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いつか回帰できるまで 第二話 ○○家の人々

 闇、果てしない闇の空間がどこまでも広がっている。
 人が知覚し得ない深淵の中で、巨大な何かが蠢いていた。
 だが、視覚の及ばない空間をぐるりと見回し立ち止まっていた。

『イナイ』

 それは小さくつぶやいていた。
 そいつは小さく鼻をひくつかせ、首をひねる。

『イナイ……ダガ、イキテイル』

 誰にも届かない思念の螺旋が何処までも続く。


『……』

 獰猛な目が底光りし、再び注意深く辺りをうかがう。
 小さく喉を鳴らして、巨体は何かを求めるかのように再び闇の中を蠢き始めていた。

『ノガサン』

 強い妄執が言葉を紡がせていた。





〜 いつか回帰できるまで 第二話 ○○家の人々 〜







 チョポ……ポポポ

 慣れた手つきで急須にお湯を注ぐ。
 ポットなどではなく、湯釜で沸かしている辺りがこだわりなのかもしれない。

「はい、どうぞ横島さん」

 コトン

 ちゃぶ台の上には湯飲みが二つ。双方ほどよく湯気が上がっている。
 横島とおキヌが仲良くそれを囲んでいた。
 湯飲みを傾ると、懐かしい緑茶の香りが口いっぱいに広がっていく。
 そんな落ち着きの似合う情景の中で、横島は微妙に周囲に周囲に目線を泳がせたり、ゆらゆら揺れたり。今ひとつ落ち着きがなかった。

『うーむ、感覚が追いつかないっつうか』

 ちらちらと正面に座っているおキヌに視線を向ける。
 白髪と和服が馴染んですっかり深い皺が刻まれた彼女の年齢は、目算で70歳を出たか否かくらいだろう。
 髪のボリュームはしぼみ、皺が刻まれている。確かに相応の年月を感じざるを得ない。だが、彼女は紛れもなく横島が知っている女性だった。
 柔らかな物腰と表情も、優しい光を宿す瞳も全て繋がりを感じさせていた。

『うん、間違いなくおキヌちゃんだよな。年はとったけど』

 招き入れられたおキヌの部屋は、畳の香りがする質素な和室だった。
 檜の箪笥に和紙が貼られた障子というありきたりな和室だが、実に彼女らしく手入れが行き届いている。
 実に質素で素朴なたたずまいの部屋はこぢんまりと落ち着いていた。
 漂っている確かな生活臭が鼻孔をくすぐる。
 二人揃ってお茶に口をつけながら、しばらく暖かな日差しの中で佇んでいた。

