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いつか回帰できるまで 第三話 50年後のGS達(前編)

 ガンッ

「横島君を探しに行けないってどういうことよっ!!」

 美神令子はマホガニーの机に両手を叩きつけた。柳眉を逆立て、亜麻色の髪は怒りの霊気に当てられゆらゆらと宙を踊る。
 もし怒りが放電するものならば、きっと今の彼女がそういう状態なのだろう。

「お、落ち着いて欲しいのね〜」

 ガクガク震えながら神族の調査官・ヒャクメは、続きを言わなければならないプレッシャーと戦っていた。

 美神令子という女性は人間でありながら、下手な神族・魔族よりも遥かに恐ろしい存在である。
 彼女の怒りを買うというのは神族といえどゾッとしない話だった。

「よ、横島さんを探しにいくのは時間移動をするって事で、でも、例外としての時間移動の許可がもらえなかったんですよぉ……」

「ふざけんじゃないわよっ!! 一体何のために行方不明になったと思ってんのよっ!!」

「そ、それも分かってます。神・魔族上層部へ十分に説明したんです。でも」

「デモもストもあるかぁっ!!」

 ドガッ

 机が更なる打撃に悲鳴を上げていた。

「ひーんっ!! ですから、私や小竜姫にできることは全部やったんです〜!! でもでも、上は『百年後に帰ってくるなら別にいいだろ』って言う流れがあって、発足したての不可侵条項に穴を開けることになる例外は作れないって見解なんですよぉ」

 あらゆる目から涙を流しグシュグシュやっている。

「それ何の冗談よ?」

 美神のこめかみに青筋が浮かび全身がワナワナと震えている。

「うぅぅぅ、ですから、年単位の重み感覚がさっぱり分かってもらえないんです。神族や魔族にとって百年って言うのは、美神さんたちにとっての数ヶ月くらいの感覚なんですよぉっ!」

