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狐少女の将来設計  第7話 「Boy? or Girl?」 〜 中篇 〜





「ヨコシマー!入るわよー」




横島は待ってましたと言わんばかりに勢いよく玄関へと向かった。

既に部屋の掃除は済ませてあるし、来客の為のお茶の準備もできていた。

といっても横島はお茶を嗜まないので茶葉も無ければ急須も無い。用意できたのは、引き出しの奥に忘れ去られたかのように置かれていたTパックの物だ。

また一人暮らしの横島がそれほどたくさんの湯飲みを持っている筈も無い。これから来るという婦人とその子供の分は湯飲みとマグカップが用意できたが、横島とタマモは紙コップとなった。

もちろんお湯は沸かしてある。茶菓子は用意する暇が無かったため無いが、それは致し方が無い。

心の準備も整った。

待ちに待った時が来たのだ。この日が来るのをどんなに待ち望んだことか。

思えば、親父にはこれまで幾度となく苦杯を舐めさせられ続けたが今回ばかりは違う。その事を思い知らせることがようやくできるのだ。






期待を胸に、扉を開けようとした横島を先んじて扉が開けられる。バランスを崩して少しつんのめってしまう。

その次の瞬間、小さな影が僅かに開いた隙間から飛び出してきて横島の胸の中に飛び込む。

横島は咄嗟に反応できなかったためその勢いを殺せず、そのまま地面に尻餅をついた格好になってしまった。




「兄ちゃん。逢いたかったよぉ」




胸の中に顔を埋めた子供が声を震わせながらより強くしがみ付いてきた。その声を聞いて横島は初めて子供が飛び出してきたことを理解できた。

寒さに震える子猫のようなその子供の頭を、横島は優しく撫でてやる。

すると胸に埋めていた顔をゆっくりと起き上がらせ横島に顔を向けた。

あどけなさの残る顔立ちに、涙をたたえ潤んでいる瞳が可愛・・・ゲフンゲフン。



どこかで見たことのある顔だとは思ったが、それが誰なのかまでは思い出せなかった。




「お久しぶりです、横島さん」




続いて今度は質素な服ではあるが、それを補って余るほどの美貌の女性が姿を現した。今度の女性も見覚えがあった。




「あれ?確か美衣さんだったよな。ということは・・・お前ケイか?」

「・・・兄ちゃん母ちゃん見てボクのこと思い出してない?」




胸の中の子供は、不満と非難の篭ったジト目で横島を見つめた。




「そ、そんなことはないぞ」




横島は否定はしたものの、ケイからの視線から目を逸らしていた。

そんな光景を玄関先から眺めていた他三人は




「ワシら完全に蚊帳の外じゃのう」

「まぁまぁ長、感動の対面なんでしょうから」

「じゃあ私達は勝手に上がらせて貰いましょう」




横島達を尻目にさっさと部屋へと入っていった。

横島はケイへの言い訳に没頭しており、他三人の存在も部屋に勝手に上がった事にも全く気付くことは無かった。









「はーいヨコシマ。勝手に上がらせて貰っているわよ」

「久しいの横島殿。その後変わりは無さそうじゃの」

「御初にお目にかかる横島殿。拙者ギンと申す。突然押しかけて申し訳ない」

「・・・・・」




ケイの機嫌を取って改めて美衣と挨拶を交わし中へ案内しようとした横島の目に、卓袱台を前にすっかりと寛いでいる三人が目に写った。

卓袱台の上にはタマモが豆腐屋のチヱさんから貰ったお土産のお揚げ料理がお茶請け代わりにと置かれていた。




「そんなところに突っ立ってないで早く入ってきなさいよ」

「・・・あぁ、そうさせてもらうよ」




何を言っても無駄と経験で悟った横島は、言葉少なげにタマモの言うとおりに従い部屋へ入ったのだった。










――――――――狐少女の将来設計  第7話 「Boy? or Girl?」 〜 中篇 〜










美衣は横島と分かれてからの経緯を話し始めた。

再び始まった平穏な日々・悪霊の大発生・そして人間に住処を追われ放浪した日々・人狼の村での生活。

悪霊の大量発生の話になった時、横島の表情が一瞬、怒りと悲しみが入り混じった複雑なものとなったのをタマモは見逃さなかった。

人狼の村での生活から、今現在に至る話では長老とギンの表情が暗くなっていた。やはり責任を感じているからだろう。

一部始終を美衣が話し終えると、その場に一瞬沈黙が流れ、やがて横島が口を開いた。




「そうだったのか。大変だったんだなケイ」

「この子には助けられました。どんなに苦しいときでも不満を漏らさず、逆に私のことを励ましてくれましたから」

「そうですか。ケイ、よく頑張ったな」




美衣の話の最中、ケイは横島の膝の上を陣取っていたのだ。

横島はケイの喉元を優しく撫でた。ケイはそれを気持ちよさそうに目を細め、ごろごろと喉を鳴らしていた。

そんな微笑ましい二人の様子を




『ちょっとアンタ達くっつき過ぎよ』




なんて思いながらタマモが二人を横目で見ていた。

