年生に進級できたのはいいが、4月からの学校生活を思うとホンの少しだけ気の重くなる横島である。



「ねえ美神、ちょっといい?」
 そんなこんなでシロを送り出してまったりしていた三人のところにヒョイと顔を出したタマモ。
「ん? タマモ、どしたの?」
 お茶請けの水ようかん(それも都会で売っているカップ入りの物ではなく、紙箱の中で板状に流したものをカットした田舎風のタイプである)を食べながら、三人が彼女の方を一斉に向いた。
「ん〜……ちょっと、相談したいことがあって」
「……給料アップの相談なら、時給ベースで5円以内までしか上げないからね」
「別に美神相手に春闘する気は無いわよ。相談したいのは、コレのこと」
 そう言ってタマモは一冊のパンフレットを三人の座っているテーブルの上に置いた。
「何よ、ブランドもんの服を買えって言うんなら……えっ?」
「え、どうしたんスか美神さん……ナヌっ!?」
「ええっ!? た、タマモちゃん、これって……?」
 タマモが差し出したのは、何と学校のパンフレットだった。
「見ての通りよ。行ってみたい……って言うか、通ってみたい学校があってね」
「そ、そりゃ学校だってのは見れば分かるけど……」
「な、な、何の冗談だよコレは……」
 しれっと相談を持ちかけるタマモに対して、三人の視線はパンフレットに釘付けだった。なぜなら……

「タマモちゃん、これって……“大学”じゃないですかぁぁぁ!?」
 彼女が差し出したのは高校ではなく、都内の総合大学のパンフだったからだ。


「ま、話を聞きましょーか。フツー、高校を卒業してから大学に入るモンだってのは承知してるはずよね?」
「別に高校出なくても、大検を通ったら大学を受験できるって聞いたことがあるけど……ま、いいわ」
 そう言って彼女は大学の紹介パンフレットをパラパラとめくって、あるページを開いて三人の前に差し出す。
「……文学部の教授? このオッサンがどうかしたの?」
「あ! 見てください美神さんに横島さん! この先生の研究テーマ……」
「“白面金毛九尾の狐の伝承とその周辺”……タマモの前世の研究か!?」
「そーゆーこと。私の前世の研究なんて、気になるじゃない」
 横島の分の水ようかんをバクバク食べながら、タマモは紹介記事の隣の写真を指でつついた。
「個人的にも興味あるのよね、私が“玉藻前”だった頃の事そのものじゃなくて、“私”の周りで一体どんなことがあったのか、とか」
「そんなモンかね? 俺は自分の前世の人生だとか、その時代の事とかにはあんま興味はねーけどな」
 大体、実際行って見てきたし。最後の水ようかんがタマモの口の中に収まるのをジト目で眺めながら、横島はそう反論してみた。
「私はシロみたいに机を並べて詰め込み式の授業を受けるなんてガラじゃないけど、大学の研究室みたいに知りたいことを調べたり研究したりするのは興味あるし。それに、こーゆーのもあるし」
 そう言って彼女が背中に垂らされたナインテールの髪の中からボロボロの巻物や古びた短冊の束を取り出した。一体どうやって収納していたのか? などと聞くのはまあヤボなのだろう。
「こりゃまた年代物ね〜。あ、ひょっとしてこれって?」
「そ、前世の私が殺生石に持ち込んだらしいのよね。古くなってるから今の日本人には読めたモンじゃないけど、こっちの短冊は雅仁親王が寄越した和歌で(昔の宮廷貴族は、短歌の形でラブレターを書くことが多かった)、そっちの巻物は多分鎮西八郎の付け文。他にもいくつか持ってるんだけど」
 なお、両方直筆だとしたら文化財入りは確実だろう。何故前世の玉藻前がこんなものを持って逃げ回ったのかは今ひとつ謎だが。
「で、こーゆーのを他の史料とかと突き合わせて、昔の私の周りのことを研究してみたいのよね。大学って、つまるところそーゆー所なんでしょ? 800年前の大学とはだいぶ違うみたいだけど」
 そう言い終えてから、タマモは横島の湯呑みも無遠慮に引ったくってグイーっとお茶を飲み干した。なおこの時、テーブルを挟んで横島の向かいにいたおキヌが「あ、間接キス……」と呟いたのはヒミツである。

「あのねタマモ、現代の大学入るってのは高校受験より面倒な大学受験ってのをクリアしないといけないし、大体受験シーズンなんてとっくに…………」
 タマモのパンフレットを手にとってパシンと閉じた美神、そう反駁しようとして……パンフレットの扉に書かれた大学の名前を見ながら眉をひそめた。
「…………あの、美神さん?」
「……どうかしたんスか?」
 パンフを見ながら何やら考え込む美神に両隣の二人が声をかけようとした時、美神がパッと顔を上げた。
「今は大学は春休みだから、行っても何もないわよ。4月になったら一度見学に行ってきたら?」
「え? 本当にいいの?」
「ま、あんたが大学で研究なり勉強なりしてみたいって言うなら、話に乗るぐらいなら構わないわ。えーと、このパンフによると……」
 と、“年間行事”のページに目を通す美神。
「4月の第一土曜日に、入学式を開催するらしいわね。とりあえずそれを見学して、大学生活がどんなモンなのか見ておくのも悪くないと思うけど」
「オッケー! 普段ケチな割にこーゆーところは気前が良いのよね、美神って」
 微妙に褒めてるのか貶しているのか分からない評価をして、タマモは部屋を出て行った。どうやって入学するかは、今のところ二の次らしい。


