あの夕日の告白からしばらくして横島さんは私を選んでくれました。
これからずっとこの幸せな時間が続いていくって信じてました。
生き返ってから、どんどん新しいことを知っていくんです。
嬉しいこと、楽しいこと、何より横島さんのことをどんどん知っていきます。
やさしく触れてくれる不器用な手、ふさぎあった唇、重ねあった肌のぬくもり、全て新鮮で幸せです。
かけがえのないあなたを待っています。
約束しました。私は「待つ」って。
私はあなたが帰る場所だから、帰ってくる場所になるって決めたから。
何ヶ月でも、何年でも、何十年でも待っています。もう一度あなたと出会えるまで。
雪が降っていた。町を埋め尽くす白い妖精達、町は恋人たちが闊歩し共に町を彩っていた。
クリスマスソングが鳴り響く楽しげな喧噪に包まれている。
白い聖夜、夜のとばりの中、光でデコレートされた建物達は物言わず、それで居て見目鮮やかに存在を主張していた。
そんな喧噪の中で、一組のカップルが仲むつまじく並んで道を行く。
周囲のカップルさえもうらやむような幸せで暖かな笑顔を浮かべ寄り添っていた。
女性はふと、思い立ったように男性の数歩先に歩み出た香と思うと、腰まで届きそうなつややかな長い黒髪を翻し振り返る。
「横島さん、本当に私でよかったんですか?」
赤い肩掛けに雪が降りてくる。
問いかける表情は幸せそうで、それでいて一つまみの不安をまぶした雰囲気を漂わせていた。
「何が?」
問い返すのは男、せいっぱいめかしこんだのか、普段着ているよりは質の良いハーフコートにグリーンのチノパンだが、額には相変わらず赤バンダナを巻いている。
女性は少し目線を泳がせて、改めて正面の瞳を見つめ直す。
「その、私が恋人で」
軽く頬を染めて、噛み締めるように呟いた。
「そら、俺がおキヌちゃんに『付き合って欲しい』って言うたんやから」
困ったようにボリボリと後頭部をかきながら首をひねっていた。彼にとっては今更のことだった。彼女に持つ感情は伝え尽くしたつもりなのだ。
「でも、やっぱり気になります。横島さんって気が多いからいつだってヤキモキしてるんですよ」
横島の袖をつかんで隣に戻る女性、少し怒ったように軽く頬を膨らませる氷室キヌは掛け値なしに可愛く、横島の脈拍を規定以上に跳ね上げていた。
「あは、あはははは……」
続けて後頭部を掻きながら冷や汗を流す。引きつった笑いとそらした目線が普段の動向を如実に現している。
そんな反応に軽く頬をふくらませる少女はジッと少年の瞳を見つめていた。
「もぉ、笑い事じゃありません。真面目に聞いてるんですよっ」
「す、すんまへ〜ん。で、でもさっ、いつものナンパは違うんやっ。あれはなんつーか社交辞令って言うか。と、とにかくおキヌちゃんは特別なんだよ。ほら、何て言うかっ、えっと、その、あの」
勢い込んで何か言おうとしていたが、次第にしどろもどろになる。
「え〜と、ごめん。上手く言えない。で、でもさ、一等大事なのはおキヌちゃんで、それだけはなんつーか分かってくれると助かる」
ペコっと頭を下げる。情けなくも愛嬌のある姿におキヌも小さく苦笑いを浮かべていた。
「もー、しょうがないですね」
呆れたようで受け入れた笑顔が軽くため息付いてそこにある。
「だったら、あんまりヤキモキさせないでくださいっ」
「うぅぅぅ、すんまへーん」
トンッと青年の肩に体重を預けていた。
「だったら、横島さん、一つだけ聞かせてください。それで許してあげます」
少し潤んだ瞳に見つめられて、横島は思わず動きが固まる。
「え?」
「私のことは好きですか?」
「え? あ、その、えっと……好きだよ。おキヌちゃんのことがめちゃくちゃ」