その時タマモの袖が隣に座っている長老にクイクイと引かれる。タマモが長老のほうを向くと、長老はニヤニヤとした表情を浮かべていた。




「まぁまぁ。そう妬くでない」

「・・・別になんとも思ってないわよ」

「ふぉふぉ、若いのぅ」




そう言って前に出された茶をズズッ啜る。長老とギンの分の器はどうしても用立て出来なかった為、それぞれ茶碗と味噌汁碗が代用されていた。

もうすっかり好々爺然の長老をタマモは睨みつけながらも、いちいち気にしていたらきりが無いと思い横島達の会話に加わることにした。




「しかし、美神さんの所に行かなかったのは正しい判断だな」

「どういうことです?」

「酷い目にあっていたかもしれないって事よ」

「ひ、酷い目ですか?」




横島が率直な感想を述べ、それに対する美衣の疑問にタマモが答え、美衣は恐怖に声を震わせた。




「そりゃあ億単位のギャラをフイにされたぐらいだからなぁ。あと失った信用ってのもあるしな」

「やっぱ簀巻きにされて市中引き回しの沙汰?」

「そんなの全然マシだと思うぞ」

「ひん剥かれて逆さ磔の刑?それとも無防備美衣さんVSフル装備の美神との有刺鉄線電流爆破デスマッチかしら」

「ん〜 いまいち違うなぁ」




徐々に顔面蒼白となっていく美衣を余所に、横島とタマモの口から次々と飛び出る美神のお仕置き内容は一層過激さを増していく。




「――――ということは、シャブ漬けにされて東南アジアで人身売買ってことでファイナルアンサー?」

「そ、そこまで!?」

「か、母ちゃ〜ん」




ひしッと母子抱き合って震える。ケイは話の意味が殆ど理解できていなかったが、その場の雰囲気に恐怖した。

横島もタマモも、初めからからかい半分で適当に言っていたのだが・・・




『・・・美神殿だと全く有り得ないとは言い切れんの』

『美神殿というのは、まるで鬼のような人なのだな』




などと、長老とギンは真に受けていた。







「と、まぁ冗談はさておき。どうしようか?」

「美衣さんはどうしたいと思っているのですか」




タマモと横島以外には冗談に聞こえていなかったのだが、二人の問いに居住いを正した美衣は真剣な顔で話し始めた。




「正直、もう私には人の世界に入る以外に思いつくことができません。その中で生きていく術を見つけて、ケイと暮らして生きたいと思っています」

「それしかないでしょうね。でも、生きていくには住居とお金が必要なのよね」

「それも存じております。しかし身元を証明するものなど何一つ無いですから・・・」




住居を借りるのにも、職を得るのにも身分を証明するものが必要となってくる。

だが妖怪で、最近まで山奥にひっそりと生活していた美衣母子には望むべくもない。

仮にだれかに頼んで偽造したとしても、バレた時の事を考えるとリスクが大きい。美衣母子自身も偽造した人間も社会的な立場を追いやられてしまうからだ。




「せめて住居だけでもなんとかなればねぇ」

「兄ちゃんの所は駄目なの?」




タマモの溜め息交じりの呟きに、ケイのいかにも子供らしい疑問が投げかけられる。

即座にタマモは反対の意を唱えかけたが、それより前に美衣がたしなめる。




「駄目よ、ケイ。横島さんにこれ以上迷惑かけるわけにはいかないのだから」

「いや、俺は美衣さんがいるなら一向にかまわな・・・グフッ」




横島の脇腹に、タマモの肘鉄が入り最後まで言い切れなかった。

苦痛で蹲っている横島を尻目に、タマモは自分の境遇と照らし合わせて何とかならないかと思案する。




「私達のように居候もさせてくれるような所がよいのだけど」

「それだったら横浜の中華街にある万福軒というラーメン屋なんかどうかの」




それまで沈黙を保ち、話し合いを静観していた長老が初めて発言した。




「いきなりダイレクトね。知り合いでもいるの?」

「いんや。というか横浜など見たことも行った事も無いぞ」

「はぁ?じゃあなんでそんなところ知っているのよ」




そんなタマモの素朴でもあり聞いて当然な疑問に答えず、長老は話を続ける。




「その万福軒で住み込みとして美衣さんは働くのじゃ。そしてケイも同世代の子供たちが遊んでいる中、それを尻目に母を助ける為に働きはじめる。その中で辛くとも平和な日々を過ごしていく」




突然話題に上ったケイは、訳が分からぬまま『えっ ボク?』と首を傾げていた。




「そんなケイのささやかな楽しみはTVのドラマを見ることだけ。だがそれを切欠に芸能の世界へと憧れを抱くようになる。そしてケイは公園で、かつて大女優と呼ばれた女性と出会いそこから芸能の世界を目指す事となる」

「・・・・・」




長老は遠くを見るような目で、具体的に言えば虚空をアブない光を宿した目で見つつ語り続ける。そんな長老を胡散臭そうに見つめるタマモ。




「所属劇団の解散、TV界での陰謀、次々とケイに押し寄せる艱難辛苦の数々。そしてそれらを芸能への熱い情熱とで乗り越えていくケイ。そしてケイを影から見守り支え続ける紫の薔薇の人!」




