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幽霊桜

 冷たい月光が闇を静かに照らす。

 十六夜の銀が照らす闇に佇むのは、生きた二人と二十を超える死した者達。
「タイガー!ここはおたくに任せるワケ!!おたく一人でどーにかしてみなさい!」
 冷え切った夜気を揺さぶる、強い特徴を有する叱咤の声に野太い声が応じる。
「む…無理に決まってるんジャー!!」

 ただし、その応えの声は情けなさに満ちていた。



 【幽霊桜】



「桜の木に群がる幽霊を退治して頂けないでしょうか?」
 小笠原エミGSオフィスにその依頼が舞い込んできたのは、三日前の事であった。
 世間一般のイメージで『幽霊』といえば柳が相場ではあるが、あまりに有名な『桜の下には死体が埋まっている』の言を借りるまでもなく、桜もまた霊絡みのエピソードには事欠かない。

 春の訪れと共に咲き、風に散る儚さがもたらすその様が人の生き死にを想起させるからであろうか、生者のみならず、死者にもまたこの花を愛でる者は多いのだ。
 そして、死者をおいそれと受け入れるような生者は稀である。
 死者と共に夜桜を過ごす、という度量と度胸を持ち合わせぬ者が多い以上、桜の季節が近づけば同様の依頼が舞い込んで来る事はごくありふれたことであるといえた。

 だが、依頼人からの説明を受けた直後、エミの胸中に宿った『ま、ごくありふれた依頼なワケ』という落胆にも似た印象は、提示された現場の詳細を目にしたその時に即座に消滅した。

 依頼人―― 県の土木課長が提出したその書類に記されていた地名は、古くから西方浄土に通じるとされ、西日本の霊道の収束点としても名高い不知火海に面した小さな町―― 町の規模は小さいものの、いわば地球の霊的中枢の一つを眼下に臨む上、薩摩と肥後との境界に位置する場所として、古くは平安の昔から数え切れないほどの戦火に見舞われてきた土地であり、小さいながらも『城山』と称される小高い丘もあるような場所であった。

 むしろ、これだけ心霊トラブルが起こり得る条件が整っていながら、近辺で目立った霊障が報告されていない、という依頼人から提示された書類の真偽が疑わしくなるくらいだといってもいい。

 そのような場所で突然発生した心霊トラブル―― 前例がないために何が原因かが読み辛い依頼は、受ける側にとっても厄介以外の何物でもない。
 一旦はキャンセルも考えた。
 だが、エミがその考えに至るのを押し止めたのは、三千万という高額な報酬だけではなかった。
 理由の一つは、このところ『霊団を相手取る』という依頼が目に見えて減っているという現状にある。

 体内に溜め込み、極限まで圧縮した霊気を全身から放出することで広範囲の霊的存在に壊滅的なダメージを与える霊体撃滅波―― 『溜め』の時間を必要とするものの、視界が通っていようといまいと四方八方・天地左右の区別なく術者を中心にして半径10mを越える周囲に存在する霊的存在『のみ』を打ち据える、エミの代表的な技の一つであり、この技の存在がエミを霊団を相手取ることにおいて業界でもトップクラスに据えていたと言っても過言ではなかった。

 単純に広範囲に存在する多数の霊体を除霊することに関しては、冥子の方が上には違いない。
 だが、冥子―― いや、六道家の代々の式神使いは周囲に被害を出す危険性の方が遥かに高い。
 いわば、ゴキブリを巣ごと駆除するために核ミサイルを準備するようなものだ。

 安全、そして、確実に障害を排除した上、周囲への被害を最小限に食い止めることも出来るエミに依頼が集中していた事も頷ける。


 だが、おキヌを狙った悪霊の群体によって起こった『首都圏霊団暴走事件』として世間一般に認知されている一件が大きいのだろう―― 美神除霊事務所が『ネクロマンサーの笛』を使いこなすおキヌを擁してから、対霊団部門における業界のシェアは明らかに変わった。

 そして、評判によって流れたシェアを取り戻すための最良の手段は、揺るぎなき実績であるということも、叩き上げの苦労人であるエミはよく知っていた。

 また、タイガーの成長を促したい、というものもある。

 タイガーが加入する前の小笠原オフィスのスタッフは、あくまでエミを護るための防壁でしかなかったし、事実、それだけでやって来れていた。

 しかし、ライバルであるはずの美神除霊事務所は先程の例に挙げたおキヌのみならず、その潜在能力を開花させ、ツボにハマれば師匠である美神をも凌ぐ力を発揮するまでに至った横島や、未熟な面はあるものの、潜在能力では人間を凌ぐ犬神二人を抱えている。