 チチチチ

 小鳥のさえずりさえ聞こえていた。
 都会には珍しいとさえ思える庭付き一戸建ての和室でなんとも言えない穏やかな時間が流れる。

「なぁ、おキヌちゃん」

 意を決したのか、ようやく横島が声を絞り出す。

「はい、なんですか、横島さん」

 お茶をすする顔を上げて呼びかけに応じる。
 ひまわりが咲いたような笑顔だ。年相応の変遷を経てもその根本は変わらない。

『やっぱりおキヌちゃんなんだよなぁ』

「俺って、どうなってたんだ?」

「……」

 横島の問いかけにおキヌはジッと沈黙することとなった。

「俺さ、美神さんたちと一緒に牛みたいな魔族と戦ってたんだ。そいつに良く分からん場所へ飛ばされて、文珠ですぐ帰ってきたら」

 まっすぐに見つめ合って、おキヌは小さくため息をついていた。

「横島さんは50年間行方不明になってたんです」

「……」

 カッチカッチカッチ……

 秒針の進む音がやけに白々しく聞こえてくる。脳の秒針は止まってしまっていた。
 何も言えないに空気に横島は冷や汗を浮かべ、両目を見開いていた。

「ご、ごじゅうねん?」

 ある程度覚悟していただろうが、横島の声がかすれている。唇も喉もカラカラに乾いてしまっていた。
 いわゆる半世紀だ。彼女が老いるには十分すぎる時間と言えた。

「はい」

「そ、そっか」

『分かってたけど。だっておキヌちゃんがおばあちゃんになってるんだもんな』

 そう内心で言ったところでしょうがあるまい。

「横島さんが消息を絶ったあの後、周辺一帯を調べたら、どうやら空間転移が行使されたみたいだったそうです」

「空間転移? あ、あぁ、あの気持ちの悪い場所か」

「横島さんが送り込まれたのはねじ曲がった次元の狭間で、迷い込んだらおそらく出てこられないってヒャクメ様の調査結果が出たんです」

「げっ」

「その空間の時間軸がずれていて、戻れたとしても百年近くは帰れないって」

「ぬぁっ!! そ、そんな危険なトコだったんか」

「でも、私、信じていました。横島さんなら必ず帰ってくるって」

「え、あ……」

「おかえりなさい。でも、私、横島さんの守備範囲は超えちゃいましたね」

 前半は柔らかに微笑み、後半は少し翳りを帯びた寂しそうな笑顔。

「へ?」

「いいえ、なんでもありませんよ」

 少しだけ噛みしめるように瞳を閉じた後、柔らかく微笑んでいた。

『か、可愛い』

 齢70を超える老婆にそぐわないだろう形容詞が横島の脳裏に浮かんだ。
 だが、思わず釘付けになる。
 確かに年を重ねて老いが彼女の容姿を衰えさせたことは間違いない。しかし、それでも彼女は綺麗だった。
 積み重ねた年輪が、丹念に彼女を磨いていたのかもしれない。

『な、何だこの色気はっ、おばあちゃんなのに、なんでドキドキしている俺はっ!?」

 美しく歳を取った。そんな印象だ。

 横島の全身から汗が噴き出していた。不快な感じではなく、一種の高揚感と共にある。そんな汗がにじむ。

『や、やばい。何でかドキドキしっぱなしだっ』

 誰かに咎められるわけではないのに焦ってびくびくしてしまう。
 元々小心者の彼には下手な沈黙は耐えられない。

『あれ? ちょっと待てよ? 50年経って孫が居るってことは』

 ハタと脳裏に浮かぶ物があった。

「え、えっと、ところですげぇ気になることがあるんだっ」

 上がった心拍を押さえ込むように言葉を切り出す。

「はい、私が知っていることならお答えしますよ」

 問いかけを受ける瞳が覚悟を決めたように引き締められていた。

「おキヌちゃん」

 二人の視線が交錯していた。

「はい」

「おキヌちゃんは誰と結婚したんだっ?」

「はい?」

 想像の斜め上を行く質問にカクッと首をかしげて固まっていた。

「あの? どーいう質問ですか?」

「だってさ、だってさぁっ、孫が居るってことは結婚したってことで、結婚したってことは、ちくしょー、なんだかとってもちくしょーっ!! 俺の彼女が一体誰のものになったんやぁぁぁっ!! どちくしょーっ!!」

 ガンガンちゃぶ台に頭叩きつけながら、ダクダク悔し涙を垂れ流す。しまいにえぐえぐ泣いている様は心の底から悔しがっている。

「プッ」

 おキヌは思わず吹きだしていた。その表情には何処と無く嬉しそうな気配が漂っていた。

「もー、横島さんったら早とちりしすぎです」

 ころころ笑いながら着物の袖で口元を軽く押さえていた。

「へ?」

「横島さん、私の名字ってなんだと思います?」

 悪戯っぽく瞳を輝かせて横島をじっと見つめる。
 澄んだ瞳、それは間違いなくかつて共に過ごす横島を見ていたおキヌの瞳だ。

「くああぁぁ、質問に質問で返すかっ? まさか西条だなんていわないよな? な?」

「もうっ、違います。もっと簡単に考えてください。本当に分かりませんか?」

 拗ねたような表情で重ねて問いかけてくる。

「そ、そないなこと言われ……っ」

 カラッ

「ねぇ、おばあちゃん」

「どあぁっ」

 唐突に開いたふすまからおキヌ、ではなくおキヌの孫娘の絹香嬢が姿を現していた。

「オカルトGメンに電話しといたよ」

「あら、ありがとう絹香」

 優しい微笑み、横島に向けるものとは少し違う、孫に向ける微笑がある。

「そっか、50年だもんな」

 改めて時間を自覚し、何か置き去りにされた気持ちだった。

「にしても、ホント似てるよなぁ」

 思わず感嘆の声が漏れる。
 腰まで届くような長いつややかな黒髪、ぱっちりとした瞳に整った目鼻立ちが花を添える。
 絹香の容姿はおキヌの生き写しといっていいくらいにそっくりだった。