長老の熱演は続く。その脇でなんとな〜く先が読めたタマモは、そばに落ちていた雑誌を拾い筒状に丸めだす。




「やがて天才少女と謳われつつ、その影では努力を惜しまない少女との幻の名作の後継者を争う。その名も紅天・・・」

「もう黙りなさい」




手にした雑誌を加減せずに耳元に振り下ろす。げんなりしてきた。




「ケイ・・・おそろしい子!」

「あんたもやめいっちゅうに」




長老に倣って、わざわざ白目でそうつぶやいたギンにも容赦ないタマモのツッコミが入った。ホトホトこの連中には疲れさせられる。

話に全くついていけず置いてかれたままだった美衣母子は、そんな三人をキョトンとした目で見詰めているしかなかった。















「長老の意見を採用するのは正直癪だけど、住み込みも可能な所が良いと思うの」

「確かにそれなら部屋を借りる必要もないから、身分を証明するものが無くても大丈夫だな」




だがその条件は、横島やタマモをよく知っている人物か同業者であるという制約が掛かってしまう。




「それで、ヨコシマに当てなんか無いかな」

「んー、当てといわれてもな」

「美神の知り合いなんてどう?」

「知り合いねぇ・・・」




タマモの問いに、横島は一通りの知り合いの顔を思い浮かべる。

真っ先に思い浮かんだ人物は、人情的で面倒見の良い唐巣神父だった。だが、




「唐巣神父の所は駄目だろ。下手しなくても、日々の食事に事欠くような環境に送り出せないからな」

「今のヨコシマと同じになっちゃうのね。確かにそれは酷だわ」

「・・・的確な判断ありがとうよ」




的を射タマモの返答であるが、内容が内容だけに面と向かって言われて心地よいものではない。その証拠に横島の頬は引き攣っていた。




「美知恵さんに頼むという手も使えそうにないな。どんなきっかけで美神さんにばれるか分からんし」

「人狼の里みたいに受け入れてくれそうな所は無いの?」

「心当たりあるが、あそこは修行場だからなぁ。受け入れは難しいと思う」




横島の言っているのは妙神山の事だ。

あそこにはケイと年齢の近い(見た目だけは)パピリオが暮らしているが、あくまで修行の為だ。

修行という名目なら住むことは可能だろうが、横島はこの母子にきつい思いはさせたくなかった。




「じゃあ、あの黒魔術を使う人のところは?」

「エミさんか?だがあそこは定員オーバーだと思うぞ。助手はフルメンバーの4人が揃っている筈だからな」

「そういえば横島の同級生のヘッツァーていうのもいるんだっけ」

「ヘッツァー?誰だそいつは」




タマモがタイガーの名を未だに間違えていることを知らない横島は、タイガー以外の他の三人の誰かの名前だっけか?などと考えていた。




「思いつく所はもう魔鈴さんしかいないぞ」

「魔鈴って、美神と超絶的に相性よくない人?」

「どちらかというと美神さんが毛嫌いしているっていったところだな」




横島には魔鈴の美神への言動は天然なのかわざとなのか分からないが、悪意は含まれていないように思えた。だから美神と違いあまり悪印象は抱いていない。

寧ろ美神と違って常識人だと横島は考えていた。




「給仕なんかは使い魔や箒にさせているみたいだが、調理とかは多分魔鈴さんだけしかやってないんじゃないかな」