 つまるところ、トップの実力はまだしも、ことスタッフという点では大きく水を開けられていると言ってもいいのだ。
 とはいえ、エミ自らがその能力を見込んでスカウトしたタイガーの異能力もまた他には代え難いものである。
 だが、使いどころがなければその能力も宝の持ち腐れ―― そして、その『宝』を磨き上げ、より強力な武器に仕立て上げるためにも、独力で修羅場を潜り抜けることが必要なのだ。
 故に「判りました、お受けしましょう」書類を眺めていたエミが、幾瞬かの逡巡の末に依頼を受ける事を承諾したのも、経営者として、そして、何時までも突き抜けきれない感のある弟子を抱えている師匠としてはある意味当然の判断であるといえた。


 しかし、タイガーの見た目に寄らぬ気の小ささは、エミの見立てを上回っていた。


 天の銀色が浮かび上がらす朽ちた巨木の黒。
 その闇色が二十を上回る燐光の青白さをより一層映えさせる。
 そして、青白い光一つ一つに核として佇むは―― この世に未練を残して冥府に旅立った血塗れの幽鬼たち。


 確かに、肝の細い一般人は見ただけで腰が抜けてもおかしくはない。

 だが、曲がりなりにもアシュタロスの一件において南極に赴いたチームの一員であるはずのタイガーが青褪めた顔でうろたえ、情けない声を上げているという現状は、エミにとって頭痛の種以外の何物でもない。

「あー、もう情けない事言わないッ!!おたくもGS免許取ったんでしょうがッ!!」
 至近距離から、ブーメランとともにエミは叱咤を叩き込む。
 死霊たちは未だ花をつけておらぬ巨木を見上げ、二人に気付いた素振りを見せてもいないというのに、このまま手をこまねいていてはその有利も霧散する。

 今まで通り、タイガーを盾としてエミが手を下すのは容易い。
 だが、この依頼に関しては、GS免許を得たばかりのタイガーに一人前のGSとして仕事を任せる事が出来るのかを見極める、という意味合いもある。
 出来るだけの下地はないわけではない。だが、下手に手を貸してはその『下地』を壊し、成長の芽を摘んでしまうことになりかねない。
 だからこそ、手を貸すことは極力最小限に止めなければならないのだ。
 そのエミの『親心』が通じたのか、もしくは、このまま手をこまねいていてはエミにしばき倒される、という恐れから来るのかどうかは判らないが、タイガーは意を決した表情で破魔札を手にする。

 その目に映るのは、伸びきった月代さかやき頭に赤い鎧を纏った白髭の老人―― 着込みに襷掛け、股引姿で、髷も結っていない軽装の若武者然とした周囲の霊たちとは明らかに違う出で立ちからも、その霊団の中心というべき存在なのであろうことは一目瞭然である。
 逸早くこの首魁を討つことが出来れば、後の戦いも有利に進める事が出来る―― その判断を下したタイガーに、エミは満足そうに頷いた。
 虚を突かれたのだろうか、それともタイガーの影の薄さが想像以上だったのであろうか、タイガーの突進に反応を示さなかった赤備えの老人の胸板に、破魔札が貼り付く。
 霊符に込められた霊力が弾ける音と共に、タイガーの快哉が響いた。
「どうジャー!五千円の破魔札ジャーッ!!」
「そんなの効くわけないでしょうがッ!!」
 コケながら放たれたブーメランが、タイガーの後頭部を痛打した。

「エ、エミさん、いったい何をするんジャー?!」
「それはこっちの台詞なワケ!おたくも横島と同レベルのボケをカマしてどーするワケッ!!」
 目の端に涙を浮かべて抗議するタイガーをげしげしと踏みつけ、しばき倒すエミ。
 一切の容赦がない攻撃ではあるが、その怒りも尤もである。
 如何に不意を衝いたとはいえ、五千円の破魔札ではその威力もたかが知れている。

 無論、仲間内での笑いの種となっていた『横島の初仕事』よりは多少はマシではあるものの、エミの見立てでは『不意討ちと言うアドバンテージがあってもなお、百万の破魔札を使わない限りは―― 』という相手に五千円である。
 当然ながら、致命傷にはほど遠い。
 むしろ、この軽すぎる攻撃が強力な反撃の呼び水ともなりかねないのだ。
 しばき倒すぐらいで勘弁するのも腹立たしいくらいだ。

