魑魅魍魎の蔓延る、平安の都。
延喜4年、醍醐天皇の治世――。
「どうしたの、横島くん。遅いわよ、早く都を抜けちゃわないと、また検非違使に見付かっちゃうわ」
「む、無茶言わないで下さいよ、美神さん……」
「体力だけが取り得なんだから、しっかりなさいよねー」
「こ、このクソ女……っ」
「何か言った?」
都の大通りを堂々と往くは、美神令子と横島忠夫の凸凹師弟。天子さまにすら道を譲らぬ、唯我独尊のゴーストスイーパー。
天災、疫病、政情不安。失脚した右大臣菅原道真の没後、相次いだ凶事は彼の崇りと噂され、悪霊退治妖異解決の需要は引きも切らぬ塩梅。
1100年後の未来より舞い降りたゴーストスイーパー美神にとって、ここは正に格好の狩場。財の有り余る貴族たちから次々に依頼を受け、多大な報酬を毟り取る。
過去へ飛んで数日、そんなこんなで今日もがっぽり稼いだ美神は、金銀財宝米俵を乗せた荷台を助手の横島に引かせ、郊外の隠れ家への帰路についていた。
「ったく、美神さんが無駄に欲張るから……。どうせこんな稼いだって、その内未来に帰るんだから、関係ないでしょうに」
「うるさいわねー、あって困るもんでもないでしょ」
「そうですね。運ぶのは、俺ですけど」
「あんた、私の助手でしょ? そんくらいやって当然じゃないの」
「せめて自分で歩いて下さいよ!」
美神の除霊の助手として主に肉体労働で酷使された上に、総計何キロあるかも考えたくないような今日の報酬を1人で運ぶのは無理がある。と、横島は呻いた。
あまつさえ、荷台の後ろには美神本人までが腰掛けているのだ。
「う、牛買いましょうよ、美神さ〜ん……」
「別にいいけど……、世話するのはあんたよ? 餌代だってかかるし、それに臭いし」
「うう……」
結局、検非違使に見咎められることもなく、何とか無事に竹薮の隠れ家まで辿り着いた2人。今日の戦果を眺めつつ、夕食の準備だ。
「横島ぁー、火ぃ弱くなってるわよー」
「はいはい、ちょっと待って……」
美神が野菜を炒める隣りで、横島が竹筒を使って火を熾す。長く連れ添ってるだけあって、息もぴったりだ。
と言うか、何かの間違いで美神に煙でもかかろうものなら、即座に横島に制裁が下るだろうことは明白。殆ど条件反射で繰り出される美神の拳には、しかし現在、調理器具と言う名の凶器が握られている。
流石の横島も、戦々恐々しようと言うものだ。殴られるのはいい加減に慣れたが、刺された経験はそれ程ない。料理をしている美神の横顔には惹かれるものがあるが、セクハラはご法度だ。
もしか美神さんと結婚できたら、こんな感じかな、とか。
たまには横島も、そんな可愛らしい夢を見ることもあるのです。
「? 何よ」
「あ、いや、別に……」
「って、ご飯噴いてる!」
「うわわっ!」
と言う訳で、出来上がり。
「つーか……、美神さんも普通に料理できるんですよね」
「一応ね。嫌いな訳じゃないのよ、ただ面倒臭いだけで」
「まあ、気持ちは分かりますけど」
「でしょ?」
「……俺の場合は、単純に金がないって方が大きいですけどね」
「るっさい! あんたなんか自給255円で充分よッ」
「痛っ! 何で俺、殴られるんですか!?」
時空移動で過去に飛ばされる直前、横島の昇給を考えて悶々としていたのを思い出し、気恥ずかしくなった美神。
普段怒鳴ってばかりいる為、甘い顔をするのがバツ悪いのか。それとも――
何れにしても、妙神山での修行以来、妙に横島を意識してしまう美神である。
その気持ちの出所を彼女はまだ突き止められてはいないが、取り敢えず照れ隠しに横島を殴っておく。
斉天大聖の修行より数倍辛い、地獄の折檻である。
「けど、こうもアウトドアな食事が続くと、いい加減にまともなもん食いたくなりますよねー」
「しょうがないでしょ、あんまし目立つ訳にもいかないんだから。この時代だと、水すらただじゃないのよ、贅沢言わないの」
「いや、もう俺ら都じゃ有名人っすよ。美神さんが派手に商売やってっから」
「どうせ稼ぐんなら、気持ちよくやりたいじゃないのよ。それにあんた、どうせ普段からろくなもん食ってないでしょうに」
「それはそうなんですけど……、おキヌちゃんが飯作りに来てくれたりとか、事務所に入り浸ったりとかで、何だかんだでちゃんと食ってたんすよね、最近は」
「最近は……ね」
そのおキヌちゃんも、今は居ない。
当初の目的であった成仏は果たせなかったが、しかし彼女が生き返ったのは、何物にも代え難いグッドエンドだっただろう。
とは言え。