「だったら料理の仕込とかやれることはありそうね。住居の方はどうかな?」

「確かあの店は異界空間と繋げてあって、そこに自宅を構えていたな。環境はアレだが土地はたくさん有りそうだったぞ」




周囲に広がる毒っぽい沼地や、おどろおどろしい形の山、異世界特有っぽい奇怪な生物。あまりお勧めとは言い難い物件だが贅沢などいえない。

それ以前に魔鈴の許可が出なければ住むことすら叶わないのだから。




「じゃあ膳は急げね。さっそく行きましょうよ」

「おいおい、いくらなんでもアポなしでいきなりだと魔鈴さんも迷惑じゃないか?」

「事情を話せばきっと分かってくれる筈よ。さあ、急ぐわよ」




タマモの鶴の一声で、一同は慌しく動き出した。

因みに横島は、とある人物を意図的に候補から外していた。

確かに性格は温和で誰にでも優しく家も裕福なため、事情を話せばお邸のような家の一画に住まわせてくれるかもしれない。

だが、常に" 暴走"に巻き込まれる危険性を孕んでいる事を考えると、候補から除外せざるえなかった。










魔鈴の店についた一向は、11時からの開店に備えて下準備を進めていた魔鈴に相談があると一言言っただけで店に入った。

突然の来訪に驚きながらも、来訪者の為にケイやタマモにはジュースを、その二人以外には紅茶を振舞う。そこら辺からどっかの誰かさんとは人間としての違いが窺える。

相談ということで一緒のテーブルについた魔鈴に、タマモは赫々云々(かくかくしかじか)の呪文を唱えた。




「まぁ、そんな事が」

「てゆーか通じているし」




横島の呆れを含んだ声は無視されたまま話は進む。




「たしかに身分を証明するものがないと部屋を借りるというのは難しいでしょうね。私がわざわざ異界空間を繋げたのは東京は土地も高いというのもありましたが、いろいろと手続きか面倒だったからというのもあるんですよ。それに・・・」

「それに?」

「職業が魔女っていったら貸してくれそうに無いじゃないですか」




にっこりとなんでもないように笑いながら魔鈴は言うが、横島もタマモも何も言えなかった。

貸す側からすれば、やはりちゃんと家賃が払えるか否か、犯罪に手を染めていない真っ当な人間か否か気になるところである。

その中で" 職業:魔女"と言って貸してくれそうな心の広い不動産業者が、果たしてどのくらいいるだろうか。




「給仕や清掃なんかは、使い魔の猫さんや箒の皆さんがやってくれますけど、出前も私がやっているので調理場の方は手がチョット足りないですね」

「じゃあ、美衣さんが厨房に入るってなったら?」

「大助かりですよ。息抜きの時にお喋りもできますしね。料理を楽しく作るというのは、美味しくするスパイスのようなものなんですよ」




にっこりと笑う魔鈴を眩しそうに見る横島とタマモだが、一方の美衣は済まなそうな顔をしていた。




「でも、私は料理らしいものができないですし、それに、その・・・人間ではないですし」




最後のほうは消え入りそうな声だった。やはり負い目に感じていたようだ。

だがそんな美衣を魔鈴は優しく諭すのであった。




「最初から料理ができる人なんていないですよ。それに人であろうとなかろうと良い人であることに代わりはありませんよ。美衣さんはとてもお優しい方だと雰囲気で分かりますもの。人であるかそうでないかなんて些末な事だと私は考えています」