「ん?」

 絹香が部屋の入り口から横島のほうへキョトンとした目を向けていた。

「最初おキヌちゃん本人だって思ったもん実際」

「隔世遺伝したんですね、きっと」

 コロコロ笑うおキヌは幸せそうだった。
 そこに横島が知らない60年があるのかと思うと一抹の寂しさを禁じえない。

「ねぇ、おばあちゃん」

 無邪気な笑顔で呼びかけてくる

「なぁに? 絹香」

 おキヌも孫へ向ける柔らかい声、

「この横島さんがおじいちゃんでいいんでしょ?」

 ガシャァッ!!

 横島が勢い良くちゃぶ台に突っ伏した。
 対面のおキヌはボフッと耳まで紅に染め上げていた。

「ちょ、ちょっと、絹香っ」

 上ずりきった声で冷や汗流すのは言うまでもなくおキヌ。

「だって、おばあちゃんったら結局独身通しちゃうんだもん。若い頃は、周囲の人がさんざんもったいないもったいないって言ってたらしいじゃない。よっぽどおじいちゃんのこと好きだったんでしょ?」

 苦笑する孫娘の顔は、別段イヤミは無く素直に感想を述べてる風情だった。
 瞑目してうんうんとしみじみ頷いているあたりが愛嬌と言っていいのだろうか?
 言われたおキヌはどうしようも無いくらいに頬を真っ赤に染めてうつむいてしまう。

「ど、どどどどどっ、独身っ? だったら、何で孫がっ? って、俺がおじいちゃんっ?」

 横島が両手で頭抱えてうろたえまくっていた。
 衝撃的な単語が飛び交ったせいで、横島の思考はしっちゃかめっちゃかである。
 もっともこの状況でまともな日本語を期待するのが酷というものだろう。

「も、もう横島さんっ、まさか『身に覚えがない』だなんて……言わせませんからね」

 小さく上目だけ横島に向けている。ちゃぶ台の上の人差し指が忙しなく「の」の字を書いていた。

「あ、う、も、もしかして、おキヌちゃんと俺の孫ってこと?」

 おキヌは一瞬横島を見て、目線を下に落としたままで観念したように黙ってコクリと頷いた。

「もしかしなくてもそうです。私は今でも氷室キヌのままですよ。横島さんがもらってくれないから行き遅れちゃったんじゃないですかっ」

 上目で横島を見る瞳は静かに責める光を帯びている。

「あ、あぅあぅっ」

「じゃ、よろしくね♪ おじいちゃんっ♪」

 明るい声の絹香と対照的に、横島は完全に硬直している。
 冷や汗ダクダクの彼には孫娘の明るい挨拶はほとんど耳に入っていなかった。
 のどかな風景の中で彼の周囲だけ異空間と化していた。

「ちょっと、おじいちゃ〜んっ」

 完全無欠に思考停止した横島の目の前で絹香が手をパタパタさせ嘆息する。

「うーん、聞こえてないみたい……あ、そうだっ、おばあちゃん、父さんと母さんが帰ってくるって」

「あら? ずいぶん急ね」

「おじいちゃんが見つかったって言ったら即答だったよ?」

 屈託無く、爽やか極まりない笑顔だった。
 思わずおキヌの笑顔が引きつっている。

「……確認する前に?」

 先ほど確認するまで横島が『おじいちゃん』であることは確定していなかったはずである。
 おキヌもさすがに聞きとがめたらしく頬にツーッと冷や汗流している。

「『多分』おじいちゃんがって言ったよ、ちゃんと」

 悪びれもせずペロッと舌を出している。いたずらっ子のような表情はおキヌには見られなかった表情である。容姿はおキヌそっくりな絹香だが、性格は大分茶目っ気たっぷりらしい。

「え? ちょ、ちょっとまって、俺の『孫の親』ってことはっ」

 ようやく祖母孫の会話を理解できた横島が素っ頓狂な声を上げていた。

「私と横島さんの子どもです」

「や、やっぱし?」

「もぉ、相変わらず往生際が悪いんですからっ」

 頬を膨らませて、プイッとそっぽを向く様はまるで少女のようでもある。

「そ、そー言われても、状況について行くので精一杯やねんから、と、ところで息子なんか? 娘なんか?」

「あ、それは……んむっ!」

 答えようとおキヌの口を背中から手を回した絹香がふさぐ。

「うふふ〜、どっちだと思う? おじいちゃん?」

 おキヌの肩越しに、絹香はちょっと意地の悪い上目遣いで悪戯っぽく笑っていた。

「そ、そないな事言われても」

「たぶん正解はすぐ分かるけどね」

「いま帰ったぞぉぉぉっ!!」

 バタァァァァンッ!!