どちらとも無く握り締めた手のひらに柔らかく力がこもった。
「うふふ、だったら、今回だけは許してあげます。だから、私の事を離さないでくださいね」
祝福するように降り続ける粉雪、冷たくも暖かな風景が二人を包んでいく。
恋人たちは寄り添いながらホワイトクリスマスの夜の中へ紛れて行った。
翌日
古びた洋館……美神除霊事務所の前で横島とおキヌはバツが悪そうに立ちつくしていた。
「えっと、朝になっちゃいましたね」
照れくさそうに恋人の傍らでおキヌが頬を小さく染める。
「まー、なんつーか……コレは不可抗力だっ。うん」
横島も同じく傍らの恋人をどことなく遠慮がちに見ている。
何となく並んでいるのははばかられる、しかし、決して離れたくはない。
互いの立ち位置は言葉にしにくいそんな距離だ。
「ふ、不可抗力ですか?」
「うん、おキヌちゃんが可愛すぎるから」
「……り、理由になってないです」
「俺には十分すぎる理由だっ。あんな可愛く甘えてくるおキヌちゃんと一緒にいて途中で帰ることなどできようかっ!! いや、できま……っ」
「よ・こ・し・ま・さ・ん」
顔を真っ赤にしたおキヌは笑顔の迫力で続きを言わせなかった。
「す、すんまへ〜ん」
「こほんっ、その、『可愛い』って言ってくれるの嬉しいんですけど、ちょっとここでは恥ずかしすぎますから、えっと、でも、いつまでも入らないわけにはいきませんよね」
可愛いと言われることそのものは嬉しいのだろう、非難する声にも喜色は隠しきれない。
「う、う〜ん、ただ一緒に入ると何言われるか分からん気はするが」
「え、えーと」
ヒョォォォォォォ……
寒風が吹き抜ける。さすがに12月の終盤は冷えてくる。
埒があかないままここにいても仕方がない。
「ど、どーしましょう?」
「どーしようったって」
ふと互いに目線が合って、双方の顔は火がついたようにボッと真っ赤に染まる。
「そ、その、美神さんやシロちゃんやタマモちゃんには、バレバレですよね」
「う、う〜ん」
ガチャッ
「せんせー、おはようでござる〜」
開いた扉から一人の少女が飛び出した。
前髪一房が赤く、銀の長髪、季節外れのタンクトップに破れたデニム、そして可愛らしいお尻からちょこんと生えた尻尾はパタパタと幸せそうに振りたくる。
「おわぁっ!?」
のけぞった横島に抱きついて、ぺろぺろ頬を舐めたくっていた。
「せんせーでござるーっ♪ 帰ってきたでござるー♪」
「シ、シロ、相変わらず元気だなおまえは」
「拙者は武士でござるっ。常に戦場働きができるよう体調管理はバンゼンでござるっ」
「そ、そーなのか?」
「そーでござるっ。先生も体調はしっかりしておくにこしたことはないでござる。だから、おキヌ殿と睦み合うのもほどほどにした方が良いでござるよ」
「ぶぅっ!!」
「ちょ、ちょっとシロちゃん」
前触れ無く投下された爆弾に横島とおキヌは顔中色をなす。
「はっはっは、そんな真っ赤になって照れることはないでござる。すでに先生とおキヌ殿は夫婦同然。ならば夜毎に睦み合うのは至極当然のことでござろう?」
「往来の真ん中で言うことやないわぁぁぁぁっ!?」
先ほどの自分の完璧に台詞を忘れた横島が絶叫していた。
「……そう思うんなら中入ったら?」
金色のナインテールが印象的なつり目の少女が腕組みして立っている。
引きつらせたこめかみが『呆れ』をにじませていた。
見た目は中学生、しかしてその実体はかつて日本を震撼させた大妖怪・金毛白面九尾の狐である。
「た、タマモちゃんも」
「あのねー、横島とおキヌちゃんが一晩シケ込んでたことくらい今更誰も気にしないわよ」
「あ、あの、それはそれで」
「俺らが気にするわぃっ」
ガラッ
「えーかげんにせんかぁぁぁっ!!」
ゴガシャッ!!
