私が好きな食べ物は狐うどんだ。
それは周知の事実であり、私も否定する気はさらさらない。
お湯を入れること三分。
この三分がとても長く感じてしまうのは私だけなのだろうか?
三分が経過する数秒前にふたを捲ってしまう。
それは決して、食べるのを待ちきれなくなったわけではない。
ちゃんとふたを捲るタイムラグを計っているのだ。
ふと私は箸を止めた。
今日の夕食は外で狐うどんが食べたいと思った。
久しぶりにまたヨコシマと一緒がいいなとも思った。
あの日のように彼の奢りで。
その日、いつもは書類や本の片づいた事務所も今日は汚かった。
私が初めて事務所に来たとき、そして初めておキヌちゃんが帰省した翌日には、
もう何年も管理の行き届いてない廃墟の様だった。
つまりそういうこと。
窓から射し込んだ夕日が私の足下まで綺麗な蜂蜜色に染め上げる。
宙に舞った埃がよくわかる。
ふわふわと泳いでる。
ふわふわ浮かぶ埃を見ていると唐突にお腹が空いてきた。
今日の夕食はおキヌちゃんが居ないから期待はできないだろう。
昼ご飯だってカップうどんだった。
たまにはお店のきつねうどんを食べたいものだ。
ならば自分から動けばいい。
「ねぇ、起きて、ヨコシマ」
私は机に突っ伏したヨコシマに声をかける。
おキヌちゃんが何時帰ってきてもいいように片づけようとした。
結果、三人とも夢の中を未だ彷徨っている。
すこし揺さぶったぐらいじゃヨコシマは起きなかった。
ならばと私は奥の手を使う。
「美女が脱いでるわよ、ヨコシマ」
耳がヒクっと動くこと十分の三秒の後、
「なに―――――っ!
何所だっ!? 何所にそんな桃源郷がっ!?」
あっさりと起きた。
「ないわよ、そんなの」
私はあっさりと答える。
いつもの行動を思った通りに行動するヨコシマ。
進歩が全くない。
「で、人を空想の美女で起こしておいて何の用だよ?」
「それは悪かったわよ。 ね、今日は私に付き合って」
私はとりあえず彼に謝った。
これから集る相手を不機嫌にしてしまっては駄目だ。
「そ、そんな、いくら俺が好きだからって・・・
お、俺はロリじゃね――ぎゃぁぁあっ!」
取り敢えずレアで焼いてみた。
― いい日だったね。 ―
「で、『付き合え』ってのはどういう事だ?」
もくもくと顔から煙を上げながら私に質問をするヨコシマ。
どうやら死んではいないらしい。
もっとも、こんなもので死んでしまえば今まで生存してきた理由が分からない。
「散歩よ、散歩」
はてな、と不思議そうな顔をしている。
『散歩』なんてキーワードを使うのはシロだけなのである。
何となく彼の顔から言わんとしているは察したがこれ以上説明するのもめんどくさかった。
「いいじゃない。 シロじゃないんだし、私は走ったりしないわよ」
これ以上の会話は不要と判断した私は部屋を出て玄関を目指す。
後ろから何か声が聞こえたからって気にせず外へ出た。
どちらにしろヨコシマは来てくれるのだ。
これは予想や予感ではなく確信している。
彼はどうしようもなくスケベでバカで甲斐性がなくても優しいのは知っている。
子狐の私を匿って、油揚げをくれて、怪我を気遣ってもらった。
反対に私は幻覚で彼を陥れても恨み言一つ言われなかった。
恨み言はなかったけど化けたときに斬りつけられそうになったのは忘れてはない。
人間と関わってまだ数ヶ月の私だってそのくらいは分かる。
彼がかなりのお人好しだって。
「ったく、先に行くなよな、お前は」
一分も経たないうちに彼は玄関の扉から出てきた。
来るって分かっていたけど、やはり少し嬉しかった。
「それで? どこをどう散歩するんだよ?」
「そうね、取り敢えず歩きましょう」
私は玄関を出て歩き出す。
もちろん『取り敢えず』なんて言っておきながらも、ちゃんと行く道はしっかりと決定している。
今から行けばちょうど良いくらいに美味しい狐うどんを食せるだろう。
「ね、どうして事務所で働こうと思ったの?」
近くの公園に差し掛かった。
もう小さな子供たちは帰宅している。
ふと、私は疑問に思ったことを質問した。
もちろん答えはおおかたの予想が付くけど。
「そらもー、美神さんがいたからに決まってるだろ」
「じゃあ最初はGSになろうとは思わなかったのね?」
なんともめちゃくちゃというか計画性のない人生だと思う。
たまたま書いた小説が、たまたま新人賞になって、それで有名になってしまったみたいに彼はGSになってしまったのだ。
じゃあもしもの話だ、出会ったそのときにミカミがGSなんかじゃなくてお花屋にでも就いていれば、
ヨコシマはお花屋の従業員にでもなっていたのだろうか?
