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例えばこんな10年後






 これは、もしかしたらあり得るかも知れない未来の物語。







 都心の駅前一等地に建つ、大きなビル。
 そこを丸々借り切って、とある予備校が営業している。
 通うのは、慢性的な不況を行き抜く為に自らの才能を活かしたスキルを手に入れんとする若者たち。
 否、必ずしも若者たちとは限らない。今の会社の処遇に不満を持ち、スキルアップによる昇格を目論み、あわよくば脱サラして開業しようと考える者。再チャレンジに人生を託す、命懸けの投資家たち。
 皆が皆、それぞれの夢を描いて、門を潜る。


 全国の各都市に傘下の支校を持ち、グループ全体での総収入は兆にも届かんと言う、その学園の名は――







「見ろよ、あれ。ここの理事長だぜ」
「へー、私、初めて見たよ。綺麗な人ねー」
「あの人の年収、数十億とかなんだろ? ゴーストスイーパーになったって、収入の殆どが経費で飛ぶこと考えたら、マジで勝ち組だよなー」


 授業と授業の間の休憩時間。窓際で遅い昼食を摂っていた生徒たちが見掛けたのは、校舎の前に止まった高級外車から降りてきた30過ぎの女性。

 この美神心霊現象特殊作業士養成学校の理事長、美神令子だった。





 美神令子は、この業界の最大にして唯一の大手である美神霊能予備校(通称)の創業者にして、経営のトップである。
 美神霊能予備校こと美神心霊現象特殊作業士養成学校は、ゴーストスイーパー志望の霊能力者たちに効率のよい資格の取得方法を教えたり、師を持てないスイーパーの卵たちに仕事の手順を指南したりと、ゴーストスイーパーの育成を目的に広範囲の教育を施す専門学校だ。
 教師役を務めるのは、有名事務所から引き抜いてきたり、仕事を回す代わりにアルバイトをさせている現役のゴーストスイーパーたち。自ら除霊事務所も(一応)開業し、業界の内外に多くの伝手を持っている美神だからこそ出来ることと言えよう。
 少なからず需要はあれど、今まで六道女学園くらいしか受け皿がなく、行政や協会も個人経営者の手腕に任せ切りであったゴーストスイーパーの育成を請け負うこの学園は当たり、同業者もない中でかなりの成功を収めていた。
 特に、霊能力を持っているものの身近に霊能者が居ない為に体系付けて霊能関係の勉強をしたことがなく、ゴーストスイーパーを志望しても、どうすれば判らないような者たちを初め、六道の生徒が受験前の予備校代わりに通うなど、美神霊能予備校は盛況を誇り、窓の外には『合格率40%!』の幟が棚引いている。
 元より狭き門のゴーストスイーパー試験で合格者の4割がこの学校の受講者と言うのは、驚異的な数字だ。





 本校であるこの校舎はグループの本社も兼ねており、理事長の執務室も建物内に存在する。
 美神は、既に前線からは退き自ら教鞭を持つことはないものの、経営活動に専念しつつも積極的に指導内容の検討に参加し、教育の高い品質を保たせていた。


「理事長、お忙しいところ申し訳ないのですが」


 隣の部屋に控えていた秘書が、少し困ったような表情を見せながら理事長室に入ってきた。
 机に座って書類を片付けていた美神は、一瞬だけ不愉快そうな顔をしたものの、すぐに笑顔で応える。


「どうしたの」
「はい、理事長にお会いしたいと言う方が来られまして」
「私に? アポ取ってからにしろっつって、追い返しなさいよ」


 秘書の告げる突然の来客に、美神は露骨に嫌そうな顔を作る。
 嘗ての大名商売ではあるまいし、今の彼女は忙しい身なのだ。


「それが、もうここまで来られて――きゃっ」
「おー、姉ちゃん、ええケツしとるのー」


 しかし招かれざる客は、美神の拒否も秘書の制止も聞かず、無遠慮に部屋へと侵入して来た。


「……あんたね……。いつまでもガキじゃないんだし、下手打つとセクハラで訴えられるわよ?」
「すんません、つい反射的に」
「慎め!」
「相変わらず、きついなー。久々に尋ねてきた愛弟子に、その言い草はないんじゃないすか?」


 美神令子の一番弟子、今では国内屈指のゴーストスイーパー事務所を経営する、横島忠夫であった。







「やー、しかし、今や全国のスイーパーの1割近くが美神さんの教え子とは。一番弟子としては、鼻高いやら勿体ないやら」
「別に、その中で私が直接指導したのなんて、何人も居ないわよ。……何、そんな世間話をしに来たの?」
「いいじゃないすか。用がなきゃ、会いに来ちゃいけないですか?」
「さっきから、そう言ってるでしょうが」