 抗弁はほとんど悲鳴に近かった。両者の中間に立っているヒャクメにしてみれば余りの見解の違いに胃がねじ切れそうな状況である。

 美神は内心すっかり呆れかえっていた。

『じゃぁ、あんたたちはおキヌちゃんにシングルマザーになれって言うの? せめてあの娘の子どもが生まれる前に横島クンを……』

 言ってやりたいのは山々だが、これをヒャクメにいっても愚痴にしかならない。
 むしろ、頭に血が上りすぎたためか、かえって冷静になった。

「ふぅ……っ、要するにあんたの立場じゃもう限界なのね?」

「へ? あ、は、はい」

「役に立たないわね」

 ボソッとつぶやいた言葉がヒャクメの胸にザクゥッと音を立てて突き刺さる。

「ひ、ひどいのね……」

 床に両手をついてうなだれるヒャクメを放っておいて美神は顎に手を当てて思索を巡らせる。
 そして、美神の目がギラッと鋭く輝いた。

「よしっ、連れてきなさい」

「へ?」

「そのボンクラ役人神族をここへっ」

「む、無理です〜っ」

 思わず悲鳴を上げ、涙ながら首を左右に振りたくる。
 おそらく許可を出さない神族は彼女よりも遙かに高位な存在なのだろう。

「よーしっ、じゃぁ、百歩譲って私がそいつのトコに行ってやるっ!!」

「やぁあめぇぇてぇぇぇっ!! 神魔族のデタントが締結したのに人界と冷戦が勃発うぅぅぅぅっ!!」

 やる気満々で椅子を蹴って立ち上がる美神にヒャクメは本気で泣きながら取りすがる。

「とにかくっ、とにかくもう一度交渉しますからっ。お願いですから穏便にぃぃぃぃっ!!」

「だーっ、あんたじゃ頼りにならんからこうなってるんでしょーがっ、こうなったら許可なんて要らないわっ!!」

「そ、それは危険ですからやめてくださいぃっ、次元の狭間にはまって帰ってこられなくなってしまいますっ」

「あんたらが入り口出口の邪魔しなきゃいいだけの話でしょうがっ!!」

「あうぅぅぅ、それはそうですが……も、もう一度何とか粘りますから」

 コンコンッ

「ねぇ、ちょっといい?」

 扉の向こうから聞き慣れたキツネ少女の声が聞こえる。

「何よタマモ?」

「依頼の電話、結構切羽詰まってるみたい。とにかく美神に取り次いで欲しいってさ」

「ったく、分かったわ回して。ヒャクメ、この件は後でじっくり話し合うわよ」

「あうぅぅぅぅぅぅ〜」

 そして、それが……美神令子の運命を分けた瞬間だったことを、誰も知らない。






〜 いつか回帰できるまで 第三話 50年後のGS達(前編) 〜







「行方不明……あの美神さんが」

 思わず呆然と繰り返してしまう。

「な、何があったんだよ」

「分からないんです」

 沈痛な面もちでおキヌは答える。

「……やっかいな事件だったんか」

「それほど大きな霊障でもなかったんです。なのに、なのに、予定の日になっても帰ってこなくて、シロちゃんもタマモちゃんも」

 当時のことが鮮明に蘇ったのか、口元を押さえ瞳は潤みを帯びていく。
 震える小さな肩、頼りなげなその姿に横島の意識も震えた。

『俺が居なくなって、その上美神さん達が居なくなったんだったらおキヌちゃんは』

 一人きりになってしまった事になる。
 しかも、横島の子を身ごもったままで。

「すぐ帰って来るって、帰ったら横島さんを一緒に捜そうって」

 涙をこらえる様がひどく切ない。
 おキヌにとって美神は姉同然の存在だった。現世を生きていく中で、美神と横島の二人は欠くべからざる存在だったに違いない。
 よりにもよってその二人がそろって姿を消してしまったのだ。
 当時の彼女の絶望を知ることはできない。

