空が段々橙色に染まっていく。
夜が支配する事を拒むみたいに、一時抵抗する空は燃え上って眩しい。
時折駆けていく鳥の群れは、決まって大きな日に飛び込んでいく。
そうして幾度群れを見たろうか、気づけば上方には群青色の空が現れていた。
「夜がやってきましたね」
帰り道、おキヌちゃんが呟く。
鳥たちと同じように家路を急ぐ俺たちは、太陽とは逆の方向に走っていた。
「もう真冬だから日が落ちるのが早いわねー。まだ5時だってのに」
美神さんが操る車はすいすい車間を抜けていく。
一日がかりの除霊を終えたというのに、どこからこのタフさは出てきているのだろうか。
案外ラクダみたいに、大きな乳からパワーが供給されているに違いない。
「余計なお世話よっ! 」
「ああ、また口に出てたっ?! 」
運転席から後部座席に、モンキーが見事に俺の頭を打ち抜く。
振り返りもせず器用に物を投げつける様は霊感のなせる技か、さすがとしか言いようがない。
「くすくす・・・。本当に、二人とも私が幽霊だったときと変わりませんね」
美神さんとのやり取りに、助手席のおキヌちゃんが吹き出す。
俺と美神さんはバックミラーで目を合わせると、同じに笑い出す。
「そりゃあ。どっちかって言うと、これが普通でしょ。アタシたち」
「おキヌちゃんがいない時なんか、美神さん止める人がいなくて俺ぼろぼろだったしなー。今だって、おキヌちゃんいなけりゃ更にスパナとかドライバーが飛んできたぜ? 」
「あんたね、人を引田天功みたいに・・・」
とは言いつつも、右手に構えたパイプレンチを俺は見逃さなかった。
おキヌちゃんがまあまあと諫める姿にほっと一息つく。
「もう、二人ともよしてくださいよ。横島さんも、そんなだから、早苗お義姉ちゃんが横島のとこ行ったらなにされるかわかんねーとか言うんです」
「・・・あいつ、そんな事言ってやがったのか・・・」
道理でおキヌちゃんを引き取る時、にらみつけてた訳だ。
風呂覗いたの、まだ根に持ってやがったか。
「氷室の家族が安心できるようにしてくださいね、横島さん」
おキヌちゃんがこちらを振り返って、困った様な顔を向ける。
車内の温風に乗って甘い香りを鼻に感じた。
「・・・そうだね、そうするよ」
「なによ、妙に殊勝じゃない」
「そりゃ、おキヌちゃんにセクハラしたら完全に悪者っすからね、俺」
「私だといいのかっ?! 」
ガンと鈍い痛みが頭を抜けた。
死んじゃダメー。
どこか遠くにおキヌちゃんの声が響いていた気もするが、すぐに意識は暗転していった。
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「お疲れさまですー」
「お疲れ様。横島君、片付けお願いね」
「了解っす」
額に出来たたんこぶをさすりながら俺は答える。
どれだけ伸びていたのか、たたき起こされた時にはもう東京の事務所に帰り着いていた。
「おキヌちゃんも、疲れてるでしょうけど。お風呂入ったら、報告書のゲラ版だけちょうだい。それ終わったら寝て良いから」
「はい、わかりました」
ダッシュボードからいくらか書面を引き出すと、おキヌちゃんは幾分か重い足取りで階段を上った。
姿が見えなくなると、俺は美神さんに愚痴った。
「全く美神さんも、もうちょい手加減って物をですねー」
「・・・あんたが妙な事言うからでしょ。全く、どいつもこいつもおキヌちゃんおキヌちゃんって浮かれてるんだから」
さっさと片付けしなさいよ、今日の残務処理は多いんだから。
亜麻色の髪をかき上げ一人ごちながら、美神さんは階段を上がっていった。
「まあ、確かに。ネクロマンサーの笛が大活躍したのはいいけど、周辺への影響も大きかったし」
おキヌちゃんがこちらに来てから、オカルトGメンからの依頼で指名が増えてきていた。
今まで対処しづらかった局面に特効的な能力を持った人が現れたのだ。
あちらの考えも分からないではないが、いかんせんおキヌちゃんの技量が追いついていなかった。
「二人してフォローしたのはいいけど、建物やら街路樹やら、そこかしこ吹き飛ばされてたしな・・・」
霊団を完全には制御しきれず、簡易結界をそこかしこに張りながらなんとか流れを制御し、除霊に成功した。
それでもたった3人で成功したということは、今までの状況では考えられなかった事なのだけど。
「そこは追々、かな。すぐにあれこれ求めても仕方がないし」
「あ、横島君」
「うわっ、なんすか美神さん」
完全に道具の整理に意識が行っていたので、美神さんが戻ってきたことにも気づかなかった。
