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【御題】口笛吹きと狐


 良い天気でございます。
 のこのこ、とでも表現したくなるような歩調で、事務所へと足を向けていた横島忠夫は呟いた。
 初冬とは思えぬ好天は、眠気を思い切り刺激してくれる。欠伸も二桁を数えるほどに零していた。
 だからあわよくば、事務所で一眠りできれば最高だろうな、と甘い期待を寄せていたのだが。


 「よくも・・・・・・よくも、のこのことやって来れたわね、横島っ!」


 事務所のドアを潜った瞬間、横島は思い切り仰け反らされていた。
 
 すごい剣幕で声を放ったのはタマモであった。興奮ゆえか顔が真っ赤である。
 ふるふる、と両手両足はもちろん、金褐色の頭髪も揺れている。
 炎が発せられんばかりの輝きが,両の瞳からは放たれていた。

 ツッコミというか、返答も忘れ、横島は眼前の少女を見つめていた。
 いつもならば、すぐさま土下座に移行し、謝罪を敢行するところである。
 が、最近は学校が忙しく、事務所でのトラブルにもとんと思い当たる所がない。
 つまみ食いもない。覗きもしていない。(これには横島自身としても大いに不本意だったが)

 ましてや、妹分のシロはもちろん、タマモにもなんらかの害を与えた覚えはまるでない。
 こうして、おキヌに頼まれた買い物を済ませて、事務所に戻った矢先にこの扱いである。
 まるで意味がわからなかった。










                          口笛吹きと狐










 「えーと・・・・・・よくわかりませんけど、とにかくすんまへん」

 「誠意がないわ。とにかく許せない。謝罪も拒否。おとなしく焼かれなさいよ」

 「バ、バカいえ! 確かに注文通り豚肉は買ってきたが、なんでオレまで焼かれにゃならんねん。藪から棒になんだ。理不尽だぞ」

 「理不尽じゃないもん! とにかくアンタが悪いんだもん!」


 ネギやら大根やらが入ったビニール袋を下げながら、帰宅早々理由も不明で怒鳴られる。
 俺はどこの新婚さんか、はたまた倦怠期の旦那さんか、と考えるだにバカバカしい。
 八つ当たりには慣れているつもりだったが、それにしても、と自問自答を得り返す。
 もしタマモの態度が美神令子の薫陶だったりしたら、と考えると寒気まで込み上げてくる。


 「なぁ、タマモ。美神さんやおキヌちゃんたちは?」

 「良い度胸ね」

 「は?」


 さらっ、と髪を撫で付け、流し目モード。
 腰に手を当て、仁王立ち。気分はすっかりモデルか淑女であるようだ。
 が、確かな色気の萌芽は芽生えつつあるも、そこはいかんせんお子様の体形である。
 横島の煩悩は『ぐーすか』と鼻提灯に鼾付きで熟睡したままであった。


 「私の前で、他の女の名前を口にするの。ふーん、そう」

 「おいおいおいいやいやいや、みんなで同僚でしょ仲間でしょ家族でしょ、タマモさん」


 何事だ、これは。
 横島は慌てて周囲を見回した。
 微かに匂うのは、台所が発生源と思われる芳醇な香り。
 夕食の一品と思われるが、鼻を擽る刺激から考えてアルコールのようだ。

 空気からして酔いそうになる。
 見えぬ靄を振り払うように、顔の前で軽く手を振っていたが、三振り目で止められてしまう。
 タマモの突きつけられた人差し指が、横島の動作を急停止させたのだった。


 「もてあそんだわけ。信じられない」

 「話を聞かんかい! おい、シロ。シロはどこだ!?」

 「あ、また、他の女を呼んだわね。もう何も信じられないわ。不貞寝してやる」

 「はい?」


 完全に返答する間も与えられず、横島は首根っこを押さえられた。
 飼い犬の首輪よろしく、ぐいと勢いも良く引かれ、そのまま座り込まされた先は柔らかなソファーだった。
 ああああ、お母さん。はかなくも零れ落ちる椿の一輪、私だと思って土に埋めて下さいな。