「げぶらッ!!」
屋外漫才は二階から投下された頑丈な椅子によって終焉を迎えた。白い雪の絨毯に、横島がダクダク流す赤の色彩が映える。
この年のクリスマスは、横島がアスファルトに咲かせた血の花が最後の彩りを与えることとなった。
「美神さん、いくら俺だってあんなん食らったら死にますよっ!!」
と、元気に抗議するのは横島忠夫である。ちなみに怪我をしていた痕跡は見事に残っていない。
正面には亜麻色の長い髪を揺らす「美しい」という形容を見事に体現した二十歳そこそこのナイスバディが疲れたため息をついていた。
「あんたね、説得力って言葉の意味知ってる?」
胡乱気な半眼がじーっと横島を見やる。
「やからって、あれはないでしょ? あれはっ。もし死んだらどうするんですかっ」
ガルルルと噛みつかんばかりの横島は、誰が見ても健康体である。
「明らかに死んで無いじゃない」
「そらそーですけど、万が一死んだらどーすんですかっ!!」
「大丈夫っ」
美神は満面の笑みを浮かべて横島の肩をポンッとたたく。
「その時は『あ、やりすぎちゃったかな?』って反省して次からやらないからばっちり安心よ♪」
「そこに俺が安心できる要素が欠片もあらへんやんけぇぇぇっ!!」
絶叫する横島をそのままに美神は居並ぶ面々に視線を投げる。
「じゃぁ、この話は終わったから今から仕事の話よっ」
「うぅぅ、話を聞いて……」
「ま、まぁまぁ」
おキヌは恋人をなだめるように寄り添っている。
いつも通りのバイト先、シロとタマモの二人がカップルの隣で「はいはい、ごちそうさま」と言わんばかりの表情で並んでいた。
「とまぁ、久しぶりに金づるから依頼が来たわけよ」
ググッと拳を握り締めていた。
「み、美神さん、金づるて、これ小竜姫様の依頼じゃないすか」
美神のギリギリな発言に横島も冷たい汗を伝わせていた。
「ボロい稼ぎが向こうからやってくるんだもの。もー嬉しいったらないわ♪」
今にも小躍りしそうな笑顔で心の電卓をはじいている。きっとゼロの羅列が素敵な長さになっているのだろう。
「そーゆーわけだから、クリスマスボケなんて認めないわよっ!!」
半眼の美神が改めて檄を飛ばす。ベクトルが何処に向かっているかはっきりしているので、シロは苦笑いし、タマモはニヤニヤ笑いを浮かべている。
そして、横島とおキヌは頬を染めて俯いていた。
「メンバーは私と横島君の二人よ。シロとタマモはスタンバイ要員で連れては行くけど基本的に参加させないから」
「えー、そんな殺生な、でござるよ美神殿〜」
「あたしはいいわよ。楽できておいしいもの食べられるなら」
自称武士のシロは除霊に参加したがり、タマモは功利的な発言をかましていた。
何というかこの二人はいつも通りだ。
「強力な魔族の相手はそう簡単にできるモンじゃないのよ。シロの戦力はそれなりに期待できるけど、今回は対魔族の経験を優先させてもらうわ」
「うぅぅぅぅ〜殺生でござる〜」
「まーむくれんなよ。帰ったら散歩に連れてってやっから」
ぶーたれるシロに横島がフォローを入れてやる。
「ほ、ホントでござるかっ?」
尻尾振りたくって無邪気な笑顔でズズぃっと、にじり寄ってくる勢いに横島が数歩後ずさる。
「げ、現金だな、お前」
「まー、バカ犬だから」
「犬ではござらっ」
「シャラップッ。とにかく概要はさっき言った通りよ。神族と魔族のトップクラス会談が近いうちに開催されるわ」
書類を手に美神が依頼内容の説明を開始する。
「場所は人界。この会談でデタントの流れは完全に締結されるってさ」
「それで何で俺らのとこに防衛依頼が来るんですか?」
横島が冷や汗たらしながらおずおず問いかける。
その問いかけに勢いそがれて美神がガクッとつんのめっていた。
「あ、あきれたわね。いい? この会談が終わったら、神族魔族の正規軍が表立って暴挙抑止の行動を取れるの」
「てことはデタントが」
鈍い横島の頭にようやく電灯がペカッと灯る。
