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この想いの名は

――この胸の中にあるのはなんだろう



*  *  *




シロの小さい手から生み出されるそれは白き燐光を伴い発せられていた。
雲ひとつ無い青空から落ちる太陽の光に当たると、まるで黄金色にも似た色合いになる。
見目美しくまるで美術品のようだが、一度戦いになればその刃は容易に悪霊を切り裂く武器となる。
その光の束を見つめるシロの瞳はとても穏やかだった。





呼吸を整えると霊波刀から目線をはずし、シロはその視線を前に合わせた。
姿勢を正し、構える。油断なく構えたシロの体からは隙は伺えない。
構えは上段。防御する暇も無く敵を切る一撃を放つ構え。
後は振るうだけ、それだけだ。

「…ふっ!」

刀が空を薙いだ。
振り下ろした格好のまま固まり、数十秒してようやく息を吐く。
今の一振りはなかなか良くできており、際だって正す所も無かったと思う。
しかしシロの胸には良く判らない、不明瞭な感情が渦巻いていた。
なぜこんな良く判らない感情に襲われるのか、と考えた所で何処からかしわがれた声が聞こえてきた。

「精が出るのシロ、稽古は順調のようじゃな」

声の主は人狼の村を治める長老だった。
貫禄のある髭、皺が無数に走る顔、それを見れば長い時を生きていたことが伺える。
しかしその体には今だ強い生命力が感じられるし、ただ立ってるだけなのに隙も窺えない。
先程感じた喪失感はいつの間にか霧散して、そのかわり新たに疑問が生じていた。
彼がいったい何の用だろうか。
心の中で頭をひねる彼女に答えは先に発せられた。

「随分と集中していたようじゃな。少し一息つかんか?」

シロの額にはいつの間にか無数の汗が浮かんでいた。


*  *  *


「見たところ修行は上手くいっておる様じゃな」

「はい、少しづつだけど確かに腕は上がってると思うでござる」

「そうかそうか、あの小さなシロがよくここまで言えるようになったもんじゃ」

「長老〜昔のことを言うのは反則でざるよ」

二人とも茶を片手に和やかに談笑している。
あれから長老の勧めに従い、彼女は縁側に座り休憩をしていた。
暖かい日差しの下で飲むお茶はまた格別な美味しさで、それが話をいっそう盛り上げてくれていた。


「わしはお前のおしめも取り替えたこともあるんじゃぞ。どんな大口を叩こうがお前などまだまだ子供じゃよ」

「う〜」

どうにもこの老人には勝てる気がしない。
相手は彼女も知らないほどの長い時を過ごしているらしいので、当然と言えば当然なのだが。
わずかな抵抗とばかりに、シロは不満の意を込め口をへの字にして相手を睨みつけた。
しかし、まだあどけないその顔では迫力は感じられず、眉を吊り上げ肩を怒らす姿からはむしろ、愛らしさしか感じられないでいる。
ひとしきり笑うと長老は声を止めシロに向き直った。

「確かにシロは成長しとる。ついこないだとは比べ物にもならん。やはりお前を美神殿に預けたのは正解じゃった」

「…はい。東京で得た経験はとても有意義なものだったでござる」

「偶然とはいえお前が里を飛び出したことは僥倖であった。もしもあのままお前が奴を追わねば、あのまま里の全員が腑抜けていたことであろう」

かるく眼を閉じながらしゃべる長老の言葉は穏やかで優しい。
だがその言葉の中には若干の苦みも感じられる。
それはきっと、幼い彼女一人につらい思いをさせたことに対する後悔の念、なのかもしれない。
だがシロはそれを否定するように首を振り、口を開いた。

「そんなことは無いでござるよ。あれは拙者一人ではどうにもならなかったでござる。美神殿、おキヌ殿、それに先生と出会えたから拙者はここまでこれたでござるよ」

それを喋るシロの顔にはからは、先ほど自分を褒めてた時よりも嬉しそうな笑顔が伺える。
彼女の言葉から感じられる感情は誇り。彼女にとっての誇れるものは、何よりあの仲間たちと出会えたことなのだろう。

彼女の言葉に判っているとばかりに、長老は深く頷いた。

「うむ、そのとおりじゃ。お前一人では奴に返り討ちあってお終いだったであろう」

「良いかシロよ、人狼は人間に比べれば長く生きるじゃろう。しかし長い生であっても信頼できる仲間ができるか、それはまったくの未知数じゃ。お前はその歳で何人もの新たな仲間ができた、それは誇らしいことなのじゃぞ」