 もの凄い勢いで扉が壁にたたきつけられていた。
 奥まったこの和室にさえも強烈な衝撃が走る。

 ドタタタタタタッ ガラッ バシィィィィンッ

「親父が見つかっただってぇぇぇぇっ!!」

 ふすまを吹っ飛ばさんばかりに開け放って、飛び込んできたのは横島も見慣れた顔だった。

「お、親父っ!?」

 横島は驚愕に目を見開いていた。
 そこにいるのは横島の宿敵とも言える壮年の男性、実の父、横島大樹……ではなかった。

「忠彦っ、少しは落ち着いて帰ってきなさいっ」

 馴れた様子のおキヌが飛び込んできた壮年の男性に向かってたしなめる。

「え? あれ? おや?」

 いきなり登場に置いてけぼりを食っていた横島に飛び込んできた壮年の男性が駆け寄っていた。

「おぉっ、これが親父かっ。うん、若い頃の俺にそっくりだっ」

 ずずいっと迫ってくるおっさんに後ずさり混乱に包まれながら、ややあって横島に理解が進んでくる。

「お、おキヌちゃん、もしかして、このうちの親父にそっくりなのって?」

 ようやく目の前のおっさんが何者か把握できていた。

「そうですよ」

 ため息混じりに苦笑している。

「息子の忠彦です」

 そして、ちょっとだけ柔らかく微笑んだ。

「私と、横島さんの子どもですよ」

「え、えっと」

 とまどいながらも、横島とおキヌの目線がふれあった。どちらとも無く頬に朱がさしてくる。
 柔らかな空気が紡がれて、そばにいる絹香が嬉しそうにその様を眺めている。

 と、その瞬間だった。

 ゴッ ヒュッ

 突然何かが空気を切り裂いた。

「くぉらぁあぁぁっ!! この宿六がぁぁっ!!」

 ゴメシッ!!

「げぶぅっ!!」

 水平方向に飛んできたアタッシュケースが忠彦の側頭部に直撃する。

「なっ、何だっ!?」

 横島が思わず飛んできた方向を見ると、投げっぱなし体勢で女性がゼエゼエ息をついていた。
 揺れる亜麻色の髪をうなじで束ね、スラッとさりげなく身綺麗なファッションセンスが光る。
 もっともその形相は阿修羅もかくやで整った容貌がかえって恐ろしい。

 だが、横島が驚いたのはそれだけが原因ではなかった。
 強烈に意識を根底から何かを叩きつける存在感がそこにあったからだ。

「た、隊長? いや、美神さん?」

 思わず横島からそんな言葉が突いて出てくる。横島の記憶から引き出すとそんな人物名が浮かび上がってくる女性だった。

「逃げてんじゃないわよっ!! 話はまだ終わってないでしょうがっ」

 その女性は鬼も裸足で逃げ出しそうな剣幕で部屋にズカズカと押し入ってくる。

『いやっ』

 女性の年齢は40半ばくらいに見えた。

『50年だろ。さすがに隊長はねぇよっ、それに美神さんでも」

 いくら美神の女が人並み外れて若作りだと言っても美智恵はむろん、美神だろうがそんな容貌のはずがない。
 向かいに座っているおキヌでさえ見事な老婆になっているのだ。

「いや、待てっ。あの娘とはホントに何もないんだ。あれはほんの挨拶というかだなっ」

 忠彦が冷や汗ダラダラ流しつつ、言い訳にならない言い訳を並べている。
 彼のセリフで、何があったのか想像できるあたりが微妙に悲しかった。

 ヒキッ

 空気が音を立てて固まっていた。

「ほっほぉ〜」

 女性がその秀麗な眉をつり上げ、じっとりとした「殺す笑み」を浮かべる、口の端が小刻みにビートを刻んでいた。 

「あー、父さん、終わったなぁ」

 絹香がため息交じりに天を仰いだ。呆れ混じりの声に「またか」と言いたげな空気が漂っている。
 どうやら忠彦の運命は決まったらしかった。

「挨拶がてらいちいちナンパせんと生きていけんのかおのれは、どーいう精神構造しとんじゃぁぁっ!!」

 ゴメシッ!!

