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貴方の隣に

 今日も今日とて魔鈴めぐみの店――魔鈴――は大繁盛。
 引切り無しに入ってくる人、人、人時々妖怪――満員御礼もってけドロボー状態である。

「四番テーブルに四名さま入りまーす!」

 ウェイターの制服に身を包みオーダーを取るのは、栄えある第一号バイト横島忠夫十八歳。
 目下、美神令子の元で悪霊退治とセクハラに励む赤貧学生である。

「分かりましたー」

 魔鈴は厨房から返事をしつつ、注文された料理を物凄い速さで捌いていく。
 完成された料理は、魔鈴の使い魔である猫を筆頭に、鳥や日本人形が客席まで運んでいく。
 その見た目は不気味であり、髪の伸びた市松人形や時折奇声を発する怪鳥などが料理を運ぶ様は、とても一般人では耐えられそうにない。
 が、ここは現代の魔女、魔鈴めぐみの店である。
 立地条件も相まって、訪れる人は所謂そっち系の人ばかりなので、楽しみこそすれ驚く事などありはしない。

「お客様、ご注文の黒イモリのソテー、蠍の冑煮、狐の活造りでございます」

 横島は物々しい料理をテーブルに並べていくが、その表情は最高の営業スマイル。
 当初こそ料理の見た目や臭いなどに音を上げていたが、一ヶ月もバイトをしていれば、人間慣れるものである。
 何よりお金を稼ぐ為、横島は事務所の仕事以上に懸命に働いていた。

「お嬢さん、どうでしょうか。僕と一緒に夕日の見えるレストランで、二人の幸せについて語り合いませんか?」

「え? あ、あの――」

「怖がらなくても大丈夫ですよ。僕が優しくエスコー――オブッ!」

「横島さん、真面目に働いてくださいね?」

「――――――」

 懸命に、働いていた。




「はー、やっと終わった……」

 横島は伸びをしながら溜息を吐いた。
 その表情には激務による疲労の色が色濃く残っている。
 時刻は閉店時間の十時を回っており、店内では魔鈴の使い魔たちがせっせとテーブルやフロアの後片付けをしていた。

「お疲れ様です、横島さん」

 魔鈴はその光景をボーっと眺めている横島に声を掛けた。
 今の今まで厨房で後片付けをしていたのか、髪を後ろで一本に束ね、愛用のエプロンを着用している。

「あ、魔鈴さん。お疲れ様です」

 横島が軽く頭を下げる。

「どうでしたか、今日は?」

「いやー、やっぱりキツイッすね。開店と同時に引切り無しっすから」

 はは、と疲れた笑みを浮かべる横島。
 そんな横島に、魔鈴はすまなそうに口を開く。

「辛かったら、止めてもいいんですよ? 無理して続けて身体でも壊したら……」

 その言葉に、横島は扇風機のように首を振る。

「そんな事ないっす! 俺から言い出したことですし、自給は良いし魔鈴さんは可愛いし、あいつらとも仲良くなってきた気がするし、無理なんて全然してないですよ」

「か、可愛いだなんて……もう、横島さんたら」

 横島が何故魔鈴の元でバイトをし始めたのか。
 それは、少し時間を逆戻ってみないと分からないことである。





 美神除霊事務所のオフィスでは、深刻な表情をした横島が一人ソファーに座りながら唸っていた。
 その視線の先には、横島の貯金通帳。
 残高はゼロである。
 アシュタロスとの戦いも終わり、最近では除霊中にポカもやらかさなくなってきた横島の賃金は徐々に右肩上がりではあるが、それでもそこは男子高校生。
 ビデオや本を購入すると当然の様に稼ぎはすぐに無くなってしまう。
 食費を切り詰め電気代を切り詰め洗濯を切り詰め風呂を切り詰め――血の滲む様な努力の結果、横島はここ三日水だけで生活をしていた。
 今日は、美神さんやおキヌちゃんにご飯をご馳走になろうとやって来たのだが、運命は皮肉にも横島にはそっぽを向いている様である。