穏やかに諭すように放たれる長老の言葉からは強い説得力を感じられる。
その言葉がシロにはまるで亡き父から放たれた言葉のように思われた。
きっと父が生きていたなら同じように言ってくれるに違いない。
居住まいを正すとその言葉に強い意志を伴って返答した。

「はい」











この話はこれで仕舞いとばかりに、ごくりとお茶を飲み下した。
それと同時に今までの張り詰めた空気は、まるで無かったかのように霧散していく。
彼女もそれに倣ってお茶を口につける。
しかし、まさにその瞬間、

「ところでシロよおぬし好きな男はいないのか?」

「ぶふーーーー!!」

吹いた。緑の液体が華麗に宙を舞う。
シロの口から吹かれたお茶は盛大に庭へと降り注いだ。
それを見ている長老は何事も無かったかのように菓子に手を付けている。
対するシロは咳き込みながらもどうにか反論しようとしていた。

「長老!いきなり何のつもりでござるか?!」

「別にいいじゃろうが。お前もこの里の女、それが誰と夫婦になるのか把握するのも長の務めというものじゃ」

そういいながらも笑みは絶やさずにいるのは、はてどんな裏があるのか。
表向きには裏を見せない笑顔の長老を見つめるシロの表情は複雑だ。


「わしの友達の孫のベンなんてどうじゃ?まだまだ剣は未熟じゃが、なかなか気骨があるし気も利く良い男じゃぞ」

「向こうの棟に住んでいるベン殿なら知っていますが…。長老、拙者そんなことを言われても困るでござるよ」

「ふむ、ではやはり心に決めた者がおるのか?」

再び同じ質問。しかしその答えはなかなか出ず、言いあぐねて途切れてしまった。
彼女には別に長老が言うような想い人が居るわけではない。
居るわけではないのだが、何故か居ないというのは戸惑われた。
見ればその顔はわずかに赤く染まり、それを隠すように俯いていた。

「すまんすまん、こんな言い方では意地悪だったのう」

「長老…」

先ほどより柔らかい笑みに謝罪の言葉。
どうやら判ってくれたようだ。
ほうっと息を吐き、安堵する。
だがこれで終わりというわけではなかった。

「横島殿と言ったか、あの男じゃろう?」

「長老ーーー?!」

これではさっきより意地悪で、直球な質問だ。
シロの叫びも何のことかと、長老はまったく素知らぬ顔で庭を眺めている。
この質問になぜむきになるか自分でもわからないが、否定しなければいけないと思った。

「わしは別にかまわんぞ。たとえ相手がこの村の者でなくても、人狼でなくともな。お互いが好いているならそんなことは些細なことじゃよ」

「別に先生はそういうのではなくて…、先生は拙者の師匠でござるよ!」

「だが彼は男でお前は女。それが惚れ合うのはあることじゃよ」

長老の言葉に思わずたじろいでしまう。
嘘言は許さない。長老はシロの本心を待っているようであった。
そんな長老の態度を見て、ぽつぽつと語り始めた。

「…よく解らないでござる。先生のことは好きだけど、拙者にとっての先生は霊波刀の師匠で、父上みたいな人でござる」

「父か…。お前の父と彼はそんなに似ているようには思えんかったがのう」

長老はそう言うが、シロの中では彼と父に大きな相違点はなかった。
逞しい体、優しい心、仲間を命がけで助けようとする勇気。
そして何よりも…。

「先生の手は父上と一緒だったでござる。拙者の頭を撫でてくれる大きい手の平…。あれは父上の手と同じ温かさがしたでござる」

うっとりとその感触を思い出すように眼を閉じる。
彼女が浮かべたのは過去の情景、嘗てシロの父が健在だった頃。
幼いシロが修行を終えると、父は節くれだった無骨な手で頭を撫でて褒めてくれた。
鍛えられた手は硬くてちょっと痛いけれど、シロはその感触が大好きだった。
強くて温かいその手からは父の愛情が確かに感じられたから。

次に想起されたのはほんの僅か前の出来事。
彼と出会い、自分が超回復による急成長を遂げて修行を始めた時。
彼も修行が終わった後にはシロの頭を撫でてくれた。
父ほど硬い拳ではなかったし、大きくもなかった。
でもその手に宿る温もりは亡くなってしまった父と同じだった。
その瞬間、まるで父が帰ってきたのではないかと錯覚したほどだ。

