教室の窓から眺める風景は、すっかり色褪せてしまった。
夜の帳が落ちた校庭では、冷たい風が肌を寄せ合っている木々達の間を通り抜け、今の季節は冬なのだと盛んに訴えかけている――そして、それに応えるように木々がざわめく。
後、幾許もしないうちに春になるというのに、世の中は依然として冬の様相を呈している。
寒いな、と私は自分の身体を抱き締める。
暖房も入っていない二月の夜。例え室内だからといっても、外と気温が格段に違うというわけではない。風がない分ましではあるけれど、むしろ、外よりも寒いのかも知れない。
まあ、私は妖怪だから風邪を引くことはないのだけれど――それでも、やはり寒いと感じてしまう。日中は大勢のクラスメートで、暖房も要らないのではと思うほど活気がある教室も、今は私一人。
だからだろうか、余計に寒いと感じるのは。妖怪であるはずの私が、凍えそうな身体を抱き締めているのは、人が恋しいからだろうか。
――いや、違うのだろう。確かに、人恋しさもある。でも、それがこの寒さの原因ではない。
原因は――。
あの、おせっかい焼きのクラスメートだ。
私が今こうして自分の身体を抱き締めているのは、あの人が原因。
人に迷惑をかけて、祓われてもおかしくなかった私が、今こうして一人の女生徒として高校生活を送っている、その原因を作った人。
馬鹿で、スケベで、女生徒にはそっぽ向かれて、とても女性にだらしなくて……でも、優しくて、以外に頼り甲斐があって、ここぞという時に期待以上に活躍する、そんな人。
彼と出逢ったのは、全くの偶然――でもないのだろう。
私は、彼の周りに集まる人たちを思い出して、苦笑する。魔族に神族、元幽霊の少女に人狼、妖狐。例を挙げれば、限がない。
そんな彼に私が出逢ったのは、必然なのだろう。
もし彼に出逢う事が無かったらと思うと、とても悲しい気持ちになる。
出逢う事が敵わなければ、今でも私は誰かを自分の中に誘い、疑似体験の学校生活に満足している迷惑妖怪として存在していたか、もしくは誰かに祓われていただろう。
だから、彼に抱いていた最初の感情は、感謝なのだと思う。
去年、彼の下駄箱にチョコを入れたのだって――確かに、青春の真似事をしたかったのもあるけれど――私の感謝の気持ちを伝えたくて、チョコを入れておいたのだ。
――でも、まさかあんなに大騒ぎになるなんて、私は思ってもいなかった。
だから、あの時私は名乗り出ることが出来なかった。素直に名乗り出て、今までの感謝の気持ち、って一言言えば良かったのだ。これは、義理だよ、と。
……恥ずかしくて、それが出来なかった。
今まで、素直に感情を伝えたことが無かったから、あんなに大勢の人がいる前で、私が入れたなんて、とても言うことが出来なかった。
「進歩ないよね、私って」
教室を出て、彼の下駄箱の前へ向かう私の手の中には、去年より、ずっと小さい赤い箱。
明日は、去年のあの日。私が素直になれなかった、聖バレンタインディ。
でも、明確に違うことが、一つだけある。
去年は、私なりの感謝の印だった。
でも、今年はそれだけじゃない。勿論、感謝の気持ちはある。でもそれ以上に――。
「……言えないな」
人間の女の子は、凄いと思う。この気持ちを、素直に相手にぶつける事が出来るのだから。生半可な気持ちや、臆病な人では決して出来る芸当ではない。
勿論、想いが届かない事だってあるのだ。それでも、それに臆することなく――いや、例え怖いとしても――自分の気持ちを、素直に口にすることが出来る。
……私には、できない。
その証拠に、赤い箱の中には、チョコと一緒に、差出人の書かれていない手紙。
結局、去年と同じなのだ。
直接渡してしまえばいい。
言ってしまえばいい。
返事なんて構わない。
私の素直な気持ちを彼にぶつけたい。
ぶつけてみたい。
――でも、できない。
拒絶されるのが怖いから。
今の関係が壊れるのが嫌だから。
彼が離れていってしまうのに耐えられないから。
彼は、優しい。だから、離れていく事も、関係が壊れてしまう事もないかも知れない。
――そう、優しいからこそ、彼自身が気付かないうちに、私の事を避けるかもしれない。私に対して、何時ものような軽口を叩いてくれなくなるかも知れない。
――それは、とても悲しい事。私にとっても、彼にとっても。
だから、私の手紙には名前がない。
真っ白な紙に、たった一言。
気が付くと、もう目の前には彼の下駄箱がある。
去年と同じ様に、私の本体に乗って、赤い箱をそっと差し入れる。
去年と同じ様に、気付かれることのない差出人。
去年と同じ様に、気付かれることのない想い。
「――ッ」
不意に、目頭が熱くなった。
「――ら、らしく、ないなぁ……」
そう、泣くなんて、私らしくない。
何時もみたいに、これが青春って、言えばいいのに。
言えない。
言いたくない。
彼に、気付いて欲しい。
彼に、手紙に書いた言葉が、私の気持ちだって。
ずっと、ずっと、そう思ってたんだって。
――でも、やっぱり、無理。
辛いから。
怖いから。
嫌だから。
耐えられないから。
私には、これが限界。
彼の下駄箱を見つめながら、そっと呟く。
「――好きです、横島君」
素直に、なれない。
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