桜が満開になろうかという季節、美神除霊事務所に一人の男が仕事の依頼で訪れていた。
「はじめまして。私は第二高等学校の校長をしている者です」
「はじめまして。美神除霊事務所を経営している美神です」
依頼人は高校の校長先生だった。
よほど困っているらしく、厳つい顔に深いしわを作っていた。
令子は校長の切羽詰った様子を見て、さっさと本題を聞くことにした。
「それで、用件は?」
「ええっと、それはですな……」
校長は苦しそうにそれだけ言うと、ポケットからハンカチを出して額の汗を拭いた。
かなり言い辛いことなのだろう。
令子は事情を察し、助け舟を出すように話を聞き出す。
「仕事上の守秘義務は守るわ。だから、まずは話してくれないかしら」
「わかりました」
校長は令子の一言で腹を括り、事の洗いざらいを話した。
問題は校長の学校で起こっていた。
どのような問題かというと、男女間のものだ。
早い話が不順異性交遊である。
何でも、第二高等学校では桜が咲く時期になると、昔からこういった問題が頻発していたらしい。
例年通りなら、どうにか学校内で片付けられるのだが、今年は違った。
なんと、男子生徒のほとんどが、発情したオス犬のようになってしまったそうなのだ。
学校内に女性が入ろうものなら、瞬く間に男子の餌食にされてしまうのだ。
と言っても、女性がされるのはキスだけらしい。
しかも、発情するのは第二高等学校の男子生徒だけで、学校の外に出れば元に戻るらしい。
だから、まだ大きな問題にはなっていなかった。
「霊か何かが関わっているのは確実ね」
話を聞いた令子は、この怪奇現象はGSの仕事だと判断した。
「けしからん! じつにけしからん! 俺でもいきなりキスはできんというのにッ」
令子の後ろにいた横島が、悔し涙を流して咆えた。
その学校の男子生徒が心底羨ましかったのだろう。
「こうなったら、この場でキスを慣行するのみ! みっかみさ〜ん」
「バットにキスでもしてなさい」
「ぶげっ!」
早速、タコのような唇で飛び掛かった横島は、令子にバットで殴られて倒れた。
校長は頭から血を流す横島を少し心配しながらも話を続ける。
「明日の入学式は男子と女子に分けてするつもりですが、何が起こるかわかりませんからな。GSのあなたにお願いしたいのだ」
「それはいいけど、依頼は明日の警備だけでいいのかしら」
「できれば原因を突き止めて解決していただきたいのだが……」
「成功報酬にしたいわけね」
「ええ、まあ。なにぶん、我が校だけで支払うことになりますからな。すまんが、節約したいのだ」
「わかったわ。その代わり、解決できたら出せるだけ出してもらうから」
「それはもう、かまいません」
商談が成立し、美神除霊事務所は明日、第二高等学校へと出向くことになった。
入学式当日の朝、令子と横島は第二高校の外周を歩きながら、学校の様子を調べていた。
「いやぁ、見事な桜っスねー」
「ほんとね。ちょうど満開ってところかしら」
学校を囲むように植えられた桜は、どれも見応えのある花を咲かせていた。
朝の弱い風が吹くたびに、ひらひらと花びらをこぼれさせた。
落ちてくる花びらを目で追うように桜を見上げて歩く二人、とその後ろを歩くもう一人――
「なんで私がこんなカッコしなくちゃなんないのよ」
タマモが初めて着るブレザーの裾を摘んで文句を垂れた。
「しょうがないじゃない。あなたしかいないんだから」
「だから、なんで私なのよ」
「男が盛ってるのよ。預かってるおキヌちゃんとシロを連れてくるわけにはね……」
「私ならいいわけ?」
「ぶっちゃけ、そうなるのよ」
「うわ、ヒド……。後できつねうどんだからね」
「二杯でも三杯でも食べさせてあげるわ」
きつねうどんで許してあげる辺り、タマモは意外と令子に心を開いていた。
一度は令子に命を狙われたが、今は匿ってもらっているのだ。
タマモも恩知らずではなかった。
「外から異常は感じられなかったわね。それじゃ、潜入捜査といきますか」
学校周りをぐるっと一周した令子はそう言うと、横島に持たせていたバッグから着替えを出した。
令子はやぼったいセーターとズボンに着替え、まとめた髪の上からスカーフを巻いた。
最後に、刑事ドラマで使うようなサングラスをかけてできあがりだ。
「なんスか、その格好は……」
色気のかけらもない姿に横島がつっこみを入れる。
確かに、彼女にしてはあまりにもダサイ服装だ。
「女だと狙われるからよ。これだと男か女かもわからないでしょ」
「なるほど」
納得した横島は、余っていたサングラスをかけた。
「あんたはいいでしょ」
「気分の問題っスよ」
「私は?」
変装した令子を見てタマモが愚痴った。
女子の制服を着ていては、女を隠しようがない。
令子はにっこりと満面の笑みをタマモに向けた。
「あなたは囮役をお願いね。男子生徒の変化が見たいから」
「鬼」
「いってらっしゃ〜い」
囮として送り出されたタマモは、のり気のない顔で校門へと向かった。
校門を抜けたタマモは空気が変化したことを敏感に嗅ぎ取った。
「……なんか、甘い匂いがする」
桜の匂いに脳を刺激され、タマモの気分が高揚する。
それと、オスの臭いが近づいているのも感じていた。
「うおおお、女だ、女だあああ!」
「新入生だね? ぜひ、我が水泳部に入ってくれ」
「いや、野球部のマネージャーにきてくれ!」
大勢の男衆が、歓声を上げて寄ってきた。