 「待て待て待て! どこの時代劇だ、おい! あ〜れ〜!」

 「だまれうるさいやかましい。五月の蝿と書いておだまりなさいなのよさ、横島」


 横島は腰を下ろしただけだったが、タマモはさっさと横になっていた。
 頭はさっさと彼の膝枕に乗っけている。全てが流れるような手順である。
 柔道であれば一気呵成で背負い投げ。1本取られて、でも出来れば寝技希望。
 だけど、こんなちびっ子じゃなぁ。と、横島の理性は煩悩共々、深い溜息を零していた。


 「むっ、酒臭いぞ、お前!? まさか飲酒か。いかんいかんいかん! 未成年の飲酒は不良化の第一歩。許可なくして飲んじゃダメ。おとーさん禁止!」

 「飲んでない。食べた」

 「食べたぁ!?」

 「画期的新発明。タマモちゃん、アイディアはバッチグー。その名も『お揚げのワイン煮・ナインテールのおきつね様・賛美風』」

 「お、お揚げのワイン煮!?」

 「さすがはわたし。美貌もお料理も一級品。うにゃん」


 横島の表情は青ざめていった。高速回転で脳細胞が躍動し始める。
 恐らく材料は冷蔵庫から。おキヌちゃんの買い置きを使用したのだろう。
 ワインは美神のもの。それも『シャトー』なんたらやら言う高級品。
 身につけているのは、シロが花嫁修業にと気張って購入したエプロン。

 徹頭徹尾、首尾一貫。皆を敵に回しております。
 加害者じゃないのに、どうすんのよ。どうすんのよ、俺!?
 『死者の手(デッドマンズ・ハンド)』よりも、お約束級に弱輩を誇る私の戦略。
 さてもさても、手持ちのカードのブタ模様よ。死ねゆーとりますか、マイ・ディスティニー。

 いや、それはまぁ、可愛い女の子を膝枕してお昼寝のお手伝いというのは、イケてますよ。
 場所はノッティングヒルじゃないけど、死ぬまでハッピー! みたいな。
 野菜やらお酒やら生活感の香りがもろに漂っていても、そりゃほのぼの。
 よく言う『寝落ち寸前』の女の子に、苦言を呈すのはひょっとして野暮?

 まずはネギをどこに置いたものやら、と横島は、自然と羞恥を隠す逃避行為に勤しんでいた。
 が、ラブ・ストーリーも突然なら、恋模様の終わりも突然である。
 ドアの向こうには、今、帰宅したばかりらしい女性陣がいた。


 「ぶー」

 「ぐるるる」

 「ふーん」


 これはあかん。あきまへんで。
 過程を飛び越えて、横島は断末魔を伴った己が死期を悟った。
 タイミング悪いにも程がありまっせ、旦那。
 鎌を掲げた死神が、脳裏で手招きしている気がする。

 アーメン。信者じゃないけど祈りましょう。だって命が惜しいから。
 ラーメン。大蒜たっぷり、チャーシューは厚切り、せめて夢ではてんこもりで。
 ソーメン。流れ流れて何処まで行くの。それはもちろんあなたの胃袋。だって溶かされるだけですもの。
 オーメン。頼むから他所行って呪って。世紀末大悪魔伝説、出席番号666番の男の子。

 頭文字を取り揃えて、ア・ラ・ソ・オ。
 『あら、そお』と気楽に流せれば、どれだけ余裕綽々なオトコになれることやら。
 おおっ、ジーザス! 買い物帰りの平凡なる男に、これは少々酷な仕打ちっ!

