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魔界転生  −中−

氷室神社の在る御呂地村は、標高二千メートルを優に越す御呂地岳の裾野に広がる山村である。
その火山性土壌のためか、稲作地としての地味には乏しく、古くより林業を中心にして生計を成り立てていた。
現在は人口およそ二千人あまりの村ではあるが、近くに人骨温泉や奥曾野湖などの観光地もいくつか擁し、まったくの過疎に悩まされているというわけでもない。

だが、御呂地岳は元禄年間に噴火したという記録があり、浅間山などとならんで十分な注意が必要な火山、ともされている。
事実、近年には大規模な霊障が原因と見られる火山性地震や、宏観異常現象なども数多く観測され、それにともない一部の道路が通行止めとなるなど、その影響が心配されてもいた。
古いアスファルトで舗装された路面には、風雨に晒されたせいか、火山活動のせいか、あちこちでひび割れが走り、でこぼことした隆起や陥没が起きている。
地盤がゆるんでいるのか、落石注意の標識が示すとおり、大小様々な石が散らばり、そのまま放置されっぱなしとなっていた。

「うーん、別におかしな様子は見えないでござるよなぁ」

自動車の乗り入れが禁じられた山道を、シロは平然と歩きながら一人ごつ。
タマモの依頼によって調べに来たシロであったが、当初からの予想通り、目立った成果は何一つ上げられないでいた。
たしかに、自分の鼻や目には自信はあるが、何を探してよいかもわからなければ役に立ちようもない。
自分は小説にでも出て来るような刑事でも、ハードボイルドな私立探偵でもなく、捜査の基本すら知らない。
過去には、オカルトGメンで捜査の真似事のようなことをしたこともあったが、それとこれとは話が別だ。
明らかに人と違う自分が、まして知る者とてない土地で聞き込みをして、ごく僅かでも成果を上げられるなど、そう考えるほうが間違っている。

「そのことを知らぬタマモでもあるまいに・・・」

徒労に終わるむなしさからか、依頼人へのぼやきが口をついて出る。
つい、うっかり小石を蹴飛ばしてしまうと、小石は二度三度と跳ね、崖の下へ落ちていった。
もう、このまま一息に走って村まで行ってしまおうか。
日の高いうちに氷室神社に寄って、おキヌの墓前に手を合わせていこう、そう考え始めていた矢先だった。

シロの鋭敏な耳が、下から走ってくるバイクのエンジン音を捕らえた。
すっ、と道の端に避けると間もなく、一台のオフロード・バイクが大きな音を立てて走り去っていった。
あまり手入れがよくないのか、排気物質の濃い匂いにシロは顔をしかめ、走り去っていった先を睨みつける。
通行禁止になっているこの山道は、道を塞ぐ車の姿はなく、適度に荒れながらも舗装されていて、気ままに走るには穴場的なスポットとなっているのであろう。
ふと、追いかけていって捕まえてやろうか、とも思ったが、馬鹿馬鹿しくなってやめた。

次第に遠ざかるエンジン音をよそに、シロはまた、てくてくと歩き出す。
早くも春の訪れを感じさせる道は、のどかで穏やかだった。
のんびりとした風景の中、その道の先から、微かだが何かがぶつかる音が響いてきた。

「―――やったでござるな」

その音―――道端のガードレールにぶつかった音を聞き、シロはすぐに駆け出していく。
里の近くでも、たまに結界近くの山道に乗り入れてきて事故を起こす者があり、村の者と一緒に助け出しては、馴染みの駐在さんに突き出したりもした。
幸い、今回はぶつかっただけで、崖に落ちた様子はない。
おそらく、道の落ちていた小石にでも乗り上げて、バランスを崩したのであろう。
軽い怪我くらいはしてるだろうが、麓の村に運んでいって、お説教の一つでも食らえば少しは懲りるだろう。
急ぎ走りながら、そんなことを考えていた。



うねうねと曲がる道を走り、降っては登る道の先に、横倒しになったオフロード・バイクが小さく見えた。
古いガードレールは無残にへこんでしまってはいるが、見たところバイクには大きな損傷はなさそうで、この分ならちょっとしたヒーリング程度で治る怪我で済みそうだった。