ばくばくする心臓を押さえつつ答えると、美神さんがたんこぶを指ではねた。
「・・・ったく。その様子じゃ、あんたアレ完全に忘れてるでしょ」
「アレ? ・・・ああ、アレなら忘れてないですよ。除霊が予想より長くなったんで、渡せなかったですけどね」
「車の中で渡せば良かったでしょーに」
「タイミングを計ってたら、意識を完全に飛ばしてくださったのはどこのどなたですかね? 」
「・・・あれはあんたが・・・って、まあいいわ。おキヌちゃんがすぐ眠らないようだったら、渡してあげなさいな」
じゃ、と手を振りまた階段を上っていく。
そんなに気になるなら美神さんが手渡しすればいいのに、と思うが、それが出来る人でも無いことも俺は良く知ってる。
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「おキヌちゃん、入るよ? 」
先ほどから何度か扉を叩いても中から返事は無く静まりかえったままで、俺は仕方なくノブをひねった。
きぃ。
少し高めの音がした。
初めて開けた扉は思いの外重くて、仕切り板を踏み越え入った部屋には誰もいない。
おかしいな。
見回してみれば、おキヌちゃんがベッドでくうすう寝息を立てている。
掛け布団の上にうつぶせになっていて、他に物音一つ無い部屋ではそれが良く聞えた。
「疲れて寝ちゃった、か」
冬も寒い中、丸一日かかった霊団の除霊は、さすがにきつかったのだろう。
ちょっとだけ横になりますと言ってから全然下に下りてこないので、どうしたのかと様子を見に来てみれば、心地よさそうに夢路についている。
風邪を引いてしまうといけないからと、一旦部屋から出て予備の布団と毛布をそっと重ね掛けた。
起き出すことはないのを見計らうと驚かそうと思っていたのでちょうど良いとばかり、机にこっそり小箱を置いて帰ろうとした。
「あれ、これは・・・」
厚めの冊子が開いたまま、そこにあった。
目に入った文章から察するに、これはおキヌちゃんの日記だろうか。
きっと眠気が勝ってしまったんだろう。
「見ちゃ悪いよな」
視線をずらして小箱だけおいて帰ろうとして、俺はある言葉に捕らわれた。
―ありがとう
なんだろうか。
普段からおキヌちゃんがよく口にする言葉だけれど、今日の除霊を受けて口にするような言葉とは思えなかった。
俺はどうにも興味を引かれてしまい、ベッドで休むおキヌちゃんを横目に、悪いと思いつつ日記を手に取った。
―除霊も終わりかけたとき、ありがとうって声が届いた。
かけてくれたのは、年端もいかない男の子だった。
どういたしましてと返したけれど、果たして私の声は届いたのだろうか。
生き返ってからネクロマンサーとして除霊に関わる度、いつも思う。
あの人達の時間は、現世での時間は、もう終わったんだって。
しっかり成仏出来たことは、きっと幸せな事なんだろう。
でもだからこそ、一度終わったはずの時間を取り戻した私は、今を大切にしなきゃって感じる。
今こうやって現世を過ごしているのは、本当に奇跡みたいな事。
横島さんと美神さん、二人に会えて始まった不思議な縁を、ずっとずっと大事にしていきたいって強く想う。
みんなして一緒の時間を過ごして、年を取っていきたい。
私には今がある。それだけで十分・・・
記されていたおキヌちゃんの気持ちが胸を打つ。
俺は氷結した洞窟を思いだし、こぼれ落ちそうになる物を止めようと目と鼻をすすり、日記を戻し閉じた。
「やっぱりちょっと、気にしてたのかな」
こないだの夕食でつと話題に出た誕生日の話で、おキヌちゃんは少し寂しげだった。
昔とは習慣の違いもある。
だけども、きっとそれ以上に自分一人違うところにいるみたいな気持ちになったのかもしれない。
「でも、きっと喜んでくれるさ」
自分に言い聞かせ、そっと扉を閉じる。
ぱたんと締まった扉からは、やっぱり音は聞えてこない。
「なんたって、初めての誕生日祝いだし、な。一日遅れちゃったけど」
小箱の中に入っているのは高い物じゃない。
それは、俺と美神さんの言葉を一緒に添えた心ばかりの品。
これから一緒に、年を取っていく証。
出会ったあの日を、おキヌちゃんの誕生日にしよう。
俺たちの贈り物に、彼女はどんな顔をするだろう。
その顔が、彼女に似合う笑顔であったらと願う。
「さてと、じゃあ俺も少し片付けたら休むかな・・・」
翌朝、泣きはらしたおキヌちゃんが美神さんに飛びついて色々大変だったのは、また別の話。
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