「おキヌちゃん」

 横島は自然におキヌを抱き寄せていた。

「あ……っ」

 腕の中で一瞬とまどいながらも、安堵に瞼を落とす。

「ごめん、俺」

 横島の腕の中のおキヌが次第に堰を切ったように涙をこぼしていた。

「横島さん……横島さんっ」

 胸の中で泣きじゃくるのは老齢の女性、しかし、横島にとっては間違いなく最愛の女性だった。
 壊れそうなその肩をしっかりと抱き寄せていた。

 どのくらいそうしていただろう。

 ほどなくして、おキヌは小さく息を付いていた。

「……横島さん、私」

「え?」

「このまま」

 幾分落ち着いた微笑みをたたえて、おキヌは横島を見上げていた。
 懐かしくも新鮮な心地に横島は落ち着かなくなってくる。

「おキヌちゃん」

「はぁ……羨ましい」

 不意にしみじみとした呟きが寄せられる。。

「え゛っ」

 横島とおキヌが振り返ると、頬に手を当てたひのめがため息を付いていた。

 そこに至って、横島とおキヌは自分たちを取り巻く状況を思い出していた。
 抱き合う二人を美神一家が優しい目で見守っている。

「お義父さんとお義母さんが深く愛し合っていたのがもの凄く伝わるわ」

 そういいながらひのめはハンカチで目尻を拭っていた。

「うぅぅ、おじいちゃん、おばあちゃん……」

 絹香ももらい泣きしている。祈るように両手を合わせ、これでもかと言うくらいに涙を溢れさせていた。

「え、いや、あのえと」

 横島もおキヌも耳まで真っ赤に染め上げていた。
 こういう状況はあまり余人に見られていたくはない。たとえ感動を誘ったとしてもだ。

 固まる二人に、感涙にむせぶ一家。何とも春の情景に楽しげな風景が和室に展開していた。

 ピンポーン

 ふと、一種の膠着状態を突き崩す呼び鈴の音が屋内に響く。
 横島にとってはある意味救いの福音だ。

「あら? 誰かしら?」

 ひのめが最初に現実に戻っていた。

「あ、私見てくるよ」

 次に孫娘がササッと動いていた。

「絹香ちゃんって元気いいよな」

 トントントントン

 廊下の床板をステップ踏むように遠ざかっていくのが分かる。

「あ、あの横島さん?」

 おずおずとおキヌが遠慮がちに言葉を紡ぎだしていた。

「へ?」

「そ、そろそろ離れていても良いんじゃないでしょうか……」

「あ」

 抱きしめたままの体勢であることのようやっと気づいていた。

 あわてて飛び退る。

「あら、気にしなくていいのに」

 ひのめが心底残念そうに呟いていた。

「あ、いや、まぁ、その」

 真っ赤になって頬に手を当てているおキヌと右往左往する横島が見ていてほほえましい。

「あら?」

 ひのめが部屋の外から玄関の方に目をやっていた。
 何か話しているらしい気配。一転してトントンと足音が近づいてくる。

「お祖父ちゃん、お友達が来たよ」

「と、友達?」 

