「すいません、横島さん……」
「いいっていいって。ほら、おかゆ。上手く出来たか自信ないけど……」
美神令子除霊事務所の、おキヌの自室。
氷嚢を額に乗せてベッドに横たわるおキヌに、横島は盆に載せた小さな土鍋を差し出した。
「まったく、今日に限って美神さんはいないんだから……」
美神はこの日、精霊石のオークションのためザンス王国まで出張していた。経験則から、二、三日は帰ってこないと思われる。
シロとタマモは、事務所に残っていたのだが……
〜回想〜
「せんせっ! 看病はタマモに任せて、サンポに行くでござる!」
「おいおい。いくらなんでもそりゃダメだろーが。おキヌちゃん放っておくなんてできないだろ」
「でも……サンポ……」
「指をくわえるな上目遣いはやめろ! ……そんなに行きたければ、薬草でも取ってきてくれよ。それならサンポも兼ねられるし」
「サンポ行くでござるか!? あ……でも拙者、薬草なんてよくわからないでござるよ」
「俺も知らん。……しょーがねーな。タマモ、薬草ってわかるか?」
「馬鹿にしないでよね。わかるわよ」
「んじゃ頼んだ。俺はおキヌちゃん看病してるから」
「ん、わかった」
「って、先生と行くんじゃないでござるか!?」
「だーかーらー、おキヌちゃん放っておけないっつってんだろ!」
「あ、あの……私は一人でも大丈夫ですから……」
〜回想終了〜
……などというやり取りがあったのが一時間前。
色々とあーだこーだと話し合ったものの、結局、シロはタマモを連れて超スピードで山に向かって行った。
その際、「せんせーのばかあああああっ!」という叫びがあったよーな気がしたが、横島は額に汗かきつつも、努めてその意味を考えないようにした。
このような時にシロがサンポをねだったのは、ただ単に空気が読めないだけの子供だからなのか、それとも別の思惑があったのかは――まあ、今となっては関係のない話。
ともあれそんなわけで現在、事務所には――横島とおキヌしかなくなっている。
「でも……本当に、一人で大丈夫ですよ」
「そんなことないって。病人は寝てるのが一番。今日は俺がおキヌちゃんの世話するから、おキヌちゃんは寝ててよ」
「そ、そんな……悪いです」
「悪いなんてことはないって。いつも俺たちの方が世話してもらってるんだから、こんな時ぐらい恩返しさせてくれって」
「恩返しって……そんな大層なことしてないです」
「いいから」
言いながら起き上がろうとするおキヌを、横島はその両肩を掴んでやんわりとベッドに戻した。
「とにかく、まずは食事。あんま自信ないけど、おかゆ……食べる?」
「あ……はい。ありがとうございます」
おキヌが頷くと、横島は盆を彼女に手渡す。
「……あ……」
「ん?」
「い、いえ」
ちょっと残念そうに声を漏らすおキヌに、横島は頭に疑問符を浮かべた。しかしおキヌは、真っ赤になりながらも、何でもないと言わんばかりに否定の言葉を口にした。
(……横島さんがスプーン取って「はい、あーん」なんて期待しちゃった……)
自分の妄想に顔が赤くなるのを感じながら、おキヌは横島のおかゆをスプーンですくう。
口に入れてみると、隠し味程度に入れられた塩に引き出された米の甘みが、口の中に広がる。……とはいっても、その味は取り立てて際立ったものはなく、美味いわけでもなければ不味いわけでもない、いわゆる凡庸な味でしかなかった。
が、おキヌはそのおかゆに、味とは別の何かを感じていた。彼女のボキャブラリでは説明しきれないのだが――彼女のために一生懸命頑張った、そんな不器用さが、このおかゆには見え隠れしている。
一口食べただけで――心がほんわか、あったかくなる。
「美味しいですよ、横島さん」
「……マジ?」
にっこりと感想を言うおキヌに、横島は疑わしげに眉根を寄せた。