「何故……何故なんや……なんでワイを置いて女の子達で除霊に行ってしもうたんやー!」

 横島はやりきれない思いをぶちまけた。
 テーブルの上には、おキヌが書いたであろう書置き。
 可愛らしく、行ってきますと書かれている。

 美神除霊事務所の面々――令子、おキヌ、タマモ、シロ――は、三泊四日で東北に除霊兼旅行に行っていたのである。
 一応、それらしい理由はある。
 横島がいると令子を始め、皆が知らず知らずのうちに頼ってしまうのでその現状打破する為と、おキヌ、タマモ、シロに除霊の場数を踏ませる為である。
 しかし、そんな理由など今の横島にとっては迷惑もいい所である。

「はあ、どないしょ――」

 溜息と同時に、禍々しい音が横島の腹から部屋中に響き渡った。

「――何処かに食い物はないのか……!」

 横島は血走った目を四方に走らせる。
 あっちをごそごそこっちをごそごそ、お菓子でもいいからと必死になって探し回るが、収穫はゼロだった。
 ご丁寧な事に、台所の冷蔵庫の中にさえ何も置いていない。

「な、何でも良いから……」

 横島は息も絶え絶えになりながら、最後の望みと、オフィスにおいてある一際立派な食器ダンスを弄り始めた。
 その姿はゴミを漁るホームレスの様でもあり、見る者の同情を誘うこと請け合いである。

「美神さんの事だから、こういう何気ない場所に何か隠してあったり――」

 淡い希望を抱きながら、横島は食器の隙間や奥の方を覗いていた。
 が、探せど見れど食べ物はおろか、虫一匹いはしない。
 しかし、横島は諦めきれずになおも探し続けた。
 不意に、奥の方に探りを入れていた横島の肘が、一枚の高級そうな皿に触れた。
 あっと声を出す暇も無く、無残にも砕け散る高級そうな皿。

「あちゃー、やってもうた」

 横島はバツの悪そうな笑みを浮かべながら、その砕け散った皿を片付け始めた。
 普段から令子に無理難題を押し付けられている横島は、たかが高級そうな皿が割れたくらいでは動じないのである。
 何より、いざとなったら文珠と言う秘密兵器があるわけで、それで修復してしまえば良いと横島は考えていた。
 せっせと破片をかき集める横島に、ふとある文字が目に入ってきた。
 皿の裏に張っていたと思われるその小さな紙には、『南大路露山人作 割るな!』と書かれている。

「南大路露山人?」

 横島は何度かその名を口の中で呟いた。
 どこかで聞いた事のあるフレーズなのである。
 考え込む事、約十分。
 横島の顔色が、サッと青色に変じた。

「み、南大路露山人といったら、あの有名な陶芸家じゃないか!」

 南大路露山人――明治から昭和にかけて日本を代表する陶工であり、画家であり、書道家であり……要約すれば偉大な芸術家である。
 勿論、彼の作品であれば価値も高い。
 横島は、以前見たテレビ番組で露山人の作品が何十万の鑑定を受けていた場面を思い出した。

「美神さんがわざわざ持っているという事を考えると……もしかして何百万!?」

 えらいこっちゃと、横島は修復の二文字を入れた文珠を砕け散った作品に投げつけた。
 何時もなら、これで終了、元の場所に戻して万事解決である。
 しかし、この時ばかりは訳が違った。

「な、なんで戻らないんだ?」

 光を放ちながら破片に当たった文珠を見ると、確かに効力を発揮しているようである。
 しかし、全く皿が修復される傾向が現れない。
 人間界唯一の文珠使いとして長らくこの能力を使用している横島にとっても、初めての経験である。
 そして、くどい様だが、この日の横島は運命にそっぽを向かれている。
 運命を女神に例えるなら、失せろ下衆、とツンツン状態である。