 気恥ずかしさ冷めやらぬまま慌てたのもつかの間、部屋の入り口に目を向ける。

「横島さんっ、お久しぶりです」

 障子の隙間から現れたのは金髪碧眼、美形をかたどったような欧米人の青年だった。
 笑顔の隙間から発達した犬歯が覗いている。彼の性格を物語るようにビシッとしたスーツに身を包んでいた。

「ピートっ」

「無事で、何よりです」

 ピエトロ・ド・ブラドー、高校の同級生にして、生真面目な半吸血鬼の青年。
 しかし、かの青年に宿る瞳の輝きは、頼りなさが消え、遙かに深みのある優しさに溢れる物となっていた。







 ちゃぶ台を囲むのは黒髪一つ、白髪一つ、そして、先ほど現れた金髪一つ。
 横島、おキヌ、ピートの三人だけがその場にある。すでに美神一家は席を外していた。

『後でしっかり時間もらうからいいですよ』

 というひのめの一言が決定的だった。

『それに、まだお客さんも来るみたいだし、広間の方を準備しておくわ』

 ピートと絹香の話によれば、横島帰還の一報は旧知の者に結構行き渡っているらしい。
 突然で時間も決まっているわけではない。だが一報の内容が内容だけに少しずつでもゾロゾロとやってくるだろう。
 となれば、おキヌの居室ではいささか心許ない。
 現在、広間を準備しにいったひのめの判断は妥当と言えるだろう。

「50年ぶりですね。相変わらず元気そうで何よりです」

「俺からだとそういう意識はねぇんだよな。お前まったく同じ顔してるし」

「まぁ、僕の場合、寿命が寿命ですからね」

 そういって軽く笑う笑顔には昔と違った余裕がある。

「ピートさん、今はオカルトGメンの日本支局の局長補佐なんですよ」

 コトンとピートの前に湯飲みを並べながらおキヌが簡単に紹介していた。

「はー、そら出世したなぁ」

 横島がいた当時、ピートはまだGメンの駆け出しだった。

「まぁ、さすがに勤続50年超えてますから」

 ポリポリと後頭部を掻いてそんなことを言っている。しかし、人外である彼がその地位まで昇ると言うことは相当に風当たりも強かったのではないかと思わされる。
 高校時代のクラスメートは誰も気にしても居なかったが、ICPO日本支部は保守的で入局に関しても相当もめたらしい。
 美智恵と西条の推薦でようやく入局が叶ったという話があるくらいだ。

「ってことは権力有るんだなっ、今のGメンに綺麗なねーちゃんは居るかっ!? 居たら是非紹介っ」

 横島が勢いよくズズイっとちゃぶ台に身を乗り出す。

「よ・こ・し・ま・さ〜ん?」

 ぎいぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ

「イダダダダダダダダッ!! 痛いっ、マヂ痛いからっ」

 尻をつねり上げられたまらず悲鳴を上げている。
 笑顔に青筋張り付けたおキヌが右手に込めた力を緩める様子は欠片もなかった。
 対面のピートが青ざめて後ずさるほどの迫力が漂っている。