 横島の静かなる狂騒をよそに、タマモは余裕を持って返していた。


 「こんこん、こんこん」

 「なんなのよ、タマモ」


 おお、上司よ。我が上司よ。
 その声の冷たき響きは、南極の寒冷前線も及ばぬ。
 汝の振るう鞭は風を切り、そりゃもう雀の学校も驚きます。
 狐の少女だけは泰然としていたが。


 「わたしことタマモ、にゃんともこんとも治りそーにない『ビ・ネ・ツ』あります。うっふん」

 「微熱、だぁ?」


 赤ら顔にて、右手の人差し指を立てております。
 くるくると回しながら、威風も堂々と、口調は宣言の如くです。
 まるで、学校の先生でしょうか。気分に浸っているのでしょうか。
 ああ、それにしても。それにしてもでございます。

 わたくしの足の上で、さらに正座をかますこのお狐さまは、おーまいごっどなまでにお忘れになっておられます。
 え、なにをと仰る? そりゃもちろん『は・ぢ・ら・ひ』というヤツで、へぇ。

 少しばかり捲れ上がっていたはずのミニスカが、今はまさしくギリギリCHOPでございます。
 パーフェクト・ストームが荒れ狂う大海の上、例えるならばわたくしは、所詮、一枚の木の葉にて御座候。
 頭も煩悩もふらふらしてたって、でもドキドキはするでしょ? しょーがねーじゃねーかよ!?

 動くな、タマモ! フリーズ! 講義中止!
 白い色は雲! 青は水玉なんかじゃなくって空です、断じて空!
 ああああ、視界になんか入っちゃいません。ストライプなんか知らないんです!
 ネギだ、ネギを見ろ! 人参に大根、春菊、豚肉に鶏肉がお前の味方だ、横島忠夫!


 「あーっ! わ、わ、私のっ・・・・・・ひ、秘蔵のシャトー・ラフィットが、が・・・・・・」

 「なーっ! せ、せ、拙者の・・・・・・お、お嫁入り道具の『えぷろん』が、が・・・・・・」

 「え、えーと・・・・・・わ、私は、えと、な、何もないですね・・・・・・ううう、ちょっと残念」


 事態が加速して悪化していきます。そりゃもう急転直下。
 なんで? どうして? こんな私が何をした?
 ってか、お願いだからもじもじしちゃダメ、タマモ!
 おにーちゃん、男の子なのっ! 一皮剥いたらオオカミさんになっちゃうのっ!


 「おー、いえっす。タマモちゃんのおーいなるけんきゅーのための犠牲になっていただきました。あしからず、いるからず、おっとせいからずに、みるますからず。毛のないカラスは神父さまー」

 「おー、のー! ホンマにボケてきおった。しっかりしろ、タマモ!」


 揺さぶられるのはさすがにちょっと苦しいらしく、加えて酒精の勢いもあろうか。
 横島の手が触れるたびにタマモは、あうあう、ふにゃふにゃ、と猫の酔態を見せている。


 「とゆーわけで大満足の出来でしたん。そこのところ、わんわんなりに納得して、以後よろよろよろしゅう。んじゃ、ぐんない」

 「ほわぁっと!?」


 『んがー、んぐー、んごー』と規則正しく三段活用。
 独自の語形に鼾を整え、タマモはさっさと寝てしまった。

 横島、唖然呆然。―――買い物袋は、まだ提げたまま。
 美神、ツンツン。―――デレの確率、完全にゼロ%。
 キヌ、膨れっ面。―――上目使いで、頬は少し赤く。
 シロ、泣きべそ。―――そりゃもう、羨望が満面に。


 「横島クン、詳しく聞かせて欲しいわね。っていうか聞かせなさい。あーん?」

 「ひうぅん。ひどいひどいひどいでござるよぅ、せんせいっ」

 「むー、横島さんっ。お買い物してくれたのは嬉しいですけどっ、ご飯、抜いちゃいますよっ」


 細くしなやかでありながら、憤りがこもれば万力の如し。
 『アイアン・クロー』の技名も雄々しげに、美神令子の右手が横島忠夫の頭部をしっかと鷲掴みしている。
 背後から彼の首根っこに齧り付き、自棄だ、悔しい、わんわんわんと言外に、勢いも良く頬を舐めまくるシロは、まさに飼い犬が如く。
 彼の右隣に居座り、反対側の頬をふにふにと抓るおキヌは、ちょっぴりの羞恥と嬉しさを隠していない。