「じゃあ・・・!」




タマモの声にゆっくりと魔鈴は頷き返し、美衣に向き直る。




「お仕事と、住居の件は私に任せてくださいね。慣れるまで大変かと思いますけど、頑張りましょう」

「はい、色々とありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします」




握手を求める魔鈴に応えながら、美衣は深々と頭を下げたのであった。

長老は何度も何度も頷き返し、人情深いギンは潤んだ瞳を見られぬよう顔を背けていた。




「開店準備の為、私は厨房のほうへ戻りますね。美衣さんも、もしよかったら見学されてはどうでしょうか」

「はい、ぜひ」




魔鈴に連れられて厨房に向かう美衣を見送った後、横島とタマモは安堵の溜息をついた。




「よかったな」

「そうね。これで路頭に迷うと言うことも無くなったわね」




お互い顔を見合わせて微笑む二人に、長老とギンは深々と頭を下げた。




「横島殿、タマモ殿。誠にかたじけのうござる」

「人狼の村の長として、心より感謝する」




横島とタマモはそんな神妙な二人に逆に慌ててしまった。




「いや、俺はただ紹介しただけだし。それにタマモが説明したから上手くいったようなものな訳で」

「皆で必死になったから良い結果を迎えられたんだと思うわよ」




二人で功を譲り合う様を見て、自然と長老とギンの表情に笑みが浮かんだ。

タマモは照れ隠しもあって、何か注文を取る事を提案した。




「良かったら何か食べていかない?安心したらお腹が空いてきちゃった」

「そうだな。朝からなにも食ってないから腹が減ったな」

「魔法料理と言う物は未だ食べたことがないのぅ。この機会に食べてみるかの」

「フム、しかしメニュウはどこでござろうな」




テーブルの周りに視線を送りメニューを捜すギンに、それまでケイに拘束されっぱなしだった使い魔の黒猫が声をあげる。




「今持ってくるニャ!」

「あ、ねこ〜ねこ〜」




それまでケイに虜囚の辱めを受けていた使い魔は、ケイの腕の中からこれ幸いと抜け出した。

そしてメニューを口に咥え戻ってきた使い魔は、ケイが再び捕まえにかかるより一瞬早くその場から退避する。

余程使い魔を気に入っていたらしい。指を咥えて居なくなった先を見詰めているケイに横島は笑いかけながらメニューの品を選んで、近くにいた箒のウェイトレス(ウェイター?)に伝える。