 美神が書類を片付ける横で、ソファーに踏ん反り返って話を振る横島。
 今はお互い忙しい身であるが、立派に巣立った初めての弟子は、美神にとって気の置けない友人となっていた。
 美神とて、もはや半ば斡旋所と化しているとは言え、一応は自分の除霊事務所を経営している。同業であると言うことは、ライバルであると言うことでもあるが、横の繋がりが大きな意味を持つこの業界、2人が対立することもない。
 同業ゆえに、愚痴や悩みも共有できる。師弟である彼らは、当然のことながら仕事のスタイルも酷似しており、パートナーではなくなった今でも、疎遠になることなく、気心の知れた飲み友達であった。


「全く、自給250円のアルバイトじゃないんだからね。ここでトグロ巻いてても、おキヌちゃんのご飯は出てこないわよ」
「つれないなー。俺だって、忙しい中で暇を見付けて遊びに来たって言うのに」
「私は、今現在忙しいんだけど?」


 横島が、まだ美神の下でアルバイトとして使役されていた学生時代、薄給貧困の彼は、食事や待機時間中の手当てを目当てに、暇な時間を見付けては呼ばれなくても事務所に通っていた。
 あれから10年以上の月日が経った今、こうしているとあの頃の除霊事務所に居るように錯覚する。


「まあ、商売繁盛してるようで何よりね」
「へへ、お陰さまで」
「あたしは別に、何もしてないわよ。最近は仕事回してやった覚えもないし、あんたの実力でしょ。男なんだから、胸を張って生きてきなさいよ」
「そんな、今の俺があるのは、全部美神さんのお力添えのお陰っすよ。独立してからあんな早く仕事が軌道に乗ったのも、『美神さんの弟子』だったからに他なりませんて」


 嘗て美神は、若干20歳にして、日本最高のゴーストスイーパーの名を欲しい儘にしていた。
 その数年後に美神から独立を果たし、自分の事務所を持った横島は、その美神の秘蔵っ子と言うことで、彼女の顧客を初め新規参入とは思えない程の依頼を受けることが出来た。
 独立させた以上、あくまでライバルだと言い張る美神は、少なくとも表面上は暖簾分けと言う形を取らせなかったので、勿論、横島のその後の成功は、彼の実力あってのものである。


「別に俺は、一生美神さんの下働きでもよかったんすけどね」
「何を言ってるの、そんな志の低いことでどうするか。一国一城の主よ。あんたには、それだけの実力があるんだから」
「元々俺が美神さんのとこで働き出したのはチチシリフトモモだったし、真面目に修行しようと思ったのだって、美神さんの隣に立てるようって……」
「なっ……、何よ、急に! ……ち、力がついて大人になったんだから、いつまでもバカ言ってないで、夢も大きく変えなきゃ。それに――」
「それに?」
「そうよ、あんたは私の一番弟子なんだからね! この美神令子の一番弟子が、自分の事務所も持てないなんて、外聞が悪いでしょ。悔しいけど、あんた才能あるし、飼い殺しにしてるとか思われても癪だしね」


 一瞬口籠もったようにも思えたが、サラリとちょっと恥ずかしい青い思い出を告白した横島に、思わず赤面してしまう美神。
 美神令子、31歳。
 多忙な為か、その性格が災いしてか、未だに独り身であった。

 ついでに言うと、横島の方もまだ独身である。
 生来女好きで多情な方だが、結婚まで話が進んだことは不思議となかった。
 彼の営むゴーストスイーパーは、常に死の危険と隣り合わせの過酷な作業。結婚式が死亡フラグとは言わないものの、それなりの名門の出である美神は兎も角、横島はまだ結婚を焦る気にはなれなかった。
 尤も、ルシオラのことを気にかけていない訳ではなかったが。


「自給250円のアルバイトだったエロガキが、今じゃ大勢のスイーパーを抱える大手事務所のトップでしょ。実際、あんたの存在がうちの学校の宣伝にもなったんだから、ほんとにお互い様よ」
「いや、つったって俺を育てたのは普通に美神さんじゃないすか」
「て言う程、しっかり教育してやった覚えもないけどね。あの頃は私も若かったし、最初は弟子として育てるつもりもなかったから、結局なんかグダグダだったような気がするけど」


 弟子を育てるのはこんなに大変なものかと、ゴーストスイーパー試験を契機に、済し崩し的に横島を弟子とすることになって初めて知った美神である。
 子を持って、初めて知る親の恩。以来、唐巣神父に差し入れに行ったりすることが多くなった。
 と言う訳で、スイーパーの育成がどれだけ難しいかは美神自身承知しているのだが、骨の髄まで染み込んだ利益優先体質を気力で封じ込める毎日だ。
 血の涙を流しながら、しっかりしたテキストを作らせたり、教員の賃上げ交渉に応じたりしている。
 脱税だって、あんまり派手にはしていない。周りからは、危険だからそもそもやるなと言われているのだが、それはどうにも精神衛生上よくないので、目立たない程度にすませてやっている。