「ごめんっ、マヂすまんかった! ホンマ堪忍してぇぇぇぇぇぇっ」

 半泣きになって謝り倒す様に何とも言えない切なさがある。

「もぉ横島さんったらっ!!」

 頬を膨らませたおキヌがプイッとそっぽを向く。

「あはは……か、変わってないですね横島さん」

 冷や汗混じりの苦笑を浮かべるが、その中には遠い大切な物を見る喜びと限りない親しみが込められていた。

「つつつ……笑ってんじゃねぇよ」

 バツの悪い顔で後頭部を掻くしかない。隣のおキヌはツーンっとしたままだ。

「じゃ、ねーちゃんの話はまた今度……」

「横島さん?」

「いや、すいません、マヂで反省してますから勘弁してください」

 おキヌの怒りの気配に二人そろって身震いしている。

「えっと、Gメンっつったらあいつどーなったんだ?」

 言うまでもなくおキヌの圧力に屈した横島が渋々と話題転換している。

「あいつ?」

 ピートは首を傾げる。

「西条だよ、西条」

 さすがの朴念仁もこれ以上の地雷は踏みたくないようだ。女性の話題を避けたのは考えるまでもない。

「あいつどうなったんだ? 死んだのか? 死んでたららいいなっ、きっと死んでるよなっ?」

「死亡確認っ!?」

 ピートは戦くように仰け反っていたが、ほどなくしてサッと目を伏せ肩を震わせ始めた。
 横島の隣ではおキヌも顔を手で隠して肩を震わせている。

「な、何? 俺まずいこと言った?」

「西条先輩は……殉職しました」

「い゛、マヂで?」

 さすがにビキッと硬直する。よもや、本当にこういう回答とは思っていなかったのだろう。

「一体何があったってんだ?」

「その、先輩は魔鈴めぐみさんとつきあい始めていたそうなんですが」

 歯切れの悪い口調で訥々と語り始めていた。

「なんでそんな話が出てくんだ?」

 ちぐはぐな切り出しに思わず横島も首を捻る。

「あ、いえ、話の事前準備に……その、西条先輩はあるカルト教団の囮調査をしてたんです」

 ややあって真剣な面持ちで語り始めていた。

「組織の情報を手に入れるために女性信者の一人に近づいて」

 いつの間にか緊張感が漂う。

「何とか親密になってホテルへ連れて行くことに成功したんです。後は情報を引き出す事が課題でした」

「あ、あん畜生っ!! そんなおいしい役をっ、ふぐぉぉぉぉぉおっ」

 血涙流す横島を横目にピートが微妙な視線を投げていた。
 そして、彼は次なる言葉を口にしていた。

「そこへ魔鈴さんが追跡しちゃっていまして……」

 いきなり風向きが怪しくなっていた。

「なぬ?」

「で、『この浮気者ーっ!!』『ち、違うっ、これは違うんだっぎゃあああああああっ!!』ドスって事に」

 詳しい描写は必要なかった。

「……」

「……」

「……」

 ハードボイルド刑事物が一瞬にして昼メロに。
 当時バックアップを担当した局員達の呆然とする様が目に見えるようだ。

「なぁ?」

 洗い立てのシーツのような真っ白い空間の中でようやく声を絞り出した。

「はい」

「殉職?」

「い、一応」

 たらーと滲むような冷や汗が場を支配している。

「と、ともあれ一命は取り留めました」

「殉職してねぇしっ!?」

「いえ、社会的に……」

「あー」

「西条さん、最近田舎に引っ越したそうです」

 おキヌがぽつりと付け足していた。

 部屋は何とも言えないおいたわしい空気に包まれている。
 『社会的殉職』という新語を生み出した勇者の伝説は当時もコメントしづらい物だったに違いない。

『泣いてるわけじゃなかったか?』

 西条の話が出て肩が震えていたのは涙ではない別の物をこらえていたらしい。

「えーとさ、雪之丞とかタイガーはどうしてんだ?」

 微妙な沈黙を切り替えるために新しい話題を提供することにしたらしい。

「雪之丞は」

 ピートは軽く目を伏せる。

「10年前に死にました。病気で」

 先ほどと違って目は隠れていない。間違いなく何かを堪える目だ。

「ぬなっ!! おぃ、雪之丞だぞ。あのちっこくて目つきが悪くて、好戦的で何事も殴って解決させようとする殺しても死ななそうな」

「あの、横島さんさりげなくひどいこと言ってません?」

 金髪のダンピールは額に冷や汗一筋浮かべている。
 ついでに言うと、『殺して死なない』の代名詞は、雪之丞よりも今叫んでいる男に違いない。

「僕も最初は耳を疑いましたよ。ただ原因を聞いて納得もしました」

 かすかに隣のおキヌが目を伏せる。

「原因って」

「魔裝術多用に起因する霊力障害です。肉体よりも霊体の方が持たなくなったんです。妙神山を経由して、輪廻に回帰する準備をしています」

「そんなに?」

「ええ、衰弱した霊体を回復させないことには転生できないそうです。かろうじて消滅は免れたんですが、伊達雪之丞としての生涯は終えた……との事です」

「そっか」

 行き場のない視線が宙をさまよう。何とも言えず複雑な、困ったような表情が浮かんでいた。

『居ればいたでやかましい奴ではあるが、居なくなるとずいぶん寂しいよな……』

 柄にもなく、遠い目になる。
 マザコンでバトルジャンキー、その上軽くナルシストという、これだけ述べれば、どうしようもない特徴を持った男だった。

『なんだかんだでさ、あいつには結構世話になったんだよな』

 情に厚く一本気で曲がったことが嫌いな性分でもあった。

『それに俺がGSになったのも』

 そもそも横島が霊能力に目覚めたのは、雪之丞達がある意味きっかけだった。
 魔族メドーサ子飼いの霊能者を見つけ出すために素人の横島が潜入するという無謀な事態。
 その無茶さが横島の無限の可能性を開花させた。試験のトーナメントでライバル視された事も思い出といえば思い出だ。