「…………なんであっさりOKしたんだろう、って思ったでしょ?」
 タマモの足音が階段を登っていくのをドア越しに確かめてから、美神は両脇の二人にそう尋ねた。
「は、はい、実は……」
「大学の学費なんて出さない、って言うかと思ってましたけど」
「ちょっと、大学の名前が気になってね。ちょうど、持ち込まれた案件の対象なのよ」
 そう言いながらデスクから取り出したのは、新聞のあるページである。
「あ、この記事の大学! タマモちゃんの入りたがっている大学ですよね」
「大学の研究チームが南米で調査……何スか、この記事?」
「で、本題はここから。で、こっちの資料を見て」
 と、美神は今度は一冊の紙の束を取り出した。
「何ですか、これ? 何か読みづらい字やな〜〜……えっ!?」
「よ、横島さん! これって……!」
 ざっと目を通した横島とおキヌが、一斉に美神の方をパッと見た。


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「それにしても、退屈な儀式だったわね〜〜……よくあんなノンベンダラリとした長話を聞いてられるもんだわ」
 外でボンヤリと待ってるのも何なので父兄席にコッソリ紛れ込んで入学式に立ち会ったのだが、あまりの退屈さにウンザリしていたタマモは、キャンパス内の大ホールの前で繰り広げられている部活動の勧誘合戦を所在なげに眺めていた。
「美神は『せいぜい学生や教授連中に自分をアピールして来なさい!』なんて言ってたけど、どー考えても上級生たちが新入生に対して自分達をアピールしているような構図よね、アレは。大体自分をアピールなんて、やり方がよく分かんないし……前世の私だったら、テンプテーション(魅惑術)一発でどーにかなったんだろうけど」
 タマモからすれば、どうもくだらなさを感じてしまう光景なのだ。ちなみに彼女は、『あまりラフな格好で行くと、周りから浮いて見えるから』という理由で美神から渡されたどこかの高校の制服らしきブレザーを着ていて、ハタから見ればごく普通の『新入生、もしくは大学の下見に来た高校生』に見える事だろう。
「そーいえば例の教授、どこにいるんだろ……一度、話を聞いてみたい気もするんだけど……」
 などとブツブツ言いながら、学生達にはさほどの注意を払わずにいた……のだが。


「あ、あの、お嬢さんっ!!」
「へ?」
 急に呼び止められて、タマモは思索の世界から現実へ引き戻された。声の方向を向くとそこには、
「ぼ、ぼ……僕といっしょに、“お茶”しませんかっ!?」
「……は?」
 表か裏か武者小路かは知らないが、“千家”の人達が持っていそうな茶碗に茶釜に茶筅に茶入れに……まあとにかく、茶道具一式を持った学生が、背中に『設立15年 茶道部 2F南棟』の旗を指して目を輝かせていた。
「こ……こーゆー時のお茶って、普通は喫茶店でコーヒーとかじゃないの?」
 そういう問題だろうか?
「確かに! 普通のデートなんかはそれでもいいのかも知れないけど、でも古式ゆかしき茶道には茶道のいいところがあるのだよ! 外界の喧噪や視線を気にする必要のない茶室で、お茶を楽しみながら心ゆくまで語り合う、それが茶道なのさ!」
「で、でも私、そういう堅っ苦しい作法って苦手だし……」
「それは、何でも道にして仰々しい権威づけをしたがる昔の日本人の悪いクセさっ! お茶を飲むというのはね、本質的にはお酒飲んで騒ぐのと同じ意味合いの、つまりコミュニケーションのための手段であるべきなのだよ! なのに作法が覚えられないとか正座のしっぱなしはキツイとか、そんな理由でみんな茶道を避ける! これって本末転倒じゃないかい!?」
「そ、そりゃ確かにそうかも知れないわね……」
 ちょっとばかり引き気味になりながら、自分が殺生石に変じていた間に生まれた“茶道”なるものの何たるかをよく知らないタマモはそんな風に話を合わせた。
「……そして! 茶室という閉鎖された空間に男と女! これって、ロマンチシズムとエロティシズムに満ち満ちているとは思わないかい、お嬢さん!」
「………………はい?」

 ここでやっと、タマモは自分に向けられる視線が何やら怪しげな事に気がついた。そう、なんとゆーか、春という季節にふさわしく、どことな〜く発情期を迎えた野生動物のような熱視線が微妙に含まれているのである。何というか、コレは…………

「さあさあさあお嬢さん、僕と一緒に茶道部で茶室のアバンチュールを〜〜〜っ!!」

 『あ〜、そうか……』と、タマモはハタと思い出した。
(そう言えば、道行く女性を片っ端からナンパしている横島が、ちょうどこんな感じなんだ。これって、ちょっと……ピンチ?)
 横島のようなスケベ男と日頃接している割に、その横島からそういう目で見られた事のないタマモは、自分ににじり寄る茶道部のスケベ男をどこか人事のように見つめながら、でもそれなりに背筋は冷や汗がタラリと流れていた。そして彼女の目の前で、

「お、お、お嬢さは〜〜〜〜ん!!」
「やめんかこの助平男ッ!!」
 茶道具を放り出してルパンダイブをしかけた茶道部の男は、途中で横合いからスーツ姿の学生に竹刀で叩き落とされ、地面に伸びてしまった。

「はっはっはっ、危ない所でしたねお嬢さん。全く文化部という奴は、公衆の目にさらされる事のない活動をしているから、時々こういう歯止めのブッ飛んだ奴が出てくるものさ」
 世間一般の文化部系部活動に対して色々と失礼な事を言いながら、うつぶせに倒れている茶道部員を竹刀の先でつつく男。その背中には、これまた『剣道部』の旗印を背負っている。
「でもね、ウチの学生達がこんなのばっかりだとは思わないでくれよ。誤解されたまま4年間のキャンパスライフを送らせてしまうのは、やっぱり申し訳が立たないからね」
「え、あ、どうも。でも、私は……」
 新入生はなくて、あくまで見学に来ただけなんだけど……とタマモは言おうとした。そう、言おうとしたのだが、

