美神事務所の食堂に、リズミカルに音が響く。
トントントン、木のまな板に包丁が小気味よく踊る。
打ち粉をした蕎麦に規則正しく、すっす入ってはしんなり自重で離れていく。
おキヌがいくらか切り分けると、タマモが一玉分をより分けて皿に置き、まとめる。
手際の良い作業をつゆ担当の横島は横目で見つつ、出汁を取る。
「横島さん、どうですかー?」
「ああ、そろそろいいんじゃないかな」
かつお節を水から煮込んだ出汁を、ガーゼを張った器に流し込み漉していく。
立ち上った鰹の香りを、つまみ食いとばかり三人は胸いっぱいに吸い込む。
「んー良い香り。これに少し焼き目付けたお揚げが乗るのかと思うと、よだれ出ちゃうわね」
「もう出てるぞ、タマモ」
「え、うそっ?!」
妖狐であるタマモのお揚げ好きは今に始まったことではないし、横島もおキヌも良く知っている。
二人を前に口元を慌てて袖で拭うタマモに、おキヌが笑いかけた。
「横島さんの冗談よ、タマモちゃん」
タマモが、はっとして拭った袖を、間をおかず横島をにらむ。
「よーこーしーまー」
「うわ、冗談だから狐火はよせって」
指先にともる青い灯火は、九尾の狐の証。
かつて傾国の美女と呼ばれた大妖怪も、ヨダレ垂らしとからかわれては立つ瀬も無い。
「ほら、タマモちゃんお蕎麦取り分けて、ね」
おキヌの取りなしで矛を収めるも、盾を持たない横島の心臓はばくばく音を立てたままだった。
キッチンの窓からは冬の雨音がはいってくる。
しかし雨音がキッチンを埋め尽くされることはなく、三人の声が響いていた。
−三人の年越し−
横島が一週間前に作ったかえしを冷蔵庫から取り出し暖めると、器の一番出汁と合わせた。
青みがかった黒のかえしと、やや茶けた透明な出汁が琥珀色に変わっていき、より一層かぐわしい香りを醸す。
「んー、やっぱり良い香り。お醤油とみりんに砂糖、それにかつお節だけでこうなるんだから不思議よね」
「確かになあ。昔の人はすごいっちゅうか、えらいっちゅうか」
あら熱を取るため、テーブルに器を移す。
立ち上る湯気が天井に届く前にほんわり溶けていく。
「じゃあ、そろそろお蕎麦も茹でますね」
「お願いするよ。んじゃ、つゆはこのままちょっと冷まして。お揚げを焼きますかー」
「待ってましたっ」
いそいそとタマモが、お揚げを袋から取り出す。
商店街の豆腐屋の自家製で、タマモはこれがお気に入りだ。
ガス栓を回す。
ちりりり、ぼっと仄かに赤みが差した青白い炎が立つ。
熱気が舞うと、タマモは焼き網にいくつかお揚げを乗せた。
数を数えると、4つある。
「多くないか?」
「あたしは二つ」
「・・・さいでございますか」
呆れた横島はタマモにその場を任せると、食器棚からどんぶりと蕎麦ちょこを引き出す。
おキヌの隣にどんぶりを三つ置きに戻ると、豆の焼けた甘い匂いが漂い、見ればお揚げはぽちぽち膨らみ、焦げ目も付いてぱりっと美味しそうだ。
タマモはどうよとばかり、自慢げに口元をゆるませていた。
「ん、さすが」
「大したことないわよ」
強火でさっと焼き上げたお揚げ四枚を小皿に乗せ、おキヌが蕎麦を引き上げるのを待った。
大きめの寸胴にたっぷりのお湯の中、蕎麦が踊る。
「ちょっと待ってくださいね。あとちょっとで茹であがりますから」
徐々に乳白色に変わっていくお湯は、後でそば湯として楽しめる。
おキヌはふきこぼさないように火加減を調節しながら、引き上げるタイミングを計っていた。
「でもさー。この三人で年越しってのも初めてよね。美神もシロも、実家になんて帰んなきゃいいのに」
「仕方ないだろ。隊長も長老も、年末くらい揃って過ごしたいんだろうし」
「まあ、そりゃそーだけど」
タマモは、ちらとおキヌを背を見る。
口でこそ言わないが、大蛇村に実家のあるおキヌが事務所に残っているのは自分を気遣ったからに違いないのだ。