「いいわよねー、あんたは。仕事も波に乗って、充実してるって感じで。顔見てると判るわ」
「そんな……美神さんこそ、大成功じゃないですか。長者番付の上位常連でしょ、俺なんか美神さんに比べちゃ」
「ん、まあ、確かに10年前と比べたら収入や個人資産自体は格段に増えてるんだけどさ。何か……私のやりたかったのって、こんなことなのかしら。とか、思ったりして」
「と言うと」
「若い頃の私は……もっと、こう、野望に満ち溢れてたと思わない? 前線に立たずに、こんな詐欺みたいな予備校なんか経営して儲けようとかって思うようなタマじゃなかった筈よ」


 絶頂を極め、サクセスストーリーを驀進する美神だが、ふと我に返るとき、一抹の虚しさを覚えることがある。
 自分は、金の為だけに仕事をしていたのか。少なくとも、一攫千金だけが目的でゴーストスイーパーの道を選んだのではなかった。
 金は好きだし、手元にないと不安になるが、使い切れぬ額の金に何の価値があろうか。
 自分は、間違いなく成功者なのだろうけれど。

 そこには、スリルも誇りもない。


「はは、まあ、夢は変わるものですよ」
「あー」
「……今の仕事、楽しくないんすか?」
「や、そんなことはないけど。これでも、自分で選んだ道だしね。道を誤った……とは、思わない、んだけど、ね」


 だけど。
 だけど、何か。

 若い頃の私は輝いていたなあと、最近、こうして後ろ向きの思考になることが多い、美神令子31歳独身である。


「こういう時はあれですよ、新しいこと始めてみるとか」
「あのね……こういう時に慣れない新規事業に手ぇ出すってのは、没落への片道切符じゃないの」
「や、そうじゃなくて就職とか」
「就職って、あんた……」
「永久就職、とか」


 そんな美神に。
 何か言いやがった野郎がいます。




「んな……っ!」


美神の顔が、瞬時に朱に染まる。
 年の割りに、意外なほど免疫のない彼女である。


「うあ〜、何か、やっぱ美神さんにゃ気の利いたセリフは言えないな……」
「ちょっ……あんた、何よ、いきなり! じょ、冗談?」
「いや、俺的には、年甲斐もなく有りっ丈の勇気を振り絞ってみた一言だったんですけど。つーか、これまでに何回も冗談で済まされてきた気ぃするんで」
「うわ……もう、何よ、今更……。恥ず……ああ、もう、心の準備が」
「今だからこそですよ、俺のが恥ずいです」


 長い付き合いの癖に、こういうことを話題に上らせるのは、何となく避けてきた2人である。長い付き合いだからこそ、か。
 横島がセクハラをして、美神がそれを撃墜する。未だに、こんな幼稚なコミュニケーションしか取れない彼らなのであった。
 三十路を向かえてこんな恥ずかしいプロポーズをされるとは、美神もちょっと予想していなかった。


「ん、も、ちょ……勘弁して?」
「げ……何、遂に面と向かって振られちまいましたか、俺」
「いや、そうじゃなくて……ああ、もう! 仕事にならないじゃないの!」
「す、すいません!」


 美神の思考能力は呆気なく飽和状態を迎え、頭の中は真っ白になってしまった。
 反射的に横島を叱り飛ばす、と、これは普通にまずい行動だが、今更この程度で引き下がる横島ではない。
 冷却期間を置かねばなるまい、と言うことで逃げの一手。


「てか、俺も正直飛びかかって有耶無耶にしちゃいたいとこなんですけど。うう……でも、しないっすよ、今回は!」
「あっ、あんたが変なこと言うからッ! ……駄目だ、今日はもう仕事終わり! 呑みに行くわよ!」
「うっす、お供しますっ!」


 こういう時は、呑んで忘れるに限る。
 ……いや、忘れちゃ駄目だ。
 ほんとにもう、もしかしたら最後のチャンスかも知れないし。
 こっちだって、1000年前から待っていたのだから。




「あー……、横島くん?」
「はい」


「……考えとく、わ……。いつまでに返事できるとか、分かんない、けど……」





 変わったものも、変わらぬものも。
 みんなひっくるめて、それがイマの自分たち。

 例えば、こんな過程と結末。

お読み下さって、ありがとうございます。
如何だったでしょうか。
正直、設定ありきと言う感じで、他人が読んで面白いのかまるで自信がないのですが。
ちょっと子供っぽい彼らに楽しんで頂けたら幸いです。

[mente]

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