「ふ、ふふふふふふふ……なんばすっか、貴様キサーンー!!」
 そのエミの懸念を具現化するように、赤鎧の老人の霊が怒りに震わせて立ち上がる。

 血走った目で、腰間から燐光を纏った刃を抜き放つその様は、エミも戦慄するだけの濃密な霊気と殺気を帯びている。
 だが、そのような強力な亡霊に対してもなお踏み止まれるだけエミはまだましだ。
 タイガーに至っては、思わずエミの後ろにその巨体を隠そうとしてしまっている。
「あ、アンタねぇッ!!」
 情けない、の一言で語り尽くせぬほどのその光景に、エミは思わず拳を固める。

「いかん!みんな、先生を押さえんばッ!」

 だが、霊団の首魁とも言うべき赤武者の霊の号令とともに襲いかかるかと思われた周囲の霊たちの反応は、意外なものであった。
「先生ッ!こらえち、こらえち下さい!!現世のモンば斬ってしもうたら、来年地獄で居残りばせんならんですよッ!!」
「こ、コラ……ぬしどま、止むんなー!!」
 タイガーとエミが目を点にするその前で、老人の霊をよってたかって押さえ込む若者たちの霊―― 思わず、老人の霊に手助けしてしまおうかと思ってしまうような光景であった。

おっどま俺たちは、みーなこん城山にあった道場に通うとった、こん近郷の士族での」
 怒りに顔を真っ赤にした『先生』と呼ばれる鎧武者を若者数人掛かりで押さえ込む様を背景に、若者たちの中でも比較的年嵩の男が、やや困った表情を浮かべて言う。
「『政府に一言物申す』っちいう薩軍について一花咲かせようとしたとやバッテンが、多勢に無勢での―― 包囲されてしもうたとじゃ。
 して、『こん桜の下で会おう』を合言葉に決死の覚悟で包囲の突破を図ったとじゃが……やっぱり講談のごたる訳にはいかんでの―― みーな討ち死にしてしもうた」
 年嵩とはいえ、エミよりいくつか年を食っているだけ、といった面差しの男はその言葉と共に寂しげに、枝を大きく張り出した山桜を見上げる。

「なるほど……そっちの事情は判ったワケ。
 で、この桜を守りたいがために、枝を伐りに来た人間を追い返してるってワケね」
 月明かりを素通りさせる枝を同じく見上げ、エミは硬い口調で男に応じる。

「そぎゃんじゃ。たとえ死んでも、魂だけは約束を守ってこん一本桜に戻っち来れた。
 そん思いの強かとじゃろうな―― 毎年桜の頃になったらあの世から戻っち来とるとバッテンが、今年戻ってきたら、折角の目印である桜を伐ろうちしとるじゃナカか。だけん、おっどま『こん桜を伐ろうとは、何をしとるとか』とあん不心得モンどもに訴えよるだけじゃ」
 胸を張って返す男の言葉に、エミの美貌が僅かに苦味と痛みを帯びる。

 『一本桜は既に寿命であり、最早その花を咲かす事はない』―― 依頼人を通して伝えられていた、この古木を伐らねばならない『理由』が紛れもない事実である事を感じていたから。
 温暖な土地であり、桜の季節は間近いことは肌で感じている。にも関わらず、朽ちかけた枝は蕾一つの膨らみも見せることなく、ただ暗灰色にくすんだ色合いを月明かりに晒すのみだ。
 そして、その後継樹を植えるためには、この老桜が数百年の長きに渡って生きて来た証とも言うべき枝は最早邪魔でしかない。
 だからこそ、伐採作業を妨害している亡霊たちを除霊したい―― それが依頼人の意向なのだが、この霊たちはその生命を散らせてより百年を過ぎてもなお『この一本桜』に拘り続けている。

 霊団相手とはいえ、戦意が抜け落ちている今ならば、除霊そのものは容易いだろう。
 極端な話、油断している隙にエミが霊体撃滅波を使用すればそれで事足りる。

 しかし、それがタイガーの実戦経験に繋がるかというと、明らかに否である。

 この状況を打開する何らかの方策をタイガー自身が見出し、実行しなければ―― それに気付くだけの才覚を見せなければ、この先タイガーはただのエミのサポート役にしかなれないと言ってもいいだろう。