「――あら、横島君。来てたの?」

 その聞き覚えのある声に、横島は油の切れたブリキ人形の様に、ギギギと振り向いた。
 旅行兼除霊に行って不在のはずの、美神令子その人が立っていた。

「み、みみみみ、美神さん!」

 素っ頓狂な声を上げる横島に、美神は怪訝そうに眉を顰める。
 横島の行動がおかしいのは何時もの事だが、最近はセクハラも少なくなり落ち着いてきていたのである。
 その横島が、あからさまに動揺している。

「横島君、何かあったの? 顔色が悪いようだけど――」

 令子はそう言いながら、辺りを見渡した。
 別に荒らされている様な痕跡はないし、誰かが踏み入ったような跡もない。
 しかし、依然として横島はあたふたとしている。
 こういう時は、経験上横島が何かをしでかした時だと、令子は直感した。

「ねえ、横島君。何し――」

「そーだ! 長旅で疲れているでしょう? お風呂に入りましょう!」

 令子の言葉を遮り、横島は大声を上げた。
 横島にしてみれば皿を割った事を感付かれる事は即ち減給、あるいは想像を絶する折檻である。
 それだけは何としても避けたい横島は、普段では絶対にしないような行動に出た。

「そーだそーだ、それが良い。ささ、どうぞお風呂へ、なんだったら俺も一緒に入りますから!」

「え? ちょ、何言ってる――!」

「さあさあさあ!」

 横島はむんずと美神の手を掴むと、顔を真っ赤にしている令子を無理やりバスルームへと連行した。
 飛びつく抱きつく尻を触るは腐る程してきた横島だが、手を掴むと言う行為は初めてである。
 令子にしてみても、何故横島がこうなっているのか原因が分からないし、いきなり手を掴まれたものだから気が動転して、顔を真っ赤にして引っ張られるままに付いて来てしまったのである。

「お茶入れて待ってますんで、ゆっくりしてください!」

「え? あ! 待ちな――」

 横島は呼び止めようとする令子をバスルームに置き去りにして、さっさと出て行ってしまった。
 勿論、証拠隠滅を図る為であるが、令子は気づかない。
 それどころか、先程掴まれた手を見つめながら、未だに顔を真っ赤にしている。

「……もう、なんだって言うのよ。手を掴まれただけでドキドキするなんて、小学生かっつーの」

 令子は呟きながら、珍しく横島に言われたとおりにシャワーを浴びようと服を脱ぎだした。
 何より、真っ赤になった顔を誤魔化したかったのである。


「はあー、はあー……よし、なんか知らんが上手く行った! 後は――」

 横島は、バスルームから水が流れ出す音を聞いた後、急いでオフィスに戻ってきていた。
 目は血走り、足が勝手にバスルームへ向かおうとするのを根性でねじ伏せながら、再び砕け散った皿と向き直る。

「うーむ、何故文珠が効かないのかは分からないが……兎に角隠そう」

 横島は何処からか取り出した唐草模様の風呂敷へ破片を包むと、泥棒の様にそれを背負い、再び文珠を取り出した。
 計、四つ。
 記録操作と文字が浮かび上がっているそれを、横島は天井へ向かって投げつけた。

「わははは! 悪く思うなよ、人口幽霊壱号! これも、俺の身の破滅を救う為じゃ!」

 そう言いながら高笑いする横島の姿は漫画に出てくる悪役にそっくりだが、そんな事を一々気にする横島ではない。
 さてこの間にと、横島は急いで事務所を後にした。
 後処理はきちんとしていた。
 自分が去った事が知られない様に、またもや文珠を二個使用し、分身を作り出しておいたのである。
 しかし、文珠に込めてある霊力が切れると、自動的に分身は消滅する。
 遅かれ早かれ、横島がしでかした事はばれるのである。