「大丈夫でござるか―――」

走りながら声を掛けるが、呼びかけに対する返事はない。自分の声だけがむなしく木霊する。
さては頭でも打ったか、と顔も見ぬフルフェイスのメットを被った男のことを心配し、歩を早めるが、道路に倒れた男がぴくり、と動くのを見て安堵する。

「今行くでござるよ―――」

安心させるためにそう声を掛けるのだが、男はがばっ、と起き上がると、あらぬ方を向いて悲鳴を上げた。

「うっ、うわあぁーーーーーっ!!」

「大丈夫、心配要らないでござるよ―――」

突然のことで混乱しているのかとも思ったが、男は這うようにしてじりじりと後ずさる。
顔は全くわからないが、声はすっかり泣き声に変わってしまっている。些か様子がおかしかった。

「うわあぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっっ!!」

そのままカーブの向こうに、這いつくばって姿を消したかと思うと、一際大きな絶叫を上げ、それっきり静かになった。
只ならぬ様子にシロは足に力を込め、全速力で山道を駆け抜けて行った。

最後の坂を登りきると脇を覆っていた杉林が切れ、急に視界が明るくなる。
一瞬だけその白さに戸惑うが、目の前に倒れているバイクを見て気を取り直す。
シロは男が這っていった方、壁面に近いほうに目を向けるが、そこには誰の姿もない。

「おろ?」

思わず流浪人のような声を漏らしてしまうが、ふざけている場合では決してない。
傍目から見ても、どうもおかしかった様子にシロは焦りの色を隠せない。
場合によっては、急いで町の病院に連れていかなくてはならないかもしれなかった。
しかし、辺りを見渡しても誰もいなかった。
さては下へ落ちてしまったか、そうなるとやっかいなことになる、そう思って崖下を覗き込むシロの背中に、ひやりとしたものが感じられた。

「なに―――」

妖気にも似た、冷たい気配に急ぎ振り返る。
得体の知れぬものの襲撃にそなえ、素早く右手に霊波刀を出して身構える。
だが、目の前に立つ者の姿は、見知らぬ悪霊や妖怪などではなく―――

「お、おキヌどのっっ!?」

六年も前に死んだはずのおキヌが立っていた。



「お、おキヌどのでござるかっ? ほ、ほんとうにおキヌどのでごさるかっ!?」

「そうよ、シロちゃん」

失われたはずの大切な人の姿を前に、シロは狼狽を隠せない。
そんなシロの醜態を前に、おキヌは笑みを絶やさず応える。
懐かしい声と笑顔に、思わず涙が出てしまいそうになった。

「で、でも、どうして? おキヌどのはあのとき―――」

死んだはずでは、と言おうとするが、そこから先の台詞がどうしても口から出て来ない。

「言ったでしょう? 死んでも生きられるから、って」

おキヌは、ちょっとしたいたずらが決まったかのように、にっこりと笑う。
その生き生きとした表情は、あまた見てきた幽霊と同じものとは、とても見えなかった。

「私もシロちゃんに会えてうれしいわ」

「おキヌどの・・・」

その変わらぬ姿を見て、様々な思い出がよみがえる。
知らず知らずのうちに、つい鼻の奥が熱くなってきた。
このまま抱きついて泣いてしまおう、シロはそう思って足を踏み出すのだが、何故だかその場で止まってしまう。
後ろや左右には動けるのに、前に進もうとするとぴたりと止まってしまう。
何度試して見ても、やはり同じだった。

