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ホバリング


ホバリング







鳥は天を翔ける。
風の合間を抜け、羽根は空気をかけ分ける。
少年の目を乗せたヒヨドリは、うねるような波線を描きながら木々の上を翔けていった。

獣が地を駆ける。
風の合間を抜け、脚は土を躍らせる。
狼をかたどった少女は、木々をすり抜けるように山間を駆けていった。





木々の間を抜け、ひらけた場所に狼が躍り出る。
待機していた少年は狼の姿を確認し、すぐ上を飛んでいるヒヨドリを開放した。

「初音、今だ!」

少年の合図に、初音はヒヨドリに向かって大きく跳躍する。
地を蹴った細い狼の脚は、鋭い鉤爪を持つ猛禽類のそれへと、伸ばした前脚は大きく広がる翼へと変化した。

だが、灰褐色の翼が鉤爪に捕らえられることはなかった。

「ダメ、届かない……!」

獲物をとり逃がした初音は、人間の姿に戻る。

両手足をついて大きく息をつく初音を尻目に、少年の意識下を離れたヒヨドリは、再び自分の意思で大空へと舞い上がって行く。
それを少年――宿木明は見送る。

「……ま、そう簡単にゃいかねーよな」

四つん這いのままくやしそうに空を睨んでいる初音に向かい、右手を差し出した。





宿木明と犬神初音は、とある山林へ来ていた。
目的はお互いの応用技術向上だが、ほぼ初音のためといっても良かった。

初音の合成能力はここ数年で急激に強くなり、無意識レベルで狼並みの身体能力を得ることも可能にしていた。
犬神の家系は狼の姿を模することを最も得意としているが、それはあくまで超能力を引き出す方便にすぎない。

次のステップは犬神家の基本形である狼から離れ、別の動物への≪変身≫である。
明の操る鳥を狼の姿のまま追いかけ、合図で狼から鳥へと姿を変える。
つい今まで地を駆けていた脚をノータイムで翼へ――このことの難しさは、門外漢である明にも容易に知れた。

「もう一度、鳥のイメージをおさらいしてみるか?」

黙ってうなづく初音。
明は周囲を見渡すと、枝に止まってた先ほどとは別のヒヨドリに目星をつける。「――アクセス完了」
操られたヒヨドリは明の肩にとまった。

「なんて言うんだろうな……飛び立つ時に尾羽をめいっぱい広げて、何回か翼を動かしたあとに風を掴んで、すべるっていうか……」

そう説明しながら、目の前でヒヨドリを飛行させる。
明は意識を乗り移らせることで、鳥の飛び方をまさに「体感」することができた。
初音は、顔こそ人間のままだが体は鳥へと変化させていた。真剣に話を聞きながら、両翼を動かしている。

「そもそも、それ何なんだ?」
「何って?」
「だから、どの鳥をイメージしてるんだよ」
「……よく、分からない」

うなって、明は思案する。初音の能力を発動させるために最も大切なのはイメージである。
鳥にも色んな種類があり、飛び方がある。
「鳥類」とひとくくりにするのではなく、具体的に何か選んだ方がいいだろう。

(こいつのイメージだと、猛禽類か……)

少なくともヒヨドリではなさそうだ。
しかし、周囲を見渡しても、肉食の鳥類は見当たらない。それを探すのにまた時間がかかりそうだ。
今度は猛禽類を操って、実際に近くで飛んで見せてやろう。これは次回の課題にすることにした。

「とりあえず、スムーズに飛び立つことから練習しよう。これならヒヨドリでもそんなに変わらないだろ」

8の字飛行をしていたヒヨドリを再び肩へと止まらせる。
初音はやはり真剣な目でヒヨドリを睨んでいた。それは真剣というより――

「明、それを逃がして。捕まえてみせるから」

獲物を前にしたハンターの目だった。

「えーと、いや、食う前にこいつの飛び方を――って、初音!」

初音は肩をいからせ、両翼を大きく広げた。
明は慌ててヒヨドリを解放する。意識下にあるうちに食われてしまってはたまらない。

「獲物――!」

飛び立つヒヨドリと、追いかける初音。

「聞けよ、人の話っ!」

明の声が空しくこだまする。翼が空気を打つ音が遠くなる。

ヒヨドリの灰褐色の翼と、それを追いかける初音の茶色い翼を見送る。
初音に驚いたのか、周りの鳥たちもいっせいに飛び立っていった。

一瞬ざわめいた林も、またすぐに静けさを取り戻す。
林の真ん中で一人残され、明はため息をついた。





切り株に腰かけて、初音を待つ間にこれからの計画を練る。

(そりゃ、あいつも腹減るか)

気が抜けると自分も空腹だったことに気付く。

(しかし狼の時に比べるとずいぶん消耗が早いんだな。ペースが掴めない)

決まった時間に食事にするのではなく、何かするごとに少しずつ食料を与えた方がいいのかもしれない。
ペンギンが一度芸をしたら、その度に魚を投げる飼育員のように。
バケツいっぱいにソーセージを入れ、初音に向かって放り投げる自分を想像してしまい、明はまたため息をついた。