「うう、文珠が八個も……ストックが無くなっちまったし、遅かれ早かれ俺が割った事もばれるだろうし――どないせーちゅうんじゃー!」

 泣きながら走る、横島。
 結局、この二日後に全ての事情は令子に知れ渡り、友人宅に潜伏していた横島は捕獲された。
 そして、五十万相当するその皿分、ただ働きが決定し、横島は更なる赤貧街道を突き進む羽目になったのである。
 当然、金がなくては腹も満たない。
 そもそも、金がないから事務所に向かった横島であるから、この仕打ちは死刑と同義である。
 その為横島は、友人知人に別の働き口を紹介して貰う為に東西奔走し、結局行き着いたところが自給もいいし、賄いも出る魔鈴の店だったのである。





 二人で椅子に座りながら適当な話に花を咲かせていた二人だが、ある程度話の種が尽きたのか、今は黙って座っている。
 横島は、今もまだせっせと働き続ける魔鈴の使い魔たちを、ボーっと眺めていた。
 そんな横島を、不思議そうに魔鈴は見つめていた。
 横島は働き始めた当初から、よく魔鈴の使い魔たちに気をかけていたのである。
 そして、時間が空いている時は今の様に何もするでもなく、ただボーっと使い魔たちを眺めていた。

「横島さん、あの子達の事、そんなに気になりますか?」

「え? あ、いや――ええ、そうですね。少し、気になります」

 横島は魔鈴の言葉に一瞬躊躇したが頷いた。
 徐に、口を開く。

「魔鈴さん……あいつらって、感情があるんですか?」

「感情、ですか? そうですね、人間ほど喜怒哀楽を表せるって言うわけじゃないですけど、ありますよ」

 魔鈴の言葉に、横島はそうですかと呟いて、また使い魔達を見やった。
 魔鈴は不思議そうに首を傾げた。
 何故、横島がそんな事を訊くのか分からなかったからである。

「あの、横島さん? 何故、そんな事を訊くんですか?」

「あー、えーとですねぇ……まいったなぁ」

 魔鈴の問に、横島は愛想笑いを浮かべながら頭を掻いた。
 何と言ったらいいか、言葉を選んでいる様子である。
 そんな言い辛そうにしている横島を見て、魔鈴はある事がふと頭に浮かんだ。
 魔神アシュタロスが引き起こした、人類にとっての最大の災厄。
 その時に横島が最愛の女性を失っているのを、魔鈴は知っていた。
 そして、彼女の扱いはアシュタロスが目的を果たす為の駒――魔女などが用いる使い魔に、とても似た存在である。
 横島は働いている使い魔達に、彼女の影を追っているのではないのだろうかと、魔鈴は考えた。
 しかし、口に出して言うのは、とても憚れる問題であった。
 横島が最愛の女性を失って、いまだ一年。
 そんな横島に対して、部外者である自分がおいそれと事を尋ねていいものかと、魔鈴は思案していた。
 そんな葛藤をよそに、横島は語り出した。

「えっとですね、俺の知り合いに、あいつらによく似た連中がいるんですよ」

「似ている?」

「ええ、そうです。あいつらよりもっと騒がしい奴らですけど、生い立ちが似てるって言うか――存在意義ですかね。誰かの為に存在して、その誰かのために一生を終える、そんな奴らなんですよ」

 少し視線を落としながら喋る横島を見て、魔鈴は自分の考えが当たっていることを確信した。
 横島が言う似ている連中とは、アシュタロスによって創られた彼女達の事だろう。
 そして、今彼が思い描いているのは、失ってしまった女性――ルシオラの事なのだと。
 何と言おうか逡巡していた魔鈴に、横島は明るく声をかけた。

「まあ、でも今はそんな事もなしに、自由気侭に暮らしてますがね。この前会いに行ったんですけど、ほんっとうるさくて、参っちゃいますよ」

 そういう横島を見て、魔鈴は胸を痛めた。
 口調は明るいし、表情も手のかかる妹を持つ兄の様な温和さを湛えている。
 しかし、その瞳は深い悲しみに彩られていた。
 話している内容とは別の光景を思い描いている様に、どこか遠くを見つめているのである。
 決して、十八歳の少年が持つような瞳の輝きではない。
 愛する人に先立たれた、老人が持つような瞳の色だった。

