『わたし さくらもち♪』
えー。毎度馬鹿馬鹿しいお話を一つ…
昔っから男性のハートを掴むテクニックには色々あると申しますが、その中でもよく使われるのは手料理という奴でしょう。
この手料理ってやつはツボに嵌まれば中々の効果を発揮します。
まあどんな美人でも毎日見ていれば飽きてきますが、料理というものはその気のになれば毎日のように上達していくもので、料理上手の奥方が料理をすれば飽きる前にその味に慣れてしまう。
つまり家庭の味というものが出来上がる。
これは大きいわけでしてな。
餌付けされた……なんて夢の無いことは言いっこなしで。
さて料理といってもまだ付き合ってもいない男女の場合は家庭料理を食べさせる場面は少ないわけですが、美神令子除霊事務所にかぎってはそうではありません。
なにしろここの家事を一手に引き受ける少女が料理上手。
となるともう餌付け完了済みかと思いきや、相手の男は貧乏故に「食えりゃなんでもいい」なんてタイプ、言ってみれば「舌バカ」だったりするもので、少女の努力は通じてなかったりいたします。
そこで乙女は知恵を絞りました。
つまり日常の食では餌付けは無理。
だったら彼が滅多に口にしないものなんかが良かろうと考えついたのがお菓子であります。
そして試行錯誤の末にたどり着いた逸品が今ここに並んでいる桜餅というわけで。
材料から吟味したまさに渾身の作。
そりゃあプロの菓子職人が作ったものに比べれば劣りますが、そこはそれ乙女心というスパイスが効いてます。
これなら件の少年もきっと喜んでくれるでしょう。
さてそうなれば一刻も早く少年に食べてもらいたいと思うのが乙女の気持ちってなわけでして、いそいそと出来立ての桜餅にラップをしてお出かけいたします。
幸いというか僥倖というか、まあ同じ意味ですが、人狼のシロちゃんは里帰り、雇用主の美神さんは打ち合わせということで夕方まで帰ってきません。
もう一人はいつものごとく昼まで怠惰に寝ていることでしょう。
つまり彼女が起きてくるまでは手作り桜餅とともに至福の時を過ごせると彼女が計算したとしても誰が責められましょう。
しかし悲劇というのはとんでもない場所に罠を張っていたりするのです。
軽めのおめかしをした少女が出かけてすぐ事務所に残っていた一人が起きだしてまいります。
彼女にとっては珍しいことですが、これは前日早く寝すぎたためにお腹がすいていたという至極当たり前の理由で他意があったわけじゃありません。
なにか無いかと台所に行ってみればそこには美味しそうな桜餅があるではありませんか。
元々出自はどうあれ日本に昔から棲んでいた妖怪ですから和菓子の類には目がありません。
フラフラと寝ぼけ眼のままラップをめくり一個を手にとって口に入れますと、たちまち広がる芳醇なアンコの香り、そして官能的ともいえる甘さ。
ついつい手が伸び一個、また一個と口に運んでいって気がつけば皿の上には何もないという状態になってました。
さてここに至って今まで口を挟むべきかどうかと悩んでいた人工幽霊も口を開かずにはおれません。
なにしろ止める間もなく食べられてしまったとはいえ、やはり止められなかったのは事実です。
このままではどんなお咎めが自分にも降りかかってくるか知れたもんじゃないではないですか。
『あの…タマモさん…』
「ん? なに?」
『いえ…その桜餅は…』
人工幽霊からことの次第を聞かされたタマモの顔が見る見る青褪めます。
確かにおキヌは優しい娘ですが、人工幽霊の話によれば朝から真剣に作っていたとの様子。
それがなんのためか判らないほど彼女もバカではありませんでした。
「ど、ど、ど、どうしよう…」
『私に言われても…』
「うーむ」と考え込む二人でしたが世の中はそんなに甘くはないものでして。
なんやら通りの向こうから慣れ親しんだ気配が二つ近づいてくるのを察知して人工幽霊が飛び上がります。
もっとも建物が飛び上がるわけではありませんが、上ずった声からすればかなりテンパっていることは明白でした。
『タ、タマモさん! おキヌさんと横島さんが到着しましたっ!』
「ええっ! どうすれば!?」
おろおろとうろたえているうちにも廊下を歩く二人の足音、そして楽しげなおキヌの声が聞こえてきます。
