5871

こんな話を知っているかい?(3)

 こんな話を知っているかい?

 ある種の動物において、子供の特徴を残したまま性的に成熟する現象をネオテニーといってね・・・
 有名な例ではアホロートル・・・ああ、日本ではウーパールーパーという呼び名の方が知られているか。
 なに? 君たちはウーパールーパーを知らない?
 そうか・・・話題になったのはついこの間のことだと思っていたんだが・・・

 まあいい、それならばアホロートルで話を続けよう。
 イモリの仲間は幼生時に大きく張り出したエラで呼吸を行い、その後、肺呼吸に変態してから次の世代を生むようになる。
 しかし、ある種のイモリの中には変態をしないまま性的に成熟し、子孫をのこせる個体が多数生じてね・・・
 そのようにネオテニーを起こした個体のことをアホロートルというんだよ。



 それがどうしたかって?
 このネオテニーという現象は進化と関係が深くてね。
 オオカミのネオテニーがイヌだという学者もいるし、我々ヒトをチンパンジーのネオテニーという学者もいる。
 まあ、ヒトについてはなかなか微妙で、まだ決着が付いていないところなんだがね。

 しかし、こんな風に考えるヒトもいるんだね・・・















 チルドレン主催のパーティーへの差し入れだろう。
 ローストターキーを盛りつけた皿を手にしたナオミを見つけ、私は安堵の表情を浮かべた。
 今宵はクリスマスイブ
 町を見回せば愚物どもがクサフグの産卵のように繁殖の相手を求めている。
 ナオミをそんな愚物どもから守るため、数日前から警戒を強めていたのだがその心配は無くなった。
 チルドレンからの招待を受け、ナオミはパーティに参加するらしい。
 それなら私も参加しなければならないだろう。
 なぜならば私の名は谷崎一郎。
 レベル6サイコキノ梅枝ナオミの運用主任であり、将来彼女を妻に娶る男だからだ。


 パーティー会場へと向かう通路
 小走りで追い着いた私はナオミの前へと回り込む。

 「美味そうじゃないか、ナオミ」

 「何すんだ! オッサン!!」

 グハッ!!

 味見しようとソースに手を伸ばした私は、ナオミの念動を受け壁にめり込む。
 フッ・・・照れること無いのに可愛いやつめ。

 いいだろう・・・
 今日は私との年齢差に悩むお前のために、とっておきの話をしてやろう。
 私がお前を愛することが、生物学的にどれ程正しいことなのか理解するがいい。
 そうすればお前も素直になれるはずさ。
 壁にめり込んだままの姿勢で、私はナオミを真っ直ぐ見つめる。

 「ナオミ・・・ネオテニーって知っているかい? 日本語で言うと幼型成熟と言うんだが・・・」

 私の問いかけにナオミの念動が僅かに緩む。
 どうやら興味を持ったようだった。
 そんなナオミの表情に、私は彼女と出会った頃を思い出す。
 昔はよくこうやって色々なことを教えたものだ。
 くそっ、一番教えたいことは未だに・・・いや、まあいい、とにかく今はネオテニーの話だ。

 「ヒトの進化に非常に密接な現象でね・・・ヒトという種はチンパンジーの子供の形質を大人になっても失っていない」

 「はぁ? それが今の行動と何の関係が・・・」

 「黙って聞くんだナオミ! これは私たちの・・・いや、人類の未来を語る上でも重要な話なんだから」

 絶対の確信を持って話す私に何かを感じたのか、ナオミは口を噤み黙って耳を傾けはじめた。



 顎の形や、体毛の少ない体
 ヒトはチンパンジーの子供が持つ形質を、そのまま維持した状態で性的に成熟したと言える。
 形質自体の持つ意味には今回は触れないでおこう・・・
 いま重要なのは、子供の形質を残すことによって、ヒトとチンパンジーの間に劇的な差が生じたということだ。
 両者にとって最大の差・・・ヒトの高い知能はネオテニー故に獲得した形質と考えられている。

