何やら不可思議な髪型をした、女子高生らしき容貌の美少女が足取りも軽く川縁の道を歩く。
既に日も暮れかけた薄暗い道でも、彼女の髪はわずかな光を美しく反射する。
その美少女――タマモは、つい最近発見した豆腐店に向かっていた。
スーパーで買った適当なお揚げでも良いし、カップ麺に載ったお揚げのようでお揚げではないような物体でも、妖力を維持するのには事足りる。
とはいえ、どうせなら美味しいものをと思うのは人情であろう。
川縁の道とはいえ、都会、それも住宅街を流れる川だから爽やかさとは無縁だが、目指すお揚げの事を思えば気分も弾む。
そんなそんな益体もない事を思いながら歩くタマモの視界に、珍妙な物が映る。
天を衝くかとまでは言わないが、三メートルはあろうかという塔。
よくよく見れば、荷紐で固定され異様な高さに積み上げられた段ボール箱が右に左に揺れている。
「横島? また無茶な仕事でもやらされている訳?」
後ろ姿、しかも大部分は段ボール箱に隠されているとは言え、タマモには確信があった。
こんな変な事をしている人間など、美神除霊事務所の関係者以外にはないという確信が。
「ん、タマモか? これは仕事じゃあないけどな。そんなに無茶に見えるか?」
「あんたは……いえ、いいわ」
無茶を無茶として認識していない男の事を、ほんのわずかに哀れに思う。
手伝いはしないが少しだけ付き合ってやろう、なんとなく思い立った。
ふぃーでぃんぐ・おぶ…
「で、これは何なのよ?」
当初は厄珍堂への使いの帰りかとも思ったが、それにしては量が多い。
「見てわからんか、食料だ。安売りがあるとまとめ買いするんだよ」
箱を見れば、それぞれ異なる製品名が記されているようだ。
しかし、悉くがカップ麺の類であるのはどういうことか。
「あんた、貧しい食生活しているのねえ。いつもおキヌちゃんの料理をありがたがるのもわかるわ」
「そう言うな。いつだったかお前が食べたお揚げだって、このまとめ買いのおかげだったんだぞ?」
タマモが横島とおキヌに保護された時も、横島はカップ麺を食べていた。
そのおかげで最低限の妖力が確保できたのであれば、これ以上男やもめの虚しさを揶揄するのも憚られる。
「あ、そう……って、この日付は」
箱に記された賞味期限を見ると、どれも3日や1週間など残り少ない。
「ん? 賞味期限の残りが無いから、投げ売りになっているんだよ。そこを狙ってまとめ買いするのがコツだ」
何がコツなのかはわからないが、そんなものかと思い直そうとするもタマモはふと過去の事を思い出す。
「あのさ、1つ確認したいんだけど。まさか私に食べさせたお揚げも……」
「賞味期限は過ぎてただろうな。間違いなく」
ビシッ、と鋭い音が響く。
無言のうちに、タマモの拳が横島の顎の先端を捉えていた。
ぐるん、と横島の首がおかしな方向に動くが、何らの痛痒も感じさせず即座にタマモへと向き直る。
「いきなり何すんだお前は! 俺を殺す気か!」
「そんなんじゃ死なないでしょうが。それにこの私に賞味期限切れのお揚げを食べさせた罰よ!」
「殴った事じゃあねえ! 荷物を川に落としたらどうすんだ! 餓死するだろうが!」
「……あんた、給料いくらよ?」
溜息をつきながら、タマモは先に歩き出す。
顎をさすりながら横島も続いた。
「……いくらでもいいだろ?」
豊かな生活をしているとは思わなかったが、そこまでとは思っていなかった。
改めて、横島の生活や行動全般を思い浮かべてみる。
タマモの知る横島像は、仕事の際は美神のサポートが主で、そう目立つ事はない。
事務所の中ではシロに懐かれ美神に殴られおキヌと仲良くしつつ、奇行が目立つ。
その程度でしかなかった。
話しながら歩いているうちに川縁の道からは離れ、住宅街の狭い路地へと入っていた。
タマモの目的地である豆腐屋は、横島の自宅近くの小さな商店街にある。
本来ならば話を切り上げて目的地に急ぐ所だが、何かが気になった。
霊感という程ではないが、聞いておかなければいけないような気持ちに押され、ただ真っ直ぐに質問をぶつける。
ただし、横島に背中を向けながらであるが。
「真面目な話、あんたの給料っていくらなの?」
常とは異なり妙に踏み込んでくるタマモに違和感を感じたか、怪訝な顔をしつつも横島は答えた。
「前はそれなりに貰っていたんだけど、ヘマやってまた下げられたんだよ」
「そう……それって、まさか私を助けた事と関係ある?」
「ああ。美神さんが、隊長に怒られた腹いせにな、俺の給料下げたんだよ」
「えっ?」
驚いて振り返り横島の顔を見ると、たちまち怒りがこみ上げてくる。
「ひょっとして、全部嘘なのかしらね?」
タマモの九つに分かれた髪の房が、一つずつゆっくりと逆立つ。
「ああ。全部」
