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明日を目指して!〜その2〜




 GS免許を申請、受諾されてから一週間が過ぎた。
横島の待遇は良くなったかと言えば、大した変化はない。
時給が上がったくらいである。
というより、酷くなったかもしれない。
馬車馬のごとく働かされ、毎日が地獄である。
徐霊の回数、ペースもさることながら最も横島を苦しめたのは徐霊後に提出する報告書。
これが予想以上にしんどく手間がかかりイライラする。
お役所というのはなぜに書類に手書きを求めるのだろうか。
 横島はけして文官型の人間ではないので四苦八苦しながら書いては修正、書いては修正を繰り返す。
肉体的な疲労よりも精神的な疲労がどんどん溜まっていくのがこたえるのだ。
今まで書類仕事を一手に引き受けていた美神の気持ちがよくわかった。
確かにこれはキツイ。
 っていうか時給四百五十円でこの重労働は割に合わないのではとさえ思えてくる。
生活水準がさほど上昇したわけでもなく、なんか詐欺にあった気分。
これが一人前として扱われるということか。
自分はなんで、一人前になったら少しは楽ができるだなんて幻想を抱いていたのだろう。
社会の厳しさを痛感するとともに、財布にしまってあるC級免許が今は重たい鎖のように感じてしまう。

「あ゙ぁ゙〜〜、目が痛い」

 眉間に手をやりモミモミと凝りをほぐしてやる。
横島が今座っているのは、自分専用の椅子。
デスクはまるで台風が過ぎ去った後のように散らかり放題。
ペン立てにはシャーペン、定規、修正ペン。
まわりには書き終えた書類が右手に、これから書く書類が左手に。
真ん中は現在進行中。
目に付いた机の上の消しカスをパッパッと手で床に葬り去った。

「ちょっと!散らかさないでよね。ただでさえあんたのその机見て金ヅルが逃げてくんだから」
「へいへい」

 美神の逆鱗に触れないうちに塵取りと箒を装備、自ら奈落のそこへ叩き落した消しカスたちを回収してゴミ箱へ捨てる。
この一週間、この動作を何回繰り返しただろうか?

「横島さん、その机はさすがにどうかと思いますよ?美神さんじゃないですけど、やっぱり綺麗なほうが私たちもお客さんも気持ちがいいじゃないですか」
「そんなもんかね〜?なんか、散らかってるほうが落ち着いてさ」
「そういうものなんですよ。ほら、私もお手伝いしますから、一緒に片付けましょう?」

 言いながらおキヌが机の上のゴミやらカスやらをせっせと片付け始めたので横島も渋々従う。
やはり健気に働く美少女と、椅子にふんぞり返るブ男という構図は如何なものだろうと思うから。
それにあるか無いかもわからない良心がチクチク痛みそうだ。
仕方がない。

「タマモッ!拙者のどっぐふーどを返せっ!!」
「嫌よ。元はと言えば、あんたが人のカップうどんを勝手に食べるからいけないんでしょ!?この、バカ犬ッ!!」
「狼でござる、この女狐!」
「私は女で、狐なんだから当たり前でしょ。そんなこともわかんないの?バ〜カ、バ〜カ」
「むきーっ!!」

 食堂から騒がしい声がする。
見れば、「シロの」と書かれたドッグフードを手に抱え、背を前にして逃げ回るタマモをシロが般若のような形相で追い掛け回していた。
ドタバタと事務所内を走り回って埃を撒き散らす。
美神の堪忍袋の尾が切れるのも時間の問題か?
横島はとばっちりをくわないようにできるだけ美神から離れた。
危険を回避しようとするのはこれ、生物の本能だと思うのよ。

「ア痛ッ!」
「きゃっ!?」

 不幸なことにタマモとおキヌは背中合わせでぶつかり、転倒した。
いや、本当の不幸はおキヌの手に花瓶が握られていたこと。
花瓶はおキヌの手を離れて宙を舞い、横島の努力の結晶めがけて水をぶちまけた。

「あーーーっ!?」
「「「げ」」」

 電光石火の早業で横島は花瓶をのけ、書類を手に取る。
バンダナを頭から外して書類をフキフキ。
だが時既に遅し、報告書は水をたっぷりと吸い込んでいて、使い物にはならなかった。
横島の瞳が水分で滲んでいく。