「というワケで、剣道部に入らないかい!? ああいう手合いを撃退する護身術を、手取り足取り教えてあげましょうお嬢さんっ!!」
「い゛!?」
 『手取り足取り』という部分にやたら力を込めて、この剣道部男は一歩進み出てタマモの手を取ろうとした。慌てて一歩下がってその手を避けるタマモ。
「あ、あのねあんた! ちょっと勘違いしてない!?」
 茶道部男とはまた違う危険を感じて、タマモは慌てて弁解を始めた。

「私は別にこの学校の新入生じゃなくって、見学に来ただけの、学校とは無関係の人間(正確には人間じゃないけど)なのよ! そんなのが部活に入れるわけ……」
「無問題!! ウチの大学の部活はね、大学内に学籍を持っていなくても入部オッケーなのさ!!」
「え゛え゛っ!? そ、そーなの!?」
 自信満々で断言されては、タマモも納得するしかなかった。


「というワケでお嬢さん! 剣道部で僕たちと竹刀で叩きあい、叩かれあいましょう! なあに、僕たちは貴女に殴られるのは平気だし、貴女が竹刀でぶたれて打ち身とかしたら、僕たちが懇切丁寧に“手当て”してさしあげますからっ!!」
「こ、コイツもかぁぁぁっ!?」
 さらにズズズイ――ッとにじり寄ってくる剣道部男に、タマモは思わず引いてしまう。ご丁寧にも、どこからともなく取り出しましたる面小手までいつの間にやら身につけている。一難去ってまた一難、危うしタマモ……と、その時。

「「「「ちょっと待ったぁ〜〜〜〜〜っ!!!」」」」
「大!? ドン・デン・返しィィっ!?」
 これまたどこか発情気味の男子学生の一同に、剣道男はひっくり返されて頭から地面に突き刺さった。多分、面があるから命に別状はないだろうが。

「お、お嬢さん! 俺達と一緒に演劇部であの千の仮面を持つ少女を目指さないかい!?」
 だが、そんなタマモが『助かった……』と一息つく暇もなく、他の男子学生達がタマモを半包囲してしまっていたのである。
「それより、我々化学部と共に、キミのような素敵な女性の放つフェロモンの謎を追究しようじゃないかっ!」
「バカヤロー、彼女は水泳部で俺達と水着姿で一緒にシンクロナイズドスイミングをするのだ!」
「こらっ! 彼女には俺達学生自治会の先頭に立ってに当局相手に学生運動の旗を振ってもらわなければっ!!」
「な゛、な゛、な゛…………!?」
 もはやワケが分からなりかけているタマモだが、脳裏で突然二つのキーワードが再生された。


 ――せいぜい学生や教授連中に自分をアピールして来なさい――
 ――前世の私だったら、テンプテーション一発でどーにかなったんだろうけど――


「ひょ、ひょっとして……私、物のはずみで無意識にテンプテーションを使っちゃったとか!? だからこの連中、発情期の犬科動物みたいな顔してるワケ!?」
 信じられない事だが、他に思い当たる節がない。さすがに臆病風に吹かれたタマモがさらに後ずさった時、男子の人垣の後ろの方で様子を見ている女子学生達の会話が何故か彼女の耳に届いた。


「ね、ね……あの金髪の変わった髪型の子、あのブレザーって凸凹院高校の制服よね」
「え? それって、あのお嬢様学校の?」
「そう、それそれ。一部の男子の間じゃそこの生徒とつき合ってるだけで物凄いステータスになるんだってさ」
「ああ……それで連中あの子を追い回してるのね〜」


「み、み、美神ぃぃぃ――――っ!!??」
 そういう要素も絡んでいるとは今の今まで知らなかったせいもある。とにかく、タマモは悲鳴混じりで思いっきりジャンプして微妙に野生化した男どもの壁を飛び越え、そのまま走り去っていった。その時、彼女のブレザーのポケットから何かが地面にこぼれ落ちた。
「「「「ああっ、待ってくれ〜〜〜〜っ!!」」」」
 そして、それを追って男子学生諸君も駆け出していった。

 後に残されたのは、彼女の着ていた制服から落っこちた……“魅”と文字の書かれたビー玉のような物体――言うまでもなく、横島自慢の霊能力・文珠である。




 さて、そんな入学式直後の騒乱を物陰から見ていた一組の人影。
「……ちょっと、文珠が効き過ぎてませんか?」
「う゛〜〜ん……ひょっとして、文珠の作用でタマモの魅了術が発動してしまったのかも知れないわね〜……ま、文珠の効果が切れればそのうち魅了術も解除されると思うけど」
 そこにいたのは、黒ずくめの服装にサングラス姿の横島と美神の二人である。美神に至っては髪型隠しなのか、ほっかむりまでしていた。ついでに横島の傍らには、恐らくカモフラージュ用と思われる『光画部』の旗まで立ててある。
「それにしても横島さん、よく自制できましたよねえ」
 二人の後ろから感心したように言ったのは、何故かいつもの巫女服姿で、地面の上20〜30センチぐらいのところをフヨフヨ浮かんでいる――つまり、幽体離脱している――おキヌであった。
「やっぱり、文珠の効果は横島さんには効かないんでしょうか?」
「それもあるんだろーけど、どうも俺ってタマモをそういう目で見づらいんだよな、うん」
「……何よ、それって」
 タマモもシロも充分横島の“守備範囲”内だろうと思っていた美神が、少し疑わしげな訊き方をした。
「おキヌちゃんは、タマモに初めて出会った時の事を覚えてるだろ?」
「確か……自衛隊と美神さんに追いかけられてましたよね」
 「う゛っ……」とうめく美神の横で、おキヌは少し考え込んでからそう答える。
「そうなんだよな〜。俺にとってはタマモって、まず最初のイメージが“追われて怯えている子狐”から始まったわけだろ? だから、初対面の時“お子様”だったシロとおんなじで、アイツを“女”として認識しづらいんだよ……出会ってから徹頭徹尾“色気丸出しのイケイケねーちゃん”だった美神さんと違って」
「誰が色気丸出しよっ!!」
 大真面目な論評は、美神が頭頂部目がけて振り下ろされた渾身のヒジ打ちで中断させられた。