「むむっ?」

「どうしたの?」

「い、いや、嬉しさののあまりか、足が動かなくなってしまったでござるよ」

シロは、自分の言うことを聞かない身体に戸惑い、顔を赤くし、苦笑いしながら返事をする。
額には、熱くもないのに汗が浮かんできていた。

「うふふ、おかしなシロちゃん」

おキヌは、わけもなく慌てるシロの様子を楽しそうに見つめていたが、シロのしっぽが怯えたように膨らんでいるのを見逃しはしなかった。



「そうだ、おキヌどの。ちょっと聞きたいのでござるが」

相変わらず膨らんだままのしっぽには気付かないまま、ふと大事なことを思い出してシロが尋ねる。

「なあに、シロちゃん?」

「この辺りで男の人を見かけませなんだか? たぶん、怪我をしていると思うので、連れていかないといけないのでござるが」

「ううん。そんな人いないわよ」

「あのバイクに乗っていたのでござるが―――」

首を傾げながら、シロは後ろに倒れているはずのオフロードバイクを指差す。
だが、その先にバイクの姿などない。

「どこの?」

「あっ、あれぇ?」

すっとんきょうな声を上げて、シロは辺りをきょろきょろと見渡す。
さっきまで確かにあったはずのバイクが、影も形もなくなってしまっている。
ガードレールには確かにぶつかった痕があり、三本のパイプが無残にもひしゃげていたが、その原因となった物体はどこにもなかった。
身を乗り出して崖下を覗き込んでみても、それらしい様子はまったくない。
消えてしまったバイクの行方に、ただ唸るばかりだった。

「おっかしいでござるなぁ」

「見間違えたんじゃないの?」

「そんなはずないでござるよ。拙者、確かにバイクが倒れているのを見たでござる」

「なら、大した事なくてさっさと行っちゃったのよ、きっと」

「そうでござるかなぁ―――」

なおも腑に落ちない、といった顔つきで、シロは路面に手をついて細かく調べるが、ブレーキ痕らしきものはあっても、割れたカウルの破片一つ見当たらない。
いっぱしの鑑識のようなその様を、おキヌが興味深そうに後ろから覗き込むと、手元にすっ、と影が差した。

「ああ、おキヌどの。そこに立たれると暗くなってしまうでござるよ」

「ごめん、ごめん」

「申し訳ござらぬが、ちょっと下がっててくださらぬか」

「はいはい」

「かたじけない」

昔と変わらぬやり取りに、思わず顔がほころんで来てしまうが、何か、もやもやとしたものが脳裏にひっかかる。
荒れた路面の上をくまなく探しながら考えるが、どうも形になっては出て来ない。
気のせいか、と思い直し、手がかりの捜査に集中する。

両手をついてくまなく調べていると、やがて何かの匂いが触れた。
巻き上がる土ぼこりが鼻腔を刺激するが、その奥に微かに匂うもの―――血痕だ。
人間ではとうてい感知できないほどの微量、ごくごく小さな痕に過ぎなかったがまだ新しく、点々と続いている。
それはちょうど、男がうろたえながら後ずさっていた方向と同じだった。

「おキヌどの! やっぱりあったでござるよ!」

自分の正しさを証明する手がかりを見つけ、シロは嬉しそうな声で呼びかける。
おキヌからの返事はなかったが、顔を上げずにそのまま先を急ぐ。
ぽつりぽつりと連なる痕を追っていくシロの動きが、不意にぴたり、と止まった。

「こ、これは・・・ 血の痕に混じって漂うこの匂いは・・・」

誰に聞かせるでもなく呟きが漏れる。
それは、人が死んだときに発する独特の霊波、”死臭”の匂いだった。
微かに漂う匂いをたどっていくと、またも目の前が暗くなった。
シロはがばっ、と顔を上げ、慌てた様子で声を上げる。

「大変でござるっ! ライダーどのは死ん・・・で・・・し・・・」

顔を上げたシロは途中で息を飲み、そのまま絶句する。
傾きかけた太陽を背にしたおキヌの顔は、暗く影になっていてよく見えない。
暗く、影になって―――シロの頭の中で、もやもやとしていた霧が晴れかけてきた。

「お、おキヌどのは、ゆ、幽霊のはずで、ござる・・・の・・・・に・・・」

途切れ途切れに出す自分の声に、ほんの少し影が動いたような気がするが、おキヌの顔はまだ見えない。

「ど、どうして、か、影があるので、ご・・・ござる・・・か・・・」

そこまで言って、ごくり、とつばを飲んだ。
身体はもう、がたがたと震え出している。

「どうしたの、シロちゃん?」

なおも顔の見えないおキヌは、いつもと同じように優しげな声で話しかける。
僅かに首を傾げたとき、影の中でおキヌの目がぎらり、と光った。

「うっ、うわあぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーっっ!!」

その途端、シロは聞くも恐ろしげな悲鳴を上げ、見る間に山道を、あたかも転がり落ちるかのように走り去って逃げて行く。
ひとり残されたおキヌの影からは、なおも死臭が漂っていた。
三話目の投稿です。
ようやくシロとおキヌが対面したかと思うと、もう離れてしまいました。
はてさて、これからどうしたらよいやら。

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