「………ウケ、ウケウケウケケケケケケケケケケケケケッ!?」
「よ、横島!?」
「せ、先生がおかしくなってしまったでござるー!先生っ、お気を確かにっ!!」

 後に横島は言った。
泣いてなんかいない、あれは魂の汗が目から溢れただけなんだ、と。






明日を目指して!〜その2〜






「───な〜んてことがあったんっすよ」
「ふふっ、美神さんの事務所はいつも賑やかでいいですね」
「騒がしいとも言いまちゅけどね」

 場所は変わって妙神山。
横島はパピリオに会いに来ており、小竜姫を交えて三人で談笑していた。
 とは言っても、年中妙神山に篭っている二人に大した話題があるはずも無く、自然と横島の身の回りにおきた出来事を二人で聞くのが常だが。
月に二回も土産話を考え付く頭があって良かったと、遥かかなたナルニアにいる両親にちょっぴり感謝する。

「笑い事じゃないっすよ。また一からややこしい書類を書かされる羽目になったんっすから。もう、肩が痛くて痛くて」
「いいじゃないでちゅか。猿神のお爺ちゃんが言ってまちたよ?「若いうちは苦労は買ってでもするもんじゃ」って」

 天井を指差し、斉天大聖の物真似をしながらパピリオは横島を慰めてやった。
こういう場合は、「徒労に終わる」といった諺の方が適切だと、筆者は思うのだが。
 そんなパピリオを見ながら、小竜姫はボソッと呟く。

「パピリオも私の言うことをしっかり聞いて、修行に励んで苦労してくれれば言うことないんですけどねぇ」
「うっ!?」

 ビシリ!とでもいう効果音が似合いそうな勢いで、パピリオの顔が引きつった。
横島はその様子がおかしくて、つい笑ってしまう。

「ハハッ、なんだそりゃ。お前のほうこそ、もっと苦労したほうがいいんじゃねえのか?」

 そう言ってからかってやると、パピリオはお気に召さなかったようだ。
頬を風船のようにプゥーッと膨らませ、両手を風車のごとくブンブン振り回しながら猛抗議する。
当たる腕が、少し痛い。

「笑うな!
小竜姫も余計なこと言うんじゃないでちゅ!!」
「あら、私は本当のことを言ったまでですよ?それを言われて私に怒りをぶつけるというのは、筋違いではないですか?これに懲りたら少しは生活態度を改めるんですね」
「あぅぅぅ……」

 パピリオ撃沈。
パピリオ自身も内心、小竜姫の言うことが間違ったことではないと、子供心にわかっているのだろう。
だから大人しく?うなだれているんだと、横島は思う。

「そんなに酷いんすか?」

 横島は渋い顔をして小竜姫に尋ねた。
笑ってスルーしたが、小竜姫の言うとおり、パピリオの不真面目さが度を越えているのだとしたら見過ごすわけにはいかない、自分がパピリオに言い聞かせる必要があると横島は思う。
ルシオラのことを差し引いても、パピリオは横島にとって大事な妹分なのだから。
 ところがどっこい、真剣に考えていた横島の遥か斜め上を行くような返答を、小竜姫はいたって真面目な顔で返した。

「パピリオったら、老師とてれびげぇむを始めたら呼んでも出てこないし、ちょっと目を離したらすぐ鬼門たちの顔にラクガキばかり……消すのはいつもいつも私。あげく、私の胸を見て「微乳」だなんて言うんですよ!」
「し、小竜姫様?」

 なんとまあ。

「そりゃあ、美神さんやワルキューレに比べたら貧相な胸かもしれませんけど、だがそれがいい!!って言ってくれる方だっているんですよ!?
だいたい「微乳」ってなんですか「微乳」って!
どうせ呼ぶなら「美乳」とでも呼びなさい。
形や感度には自身がありますから!!」

 ……どうやら我々の知る小竜姫は滅び、ここに新たに小隆起なるものが誕生したようだ。効果音はどかーん!である。

「……パピリオ」
「……なんでちゅ?」
「今後は口の利き方に気をつけような?俺、なんだか胸が痛いや」
「そうでちゅね。これからは「美乳」とでも呼ばせてもらいまちゅ」

