【コタツみかん争奪戦!】
『あけまして、おめでとうございます!!』
元旦の晴れやかな朝―― というには日は高く昇っている時間に美女と少女の声が重なった。
テレビ画面では漫才よりは司会業をメインの活動にしている感がある漫才コンビが、日本一の人出を誇る神社の初詣を中継している。
熱いお茶を淹れながらその映像を見ていた黒髪の少女―― おキヌが亜麻色の髪の美女に訊ねる。
「美神さん、初詣には行かないんですか?」
「やーよ、パス。昨日寝る前に言ったじゃない……『正月は昼まで寝て過ごす』って。で、昼に起きたら年賀状をチェックしながら一日コタツにみかんでテレビ観てダラダラ過ごすってのが、正しい日本人の正月のあり方でしょ?」
つい先ほど交わした年頭の挨拶の爽やかさから大きくかけ離れた口調で発する美神に、おキヌの顔に苦笑が浮かぶ。
「それに……」二十歳とは思えない若さのない返答で応じて返した美神が、表情を一変させて呟く。「昨日はこれでもかってぐらいに福の神に会ったじゃない。ご利益があるのかどうかは判んないけど」
「あ、あはは……そ、それもそうですね」
げっそりと苦虫かその近似種を噛み潰した顔で呟いた美神に、おキヌは乾いた笑いで応じるしか出来なかった。
微妙、としか言いようがない反応だが、その微妙なリアクションにもれっきとした理由がある。
前日―― すなわち大晦日の夜、おキヌが寝る前に枕の下に敷いた宝船の絵に引き寄せられた『本物の宝船』を切っ掛けに、七福神のうち、ピンで営業する売れっ子の五柱を集めて回った末、久々に再結成した七福神のどんちゃん騒ぎにつき合わされたのだ。
いかなザルの美神といえど、夢の中といういわば魂魄だけの状態で神と一晩呑み明かしては流石にダメージは大きかった。
肉体には影響がないとはいえ、気疲れでげっそりというか、うんざりとだらけた口調になるのも仕方ないと言えよう。
「あれだけ宴会に付き合ってやったんだから、恵比寿様ぐらいは置いて帰ってもバチ当たんないでしょーに」
それにしても、商売繁盛の神を当然の如く要求するあたり、とことんまでに容赦ない。
「そ、それは流石にバチが当たるんじゃ……」
言いながら、おキヌは緑茶を一口啜る。
「ユニット再結成の手伝いをした報酬じゃない。いわば私達は再結成をプロデュースしたようなものよ」
一見すると軽口にしか聞こえない―― しかし、因果の地平の果てまでも本気で言いながら、同じく緑茶を一啜り。
ほふぅ―― 暖かい緑茶のもたらす安息効果と、日頃感じる生死と隣り合わせの緊迫感から解放されたという弛緩した空気に誘われたのだろう。二人の口から同時に溜息が漏れ出でた。
「……どうせなら、私は恵比寿様よりは布袋様の方がいい、かな……なんて―― 」
財福の他、諸縁吉祥をもたらす布袋神の名を顔を赤らめながら呟いたおキヌに、悪戯っぽい笑顔と口調で美神は混ぜ返す。
「ホンットおキヌちゃんも変わってるわねぇ。あんなエロガキのどこがいいのかしら」
「……そういう美神さんだって」
拗ねたような口調でぼそりと呟くおキヌ。
「お・キ・ヌちゃん―― 何か言った?」
鋭く重い迫力で迫る美神に、おキヌは呟きを途絶すると話題を無理矢理にすりかえるかのようにコタツの上に乗っている籠から蜜柑を一つ手に取ると、瑞々しい笑顔で言った。
「いーえ、何でもありませんよー♪」
その笑顔に毒気を抜かれたのだろう、美神は追及の手を緩めるとおキヌに倣って蜜柑を手に取ると、その皮を剥いて一房を口に運ぶ。
「……平和ねぇ」
「……平和ですねぇ」
すっかり弛緩しきった声が、美神除霊事務所に響いていた。
美神除霊事務所は正月は余程のことがない限り五日まで休みを取っている。
時期的にも人々の祈りが集中することで神族の勢力が活発になり、相対的に悪霊や妖怪の類がその動きを抑え込まれるため、営業するだけ損だ、ということもその一因ではあるのだが、何より『殿様商売』という言葉を地で行く美神である。正月をダラダラと過ごすことは太陽が東から上って西に沈む、ということと同様に当然のこと、と決め込んでいるのは想像に難くない。