 些か頼りない向きを見せるただ一人の『弟子』が一人前になれるか否か―― 才覚の有無を見極めるためにエミが自らの中で課した時間は、二分。

 平和裏に解決する可能性が残されている以上、考える時間はあっていい。しかし、その時間が悩むことだけに費やされるならば、依頼を果たす支障にしかならない。
 万一、一切の打開策を見出すことなくその時間を浪費するだけならば、手を貸すと同時に、師匠として厳しい決断を下さねばならないだろう―― そうエミが肚を固めたその時、光の中に薄紅色の影が舞った。


 朽ちかけた巨木が蕾を膨らませ、その枝に淡い彩りが生まれる。

 見る間に花で満ち―― そして、音もなく花弁を散らせる山桜を、亡霊たちは呆けた顔で見上げる。

「こん桜じゃ、おっどま、こん桜が見とうしてならんかったとじゃ」
 待ちわびた桜に若者たちの押さえ込む力が抜けたのだろう―― 戒めを脱した『先生』が呟きながら立ち上がるその向こうに、エミは二足歩行の白虎の姿となったタイガーの姿を見出だした。

 音もなく降り注ぐ花弁が、風に揺れる。
 嵐と見まがうばかりに勢いを増し、桜吹雪を巻き起こした。
 一陣の風が過ぎたその時、古木に満ちていた桜は夢の如く散り果てていた。

 後に残るものは、朽ちた老桜の幹と、祖父母を慕うかのように寄り添う桜の若木。そして、二十を上回る死者と、二人の生者のみ。

「そぎゃんか……こん桜も、老いたっちいうこつか」
 一枚の葉も残さずに朽ちた枝。そして、その向こうに冷たく覗く月光が『その事実』を訴えたのだろう―― 何かを悟った響きが、搾り出すような『先生』の声に混じっていた。

「死んでもここに来る位じゃケェ、アンタ方がその桜に拘りを持っていたのは判るんジャー。じゃけど、もうその桜が花を咲かすことは出来んのジャー。
 この桜がその大きさになるまでには、どうしてもその桜の枝を切り落とさないといけないんじゃケェ……堪えて欲しいんジャー」
 二本の桜の幻影を維持したまま、タイガーは訴える。
「アンタ方と同じように、今生きている者達もその桜を思っておることに変わりはないんじゃケェ―― 堪えてつかぁさい」
 虎頭のまま頭を下げるタイガー。
 しかし、その瞳は真剣な光を湛えている。
 その光―― 生きる者が持つことの出来る輝かしい意志の光の前に、死者達は最早頷くしか出来なかった。





 そして刻は過ぎ―― 月明かりの下、死者達は戻るべき場所に戻り、残されたのは生者のみ。


 生者の片方が口を開く。
「おたくにあんな心配りが出来るとはね…思ったよりもやるワケ」
 言葉と共に、軽く握られた裏拳がタイガーの胸板を叩く。
 精神感応を駆使して幻影を見せる事で、老桜が辿った運命を悟らせ、その『死』を納得させる。まさにタイガーならではの説得である。
 そして、この一件において自分の能力に基づいた策を打ち立てることこそが、エミがタイガーに求めた解である以上―― 賛辞を述べることは当然であった。

 だが、それはタイガーにとって初めてと言っていいエミからの賛辞―― 巌のような顔にタイガーが照れ笑いを浮かべるのも、無理はなかった。

「しかし、最初の判断ミスとビビって人を盾にしようとしたのは万死に値するワケ!!」
「え…ぶぉッ!?」

 初めて実力を認められた直後の駄目出しに、顔色を変える間もなかった。

 ロシアンフック気味に放たれた高速の打ち下ろしがタイガーのテンプルを貫いた。
 続いて放たれた左のアッパーが容赦なく脳を揺らす。

 風に煽られてきたのであろうか―― 二発で綺麗にしばき倒され、頭蓋の中身を灰色のプリンシェイクと化したタイガーの鼻先に、薄桃色の春の便りが舞い降りる。

「全く……やれば出来るってのに……これじゃまだまだ教育が必要なワケ」
 信頼と不安とを綯い交ぜにしつつ、溜息に混じってこぼれたエミの言葉は、ただ一人の愛弟子の耳に届くより先に―― 風に溶け消えた。
 桜の季節!と言うわけで、季節ものです。
 おキヌちゃんならそれこそちょちょいのちょい、という依頼でしょうが、もしも小笠原オフィスにこういった類の依頼が舞い込んだなら、というコンセプトで書いてみました。
 この作品でタイガーの『可能性』を見出す事が出来ましたら……幸いです。

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