「いやー、それでそいつときたら、やれゲームしろだの一緒に遊ぶだのって、俺に引っ付いて大変だったんすよ。終いには、一緒に風呂入ろうだとか、参っちゃいますよね――魔鈴さん? どうかしましたか?」

 思考に没頭していた魔鈴を、心配そうに横島が覗き込む。
 魔鈴は慌てて首を振った。

「いえ、何でもありませんよ。でも、よっぽどその娘に好かれているんですね」

「え? いや、そんな事ないですよ。きっと、遊び相手程度にしか思ってませんて。第一、好いてる相手に体当たりしたりすんですよ? それがもう殺人級で……」

 横島はあーだこーだと色々と言ってはいるが、魔鈴には既に耳に入っていなかった。
 先程見せた横島の瞳が、忘れられないのである。
 最初に横島に会った時は、年相応の――セクハラや言動はどうかと思うが――少年ぐらいにしか思っていなかった。
 しかし、一ヶ月間一緒に働いて、魔鈴には一つ分かったことがある。
 それは、何故彼の周りに人が集まり、彼が好かれるかという事だ。

「それでですね――」

「私、分かりますよ。その娘の気持ち」

 魔鈴は、横島の言葉を遮って言った。
 へ、と口を開けている横島を無視して、魔鈴は続ける。

「その娘は、横島さんの事が大好きなんですよ。だから、何かにつけてちょっかいを出すし、出して欲しいって思うから、横島さんに引っ付いてるんです」

「いや、でもですね――」

 また何か言おうとする横島を、魔鈴は見つめた。

「横島さん、彼女の気持ち、考えた事がありますか? 好きで堪らないのに、その気持ちが素直に言えない女の子の事、考えた事がありますか? 勇気がなくて、傷つく事が怖くて言えないんじゃない。貴方の心に、まだルシオラさんがいるから、だから言えない。これが、どんなに辛い事か分かりますか?」

 魔鈴は一気に捲くし立てた。
 自分の感情が、上手く制御できなかった。

「横島さんがルシオラさんを失って、辛い事は知ってます。でも、考えてあげてください。貴方の周りにいる女の子の事、思ってあげてください――報われない悲しさは、貴方も知ってるでしょう」

 魔鈴は言い終わると、すっと視線を下げた。
 思い返すと横島の事を慮っていない様な気もしたが、後悔はしていなかった。
 自分の気持ちも、その言葉の中に含まれていたからである。
 魔鈴は、もう一度顔を上げた。
 横島は何かを考えている様で、また使い魔達の事を見ていた。
 一分だったかもしれないし、一時間だったかも知れない。
 横島は、そっと呟いた。

「――魔鈴さん、俺、甘えてたみたいですね」

 横島は、何かを決意した様に魔鈴に向き直った。

「ルシオラが死んで、自分の事で頭一杯で、周りの連中の事、あんま考えてやれなくて……でも、やっぱ駄目ですね。いろんな人に迷惑かけて、やっとここまで来たんだから、これからは俺が周りの奴ら支えてかなきゃ、今度は俺の番だって言ってやらなきゃ、男じゃないっすよね……すんません、魔鈴さんにまで心配かけて――目が覚めた気がします」

 横島はそう言って、頭を下げた。
 すぐに踏ん切りがつく訳がない事は、魔鈴も分かっている。
 ただ、自分の言葉をきっかけにして、また心から横島が笑ってくれる日が来てくれればと思っていた。
 横島が頭を上げた。

「それじゃあ、これが最初です。魔鈴さん、バイト以外で、何かして欲しい事がありますか?」

 横島の突然の言葉に魔鈴は驚いて声を上げた。

「ええ!? い、いいですよ。何か、自分勝手な事を言ってしまっただけですから、してもらう事なんて――」

「いえ、そういう訳にもいかないっす。俺は、魔鈴さんの言葉でこのままじゃ駄目なんだなって思ったんです。だから、最初に魔鈴さんに、恩返しをさせてください」

「そ、そんな――」

 魔鈴は困惑して、視線を彷徨わせた。
 いきなり何かさせてくれと言われても、魔鈴には思いつかないのである。
 ただでさえ、バイトという名目だが忙しい店を手伝っていてくれるのである。
 これ以上望むことなんて――。