暫くするとおいしそうな匂いが店内を満たしてきた。




「この匂い、たまらんの」

「全くです。楽しみでございますな」




と、頼んだ肉料理を今か今かと待ち望んでいる人狼二人。その一方では




「なあ、この場合誰が払うんだ?」

「長老達はどうするのか知らないけど、私の分はまさかヨコシマが払ってくれるんでしょ」

「なんでタマモの分も俺が払わなきゃならないんだ」

「アラ、まさかレディに向かって自腹切れとでも言うの?」

「こういう時だけ都合よくレディを持ち出すな」




なんて話していた。その時・・・




「うにゃ〜ん」




横島の足元から鳴き声がした。てっきり使い魔かと思ったのだがどうやら違う。




「ってケイか」

「えへへ〜」




座っている横島とテーブルの間からケイが顔を覗かせる。




「行儀悪いぞ。ちゃんと椅子に座るんだ」




横島の股の間から顔を出していたので窘めた。

するとテーブルの下のケイは、横島の体を伝って這い出してきた。そのまま横島の首元や胸元に顔を埋め擦り付ける。




「ってちょっとケイ」

「うにゃ〜ん 兄ちゃ〜ん♪」




そこで初めて、横島はケイが尋常ならざる状態であることを悟った。

無理やり首元から話して顔を覗いてみると、顔は赤く上気しており、瞳はどこかボーッとしている。

ケイはいやいやするように首を振り横島の拘束を解くと、再び横島にしがみ付いてきた。




「な、ちょっとやめろって」

「うにゃ〜♪」




子供は体温が高くて弾力があって少し気持ちイイ・・・なんて感覚を頭の隅に無理矢理押し込みつつ、ケイを引き剥がそうとするものの上手くいかない。

そのままケイは、胸元のはだけている部分・首筋・頬と嘗め回し始めた。

それまで傍観していたタマモだったがケイの異常行動に流石に口を出す。




「ケイなにしているのよ。ヨコシマ嫌がっているんだからやめなさ・・・・」




だが、当の本人達は




「うにゃ〜 兄ちゃん〜」

「いやー! やめてっー。ザラザラした舌が気持ちいいのー!」

「・・・・♯」




悲鳴というより嬌声に近い。それに気付いたタマモは狐火を横島に躊躇うことなく吹きかける。




「ヨガッ!」




一瞬にして横島忠夫ウェルダン仕立ての完成である。酷く不味そうだが。

無論ケイに外傷は無い。




「あぁ! やっぱり」




騒動を聞きつけたのか美衣が厨房から出てくるが、その足元はおぼつかないでいる。喩えるなら、お酒に酔って千鳥足に近い状態といったところか。

タマモ達のいる席にたどり着き、ケイの首筋の裏をつかんだ美衣はそのまま横島から引き剥がす。ケイも首筋を捕まれた途端大人しくなってされるがままになっていた。




「美衣さんケイが突然・・・って美衣さんも顔赤いわよ。」




先程とは違う美衣の様子にタマモが気付く。

顔が赤いだけでなく、瞳もケイ同様ウルウルしている。そしてさりげない動き一つ一つがなんとなく色っぽかった。

美衣より遅れて厨房から飛び出してきた魔鈴が駆けつけてきた。




「厨房でなにかあったの?」




タマモの問い詰めるような言葉に、魔鈴は申し訳なさそうな顔で答えた。




「迂闊でした。料理にマタタビとキャットニップを使っていることを失念してました」

「マタタビなんか料理に使うの?それとキャットニップってなに?」

「マタタビの実は生でも食べられますし、つぼみも塩漬けにして食べれるんです。キャットニップはハーブなんですけど、香りが良いのでサラダやソースの香りづけに使うんです」




タマモの問いに魔鈴は丁寧に説明する。因みにどちらの匂いも、猫を陶然とさせる食材である。




「でも使い魔の猫は大丈夫だったわよね?」

「あくまで使い魔ですから」




まぁそうでなくては魔鈴の料理の補助に就けはしないだろう。




「美衣殿、大丈夫か?」

「はい。ですがちょっとフラフラします。これ以上吸ったらちょっと・・・」

「幼いケイには刺激が強すぎたわけじゃな」




復活した横島はこの機会を逃すまいと、ここぞとばかりに美衣を介抱しようとしたのだが肝心の美衣がギンの方に寄っていったので、そこで横島の野望は潰えた。

獲物を取られた事もあって横島はギンを嫉妬と殺意の篭った目で睨むも、ギン本人は全く意に介していなかった。




「もしかしてよく料理に使っているとか?」

「はい。胃腸障害や精神安定のほかに、冷え性や神経痛に悩まされている方にも良いので使用頻度は高いですね」




どれも女性が持つ悩みのポイントを捉えている。魔鈴の店が繁盛する理由が垣間見えるというものだ。




「それじゃあここも無理そうね」

「ごめんなさい。ぬか喜びさせてしまって」

「いや、魔鈴さんのせいじゃないっスよ」




タマモの言に改めて責任を感じ頭たれる魔鈴に横島がフォローを入れる。

頭を上げた魔鈴が、落ち着きを取り戻しつつある美衣に提案する。




「住居の方は異空間にある私の家のどれでも好きな空き部屋を使っていただいて構いません。契約して必要なルーンさえ覚えて頂ければすぐ使えます」

「でも、お店のお手伝いが出来る訳でもないですし迷惑なのでは」

「いえ、世のため人のため働く魔女にとって、困っている人を助けないというのは魔女の沽券に関わります。それにこんな素敵な人を路頭に迷わせるだなんてとても出来ませんもの」