 ワルキューレに戦力外通告を受けたときなど、雪之丞がきっかけで一緒に修行することになった事もある。

「あ、えっとそれじゃ、お茶入れ替えてきます」

 おキヌは空になった二つの湯飲みをお盆にのせると、そそくさと部屋を後にする。

「え? あ、ありがと」

「それじゃ、ゆっくりしてくださいね」

 残された二人の男が互いに見合っていた。

「雪之丞はわかった。で、タイガーは? そのうち来るんだろ? なんか『横島さん、感動の再会ですジャー』とか言ってやってきそうだけど」

「た、タイガー、タイガーですか?」

 タイガーの話題を振られて、ピートの顔に沢山の汗が浮かんでいた。愛想笑いが哀愁を誘う。

「えっと、タイガーはですね。すいません、連絡するの忘れてました」

 ややあって、目を逸らしながら後頭部を掻く。

「……」

「……」

 何とも言えない微妙な沈黙があった。

「えっと、さすがにひどくね?」

「あ、忘れたのは連絡をですよっ。決して存在を」

 むしろ、その言い訳が語るに落ちている。微妙にしらけた空気が覆い尽くしていた。

『まー、図体の割に影の薄い奴だったからなぁ』

 軽く天を仰いで見る。窓から見える空は抜けるように青い。
 かすかに漂ういわし雲の隙間でタイガー寅吉がサムズアップしていた。

『むしろ、雪之丞が生きてて、いつの間にかタイガーがってほうがしっくり』

−ひどいですジャー

 聞こえないはずの声が聞こえるような気がする。

「け、けど、タイガーは元気ですよっ。ほら今年も年賀状きてましたしっ」

 とりあえず生きているらしい。ただし、外の日和はポカポカと暖かになっている。

「ほー、で、今何月だよ。……他に思い出すことはないんかい」

 さすがに哀れに思えたのか冷や汗を忘れつつツッこんでいた。

「あ、えっと、その、あっ、そうそう、彼結婚したんですよっ。45年ほど前にっ」

「ネタ古っ!?」

「えっと、えっと、そうだっ無事にGS資格取ってましたっ。52年前っ」

「知っとるわっ。俺も居たぞそれはっ」

「あ、あはは? そうでしたっけ?」

『あ、そうだ、おキヌちゃん居ないなら』

 相手がGメンのピートならば、聞けることもある。

「……ちょっと教えてくれ」

「はい」

「美神さんのこと」

 ぴくっと眉がひくついて、動きが止まる。

「やっぱり、気になりますか?」

「当たり前だっ」

 微妙な空気の中、互いの視線が交錯する。嘘を付くのは簡単だろうが、この空気はそれを許さない。

「事件は何ということはない。定期的に山林を傷つける霊の除霊依頼だったようです」

 湯飲みを手に淡々と語る。

「別のGSがかかっても何故か解決できなかったので、美神さんの元に依頼がいったんです。彼女の霊障解決率は95%を超えてましたからね」

 何をするでもなく困ったように手の中にある湯のみを左右の手でもてあそぶ。

「事件その物は解決しました。しかし、当時現場では激しい戦闘があった事しか分かっていません」

 完全に空振りだったのだろう。記憶を追う眼は何とも遠く疲れた色を漂わせていた。

「強力な相手とは依頼内容からも予想はつかなかったようです。当時の美神顧問も現在の美神支局長も調べ直しをし……」

「ちょっと待て」

「はい?」

「今、なんつった?」

「え? だから強力な相手とは予想がつかなかったようで」

「その後っ」

「え? あ、美神顧問と美神支局長?」

「顧問は隊長だろ? ってことは……ひのめちゃんってGメンの支局長なんかっ!?」

「は? あっ、あぁっ彼女はとても優れた上司ですよ。いつの間にか階級抜かれちゃいました」

 あははと軽く笑いながらポリポリ後頭部を掻く。

「くっはぁ、親子二代でGメンの実力者かよ」

 しみじみと感心したため息をつく。

「あ、忠彦さんもGメンで副支局長ですよ」

「なぬっ!?」

「夫婦支局とか美神支局って呼ばれてます」

「美神支局……」

 表情が軽くこわばっていた。

「まぁ、美神さんにせよ美神顧問にせよ神魔族への貢献が桁違いでしたからね。それは現在の支局長も副支局長も然りです」

「神魔族か、結局デタントって上手くいったんか?」

 さすがに思い出して気にかかったのかも知れない。
 自分が関わった大きな事だけに確認しておくのも当たり前だろう。

「あ……はい、締結に成功しました」

「あの時の悪魔ってどうなったんだ?」

「逃げられました」

 軽く目を伏せ、表情をかげらせる。

「逃げた? 追い詰めたのか?」

「逆です。僕らの方がどんどん追い詰められました。そもそも戦闘力の桁が違うんですから、横島さん抜きじゃとても対抗できません」

 スパッと言い切った。

「おぃおぃ」

『相手が強かったことより横島さんがいなくなってみんな動揺してたんです』

 遠い目、そこには昨日のことのように思い出せるのだろう。眉間には苦渋に満ちたしわが刻まれる。

「どうやって退かせたんだよ?」

「デタントが締結して正規軍が動けるようになったんです。僕らを放ってあっさりと撤退してしまいました」

 その情けない表情が当時の惨状を幾分物語っていた。

「誰もが、とどめを刺される寸前だったのに、興味が失せたようにあっさり」

 悔しげに歯がみし、かすかに手が震えている。
 デタントが成立した以上、リスクを冒してまで無力な人間を狩る必要はない。言外のメッセージが痛いほどに分かったからだろう。