「そ、確定するってことよ。武闘派連中は表立った活動ができなくなる。だから、逆を言うと今はまだ神魔の正規軍は人界で動けない」
「あぁ、月の時と同じことっすね?」
「そーゆーことよ。それにアシュタロスほど露骨じゃないから動く口実がないの。神魔族の介入しない人界での騒動は人間のGSで片付ける必要があるのよ」
「なるほど、そーゆーことなんすね。じゃ、コレさえ終わったらメデタシメデタシって事っすね」
「まぁ、そーなんだけど、この一件は根が深そうだからそう簡単にはいかないかもね」
資料を手にした美神の表情は真剣みを帯びていた。
「え?」
「小竜姫の話によると、トップシークレットの内容が漏れてることが分かったのよ」
「漏れてる?」
「議題から何から一切合財よ。会談としか公式発表してなかったのに、反対派の武闘派たちは開催日時から開催場所、事細かに情報を得ていたの。武闘派の末端構成員を吐かせて判明したそうよ」
「つ、つまり」
「このトップ会談関係者にさえ情報駄々漏れの奴がいる、もしくは反対派が居るってことよ。まぁ、会談が成功すれば尻尾はすぼめるでしょうね」
「え、えらいことっすね。けど、神様か魔族のどっちかの本拠地ってわけにはいかなかったんすか?」
横島が疑問を口にしていた。
なるほど確かにわざわざ不可侵である人界で会談して襲撃を待つならば、どちらかの正規軍が常駐できる神界か、魔界で会談すればまだ楽だろう。
それは一見正しく思える。
「あんたねー、神族が魔界に行ったらどうなるか、よもや忘れたわけじゃないでしょ?」
呆れ顔でたしなめる。
「どーなるんでしたっけ?」
ズガシャッ
小気味よい音を立てて美神がオフィスデスクに顔面を叩きつけていた。
「お・の・れ・は・香港でどんな目にあったか忘れたかぁぁぁぁぁぁっ!!」
ムクッと起き上がった顔は3倍増しに拡大し、こめかみに井桁を貼り付けていた。
横にいた人狼と妖孤が迫力におののいて後ずさっている。
「あぁっ、思い出しま……っ、いや、覚えてます。覚えてますからから堪忍してくださっぐえぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
ギリギリと首を絞められ、悶絶しているのが誰かなど言わずもがなである。
「あの、あのっ、美神さん、それ以上やったら横島さんが死んじゃいますからっ」
おキヌがおろおろと宥めているのはいつもどおりだった。
「たくっ、この馬鹿ったれはっ」
憤懣やるかたなしといわんばかりに横島を手放して美神はその長い亜麻色の髪をかき上げる。
「魔界ってのは神族や人間に居づらいのよ。居るだけで霊力が削られるような場所で話し合いなんてできっこないでしょう?」
かつてメドーサが香港で原始風水盤を起動させたとき、香港の一部は魔界と化し美神達GSが苦境に立たされたことがあった。
魔界とは人間や神族に対して毒性を及ぼす世界なのだ。
「で、逆に神界は魔族にとっちゃ居づらい世界なの。だから、中立地帯である人界での会談が必須なのよ」
「へー、そうだったんですね」
「あ、あんたねぇ」
美神は処置なしとばかりにうつ伏し、ため息をつく。
「いい? これ基本よ。神族と魔族は基本的にそれぞれ世界で存在が固定定義されてるの。だから、存在に相反する行動は制約がかかるのよ」
「あ、だから、小竜姫様は香港じゃ行動できなかったんですね」
軽く頭抱えながら、やっとかといわんばかりに嘆息する。
「たくっ、せっかく推薦で六道大学通ってんだからそのくらいパッパと答えてよね。師匠である私の立場がなくなるわ」
「あ、あははは〜、面目ありません」
わかっているのかわかっていないのか、横島は冷や汗と一緒に愛想笑いを浮かべている。
高校卒業後、横島は新設の六道学園大学 霊能学部に推薦入学を受けていた。
若干17歳でGS資格を取得し、世界唯一の文珠使いでもある横島は人間のGSとしては現時点でトップクラスの実力を持つ希有な才能であるのは間違いないだろう。