横島は妙に気持ちの良い笑顔を浮かべながら、だからどうしたと言わんばかりだ。
「給料下げられたってのは?」
「嘘。安いもん食ってるのはただの貧乏症」
髪の房はもう半数以上が逆立っている。
まだ余裕の表情を変えない横島の顔を見て、逆立つ速度が上がっていく。
「私を助けたから給料下がったってのも?」
「お前が来てから、むしろ上がったくらいだな。シロの世話賃って名目だけど」
ビシッ、と鋭い音が再び響く。
無言のうちに、タマモの拳が横島の鼻と口の間――人体の急所の一つ――を捉えていた。
ぐるん、と横島の目玉がおかしな方向に動くが、何らの痛痒も感じさせず即座にタマモへと向き直る。
「だからお前は俺を殺す気かっ!」
「なによ、荷物落として困るような道じゃないでしょ?」
タマモは歩きながらも、妙に気持ちの良い笑顔を浮かべてやり返す。
「いくら俺でも人中に一本拳喰らったら命落とすわっ!」
中指が出っ張った形に握りしめた拳をさすりながら、タマモは目的地へと目を向ける。
「あっそ。初めて知ったわ。って、あ……」
「あん? どうした?」
「お豆腐屋さん、閉まっちゃってる……」
「もう夜だしな。豆腐屋ってのは早く閉まるもんじゃないのか?」
閉ざされたシャッターの前でぷるぷると震えていたタマモの拳が煌めきビシッ、と鋭い音が三度響く。
無言のうちに、タマモの拳が横島の喉――言わずと知れた急所――を捉えていた。
ぐげっ、と横島は妙な声をあげるが、何らの痛痒も感じさせず即座にタマモへと向き直る。
「ごほっ。お前、本当に俺を殺そうとしてないか?」
「あんたのバカに付き合ってたから豆腐屋閉まっちゃったんでしょうがっ!」
「なんだその美神さんばりの理不尽さは! だいたい、美神さんだって急所を三連発はしたことないんだぞ?」
「え゛」
「……お前、変な所で毒されてないか?」
「そうかも知れないわね」
ぷいっ、とそっぽを向くようにしながら自らを省みるも、タマモの理不尽な怒りは収まらない。
「まあ、いいわ。それならそれで、代わりの物を貰うから」
「はあ?」
「今からあんたの家に行って、その賞味期限切れ寸前のきつねうどんを食べてやろう、って言ってんのよ」
「その取引にもなっていない理不尽さ、やっぱり毒されてるよなあ。……カップうどんくらい食ってもかまわんから、その拳を下ろせ」
横島は溜息をつきながらもまた歩き出す。
「そう、それでいいのよっ」
これって餌付けを強要されてんのと違うのか、などという呟きなど聞こえないふりをしながら、タマモは後に続いた。
何やら不可思議な髪型をした、女子高生らしき容貌の美少女が足取りも軽く道を歩く。
少し日が傾き、赤く染まりかけた空から降り注ぐ光は彼女の髪を美しく輝かせる。
その美少女――タマモは、つい最近、ようやく少しだけ心を通わせた男の家へと向かっていた。
手には、食材の入った袋が二つ。
自炊が苦手な彼の為に、拙いながらも手料理を、と考えていた。
食材に何故か大豆製品が多いものの、栄養の配分はそれなりに考えられていた。
貰ったばかりの合い鍵を手にしながら、アパートの階段を駆け上がる。
合い鍵を貰った事は、謂わば身内の証。
美神さえ持ってはいない、絆の証。
それを手にしてはいても、彼の都合を確認せずに訪問するのはいかがなものだろうか。
そもそも部屋に居るのだろうか。
そんな益体もない事を思いながら買い物袋を廊下に下ろし、ポケットから鍵を取り出す。
既に何度握ったかわからないドアノブに手をかけ、扉を開いた。
「横島ー。……」
ドアを開くと、すぐ近くに横島の姿があった。
鍵を開く音を聞きつけて、迎えに来てくれたのなら嬉しい。
驚いた顔をしている以上、そんなはずはないとわかっているのに、そう思わずにいられない。
そんな気持ちを必死に押し隠しつつ、言葉を紡ぐ。
「えと…その…きちゃだめ…だった?」
目をそらしながら必死に紡いだ言葉は、しかし軽い言葉であっさりと返される。
「何言ってんだよ。ほら、扉閉めて早くこっちきて暖まれ」
「うん」
いつしか餌付けする側とされる側は逆転し。
それに伴い、二人の距離が縮まる。
「餌付けしに来てくれる、ってのも変な話だけどなー」
「バカじゃないの、もう」
それでもまだ、餌付けという言葉で括られる二人。
その理由が今日もまた訪れる。
バタバタと音が響き、ガチャリと鍵を開く音も聞こえたと同時に声が響く。
「せんせー、遊びに来たでござるよっ。肉も持ってきたでござる」
「横島さん、すいません、突然お邪魔しちゃって。すぐに晩ご飯にしましょう」
まあ、こんなもんよね。
餌付けには時間がかかるものだし。
タマモはそんな心の声は封じたまま、餌付けの対象者を見つめた。
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