復活した頃ならば余計なお世話だと突っぱねたのだろうが、今はその優しさを受け止められるくらいには素直になった。
思えば、復活した直後に自分を助けてくれたのも、この二人だった。
単なる偶然だろうけれど。
ただ蕎麦がゆであがる瞬間を待って、しゅんしゅん蒸気が立ち上っていく時間が、タマモには不思議に思えた。
「ね」
「ん?」
「どうしたの?」
二人が振り返る。
保湿とばかりに換気扇を回していないからだろうか、おキヌの髪が電灯に艶めいて光る。
横島とおキヌに助けてもらっていなかったら、どうなっていたろうか。
あの場で除霊されて終わりだったのかもしれないし、また殺生石に戻ったのかも知れない。
「ありがとね」
タマモはテーブルに寄りかかりつつ、呟いた。
二人はどう受け取ったろうか、きょとんとした表情をしていた。
お揚げが多いのが嬉しかったのかともう一枚焼こうとする横島に、とりあえず今はいいわと言い、タマモはまだ用意されていなかった箸を三膳添えた。
「さ、茹で上がりましたよ」
おキヌが取り網で次々上げては、横島がざるを使い一気に水で締める。
冬の冷えた水がしゃあしゃあ流れ落ち、蕎麦にきゅっと輝きを与えた。
てきぱき動く二人の背中を見つめながら、タマモはどんぶりにつゆを注いだ。
琥珀がどんぶりを満たすと、横島がさっと蕎麦を流し入れる。
程よく蕎麦がつかると、タマモは焼いたお揚げを乗せて、つゆが染みるようそっと押し込んだ。
「さ、じゃあ暖かい内にいただいちゃいましょうか」
片付けもそこそこに、エプロンで手を拭っておキヌが席に着き、続いて横島が、最後にタマモが座った。
三人して、手を合わせて。
いただきます、と口を付けた。
「美味しい」
蕎麦を一すすり、つゆを一飲みして出た言葉は三人一緒で、お互い目配せしてはのどごしと香りを心ゆくまで楽しんだ。
「お揚げも、ちょうど良く焼けてる」
おキヌが嬉しそうに口元をほころばせると、タマモはそりゃそうよとばかり一気にかぶりついた。
ふうわりサクサク、染みこんだつゆと食感が心地よい。
「今度は、さ。全員で年越ししたいわね」
「そうだなー。来年は、てか再来年か。都合悪けりゃ、向こうをこっちに呼べばいいんだしな」
「案外広いですしね、この事務所」
そうね、とタマモはつゆを含む。
みんなしてお蕎麦とお揚げ食べれば、きっともっと、ずっと美味しい。
でも、タマモの口をついて出たのは別の言葉。
「ね、おキヌちゃん。お揚げもう一枚焼いてくれない?」
「自分で焼けよ」
「うっさいわね。おキヌちゃんに焼いて欲しいの」
だだをこねるタマモが余程可笑しかったのか、おキヌはさっとお揚げをあぶりにかかる。
ぱちぱち音が立って、お揚げに焼き色が付いていく。
「さっきタマモちゃん、来年もって言ったけど。きっと大丈夫よ」
「・・・なんで?」
おキヌにしては珍しく断定した口調に、タマモは興味を引かれた。
「年越し蕎麦にはね、細く長く達者に暮らせることを願って、って意味があるのよ。それを一緒に食べたんだもの、だから」
「・・・それだけ?」
「そう」
タマモがあまりにおキヌらしい物言いに苦笑いしていると、横島が言った。
「まあ、俺たちには細くってよりも太く、ってのが似合ってそうだけどな」
「太く、ねえ」
「んだよ。会っていきなり化かしやがったくせに」
「あれは・・・。悪かったわよ、だからあの後薬上げたでしょ」
「あの時は二人して風邪引いて大変でしたねえ」
「もう、おキヌちゃんまで!」
照れを隠すようにどんぶりを上げてずずずとつゆを飲むタマモを、二人が笑う。
いつの間にか外の雨は雪に変わって、ひらひらゆっくり街に舞っていた。
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