もっとも『有り余る煩悩』と、『条例にかかりそうな素行』に加え、『絶望的な内申点』という多大なネックはあった。
しかし、霊能者のスペシャリストを育成する六道学園としては多少の素行は目をつぶってでも欲しい人材である。
天秤は才能への投資に傾いたのだった。
「あの、とにかくこれさえ乗り切れば平和になるってことですよね?」
そんなこんなで折檻が再開しそうな気配を断ち切るようにおキヌが助け船を出していた。
「そーよ、これが最後の金づるからの依頼だって思うと切なくてやるせなくてっ」
レッドゾーンをぶっちぎりな発言におキヌの頬が軽く引きつる。
「え、え〜と、えっと、じゃぁ、しばらく行ってしまうんですね」
美神の発言にひとしきり冷や汗流して、何とか無かったことにできたらしく、ようやく隣の横島に呼びかける。
「ん? あぁ、でも、すぐ帰ってくるって、やから、俺が居ない間に浮気せんでくれよ」
ニヤニヤと笑いながら全く本気にしていない軽口を返す。
「もー、横島さんじゃないんですからっ! 横島さんこそ、現地妻なんて作ったりしたらシメサバ丸でズンバラリンですよっ!」
頬を染めて、言う言葉にも本気は無い。軽く怒った振りでそっぽを向くくらいのものだ。
「だー、痒いっ!! 痒いのよっ!! えーかげんにしなさい、このバカップル二人ッ!!」
全身に噴出したジンマシンを掻き毟りながら美神は絶叫していた。
横島とおキヌは二人そろって頬を染めて苦笑いするしかなかった。
それはほんの一瞬のことだった。
ザワッ
『あれ?』
おキヌの全身が粟立っていた。冷たい汗が一筋背中を流れる。
『やだっ、どうして?』
「……」
「ん? どうかした? おキヌちゃん、なんかえらく深刻な顔して?」
「え? あ、いえ、その横島さんっ」
小さく横島の袖を捕まえる。
「な、何?」
「早く帰ってきてくださいね。待ってますから、おいしい物沢山用意してっ」
何かを振り払うために努めて明るく振る舞う。
「え?」
「忘れないでくださいね。帰ってくる場所は私のところですよ」
念を押すように両手を握りしめて、言葉と共に澄んだ瞳を片方閉じると微笑で花を咲かせた。
「あ、えっと、うん」
まっすぐな瞳に射抜かれて横島の頬が真っ赤に染まる。
『そうですよっ。横島さんも約束してくれたんですからっ、大丈夫です』
そして、オフィスデスクにはエクトプラズム吐いて突っ伏す美神が居た。
「……」
「み、美神殿?」
かろうじて人狼娘が声を絞り出していた。
「「付き合ってらんないわよ」」
書類でパタパタと真っ赤な顔をあおぎながら、美神とタマモの疲れた声が唱和した。
硬く乾いた岩肌、地平線さえ見渡せる『荒野』という単語がしっくり来る場所だった。。
夜なのか当たりは暗闇に包まれていた。そこでは現在、とてつもないエネルギー同士が炸裂しあっていた。
時折青白く、時には赤く虚空を染め上げる霊的エネルギーの衝突。複数の人間が一体の生物を取り囲んでいる。
−グルォオォォォッ!!!−
巨獣がいた20メートルを超える圧倒的威容をもっと存在する悪魔だ。地鳴りのようなすさまじいうなり声と共に全身を揺らす。
中心に身をおく生物は巨大な闘牛を連想させるが、恐竜のような背びれ、漆黒に染まった表皮、短く太く発達した足、そして、何より邪悪な破壊衝動に満ちたその目が単なる動物であることを否定していた。
それは悪魔 VS 人間のGS軍団の戦い。奇襲攻撃によってGSたちはその数を減じていた。最初の攻撃をかわした歴戦の猛者のみがこの場に立っている。
中心に立つ美神令子は霊気を纏った鞭を巨獣に振りかざしつつ、声を張り上げる。
「こらぁっボサッとしてないで避けんか横島ぁっ!!」
巨獣の大きく開いた口腔から禍々しい妖気の固まりが勢いよく吐き出される。
直撃すればただでは済むまい、凶悪な青白い霊波砲が地面をえぐる。
ドガァァッ!!
「おげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
赤バンダナによれた青のジージャン、ジーパン。涙鼻水垂れ流しながら恥も外聞もなく地べた転がる青年をギリギリ掠めた強烈な霊圧攻撃から何とか身をかわしていた。
『こ、怖ぇぇぇぇぇぇぇぇっ』
横島はガクガクぶるぶると足まで震えながらも、その場から遁走だけはしなかった。
「Gメンの援軍はほぼ全滅か。神話伝承にかけらも出てこないマイナー悪魔の分際で生意気極まりないわねっ! 横島君っ、アレ行くわよっ!!」
横島の背中から凛とした声が届く。
「は、はいっ、美神さんっ」
声に反応して横島は慌てて立ち上がり、霊気手甲を打ち消す。同時に両の手のひらにガラス球のような文珠を二つ作り出していた。
横島が両手の文珠に込めた文字は『同』『期』の二文字だ。
「みんなっ、少しだけ時間を稼いで頂戴っ。こんな田舎くんだりまで来て死んで帰ったんじゃ人生儲け損ねもいいとこよっ!!」
「当ったりめぇだっ、こんな所でくたばってたまっかよ」
「分かりました美神さん。ここは僕たちが引き受けます。主よ、御心の慈悲深さを忘れ道過ちたる哀れなる魂に裁きの光を、アーメンッ!!」
紅の霊気鎧に身を包む強気な声が応えてくる。彼は敵の霊波砲を辛くも避けて自身の生み出した霊波砲を敵に向かって放ち牽制をかける。同時に金髪碧眼のバンパイアハーフが神聖術で陽動を引き受けた。
「行きますよ美神さんっ!!」
かつて上級魔族アシュタロスと戦った際に発案した究極の合体技『霊力完全同期連係』、霊波を完全に同調させて美神令子の霊力を数十〜数千倍に増幅する。
短時間しか発動できないが、その威力は瞬間的なら上位の神・魔族さえ凌駕する。文珠という特異能力を持つ横島抜きには為しえない極限の反則技だ。
これがあるからこそ美神たちはこの戦いでの全権を任されるに至っているのだ。
「合……ぬなっ!!」
術が発動しようとした瞬間、横島の足元に闇の顎が大きく口を開いた。
《それを知らぬと思ったか?》
感情のない冷たい声だ。声そのものよりも、この悪魔が意志を伝えられたことの衝撃的といって良かった。
『迂闊っ!?』
美神は内心舌打ちしていた。
かつてアシュタロスを調伏するために編み出された同期連携はヒャクメによって神族上層部に報告されている。
会談の情報は漏れていたのだ。
敵がここに来るであろう防衛戦力の情報を持っていても何ら不思議はない。
認識が甘かった。魔族が人間を甘く見ていることに過度の期待を抱いていたからだと今更気づく。
《貴様は危険な『駒』だ。消えて無くなれ》
悪魔は感情のない冷たい嘲りを含み、それまで隠していた自らの能力を発現させた。
考えてしかるべきだったのだ。
神・魔を凌駕しうる人間の重要性をもっと真剣に。敵は予想以上に横島の危険性を理解していたのだ。
「のっ、のわぁぁぁっっ!!」
叫んだ瞬間、横島の全身は闇に飲み込まれ、その場から消失した。
「横島クンッ!!」
「横島さんっ!!」
「横島ぁぁぁぁぁっ!!」
その場の全員の声が一斉に唱和する。
しかし、その声は荒野の空気を軽く揺らしただけだった。
黒い長髪とブランド物のスーツを揺らし、オカルトGメンの若手エースは苦々しい思いに苛まれていた。
『本当に同じ場所なのか?』
彼は横島とは決して相容れない真面目で正義感の固まりのような男だ。
横島を快く思っていなかったのは事実だった。しかし、美神除霊事務所の消沈ぶりを目の当たりにして、かの青年の影響力を感じ沈痛な面もちを見せていた。
『つくづく彼は女泣かせだな』
西条は、場違いな思いに自嘲しながら周囲を見回す。
おキヌ、シロはもちろんのこと、美神はこの世の終わりのような表情でうなだれている。
周囲に無関心を装っているタマモさえ茫然としている様はある意味鮮烈だった。
「もう二ヶ月か、もしかすると横島クンは」
迂闊なつぶやきだった。
「そんなことありませんっ!!」
そして、つい漏れてしまった呟きは、眼光に押され続きを止められた。
西条を圧する眼光、涙をこらえ強くかみしめた唇がワナワナと震えていた。
「あ、いや、すまない」
「横島さんは帰ってきますっ!! 私、信じてます。約束したんですっ、横島さんは絶対、絶対に帰ってきますっ!!」
立ち上がって抗弁する。目じりからこぼれた雫が宙に弾けた。
グラッ
「あ……れ?」
不意におキヌは全身から力が抜けたように二、三歩たたらを踏んでいた。
「おキヌ殿っ」