 子供とは未成熟ということ、そして未成熟と言うことは成長の幅を残しているということだ。
 未成熟な状態で生まれたヒトの子供は、言語をはじめ色々なことを覚える幼児期に劇的に脳を成長させる。
 その成長はその後もある程度続き、その結果、ヒトは様々な状況の変化に柔軟に対応した行動をとれるようになってきたという訳だ。

 それだけではない
 ネオテニーは精神活動にも影響を与えているようでね・・・
 ヒトは多くの動物が早々に失う、子供っぽい精神活動を長い間維持し続ける。
 所謂モラトリアムというやつだが、良い面も悪い面も両方認めた上で、やはり子供のような好奇心を持ち続けることはヒトにとって重要だろう。
 それによって、他の動物が近寄らなかった火を使いこなし、様々な道具をつくりだし、未知をもとめ大海原にこぎ出す。
 人類の文化はまさにネオテニーによるものと言っていい。


 「その証拠に、ただの七面鳥を美味そうに料理するのもヒトならではの行動だろう?」

 私はナオミの持つターキーを指さし笑いかける。

 「長く子供でいることで・・・」

 「そう、長く子供でいることで、ヒトはサルから進化してきたんだ。では、何故それが起こったか分かるかな?」

 不思議そうに首をふるナオミの目には、ネオテニーの生き物らしい好奇の光が浮かんでいた。
 壁から解放された私は話の核心を語りはじめる。

 「チンパンジーの社会でモテるメスの条件はね・・・」






 チンパンジーの社会は乱婚だけに、発情中のメスは全てモテると言っても構わない。
 しかし、その中にあってさえモテるメスの条件は、出産・育児に熟練した中年のメスだということだ。
 オスたちは先を争い中年のメスを奪い合う・・・だが、これではネオテニーは起こらない。

 年をとったように見えるメスが敬遠されはじめ、若く見えるメスがモテるようにならないと、若い形質を発現する遺伝子が優遇されない。
 逆にそれが起きさえすれば、子供の形質を長く留めるメスは出産の機会も多くなり、若い形質を発現する遺伝子が優先的に後の世に伝えられていく・・・
 これによって種全体がネオテニーの方向にすすんでいく訳なんだね。
 つまり・・・

 私は息を大きく吸うと、今回最も言いたかったことを声高に叫ぶ。
 タグが使えるのならば、フォントサイズは最大だろう。


 「若い女を好きになるのは生物学的に正しいことなんだ―――っ!!」


 そう叫んだ後、私は再びソースに指を近づける。
 思ったとおりナオミは私の味見を邪魔しようとしない。
 ナオミ・・・・・・もう年齢差なんか気にしなくてもいいんだぞ。
 宇宙の真理にも似た私の言葉に感動したのか、ナオミはその場に立ちつくしていた。













 ゴホン

 相当穿った考え方ではあるが、ある意味正しいかなって所もあってね。
 しかし、彼の考え方が正しいとすると、こういうことも言えるんじゃないかね?