「一矢報いるためにも、とにかく足跡を追ったんです」

 しかし、その伏せた表情には望ましいモノがないことを示しているのは明らかだった。

「でも、結局ヤツの所属は明らかになりませんでした。文献にも記録にも存在がなくて」

「何モンだったんだろうな」

「分かりません。神魔族だけじゃなくオカルトGメンでも指名手配していますが、まだ捕縛には至ってないんですよ。神魔族の特別調査チームも困ってて」

 何とも言えない空気の中で、男二人のため息だけが吐き出されていた。






『むぅ?』

 ある存在が、それを関知したのはしばらく前のことだった。

『この気配……まさか?』

 振り返り、感覚を確かめるように意識を集中させる。

『馬鹿なっ、まさか帰ってきたというのか!? おのれっ』

 感じた気配の方角に向けて裾を蹴る。

『落ち着けっ』

 危うく激高しかけた意識を押さえ込む。
 冷静さは失わない。彼にとってはそれは必要不可欠なことだったからだ。
 かつて激したために失策をした身としては学んだことは最大限に生かす。

『いずれにせよ確かめる必要が有る、な』

 男は視線の先にあるモノを確認する意思を固めていた。







 トントントン

 ふと、ふすまの向こうから控えめな足音が近づいてきていた。

「横島さん、お客さんが来ましたよ」

 柔らかなイントネーション、おキヌの声が凝り固まった空間に優しく染み渡る。

「え? あ、誰だろ?」

 家族やGメンのメンバーを除けばトップバッターである。
 はっきり言って誰が来たのか予想がつかない。

『うーん、誰だろうなぁ』

 そんなことを考えているとふすまがすっと開いていた。

「おー、生きとったか小僧っ」

 かくしゃくとした黒服の老人が片手をあげている。

「お久し・ぶり・です・横島・さん」

 並んでいるのは表情のないショートカットの可愛らしい女性である。

「カオスのじーさんにマリアっ!?」

 予想外の先発に思わず声が裏返っていた。

「まったく死んどりゃせんとは思っておったが、本気でピンピンしとるのぉ」

 カッカッカッカと大笑いしている。

「イエス・横島さん・元気で・良かった」

「しっかし、カオスのおっさん達が真っ先に来るとは思わんかったなぁ」

 全く想定外だっただけに、喜びもひとしおだった。

「はっはっは、水くさいこと言うな。今日は小僧の帰還祝いでご馳走じゃろうから準備は万端じゃっ、のうマリア」

「イエス・ドクターカオス・タッパー準備・万全」

「何をしに来たんじゃおのれらわぁぁぁっ!!」

 両手をわななかせて横島が絶叫していた。

 しかし、爺様とロボット娘が意に介した様子はいっさい無い。

「そう固いこと言うもんじゃないわい。50年来のつきあいじゃろ?」

「大半がすっとんどるわボケ〜っ!!」

 極めつけに極大化したツッコミを絶叫している。

「こんにちわ〜」

 不意に窓の外から声が降ってくる。
 若い女性の声。とても元気よく快活で健康的な声だった。

「へ?」

 空から箒がやってくる。黒ずくめの女性を乗せた昔ながらの箒だ。
 それがまっすぐ美神家に向かって飛んでくる。
 一同そろって固まっている中、庭先にホバリングする箒からスタッと降り立つ黒ずくめの魔女ルック。