最早一刻の猶予もなく、考える間も当然無く、困ったタマモは自分の能力を最大限に生かすことにするしかありませんでした。
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「いやー。楽しみだなぁ」
「えへへ。今回は私頑張っちゃいました」
などと言いながらドアを開けたおキヌがテーブルを見て呆然とした顔になります。
無理も無いでしょう。
だってそこにはたった一個の桜餅があるだけだったのですから。
見た目はどう見ても桜餅です。
桜の花びらを思わせるほんのりと薄いピンク色の餅と対照的な鮮やかな緑の葉っぱ。
だれがどう見ても桜餅です。
けどなんとういうか違和感がありまして。
数もそうですが大きさが普通の桜餅の数倍はありそうでして。
彼女の記憶にはこんな馬鹿でかい桜餅を作った記憶はないわけで。
「あ、あれ?…なんで…いっぱい作ったのに…」
なんてもう涙声になってます。
さて困ったのは人工幽霊。
なんとか言わなきゃと己の心を叱咤して出す声がかすかに震えていたり。
『じ、じ、実はですね…タマモさんが起き出して…』
「食べちゃったんですか?!」
『い、いえっ! 全部は…』
あー。なるほどとおキヌも得心いたします。
確かに寝ているタマモに伝言の一つも残しておけば良かったかとも思いますが、こうなっては後の祭り。
ちょっと不本意ではあるけれど、それでも一個は残してくれたんだからと出そうになる涙を涙腺に呼び戻しニッコリと少年に笑顔を向けます。
「一個だけですけど食べてくれます?」
「勿論だよ」
こう言われて「食わん」と言うほどの馬鹿じゃありません。
それに数はどうあれ残った桜餅は二個か三個分ぐらいの大きさですから、赤貧にあえぐ彼に不満などありようはずもないわけでして。
「あ、じゃあお茶煎れてきますね」
少女が再び微笑みながら台所へと消えていく様を見送って横島はイスへと座りました。
目の前にある桜餅はとてもツヤツヤしていて瑞々しくて美味しそうです。
見ているだけでもよだれが出てきます。
そういえば今日は朝からなにも口にしていないことに気がついてしまえば、目の前の桜餅から放たれる「食べごろよん♪」的な雰囲気に抵抗できようはずもありません。
お茶が来るまで一口ぐらいは良いだろうと手を伸ばすと、『ええっ!?』と人工幽霊が素っ頓狂な声を上げました。
『た、食べるんですか?!』
「はぁ? 食べるだろ普通…」
何か問題でもあるのか?と目で問われれば人工幽霊も返しようが無いのか黙り込みます。
なんとなく居心地の悪い空気を感じながらも横島は桜餅に手にとれば、出来たての餅らしくほんのりとした温かさが伝わってきます。
なんだか餅がピクリと震えたような気もしますが、それは自分の空腹が手を震わせたのだろうと勝手に納得して桜の葉っぱをムキムキと剥いてみました。
『む! 剥いたーーーーっ!!』
「剥いちゃいかんのか?」
『い、いえ…通はほら桜の葉っぱごと食べるじゃないですか…』
「あー。そういう人もいるらしいけど俺は剥く派だから」
『そうですか…』
また黙り込む人工幽霊に首を傾げつつ手元の桜餅を見てみれば、なんだかさっきよりも赤みが増している気がします。
でもまあそれも葉っぱを取ったから視覚的な効果でそう見えるのだと納得して、「あーん」と大口を開けてみれば。
『噛むんですか!? 咀嚼するんですかっ!?』
なんて悲鳴のような人工幽霊の叫び声。
大口を開けたままポカンと馬鹿面を晒す横島に構わずに彼の叫びは続きます。
『齧るんですね!? もうこれ以上は無いってぐらいに舌と歯で蹂躙する気ですね?!!』
「なんで餅を食うだけでそんな極悪非道な奴みたいな言われ方をせにゃならんのだ?」
『だってその餅はタマモさんが!?』
なんか恐ろしいことを言われて横島は餅を片手に考え込みます。
ふむ…もしかしたらタマモはこの餅になにか悪戯をしたんじゃなかろうか?
例えばワサビを仕込むとか。
そういえばと出会った頃に冬空で寒中水泳の真似事をさせられた記憶が蘇ります。
もしや人工幽霊はそれを知っていて自分に警告を与えているのでは?