彼女はその手を胸にやると、ぎゅっと握り締め次の言葉を紡いだ。

「でも…それだけじゃないような気もするでござる。良く判らないけど…先生といると胸の辺りがあったかくて優しい気持ちになるでござるよ」

意味もわからない心の中にある想い。
彼に感じるのは、父に対するものと似ているようで否なる感情。
名前を付けることは叶わないけれど、大事な物であるという事だけがなぜだか理解できた。
全部わかってると、長老は言い聞かすようにシロを見つめて言う。

「すまぬな、少し焦ってしまったのかもしれん。老い先短いからといってこの様な真似するとはな」

「…長老」

放たれる不穏な言葉にシロは不安の表情を表す。
父がいなくなり、この自分を案じてくれるこの人まで居なくなってしまうというのか。
長老はそんな彼女の気持ちを知ってか知らずか話を続ける。

「外見がいくら大きくなったとはいえ心ははまだ幼い。自分の中にあるものがわからなくても当然か」

「申し訳ありません…」

顔を伏せ肩をおとす。それは答えの出ない自分の心を恥じてのこと。
未熟な自分ではまだ長老の期待に応えることもできないのか。
小さな体を幾分丸め縮こまる彼女の耳にかすかに笑う声が聞こえた。

「いいんじゃよ、お前は焦る必要は無い。その特別な想いを持っているだけで、今は解る必要はない」

「特別な想い、ですか…?」

長老の言葉が良く理解できないシロはきょとんとした表情で返した。
彼女のまだ未熟な心を見守る瞳は微笑みを浮かべる。

「シロよ、今は父でも師でもよい。その想いを大事にせい。いつかきっと、それはお前の中で答えを出すじゃろう」

長老の言うことは正直良く判らない。
特別ってなんだろうか、ほんとに答えが出るのか。
疑問はいろいろあるけれど今はこれでいい。
シロにはそう思えた。


「……はい」



*  *  *



それから二言三言喋ると長老は帰っていった。
結局長老は彼女のことを心配していたのだろう。
まだ父をなくして何日も経ってない家は、正直広さを感じていた。
それを気遣ってくれていたのだ。

シロは縁側から立ちあがると再び庭の中央まで歩いた。
手をかざし己の内から霊波刀を抜刀する。
彼と出会い、そして彼と共に修行をして洗練させていった己の相棒。
思えばこれが強く大きくなる度に彼との絆が増した気がした。


そして先ほどと同じように稽古を始めようとした時、目の前を何かが通り過ぎた。
それは山に住んでいる野ねずみだった。都会ではなかなか見かけなかったが、自然が多く残っているこの土地ではねずみなんて珍しいものではない。
だが、シロはそのねずみを見て師のことを思い出した。

先日、東京へ往訪した時の出来事。
GS犬マーロウと共にねずみのネクロマンサーと戦い、自分の未熟さを実感した。
あの時の彼は敵に操られてしまい少々情けなかった。
けど、自分の声で正気を取り戻してくれたのがちょっと嬉しかったのは内緒だ。

はっ、と考えから抜け出す。
気づけば頭の中が彼で一杯になっているではないか。
集中しなくては稽古にならない。意識を霊波刀に集中させる。

構えは無形。まったくの無防備でありながらまったくの隙は無い。
防御でありながら攻撃も可能な矛盾した形。
息を深く吸い込み、吐く。

「はあっ!」

刀は空を薙いだ。烈火の気合を持って振り下ろされた一刀は、さっきの素振りを勝る勢いの一撃だった。

――その瞬間、来た。
先程も感じた妙な感じ。
心のどこかに現れた理解できなかった感情。
それもさっきよりも強く、強烈に叩きつけられる。
だけどそのおかげで、その正体が何なのかわかった。
その正体、それは喪失感。

いつも修行が終わると頭を撫でてくれた温かい手のひら。
それは、かつてあったものであり、今はもう亡くなってしまったもの。
自分を撫でてくれた大きくて逞しい父親の手。
けれど、今欲しいのはその手ではないような気がした。
父と比べることはできないけれど、一番大切な人。