 横島とパピリオは虚ろな目で言い合った。
視線の先の小隆起は「動きを阻害しないように進化したんです!」とか「垂れる心配がないからいいんです!」とか「乳なんて飾りです!偉い人にはそれがわからんのです!」なんて叫んでいる。
ヤケに元気なその姿は二人の目にはとても痛々しく写ったという。










 小竜姫の乳演説が三時間の大台に突入しようとした頃、横島とパピリオはぐったりしながら正座をして聞いていた。
断っておくが、自分から正座したわけではない。
正座させられたのである。
これは妙神山で過ごしているパピリオにはともかく、標準的な都会っ子の横島に星座三時間はちょっとした拷問だ。

「……ヨコチマ」
「……あ?」
「これ、いつまで続くんでちゅかね」
「さぁ?小竜姫様の気が済むまでなんじゃないの?」
「「………はぁ」」

 自分は一体何をやっているのか。
そう思いつつ足の痺れに懸命に立ち向かう横島だったが、もう限界。
横島はパピリオに「お前、とめてこい」とアイコンタクトを送った。
「まだ死にたくないから嫌」と返された、くそぅ。
何度かアイコンタクトを送ってみるものの、結果は同じ。
結局、いつも通り横島が折れることとなる。
パピリオには頭が上がらないようだ。

「あの〜、小竜姫様?」
「なんですか!?」
「そ、そろそろ終わりにしてもらえませんかね?遊びに来てるんじゃないんだし…」

 来てから三時間ということは、着いたのが午前九時過ぎだったからもう昼だ。
腹がずっとぐぅぐぅ鳴っている。
もう我慢できない。
 横島の勇気ある発言によって正気を取り戻した小竜姫は「あぅあぅ」と両手をパタパタ振って赤面している。
その様子を見て横島は、「あ、なんかスゲー可愛いかも」と、どうでもいいことを思っていた。

「じゃあ昼飯食ったらいつもどおりってことでいいっすよね?」

 床に手をつきいまだに放心している小竜姫をおいて、食堂で昼食を摂り、美神がはじめて試練を受けた場所へ向かう。
先頭の更衣室のような部屋でパパパッと着替えをすませ戸を引いた。
 部屋からでると、そこにはどこまでも続くんではなかろうかと思えるほどの空間が広がっている。
岩だらけでなんとも殺風景だが、景色に対してアレコレ言う風流な心を横島が持ち合わせているはずがないから気にならない、気になるはずもない。
影法師を呼び出す円陣が無いのは試練を受けに来たわけではないからだ。
 小竜姫が来るまで軽く走って準備運動を念入りにする。
怪我をすることも覚悟の上だが、余計な怪我はしない主義だ。
自分はMではないし。
 身体が暖まってきた頃に小竜姫が引き戸を開いてやってきた。
まだ頬には朱がさして、神々しさ三割引ではあったがコホン、と咳払い。

「準備運動は終わりましたか?」
「えぇ。準備バッチリ、いつでもかかってこい!ってやつっすね」
「ではいつもどおりの手合わせでいいですね?横島さんは文珠の使用はなしということで」
「小竜姫様は超加速なしで」

 互いに確認を取ると、小竜姫は神剣の柄に手を伸ばす。
対する横島は左手に『栄光の手』を発動させてからさらに多くの霊力を注ぎ込んだ。
霊波刀の形状が徐々に鋭く反りを帯びた形になっていき、脇差ぐらいの白い日本刀が現れる。
ここまで約三十秒。
横島の額には汗がビッシリと浮き出ていた。

「だんだん霊刀を形成する時間が短くなってきましたね。霊力の凝縮度合いも、以前より高くなっています」
「でもここまでするのに三十秒もかかってちゃ、実践向きじゃないっすよねぇ?」

 そう言って笑う横島だったが、小竜姫の目の色が変わったのに気づいて自身も顔から笑みを消す。
目の前にいるのはいつもの気さくな女性ではなく、神族きっての神剣の使い手だ。
ヘラヘラしながら手合わせしてもらうなど、無礼にもほどがある。
そんなことした日にゃ、首が飛ばされてもおかしくない(横島視点)だろう。
 やがて小竜姫が構えたのと同時に横島も構えの姿勢をとった。
二人の構えが酷似しているのは、横島が見よう見真似で小竜姫の剣をトレースしているからに他ならない。
もちろん二人の間には天と地ほどの力の開き具合があるのだけれど。
斬り結ぶたびに、初めて会った時よく小竜姫の剣をかわせたもんだと、横島は思わずにはいられなかった。

「では、始めます」

 ダン!