「あ! そうだ、横島さん。私の頼みごと、何でも聞いてくれますか?」

「ええ、俺に出来る事なら、何でもします」

 横島は、深く考えもせず頷いた。
 魔鈴はその言葉を聞いて、ほっと溜息をついた。
 自分の考えがすぐに通る訳ではない事は、横島の周りを見ていれば分かる。
 しかし、言わなければ自分がその他大勢で終わってしまうとの思いを魔鈴は抱いていたのである。
 この機会に便乗するのは卑怯かもと思ったが、魔鈴は意を決して言った。

「横島さん、私と付き合ってくれませんか?」

「ええ、そんな事であればお安い御用――へ?」

 横島は再び頷こうとして、ぽかんと口を開けた。
 魔鈴は顔を真っ赤にして――しかし、その視線は横島から少しも逸らされていない――横島の事を見つめていた。
 横島が、汗をダラダラと流しながら、唾を飲み込む。

「あ、あの……もう一度言ってくれませんか?」

「も、もう――女の子に二回も言わせる気ですか? しょうがないですね……横島さん、宜しければ、私と付き合ってくれませんか?」

 横島の一際大きな叫び声が、店内にこだました。

「ま、ま、ま――魔鈴さん!? な、何を言ってるんっすか!」

 横島の言葉に、魔鈴はニコニコと笑っている。
 先程までの真っ赤な表情が、嘘のように消えていた。
 横島の慌てた表情を見て、気分が落ち着いたのである。

「横島さん、私は嘘なんて吐きませんよ? 勿論、ドッキリでもありません。ここ最近、ずっと思ってた事なんです」

 言おうとしていた言葉を先に言われ、横島は言葉に詰まった。
 確か、自分は魔鈴に恩返しがしたくて申し出たはずなのに、何故こういう展開になったのか、横島には理解できなかった。
 そもそも、魔鈴の様な綺麗な女性が、自分に好意を抱いている事が信じられないのである。
 その上、付き合いませんかと、事実上の告白を受けた事など、横島にはやらせ以外には考えられなかった。

「う、嘘やー! こんな事あるはずあらへんー! きっと何処かにカメラがあるか、夢なんやー!」

 横島はバッと椅子から立ち上がると、そこら辺にある柱に頭を打ちつけ始めた。
 額は割れ、血がダラダラと顔を汚しているが、お構い無しである。
 別に、最初はこうでもいい。
 彼に自分の気持ちを知ってもらえれば、それで今回の告白は事足りる。
 彼は今、自分の店で働くことで生活費を得ているのだから、止めると言う訳には行かないだろう。
 そうであれば、美神事務所の人達と条件は同じ。
 もしかしたら、夜遅くまで働いて貰ってる自分の方が有利かも知れない。
 後は、如何に自分をアピール出来るか。
 令子達は自分を表現するのが難しいから、上手くいくかもしれない。
 その事を考えて、魔鈴はそっと微笑んだ。



 彼が貴方の事を忘れるなんて無理でしょうけど、私はそれでも構わない。
 ただ、彼が以前の様に、邪気のない、翳のない笑顔を浮かべてくれれば。
 その笑顔を見る事ができれば、私は幸せです。
 未来がどうなるか分からないけど――ルシオラさん、私が彼の事を愛しても良いですか?
 彼の傍に行っても良いですか?
 彼の隣に立っても、貴方は許してくれますか?





 季節は、冬。







 舞い散る雪に混じった季節外れの蛍が、店の窓から飛び立った。
どうも、高寺です。
多分、これ以上のSSは書けないのではと思いまするが、底の浅さが見え隠れする出来栄えです。
ただ、読んでいただけて、魔鈴さんの事が好きになってくれればと、思います。

追記
短編連載ものになる事が微妙に決定しました……期待しないでね☆

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