とはいえ、時給の低さを勤務時間を長引かせることによってカバーしている上、取引先からの頂き物や出先で振る舞われる食事、果ては夕食に至るまで、貴重な栄養補給の半ば近くを仕事によって得ている横島忠夫にとって、五日間という休業期間はあまりにも長い。
だが、似たような境遇にあるお隣の花戸家と手を携えてこの窮状を乗り越えようにも、居候である『自称福の神』が一山当てようとしたことによって、結果として花戸家のお正月を彩るものがお鏡と蒲鉾だけとなってしまったことは、薄い壁越しの遣り取りで知っていた。
横島が入り込むことなど出来ようはずもなかった。
かといって、この物入りの時期にも関わらず、年齢制限のあるビデオの誘惑とそれがもたらす青い衝動に負け、鏡餅一つ、蒲鉾一枚にも事欠くに至ってしまった横島が、正月から餓死という憂き目を避けるための強度を持つ命綱の本数は限られてくる。
『命綱』一本一本を吟味し―― 結論を導き出した。
「……事務所、行くか。美神さんも鬼じゃない―――― ちゅーか、鬼よりも怖いけど、頼み込んだらメシぐらい食わせてくれるだろーしな。
それに、おキヌちゃんがいるんだったら、もしかしたら本格的なお節が食えるかもしれないし……なんだ、最初っからそーすれば良かったんじゃねーか?」
専門用語ではタカリという、人として些か情けない一言を堂々と呟くと、気が大きくなった横島は喜び勇んでいつものデニムを身に纏う。
―― と、唐突に何かに気付いた風を見せると、横島はゴチャついた万年床の傍らを探りだす。
「……流石に手ぶらで行くのもなんだしな―― 初詣にも誘ってみるか」
前言撤回。
この男……少しは人としての矜持が残っていたようであった。
僅かな小銭をポケットに、両手に華の初詣というシチュエーションに高鳴る期待を胸に、腹の虫を押さえ込みつつ横島が弾む歩みで自宅アパートを出発した頃―― 事務所のリビングは相変わらず弛緩した空気に支配されていた。
「お、小袋じゃない♪珍しいわね」
言いつつ、大小二つの蜜柑の房をまとめて口に放り込む美神。
噛み締めることで溢れ出る甘酸っぱい果汁に思わず頬を綻ばせる美神だが、その様に「……あっ」おキヌは思わず呟いた。
「え?何?何かあったの?」
おキヌの呟きに美神は思わずうろたえる。
やや天然じみたところはあるものの、元幽霊だけあっておキヌの霊感は強い。また、半ば自業自得気味にポカミスを犯して自滅する横島と違い、ケアレスミス自体が稀なおキヌが『何か』に気付いた声を上げる、ということは、美神が気付かない何かにおキヌが気付いたということにも繋がる。
いかな美神でもうろたえ、訊ねるのも無理はない話であった。
「あ……いえ、なんでもありませんよ―― 別に何でも」
しかし、この日二つ目の蜜柑を手に取りつつ、おキヌは目を逸らしながらその『何か』を否定する。
危険な類なものではないにせよ、明らかに何かを隠していることは明確であった。
『まったく……横島クンの影響かしら?』
とりあえず、休み明けにでも『夢での著作権侵害』にかこつけて、感染源をしばき倒すことを心に決めた美神は、逸らした視線にずずい、と圧力をかける。
「―― お・キ・ヌ・ちゃん?」
日頃横島がさらされるものの半分にも満たない―― とはいえ、何もしていなくてもついつい謝ってしまいたくなりそうな圧力に晒されてなお平常心を保てるほど、おキヌの神経も太くはなかった。
圧力に負け、観念したかのように口を開く。
「昨日の夢で、布袋様が仰っていたんですよ―― 『想いが叶う切っ掛けなどというものは、どこにでも転がっている。それこそあの籠に入った橘―― 今でいう蜜柑の事ですけど―― の中から、ある一つを選んだことが切っ掛けに縁というものが好転することもないことではない』って……」
「馬っ鹿馬鹿しいこと気にしてるわねぇ、そんなのただの喩え話じゃない。そんな事いちいち気にしてたらGSなんてやってけないわよ」
おキヌの言葉を豪快に笑い飛ばす美神。
しかし「―― 蜜柑、さっき食べたばっかりですよね?」おキヌの話を聞くや否や右手に次の蜜柑を取っていては、説得力も何もあったものではない。