 小竜姫が踏み込むと台地には亀裂が走り、砕けた石片が宙に舞い上がる。
横島は左手を左肩の位置まで上げ、右手を刀身に添えて小竜姫の剣を受け止めた。
ガキィン!と小気味良い音が響く。
 だがその程度で防ぎきれるほど小竜姫は甘くはなかった。
足が勝手に地面から浮かび上がり身体が横方向へとスライドしていく。
霊刀を握りしめる手が自然と離れ、ジンジンと痺れを訴えてきた。

「イッテ〜!?」
「よそ見している暇はありませんよ!」

 視線を手から小竜姫へと戻すと、眼前に神剣が迫ってくる。
ちょうど振り下ろした瞬間だった模様。
ビュンッと、風斬り音が唸る。

「うわわっ!!」

 奇声を発しながら、横島は右足を軸にして左足を後方へ突き出し身体を90度回転させ辛うじて神剣を回避した。
あれだけ大振りで振るったのだから、小竜姫の体勢は大きく崩れている。
だが、横島は手を出さずに距離をとった。
正確には手が出せないのだ。
小竜姫の間合いに入り込んで斬り結ぶなんて、そんな無茶すればタダではすまない。
そんなことをするのはただのバカか、大バカのどっちかだけだ。
 小竜姫は異常ともいえる素早さで体勢を立て直し一気呵成に攻め立てる。
横島は一振り一振りを冷静に受け止めたり捌こうとしたりするのだがこれが中々上手くいかない。
衣服は斬り裂かれ、身体に赤い線が瞬く間に増えていく。
反撃しようと刀を振るっても、小竜姫にはまるで当たらず腕に疲労が蓄積されていくだけ。
そのせいか、神剣が余計に速く感じる。
下手な鉄砲が数撃っても当たらないので、横島は戦法を変えざるを得なかった。

「なら……コイツでどうだっ!!」
「っ!?」

 ドン!ドン!ドン!

 右手を霊刀から離してサイキック・ソーサーを三枚、立て続けに地面に叩きつけた。
サイキック・ソーサーに霊力を回した為に霊刀の刀身が少し脆くなるが斬れ味自体は変わらないので気にしない。
どうせ今は当たらないんだし。
 地面に叩きつけられたサイキック・ソーサーは爆発を引き起こし、爆煙や舞い上がった砂埃が視界を一気に埋め尽くす。

「目くらまし、ですか」

 小竜姫は少し呆れていた。
神族や魔族の視界を奪ったところで大して役に立たないことを知っているからだ。
彼らは視覚よりも霊力、魔力の塊を立体的、空間的に把握して位置を本能的に割り出すのだ。
これでは攪乱にすらならないではないか。
 もちろん横島だってそんなことは重々承知している。
だから自身の放つ霊力をできるだけ等分になるように作り上げたサイキック・ソーサーを作り上げている真っ最中なのだ。
神族魔族が霊力の塊で敵の所在を割り出すならサイキック・ソーサーだって霊力の塊。
きっと誤認してくれると踏んだのである。
動きながら一枚をその場所に配置し、二枚を飛ばして自身もグルグルと小竜姫のまわりを駆け回る。
これならどこに自分が居るかわかるまい。
まぁ、回りすぎて横島自身にも自分が小竜姫をどの方向から見ているのかわからなくなったが。