 しかして、怒り出していた。


 「知らんっ、ホンマ知らへんのやぁっ」

 「このシチュエーションで信じられると思う? 却下ね」

 「拙者も拙者も拙者もっ。お膝まくらして欲しいでござるっ。わんわんっ!」

 「むー、ウソはいけないんですよっ」





 ―――きゃいんきゃいん わんわんわんっ





 ね、犬たちが鳴いてるでしょ?
 夢うつつにも、自分が笑っている事を、タマモは知っていた。

 お酒を飲んで南国へ行くのは、ひとつ昔の小父様クラス。
 『キミ』をからかって、『はぴねす』に行こう。
 お揚げのじゅうたんに飛び乗って、空と雲を食べに行くの。
 運転手は『キミ』、女王さまは『わたし』。

 耳に響いてくるキミの鼓動、胸の奥底まで辿り着けば、私の鼓動を包み込んでくる。
 一小節に四分音符が4つ。キミのテンポが16分音符。そしてシンクロナイズド。
 のこのこ、とやってきたキミの足踏みを、ちょっと踏んでしまおう。
 わたしに合わせてみたまえ、んっふっふ。

 ん、ユニゾン、だったっけ?





 ―――ま、いっか





 んまー、気持ち良さそうですなぁ、はっははは。
 寝ている少女の微笑みが、災いになるという事もあるのだな。
 身動きは勿論、反論もし得ない少年・横島はひたすらに思考し、ただ落涙するのみであった。





 ♪――――――――――――――――――――――――――★――――――――――――――――――――――――――♪





 「えと・・・・・・」


 アパートに足を向ける。
 それだけの行為だが、勇気を奮い起こすのに丸2日かかった。
 なんといっても恥ずかしかったからだ。

 だって一応、女の子ですから。
 衣服にも、そこはかとなく気を使いましたよ。


 「その・・・・・・」


 夕刻。空も黄昏気味の紫紺色。
 太陽が見えているうちに、言えば?
 言っちゃえ。言っちゃおうよ。
 暗いお空の下じゃ負けてしまうかも。いや、なんとなくだけど・・・・・・。

 彼ってば寝起きみたいです。髪の毛がヒドイもんです。
 着替えの最中だったみたいです。ランニングシャツにトランクス一丁です。
 ちょっと待った、という語尾が聞こえたと同時に、ドアを開けちゃいました。
 合法的覗きを敢行してしまいました。

 ああ、わたしってばすっごいタイミングわる。
 ドアをノックする前の、軽やかな口笛は彼が吹いていたのだろう。
 きょとん。そんな目と態度と雰囲気。


 「・・・・・・来ちゃダメ・・・・・・・・・・・・だった?」

 「食前酒っつーか、食前お揚げってヤツだな。ちょっと待ってろ」


 ううっ。思いっきり唾、飲み込んじゃった。
 どうして玄関先でやっちゃうかなぁ、わたし。

 のほーんとして、だらーん。
 お湯が沸くまで、やっぱり時間も態度もだらーん。
 女の子がいても、流しで髪を濡らす間も、着替える時もだらーん。
 なんともかんともゆるい空気です、はい。

 特性のカップうどんは上級ランクの一品でした。
 やかんからも、容器からもほわほわ、と立ち上る湯気がきれい。

 素直に『ごめんなさい』って。
 男の子も女の子も、共通で可愛いと思える瞬間があるのは、そんな時です。
 美神さんのお母さんが、そう言ってくれました。

 だから、行った方が。
 言った方が、やっぱ良いかなって。
 ご機嫌伺いなんてわけじゃないけど。
 でも行った方が、少しは良くなるかなって。

 湯気の向こうに、ちょっと小声になったけど、ひとこと呟いた。
 湯気の向こうで、お箸を咥えたまま、そいつは目を丸めてた。





 ―――あん? なんかあったか?





 うん、やっぱ良いよね。
 ・・・・・・お、お揚げよ。決まってるじゃない!

















                             おしまい

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