『そこ』に入るなりわしの耳に飛び込んできたのは、一つの叫びだった。
「ここは誰!?ボクはどこ!?ああっ、思い出すにはハダカを見たいっ!!美神さ――ん!!」
「おキヌちゃん…本っ当にこっちの方がいいの?責任とってくれるんでしょうね!?」
「うーん……そう言われると……」
そろそろ頃合と思っておったが、戻るなり『これ』とは―― 相変わらずじゃのう。
「―― 何をやっておるんじゃ、おぬしらは?」
「カオス?何しに来たの?」
「なに、この通りマリアの修理が済んだから、挨拶がてら寄ってみただけのことじゃよ。
それに―― 少々小僧に聞きたいこともあったからの」
「へ、俺に?」
わしの言葉に、拘束されていたはずの電気椅子から小僧はこともなげに立ち上がる。
相変わらず、人間離れした小僧じゃわい。
「おお、そうじゃよ。
それはそうと美神令子!無駄に垂れ流す電力があるくらいなら、快気祝いと言う事でマリアに分けてくれんか?家賃がエンドレスのウチの経済事情じゃ、充電出来る電力が少々心もとないのでな。
それとヨーカンは厚めにの」
「アンタ……ちょっとは遠慮しなさいよ」
【Grow Up 〜刻まれるもの〜】
「で、俺に聞きたいってのは一体なんなんだよ?」
ヨーカンをつまみながら小僧が尋ねる。
おのれ、一番分厚い奴を取りおったな?
「なに、簡単な事じゃよ。マリアについて気になった事があったのでな」
「……マリアの?」
「単刀直入に聞くが、おぬし、月に行った時、マリアについて何か気になった事はなかったかの?
例えば、表情やら言動やらに、いつもと違う印象を感じたとか―― 」
「表情、かぁ……うーん」
わしのその問いに、小僧は腕組みして考え込む。
やはり、取り戻したとはいえど、恐怖で一度封印した記憶だけのことはある。思い出すにはちと骨らしい。
単なる気のせいとも思えるほどに、あまりに小さな懸念には違いない。
じゃが、いかなる小さなものとはいえ、わしにとってマリアに感じたその引っかかりは大きいものじゃった。
シベリアで小僧とともに帰還を果たしたマリアは、微かにとはいえ、確かに笑っておった―― かつて<哀しみ>の感情を芽生えさせ、『笑顔』プログラムの凍結を要求した筈のマリアが、じゃ。
メモリを確認したが、凍結したプログラムが解凍した様子はなかった。
となれば、マリアの意思でその笑みを漏らした、ということになる。
そして、マリアがわしの傍らを離れた空白の刻の中で最も長い間マリアと接していたのは、他ならぬこの小僧である事に違いはない。
わしが確認を取りたくなるのも至極当然の事じゃった。
「―― そーいえば、大気圏でメドーサとやりあった後……寂しそうにだけど、笑ってたなぁ
『どこに・落ちたい?』ってさぁ……あの時は思ったモンだよ、マリアでも諦める事もあるんだなぁ―― って、どうした、おっさん?」
おっと、いかんいかん。
わしとした事が、あまりのことについ茶を噴き出しそうになりおったわ。
それにしても、やはり、この小僧か。
これほどまでにマリアに影響を―― マリアの
人工魂に『本物の感情』という奴を芽生えさせるほどに強い影響を与えた者は、マリアをロールアウトしてから数えて700年以上もの月日の中でもかのシャーロック・ホームズただ一人じゃが―― まさか、この小僧があの人類史上初の探偵と同じだけの影響力を与えるだけの何かを持っておる、とでもいうのか?
「いや……おぬしほど女に無節操な男にコナをかけるとは、マリアも甲斐ないことをすると思っただけのことよ。
第一、月でも見境なくナンパを繰り返しておったじゃろ?」
「ぬっ……ぬなっ?!」
わしの言葉に狼狽えたのか、ヨーカンを飲み下し損ねて小僧は咳き込む。
この小僧もホームズも、わしが人格を交換し損ねたという共通点はあるにはあるが―― ふむ、こうして見ると大違いじゃわい。
それにしても、我が娘が感情をその魂に刻み込むことによって示した『成長』を喜ぶべきか、それとも、わし以外の何者かが与えた影響によって成長を果たしたというその事実を悲しむべきか―― 悩みどころじゃな。
いや、喜びよりも、悲しみよりも、相応しい事がある、か。
思い至り、わしは少々意地の悪い笑みをこぼす。
ちょうど、マリアの充電も終わる頃合じゃ。タイミングを見計らい、わしはトドメの一言をくれてやった。
「なぁに、娘の恋人候補に邪魔をするのが父親の役目、という奴じゃよ。ましてや、おぬしのような男には、我が娘はやれんよ」
「な…いきなり何を言い出しやがる、このボケジジィ――――ッ!!!?」
更に狼狽の色を強める小僧の後ろに、殺気を纏った影二つ。おうおう、案の定じゃわい。
「ロボに懸想か――――――ッ!?」
「―――― 横島さん……まさか、マリアにまでッ?!」
「ちょっ……違ッ!
俺は何もやってね―――― ッ!!コラ、おっさ――――――ん!!戻れ!戻って無実を証明しやがれ――――ッ!!」
ふん、これほどまでに慕われておりながら、まだマリアにも慕われようとは贅沢という奴じゃよ。
小僧に言ったように、確かに嫉妬かも知れん。
しかし、娘の選んだ相手に目くじらを立てるのも男親の特権というものじゃ。小僧も何年も経てば判るときも来るじゃろうて。
「まぁ、聞きたいことも聞いたし、失礼するぞ。ほれ、マリア、そろそろ行くぞ」
「イエス・ドクター・カオス」
「話を聞け――――――ッ!!」
「アンタが、ね」
「ええ……じっくり、話を聞かせてもらいたいですね」
扉を閉じたわしの耳に、小僧の断末魔のような声が聞こえた。
美神令子の事務所の騒々しさと違い、秋が深まりつつある街は、慌しさの中にも枯れた静けさを帯びている。
このところはマリアの修理にかまけて気付かなんだが、日が落ちるのも早くなったモンじゃ。
肌寒さを感じさせる西風に身を縮め―― ふとわしはマリアに尋ねる。
「で、マリア……お前は、小僧をどう思っておるんじゃ?」
もしもマリアが小僧を好いておるのならば、それもまた仕方ないかも知れん。その思いを載せた問いに、逡巡にも似た暫しの沈黙を経て、マリアは答えを紡ぎだす。
「横島・さん・友達」
気のせいじゃろうか―― そう答えたマリアの顔が、やはりわしには微かに笑っているように見えた。
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