「分身ではないようですが……なんにせよ、ここまで霊力コントロールができるとは正直驚きましたよ。ですが、詰めが甘いですね」

 言うやいなや、小竜姫は神剣の刃筋を地面と垂直にして思い切り振り回した。
神剣と空気が抵抗しあって突風を生み出し、煙や砂埃を吹き飛ばしていく。
小竜姫のまわりにはサイキック・ソーサーがふわふわ浮かんでおり、横島は向かって右側に突っ立ていた。

「嘘ォ!?」

 横島はあっさり居場所を突き止められて焦り、小竜姫の行動に対して反応が遅れた。
小竜姫はものすごい速さで駆けてくる。
どうする、逃げるか?
そう思い身体を反転させようとして、思いとどまった。
 向き直って霊刀を身体に平行に構える。

 ――そうだ、逃げてどうする。小竜姫から逃げ切れるはずがないし、立ち向かわなければ意味がない。こんなことでビビってどうするんだ――

 そして横島は突き出された神剣を刀身で受け止めて―――










「…………知らない天井だ?」
「使い古されたボケほどつまらないものはないでちゅよ」

 パピリオの容赦ないツッコミが目を覚ました横島を襲う。
なんか大阪人としてのプライドが粉々に粉砕された気がして切なくなった。
身体を起こそうとして力を入れた瞬間、横島は激痛に耐え切れずに吼えた。

「イデデデデデ!」

 裂傷、打撲に筋肉痛。
様々な種類の痛みが様々な部位を痛めつけている。
シャツを捲り上げて見ただけでも青い斑点や赤い線が所狭しと並んでいた。

「うっわ。毎度のことだけど傷だらけだな〜」
「あれだけボコボコにされたんだから当たり前でちゅよ。小竜姫ってば、手加減を知らないから……」

 んなこたない。横島が全力で立ち向かったのに対して、小竜姫は実力の十分の一も出してないのだ。
もっとも、手を抜くなどといった発想は小竜姫にはないので、奇妙な表現になるが全力で一割の力を出したとでも言えばいいのだろうか?

「というか、目が覚めてみたら布団で寝かされてるのはどういうことだ?」
「あの後ヨコチマが気絶したからアタシと小竜姫でここまで運んで寝かしてやったんでちゅよ」

 そう、横島は無謀にも小竜姫の突きを受け止めようとしたのだ。
受けることには成功した。
が、勢いを殺しきれずに後方に大きく吹っ飛ばされて岩に背中と頭を強打したのである。
 パピリオ曰く、小竜姫が幸いにも酷い怪我は無いから大丈夫と言っていたらしい。
パピリオは横島が目を覚ますまで付き添っていたというわけだ
小さな看護師さんに、とりあえず礼を言わねば。

「そっか。ありがとな」
「どういたしまして。それにしても……」

 パピリオが横島の身体を上から下まで舐め回すように見る。
横島はちょっとその視線が怖かった。

「な、なんだよ?」
「ヨコチマ、結構重いんでちゅね。小竜姫よりも身体がゴツゴツしてるし」
「そりゃお前、小竜姫様は女で俺は男なんだから当たり前だろ。ゴツゴツしてるのは肩幅が違うし、俺のほうが骨のラインが浮き彫りになってるからなんじゃねーの?」
「ふーん」

 不思議そうに顔を傾けるパピリオを見ながら、身体をほぐしていく。
やっぱりこの瞬間は筋肉痛が一番きつい。
つい顔を歪めてしまう。

「はい、お水」
「おっ、サンキュ」

 パピリオに冷水を手渡され、それを一気に飲み干す。
水が喉の渇きを潤してくれて気持ちがいい。
どこぞのCMではないけれど、自然と言ってしまう。

「くぅ〜〜っ、美味い!生き返るなぁ〜」
「なんだか親父くさいでちゅよ?そんな水なんかより、蜂蜜のほうがずーっと美味しいのに」
「都会の喧騒の中で暮らしてるとな、こんな飲み物が美味く感じるもんなんだよ。蜂蜜はどっちかっつーと食いもんだしな、俺にとっちゃ」
「そんなもんでちゅかね?」

 イマイチ納得のいかない様子のパピリオに苦笑いしながら持ってきた鞄に手を伸ばす。途端にパピリオの表情が変わって引き戸に向かって逃げ出した。
 パピリオが逃げる。
 横島が追い、手を伸ばす。
 パピリオはするりと手をかわし引き戸を目指す。
 横島は回りこんで両手を挙げる。
 パピリオは横島に背を向け横島の左手で右手を掴み、右手を脇の下へ滑らせ投げ飛ばす。一本背負い。
横島、K.O.か?