「そんな事より、連中がタマモを追い回している間にチャッチャと回るわよ? 別に、あの子が困ってる所を見物しに来たんじゃないんだから」
 タンコブを作ってうずくまっている横島や、『わ、私はどうなんだろ……私、初めて出会って時横島さんを身代わりにしようと……あ、でもその前に色仕掛けしたし、後で押し倒されたし……』とブツブツ言っているおキヌに美神は呼びかけた。
「そ、そうっスね……悪いけど、タマモにはダシになってもらいますか」
「シロちゃん抜きですけど、うまくいくでしょうか?」
 そんな美神の呼びかけに、それぞれの意味で現実に戻ってくる横島とおキヌ。
「シロは横島クンの高校の新歓コンパに出てるんでしょ? どっちかと言うと、横島クンを誘わなかった事の方が驚いたわよ」
「……コンパの参加費が払えないって言ったら、あっさり納得されました」
「そ、それはちょっと悲しいですね……色んな意味で」
 おキヌがしみじみと言ったのは、おそらく“横島には金がない”という点と“美神がコンパの参加費を出してくれない”という点の二つを共にシロが納得しているという事なのかも知れない。
「それにね、こういう潜入系の仕事にはシロもタマモもあんまり向いてないから」
「まして今回の一見、“奴”が絡んだ案件だからな……」
「……“アシュタロス”さん、ですか……」


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 再びタイムテーブルを巻き戻して、タマモから相談を持ち込まれた直後の美神事務所の一室。
「あの大学の連中がアシュタロスのアジト跡を探ってるって、本当ッスか!?」
「まず間違いないと見ていいわ。ヒャクメの情報ともほぼ一致しているし」
 新聞に書かれた記事は“研究チームが南米奥地にて学術調査を実施した”という簡潔なものだったが、地図に描かれた地点はヒャクメのくれたアシュタロスの南米秘密基地の座標とほぼ一致していた。
「それにしても、神族や魔族の調査団が見つけていなかったものを日本の研究チームが見つけてしまったんでしょう? それって……」
「『神魔族の手落ちじゃないか』って言うなら、私も言いかけたわよ。それに対するヒャクメとワルキューレの反論はこう」

『そりゃ確かに人間の平均的な能力は神族や魔族に比べたらずっと下だけど、だからといって神魔族にできない事が人間にできるわけがないって事じゃないのよね〜』
『確かに身体能力や霊力・魔力・法力の類で人間が我々の上を行く事は難しい。だが、内面的な分野……例えば判断力・直感・あるいは演繹能力で我々より優れた力を発揮した人間は決して珍しくはない。例えば……そうだな、近世ヨーロッパの天才・レオナルド・ダ・ビンチなんかはそうした神魔族顔負けの頭脳の持ち主だったりする』
『だから、神魔族が見つける事のできなかった極秘のアジトを人間が見つけたっておかしくはないのよね〜。特に現代の人間のテクノロジーは侮れないレベルにまで発達してるから』

「……というわけ。ちなみに、アシュタロスの未発見拠点を最初に見つけたのは“村枝商事・ナルニア支店”のプロジェクトチームだったようね」
「…………あの親父、どこまで商売の手を広げてんだ……」
 金に鼻が利くという点では、大樹と百合子の夫婦は美神令子すら超えているのかも知れない。
「まあそれはともかく、手持ちの情報だけじゃ件の大学の研究チームがアシュタロスのアジトで何を見つけたのか、調査しなくちゃならないのよ。で、この報道データによると、調査結果が日本に持ち帰られるのはちょうど入学式の二、三日前の予定みたいね」
「じゃあ、その大学に調べに行くんですか? でも、それって……」
「令状を用意して強制捜査、というワケにはいかないわね。となると、入学式で学校全体がテンヤワンヤになっている隙にちょっと調べさせてもらう事になるわ」
「や、やっぱり……」
「ま、そういう事だから連中が入手した“アシュタロスの遺産”がどーゆーシロモノなのか調べる必要があるわ。例えば逆天号やコスモ・プロセッサのような危険な物の設計図やサンプルでも残っていたなら、破棄しなきゃなんないし。それに……」
 そこまで言ってから、美神は横島の方をチラッと見ながら言い淀んだ。
「? それに、何です?」
「もしも、もしもの話よ? アシュタロスのアジトに残っていたのが魔族や眷属の育成施設か何かで、万が一そのデータやサンプルが残っていて、それが日本に持ち込まれたり……え〜と」
「美神さん、そこまで遠回しに言わなくても分かりますって」
 言葉を選びえらび説明する美神を、横島が止めた。
「そこにルシオラ達のデータなり何なりがあって、それを手に入れたらアイツを助けられるかも知れない……って言うんなら、調べてみる価値はありますから。まして、それを悪用しようとしてる連中がいる可能性も考えると、ますます放ってはおけないでしょ」
「え、ええ……そうね」
 ボリボリと頭を掻きながら意外と落ち着いた感じの横島に、女性二人は若干感心したものである。