(水族館とかそういうところに就職するのもいいかもなー。ていうか、俺なら芸を仕込まなくても、乗り移ればいいのか)

それをひとは自作自演という。まずいか、やっぱり。明はどうでもいいことを考えた。

初音が戻ってきたら、テントに戻ってすぐに飯を食わせてやろう。あの調子ではヒヨドリを捕まえたとは思えない。
狼だって狩りの成功率は高くない。恐るべきスタミナで追いかけ、追いつめ、仕留める。
これも、今の初音にそんな余裕があるとは思えない。

それにしても。

「遅いな……いくらなんでも」

探しに行くか――
明は立ち上がって、広がる空を見上げた。頭上をわたる鳥に目星をつける。
これは初音に「食わせてやる」ではなく「食われてやる」ことになるかもしれないと、覚悟を決めながら。





断続的に翼を動かし、風に乗る。高度が下がったらまた翼を動かす。
自分は感覚として理解できるが、それを言葉で伝えるのは難しい。
山の上を旋回飛行しながら、明は鳥の目で初音を探す。

すると、遠くで狼の遠吠えが聞こえた。

(鳥から狼になってるんだ! どこにいる!?)

こだまのせいで方向が掴みにくい。明は旋回飛行し、狼の姿を探す。

こうなるとやっかいだった。茂みに隠れてしまい、空からの発見は難しい。
むしろ鳥を開放し、他の動物に意識を移した方がいいかもしれない。
明が迷っていると再び狼の声が聞こえた。

その声は、すぐ背後で。

空中からの捜索に集中するあまり、本体がおろそかになっていた。
しまったと振り向いた時にはもう遅い。
明に向かって、瞬きする間もなく狼が懐まで跳んでくる。明の視界は、一瞬で初音でいっぱいになった。

「は、つ――ッ!!」

名前を最後まで呼ぶことすらかなわない。
急所に当身をくらい、明の視界は初音の姿も消えて白くなり、次に闇に閉ざされた。





無意識のうちに体を動かそうとしていたようだが、足を動かすことも、指の一本すら動かせない。

(どうなっちまってるんだ、俺の体)

死んだのだろうか。もう体はないのだろうか。

最初に戻ったのは嗅覚だった。ほこりっぽくもあり、湿ったような匂いがする。
次に聴覚。まだ夢の中のような感覚だが、かすかに鳥の声がする。

どうやら死んではいないらしい。だが触覚はまだ戻らない。体はまだ動かない。

そして視覚がぼんやりと、霞が晴れるように戻ってきた。
映るのは黒。だが闇よりずっと明るい、茶色に近い黒。それは湿った土の色だった。

「……あのバカッ……!」

掠れた声で毒づく。
明は、首から下を地面に埋められていた。





視界もだいぶはっきりとしてきた。しかしこの状況では首も満足に動かせない。
早く土の中から抜け出したいが、念動能力を持たない明にはどうすることもできなかった。

――でも、俺にはこれがあるだろう!

初音を探すことが先決だった。
見つけさえすれば、初音に掘り出してもらえば済む話だ。

限られた狭い視界から、木に張り付く昆虫に意識を移す。これで360度探すことができる。
見上げた南天する太陽の位置から、まだそんなに時間はたっていないことが分かった。
一度に何匹の昆虫を操って散らせた後、もっと機動力のある動物を探す。
いくつもの目を乗り継いで、明は初音の足跡を辿って行った。





初音は、林を抜けたところにある見晴らしのいい崖の前にいた。
獲物が近くにいないのか、ぼんやりと空を見ているようにも見える。

(まったく、手のかかる……)

初音の姿を見つけ、安堵の息をもらす。あとは、例のあれを味わう覚悟を決めるだけ。

(とっとと俺を食って、正気に戻れ!!)

明はノウサギを操り、勢いよく初音の目の前に飛び出した。
はっと目を見開く初音。ノウサギに向かって跳躍する。

食われる――今まで何度となく体験しているが、慣れることはない。
目をつぶり、視界を閉ざす。だが、衝撃が襲ってくることはなかった。

目をあけたノウサギの視界に入ったのは、崖を飛び降りる初音の姿だった。

「初音ッ!?」

明は思わず声を上げた。引きつった喉のせいで、声が裏返る。
崖に駆け寄るが、ノウサギの目では崖下を見下ろすことが出来ない。

(すぐに近くの鳥を探せ!)