「ええ。本当です。なんというか……味は普通なんですけど、横島さんが頑張って作ってくれたって感じがして、心があったかくなるんです」
「え……?」
その言葉に、横島は意表を突かれたかのように目を丸くし、わずかに頬を赤くした。
「えーと……その……ありがと」
「ふふっ」
頬をぽりぽりと掻きながら、わずかに視線を逸らしてつぶやく横島に、おキヌは口元をほころばせた。
「それにしても、おキヌちゃんの風邪っていったら、あの時のこと思い出すなぁ」
「あの時……ですか?」
おかゆを一口。租借して嚥下してから、おキヌはきょとんと訊ねた。
また、心がほんわか。あったまった。
「ほら、いつかのバレンタインの時。西条の持ってた魔鈴さんのチョコを奪って食べて、ひどい目に遭ってた時にね」
「あ……あの時ですか。大変みたいでしたね」
「あの時は俺たちのせいで、風邪をこじらせちゃって……ごめん。でも、助かったよ」
「そんな……当たり前のことしただけです」
苦笑し、おかゆをもう一口。ほんわか、ほんわか。
「でもあの時、もしおキヌちゃんが風邪で鼻詰まらせてなかったら……きっと、おキヌちゃんにも毛虫のよーに嫌われてたんだろーなー……もしそーなってたら、立ち直れなかったかもしれん」
「そんな……私が横島さんを嫌うわけないじゃないですか」
「そうかな? 魔法薬のせいだったから、しっかりと効果現れると思うけど。何せ、あの温厚な冥子ちゃんでさえ凶暴化したんだから……」
「そうかもしれませんけど……でも、たぶん大丈夫ですよ。だって……」
「だって……?」
耳を傾ける横島を見ながら、おキヌはおかゆをもう一口。もぐもぐと租借して、嚥下する。ほんわか、ほわほわ。
――この心の温かさはなんだろう。おかゆの温かさ? それとも、横島さんの温かさ? それとも――
おキヌは胸中でそんなことを考えながら、正面から横島の瞳を覗き込む。
「だって……横島さんのこと、大好きですから」
カチリ、と。
自分の口から滑り落ちたその言葉で、何かが当て嵌まったような気がした。
――ああわかった――
これはきっと、熱のせい。だから、普段言えないことが、自然と口から出てくる。
「お、おキヌちゃん……?」
「このおかゆ、やっぱり美味しいです」
顔を真っ赤にする横島に、おキヌはにっこりと笑いかける。
「知ってますか? お料理には、気持ちが篭るものなんですよ。このおかゆには、横島さんの優しさがいっぱい入ってます。だから、美味しいんです」
「え、えーと……」
熱に浮かされたような――もしかしたら、本当に熱に浮かされているのかもしれない――普段と違うおキヌの言葉に、横島はどう返したものか判断できない。
「大丈夫ですよ。風邪なんて、すぐに治ります。横島さんの優しさ、いっぱいもらっちゃいましたから」
「ええと……う、うん。まあ、すぐに治るなら何も言うことはないよ」
混乱し続ける横島に、おキヌはクスクスと笑い続けた。
――なお、おキヌの言葉通り、彼女は即日回復したのだが――
――二日後。
「……すいません、横島さん……」
「い、いや、別におキヌちゃんが謝ることじゃ……んっ、げほっ」
回復したおキヌの代わりに、見事に横島が風邪を引いていた。
横島が寝ているのは、言わずもがな自宅の布団の上である。台所には、巫女服姿のおキヌがいた。
「だって、私の風邪が移ったんじゃ……」
「そんなことないって。これは俺の不摂生が原因なんだからさ。おキヌちゃんが気に病むことはないよ」
「でも……いえ、それならせめて、看病はさせてくださいね?」
「あはは。それなら大歓迎だよ」
話が平行線になりそうだと判断した彼女は、言葉を変えた。その台詞に、横島は笑って承諾する。
