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いつか、過去に届けばいい 4


「学校の方はどう?」
 百合子にそう問われて、忠夫は箸を止めた。そして話し始める。
 学校のこと、友達のこと、面白かったこと、つまらなかったこと。
 今が食事時であることを考えれば、間違えても行儀がいいとは言えないが誰も咎めたりはしなかった。普通で楽しい食事を長い間楽しみにしていたからだ。忠夫は、どんどん普通の子どもとして、百合子と大樹の子どもとして成長していく。手を煩わされるようなことはあまりないけれど、歳相応の子どもとして成長している。話の内容よりも、楽しそうに一日の出来事を語る様子が嬉しい。
「あ、そうだ冥利さん。今度、友達呼んでいい?」
「今言ってた千恵ちゃんかしら〜?」
「うん」
「そうねぇ」
 考え込む冥利の仕草に忠夫の表情がやや曇る。それをみて、
「いいわよ〜」
 と冥子が答える。不安そうな忠夫は見たくないし、忠夫の友達となれば自分にとっては妹のようなものだ。忠夫の友達というのが少し気になるし、断る理由がない。しかし、
「ダメ〜」
「おかーさまー」
「ダメよ〜」
 冥子の気遣いは嬉しいが冥利の言葉には従うしかない。百合子としても是非とも呼ばせてあげたいが、世話になっている立場上そういったことは言えず、やりきれない思いを溜め込むほか無い。
「忠夫ちゃん」
「はい」
「前も言ったと思うけど〜ここは忠夫ちゃんの家でもあるのよ〜。それだと、おばさんは許可でいないわ〜」
 その言葉に百合子は心の中で感謝し冥子は「?」を頭上に浮かべ、忠夫はふむ、と考え込む。
「冥利さん」
「なぁに?」
「今度友達が家に来るんだけど、お菓子が食べたい。甘いやつ」
 冥利はにこりと笑う。いつか、もっと自然に甘えられるようになればいいのに、と思いながら。
「いいわよ〜。おばさんも一緒に食べてもいいかしら〜」
「うん。ありがとう」
「冥子も〜」
「うん」
「忠夫。かーさんにも紹介するのよね?」
「そ、そうっすね」
 紹介って何やねん、とは思ったが口には出さない。シャレで済むときと済まないときの境界線をキチンと把握しているのである。若いメイドを口説いたり、ストーカーを口説いたり、その度に折檻されている反面教師のおかげである。
「ときに忠夫」
 と、原型を留めていない顔の反面教師。
「なに?」
「その子に、歳の離れたお姉さんはいr」
 引きずられていく父親を見て、実はドMなのではなかろうか。と忠夫は思った。同時に、素直すぎる父親のようにはならないでおこうという思いを強くするのであった。


 土曜日、忠夫はいつものように本田千恵の隣を歩いていた。いや、いつものように、というと語弊がある。いつもはひとりで歩く道を二人で歩いているからである。今日は六道邸で遊ぶことになっているため、マンションで別れず一緒に帰ってきている。見慣れない道に千恵はキョロキョロとせわしなく視線を走らせ、忠夫は人が増えただけで雰囲気のかわる通学路を不思議に思った。
「あ、犬…」
 ジョーである。大きな体躯に自然と足がすくむ。それを知ってか知らずか、忠夫は無警戒でジョーの前に立つ。
「おすわり、おて、おかわり。よしっ偉いぞ」
 撫でられれば尻尾を左右に大きく振り、人懐っこく喉を鳴らす。つい先日までは宿敵とも言える間柄であったが、この一週間に激しい戦いを繰り広げ、心が通じ合ったのである。
 一通りじゃれあい、またな、と声をかけてジョー宅を後にする。実際はジョー宅ではないのであるが、飼い主を見たことがないので忠夫の中ではジョーの家なのである。
「怖くないの?」
「ジョー?」
「うん」
「全然」
「すごいね」
「そっかな」
 謙遜ではなく実際そう思っている。敵意を向けられるならともかく、特に怖がる理由がおもいつかない。どちらかといえば遊び相手だ。
「たっちゃんの家、もうすぐ?」
「あと五分くらい」 
 
 で、五分経過するわけである。 

「おっきぃー」
 六道邸をみた本田千恵の第一声である。実に素直なひとことである。学校よりも大きな建物など見たことがないのだからしょうがない。
「確かにでかい。でも、残念ながらドーベルマンはいないんだ」
「ドーベルマン?」
 心底残念そうなだけに、千恵には豪邸とドーベルマンのつながりがわからない。
「別にシェパードでも秋田犬でもハスキーでもいやさジョーでもいいんだけど」
 ますますわからない。というより、実際のところ忠夫にだってわからないのだが、犬がいないとわかるとひどくがっかりしたのだった。何故か犬に構いたくてしょうがないのであった。
「嗚呼っ! 朝起きて犬になってたらどうしよう! 世話をすべきかされるべきかどうするどうする?キミならどうする!?」
「病院に行く」
「うん、俺もそうすると思う」