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「い、いないぞ!」
「どこへ行ったんだ、彼女は!?」
「あっちかも知れない!」
 男子学生の一団が向こうへ走り去っていった事を目で追ってから、タマモは安堵のため息をついた。
「…………ふう、助かった……こんな所に変な像があったのは幸いだったわね」
 ここは大ホールから少し離れた所に位置する“芸術学部”の前庭である。そこには学校関係者とおぼしき一つの像と、それを先頭とする形でズラリと並ぶハンドメイドとおぼしき像のような物の列があった。で、タマモは男子たちの目から逃れるべく像の一つに変身して、彼らをやり過ごす事に成功していた。
「それにしてもおっかしいな〜、なんでテンプテーションなんて使っちゃったんだろ……やり方なんて忘れちゃったはずなのに……」
 そうボヤキながら変化を解こうとして……また独りの男性が歩いてくるのを見て慌てて元のポーズに戻った。タマモの今の姿は、彼女の好きなテーマパーク・デジャブーランドのマスコットキャラ……そう、マニーキャットである。

「? ……………………」
 少し首をかしげながら像の列(タマモ含む)を眺めている学生は、タマモの目にはあまり特徴のない男に見えた。強いて言えば、『ギザギザした男』だったとでも形容できただろうか。
「どうやって、そんなに上手にカモフラージュしたのかは訊かない事にするけど……」
 そう言いながら、そのギザギザ学生は像の列に歩み寄り……手前から二番目の像、つまりマニーキャットの像の前で立ち止まった。
「少し冷静になって眺めていると、このマニーキャットは“ニセモノ”の像だってすぐバレるんだよ」
「!」
 むろん、ここで声を上げるほどタマモはうかつではない。が、背筋を冷や汗がツツツ――っと流れるのは止めようがなかった。
「ここの像はね、一番手前の像がここの大学の創設者にして理事長兼学長の高松って言う人のブロンズ像なんだ。で、その隣に学生達が順繰りに色々なパロディの像を建てて現在の“像の街路”が出来上がったんだよ」
「…………」
 彼の目に止まらないようにタマモが目を横にチラリと動かすと、確かに先頭のその像だけがブロンズ像だった。その意匠は、何かを指差す学生服姿の青年とその隣に立つセーラー服姿の少女のものである。
「で、その像の隣に並んでいるのが、歴代学生達の有志――通称“高松先生像愛好会”――による色んな“高松先生像もどき”なんだ。そして、制作年代順に次々と据え付けられて、今後も増えていく事なんだろう。ここまではいいかな?」
「………………」
 もちろんタマモのマニーキャットは答えない。それに構わず、ギザギザ男は話を続ける。
「さて、デジャブーランドというのはあれで版権や肖像権にうるさくてね。こんな大学の校内にランドのマスコットキャラの像なんかが建ったりしたら黙ってはいないものなんだ。まして高松先生像の隣に建っている像というのは、ここの大学が開学して、その銅像が建てられてから最初の像……少なくとも、何年も前の像だという事になる」
「……………………(汗)」
「つまり!!」

 バン!!
 どこからともなく現れた長机に、ギザギザの人は両手を叩きつけた。そして、すかさずタマモに人差し指を突きつける!!

「そんな場所に、マニーキャットの像が建っているのは、明らかに“ムジュン”しているのですっ!!」
「なんですってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
 綺麗な突っ込みに思わず悲鳴を上げてしまったタマモ、そのはずみで思わず変化まで解いてしまった。

「それにさ、ホラ。他の像には必ず立て看板がついているのに、君が化けていた像には看板がついていない。これもムジュンだよね」
 そう言って彼が示した先をタマモが見ると、確かに像にはそれぞれ立て看板が手前に置かれていた。例として学長像モドキの一つのそれを読んでみると、こんな具合に。

「『高松先生は本大学きっての傾奇者として本校の創設に尽力し、本校に上ナシの校風を築くために多大な功績を残した人です。どうかこの像に向かってお尻ペンペンをしないで下さい』……何よ、コレわぁっ!?」
 一つとってもかくの如しである。よくよく冷静にこの像の街路を眺めると、色々とシュールな気分になる事だろう。


 などと固まってしまったのが運のツキ。彼女を見失って戻ってきた発情男子学生軍団は、タマモの姿を再び見つけてしまった。
「あ、いたぞ〜〜! あんな所にっ!」
「わ〜〜〜い! 探しましたよお嬢さんっ! さあさあさあ、僕たちと一緒にめくるめく部活動の日々を送ろうではあ〜りませんかっ!!」
「いっそのこと、僕らの部に交代交代で通ってくれるだけでもかまいませんっ!!」
「わ゛〜〜〜〜〜〜っ!!?」
「…………あ゛」
 物凄い勢いで駆け戻ってきた人の波に、今し方タマモの変化を見破った学生ははるか彼方へ吹っ飛ばされてしまった。そして、硬直していたタマモが我に返って逃げ出す暇もなく、彼女は今度は完全包囲されてしまった。
「ま、マズいわ……これってもしかして、乙女のピンチがエス・オー・エス!?」
 いっそのことこの場の全員狐火でコンガリ燃してやろうか……そんな物騒な思考さえ脳裏をよぎったそんな時。

「ちょっとあなた達! 女の子一人取り囲んで何やってんのよっ!!」
 救い主は、少女の姿をとってやって来た。
「ったく、新入生の可愛い女の子を部活に誘いたいのは分かるけど、それは少しやり過ぎ! 青春はもっと相手の気持ちを思いやってこその青春じゃない!?」
「わ、私もそうやって女の子を困らせるのはどうかと思うんですけど……」
 男子達とタマモが声の方向を向くと、そこにいたのは二人の少女である。が、二人ともセーラー服を身に纏っている姿は大学生のものではなく、恐らくは高校生だろう。そのうち一人は髪を三つ編みにまとめた少しグラマラスな少女であり、もう一人は腰まで届くストレートな黒髪に、何故か木の机を背負った少女である。