部活動の勧誘に使うのぼりを何本も掲げているその軍団は、合戦場を髣髴とさせる。
そう思わせるほど、彼らの目は血走っていた。
どう見ても、部活動の勧誘というよりは、女の奪い合いだ。
隠れて追尾していた令子と横島は、予想以上の事態に冷や汗を流していた。
襲われたら、キスだけで済みそうには見えない。
「大丈夫っスかね……」
「いざとなったらキツネの姿に戻れば大丈夫。……多分」
「ああっ、なんだか俺も変な気分になってきました。俺の目は美神さんの唇に釘付けです!!」
「あんたはここの生徒じゃないでしょッ!!」
襲い掛かろうとしたとたん、顔面に拳を当てられて撃沈する横島。
「気分は治った?」
「はひ」
殴られ変形した顔で横島は答えた。懲りない男である。
二人の心配をよそに、タマモは優越感で見下すように、群がる男たちを流し見た。
タマモも女である以上、大勢の男に求められるのも悪い気はしない。
それでも、狼と化した男たちを相手にするのは御免だったが。
「うちの部が先に目を付けたんだ」
「違うね。俺の方が先だった」
「んだとっ!」
女一人に群がった男たちは、力比べでの奪い合いを始めた。
べつに結果が気にならなかったタマモは、涼しい顔で歩を進める。
「おいっ、女が行っちまうぞ」
「まずは女の確保からだ」
「おう!」
遠ざかるタマモに焦った男たちは一変して団結すると、彼女を捕まえようといっせいに魔の手を伸ばした。
タマモ危うし、である。
だが、彼女はふふんと鼻で笑うと、人差し指を立てて男たちに振り向いた。
「女ならたくさんいるでしょ」
くるくると指を回すと、男たちの動きがぴたりと止まった。
幻術を使ったのだ。
「女ばっかじゃねーか!」
「やったぁ、よりどりみどりだー」
「チューしよー」
見事に幻術にかかった男たちは、狂喜乱舞して抱き合った。
そして、間もなく男同士でキスする者が続々と現れた。
タマモは他人が異性に見える術をかけたのだ。
「ぎゃあああ、地獄絵図じゃああああ」
「エ、エグイことするわね……」
男子生徒が絡み合う光景を見せられた横島は絶叫した。女同士なら喜んでその仲に飛び込んだだろう。
令子はタマモの容赦のなさに絶句した。
タマモは背後の惨状に手を振ってお別れすると、再び校庭を歩き始めた。
「どこに行くんスかね」
「さあ。学校が珍しいから見て回るんじゃないの」
令子と横島には、タマモが気の向くままに歩いているようにしか見えなかったが、実は違った。
タマモは学校内に入ってから桜の匂いが怪しいと思っていたのだ。
人間では嗅ぎ取れないようなわずかな異変を、キツネの彼女は感じ取っていた。
桜の匂いの強い方へと進んだタマモは、ひときわ目立った桜と出会った。
そして、彼女が睨んだとおり、原因は桜の木だった。
タマモは桜が発する微弱ながらもやわらかい霊気を肌で感じた。
普通の桜ではありえない大木にまで育ち、樹齢は想像もつかない。
それでも、多くの花を付けたこの桜は、間違いなくこの学校のヌシだった。神木と言っても過言ではない。
令子と横島も気付いてタマモの隣に歩き出た。
「ほへー、すげーな」
「これね」
「そうだと思う」
「よく分かったわね」
「匂いでわかったの」
サングラスを外し、咲き誇る桜を見上げる二人。
タマモは花見をそこそこに、木の幹まで視線を落として声をかけた。
「出てきなさい」
タマモが呼びかけると、幹の裏側から女の子が現れた。
桜色の着物を着たかわいらしい女の子だった。
「女じゃあああ」
「同じことを二度やるなっての!」
狂ったふりして飛びつこうとした横島は、令子に踵で蹴り落とされた。
令子はフゥと一息ついて女の子に向き直す。
「この木の妖精ね」
「はい、桜の妖精のオウカです」
妖精はオウカと名乗った。
悪さをしていると自覚しているらしく、小さくなっている。
危険はないと判断した令子は、穏やかな口調で問い質した。
「毎年、この時期に男子生徒をおかしくしてたのはあなたね」
「……そうです」
「どうして、そんなことをしたの」
「男の子と口づけをしてみたかったの。でも、誰も私に気付いてくれなくて……」
長年、学校で生徒の恋愛を見届けてきたオウカは、自分もしてみたいと思ったのだ。
思ったよりも単純な理由に、令子は笑みを漏らした。
「なら、俺としましょう!!」
蹴りから復活した横島が高々と名乗り出る。
「いいんですか?」
「あたぼーよ。君とだったら何度でも!!」
「本当ですか?」
「唇が取れるまでやってやるぜ!!」
「じゃあ、こちらにお願いします」
「へ?」
横島の目が点になった。
オウカが差し出したのは本体だった。
すなわち、桜の木そのものである。
いくら煩悩の塊の横島といえど、樹木には発情できない。
「はい、いいですよ」
「えーっと、準備万端と言われましても……」
オウカは桜の木の中に戻ると、キスの催促をした。
ためらう横島を見て、令子とタマモは意地悪そうに笑った。
「熱〜い口づけをしてやりなさいよ」
「そうそう。唇が壊れちゃうまでね」
「もうヤケじゃあああ」
この日、横島はキツツキになったのだった。
桜の妖精が満足したのは、日暮れ時のことだった。
入学式の日に新入生の男子が全員で桜の木に口づけをする。
それが、第二高等学校の新しい伝統となった。
終
Please don't use this texts&images without permission of 双琴.