人外の運動神経を誇るシロがいち早くおキヌを抱きとめていた。
「気をしっかりもつでござるよっ。先生は、先生はこれしきの事で不覚を取るような人ではござらんっ」
「ち、違うの。ちょっと立ちくらみ」
不意におキヌは自分の体から起こる衝動に口元を押さえる。
「んっ……ご、ごめん、シロちゃん、ちょっと離して」
それだけ言い残し、彼女らしからぬ形相でシロの手を振り払った。
まるで酔っぱらいのようにふらふらとした千鳥足だがとにかく進む。
「お、おキヌ殿? おキヌ殿っ」
シロの呼びかけをよそにおキヌはとあるドアをくぐってそこに閉じこもった。
「ん? くっ、つぅっ」
横島は不気味な感覚に揺すられるように瞼を開いていた。
そして、周囲を取り巻く光景に口を全開にする。
「な、なななななな、なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
思わず某ドラマの刑事のように絶叫していた。
見渡す限り闇、闇、闇。
一切の光が断ち切られた空間だった。
「や、やべぇ、何かトンでもねぇ所に送り込まれたんだっ、ちきしょっあの牛野郎っ」
両手をわななかせて毒づくが後の祭りだった。
「き、気持ち悪ぃなここ」
それもそのはずだった。本来あるべき接地感が皆無なのだ。上下の区別も分からないまるっきり宇宙というような虚無の空間だ。
「とにかく早く戻らんとっ」
心の中に染みのような黒い予感が膨れ上がり、絶望的な不安が広がる。
「早く戻らんとっ、美神さんにシバかれるやんけぇぇぇぇぇっ!!」
やたらスケールの小さい懸念事項を全力で暴露していた。
「それに、絶対帰らないとな」
彼の脳裏に浮かぶのは清楚可憐な愛しい恋人の姿があった。
『おキヌちゃんに約束したもんな。すぐ帰るって』
仲間がやられる心配はかけらもしていない。
「くおぉぉぉぉぉぉっ」
両手に握った文珠の文字を書き換える。
『帰』『還』、二つの文字に書き変わったことを確認した。
「帰らせろバッキャローっ!!」
キィィィィィィィィイイィイィィィィィィィィッ
叫びと共に発現させた。
バシュッ!
虚空に一瞬だけ光がはじける。
地上3メールほどに起こった閃光は空間を切り裂き、その隙間から虚無を露わにしていた。
「ぎぇぇぇっ!!」
ド派手な悲鳴を上げて飛び出してきたのは、横島忠夫である。
ズガシャァァッ!
「オブゥッ」
路地裏に顔面ダイビングを敢行していることについては何も言うまい。
「くぉぉぉぉっ、し、死ぬかと思ったぁ」
既に横島の決めぜりふといってもいいような定番のつぶやきを漏らし、ようやくむっくりと起き上がる。
「な、何とか帰ってこれた……んだよな?」
路地裏から通りに向かって駆けだしていた。
表通りに飛び出して、そして、思わず立ち尽くす。
「ど、何処だよ、ここ?」
彼は呟いて、前衛的な風景に囲まれている状況を再確認していた。
なんというか街だ。人の気配が多分に漂う町並み。
だが、何か違う。おそらくは日本のどこからしい。
周囲にいるのは明らかに自分と同じ人間だ。尻尾も生えていなければ羽も生えていない。
だが、横島は明らかに浮いていた。
「なになに? うわぁ、この人変わった服着てるよ」
「目を合わせちゃダメよっ」
さり気なく幼児に指差されて傷ついたところに、母親がとどめの一撃までくれて行った。
違うのだ。服装とか髪型の持つ雰囲気が全く異なっている。
横島は時代錯誤の体現者と言えるような雰囲気だ。例えるなら21世紀の渋谷スクランブル交差点に現れてしまった着流しの浪人的違和感があった。
ともあれ平和そうである。ハルマゲドンが起こったとかそういうことは、小鳥囀る平和な空間から感じられない。
『じゃー、きっと俺抜きでうまくいったんだろうな』
あの『牛』退治に失敗していれば神族拠点は破壊されデタント崩壊の危険があったわけだからひとまず安心できるだろう。
「と、とにかく美神さんトコに行こう。あぁ〜目茶目茶にシバかれるんやろなぁ」
ため息ついて呟きながら、ノロノロと歩き始める。
『居場所を確認して事務所に行かなきゃいかんなぁ』
しかし、それは死刑台を上るのに等しい徒労感があった。トボトボと住宅街を歩いていたその時だ。
ドンッ
「どわっ」
視界に星が瞬いた。
「きゃっ」
鈴を鳴らすような美しい声が短く悲鳴を上げていた。
玄関から飛び出してきた女性が尻餅ついていた。
「あいたたた、ってすまん、大丈……」
横島は慌てて相手に詫び入れる。
「だ、大丈夫です」
可愛らしい女性の声だ。