「ふ、まだまだ甘いでちゅね」

 パピリオが勝ち名乗りを上げた、まさにその時、背後から声がした。

「そいつぁどうかな?」
 
 突然パピリオの身体に電撃が走る。
麻痺は両手足の感覚を奪い去って、まるで芋虫にでもなった気分だ。
慌てて振り返ると横島の手には『痺』と刻まれた文珠が握られていた。
パピリオは悟った。
もう駄目だ。
誰か助けて。










 小竜姫は自室で横島のことを考えていた。
今日の結果を次へと生かす為のアドバイスを考えなければならなかったから、小竜姫はどんな欠点も見逃すことはしなかったし、横島もそれをよしとはしなかった……それを克服できたかどうかは、また別の話だが。
 まず第一撃目。
反応速度はまずまずといったところだが、いきなり敵の攻撃を受け止め防御するというのはいただけない。
悪霊、妖怪、魔族には触れただけで力を吸い取ったり、毒を与えたりするものがいるから。
前者はジャック・ザ・リッパー、後者はべスパの眷族の妖蜂といった具合に。
そういう観点から見ても、あの行動は浅はかと言わざるを得ないだろう。
直後に霊刀から手を離したのも減点である。
 第二撃目を回避されたのは正直驚きだった。
刹那の隙に回避を選び取って実行したことからも、実戦での判断力は養われていることがわかる。
自分と相手の力量差、間合いをしっかり判断した結果だ。
そこまで思考が進んでふと、何故最初の一撃を防御したのかと思ったが、よくよく考えれば彼は自分のことを理解しているとは言わないまでも、よく知っている。
卑怯な手を使うことなど思いもしなかったということか。
なら、減点はやめにしてあげよう。
それが正当な評価だろうから。
 次の攻撃は自分に落ち度があった。
あれほど打ち込める相手は人間界にはいない。
おまけにまがりなりにも喰らいついてくるものだから、ついつい大人気なく神剣を振る腕を止めなかった。
それどころか、彼の反応可能な範疇で速度を上げ続けていたような気もする。
もしや、自分はドSか?
嫌な考えが一瞬頭を巡った。
頭をブルブルと振り、おかしな考えを打ち払う。
 目的はあくまで特訓であって、横島を痛めつけることではないというのに。
ましてや、努力を絶やさないものに過度の試練を与えて悦に入るとは何事だ。
自分もまだまだ修行が足りないと痛感する。
老師が、「弟子に教わることもある」と言っていたのはこのことかと、今更ながらに思い知らされた。
 再び考察に思考を戻す。
あれだけの剣の雨を浴びながらも前進しようとした意思は素晴らしい。
目の前の困難に尻込みしながらも、立ち向かっていく。
彼は昔からそうだった。
自分もそうでありたいと思う。
 爆煙を利用した目くらましやサイキック・ソーサーを使って攻め込む機会を窺っていたのは、彼らしいといえば彼らしい。
隙が無ければ作ってしまおうという発想は、自分が彼と初めて出会ったときから見てきた。美神の試練のときも、天竜童子を助けたときも、メドーサと対峙したときも。
それがギャグから真剣なものへと変わっただけだ。
うん、問題ない。
 そして最後の突き。あれは―――

「やはり、私のせいでしょうか……」

 横島はあんな顔をする男ではなかった。
絶対的な死を感じ取りつつもけして逃げ出さない、そんな決意を浮かべた顔をする男ではなかった。
ただ困難に立ち向かっていくのとはわけが違う。
それを彼がやってのけるようになったのは、やはりアシュタロスとの戦いが原因なのだろう。
 別にそれが悪いというわけではない。
ただ、その理由が小竜姫にはあまりにも悲しすぎた。
そのことを考えるたびに、小竜姫は自責の念に駆られる。
自分が考えもなしに横島の眠れる力を起こしてしまったからいけなかったのではないか?
駒を使うようにしてGS試験を受けるように勧めてしまったからか?
香港で彼らに頼ってしまったからか?
 考えても考えても、答えは出てこない。
どれも思い当たるし、どれでもないとも思う。