美しい花に囲まれてバイトをするヨコシマ。
・・・・・。
「そうだな。 って、どうしたタマモ?」
「あんたが他の仕事に就いていたらどうなってたかなと思って」
私は目を細めてヨコシマを見る。
なにもお花屋だけで彼のもしも話を創る必要はないし、
他に職業は沢山あるのだ。
「そうだな、少なくともお前には出会ってないだろうな」
多くとも出会ってはないだろう。
GSほど特殊な職柄は無いと思う。
他の職業で妖怪の私と出会うなんて想像もつかない。
「そう思うと私たちが出会ったのもすごいことなのよね」
口にしてみてかなり実感する。
私たちは別々の道を歩き偶然にも交わってしまった。
「実は、それほど凄いことではないんだぜ。
お前が俺と出会おうが、美神さんと出会おうが、誰と出会おうが、
出会った確率は生きてる人間分の一だ」
「つまり世界に十人の人間が生きてるとしたら、
私が誰と出会おうと確率は同じ十分の一というわけね?」
「ま、数学的に考えるとだけどな。
なんとかって法則らしい」
だめじゃん。
確かに考え方を変えればそうも捉えられる。
だけどそれは屁理屈だと思う。
「だけど私はそうは思わないわよ」
世界には目に見えない力が働いていて、それが私たちを巡り会わした。
それが必然と言わんばかりに。
「ま、俺もそう思うわな」
「なによ、あんだけ蘊蓄垂れときながら」
「いいじゃん、そう思うんだから仕方ねぇだろ?」
けど、いったい何所の誰が私たちを引き合わせたのだろう?
そんなの考えたって分かりっこない。
悩んだって仕方ない。
ヨコシマの言葉を真似するつもりはないけど仕方ないこと。
ま、私は今の出会いに不満なんてないし、少しはどこかの誰かに感謝している。
「そんなことはどうでもいいが、うどん屋はまだなのか?」
「わかってるじゃない」
「当たり前だろ。お前が散歩になんか興味持つはずないしな」
やはりばれていた。
だけど、ばれていたことが逆に嬉しかった。
それが彼と私が繋がっているという証拠だから。
私は少し冷えた空気を吸い込んだ。
進む未来は、どうなものかは誰も分からない。
これから誰かと別れたり、出会うことがたくさん待っている。
みんな不確かな物語を歩んでいく。
今は取り敢えず、狐うどんを目指してヨコシマと一緒に歩いていこうと。
その後の事を述べるならば、私たちは狐うどんを食べて帰宅した。
集りには失敗したけど、きっと成功した時よりも私は嬉しかったと思う。
それは彼が彼であって、彼の優しさがそこにあったから。
その日食べた狐うどんは、何某か満ち足りたものがあった。
そして、貧乏学生がどうにか奢れそうな狐うどんだった。
私は箸をまた動かし始めた。
少しだけスープが冷えてしまってる。
私は安っぽっちな狐うどんを思いながら、
今はもう過ぎてしまった、そんなある日の一瞬をいつまでも覗きつづけていた。
帰宅と話したが、実はヨコシマの家に帰宅だったというのはまた別の話である。
[おしまい]
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