 固まった様に動かないナオミの持つ皿に、谷崎は指先を触れさせる。
 そして、指先についたグレイビーソースを味見した彼は驚きの表情を浮かべた。

 「この切羽詰まったもの凄いエネルギーを感じる味・・・・・・ナオミ! お前は天才だっ! こーなったらいつでも私の妻にっ!?」

 今にもナオミに抱きつかんとする谷崎の体が動きを止める。
 彼女は感動の涙を浮かべていた。

 「・・・ナオミ?」

 「素晴らしい・・・素晴らしい学説だよ! 長い間、気になっていたことがすっかり解決した」

 ナオミはターキーの皿を空中に浮かせると、谷崎の手をしっかりと握りしめる。

 「谷崎君! 君はノーマルのクセになかなか見所のあるやつだ! おかげで自分が正しいと言うことに確信が持てたよ!!」

 「げぇっ! お前はっ!!」

 歪みはじめるナオミの輪郭に谷崎が驚きの声をあげる。
 彼の両手を握りしめているのは、学生服姿の少年―――兵部だった。

 「貴様っ! ナオミを何処にやったッ!!」

 手を振り払った谷崎は、懐から拳銃を抜き出すと兵部に突きつけようとする。
 しかしソレはイルカの水鉄砲にいつの間にかすり替えられていた。

 「何処にもやっていないよ・・・彼女は友だちのクリスマスパーティーに招待されたらしい」

 微笑みを浮かべた兵部の言葉に谷崎が凍り付く。
 彼が最も心配していた事態が何処かで進展している様だった。

 「だって、君の説が正しいのなら、メスも若く見えるオスの方が良いに決まっているじゃないか! 僕のように・・・」

 「何処だナオミ―――っ!!」

 敵対人物の来襲を知らせることもせず、谷崎は夜の街へと走り出していく。

 ――― 谷崎ゴメン、多分手遅れだ。













 と、まあ・・・
 こんな風にも考えられるし、イモリなら語れる問題も、ヒトに置き換えるとなかなか説明が難しいんだね。
 ということで、このコトに関してはまだまだ決着が付いていないんだが・・・君たちはどう思う?
 グリシャムには珍しく、三人に語りかけることで話を終わらせた。





 「そうね。私が子供だからかも知れないけど、私は年上の男の人の方がいいし・・・」

 しれっとした口調で紫穂が葵に視線をとばす。
 その視線を受けた葵は、何か含むような口調で薫に語りかけた。

 「うちも彼が年上の方がしっくりくるな・・・・・・10歳くらい年上が丁度いいと思わんか?」

 「アタシは・・・・・・」

 未だわだかまりが解けないのか、薫はなかなか言葉を発しようとしなかった。
 二人の仲直りを目論む紫穂と葵主導のパーティーを、薫は心から楽しみにしている訳ではない。
 先程初音を引き留めたのは、紫穂と葵の目論見に不安に感じていたためだった。

 「まあ、全て理屈通りにはいかないと思うよ・・・理屈通りにいったら、彼女はチンパンジーにもヒトにもモテてしまうしね」

 グリシャムは冗談めかしながら、経験を積みまくった若作りな個体―――不二子の接近を三人に知らせる。
 彼の思ったとおり、不二子の接近に気付いた三人に微妙な緊張が生じていった。

 「あら、なんのお話?」

 「ばーちゃんには関係ない・・・」

 会話に入ってきた不二子に素っ気なく答えると、薫は窓際へと離れていく。
 後を追う二人の姿に、不二子はやれやれといった表情を浮かべた。

 「随分と嫌われてしまった様だね・・・」

 「ええ・・・この前、皆本君を追い込み過ぎちゃってね。二人をギクシャクさせちゃったから、多分そのせい」

 不二子はかいつまんで熱線銃の件をグリシャムに伝える。
 未来の予知に関してはぼかされていたが、兵部の存在を知っているグリシャムは不二子の行動の意味を何となく理解していた。

 「すると、彼がこの場に現れたのもそのことと・・・」

 グリシャムは、先程ターキーを手みやげに現れたナオミに視線を移す。
 不二子は同じ方向を見ないように声を潜め、グリシャムの言葉に答えた。

 「貴男も気づいていた? 多分、何かやる気なんでしょうね・・・正直、今は揺さぶって欲しくないんだけど」

 珍しく自信なさげに不二子が呟く。
 相手の出方が読めない以上、迂闊な行動はできないと彼女は考えていた。

 「それでは及ばずながら手を貸すとしようか、私には双方の気持ちが理解できるからね・・・」

 グリシャムはこう呟くと、不二子をその場に残し薫たちの方へ歩み寄っていく。
 ノーマルとして戦争に参加し、怪我が原因で能力を得た彼には双方の気持ちが理解できた。
 ナオミの牽制は不二子に任せ、彼は三人に次の話を語りはじめる。


 ――― こんな話を知っているかい? ―――
あけましておめでとうございます。
昨年はいろいろお世話になりました。
今年もよろしくお願いします。
作中ではまだクリスマスですがw

[mente]

作品の感想を投稿、閲覧する -> [reply]