ふと、長老の言葉が脳裏を掠める。
「今は父でも師でもよい、その想いを大事にせい。」
そうか、と思った。
思わず、自分の愚かさに笑いが出る。
大切なのはそうじゃない。綺麗により分けて箱にしまう事じゃない。
この想いがどれだけ強いか。彼をどれだけ想っているか。それが大事だ。

霊波刀が気のせいか、先ほどよりもわずかに透き通っているような気がする。
だがさっきと同じように見つめるが、そこに変化は無い。
変化があるとしたらそれは自分。この刀を見つめる自分こそが変わったんだろう。
何が変わったのか自分でも解らないがそれは確信した。

姿形だけが成長してしまい誰もが通る道を飛ばしてしまった未熟な心。
またいつになるか解らない再開の時。
今だ何かわからぬ師への想い。
それでも焦る必要はない。この想いの名はじきに解るであろうから。








「はぁ!!」

剣閃が疾る。今度は迷いの無い、会心の一振り。
痺れるような手応えだけが、たなごころに残っていた。







*  *  *











「長老ーーーーーーーーー!!」

「どうしたんじゃそんな大きな声を出して?」

手に持っている湯飲みを脇に置くと走りよってきた人狼の少女に向き直った。
彼女がいつか美神のところに行ってから、現在は数ヶ月が過ぎていた。
結界の外では何か事件があったらしいが、この村では詳しいことがわからなかったので静観していた。
ただ風の噂では件の男が亡くなったとも、行方知らずとも言われたが。
その時のシロの落ち込みようは半端ではなかったが、最近は区切をつけたのか進んで外の見回りに行っている。

「拙者に修行の許可を!また美神殿のとこに行って来るでござる!」

「な、なんじゃ急に?」

随分と興奮して居る様子で喋るシロからは妙な圧力が放たれている
長老も時折相槌を出しながら、支離滅裂な説明を理解していった。
一頻り話を聞くと興奮するシロに言い聞かせるように喋る。

「横島殿が生きていたか!そう簡単に死ぬ男ではないと思っていたがのう。そういうことなら修行の許可を出すが、何をいったいそんなに興奮しとるんじゃ?」

「拙者が行かねば先生があの女狐の毒牙にやられてしまうんでござる!」

「狐?……ともかく、あまり迷惑をかけるでないぞ」

不安そうにいう長老だがどうもシロには聞こえていないようだ。
さっきから早く行きたいと気が立っている。
長老は肩をがっくり落とし溜息をついた。

「では長老、拙者は荷物を持ってそのまま美神殿の所に行くので、家のほうをお願いするでござる」

「家は若い者に管理はさせておくから、お前はしっかりと修行をしてくるといい」

「感謝するでござる!」

それだけ言うと一気に走り出す。
数秒もするとその姿形は見えず、見えるのは彼女が巻き上げた砂埃のみ。
冷めたお茶を一口飲むと、長老は空を見上げる。
空に雲は無く、ただどこまでも青い空が広がっていた。孫が居なくなるのはこんな感じなのだろうかと思う。
そして願う、彼女が幸せになれるように。



「シロ、理解したのか?己の心を……」


空はただ青くどこまでも続いていた。
















まだ心臓が強く鼓動している。
だがそれは決して不快ではなく、むしろその音が心地良い。
シロはまとめた荷物を降ろすと胸元に手をやり胸の鼓動を聞く。
彼を見てからそれは強さを増すばかりだ。
深呼吸を二三度して何とか呼吸を整えると荷物を持ち上げ再び走り出す。


「せんせーい!お待たせしました!」

「いやぜんぜん待ってないぞ。お前どんだけ早いんだよ」

「先生に早く会いたくて急いで来たでござるよ!」

「ふ〜ん、横島君モテモテね」

「何言ってんすか美神さん!俺はこんなお子様は…ってシロ〜!腕がもげるからそんなに引っ張るな!」

「ただのすきんしっぷでござるよ」




再び会うことができた大切な人

今だこの心が何なのかわからないけど

今度は一緒に修行をして、散歩して、そして頭を撫でてもらおう

そうすればきっと判る日が来るはずだから

けど今あえて名付けるとしたならば






――この想いの名は……。





FIN
ええっと、まずは遅くなってすいませんでした(汗
これは前回開催した研究会のお題SSなんですが、いったい何時の話だよと言われてもしょうがありませんね。
まあともかく、皆さんの知恵を拝借したおかげで少しでも良い作品に仕上がったと思います。
研究会に参加してくださった皆さんありがとうございました。

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