「人に助けられてばかりで、なにが神族なんでしょう……」

 そう吐き捨てた小竜姫の顔は、今まで見せたことがないほどに暗かった。










「横島さん、目が覚めました…………か?」

 パピリオの部屋に入った小竜姫は硬直する。
目の前の光景が信じられず、自身の目を疑った。
一応言っておくが、別に横島がロリの境地に達したとか、そういうことではない。
一応。
パピリオが机に向かって勉強しているのである。

「横島さん、パ、パピリオは、い、い、一体な、なにを?」

 してるんですか?
その言葉さえも出てこないほどに小竜姫は動揺している。
ちょっと失礼じゃない?

「勉強っすよ」
「勉強!?あのパピリオがですか!?」

 驚きすぎである。
やっぱり失礼だよね?

「うっさいでちゅよっ!!」
「ひゃいっ!?」

 パピリオが振り向きもせずに放り投げた本が小竜姫のおでこにクリティカルヒット。
可愛らしい悲鳴を上げながらのけぞった。
普段ならこんなもの当たるはずもないのに、と思いながら本を拾い上げる。
表紙に刷られてある文字を読み上げた。

「数算の生学小るかわくよ???」
「それ、『よくわかる小学生の算数』って読むんですよ……」

 冷めたツッコミをその背に受けつつ、そーっとパピリオの背中越しに机の上を覗き込む。
そこにあったのは「漫画で学ぼう世界の偉人」やら「猿でもできる理科」やら「なぜなに英語」やらの素敵教材の数々。
今せっせと取り組んでいるものは、「国語やろうぜ!」なるものらしい。
 邪魔しちゃ悪いからと、横島は小竜姫の手を引いて部屋を静かに退室した。

「あれは、全部横島さんが?」

 引き戸を見つめながら小竜姫は聞いてみた。
横島は照れくさそうに苦笑い。

「えぇ、まぁ……やっぱ、あんなのここに勝手に持ち込んだのはマズかったっすかね?」

 ここ、妙神山は人間界における神族の拠点のうちの一つである。
そんなところに俗界のものが溢れているとあっては、上層部がやいやいとケチをつけてくるのではないだろうか?
横島はそう推測したわけである。
 横島の考えを見抜いたのか、小竜姫は軽く笑って言った。

「問題ないでしょう。たとえ人間界の書物であってもパピリオの知識、教養のためなら老師も理解を示してくださるでしょうからね」
「よかった〜。いつか雷が落ちてくんじゃないかって、冷や冷やしてたんすよ」
「ふふっ、そんなことはしませんよ。私が落とすのは雷ではなく仏罰ですから」
「ハ、ハハ………アハハハハハ」

 ガクガクブルブル。
身体の震えが止まらない。
横島の乾いた笑いがなんともいえない。

「あれはパピリオがせがんだのですか?」

 もしそうなら、それ相応のお礼をしなくてはならない。
自分の記憶が確かなら、彼の生活はかなり厳しいものだったはずである。
免許を取ってまだ一週間しか経っていないのだから、お給料だって貰ってないだろう。

「いえ、あれは俺が勝手に持って来たんっすよ。パピリオのヤツ、なんか俺の住んでる町のことがやたらと気になったららしくって。んじゃあ勉強してみるか?って持ってきたら、なんだかんだ言ってもやってくれるんですよね」

 小竜姫としては、私の言うことなんて、まるで聞かないくせに!と思わないでもない。
でも仕方がないことなのだろう。
パピリオから見れば、自分は口うるさいだけのオバハンで、横島は理解を示してくれる優しいお兄さんといったところだろうか。
飴と鞭。
そんな言葉が頭を掠める。
 そんなことを考えながら縁側で横島と二人、ズズズッと茶をすすっているとトテトテと駆けてくる足音。