「大丈夫だった、あなた? 全く高松君ったら、学生達にどーゆー教育を……って、あれ?」
「タマモちゃん……よね? どうして、こんな所に?」
「えっと……あ! ひょっとして、横島の学校の……愛子に小鳩、だっけ?」
 タマモに助け船を出したのは、何と横島のクラスメートの机妖怪・愛子、そして横島の隣人兼後輩の花戸小鳩の二人だった。

「な、なんであんた達がこんな所に? ひょっとして、横島に頼まれたとか?」
「いえ、その質問は私たちがしたいんですけど……タマモちゃん、ここの新入生? 高校を飛ばして大学なの?」
「え゛……あ、そういうんじゃなくって、ただの見学よ、見学」
「あ、そうなんですか? 実は私もここの大学の教育学部が第一志望で、ちょっと見学に来たんですよ……学費が用意できれば、再来年の春に受験するつもりなんです」
 珍しく貧乏神を連れていない小鳩は、そう言ってニッコリ笑った。その言葉が、チクリとタマモの胸に刺さる。目の前の貧乏少女が苦学してこの大学に入る事を夢見ているって言うのに、自分はほんの気まぐれで特定のゼミに入りたいと言いだしたのだ。いささか、小鳩に対してバツの悪さは拭いきれない。

「ちなみに私は、ちょっとここの理事長に用事があってね。理事長の高松君って私の昔の知り合いなんだけど、彼に相談したい事が一つ二つあって……」
「あ゛あ゛〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!」
 愛子が自分の事を説明しようとした時、さっきのギザギザな学生が彼女を指差して素っ頓狂な声をあげた。
「へ?」
「あ、あ、あ、あなたは! も、も、も、もしかして……愛子さんっ!!??」
「え? ええ、確かに私は愛子だけど……何でそれを?」
 急に名指しで呼ばれたので、つい真っ正直に答えてしまった愛子。
「た、確かにその像そっくりの愛子さんだ……」
「!?」

「愛子って、あの愛子?」「その愛子さんらしいぞ……」「ホラ、学長の像そっくりだ……」ザワザワ、ガヤガヤ…………
 タマモのテンプテーションの効果が薄れてきたのか、周りの学生達の視線はタマモから愛子へ移り始めた。
「ど、どうしたの? な、なんで私のことを……」
「あ、ひょっとしてこの像のせいじゃない?」
 あることに気付いたタマモが、さっき自分が化けていた場所の隣に鎮座まします“本物の高松先生像”を指差す。そこに描かれている像は、“愛子と一緒に何かを見据える若き日の高松”の像だった。そして、その足元の立て看板は、こういう文言だったりする。

――『高松先生は本大学の理事長兼学長として本校の創設に尽力し、本校に何でもアリの校風を築くために多大な功績を残した人です。どうか高松先生と愛子さんの青春のメモリアルを汚さないで下さい  大学事務局』――

「あ、俺聞いた事があるぞ! いつかこの学校にやってくる愛子さんのハートを射止めた奴は、首席で卒業させてくれるらしいぜ!!」
「は、はいぃぃぃぃ!?」
 トンデモない事を言われて、さらに素っ頓狂な声をあげてしまう愛子。彼女を取り巻く視線は……目の色が瞬時に変わった。
「ほ、本当に来てくれるなんて……」
「し、しかも可愛い……」
「お、俺こんな彼女が欲しかったんやあああ!!」
「え? あの、ちょっと!? わあああぁぁっ!?」
 慌てて脱兎の如く駆け去ってゆく愛子。その後を、男子学生達が一斉に追いかけていった。
「愛子さぁぁぁぁん!! 僕と一緒に茶道部でお茶しましょう〜〜〜〜!!」
「いや、それより水泳部で俺達の水の妖精になってくれ〜〜!」
「我々野球部のマネージャーになって、一緒に神宮を目指して下さ〜〜〜いっ!」
「な、なんでこうなるのよぉぉぉぉぉ…………」


 そして、その場にはタマモと小鳩の二人だけが残された。
「は〜あ、なんであんなにくだらない事ばっかりやってられるのかしらね……あの連中」
「そうですか? くだるとかくだらないとかはともかく、ああやって他愛のない事をして笑っていられるって幸せな事じゃないかなって、私はそう思いますよ」
 少しゲンナリした調子でボヤいたタマモの横で、小鳩はやんわりと言った。
「私は貧ちゃんがまだ普通の貧乏神だった頃はお仕事で生活費を稼ぐので精一杯で、学校に通う事もままならなかったし……授業は何とか受けられても放課後にクラスメートとお話しする機会なんて全然なくって……ああやって、部活に誘ったり誘われたりするのって、ずっと憧れていたんですよ」
「……そうだったんだ」
 タマモは彼女が物凄く貧乏だった頃の事を知らない。タマモにとって小鳩は、ちょっと胸だのどこだのの発育のいい、ちょっとおっとりした横島の隣人という認識しか持っていなかった。だから、彼女がああいうくだらない事に対して憧憬を抱いているというのは、すこし意外だった。
「愛子さんも同じですよ。あの人は妖怪だから、学校生活にずっと憧れていてもそこに入ることが出来なくて……GSに追われながら、机の中に引き込んだ学生達と学校ごっこばかりしていたんですって」
「ふーん…………」
「だから、ああやって現実に学生達とくだらない追いかけっこをしていられるのは、愛子さんにとって幸せなんじゃないのかな、って思うんですよ。愛子さんの事だから、あのくらいはヘッチャラだと思いますし、ね」
 小鳩の、恐らく彼女としてはさほどのつもりはないであろう一言は、ホンの少しだけタマモの心に触れるものがあった。
「他愛のない事で笑っていられるのは幸せ、か…………」
 確かにそうだ。もし自分が横島とおキヌにかばわれる事がなかったら、自分は死んでいたか、良くて自衛隊やGSに追いかけ回される毎日だっただろう。シロとくだらないケンカをする事もなかっただろうし、毎日毎日きつねうどんやいなり寿司の味にイチャモンをつけている暇など無いだろう。だから、学校に通ってバカな事をしながら日常を過ごせるというのは、自分を客観的に見てみると悪くない境遇なのかも知れない。