おキヌちゃんの幸せを願い、そして望み通りに彼女の蘇生を成功させた2人だったが、おキヌちゃんを手放した寂寥は、彼女の幸福を以てしてもなかなか埋めることが出来なかった。
「おキヌちゃんが幸せならって、納得したんでしょ! いい加減、いつまでもうじうじ気にするのは止めなさいよ」
「み、美神さんこそ!」
「わっ、私は――あれよっ。ただ、おキヌちゃんが居ないと、事務所片付けてくれる人とか居なくて大変だなって……」
「……美神さん」
「何よ……」
「そういうセリフ、他所で言っちゃ駄目っすよ。人間性を疑われちゃいますよ」
「あんたにだけは言われたくないわ!」
ツンデレのツンの部分だけ見ると、それはただの冷血女である。
「んじゃ、いただきまーす」
「感謝して食べなさいよ」
美神が作ってくれた食事と言うのが、何故か無性にありがたく、律儀に手を合わせてしまう横島。
そんな彼に、取り敢えず茶々を入れないと据わりの悪い美神。いちいち一言多いのは、お互い様である。
そんな時。
「あの〜……」
「ん?」
「何よ」
箸を取った2人に、おずおずと話し掛ける女神さまが一柱。
「わ、私の分の食事はないのねー?」
今回の騒動の元凶たる、美少女ヒャクメさまであった。
「ああ、忘れてたわ。横島くん、ヒャクメの分、持ってきてあげて」
「へーい」
「私のことを忘れるなんて、酷いのねー」
相手が美神師弟とは言え、人間相手にここまで舐められる神族も珍しい。
元より彼女のミスが原因で過去まで飛ばされる破目になったとは言え、全く威厳も何もない神様である。
そして。
「ほらよ、ヒャクメ」
「ありがとう……って、ええっ!? 何これ!」
美神に命じられた横島によって、台所から持ってこられた彼女の食事は――
「ひ、冷飯じゃないの! しかも、ど真ん中に思いっきりお箸刺さってるのねー!」
神への敬意など、微塵も感じられないものであった。
「どどど、どういうことなのね、これは。おかずは? あったかいご飯は〜!?」
「神様には、お供えよ。お供えったら、これで充分でしょ」
「こ、こんな仏壇に飾るようなのを食べろって言うの。て言うか、確かに小竜姫とは親しいけど、別に私は仏教じゃ――」
「ヒャクメ……、言うでしょう?」
「え……」
「働かざる者、食うべからず! って」
殊更に所有権を主張する彼女にとって、それは絶対の真理。
無論、相手が神だからとて容赦する美神ではない。
「この食事を調達する為に、私たちは身を粉して働いたわ。料理をしたのも、私よ。その間、貴方は何をしていたかしら?」
「な、何って、ええと……。じ、神通力を回復していたのねー! 神通力が溜まらないと、美神さんの前世を探すのも、未来に帰るのも出来ませんよ」
「ふうん、でもそれは、肉体労働をしない理由にはならないわよね?」
「うう……」
そして相手は、役立たずの神様であった。
「まー、諦めろ、ヒャクメ。ほれ、俺のメザシ1匹やるから」
「うう〜、横島さ〜ん、優しいのねー」
「なんてな。冗談だよ、バカ」
「ああっ!」
ペンギンの如くヒャクメの口にメザシを放り込むと見せかけて、やっぱり自分で食べる横島。
ベタだが、効果的な嫌がらせである。最早、自分で口走ったヒャクメの美少女設定は忘れ去っているようだ。
「酷いのねー、横島さん〜」
「るせー。てめー、俺が美神さんの囮で死にかけてる時に、自分だけここでグースカ寝てやがって! 百歩譲って美神さんに扱き使われるのはいいとしても、何でお前の為に働かなにゃならんのだ」
「あうう〜」
滂沱の涙を流すヒャクメだが、それで前言を撤回してくれる程、この2人は優しくない。
ろくでもないことをやらかす時にだけ、素晴らしいコンビネーションを発揮する師弟である。
「じゃ、まあ、そういう訳だから。明日からは、あんたも働きなさいよね、ヒャクメ。したら、その分だけは還元したげるわよ」
「大丈夫だって、1日や2日食わないくらいじゃ、死にゃしねーからさ」
救いの言葉などかける素振りも見せず、ひたすらに目を背けたい現実ばかりを押し付けてくる2人。
腹は減っていると言うのに、ヒャクメの前に存在を許されたのは、一膳の冷飯のみ。
地獄の沙汰も何とやら、対価を払わずしては神とても何も得られるものはないのであぅた。
「そ、そんなぁあ〜〜〜!」
延喜4年、魍魎蠢く平安京。
漆黒の闇に、神の腹の音が鳴り響く――。
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