「え? まさか」

「出張シェフ、ただいま参りました♪」

 二十代半ばくらいであろう美女の柔らかな微笑み。
 目尻の泣きボクロといいと長い三つ編みといい。
 紛れもない、かの天才魔女を思い起こさせる。

「ま、魔鈴さん……って、本人じゃないよなぁ。魔鈴さんのお孫さん?」

「ふふ、違います♪」

 人差し指を唇に当てて艶やかな笑みを浮かべる。

「孫じゃありません。魔鈴めぐみ本人ですよ♪ 横島さん、お久しぶりですね」

「……」

 目を見開いて硬直する。

「はい?」

 こめかみを引きつらせてかろうじて声を絞り出す。

「だから、魔鈴めぐみです。忘れてしまったんですか?」

 目の前にいる女性は自らの名を繰り返す。

「……」

 ダクダクダクと滝のように汗が流れた。

「どうかなさったんですか?」

 50年前と変わらない笑顔だった。むしろ、50年経ってるのに変わらなさすぎであろう。

『こーゆー部分でこの人が魔女だってことが分からんでも』

 実は中世の魔女狩りを生き残ってきたとか言うんじゃなかろうか?

「おじいちゃ〜ん、広間の方の準備ができたから皆と一緒に入ってきて〜」

 廊下から声が聞こえる、ある意味助け船に近い呼びかけに横島が振り返った。
 そこにいるのは往年の恋人の面影を持った黒髪の可愛らしい孫娘がいる。

「おうっ、今戻るぞ」

 呼びかけに答えるようにして、横島達は絹香が声を発する先へ向かっていった。





「まさか生きていたとはな」

 虚空で男は風をまとう。

「よもや、あやつから逃げおおせると思うてはおらんかったぞ」

 遠目から横島たちが居るその場の様子を伺っている。
 逆光になって見えないその表情は、暗い愉悦に歪んでいた。

「あの小僧が戻ってきていると言うことは、程なくしてあやつも戻ってこよう、我の導きでな」

 男は嘲る様な笑みを浮かべる。

「今は気楽にしているがいい。貴様を絶望の底に叩き落としてくれる」

 ヒュッ

 男は闇に熔け、姿を消した。
こんばんわ。また約一月ぶりの長岐栄です♪
お待たせいたしました。『いつか回帰できるまで』第三話をお届けいたします。
楽しんでいただけましたでしょうか?
今回は当初予定していた内容までいけませんでした……思いの外長くなっちゃった(´・ω・` )
なので、次回出てくるキャラもかなりアリですっ

>平松タクヤさん
 まぁ、いつかは不明確ですよ〜。敢えて言及しませんがw
 美神さんについては今回謎だけが増えてますw

>いしゅたるさん
 どもです〜♪
 二人の関係は今後もどんどん突っ込んでいきますよ(^^
 絹香はね〜、結構感情豊かです。旧事務所メンバー全部……確かにw
 ポテンシャルは結構あると思いますが果たしてどうでしょう?

>アミーゴさん
 コメントありがとうございます♪ お褒めに与り恐悦至極っ
 濃い一族ですw シロタマは……あははははは(乾いた笑い

>akiさん
 美神家は未来像として設定に苦労しただけに嬉しいです♪
 横島の居ない空白の50年は彼らと共にあったわけですから、その辺りも巧く語っていきたいですねぇ。
 さて、冒頭については今後にw

>ダヌさん
 こんばんわ〜、忠彦は今後も活躍予定です。乞うご期待w
 美神さんについては今回謎ばかり増えましたが今後を楽しみにしていただければ幸いです♪

>亮太さん
 コメント感謝です♪
 横島の感覚に共感いただきありがとうございます(^^ 今回はキャラ少な目でしたが次回も頑張りますので乞うご期待♪

>シンペイさん
 出てこないメンバーは……次回に頑張って出します(^^;
 神魔族達出ませんでしたなぁ(汗 ピートは満足いただけましたでしょうかw

>いりあすさん
 こめんとありがとうございます〜♪
 美神さん家は長女も次女も素敵な性格ですっw これはきっと孫にもw

>ちくわぶさん
 ありがとうございます♪ 設定はかなり気を揉んでますので評価いただけるとホントに嬉しいです♪
 色々謎は増えていますが、今後がポイントです(^^;


さー、少しずつ原作キャラも増えてきましたっ
次回も出していきたいと思っています。さてさて、今度は誰が出るのか?

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