「ね、小鳩」
「なに、タマモちゃん?」
「今の学校生活って、楽しい?」
「はい、とっても楽しいですよ? クラスメート達がいて、横島さんがいて、愛子さんやピートさんにタイガーさん、それに今年の春からはシロちゃんまで一緒なんですから」
「…………そっか」


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「この本ね。残留魔力があるから、間違いないわ」
 あちこちの学部の研究棟を必死で探し回った末に美神・横島・おキヌの三人がたどり着いたのは、何と文学部の研究室だった。
「理工系かと思ってましたけど、結局文学部ッスか……ちょっと意外でしたね」
「あり得ない線じゃないわよ。これが法学部や経済学部だったらもっと驚いたわ」
 と言う具合で三人が見つけ出したのは、一冊の年季が入りまくった本である。
「この本、アシュタロスさんの物だったんでしょうか?」
「多分ね。問題は、この本に何が書かれているかなんだけど」
 そう言いながら、本を壊さないように慎重に開く美神。その中身を、横島とおキヌがのぞき込んだ。

「…………読めませんね」
「何て書いてあるんですか、これ?」
「わ、私に言われたって、こんなの読めないわよ」
 本のページに書かれていたのは、見た事もないような文字の羅列だった。
「魔族の文字……かしら? 多分ここの連中、この字を解読するつもりで日本に持ち帰ったのね」
「できるんスか、この文字の解読なんて?」
「見た感じ、古代メソポタミアのくさび形文字の原型みたいな字ね。アシュタロスは元々古代オリエントの神々の一人だったって話だから、その言語の原型ってところかもね」
「それで、結局何を書き残したんでしょうか?」
「問題はそれね。横島クン、文珠は用意できてる?」
 そう言いながら、美神は横島の顔の前に手の平を突き出す。言っている事は疑問文だが、手振りは「さっさと出しなさい」という命令形だ。
「ああ、文珠で意味を読むんですね? じゃあ、“読”でいいかな……はい。それと、おキヌちゃんの分も」
「……なんでおキヌちゃんの分までいるのよ」
「おキヌちゃんも興味あるだろ? この本の内容」
「あ、はい! ありがとうございます、横島さん!」
 美神が何か言うより先に、おキヌが文珠を嬉々として受け取った。そして二人に文珠を渡してから、横島は三つ目の文珠を取り出す。
「それじゃ、読んでみますか。内容によっちゃ、大学に掛け合ってこの本を引き取りませんと」
「あんまり面倒な内容はカンベンして欲しいわね……買い取るのが高くつくから」
 そして、文珠が三つまとめて発動し、淡い光を放つ。

 しばらく読み進める間に、三人の顔色は次第に変わり始めた。
「み、美神さん……これって……」
「そ、そうね…………」
「こ、こ、これは……」
 三人がパッと顔をあげ、それぞれの顔を見合う。その表情は引きつり、肩は細かく震えていた。


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「「「すみませんでした〜〜〜っ!!」」」
 タマモは、先ほどまで自分や愛子を追いかけ回していた男子学生達から一斉に謝られていた。
「まあこんな塩梅だからさ、この子たちのことを許してあげたら? タマモちゃん」
 男どもをどうにかこうにか平静にもどしたらしい愛子が、苦笑しながらタマモに取りなした。
「あ、あんまり手荒な事をしちゃ……ダメですよ?」
 少しだけオロオロしながら、小鳩は小鳩らしいなだめ方をする。そんな光景を目にしながら、タマモはどちらかというと別の事を考えていた。

 この連中も、受験とかいう面倒な事をクリアしてここに来たのよね。
 高校生活のかなりの部分を受験勉強に費やして、色んな事を我慢して。
 そういう競争を勝ち抜いて、ここの学生になったって事なんだろうな。
 だったら……少しぐらい学生生活を楽しく過ごそうとしても、そりゃバチはあたんないか。
 美神のコネとか幻術とかで手っ取り早く入学しようと思ってたけど……その方がよっぽどバチ当たりか。
 って言うか……ひょっとして今日追いかけ回されたのは、横着な事考えたバチみたいなものなのかも、ね。

「それじゃあ……一つだけ条件を呑んでくれたら許してあげてもいいわ」
 腰に手を当てて少し挑戦的な視線を男子学生に向けてみる。横で見ている愛子と小鳩の二人が、少しだけ緊張気味にタマモと彼らを交互に見つめていた。
「いつになるか分からないけど、もし私がまたここに来る事があったら……その時は、もう少しお手柔らかにね? あんた達」
 少し斜に構えた言い方でニヤッと笑うと、男子学生達はパッと明るくなった。
「あ、ありがとうお嬢さんっ! 今度会った時は、一緒に野点を楽しみましょう!」
「またそれか! 困った事があったら教えてくれ、竹刀持って助けに行くからな!」
「いつか、新しい“高松先生像”を一緒に作りましょう!!」
 またやいのやいのと言い出す男子達。が、今度の彼らから発情期のニオイを感じる事は、もう無かった。