動かせない自分の体がもどかしい。錯乱しかける気持ちを無理やり落ち着ける。

冷静さを失ってはいけない。
自分だけは、鳥のように広い目で世界を見渡していなければならない。

ノウサギを崖から離し林に戻ろうとすると――世界はわずかに陰を帯びた。

今日は何度空を見上げただろう。

ノウサギの目に、太陽を背にして巨大な羽根を広げ、向かい風をつかまえたイヌワシの姿が映った。

「――ゴハン!!」

少女の名前を呼ぶ声よりも先に、少年の長い悲鳴がこだました。
いつもより騒がしい山の様子に、再び驚いた鳥たちが飛び立っていった。





息を切らせて戻ってきた初音だったが、首から下まで埋められている明の様子を見て、一度その場で立ち止まる。
さすがに気まずそうに目をそらしながら、そろそろと近づいてくる。

「あ、明、ごめん……」
「……とりあえず、早く出してくれ……」

初音は腕を念力で覆い、鋭い爪を作り出して明を掘り起こす。
一度掘った柔らかい土のため、さほど時間はかからなかった。
明の上半身が土から出た後、初音に一気に引っ張ってもらう。

「……」
「……」

ぱんぱんと、気休めにしかならないが、服に着いた土を払う。

「…………」
「初音。ちょっとそこに座りなさい」

明が静かに告げると、おとなしく初音は従った。
今はもちろん人間の姿になっているが、伏せた耳と尻尾が見えるようだった。

「あのなー、一人でどっか行っちゃ駄目だろ!」
「うん……」
「探すのすげー大変だったんだぞ! 初めて来る山だし、心配もしたし!」
「うん……」

初音は肩をすぼめて正座している。
イヌワシや狼の時と違い、今はとても小さく見える。

「……俺たちはチームを組んでるんだろ? 群から離れて、狼に狩はできない」
「…………」

初音の白い肌は、長い間山を駆けずり回っていたからか茶色っぽくなっている。
汚れた頬に、一筋涙の跡がくっきりと通った。
ぬぐってやりたいと考えたが、自分もまた土だらけの手をしていることを思い出す。

(どうせ元々汚れてるんだ、変わらない)

涙の跡が残っているよりはいい。明は初音の頬に手をあてた。

「……俺も、悪かったよ。慣れない力の使い方してたし、ペース配分をもっと考えるべきだった」
「明! ごめんね!」
「痛ぇー!!」

初音に飛びつかれて、明は後ろにひっくり返った。
骨折はしてないようだが、打撲した傷が痛む。

「お腹すいた……」
「お前そればっかだな! さっき俺を食ったろ!?」
「全然足りない」
「……俺だって腹減ったよ」

どっと疲れが押し寄せて、怒る気が失せていく。
こうして流されるところが自分の欠点なんだと明は思う。

見上げる空に、もう鳥の姿は見えない。
これだけ大騒ぎしているのだから、動物だってしばらく近寄ってこないだろう。

「あと、俺を埋めるのもやめろ。食われるかと思った」
「明は食べないよ」

何でもいいから飯にしようと考え、のしかかっていた初音をどかす。

「明は、食べない。明を食べたら、明は無くなっちゃうから」
「…………」

返答を思いつかず、明は無言で起き上がった。
自分が埋められていた穴を振り返る。

「じゃあ、何で埋めるんだよ」
「…………」

今度は初音が黙りこむ。
返事がないので、初音を促してテントへと歩き出した。ここならそう遠くはなさそうだ。
湿った土を踏む音と、その度になる落ち葉が触れ合う音だけがする。

「……本能だから、宝物を埋めるの」

背中から追いかけるような、小さな遅れた返事がかえってくる。
小走りで並んだ初音の横顔を見て、明は頬を掻いた。やっぱり返答が思いつかない。

「とにかく、埋めるの禁止な」

明はもう一度、穴を振り返る。
穴には他にもなぜ山にこんなものが落ちてるのか分からない、がらくたが埋めてあった。

(俺ってあれと同列なのか……?)





「そういえば、初音、さっきうまく飛べてたな」
「あれね、崖の上で飛んでる鳥をずっと見てた」
「急降下、上昇気流に乗って急上昇、ホバリングまで出来てたぞ」
「そう? よく覚えてない」
「俺が教えることもうないんじゃ……」
「ダメ! 復習! 補習!」





親鳥は、子どもが巣立ちした後もしばらくは面倒を見るという。

急ぐことはない。
急いで巣立ちしなければならない状況にあるわけでもない。
――急がなくても、初音ならきっとすぐにこつを掴むだろう。

(こいつのすごさは、俺が一番よく分かってんだから)

思わず見惚れた、風を従えるイヌワシの停空飛翔を思い出す。

南天していた太陽は西に向かって落ち始めていた。
それに気付いてしまうと、昼飯抜きの体がますます空腹をおぼえるのだった。





終わり






初めまして。リョウと申します。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!

先日発売された絶チル8巻のザ・ハウンドに燃え上がり、3巻を読み返し、
明も一回くらい埋められたことあるんじゃね?
と思いつくと同時にメモ帳を開いていました。

椎名作品の二次創作は初めてで、今までは読むばかりだったのですが、
思い切って初投稿させて頂きました。

まだまだ不慣れでキャラも掴みきれておらず、反省点も多い作品ですが、
今回ザ・ハウンドの二人を書いていてとても楽しかったです。

あーもっともっとザ・ハウンドの出番増えないかな(笑)

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