「ヨコチマ〜っ、できたでちゅよ!」
「お〜し、見せてみろ」

 横島はノートを受け取ると、スイスイ赤ペンを滑らせていく。
キュッキュという音が小気味よい。
○○○××○○○○×○○×××。
結構あっていた。

「へえ……中々やりますね」
「そうっすね。初めてやったときは間違いだらけだったから、そう考えるとスゲーもんですよ」
「初めてだったんだから当たり前でちゅよ。小竜姫なんか一問も解けないくせに!!」
「んなっ!?」

 いかにも心外だとばかりに、小竜姫は声をあげた。
自分は何百年もの時を生き抜いてきた竜神だと。
そんな自分がいくらここ数百年間は妙神山に篭っているとはいえ、パピリオに敗北を喫するはずがない。
そう反論した。
するとパピリオは「論より証拠でちゅ」といって問題を突きつけてくる。
仕方がないので小竜姫は問題を解いてみた。
 採点後に小竜姫は打ちひしがれ、やたらと勝ち誇るパピリオがいたのは、まぁ、どうでもいいことである。

「うぅっ、最近こんなのばっかりです」

 ホント、すいません。










「じゃ、そろそろ帰りますね」

 居間でパピリオとじゃれついていた横島が時計を見るなりそう言った。
時刻は既に午後五時をまわっている。
横島にとっては遅い時間ではないが、これ以上ここに長居すると事務所での晩飯を逃してしまう。
シロの散歩だって、いつもより多めに走っております、なんてことになりかねない。

「次はいつ来れまちゅか?」

 帰るとの言葉にパピリオが聞いてくる。表情はやや暗い。

「う〜ん、来週はちょっと無理っぽいから、再来週かな?」
「えぇ〜」

 パピリオの顔があからさまに不機嫌を示した。
横島だって来れるものなら来てやりたいが、仕事や学校のスケジュール調整をやりくりしてきている身だから仕方がない。
そう言って頭を撫でてご機嫌をとってみるものの、パピリオ相手ではあまり効果はなった。
ごねられては勝ち目はないのでなんとかあやそうとしていると、小竜姫が口を開く。

「横島さん」
「はい?」

 突然、横島を小竜姫が呼び止めた。
小竜姫は横島が夕陽を背に受け後光がさしているように見えた。
力強く、どこか儚く見える。
眩しさに少し目を細める。

「身体には気をつけてくださいね?GSというのは、身体が資本でしょうから」
「わかってますって。そんなことまで注意されなきゃいけないほど、ガキじゃないっすよ」
「そえから……」

 一呼吸置いてから、小竜姫は真剣な面持ちで言う。

「私があなたの願いを聞き入れ鍛えているのは、あなたを不幸にする為ではないということ、忘れないでくださいね」

 横島にはよくわからなかったが、小竜姫の顔があまりにも真剣だったのでとりあえず同意しておく。
 
「はぁ。よくわかんないけど、わかりました」

横島の言葉に小竜姫はほんの少し安心した。
 これでいい。
責任の取り方なんてわからないし、一体なにを謝らなければいけないのかもわからない。
言いたいことは沢山あるけど、今はこれで十分だろう。
 いつか、どうすればいいのか、なにを謝らなければならないかわかったときにやるべきことをすればいい。
時間は有限だし、人間の彼と神族の自分ではまるで寿命も違うけど。
でも、同じ時間を確かに生きている。
きっといつか自分にもわかる時が来る。
 文殊で『転』『移』しながら手をふる横島を、パピリオと見送りながら小竜姫はそう思う。
夕陽は地平線の彼方へ消えかかっており、眩しい光を放っていた。

 第二話は、宣誓を守れました。あ〜、よかった。
じゃ、言い訳というか、なんと言うか、とりあえず先に謝っておきます、ゴメンナサイ。
今回横島くんが出した霊刀ですけど、必然性もない上に突拍子すぎましたね。
ただ、霊波刀のようなものより日本刀やそれに近いものの方が書きやすかったんですよぉ。
必然性のないものを書くな!とおっしゃられる方もいるでしょうけど、今回ばかりはご容赦を。
……にしても、心理描写の下手なこと下手なこと。もっと上手に書けるようになりたいなぁ。

 文章の書き方?というか、表示の仕方?をちょっといじってみたんですけど、こっちの方が読みやすいですか?

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