流石に七福神の一柱の一言である。如何に神族を『役立たず』だの『長寿メインのマイナー神』だのとこき下ろしたり、某竜神の生写真でどこぞの武神を篭絡したりと、多方面に罰当たりな言動を繰り広げる美神とはいえ、気にならない話ではなかったようだ。
「こっ……これはっ―― だって、この蜜柑美味しいじゃないッ!!」
半ばテンパりながら言い訳する美神。
「み・か・み・さん♪」
今度はおキヌが美神の視界を塞ぐ。
言い訳の響きは、この期に及んではもはや虚しかった。
同種の意志を孕んだ視線が絡み合う。
「「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」」
テレパスじみたアイコンタクトでなされた取り決めは―― 『どちらが《それ》を引き当てても恨みっこなし』
笑いとともに、弛緩していた空気が変質する。
その瞬間こそが、コタツを挟んで行われる小規模且つしょーもない戦いの、音もない号砲であった。
美神令子は後に述懐する。
『止めときゃよかった』
そして、氷室キヌもそのことを後悔とともに力なく呟く。
『なにやってたんでしょうか、私達?』
その数が二つ三つならばまだ問題はない。しかし、籠に山と盛られた蜜柑が十一ともなれば、単純計算で一人あたりの数は最低でも五つ。
味に変化があればまだしも、蜜柑のみとなれば四つ目も半ばを越えた辺りで、流石にうら若き乙女には苦しくなってくる。
だが、両者ともに目に見えた変化も霊的な変化もない。
つまるところ、決着はまだついていないのだ。
味に変化をつけようにも、傍らに控えたお重に構う暇はどちらにもない。
僅かな隙が『勝敗』を左右することになるのだから。
しかし、勝敗を左右するものは、僅かな隙ばかりではない。
百戦錬磨の美神であっても、この時ばかりはそれを失念していた。
―――― 時に、運命というものは小賢しい人の足掻きなどに構うことない無情さを見せる、という事を。
「どーもー、明けましておめでとうございまーす!」
年始というのに変わりない服装でやってきた『運命』は、我が家の如き気楽さでリビングに入るや否や肝心な『残り一つ』の蜜柑を手に取る。
あまりにもあんまりな運命の残酷さに呆然と蜜柑の行方を見つめるだけの二人を他所に、コタツを足を突っ込んだ横島は、この年初めての栄養補給を為しながら笑顔とともに言い放った。
「初詣行きましょーよ、初詣!!」
* * *
「こらうまい!こらうまいッ!!」
黒豆 数の子 車海老
ゴマメに 昆布巻き 八つ頭
伊達巻 蒲鉾 栗金団
お重はたちまち 空になる
「少しは遠慮せんかッ!アンタはッ!!」
初詣から帰った『我が家』で―― 至近距離から投擲されたお重の蓋……しかも角をモロに受け、横島は至福の心持ちから撃墜される。
「まーまー。美神さんもそれくらいにしときましょうよ」
年始であっても何ら変わりないそのやりとりに、おキヌは苦笑とともに二人に湯呑みを差し出すと、こめかみを抑えながら悶絶していた横島に尋ねる。
「そういえば、さっきは何を御願いしてたんですか?」
「聞くだけ無駄よ、おキヌちゃん。どーせ横島君のことだから、『綺麗なねーちゃんにご縁がありますように!』って無駄な願いなんだから」
「無駄言うな――――――――ッ!!夢の一つや二つ見てもええやないか――――――――ッ!!」
その血を吐きそうな勢いの叫びが美神の言葉を否定していない所も変わりない。
やはり布袋の言葉は喩えだったのだろう。
少しだけ残念だとは思いながらも、おキヌは思う。
―― これが何時までも続けばいいのにな。
しかし、繰り返さねばなるまい。
―――― 時に、運命というものは小賢しい人の足掻きなどに構うことない無情さを見せるものなのだ、ということを。
何時までも変わらないと思われていた正三角形の運命が変化を見せるまで、それほど長い時を必要としていなかった。
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