とりあえず餅を置いてみても特に変化はありませんし、変わったところも無いように見えます。
「うーーーん。なんだかなー?」
何気なしに呟いて人差し指を桜餅にズイっと押し込んでみます。
「う゛っ!!」
「え?」
『う゛っ体に関わる力は重力の影響を…』
「は? なにを言っているんだ人工幽霊?」
『あ、あは…最近、教育番組にこってまして…実は今度、宅建の資格をとろうかと…』
「そ、そっか…」
建物がどうやって資格をとるのか疑問ですが、まあ向上心があるのは良いことと無理矢理に納得させて皿に戻した桜餅を見てみれば、まるで小学生の必殺技を尻に受け細かく震えて耐えているかのように儚げな桜餅の姿があったりします。
「なあ人工幽霊…これって毒とか入ってないよな?」
『はあ…別になにも入ってはいませんが…』
餅そのものが問題だとなぜ気がつかないと人工幽霊は心の中で溜め息をつきますが、かといってここまで来てしまえば真実を告げるわけにはいきません。
せめて葉っぱを剥く前ならまだ間に合ったかも知れませんがもはや手遅れです。
「んー。じゃあ食べてみるか。もしやばかったら吐き出せばいいだろうし…」
ここまで鈍いともう人工幽霊が投げやりになったとして誰が責められましょう。
彼に出来ることはこの地獄が早く終われと祈ることだけでした。
んなことは知らずに横島は桜餅を手に取ると目を閉じ、大きく口を開けてかぶりつこうとします。
しかしその時、桜餅がまるで力むかのように赤く染まると横島の鼻先を涼風が通り過ぎました。
「臭っ! なにこれ? 臭っ!! フローラル?! ちょっ! 目に来るからコレ!」
ポテンと皿に落ちた桜餅がプルプルプルと悲しげに震えます。
まさに哀…震える哀。
ああ…それにしてもなんということでしょう。
こんなになってしまっては人工幽霊ももう黙ってはおれません。
なんとか…なんとか彼女を救わねば。
『す、すみません! 実は私、昨日から腹が張ってまして!!』
「お、オマエが屁を?!!」
『そうです! 私なのです!! 断じて命とブライドを秤にかけてついうっかりヒロインの道を踏み外してしまったタマモさんじゃありません!! なのにそんな乙女の気持ちも知らずにそこまで臭いとか連呼するのは人としてどうなんですか?! ええ?! ていうか気づけよいい加減!!』
「なんのことでしょうか…人工幽霊さん…」
『あーーーーーっもう!! 鈍いにもほどがあるっ! そんなら食えばいいでしょガブッと! 一切の妥協も遠慮も無く思いっきり!!』
「お、おう…」
キレ気味の人工幽霊の勢いに押され横島はブルブルと震えている桜餅の端っこに狙いを定めてガブリと噛み付きました。
「ぎにゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「うおっ!!」
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「どうしたんですか今の悲鳴は!!」
突然の悲鳴にお茶の用意を放り出して飛び込んできたおキヌの目の前では
「ううう…お尻…痛いよう……それに…あんな恥ずかしいことしちゃって…私もうお嫁に行けないよう…」
と泣きじゃくる全裸のタマモと
「な、な、な…」
と突然の出来事にイスから転がり落ちたまま固まって、呆然としている横島の姿がありまして。
それは誰がどう見てもそういう現場にしか見えなくて。
それでも信じたい乙女の恋心。
状況証拠は充分だけど、ここは第三者の証言が必要で。
「人工幽霊さん…いったい何が…」
『ううっ…私は…私は止めたのに…』
「そですか…」
『みんな鈍感が悪いんやーーーー!!』
などと謎の証言はあったものの、横島に対する判決は確定し、彼は状況が飲み込めないまま「ふふふ」と暗く笑う執行官にどこかへと連行されていったのでありました。
それからと言うもの美神令子除霊事務所では桜餅が出ると、少年とキツネがガクガクと震えだし、黒髪の少女が「いやん♪」と身をくねらせるという奇妙な現象が見られたそうですが、その理由が何かということを人工幽霊は何度聞かれてもとうとう口にしなかったと言うことです。
お後がよろしいようで…
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