『これはっ、声からしてきっと美人に違いない。よっしゃこのまま勢いで一気にっ』
「だ、大丈夫ですか名も知らない美しい人っ。痛いところがあったら優しくさす……」
そんなおキヌが聞いたら目が笑ってない笑顔でお仕置きされそうな不埒なことを口走った瞬間、固まった。
「あ」
腰まで届くほどに長い黒髪、のほほんとした雰囲気の漂う可愛い容姿。
滅多に履かないミニスカートが目に眩しく、可愛らしいカーディガンが似合っている。
それは今回留守番役を仰せつかっていたはずの恋人。
「え? はい、こっちは特に」
「おっ」
目の前の女性を見て、横島の理性はかっ飛んでいた。
「おキヌちゃぁぁぁぁぁんっ!!」
ガバァってな勢いで真正面から抱きついていた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「あったかいなっ、やぁらかいなっ、しかも今はミニスカっデートの時だってはいてきてくれないのに、くぅぅぅ可ぁ愛ぃぃぃぃぃ」
「離してっ!! 離してくださいっ、人呼びますよっ!!」
少女は顔を真っ赤にして、横島を全力で引き剥がしにかかっていた。
その嫌がりようが彼の記憶に無いほど本気なモノであることに、喜色満面の横島は気づかない。
「何があったのかしらね?」
先ほど少女が飛び出してきた家の玄関口から、齢を感じさせる声が聞こえてきた。
ひゅぅっ
かすかに砂埃を舞い上げて一陣の風が凪いだ。
「……っ」
玄関口から、長い白髪を揺らし、かなりの老齢を思わせる女性が目の前の状況に立ち尽くしていた。
「お、おばあちゃん、この変質者がいきなり私をぉぉぉぉっ」
「へ、変質者っ!?」
少女のとことん必死な叫びに横島は思わず身じろぎする。モロにダメージを受けていた。
このままでは事務所の唯一の拠り所が無くなってしまう。
「違うんやぁぁぁ、これは再会を示す感動表現の発露であって決してやましい気持ちやないんやぁぁぁっ!! だから、そんな汚物見るような目で俺をっ」
「横島さん?」
横から、声が聞こえた。
「へっ?」
聞きなれた柔らかいイントネーション、そして、記憶と異なる声、そこにあるのは記憶から大きく離れた年齢だ。
横島はゆっくり振り向いた。
先ほど玄関口に現れた老齢の女性。背中に届く白髪を軽く結わえた上品な着物姿、確かに見覚えのある面影。そこに刻まれた年の変遷を加味すればである。
だが、間違いない。横島の動物的感が確信を告げていた。
『まさか?』
面影がある。けれど、しかし、横島が知っているのは、巫女服姿でやや天然ボケが入っていて、でも芯が強くて優しい女性だ。
「まさか、おキヌちゃん?」
震える手で目の前の女性を指差していた。
その反応に確信を深めたのか女性は瞳から溢れる雫がこぼれていた。
倒れ込むように横島へ歩み寄り。
「……っ」
ギュ……ゥッ
「え?」
呆然としたままの横島の胸へ力一杯しがみつかれていた。
「……」
「え? あ、えと」
青年の胸に押し付けられた頬、瞳からはポロポロととめどなく涙をこぼしながら、横島をか細い腕で抱きしめて、横島も先ほどの少女も完全に呆気に取られていた。
「おかえりなさい……」
ようやく嗚咽混じりの声を絞り出した。
「う、ウソだろ?」
脳みそが完全に置き去りにされていた。
抱きすくめてくる腕の折れそうな感触、その体は紛れもなく、老齢のそれだ。
目の前のおキヌは少なく見積もっても70歳を超える老女にしか見えない。
「あ、あの、おばあちゃん?」
その横で横島が知るおキヌちゃんそのものの少女が困った顔で立ち尽くしていた。
「お、おばあちゃんんっ!?」
横島がようやくその単語の意味を理解して素っ頓狂な声を上げていた。
ようやく横島から体を離したおキヌはクスッと小さく微笑んで、
「紹介が遅れてしまいましたね。この娘は私の孫娘で絹香っていいます」
呆気に取られる横島はそのままにして。
「絹香、この人は横島忠夫さん。おばあちゃんのとてもとても大切な人よ」
嬉しそうなおキヌちゃんをおいて、二人は精神をあっちの世界に飛び立たせていた。
その時は突然訪れました。
どのくらい過ぎたのでしょう?
私は信じてました。でも、横島さん、時間にルーズすぎですよ?
私、もうこんなにしわくちゃになってしまいました。
いつもデートの時間に遅れてきた横島さんの謝る姿がまぶたの裏によみがえってきます。
まるで昨日のことのようです。
「横島さん……おかえりなさい」
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