彼女は除霊仕事の帰り、美神と一緒に様子を見に来たのである。布団に横たわる横島を見た美神の第一声が「これが鬼の霍乱ってやつかしらねぇ」と言ったのに反応した横島は、「鬼は美神さんじゃ……げぶぅっ!?」と返す言葉も最後まで言い切ることなく撃沈した。
そして、怒った美神が一人で帰り、ここにおキヌだけが残ったということである。
彼女は仕事帰りだっただけに、巫女服は着替えていなかった。しかしその上に、この部屋に常備してあるおキヌ専用のフリル付きエプロンを着込んでいた。
見ようによっては、巫女服と相まって割烹着にも見える。その格好は、横島の精神のとあるツボを刺激してやまない。
「うーむ……これは新たな発見……」
「できましたよ、横島さん♪」
横島が何事かブツブツとつぶやいているうちに、おキヌが土鍋を乗せたお盆を持って振り返った。
「ん、ありがと、おキヌちゃん」
「いえいえ♪」
その手の盆を見て、感謝する横島。彼女が枕元に座り込んで盆を膝の上に乗せ、土鍋の蓋を開けると、おかゆの姿が露になる。
おキヌのおかゆは、やはり横島が作ったものとは劇的に違っていた。卵を入れて、春菊を上に乗せている。
「うわっ、こりゃ美味そうだ」
「ふふっ」
よだれでも出かねない勢いで、横島が土鍋の中身を覗き込んだ。おキヌはその様子に、嬉しそうに小さく微笑んだ。
そしておキヌは、おもむろに盆の上のスプーンを手に取ると、土鍋の中身をすくって横島の前に差し出す。
「はい、横島さん。あーん♪」
「へ……?」
おキヌの突然の奇行(?)に、目が点になる横島。数瞬の思考停止を経て脳が再起動すると、その行動の意味を理解した。
「ちょっ……いいって、おキヌちゃん! 一人で食べられるから……!」
「だめですよ。病人は寝てるのが一番ですから、そのお世話は私がするんです。それとも……看病させてくれないんですか?」
「ここまでやって欲しいって言ったわけじゃないって! ほ、ほら、一人で食べられるから、スプーンを……」
「……大歓迎って言ったのは嘘ですか……?」
「い、言ったけど……うぅ」
覗き込むような角度で、寂しげな瞳を向けられては、横島としても二の句が告げられなくなる。
おキヌはその隙に、スプーンを横島の唇にくっつけるほどに近付けた。おキヌのおかゆが醸し出す卵と米の絶妙なハーモニーが、横島の鼻腔をくすぐった。
その香りの前に、抵抗の意思はことごとく崩れ去ってしまう。
「はい、あーん♪」
さらに追い打ちをかける、おキヌのとどめの一言。
横島はもはや観念するしかなく――
「あ、あ〜ん……」
言われるがままに、口を開いた。
そして、おキヌの手がスプーンをその咥内に侵入させる。
――ぱくっ。
閉じられた唇から、ゆっくりスプーンが引き抜かれる。横島の咥内に残されたおかゆは、もぐもぐと租借された。
絶妙な塩加減で、極限まで内在する甘さが引き立たせられた米。それを口の中でとろけるほどに柔らかくした水加減のバランス。さらに卵が、事前に鼻腔をくすぐった通りに米との見事なハーモニーを奏で、春菊の香りがその全ての味わいを後押しする。
文句なしに、プロ級――いやそれ以上のおかゆだった。
「……うん、美味いよおキヌちゃん」
横島はその最初の一口を嚥下すると、羞恥に顔を真っ赤に染めながらも、掛け値なしの賛辞を口にした。
その言葉を聞いたおキヌは、にっこりと笑って一言――
「当たり前です。だって、私の横島さんへの想いが篭ってるんですからっ♪」
「…………」
容赦なく浴びせかけられた更なる追撃の言葉に、横島は今度こそ言葉を失った。
風邪のせいか、おかゆの熱さのせいか、はたまた別の何かのせいか――横島は、自分の顔が熱く火照るのを感じていた。
どうやら、おキヌの『熱』は……いまだ下がっていないらしい。
Please don't use this texts&images without permission of いしゅたる◆XV0e5ZIklYY.