 スカートの裾を気にしないヤクザキックが忠彦の顔面にめり込んでいた。

「ごふっ!! いや、だから、アレは社交辞令っつーか、条件反射っつーかだなっ。業というかやらずにはいられな……」

「アホかーっ!! そんな条件反射があるかぁぁぁっ!!  あまつさえ話の途中で逃げ帰るとわ、どーゆーつもりかぁぁっ!!」

 メキィッ!!

「ごぶぁっ!! ち、違うぞっ。ちょっと待てっ!! あれは絹香から電話があってだなっ!! 急いで帰らなきゃならんって、ぉおぃっ、何で神通棍を構えてっ!?」

「う〜ふ〜ふ〜ふ〜♪ 六文は持ったかしら〜? 私は出してあげないわよ〜」

 いい感じに霊気をまとった神通棍が「ジャキンッ」と乾いた音を立て、引き延ばされる。
 問答無用の臨戦態勢に、女性の全身から陽炎が立ち上り、周囲の空気が放電するかの如くパリパリと香ばしい音を立てていた。

「いや、だから落ち着いて話しあおう」

 壁際でイヤイヤと左右に首を振る様はまるで袋小路に追い詰められた獲物、実に哀れぶり全開だった。

「ま、待て、だから、話せば……」

『『『話してもきっと分からないよ。あんたの理屈は』』』

 その場に居る全員が心の中でツッこんでいた。

「このボケがぁっ!!」

 ズガッ!!

 忠彦の頭部に殺気を帯びた神通棍が振り下ろされ、霊気の閃光が炸裂していた。

「ぎゃぁあぁぁぁぁっ!!」

 ゲシゲシゲシゲシゲシ

 引き続き倒れ込んだ忠彦に追い打ち攻撃の神通棍乱舞とストンピングが見舞われる。

 横島はダクダク冷や汗流しながら、強烈な既視感を感じていた。

「な、なんかすごく懐かしい風景の気が……」

「横島さんいつも美神さんに殴られてましたからねぇ」

 お茶をすするおキヌは落ち着いた様子。回顧するようにしみじみ合いの手を入れていた。

「ね、ねぇ、おキヌちゃん。止めなくて良いの?」

「え? あぁ、いつものことですから」

 全く心配の無い様子でシレッと答えていた。
 昔、横島が折檻されていたときに「まぁまぁ」と止めに入っていた頃から考えるとこれは成長なのだろうか?

 ゴトッ

 そして、ひとしきり折檻が終わる。
 先ほどまで忠彦だった半殺し体が結構な勢いで床に沈んでいた。

「まったくっ、このバカタレはっ!!」

 恐怖の女神は憤懣やるかたなしといった顔で肩で息をしていたが、ほどなくして横島と目があった。

「あっ」

 不機嫌から一転して瞳を輝かせる。

 タッ

「え? な、何?」

 横島は思わず身じろぎしていた。何かしたわけではないのだが、体に染み付いた習性が先ほどの折檻に萎縮している。

「あぁ……っ、間違いないわ」

 頬をほころばせ女性が横島の目の前まで迫ってきた。
 美神に良く似た女性に横島は思わずゴクッと喉を鳴らしていた。

「え? え?」

「『兄ぃに』だわっ」

「へ?」

 アゴが底を抜けそうになる。

「うふふ、分からないみたいね。でも、私は覚えてるわ。幼稚園児だったけど、いつも遊んでくれた忠夫兄ぃにの事は」

「え? まさか、もしかして俺を兄ぃにって呼ぶって事は」

 脳裏に浮かぶのは幼いどころではすまないほどの幼女だ。
 横島が一緒に遊んであげると大喜びし、遊んであげられないとへそを曲げる。
 そんな幼い少女が記憶の奥から呼び起こされてくる。

