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〜水平線は朱にきえる〜


 一面に広がる二色の青。
 深く沈んだような海の青。
 どこまでも透きとおるかのような空の青。
 二つの青は遠い水平線にて二つに分かたれている。
 穏やかに流れる風に踊りながら、幾通りもの表情を見せる海を、空が優しく包み込んでいる。
 
 白い砂浜には少女が一人。
 健康的な素肌を惜しみもなく陽光の下にさらけ出していた。
 幼さの残るその表情とは裏腹に、その瞳には深い悲しみがにじみ出ている。
 悲しみを押し殺すかのように、強く唇をかむ少女の目は遠い水平線に向けられている。
 ただただ、一心に見つめるその姿は、神に祈りを捧げる者の姿にどこか酷似していた。

 海の青、空の青。
 二つの青が交わることは決してない。
 けれど少女は祈る。
 二つの青が交わることを。
 二つを断つ水平線が消えてしまうことを。
 少女はその祈りに、何を託すのか。








 〜水平線は朱にきえる〜








 少女が王子にその心を打ち明けられたのはつい先ほどのことであった。

 豊富なレアメタルを誇るインパラヘン王国は、小国ながら国際社会でも一目置かれる存在である。
 王子はそのインパラヘン王国の唯一の後継者。
 若年ながらインパラヘン王国をより強国へと変革させていくだろうと、言われている。
 国民からの支持も高く、早くも王位継承を待ち望む声も出始めている。

 国の象徴たる王家は古くから続く血脈である。
 連綿と続くその歴史の中で、彼らの側には常に守護神と呼ばれる者たちがいた。
 インパラヘン王国の心の象徴たる巫女である。
 巫女は力あるエスパーの中から選ばれ、その傑出した能力を駆使することで、歴代の王たちを助けてきた。
 彼女たちは死してなお、王国を守る。
 『賢者の像』に今なお生きる彼女たちを、王国の者たちは敬愛と感謝の念を込められつつ、崇め奉る。
 故に彼女たちは守り続けるのだ。
 王を、王家を、そして、国の民を。

 少女もまた巫女であった。
 超度7という能力を誇る、当代の巫女。
 『賢者の像』に眠る歴代の巫女たちの能力をも駆使するその力は、世界的に見ても、彼女に比肩する者はごくわずかであろう。
 彼女の細い両肩には、あるいは王以上の重荷がのっていた。








「愛してるんだ……お前を。伝統やしがらみなど、私がなんとかする! だから……私と共に生きてくれないか?」

 少女の脳裏に思い出されるのは、情熱的な目で自分を強く抱きしめてくれた王子の顔。
 密かに慕っていた王子からの、突然の告白であった。

 あの瞬間、自分はどんな表情を浮かべていたのだろう。
 思い出そうとしても、うまくいかない。
 それはきっと歓喜と、驚愕と、悲しみの入り乱れた表情だっただろう。
 そう少女は思う。

 おそらくあの刹那の時こそが、人生でもっとも幸せな瞬間であった。
 伝わる熱に心を溶かし、この身を捧げたいと思った。

 これから先、あれほど驚くようなこともないだろう。
 不意をついたその言葉は、深く閉ざした心の扉すらも開きかけた。

 そして、あれほど悲しい決断をしなければならないこともないだろう。
 震える手を隠すために、王子に触れることすらできなかった。

 想いを伝え、強く抱き返したいと願う心を押さえつけ、少女は言ったのだ。
 自分を優しく包む腕を、ゆっくりと払いのけながら。

「……申し訳ありません、王子。エスパーとノーマル、王族と巫女……住む世界が異なるのです」








 王子はまだ知らなかった。

 きな臭くなりつつある国際社会において、エスパーは純粋な戦力として求められつつあることを。
 王を守り、王家を守り、民を守らなければならない自分の手が、これから赤く染められていくのだということを。
 政治に宗教が近づくことを嫌う政治家や良識者たちの存在を。
 他国には今なおエスパーに対する偏見も残っていることを。
 王家とは異なるが、確固とした国民からの支持を持つ巫女という立場の難しさを。
 そして、この恋は王家に災厄しか招かないということを。

 背負うものが大きいからこそ、少女は知っていたのだ。
 彼女の恋が叶うことはない、と。

 王子も王になり、背負うものが増えた時、知るだろう。
 そして、今日の出来事など忘れるに違いない。
 少女はそう思い、そう願う。

 もっとも、これから先も一つだけ知ることのないことがある。
 それは少女が王子を愛していたこと。








 深く、深く、どこまでも沈んでいくような海の青に、少女は自分を重ねていた。
 伝統や偏見、様々な人々の思惑――気づかぬうちに自分を縛るしがらみ。
 しがらみは、自分を深い深い海の底へといざなう。
 透きとおるような空の青に憧れ、近づきたいと願ってもそれらが決して許さない。
 近づこうと願い、雲となり、近づいけても、その身は空を曇らせるだけだろう。

 水平線がなくなれば、二つの青は一つになるのだろうか。
 それはきっと子どもの夢物語。
 眼前に広がる空と海のように。
 二つが重なることは決してないのだ。








 海を見つめていた少女がふと我に返ると、すでに辺りは夕暮れ時になっていた。
 ぼんやりと遠くを見つめる少女の目は、ゆっくりと一点に注がれる。
 視線の先にはゆっくりとその身を隠そうとしている太陽。
 そして、朱に染められる海と空。
 二つに分けられていたはずの海と空が、少女の目の前で、一つの色に染められようとしていた。
 二つを分かつ水平線も、今この瞬間だけはその仕事を放り投げ、注がれる夕陽にその身を任せている。

 込み上げる想いが、静かに少女の頬に透明な足跡を残す。
 流れる涙を拭うことすらなく、少女はにじみゆくその景色を一心に見つめていた。
 飽きることなく星が繰り返してきたその光景を見つめ、少女は言葉をもらす。

「いつか、いつの日か――」

 その言葉の先を、自分は口に出すことができるだろうか。
 この想いが叶う日は来ないかもしれない。
 それでも、それでも諦めることはないだろう。
 この景色を胸に刻みつけ、生きていく。
 生きていける。

 少女はそう思い、ゆっくりと歩き出した。
 朱に染まったその瞳には、確かな光が生まれていた。








 エスパーとノーマル。
 王族と巫女。
 二つを分かつ水平線。
 いつの日か。
 水平線は朱にきえるだろう。








 それは遥か昔。
 一人の少女の物語。
 少女は……

「けど少しは邪魔くらいしたくなっちゃうじゃない? ってゴメン! 息吹きかけないで!」

 ちょっとひねくれてしまったかもしれない?
ここまで読んでくださってありがとうございました。こんばんは、ダヌです。
この話はdryさんの『tea break 〜 絶チル 78th senseより 〜』から生まれました。
快く了承してくださったdryさんには、あらためて感謝しております。本当にありがとうございました。
ご指摘、ご批判、ご感想ありましたら、教えて頂ければ嬉しいです。
春からしばらく忙しいため、次の投稿は7月以降になると思いますが、これからもよろしくお願いします。
それでは、失礼いたします。

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