 で、何はともあれ本田千恵は忠夫が連れてきた初めての友達である。初めての女の子の友達である。ガールなフレンドなのである。これに誰よりも舞い上がったのが百合子である。
「貴方が千恵ちゃん? 忠夫はどう? 優しい? 学校ではどうかしら。ちゃんとやってる? しっかりした子だけど、その分どこか抜けてそうで心配なのよ」
「そういえば、この前宿題忘れてました」
「……忠夫?」
「つい、であります! 出来心であります!」
「ほんとにもう…しっかりした子が傍についててくれたらいいんだけど。千恵ちゃん、よかったらこれからもよろしくね。妙に押しが強いところあるけど、嫌だったらガツンと言ってやっていいからね」
 というか、俺の年齢間違えてるんじゃなかろうか。とは思うものの、口に出す勇気はなく流れるに任せた。誰だって自分が大切なのである。
 そこに冥利とクッキーとココアがやってくる。忠夫は一瞬でも状況が改善されることを期待した自分を恥じた。女が三人集ってかしましいと読むのである。どうでもいいことだが、千恵は木が四つ集まるとジャングルと読むと信じているのである。

 最初は緊張していた千恵も、甘いお菓子とココアに懐柔され、滑らかに口を開いた。百合子も、冥利もそうだ。話題は忠夫。共通点がそれしかないのだから当然とも言える。
「たっちゃんは――」
「忠夫は――」
「忠夫ちゃんは――」
「たっちゃんが――」
「忠夫が――」
「忠夫ちゃんが――」
「クッキーうめぇ」
 拷問なのであった。

 早く終われと忠夫が祈り始めたのと時を同じくして、学校から冥子が騒々しく帰ってきた。扉の開閉音に一瞬会話が止まる。
 おねーちゃん大好き、と忠夫は思った。
 が、「冥子もお話する〜」と千恵の元へと趣き、拷問が再開された。
「ブルータスお前もかっ」
「千恵ちゃんは、忠夫のこと好きなのかしら」
 やや間を置いて、こくりと千恵は頷く。無視された、と忠夫はうなだれた。
「あらあらー」
「どういうところが?」
「ちょっと、変なところ…」
 確かにちょっと変な子どもなのである。
「冥子もたーくんのこと好きー」
「冥子ちゃんはどういうところが好き?」
「優しいところー」
「忠夫ちゃんモテモテねー」
「ココアうめぇ」
「忠夫ちゃんは頭もいいわよねー」
「うん。テストは、いつも100点取ってる」
「冥子も教えてもらってるのよー」
「運動神経もいいしー」
「50m走、クラスで一番だった」
「冥子も、鬼ごっこですぐ捕まえられるのー」
「ドッヂボールも、クラスで一番だった」
「……」
「……」
「クッキーうめーーっ!」
「それに、色んなこと教えてくれるし、優しい」
「冥子も、『いつも』教えてもらってるのー」
「今日も、おっきい犬から『助けて』くれた」
「……」
「……」
「千恵ちゃんは、どれくらい忠夫のことが好き?」
「冥子は、どれくらい忠夫ちゃんのことが好きなのかしらー」
「これくらい……」
「冥子はー」
 片や、頬を染めながら、ドッヂボール級。片やあけっぴろげに腕を広げる。乙女経験者から見て、勝敗は明らかであった。
「ほんとは――」
「冥子もほんとは――」
 対抗戦の横で、忠夫は胃の痛みに堪えていた。泣きはしなかった。びっくりするほど痛かったが、涙は年二回だけ、アルフレドとパトラッシュに捧げると決めていたから、限界のところで泣かなかった。
 ともかく、胃が痛いのはクッキーを食べ過ぎたせいだ。忠夫はそう自分に言い聞かせる。現実逃避以外のなにものでもないが、生き延びることが最重要である。その判断を一体誰が責められようか。


 結果から言えば、生き延びることはできなかった。
 忠夫は死んだ。
 というのは、生き延びたからこそ言える嘘である。忠夫は今、赤く染まる道を千恵と歩いている。歩きなれた道なのに、初めて歩く道のように感じる。夕陽のせいだろうか。それとも、隣に人がいるからだろうか。
 答えが出ないうちに、マンションへと着いた。
「また呼んでね。ばいばい」
「うん」もう呼ばない、と忠夫は思った。
 またね、と扉が閉まるまで手を振って、斜光に染まるエントランスに背中を向ける。どんどん赤が濃くなっていく。陽が落ちていく。日が暮れていく。家に帰ろうと思う。
 夕陽のせいか隣に人がいないからか、さっき通ったばかりの道がまるで違う道のように思う。
 誰彼時。
 そんな言葉が浮かんだ。
 暗くて顔が見えないから誰そ彼。電灯が光る今には、もうないのかもしれない。そう思うのに、ありえるはずがないのに、顔の見えない誰かを、ここで待っていたような気がする。
 待っていると、日が落ちて夜がやってきた。急に寒くなった気がする。
「帰ろ」
 家では、あったかい部屋とあったかい言葉とあったかい夕食が待ってるはずだから。
直書きエラーという悲劇に見舞われました。社会人になったら保険には入ろうと思います。


>しんくすさん
SSを書くのは初めてで、色々試しながら書いているのですが、正直ちょっと早まったかなぁ、と思います(苦笑)
これからを面白く書けたらいいんですが……。
低学年の子は可愛いですよね。中学年にまでなると、ませてきてしまって扱いに困ることが多いのですが。

>剣介さん
千恵ちゃんのセリフ人気ですね、なんでだろ(笑)
学校生活は、楽しんでなんぼですから、きっと楽しんでくれると思います。
磯田氏には苦労をかけるでしょうけど。
いい人間関係が描けるように頑張ります。

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