「うふふ♪」

 そして、大きく目を見開く横島は口を全開にしていた。

「ひのめちゃんっ!?」

 横島の驚愕の声に、彼女は満足げな笑みを浮かべていた。

「当たり。久しぶりね兄ぃにっ、それとも、お義父さんって呼んだ方が良いかしら?」

 まるで少女のような、無邪気さといたずらっぽさを宿す瞳が横島をじっと見ている。

「ちょ、ちょっとまってっ『お義父さん』っ!? ってことは、まさか絹香ちゃんって」

 震える彼の指が先ほど知ったばかりの孫娘を指していた。

「えぇ、絹香は私の娘ですよ」

 ひのめはくすくすと楽しげな笑顔を浮かべ、口元に手を当てている。

「なんだってーっ!?」

「あの日、忠夫兄ぃにが行方不明になってから……まぁ、なんだかんだ色々あったけど忠彦と結婚したの」

 苦笑いしながら言う様は、色々な感情が入り乱れているようにも見える。
 本当に色々あったのだろう。

「そ、そうなの?」

「最初は弟みたいだったんだけど、なんて言うか、バカでスケベなところも時々可愛いかもって思っちゃって、浮気性なところも管理下にあればいいかって」

 どこかで聞いたことのあるようなコメントの述べるのは美神ひのめであって、横島百合子ではない。

「う、う〜む」

「でもね……確かに覚悟はしてたけど、忠彦の奴ったらバカでスケベなのは結婚してもぜんっぜんっ変わらないんだからっ!!」

 ひのめは目の端をギュッと吊り上げ拳を握り締める。先ほどの折檻の時に見せた形相が垣間見える怒りの片鱗。

 青ざめた横島が仰け反りながら、冷や汗を垂らす。引きつった表情はなかなか見ていて楽しげでもある。

「み、耳が痛い」

「横島さんには他人事じゃありませんから」

 湯飲みを傾けながら、おキヌは横島にジト目を向ける。
 にじみ出てくる響きが横島の背筋に冷たいものを滲ませる。

「お、おキヌちゃんっ?」

「私とのデートの最中にも他の女の人に目がいってましたからね。忠彦のああいうところは間違いなく横島さんの遺伝です」

 ジトーっとした視線で、ばっさりと断定されていた。

「あ、あうあう……」

 トゲ満載の言葉がちくちくちくちくと横島に突き刺さる。

「さて」

 ひのめはくるっと横島の方へ向き直る。

「とにかく、忠夫お義父さん、美神家へようこそっ」

「み、美神?」

「忠彦はマスオさ……婿養子になったんです」

 おキヌはナチュラルにこぼしかけた台詞にブレーキをかけると、軽く説明を加えた。
 だが、一度伝播した思考は簡単に止まらない。横島は戦くようにのけぞって思わず呟く。

「さ、サザ○さっ!?」

「はい、ストップっ」

 ゴォッ!

 目の前を炎が横切っていた。

「どわぁぁぁっ!!」

「危ないネタはその辺にしてね♪ おじいちゃんっ」

 何かを振り抜いた格好で、あっけらかんと笑っているのは見知ったばかりの孫娘だ。

「なっ、なななななっ」

「あ、びっくりした?」

 悪戯大成功と言わんばかりの少女の笑顔に周囲の人間の後頭部に大粒の冷や汗が垂れ下がっていた。

「なっ、なんじゃこりゃぁぁぁああぁぁぁっ!!」

 横島はどこぞの刑事のような声で焦げた額の痛みに絶叫する。

「あっ、大丈夫っ、そんなに強く焼いてないから♪」

 とてつもなく軽い様子で笑っているが、横島の前髪では何割かがこんがり香ばしい匂いを漂わせている。
 彼女の指先では100円ライターくらいの炎がゆらゆらと揺らめいていた。

「ちょっと、絹香っ」

 ひのめが強い口調で叱りつけていた。

「だって、ほっとかれてつまんないんだモンっ。今ならおじいちゃんに絡むのが一番楽しそうだしっ」

「あのね……」

 楽しそうの一言で祖父を燃やしかけるのは人としてどうなのだろうか。

「なななななななっ」

 焦げた前髪指さしながら、横島は二の句が継げなくなる。

「あ、絹香はひのめちゃんの発火能力を受け継いでるです。ひのめちゃんほど強力じゃないけど」

 困ったような苦笑で、おキヌが説明する。

「発火能力っ!? そーいや、ひのめちゃんのお守りで何度も焼かれたなぁ……」

 何度と無く火あぶりにされ、時として炎の目を見た思い出さえも振り返ってしまう。
 横島にかまってもらえない時など、わざわざ念力封じのお札を剥がして癇癪起こすのも昨日の事の様である。

