春である。
満開の桜の花が、どこか幻想めいた雰囲気をつくるそんな季節だった。
だが、そんな周りの高揚した気分もどこへやら、一人不機嫌そうに歩く少女がいた。
九つに分けられたポニーテールの女の子、タマモである。
彼女は本日、事務所内で行われたちょっとしたレクリエーションの結果、『一日ブレザー』なる謎の刑罰を頂いており、どこからか調達してきた紺色のブレザーとチェックのプリーツスカート、そしてニーソックスといういでだちであった。
「……まったく、どういう刑なのよこれは」
タマモも呟いているが、全くもって謎な刑だ。決して御題に無理やり合わせたとか、そういったことは絶対断じてないはずである。
「……あれ?おキヌちゃん」
そんな彼女の視界の先に、事務所の同僚であるキヌの姿が見えた。彼女はどこか急いだ様子で、そそくさとビルの間の路地に姿を消していった。
(気になる)
おキヌの常にない様子に、いたく興味をひかれたタマモ。先ほどまでの不機嫌な顔はどこへやら、瞳を輝かせて問題の路地にダッシュで足を踏み入れた。
路地に入ると、そこはすぐに行き止まりで、一件だけ看板を下げた玄関があるのみ。
(『にゅうがく』?)
下げられた看板に踊るのはそんな文字。とりあえずキヌの姿は見当たらないので、入っていったとしたらここしかない。
タマモはドアノブを手に取ると、ガチャリと回した。
「いらっしゃいアル『にゅうがく』の館にようこそアルよ」
ドアをくぐると、妙に広々としたエントランスがあり、壁埋め込み型の受付からサングラスをした怪しい中華系のような小男が彼女に声をかけてきた。
「厄珍さん、なにしてるのこんなとこで?」
「……だれかと思えば狐の嬢ちゃんアルか」
記憶と照らし合わせてみる。たしか厄珍堂というオカルトアイテム専門店の亭主だったはずだ。
「なにしてんの?」
「なにって、ここの受付をしてるアルよ」
そういうことではなくて、店はどうしたのか?とかいうことを聞いていたのだが、受付をしていることがさも当然というような厄珍の顔をみて、それ以上の追求はやめておいた。
「──?まあ、いいアル。お嬢ちゃん、あんたも『にゅうがく』希望者アルか?」
「ここって学校なの?」
「学校というか、研究サロンみたいなものアル」
厄珍はそんな風に説明しながら何かをゴソゴソと探し出しタマモに渡した。
「詳しくはコレを見るヨロシ。とりあえず春のサービス期間だからお嬢ちゃんは一日体験ということで良いアルよ」
渡されたのは小冊子。
カラー印刷の中々にしっかりとした造りのそれは、表紙にでっかでかとある単語が印刷されている。
「──にゅ、乳学?」
「うぃ」
そう、ここは乳を極めんとする者たちの虎の穴『乳学の館』であった。
小冊子をめくってみる。
■会場:ルーム1
主題:巨乳と貧乳、微乳との境界線の定義について
講師:横島○夫
■会場:ルーム2
主題:シリコンを使用した最新豊乳手術、その実体
講師:美神○子
■会場:ルーム3
主題:新世紀こそ美乳の世紀であると信じて、その啓蒙活動
講師:氷○キヌ
■会場:ルーム4
主題:垂れない垂らさない垂れを悟らせないABC
講師:美神美○恵
──こ、これは
タマモは館を後にした。
来たときと同じように路地を通り抜け、人の往来する通りに出た。
その足で近くの川原まで行くと、石を組んで即興の釜戸を作り、持っていた小冊子をそこに供え、狐火で着火した。
…………見なかったことにしよう。
春である。
満開の桜の花が、どこか幻想めいた雰囲気をつくるそんな季節だった。
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