「は〜〜……思いっきり叱られちゃいましたね」
「あんたが悪いのよ横島! あんたがあんなバカ声出して大爆笑するから気付かれたのよ!」
「そ、それを言うなら美神さんこそ最後まで笑ってたやないですかっ!?」
 結局不法侵入がバレ、大学当局から油を絞られた三人がトボトボと帰途についていた。
「それにしても……なんであんな本をとっておいたんでしょうか? アシュタロスさんは」
「そうね……ああいうのって何となく、人に見せたくはないけど処分するのももったいなく思えちゃうものなのよ、きっと。多分、見られても誰も読めないとか思ってたのかも知れないわね」
「思いっきり読んじゃいましたけどね……あの………………ポエム集」

 そう、三人が見つけた謎のアシュタロス手記の正体は、どうやら彼が何百年何千年もかけて書きためてきた“ポエム”やら“歌”やら“エッセイ”やらのより抜き傑作集か何かだったらしい。それを読んでしまった三人は腹を抱えて笑い転げてしまい、挙げ句大学の事務員さん達に見つかってしまった……という次第である。

「で、アレどうします? 研究チームに掛け合って、引き取りますか?」
「そんな必要ないでしょ。せいぜい未解読文字の貴重な資料として、ゆっくり解読させておけばいいわ」
「でも、きっと楽しく調べてもらえると思いますよ? ああいう内容の本だったら」
 そんな他愛のない事を話しながら、三人は事務所への道を歩いていた(もっとも、一人は浮いているのだが)。


「あれ? 美神さんに横島さん、それにおキヌちゃんも? どうしたんですか、こんな所でそんな格好で」
 そんな三人に投げかけられる声。聞き覚えのあるその声に横島達が振り向くと、確かに見知った顔が……二つ。
「え? ああ、小鳩ちゃん……にタマモ? なんで一緒に?」
 そこにいたのは、ニコニコした表情の小鳩と、少し顔をヒクつかせたタマモの姿であった。
「ちょっとね。それより美神、どーゆーつもりで男どもからターゲットにされるような服を私に着せたわけ!?」
「え、ええと……ホラ、アレよ! やっぱり自分をアピールするなら、有名な学校の制服を着ていくのが早道かな〜……って思ってね? ほ、ほ、本当にそれだけよ!?」
 『タマモの制服に文珠を仕込んだ事』とか『タマモを囮にして大学に潜入した事』とかがバレるんじゃないかと冷や冷やしながら、美神はそうたどたどしく弁解した。
「……本当にそれだけ?」
「そ、そうに決まってるでしょ! 何か変な事があったとしたら、それは横島クンが何かイタズラをしたせいに決まってるわね」
「な゛!? そこで俺に責任をおっかぶせないで下さいっ!!」
「ま、まーまー……」
 相変わらず薄情な事を言う美神、猛抗議する横島、そして二人を仲裁するおキヌ。食い逃げがバレたのがきっかけで美神の事務所に転がり込んでから、何度となく見てきた光景。その都度、『ああ、相変わらずくだらない事をやってるな〜』と思ったものだが、今の気分は少し違った。
「ふふっ……あんた達も、相変わらず平和でいいわよね〜……」
「は?」「へ?」「え?」
 いつもは白けた表情で自分達のやり取りを見ているタマモがクスクス笑っているので、三人は少し驚いた。
「あの、小鳩ちゃん? タマモ、何かあったの?」
「さあ? 何があったんでしょうね?」
 横島に尋ねられた小鳩も、同じような笑い方ではぐらかした。まるで、この他愛のない日常が楽しくてたまらない……そんな笑顔で。

「ねえ、横島に美神。今からでも……横島の学校に通えないかな?」
「え?」
 この前『大学に行きたい』と言っていたタマモが急にそんな事を言い出したので、横島達はまた驚いた。
「ど、どうしたの? どういう風の吹き回しよ、それって?」
「ちょっとね、気が変わったわ。みんなで机並べて授業を受けるのも、そんなに悪いもんじゃないって」
「……まあ、気持ちは何となく分からないでもないけど」
「じゃ、手続きヨロシク。編入試験ぐらいなら、ちゃんと受けるから」
 顔を見合わせる美神・横島・おキヌの三人をポンポンと叩いてから、タマモは表情を隠すかのように一団の先頭を切って歩き出す。


 自分の過去の事に興味が失せたわけではない。でも、それよりも。もう少し自分の“今”を有意義に過ごそうと思う。
 だから、もう少し色んな人達と、他愛のない毎日を楽しんでみよう。授業は少し退屈かも知れないけど、きっと放課後や休み時間はそれを吹き飛ばす面白さがあるかも知れない。


 『せんせ〜〜、ただいまでござる〜〜!』という声が物凄い足音と共に近づいてくるのを聞きながら、タマモはそんな事を思った。











「高松く〜〜〜ん! あなた、自分とこの学生達にどーゆー都市伝説を吹き込んでるのよ〜〜っ!?」
「ああっ、ゴメン! ああいう噂を流しておけば、学生達が君の事を見つけてくれるんじゃないかって思って……あ、痛い、痛い! 机で殴らないでくれっ! ああっ、この青春の痛みも30年ぶりで懐かしいっ!」




 おしまい。
 期限ギリギリですが、GTY+2作目として企画モノを投稿させていただきますいりあすです。

 相変わらずいろんなキャラを出すのが好きなタチなもので、今ひとつタマモの出番が少ないですが……まあ、ひとつご勘弁下さいw お題絵からすると『高校の入学式に参加するタマモ』というのが王道なのでしょうが、少しひねくれた性格のいりあすはあえて『大学』を選んでみました。なかなかこちらに投稿する機会がありませんが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

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