 もっとも横島は行方不明になる前日に件の癇癪で燃やされていたので、実際に昨日の事なのだが。

 当のひのめは明後日の方向を向いて聞こえない素振りをしている。しかし、額を流れる冷や汗が何かを物語っている。
 どーやら彼女にも心当たりはあるらしい。

「それにしてもこの悪戯好きなこの性格は誰に似たのかしらねぇ……」

 はふぅと嘆息した。

『なんかなぁ』

 この場がとても懐かしいような郷愁に襲われていた。

『いきなりな場所なはずなのに、不思議と帰ってきた感じやなぁ』

 しみじみと感じていた。
 そして、不意に「ある事」が足りないことを思い出す。

『あれ? そーいや』

 不意に横島の脳裏に単純で、かつ当然の疑問が鎌首をもたげていた。

「な、なぁ、ところで」

 横島はようやく意を決して、その「ある事」確認しようとする。

「何ですか?」

 ただならぬ気配を察して、おキヌは心持ち手元を引き締めて、横島を見つめ返していた。

「美神さんは?」

 瞬間、おキヌは押し黙り、ひのめも小さく目線を逸らした。

「何かあったのか?」

「美神さんは……」

 迷いを振り切るようにおキヌが言葉を紡ごうとした瞬間、ひのめがそれを制した。

「お姉ちゃんは行方不明なのよ」

「え?」

「除霊中の事故で、兄ぃ……お義父さんが行方不明になってから何ヶ月かしてからのことよ」

 衝撃が横島の意識を見事に吹き飛ばしていた。先ほどまでの明るい雰囲気に言いしれぬ影が残っていた。
こんばんわ。約一月ぶりの長岐栄です♪
お待たせいたしました。『いつか回帰できるまで』第二話をお届けいたします。
楽しんでいただけましたでしょうか?
70歳超えのおキヌちゃんを可愛くしてみました♪ 皆さんで萌えていただければよいと思います。
ちなみに栄のツボは、真っ赤になって「の」の字書いているところです。

それでは、第一話でいただきましたコメントへのお返事ですが、この場を借りて書かせていただきます(^^


>平松タクヤさん
 ついに第二話ですw さぁて、二人はどうなっていくのでしょう?
 まだ多くは語れませんが、楽しみにしていたければ幸いです♪
 読まれているとおわかりと思いますが孫の絹香は結構難儀な性格していますw
 とはいえ、おばあちゃん子で優しい気質ですからきっとおキヌちゃんに代わって色々頑張ってくれるはずですw

>ダヌさん
 どもです♪ 斬新な始まり……狙っていただけに嬉しいお言葉ですっ♪
 どんどん頑張りますよ〜。
 ここからの展開が本番になっていきますので是非応援お願いします。
 半世紀待ってくれたおキヌちゃんをむげにはできませんぜ。ホントいい娘なのです。

>ちくわぶさん
 ついにスタートですっ。ようやく第二話ですっ
 50年の時を隔てた二人……どうなっていくのかは乞うご期待っ
 言えるのは「面白い」と思わせられる物を用意していますっ。って事だけです(キラーン

>アルトさん
 何十年……言葉では簡単ですが、実際にその時を生きたおキヌちゃんはどういう気持ちだったのでしょう。
 そんな切なくも愛おしい気持ちを描いていきたいのです。

>akiさん
 お待たせいたしましたっ♪
 時という大きな溝と二人の想い。ここからどんどん加速していく所存です。
 どんな試練が待ちかまえるのか乞うご期待っ。
 期待に添えるよう頑張っていきますので応援お願いいたします。

>すがたけさん
 意外と無いでしょw この未来の物語っ描ききった先にある物は……作者にも分からn(ry
 嘘です。半分嘘です(マテ
 二人の愛の結末を楽しみに待っていてくださいませ(^^

さぁ、次回は第三話っ
今回出てこなかったあの人この人あんな人がっ

出てこない人も居ますのでご注意くださいw

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