そしてにっこりと笑った。
















お騒がせしたということで、横島達の頼んだ料理はサービスということになった。勿論、件の食材の材料は省いて。




「しかしどうしたものかしらね。とりあえず寝所の確保はできたけど、生活するためのお金をどうしたものかしらね」

「・・・美衣殿。前にも言ったとおりワシ等が金子を工面したほうが良いのではないかな?」




タマモの悩みに長老が美衣に提案を持ちかける。

実はこの案は、美衣が人狼の村から出て行く旨を長老に告げに言った際に提示された案であった。

だが美衣はその時と同様に、首を横に振って断った。




「お気持ちはたいへん有り難いです。しかし、なにも貢献できない私にそれを受ける権利などありませんので、受け取るわけにはまいりません」

「だがしかし、現実問題としてお金が無くしては生活も成り立たないかと思うのだが」




美衣と長老の議論の横で、横島は黙って様子を見ているギンに尋ねた。




「あんたら現金収入なんてどうしているんだ?時代劇のバイトかガマの油売りでもしているのか」

「プライドは捨てられん。隠し金山があることは知っていよう?人手が無いため掘り出すことは適わぬが、近くの河川で砂金として産出するのでな」




砂金が産出するということは、その河川の上流の山のどこかに金山があるという事となる。逆をいうと、金山があるのなら砂金も出ると言える。




「それを里の近くの両替商で換金しているというわけだ。一匁あたり6000円程で取引しておる」




金というのは純度が高ければ高いほどお互いが結合しやすい。そうして結合していったのが砂金なのだから、総じて純度は高く22金相当である。%でいうと90%程度といったところか。

一匁は3.75g。換算すると1gあたり1600円という計算となる。

金の価格がgあたり2200〜2400円だから手数料を考えると、見方によっては妥当ともいえるし、マージン取りすぎと受け取れなくも無い。

だがそれでもかなり魅力的な商売だ。

因みに両替商とは金銀銭貨の交換や鑑定を業として行っていた商人の事で、今で言う銀行にあたる。

普通の銀行で砂金を換金など出来ないから、ギンが指しているのは個人経営の古物商か貴金属商のことだろう。




「なぁ、今度俺にも手伝わせてくれ」




どのくらい採れるのは分からなかったが、少なくとも自分の時給よりは良さそうだ。

そんな二人を他所に、美衣と長老の議論は白熱し始めていた。




「ヨコシマ、ちょっと」




タマモに手招きされて席を立つ。

侃々諤々と話し合い始めた二人を尻目に、タマモは横島を連れ出し席から少し距離を置いた。




「で、どうする?」

「どうするったって・・・様子見るしかないんじゃん?」

「でもあの様子だと美衣さんは受け取らないと思う」




美衣には、これ以上迷惑掛けたくないという思いの他に、意地やプライドがあるのだろう。

他人に媚びへつらい縋ってまで生きたいと思っていないような節が見られる。

そうでなかったら、いくら村での居心地が悪くなったからといって、幼いケイがいるにも拘らず村を出るということはないだろう。




「だがどうするんだ?美衣さんが自分で働いて、それで得たお金で生活したいというのも分かる。でも、俺にもう当てなんてないぞ」




意地やプライドで飯は食えない。美衣もそれは分かっていることだろう。だが頭では分かっていても、許容できることと出来ないことがあるに違いない。

狼は苦難に直面したときはお互い助け合って生きていくが、徒党を組まない猫は己の力のみで乗り越え生きていく。

文化や思想の違いというより、種族の違いとも言える。




「・・・あの人に頼りきりだけど。仕方がない」




タマモは懐から携帯を取り出す。

そしてワンタッチボタンに登録された3つの番号の内の一つに電話を掛け始めた。















褐色の肌の壮年の女性は、両手で鍋を抱えてその家の戸口に立ったのだが、防音処理済の扉の向こうからくもぐった悲鳴を耳にした。

悲鳴を耳にして、『あぁ またか』と思った。いつものことだ。

昼間に市場へ行ったら丁度タイムサービスをやっていたので食材を買ったのだが、ついつい買いすぎてしまった。

折角だからと、その日購入した全ての食材を使い、大量に出来た料理をご近所に配ることにしたのだ。

だがこの家の騒動はあと1時間位掛かるだろう。他の家にお裾分けして、家に帰って食事が終わる頃にまた来ればよい。

そう思って女性は引き返した。

倦怠期の夫婦のちょっと刺激的なスキンシップを邪魔する訳にはいかないからだ。

引き返し始めた女性の背後からは、今暫くは悲鳴が止みそうになかった。











あけましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いします。


本当は前後篇にするつもりが前中後篇になってしまいました。

これまでも試行錯誤の連続でしたが、まだ暫く続きそうです(汗) 一人称だったりそうでなかったり・・・

お見苦しい所もあるかと思われますが、どうぞよろしくお願いします。

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